気まぐれ読書

2009

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12月30日  笹本稜平   天空の回廊  完全に腰痛停滞。ベッドからトイレまで10分もかかる。おかげで、いつもは気がつかない家の中のホールドを発見する。それらに伝うように、さながらインドアなトラバース。情けなやー。少ししょげながらも、頭を切り替えて読書に勤しむ。

 今回は笹本稜平さんの「天空への回廊」。前回660頁と言ったのがこの本である。まず登場人物説明がある。私の過去で、登場人物説明が先にあって、じっくりと楽しめた事が無い。登場人物説明があると言う事=沢山の人が登場する。と言う事であり、途中で頭の中がこんがらがってしまい、整理出来なくなることが多い。しかしこの本は違った。各登場人物にしっかりとした人格があり、頭の中でくっきりと整理が出来る。そしてフィクションでありながら、ノンフィクションに近い内容と描写。それには最後に夢枕獏さんの解説にあるとおり、かなりの参考文献を読んで、リアルに表現してあるからかと思う。

 全編エベレストの高所が舞台となるのだが、後半は特に、主人公の郷司(さとし)が、事件解決の為に8000m以上で行動する。絶対に有り得ないと思いつつも、その思いを消し去るほどの引き込む場面展開。少し先読みできるようにゆったりと書かれているのだが、そのほとんどが読みと反する展開。作者は読み手心理をも上手くコントロール出きる技巧派の様子。

 読み始め、高嶋哲夫さんの「ミッドナイトイーグル」に似ていると感じたが、また別次元の面白さ。唯一の女性登場人物のクロディーヌ、その女性らしい優しさが、険しいヒマラヤと言う場面設定に引き立つ。さて郷司とクロディーヌは・・・。

 お腹いっぱい大満足の一冊であった。
12月27日  重松 清  青春夜明け前  これで2009年も締めくくり、最後に「重松ワールド」を楽しんで2010年に突入。「青春夜明け前」(重松清)を読む。

 「小説現代」と「IN☆POKET」載せられた7作品が集められている。中高生時代の血気盛んな男子生徒の、鼻血あり、青タンあり、そして下半身にまつわる楽しい作品集。抱腹絶倒、そしてホロッと泣かせるいつもの重松作品。

 それにしても重松さんの記憶力はすばらしい。殆ど体験してきた事と読み取ったが、少しのフィクションがあるとしても、本筋は実際に有った出来事の様子。その描写が事細かで、良くぞそれほどに覚えていると思えるのだった。

 裏表紙に「男子の、男子による、男子のための(女子も歓迎!)、きらめく7編の物語」とある。男子の方にとっては、「イッヒッヒ」と思いながら読める本。女子の方には「へぇ〜」と思う男子の内緒話を覗くことができる。いずれにせよ、ホンワカとした気持ちにしてくれる一冊。これまた40〜50代の方にはバチッと世代が合い、共感できる作品かと思う。

 さて次は、660頁ある長編に手をかけた。 
12月23日  ガストン・
レビュファ 
 星と嵐  さあ今年もあとわずか、一年を振り返り、少し我が記録を読み返す。その季節季節により、行動傾向があからさまに判るのだが、ここに来て高みへの意識が少し低下しつつある。そんな時に喝を入れる一冊。岩屋の人なら誰しもが知っているであろうガストン・レビュファの「星と嵐」。

 最初、「なんかおかしな文体だなー」なんて思い、近藤さんの訳詞がおかしいのかと、失礼にも思えていた。しかし、この文体が詩と判ると、不思議と慣れ、妙に嵌ってしまい心地よくなる。こうなると、最初の違和感に対して180度意識が変わり、訳詩をしている近藤さんの力量に感心する。

 五感を刺激する作品で、いつもかも耳から音が聞こえているような錯覚さえする。それがピトンの音だったり、雨の音だったり、風の音だったり。日の当り辛い北壁を、殆どの場合で悪天候に遭いながら登ってゆく強靭なレビュファ。その場面場面で、どこまで人間は強いのかと、感心させられる。

 なんと言っても、奢らず控えめな表記がすばらしい。一流のクライマーで雲の上の存在でありながら、ガイドであり、一般者相手の仕事をしていた訳である。ある意味、庶民派的な部分を感じさせるレビュファは、この点からも良いガイドであった事が判る。

 山を愛し、ザイルで繋がれる友を愛したレビュファ。少しふにゃっと曲がっていた背筋が、ピンと伸びた気がした。寒く冷たい記録が綴られているのだが、作者のハートの温かさが伝わり、この寒い時期にしてホンワカと温まる一冊でもあった。温かさと共に、熱いものも十二分に感じ取れ、喝が入れられたのは言うまでもない。
12月17日 赤井三尋   翳り行く夏  今回は赤井三尋さんの「翳り行く夏」。

 まずなんと言っても「しっかり書かれている」という印象を受けながら読み始める。伏線の地雷がどこに埋まっているのかと、勘ぐりながら読み進めるのだが、こちらの詮索を上手くかわすかのように、作品の中に引き込まれてゆく。

 推理力の未熟な私は、最後には「やられた」と思ってしまったのだが、最後の最後まで、犯人像が判らなかった。色んな偶然が、これがヒントになる部分かと読み進めるが、意外に・・・。でも答えが出ると「ウッ」と唸ってしまう心境にもなった。すぐさま最初から読み返したい気分にも・・・。

 20年前の幼児誘拐事件を、掘り返すように追う記者の梶。ここで主人公が刑事じゃないのがいい。記者ならではの角度から追い、さらに記者としての気概や本音がちりばめられている。これは作者の元記者としてノウハウが盛り込まれているようだ。「情報」が解決に向かっての道標であり、それを追い求めてゆく。

 どっしりと腰を据えた推理小説と言えようか。じっくり読んで、最後に最高の満足感が得られる。そんな一冊であった。

 
12月3日  有川 浩  空の中 珍しくSF系の内容の、有川浩さんの「空の中」を読む。

 現存している、国産初の民間旅客機「YSー11」に続く、「スワローテール」の試作機が出来上がり、試験飛行が行われた。L空域と呼ばれる、四国沖の高度2万メートルで突如爆発。ここから物語は始まる。

 ある日、操縦士の息子(瞬)が、奇妙な物体(生き物)を海から持ち帰る。それと同時期に、父親の殉職を知らされる。複雑な心理状況の中で、物体(フェイク)と同居するのだが、死別した父親の携帯番号にかけると、この物体と話が出来る事が判った。ここから大きく話が展開する。

 滑り出しは、高知の片田舎が舞台。幼なじみの「佳江」と、親のように面倒を見てくれていた「宮じい」が、とてもホンワカとした空気を醸し出す。しかし、持ち帰った物体が、父親の爆発に至った原因である事が判ると、その空気が一変し、ギスギスとしたものとなる。

 もう一方の場面は岐阜基地内。瞬の父親と編隊を組んでいた女性自衛官(光稀)と、事故調査委員と言うべき高巳との嫌悪な関係から滑り出す。しかし高巳の口頭技術で光稀が心を開いてゆく。そしてこちらでも事故原因が「白鯨」(フェイクが分裂した母体)だと判り、どんどんと話が展開してゆく。

 有川さんの、内心の表現がとても上手で、それにより面白さが増したり、悲しさが増したり・・・。中盤からの口語の羅列は、一方でくどい感じがするが、その一文一文には、何か強いものを感じた。集団社会においての人間の位置付けやコントロールの仕方を学んでいるような・・・。活字の奥まで良く知っている作者ならではの高等技法のようにも・・・。

 高知の高校生の瞬と佳江、岐阜基地での光稀と高巳、この2つの男女の関係表現も、全体をとてもバランス良くしてくれていた。そしてなんと言っても「宮じい」の繰り出す言葉、高知弁丸出しが相乗効果なのだろうが、最高にいい。暖かいのであった。

 エピローグが有り、最後の最後は「宮じい」をメインにした別作品も添えられている。だいぶ涙腺が緩くなるので要注意である。そして新井素子さんの解説の最後に「読め。面白いから。」と書いてある。確かに面白かった。537ページと長編だが、テンポよく3日で読みきった。当然寝る間が削られ、だいぶ寝不足・・・。

 
12月 1日  重松 清 あの歌がきこえる  「みぞれ」に続き、またまた重松清ワールドに潜入。「あの歌がきこえる」を読む。

 おそらく重松さんが経験してきた途中で聞こえていた(好きな)音楽が上げてあるのだろうが、血気盛んな中高生の良き仲間を主人公として、全ての話が展開されている。その場所が中国地方の設定で、方言丸出しの言葉並べも至極楽しい。腹を抱えて笑いたくなる場面もあり、最後にはホッと温まる、いつもの重松ワールド。

 個人的には第3部の「オクラホマ・ミキサー」が抱腹絶倒で大好きである。これも読み終えての幸せ感が満ち溢れる、温かい作品集であった。

 作品中には「ああ宮城県」http://www.youtube.com/watch?v=UQz_uIjOIl0なんてのも出てくる。♪ダンダン・ドゥビドゥビ・ドゥバダ・・・。耳に残り、土曜日に山を歩きながら口ずさんだり・・・。

 文中のシチュエーションは、40代〜50代の方には、バチッと共感できるものばかり、懐かしさと温かさと・・・。 
11月20日  新田次郎  槍ヶ岳開山   バタバタしており久しく読めずにいた。アマゾンで買った本が、数冊積まれたまま出番を待っているのだが、今回は熱く、新田次郎さんの「槍ヶ岳開山」を選ぶ。

 山屋で居る中で、読んでおかねばならない本が数冊あるかと思う。少し前の「聖職の碑」もそれに値する作品と思うが、あの槍ヶ岳を開山した播隆上人を題材としたこの本も、そんな1冊であろうかと思う。私もにわかハイカー。やはり知るべきことは知っていないと・・・。

 私も北アルプスの開山は、ウェストン氏の関わる部分が大きいと思い込んでいた。長野の三才山トンネルの北、保福寺峠にある碑を見た時、何でこんな場所にウェストン氏の碑があるのかと思ったのだが、ウェストン氏について深く知るきっかけになったのが、この時であった。全ての興味はこんなきっかけから始まるのかも・・・。

 きっかけと言えば、笠ヶ岳の東側にある「緑ノ笠」をだいぶ昔に踏んだ。この時の経路に播隆平があるのだが、残念ながら当時には播隆さんには興味が湧かなかった。登るのがやっとやっとで、それどころではなかったのかもしれない。それから11年経過、この本を読むと、読んでから出向けばよかったと強く思う。やはり情報量や知識は、現地での感動を強くすると思う。

 そんな私の中での播隆上人は、僧と言う徳の高い地位の方で、俗世間の人とは別の世界の人との認識があった。しかしこの本を読むと、岩松と呼ばれ米問屋で丁稚をしていた頃からの、一人の人間が僧侶になった行く様子が伺える。一揆のドタバタの中で、女房の「おはま」を槍で刺し殺してしまった岩松が、それを悔いつつ僧侶になり、なってからもおはまへの愛が感じられる全編。ここらへんは新田さんの手腕だろうかと思う。


 最終章の播隆上人の最期に、弥三郎が一揆の時の真相を全て播隆に告げる。ここの描写もとてもすばらしい。何十年も経って、おはまが睨んだ訳を解釈した岩松が、静かに息を引きとる。作品内で痞えていたシコリが払拭出来たような気分になり、言わばハッピーエンド。読み終えての清々しさもあるのであった。

 書かれて既に30年以上が経過しているのに、内容が輝き色褪せていない。これが不思議であった。武蔵野さんの巻末の解説に、「山岳歴史宗教小説」と言う言葉が使われている。確かにその表現がぴたりと嵌る。読み終えて、すぐにでももう一度読み返したい心境になる本でもあった。

 先だって無線で繋がった、若き女性もこの本を読んでいると聞いた。私はまだ読めずにいた頃なのだが、全く山をやらない方だったのだが、その人間播隆に甚く感動していたようであった。
 
10月29日  大村あつし  無限ループ   今回は大村あつしさんの「無限ループ」。現実逃避にはうってつけの一冊。あまりのめりこむと毒となる一冊とも言えようか。

 一介のサラリーマンがふとしたきっかけから大金を持てる様になる。頭脳を使うとか、労働するとかではない特異な方法でお金が手に入るのだが、大金を持った主人公が、それにより金銭欲が増してゆく。さらには愛欲も絡み、危険な方向に進み始める。

 第3者的に読んでいるのだが、けっこうに中に入り込んでしまって、ハラハラドキドキを伴う。表現が上手な技巧派であり、後半の銀座のクラブでのくだりは、けっこうに勉強になった。行ける様な身分ではないからと言う事もあるのだが、ホステスと主人公が交わす会話も、人間的で面白い。

 人間の欲を描いた作品であり、誰しもが持った部分であり、のめり込め易い。楽をして大金を持つ事に対しての反面教師のようでもあった。
  
10月22日  重松 清   みぞれ  そろそろ虫の音も渇き気味になってきた。静かな秋の夜、はらはらとページを捲る。今回は重松清さんの「みぞれ」。主にサンデー毎日に掲載された短編の集合体で、計11作品が詰まっている。

 「あるある」的な世の中の様子を、少し世の中の隙間から覗くような感性のある作者が、軽妙に文章にしている。肩が張らず、すらすらと読んで行ける。しかし訴えてくるものは強く。作品を次々と読み込んでゆくと、芯から温まる感じになる。そして優しい気持ちになれる。本の帯に書いてある「『人生は一度きり。』 だから沢山の本を読もう。」との文字が、全てを物語っている感じで、色んなシチュエーションでの出来事で一喜一憂できる。

 登場人物のキャラクターがとても多彩で、人間観察が良くされている事が読み取れる。ちょっとその器用さに驚きつつ読んでいたような・・・。

 とてもいい本であり、これからの寒い時期にはお勧め。コーヒーやお茶を飲んだほどに、短時間で体をホッと温めてくれるだろう。
10月 8日  道尾秀介   片眼の猿  今回は道尾秀介さんの「片眼の猿」。探偵が主人公となるライトミステリーなのだが、ミステリー展開とは別に、作者の謂わんとしている、訴えかけている部分は、ソウルフルな人間本来の持つべき大事な事を知らされたような気がした。文中にそれがちりばめられ、最後に探偵の言葉として纏められている。伏線の張り方はずば抜けており、その部分では「ライト」とは言い難い本格派を感じる。

 あまり語っては面白くないかもしれないが、作品名から察知できる五体満足とは言い難い登場人物が沢山でてくる。しかしのびのびとして、それが心地よい。テンポが良く、「次はどうなるだろう」と常にそそる部分があり、一気に読み干せる。読み終わった後は、心地よい爽快感が暫く続いた。

 この作者とは、初めての出会いであったが、活字の使い方が上手であり、私の中の「お気に入り」にすぐに追加された。 
10月 1日  新田次郎  聖職の碑  久しぶりの新田次郎さんの作品、「聖職の碑(いしぶみ)」を読んだ。まず、作文内容の前に、カバーの絵が白簱史朗さんの写真が使われているにのは驚いた。有名山岳小説家と有名山岳写真家のコラボレーションである。

 さて内容は、大正二年夏に起こった、木曾駒ヶ岳での修学登山での遭難事故。それを新田さんが克明に取材して、文章としている。現在とは登山装備があからさまに違う中での壮絶な様子が綴られている。

 信州では修学登山が行われていることはよく耳にする。少し話が逸れるが、半年ほど前に健康診断を受けた。浅黒い私に看護士さんが、「山を歩かれるのですか」と採血をしながら聞いてきた。「はい」と言うと、「私も中学の頃、燕岳に上がりました」と言う。すぐに「信州出身ですか」と聞き返してしまったのだが、信州出身の方は少なからず登山経験があり、修学登山により高山に上がった経験を持つ。こんな事をきっかけに話が弾んだのだが、その恒例となっている登山が、今回の木曽駒(中央アルプス)での出来事に起因して行われているとは知らなかった。

 通常遭難と言うと、白黒、善悪を判断する方に話を進め、周辺も興味を持つ。当然のようにこの部分も克明に書かれている。昨今ではマスコミでの情報が氾濫し、それにより大きく取り上げられるが、昔はそれ以上に人間関係が密な時代であり、学区となる村では計り知れない険悪な空気となっただろう。そこに住まいする教員(家族)、子供を亡くした父兄、沈静化するには長い時間がかかったろうと思う。

 本作品は4/5の本文と、1/5の取材記で綴られている。新田さんの言葉と思いを交えた取材記は、新田さんの感性が感じられ、感心するほどに纏っている。まぁ作文のプロであるから当然なのだが・・・。今回で新田さんの作品を読むのは14作品目、何度読んでも瞬時に引き込まれ、心躍らされる。私が少し山を齧っているから尚更なのだろう。

 最後に、この作品の中に出て来る「碑」を見に、中央アルプスに行きたくなった。深田久弥さんの百名山もそう思うのだが、そこを書いた本を事前に読んで出向くのと、知らないで行くのでは、全く感動が違うだろう。

 聖職者の記録でもあり、「教育」と言う部分に、少しコメントせねばならないのだろうが、人間が未熟な為、そこまでは・・・。 
9月10日 樋口明雄  約束の地  秋に入り、気合を入れて数冊買い込んだが、なかなか時間が取れず前回から少し間が開いてしまった。今回は樋口明雄さんの「約束の地」。寝転んで読むことが多く、文庫本の出るのを待っていたが、待ちきれずに買った単行本。やはり寝転んで読むには腕が痛い・・・。

 内容は以前読んだ「光の山脈」に酷似しており、そこに出てきた「マダラ」と言うイノシシの名前も登場してくる。作者も前作を意識しての本作のようである。

 狩猟を通しての自然と人の関わり方を強く押し出しており、嬉しいほどの樋口ワールドが広がっている。主人公は東京から山梨に赴任したキャリアの自然保護官(ちょっとニュアンスが違うかも)。ホワイトカラーがブルーカラーの世界に飛び込み、そこで青く染まってゆく。実際は自然が相手なので緑に染まってゆくのだが、獣との戦い、それと共に起こる事件事故。人間が犯している自然破壊、それが生態系に異常をもたらしている事を警鐘しつつ、目まぐるしい展開の中で、樋口さんは人と獣と自然の調和を説いている。

 猟師と猟犬が山の中で息絶え、それが数日して見つけ出される。そこで人と犬を「ふたり」と表現している部分は、名場面をさらに熱く感動へ誘う。時に熱く、時にハラハラ、そしていつものハッピーエンド。

 良い本に出合えると幸せなるのだが、この本もそんな一冊であった。

 私は狩猟とは縁が無いが、そんな私が狩猟する人に読んで欲しいと思うような本であった。
  
8月27日  吉村 昭  漂流  ここのところ本を読む時間が無く、久しぶりの一冊。夏があったのかと思いたくなるほどに、梅雨が長く、既に秋に入ってしまった。さあこれからが読書の季節。このいい季節に、昨日は3冊ほど購入してきた。

 さて今回は吉村昭さんの「漂流」。江戸時代に無人島に流され、主人公となる人は12年半の歳月をその無人島で過ごし、無事本土に戻ってきた話し。

 精神との葛藤、肉体の衰え、仲間の死。アホウドリを撲殺し、それを主食にしながら生き永らえる術を見つけてゆくバイタリティーある話である。そして同じ難破の境遇に遭い辿り着いた別の水夫たちと力を合わせて生き抜いてゆく。そんな中でも死んでゆく者、喧嘩があり、小さな島と言うコロニーの中で「生」と言う部分を強く訴える内容。

 何もしないでアホウドリだけ殺生して食べていれば生き永らえるなんて、「楽な人生」とちょっと思ってしまうのは、裕福なこのご時勢を生きているからである。何もする事が無い中で、体を動かさねば偏った食事により体が蝕まれてゆく場所、さぞかし壮絶であっただろう。

 実際に有った話を文章化したものだが、何年も掛けて流木を拾い舟を作る気長な作業が実を結び、島を脱出できる。昔の人の器用さ、そして力強さを感じる。全て受身の現代社会においては、これらの能動的な部分は学ばねばならない部分かも。全ては生きるか死ぬかに繋がるのでそうなったのかもしれないが・・・。

 作文でちと気になったのは、反芻するように同じ文章が何度も並べられている事。読み手にその事を深く植えつけたいが為の手法と取ったが、ちとくどいようにも思えた。それはそれとして、前回に続いて吉村さんの作品は2冊目、これも教科書のように読みやすかった。 
7月27日  樋口明雄   武装酒場   なかなか梅雨が明けない。ジトーッとした中、除湿を掛けながら一冊・・・。今回は樋口明雄さんの「武装酒場」。そのタイトルに惹かれて買ってしまったのが一番の部分。

 一見他愛も無い居酒屋が、こともあろうに警察や自衛隊に包囲される場所に変わる。しかし中に居る客は、酔っ払いばかり。外の真剣さに対する、店内のふざけた連中の温度差が、笑いへ誘う。


 居酒屋「善次郎」に集う客は、一癖も二癖もあるような諸事情を抱えた者ばかり、全てに自己主張が強く、協調性など無い。それらが狭い空間で「酒」と言うものだけを共通点として集まっている。それを迎える店主も、相応の癖の持ち主で、その客との掛け合いでストーリーは構成される。

 そしてひょんなことからヤクザが隠した銃器が店内から出てきて、店の武装が始まった。と言っても客はそれらを酔いながら触っているに過ぎない。危険物を酔いながら触っている感覚、それには滑稽な中にもハラハラドキドキが表現されている。

 全体のストーリーから少し逸脱しているのだが、中盤のゴキブリを擬人化した表現はとても面白かった。他にも沢山笑いの壷がちりばめられているのだが、樋口さんのハードボイルド的なこれまでの作品に相対する作品であり、氏の広角広範囲の人間性に、またまた好感を持つのであった。

 最後はいつものようにハッピーエンド。樋口さんの作品は、読み終えての清々しさがいつものあるのであった。

  
7月 8日  吉村 昭  高熱隧道
 なかなか時間が取れずにおり、久しぶりに一冊読みました。今回は吉村昭さんの「高熱隧道」。

 「黒部の太陽」により紹介された黒四ダムの工事はよく知られているが、これは黒部第三発電所の工事の模様が文章化されたものであった。最初から最後まで、通してトンネル工事の話がされる。

 序章とかそんな類は無く、ひたすら現場の様子が書かれている。そこに人間模様が加えられ、作業員と技師との主従関係の中での心理が克明に表現されている。

 「ほう雪崩」は聞いた事があったが、この本により、その凄まじさが理解する事ができた。それと共に黒部の自然、大きさを知る事となり、工事の大変さが伝わってきた。

 多数の死者が出る中での難工事。今ではありえないのだろうが、それでも中止されず貫通したトンネル。本を読んだ事により、一度出向いてみたくなった。

 とても作文が読みやすく、教科書を読んでいるかのようであった。 
6月14日 樋口明雄 狼は瞑らない  ここのところ樋口明雄さんに惹かれており、今回は「狼は瞑らない」を読む。

 序盤は主人公となる佐伯鷹志の半生が、こと細かく書き出されている。読み手側は自ずとその膨大な主人公情報により、主人公が味方に居るような、主人公を応援したくなるような立場になる。ここは樋口さんの美味い手法である。

 途中途中には、これでもかと言う気象表現があり、文字使いも言葉選びも唸らせる。ちとクドイようにも感じるが、その活字に押し倒されるかのような、「これを読まずには先に進めないぞ」と言うような通過点であった。

 そして中盤からは、佐伯が悪者に仕立て上げられる。既に読み手側の心に佐伯と言う人物が取り込まれているので、ここからは一喜一憂となり、全ての行動がハラハラドキドキとなる。

 この本内も、樋口さんらしく、南アルプスや北アルプスの実名箇所、ならびにそれに近い造語地名を多用し、山を、場所を知っている者にとっては、何となくその場所を思い浮かべながら読み進めることが出来る。冒険小説でありながら、その枠を飛び越え、プラスアルファの面白さと読み応えがある。当然、心に訴えてくる名文句も多い。

 またまた幸せな時間を楽しませてもらった。 
6月 2日  高嶋哲夫   ペトロバグ  今回は高嶋哲夫さんの「ペトロバグ」。石油生成菌というバクテリアの話。作者の理系知識がバックボーンにあり、フィクションなのかノンフィクションなのか、途中で混雑しまうほどに引き込まれる。

 石油精製(生成)だけのバクテリアならいいが、人体感染を及ぼす部分がハラハラドキドキの場面を作り出す。開発者に対し、中東から刺客が送り込まれ、アメリカからも拉致に動く、最後までそのバトルが続くのだが、展開は悪い方へ・・・

 プリウスの売れ行きに代表されるように、石油(化石燃料)の大事さが見直されてきている昨今だが、現代社会への燃料浪費の警告のようにも読み取れた。世界におけるオイルマネーの動き、相場、第3次、第4次石油ショックへの警報のようでもあった。 
5月21日  樋口明雄  男たちの十字架   春と言ってももう初夏の陽気。だんだん読書には不向きな暑い季節に入る。でもでも、うだるような暑さの中でも選択肢によっては涼しくしてくれる。この先はちょっとスリリングな本を選ぼうか・・・。

 今回は、前回に引き続き樋口明雄さんの作品で「男たちの十字架」。これもまた樋口さんらしいストレートな内容で、自己主張の強い登場人物が、熱いバトルを繰り返す。

 警察、ヤクザ、中国マフィアとのアングラな娑婆での抗争が、後半から山に舞台を移す。その場はまたまた樋口さんの得意とする南アルプス。リアリティーのある地名表現についついのめりこんでしまう。悪人を描写しながら、悪人の中の人間としての優しさが表現され、血しぶきが飛び交う冷たさの中にも、その心の温かさを感じる。荒れる山の中での、「自然」と「人間」との対峙。全てに理解できるだけに、吸い込まれるように読み漁った。

 警官が捨てたタバコのフィルターを見て、山を愛する中国マフィアが怒鳴る。「ゴミを捨てるな」「そいつを拾え。そんなものここに捨てるんじゃない」それに対し、「街中じゃ誰だって煙草ぐらい投げてるだろうが」と言う警官に、「ここは街じゃなくて山だ。小さなルールを破るだけで大事に繋がる事もある」と言い返す。こんな善人と悪人が逆転したようなシチュエーションを作り、強く警報しているようにも思えた。山を愛する樋口さんの言葉が作文中にちりばめられているのだった。

 ローギアでの前半、そして中盤以降で中速から高速ギヤに入るとワクワクしながら一気に読めてしまう。最後は「光の山脈」同様にハッピーエンドとなるのだが、これがなんとも気持ちいい。読み終えてスカッとした満足感が得られるのだった。
 
4月28日  樋口明雄   光の山脈  今回は樋口明雄さんの「光の山脈」。山梨を舞台としたリアリティーのある土地表現。そこで勃発する暴力団と青年との戦い。血生臭い銃器での格闘が多い中、自然と動物と人間との温かさを感じる表現も多様。伏線を張る部分は殆ど無く、あくまでもストレート。読みやすく、それでいてハートに強く訴える作品でありました。

 読み初めからスッと引き込まれ、いつしか心臓をバクバクさせながら読んでいる自分が居ました。それほどに入り込め、共感でき、一喜一憂する事ができました。作品の出来の良さから来るものですが、本がこんなに面白いものかと、改めて思ってしまうほどに楽しかった。

 仕事疲れの中で読んでいても、眠くなるどころか、逆に目が覚めてしょうがないほどに心を揺るがす作品。巻末に書いてあった。「なんと、読む者の血をたぎらせ、魂をゆさぶる物語であろうか」。全く同感である。 
4月21日  佐野 稔   喪われた岩壁    前回から少し時間が空いてしまいましたが、今回は佐瀬稔さんの「喪われた岩壁」を読みました。

 昭和初期の岩屋の熱き情熱が詰まっている様な内容であり、心が大きく動かされる場面が多々ありました。それが時に怒りだったり、感動だったり・・・。俄か山屋の私は、言うなれば岩に関しては殆ど素人。壁は壁でも左官屋(卑下して使っているのではありません)のようなもの、そこに本格的な岩壁に取り付いたRCC面々の追い求めた部分を読まされ、殆どため息状態。逃げるように「自分は岩屋ではない」なんて思うのですが、逃げられない自分が居たり・・・。

 ハッと思わせる言葉が多々ある中で、気になった一行があった。301頁、「神は、あまりよく眠らなかった者には、人より早く、長い眠りを与えるという」とある。私は日平均4時間。週一回は寝ず(仮眠はとるが)の行動で山に向かう。なにか自分に当てはめてしまった。もっと寝ようか・・・。 
4月 2日  宮部みゆき   火車   今週は宮部みゆきさんの「火車」(かしゃ)を読破しました。宮部さんの作品は「模倣犯」以来の久しぶり。582ページと少し長編でありましたが、展開の面白さに貪るようにページが進みました。

 犯人像を追う本間刑事(休職中)を中心とした周辺の心優しい人たち。ドンパチは一切無くスリルとは無縁ですが、終始哀愁が漂う中で登場人物が行動し、温かみのある推理小説でありました。カード社会の色々が勉強できたり、戸籍に関する知識が増したり、勉強になる部分も沢山。最後まで推理する楽しさを持続でき、予測と反復を繰り返しながら読み進むことが出来ました。

 最後がテレビドラマ的な構成で、綺麗に終わりすぎているので、もう少し犯人の詳細を判りたかったような気も。まあこの蟠りを抱くくらいが、面白さと吸引力となっているのかも。完結を求めてしまっている自分が居るのですが、これを読むと、そのリアル過ぎる行動表現に、ドラマ(1994年放映)も見てみたくなった。 
3月28日  高嶋哲夫  ミッドナイト
      イーグル 
 映画にもなった高嶋哲夫さんの「ミッドナイトイーグル」を読み終えました。作者は工学系エンジニア。文内の技術系に関する細かい描写は判りやすく、それでいて過不足ない感じ。判っているからこそ表現できるのだな〜と感心。細かさを言えば、登場人物の動きも細かく表現され、文字からそのまま映像が思い浮かぶ感じもありました。

 前半こそ重たいスタートでしたが、中盤、後半とスピード感があり、これは前半の布石があってのスピード感と判ると、またまた感心。フィクションではあるものの、細かい物品描写は正確であり、「北朝鮮」や「中国」をそのまま表記している部分からは、ノンフィクションに思えるほどに吸い込まれて行きました。

 作品の良さもさることながら、作者の広範囲な知識と繊細さを感じる一冊でありました。山屋の方、無線家、軍事系趣味の方などは楽しく読めるでしょう。 
3月17日  真保裕一   灰色の北壁  今回は、真保裕一さんの「灰色の北壁」。真保さんの作品は「ホワイトアウト」以来。久しぶりに作品に触れると、らしい文字運びに懐かしさも・・・。この本には3作品が納められ、作風の違ったそれぞれを楽しむことが出来る。一粒で3度美味しいと言ったらいいか。

 「黒部の羆」は、剱岳源次郎尾根を舞台にし、ライバル同士のリアル過ぎる心の内が惜しげもなく表に出ており、ここまで表現するのかと、山屋として同調したり、意見したかったり、でも最後は全てを包み込むような結末となっており、中盤のハラハラが転じて、温かさと清々しさが残る感じに。

 「灰色の北壁」は、「新田次郎文学賞」を受賞しただけあり、深い良い作品でした。一度読み、終盤の展開にそれまで軽く読んでいた事を諌め、もう一度読み直して味わいました。多弁な記者、そして関係する口数の少ないクライマー。活字の裏にもまだ言葉あるような、そんな作品でありました。

 「雪の慰霊碑」は、山岳小説としては一種不思議な余韻の残る作品でありました。主人公は単独行を求め、雪山を歩きながらの山で亡くなった息子への問いかけ対話は、共感できる心理の連続であり、寒い現場でありながら、暖かいものを感じる部分がありました。もう少し長編にして、先が欲しい感じでありました。 
3月12日  谷 甲州  遥かなり神々の座  今ほど、谷甲州さんの「遥かなり神々の座」を読み終えました。

 最初、その題名から困難なピークハントの山岳小説かと思っていました。夢枕獏さんの「神々の山嶺」と何となく題名が被るような気がして、そんな思いがありました。しかし最初こそ普通なのですが、読み進むに連れてヒマラヤ国境線で繰り広げられる各国の政治的な部分を織り交ぜ、血しぶきが飛び交うようなハラハラドキドキの展開。心理表現も多々織り込まれ、けっこう私好み。ハードボイルドな主人公が最後まで引っ張り、いつしかその主人公に自分がなっているような気に・・・。普通、山の天気は好天を良しとしますが、これほどに悪天を良しとして書かれた作品は初めてでありました。

 私はヒマラヤには行った事が無いので、巻頭の地図を見ながら作品を読み進めていましたが、ヒマラヤトレッキングなどをしたことがある方は、より楽しく読めるでしょう。 
3月 4日  井坂幸太郎  ゴールデン
     スランバー 
 今週は井坂幸太郎さんの「ゴールデンスランバー」を楽しみました。たまたまですがコウタロウ繋がりで、どちらも引き込まれる作品となっていました。

 「凍」の方は、山野井夫妻の山に向かう姿勢、精神力、ストイックさに感銘。「壮絶な」内容ではありますが、ご夫妻の人柄があり、角張った感じはせず、滑らかに読み進む事が出来ました。かなり力を分け戴いた感じです。

 「ゴールデンスランバー」は、伏線を張る作者の作風が強く出ていて、一瞬たりとも目が放せない、そんな作品でありました。読み手を引き込む手法にまんまと嵌り、かなり面白かったです。ハラハラドキドキの連続でもあり、目で活字を追いながら全身で読んでいる様な、そんな感じも・・・。 
2月  沢木耕太郎   凍