気まぐれ読書

2011

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12月20日  佐々木 譲  巡査の休日
 またまた道警シリーズ。読むつもりはなく、冒頭の入りだけ確認しようと思い読み出したら、あれよあれよで引き込まれ、読みきってしまった。

 警察側の登場人物はこれまでと同じ。その昔、三毛猫ホームズシリーズなどを読んでいたが、同じ登場人物だと、次第に愛着が湧いてくるものである。

 今回は、これまで続いた不祥事とは違い、純粋に事件に対してのストーリー。強いハラハラはないが、それ相応に凶悪さを表現された姿を現さない犯人にスリルを感じ、その進行スピードが体感できる。

 レギュラー登場人物のキャラが、ちょっとづつ深く掘り下がる内容であり、警官であっても人である自然な感じがとてもいい。どんどん新刊が出る毎に、そのキャラが固まってゆくのであろう。ここは楽しみ。

 鈍感な私には珍しく、早い段階から(後半だが)犯人像が見え隠れしていた。最後に盛大に盛り上がるわけでもなく、自然な、逆に少し盛り上がりに欠ける様な終わり方が、事件の終焉の乾いた淋しい感じを表現していた。

 警察の裏読み。これは通常の生活の中での周囲の心理を読むって事に繋がり、けっこう好きな部分。よってこの手の内容が面白く読み進められるのかも。
12月15日  佐々木 譲  笑う警官
 「警察庁から来た男」と読む順番が逆だと思うが、意外とこれが面白い。「警察庁から・・・」で把握した人間関係知識があっても、初々しく最初から楽しめる。なんと言うか、2倍楽しめる感じがした。無駄にある知識が頭の中で伏線を自分で作って楽しめると言おうか。

 警官が犯人を・・・と言う通常のストーリーがあるなかで、これはあくまでも警察組織の内部に意識が向けられ書かれている。やはりあの北海道警での事件。腐敗が表沙汰になったことの影響は大きいようだ。ノンフィクションに近いフィクションであろう。

 警察という特殊職業。隠語や、斜に世の中を見る、そう見るようになってしまう職種なのかと思えるほどに、独特の同業者での会話が続く。それが下品とも思えるが、歯に衣を着せぬ言い回しは、それはそれでストレートな感じで自然と思えてしまう。ただし、わびさびとか奥ゆかしさは無い。やはりこの職種は苦手だと感じてしまう。

 話が逸れるが、その昔、自然保護協会に入っていた。それを知人警官は「『赤』だから辞めよ」と、言った。そんな入官教育を受けたのだろうと思えたが、言葉にするほどに擦りこまれるのかと残念に思った。大きく余談。

 後半の佐伯の判断、陽動、身内に裏切り者を泳がしておく、この辺りの采配がすばらしい。スピーディーかつ技巧・頭脳派。楽しい作品であった。

12月 3日  佐々木 譲   警察庁から
      来た男 

 警察を裁く・・・。少し前に北海道警察でのいろいろが問題になった。癒着や慣習による腐敗した話は耳新しい。それをこの本はスカッと一刀両断。もしこれを警察官の方が読まれたとしたら・・・。少なからず「あるある」なんて思うのか、「そんなのフィクションだよ」と思うのか・・・。前者なのではないかと思ったり。

 警察は悪を取り締まる役目だと思っていたが、警察組織の中の悪を取り締まるシチュエーションに、違和感を抱きつつ、そして興味を持ちつつ読み進められる。現役とOBからなる壮大な警察関係者の悪の組織。そこに良識あるスタッフが立ち向かう。その仮定での点が繋がり線となって行く様子が、とても気持ちがいい。

 登場人物がとてもドライに描かれているのも特徴か。会話形態が多い為か、各々の心の中までの記述は少ない。ただし、それが規律のある場所で働く人という風合いを出しているよう。

 最後の終わり方がややフラストレーションが溜り、もう少し活字が欲しい気がした。これも作者の上手な手法なのかと思えた。お腹いっぱいでなく、腹八分。飽きないで読める楽しい一冊であった。
11月23日  東野圭吾 白銀ジャック 
 何せ読みやすい。すらすらと貪るように読めてしまう。我が波長にマッチした題材って事もあるからかもしれないが、雪の上の描写が、とても伝わってきていた。

 早い段階で、犯人像が見えていたように自負していたが、「おやっ、あ、そう」と思う結末だった。今の世の中でありがちな題材がノンフィクションな感じも出している。これからウインターシーズンであり、少しスキー場の見方も変わってくるやも。

 スピーディーと言うのではないが、川の中に浮かぶ流木と言おうか、逆らわない自然な流れの作品と感じ、それが読み易さだったのだろう。

 「爆発物」これがあるために、少しハラハラさせられるが、作家としての東野さんの小道具なのであろう。良い使い方で、少し前のめりに本の中に入ってしまう。

 読みながら自分を登場人物に当てはめたりするのだが、自分は根津さんなのだと思う。

 楽しく読めた。スカッとする一冊。

 
11月17日  和田 竜 忍びの国
 時代物にはほとんど手を出さないのだが、食わず嫌いを直そうと一冊。

 なにせ登場人物の読みを覚えるのに一苦労。これも慣れなのだろうが、一生懸命読まないとならなかった。そして敵味方が裏返ったり、戦国武将(ここでは忍者)が生きた武士文化が現世との違いが大きく、そこをに慣れ溶け込むまでが長かった。そして一旦溶け込むと、そこは戦の場。男心を擽る楽しさがある。

 戦いの場を別として、女性を軽視しているような主人公の無門。後半は人として熱い。「忍者」と言う無機質な位置づけから、「もとは人である」と、言わんとしているよう。

 終章の一番最後も綺麗な終わり方。ワクワクしながらスーとするような良い感じ。忍びの世界には、常に心での会話があるように思えた。

 作者は物凄い量の参考文献をベースに、この作品を書き上げている。フィクションではあるが、史実のライン上に乗った作品であり、大きな流れでは合っており、それが為の面白さがある。 

 この分野へのとっつきとしては面白かった。次ぎにつなげよう。既に和田さんの書いたヒット作、「のぼうの城」も用意されている。
11月 7日  新田次郎  霧の子孫たち
 久しぶりに新田次郎さん。それには富士吉田で富士山レーダーを見たのが発端。気象庁にお勤めだった氏の卓越した知識、そして文章力に酔わさせてもらっていた。レーダーを見ながら、また新田さんの作品が読みたくなって、選んだ一冊だった。

 私が山を始めた当初、登り易いので北陸から霧ヶ峰や美ヶ原に数度通った。その時にR142号を和田峠に突き上げ、ビーナスラインを利用して山を楽しんでいた。そのビーナスラインが有料の頃の想い出もあり、明らかに自分の中では観光地としての霧ヶ峰でしかなかった。

 しかし、この本を読んで、その道が付けられるまで、こんなことがあったのかと思い知らされる。そして何の気なしに通っている道が、自然破壊に通じ、これまで知らなかった事で、植物を傷つけていた事をも知る。やはり、知らないより知って居ないとならないこともある。それも早くに・・・。

 史実に基づいた構成。少しの脚色はあるとして、当時の愛護団体と工事推進派との闘争がストレートに伝わってきている。時折ある登場人物の強い語彙、それは新田さんの声でもあるのだろう。あとがきに書かれているが、なんと新田さんは霧ヶ峰の麓の集落の出であった。これほどに熱く霧ヶ峰を語る理由は、ここにあった。当然の郷土愛。そして工事進行の中、生きてきた生き字引でもあるのだった。

 同じ自然を守るにも、言葉で守る、体で守る、心で守る。色んな守り方の表現があるように思えた。熱く闘争する男衆に対して、支えるような位置に奥方の存在があるが、その奥方からの最後の言葉が温かい。

 これを読んだ後に霧ヶ峰に行けば、絶対に深く霧ヶ峰を見ることが出来るだろう。そして優しく歩くことが出来るだろう。 

10月20日  夏川草介   神様のカルテ 
 映画にもなったこの作品。やっと手にする。そして一気読み。楽しかった。ホッとした。グッときた。幸せになれた。良い本に出会えた。

 夏川さんが医学部を出ていることからのノウハウがふんだんに散りばめられており、ノンフィクションな風合いがとても新鮮であった。舞台の松本市内も、手に取るように様子が判り、これもこの本に吸い込まれた理由かもしれない。そしてそして、お酒も少々登場する。ちょっとしたアクセントだが、好きな者にすると嬉しい配慮。

 医者と言う立場、倫理と言う大きな大前提の中で、患者を診る。私的な部分、公的な部分、そしてそして医療現場の内情。けっこうに学べて楽しかった。

 東西さんのちょっと意味深な部分と頭の切れる表現は絶妙。そして大和ナデシコなハルさん。強く逞しく、そして繊細。女性の理想像かも。水無さんの若々しい存在もそうだが、色んなタイプの女性の良さが表現されていると思った。

 男性側では、なんと言っても同僚の砂山さんの位置付けと存在感。大狸先生、古狐先生のキャラ立ちした部分も至極楽しい。男性陣を全て三枚目に仕立ててる部分があるように思えた。当然、貸家での男爵や学士殿の存在も光る。全てに登場人物の心が温かい。

 安曇さんが関わる部分では、ほとんど涙腺が緩む。安曇さんをお見舞いする紳士の存在。安曇さんの話す昔話。それが合致した時。この構成が書ける夏川さんを凄いと思った。そしてあの手紙には・・・完全に文字が見えなくなった。 

 続編が出ている。また楽しみが増えたような・・・。
10月17日  樋口明雄   酔いどれ犬 
 たまに樋口さんの作品を読みたくなる。これを禁断症状と言うのだろうが、自然を愛し、登山をしたりする氏の波長は共感でき、そのイズムが盛り込まれる氏の作品は、スーッと体に染み渡るよう。

 今回はサスペンス。と言っても、暗いおどろおどろしい雰囲気はなく、明るい感じ。そして氏の真骨頂である、阿佐ヶ谷での飲み屋街が舞台となる。もう顔なじみと言って良い刑事の蟻塚さんも登場。この辺りは、あえて読者に擦り込む様に、書いておられるのかと思う。実際愛好派には、この登場人物で、より楽しさが増す。主人公のナルさんも、頻繁に聞く名前である。

 映画館館長の息子が腹部から血を流して死んだ。顔なじみ、飲み友達の鳴沢は事件を追う。鳴沢の趣味は釣り、この辺りは樋口さんが乗り移っているかのよう。そして、警察、やくざ、この辺りのアングラな世界の表現が、いつもながら心地良い。ちょっと武闘派なあたりが、男心を擽る。

 しかししかし、いつもながら登場人物に血が通っている。人間味があり、個性を大事にする樋口さんらしい部分がとても温かく感じる。いろんな人が居て社会が成り立っていると思わされる。

 最後の犯人が現れるのだが、全くそれは読めなかった。と言うか、それはストーリーとして犯人は大事だが、それはそれで置いておいても、言うならば犯人が誰であろうが楽しめる展開。経路の全てが楽しいのである。中盤からのスピード感、貪るように読み進めた。

 願わくば、別れた奥さんと・・・と思ったが、グレーな尻切れな感じがまたいい。

10月3日  伊吹有喜  風待ちのひと
 巻頭からは、何か不思議感を抱かせ、全体がそんな構成で進められるのかと思ったが、このプロローグはとても意味を成す。

 家庭に疲れ職場にも足が向かわなくなった主人公哲司。そしてその保養先として選んだ場所で出会う喜美子。ここで喜美子も主人公であり、文内ではツインタワーのような存在で内心が語られる。エリートで生きてきた哲司に対し、真逆の生き方をしてきた喜美子が出会う。

 紀伊半島の海辺の町が舞台。塩の匂いがしてきそうなほどに情景が作文から滲み出す。そして構成の1/5ほどをクラシックに関わるので、潮騒とクラシックが織り成すハーモニーがいい。思わず、読みながら、出で来るクラシックをBGMにしたりもした。

 一人の男性、一人の女性が、置かれた環境の中で幸せを求めてゆく。おばちゃん風味のある温かみのある喜美子に対し、スマートだが冷たさがある哲司、対局するような生き方の二人が次第に・・・。おっと、今回は少し書きすぎたか・・・オブラートに包んでおかないと、読む方に失礼。

 大人の恋愛小説。さらっと読ませながら、グッとひきつけられる、ひきつける作者の手法にまんまとハマる。一気に読んでしまった。誰しもが「あるある」と反応してしまうと、これもまた問題だが、微妙に「あるある」と思ってしまう。

 そして最後のエピローグへ・・・。いい本だった。感化されるつもりは毛頭ないが、人生は一度きり・・・と思う。
9月26日 佐藤多佳子  しゃべれども
  しゃべれども
 
 噺家の三ッ葉が主人公。何の変哲も無い生活の中で、ふとした事がきっかけに、心が通じ合う仲間が増えてゆく。三ッ葉は、落語教室の開催を思い立つと、そこに集まってきた、少しクセのある面子。中に小学生も居るのがいい。その広い年齢層の中で、大人の思考と子供の思考とが入り交ざり、かなり温かい雰囲気を出している。

 仕事、いじめ、少々恋愛(ッてほどでもない)。構成のバランスがとてもよく、あまり抑揚が無い進展ではあるが、楽しく読み進められる。

 人との繋がり・・・なんか考えさせられ、真っ直ぐに素直に付き合うのがいいと思ったり。心にはあるが、少し恥ずかしいと思う気持ちを、各人が素直に言葉にしているのが、この本であるかと思った。

 ホンワカと温まる一冊だった。
9月3日  東野圭吾   流星の絆  
 久しぶりに東野さんの作品を・・・。人気作家であり、いいのは判っているものの、どうにも天邪鬼で、人気の物には手を出さない。そんな中でもこの作品は完成度が高いと聞いており、読んでみる。

 読み手側に記憶を植えつけていくような、作文の流れ。そう、主文もそうだが「記憶」がこの作品のキーワードになるのかと思った。

 両親を失った3人が、強く生きてゆく。当然のように食うために道理を外れた行動にも・・・。そんな中で事件と結びつく手がかりが・・・。

 三兄弟を纏める長男功一の存在が終始光る。常に言動・行動にキレがあるのが、作品にシャープさを感じさせてくれる。読みながらの安心感は、東野さんの技量であり、先に書いたように、全体の展開量がちょうど良く、自分の記憶内に出来事が収まるのがいい。そして吉村昭さんの作品を読んでいる時の様な、活字の安心感を感じる。読みやすさ、判りやすさ、これらも人気の背景にあるだろう。

 最後の展開はやられた感があった。これをハッピーエンドと言うのかは微妙だが、意外な結末。ただただ、推理しながら、伏線等も含め、この辺りまで疑い読む事も大事なのかと思った。

 言われるだけあって、いい作品。
8月16日  恩田 陸  夜のピクニック
 447ページまで、そのほとんどを「鍛錬歩行祭」を舞台に書かれている。この鍛錬歩行とは、高校の夜間歩行の事であり、有名なのが、山梨は甲府第一高校のそれである。と言いつつも、私も高校時代に経験があり、とても親近感があるイベントに思えた。

 舞台はそんなこんなであるが、その高校時代の甘酸っぱい青春時代の話がメインとなる。感心した部分は、その描写。心の表現、体躯の動き、それらが手に取るように判るほどに伝わってくる。男女の好いた惚れたの微妙な心の動きを、サクサクと表現してあるのだった。

 ネタばれに関しては問題ないであろう。巻頭から説明がある・・・。異母兄弟が同じクラスになった。融と貴子、敬遠しあう二人だが、このイベントにより二人に・・・。

 配役のキャラもいい。いいと言うのはハートの部分なのだが、「青春」って感じが強くしていて、「仲間」「友達」「友情」この辺りを強く感じる。

 読み応えこそサラッとしているが、伝わってくるものは意外や重量感があるように思えた。我が青春時代に、少しタイムスリップした感じ。恋愛の諸々は別として、夜間歩行の経験が、作文内表記に共感を抱く。

8月 5日  赤井三尋   鼻曇り
 短編10作品の集合体。ショートショートで、手離れというか、読み離れがいい。

 一番最初の「老猿の改心」では、鍵師が登場。ここで赤井さんの作風を初体験。独特の空気感、それは読み易さの中にも、ふくよかな奥深さを感じる部分。そして読み手側を飽きさせない、速い展開。スラット読めて、スカッとする感じ。

 「青の告白」などは、そう難しくなく展開が読めるのだが、その読める中でも微妙な揺さぶりがあり、最後の刑事の詰めろの場面は面白かった。毒殺を意図し、中止しようとし、この辺りの心の二転三転、全体展開の二転三転の手法が、赤井さんの持ち味なのかと思えた。

 本の名前になっている「花曇り」は、囲碁の世界の話。大戦の中での広島、そこで行われた「原爆下の対局」を初めて知る。趣味の範疇に思える囲碁、その昔はお殿様の前で打たれる趣向のもの。そこに伝統文化があって今に至っている。その奥深さを加味しつつ、話が展開して行く。最後の意外性には・・・そこまで読めなかった。そうきたか・・・って感じになった。

 短編、これによりサクサク読める作品。夏向き。

7月22日  笹生陽子   ぼくらの
   サイテーの夏
 
 笹生さんのデビュー作。そして真骨頂とも言える、子供のナイーブな部分を上手に表現した作品。

 「あるある」から、「あったあった」のような、自分に当て込めるような舞台背景。主人公の桃井を取り巻く友達、家族、上手に絡みあって、楽しい展開となっている。ただし、楽しいだけでなく、そこに子供の心理をよく理解した作者の味付けがある。このおかげで、後半は木漏れ日を浴びているような暖かさ(心の中も)を感じた。

 子供が大きくなってゆく中で感じている社会観。芽生える友情。兄弟を見る目。親を見る目。最初は屈折した主人公に描かれているが、ちょっとしたきっかけが、すばらしい方向に向く。主人公の兄の不登校に関しても、本当にちょっとしたきっかけが、良い方向に向くのだと、教えてくれている。教師や親や友達、子供との関係に際し、ちょっとした指南本のような感じ。

 サイテーの夏と謙ってはいるが、なんのなんの、サイコーの夏な内容。読み終えると、暖かく、ホッコリする。
 
7月14日  万城目 学  プリンセス・トヨトミ 
 最近は、放映されると、原作に走るような習慣になっており、観る前に読む。

 舞台は大阪。平穏に暮らす幼なじみの男女の中学生。ホンワカとした滑り出しに単調さを感じたが、話の進展と共に個性と存在感が表に出てくる。表題にある「プリンセス」を常に頭で追いながら読み進めるのだが、早いうちからそれが判る感じ。推理小説ではないので、そこらへんはいいとして・・・。

 完全なるフィクションではあるが、大阪という部分で、「在り得るのでは」なんて気持ちになる。常日頃から感じる、見知る大阪パワーからだろう。そこに根付く気風と、阪神タイガースを応援するような一体感が、自分の中に刷り込まれているために、この本を面白くしてくれていた。

 もう少しハラハラドキドキの部分も欲しかった感じ。良かった部分は、親子に関して、家族に関しての温かい言葉並べ。日本人において、恥ずかしがって触れられないような親子の会話が、その重要性を少し説いている部分はフムフムと読ませていただいた。

 放映中なので、あまり内容には触れず、大枠での感想です。

6月30日  湯本 香樹実   夏の庭  
 小学生同士の会話からの滑り出し。どこかスタンドバイミー的な雰囲気がありあり。しかし、作者の醸しだす独特の空気感を最初から受ける。
 
 小学生の抱く興味が、いつしか面白い展開になり、最後は心温まる完結に至る。
 
 主たるモチーフにあるのか、人間の一生における「死」に対する位置付け。死そのものだけ取ると、小学生には嫌悪位置付けのものとなる。しかし、死した人との繋がりがあった場合、全く違った感情となる。子供目線で書かれてはいるが、大人にでも十分当てはまる。老いた者を大事にせよとの教訓のようにも感じ取れた。
 
 フィクションでありながら、それを判りながらノンフィクションのような感じ。昭和レトロな雰囲気のある時代設定。ゆとりがある幸せな時代のように思える。ギスギスした現代において、心が豊かだった頃の時代設定は、やはりホンワカした気持ちにさせてくれるのだった。言葉としての会話があり、一方で心の会話も多い。この部分がとてもいい感じ。

6月26日  重松 清   鉄のライオン
 短編12作品での構成。重松さん自身の東京進学時のエピソードでいいのだろう。軽快で、甘く、酸っぱく、ホロッとさせられ、自分に重ねても、十分当てはまる。

 重松さんは音楽好き、よくよく作品の中に取り入れられるのだが、読みながら、その題名からBGMとしてそれらが聞こえてくるよう。

 好みは、「4時間17分目のセカンドサーブ」。ジミー・コナーズとジョン・マッケンローの有名な戦いが出てくる。それがバチッと作品内に嵌る。そして、うんうんと納得させられる。

 「君の名は、ルイージ」。これは、後半の舞台が金沢市内となる。見知った場所で、内容で、微妙に親近感がある。なかなか抽象的に書かれているが、表現がハラハラする内容の場所もある。判る人は判るって感じ。

 過ぎ去った体験が、走馬灯のように書かれている。全てが重松ワールド。スーッと体に沁みてきて、心地よくなるのがいつも。そして社会生活の中での「気づき」を教えてくれる。
6月22日  笹生 陽子   きのう、
  火星に行った。

 大人びた小学六年生の山口拓馬が主人公。いじめっ子でもなし、いじめられっ子でもなし、背伸びして世の中を斜めに見ているようなクールな小学生。運動能力も、そこそこの学力もある。よって、そつがない小学生とも・・・。

 勉強が出来るが故に、授業中寝ていると、とあるイベントのメンバーに選ばれる。ここから話のスイッチが入る。

 主人公を中心とした子供の会話がされるものの、そこは大人の会話同様に重きものがある。こんなくだりがある。「人間ってさ、忘れることの得意な生きものなんだって。本気を出さずに、サボっていると、本気の出しかた忘れちゃうって」。子供の会話ではあるが、胸に響く。

 後半で、「中上まもる」とシャウトする場面もホロッとさせられる。子供でありながら、同級生もみな、ちゃんと大人な思考を持って生活している。弟とされる会話も、子供な会話の裏にある真髄が見え隠れして・・・いい感じ。

 心が温まる一冊であった。
6月21日  萩原 浩  神様からひと言
 サラリーマンの日常・・・何処にでもある・・・と思いがちな部分から、萩原さんらしい視点で話が展開して行く。

 転職した佐倉が、色々あってお客様相談室に配属される。ここからが最高に楽しい。サラリーマン諸氏、特に同じような立場に居る方なら、物凄く参考になる部分が多い。さらには日常生活においても、とても参考になるだろう。ちょっとした視点・気付き、萩原さんの真骨頂となるか。

 会社がパッピーエンドになるか、その逆かは読んでのお楽しみだが、風見鶏や蝙蝠野郎が多いサラリーマン社会において、最後の佐倉の行動はスカッとしたりする。中盤以降からは、キレとコクがあり、読みながらスルメを噛んでいるかのような仕上がりであった。

 前回の「メリーゴーランド」もそうだが、人と人の繋がりを暖かく書くのが萩原さん。心が通じ合う登場人物に、暖かい気持ちになる。一喜一憂とかは無いが、単調な中にホロッ、ハラッとしたりする。

 男女の好いた惚れたは少ないものの、乾いた感じに表現された佐倉の恋心が、最後に・・・。社会生活もそうだが、男女間にも「気付き」が大事なよう。

6月 1日  加藤文太郎   新編 単独行
 加藤さんは、新田次郎さんの著書により、その存在と凄さを知るのだが、今回本人の作文を読み、輪をかけるように偉大さを知る。

 驚異的な走破力は、異端児的、破天荒などと思われがちだが、準備され計算され行動されたことが、この本を読むと判る。なにせ一番大きな部分は、昭和初期の装備で、これだけ(あれだけ)歩いたと言う事。それも厳冬期。今でこそ私もトライできそうだが、それは今の進んだ道具・装備があるから、何ひとつとっても重かったろうし、心技体、全てにおいて優れていたと言えるだろう。そして頭が良くないと、ここまでの行動は出来なかったと思う。本能と言うより、逐一計算しつつ足を運んでいた様子が判る。

 作文と言うものは、その人の心を映すもので、加藤さんの人となりが読み取れる。実際、序章の辺りは、氏を偏屈者のように思えていた。しかし中盤以降の畳みかけるような紀行文には、本当にあんぐりさせられる。こまめに記録をとっている事も凄いし、当然の記憶力も長けているだろう。山の見方、気象の読み方、装備、食料、やや古い感じはするものの、さほど色褪せない感じで得るものがあった。

 ほとんどがバリエーション山行だが、これを読みつつ行きたくなる場所もちらほらあった。少し悲しい部分だが終焉の場所の文富ケルンをも見てみたかったりする。いつか行ってみよう。

 そして加藤文太郎歩きが出来る、現存する人がかのKUMO氏なのだろう。夜行・単独・厳冬期、その行動は私のお手本。

 たかが趣味。しかしこれを読むと、ただの趣味とは言えず精神や信教レベルの深いものとなる。一言で言うと「凄い人」。昭和が終わり平成になっても、加藤さん以上に名声を馳せる方は出ていない。そのことからも偉大さが判る。
 
5月21日  石塚真一  岳

1巻〜12巻

 いま話題の岳。映画の方を我先にと思っていたが、友人がマンガをプレゼントしてくれ、先に原作の方を読むことになる。

 たかがマンガ。最初はそんな先入観であったが、されどマンガであった。主人公の三歩の明るさ・おおらかさに引き込まれ、全てに同調する感じとなる。

 第1次登山ブーム、第二次登山ブーム。その頃は強くアルピニズムが語られていた時代。今このブームを第何次というのか知らないか、当時とは違った形でアルピニズムがこの本により語られているようにも思えた。

 一方で、この手にしたら、表現が生々しい感じもある。でも現実を直視する。伝える部分では、包み隠さず表現することがいいことだと思う。楽しい反面、当然の危険があることを伝えている訳で・・・。

 短時間でのめり込め、短時間で感動を呼ぶ。そろそろ映画の方を観に行くか・・・。

5月 6日  奥田英朗   サウスバウンド
         下
 
 上原一家が西表島に移住した。南の島で平穏に暮らすのかと思ったら、またまた大騒動に巻き込まれる。この家族の運命のよう。しかし、それらの体験をしながら、家族、特に子供らが父親に対する見る目が変わって来た。軽蔑から、いつしか尊敬に。信念を曲げない一途な父親に、家族全てがファンになるのだった。

 ドタバタ劇は、上巻同様。読みながら下っ腹に力が入ることもしばしば。かなり感情移入が出来る感じ。すぐそばでその様子を見ているかのように引き込まれる。これらの作風は奥田マジックとでも言おうか。

 舞台は西表島。そしていくつか話に出る八重山の島々、そして土地名。行った場所を思い出しつつ読み進めることが出来る。御嶽(ウタキ)の神を崇める部分も、重々理解しており、少々の知識が、この本をより面白くしてくれた。

 二郎を中心に書かれており、その心の成長ぶりをみながら読み進められる感じ。世の中に対してのものの見方や考え方、世の中の歪んでいる部分等を、後半に父親が二郎に諭す下りは、ホロッとさせられる。社会に出てどう対応していくかの指針のような部分。ブレない芯のある人間になって欲しいという事かと思うが、父親が語らずも行動で見せてきた色々を、言葉で子供に告げる場面に感動。

 切なく、温かく、そして面白い。

 
4月27日  奥田英朗  サウスバウンド
         上

 不甲斐ない読書月。旅行の用意や仕事のバタバタで、消化不良な月となってしまった。

 小学6年生の二郎。彼の生活環境は、当初は良くありがちな普通な家庭のように思えたが、日を追うごとに真相が判り、とても特異な家庭である事が判ってゆく。

 共産主義を主張して活動していた両親。とある組織の親玉であったのが二郎の父親であった。一方で、母親にも謎があり、二郎の知らない過去が多い。いい家系に生まれながら、そこを出て、二郎の父親である一郎と駆け落ちをした。時間の経過と共に二郎はそれらを知る。

 二郎目線で進められる話の展開には、奥田さんが成りすましているのだろうが、やはり大人びた6年生の心が描かれている。そしてそこにある仲間との表現が、とても暖かい。突き放したような言葉並べが多いが、しっかりと優しい言葉をその裏に読み取れる。スタンドバイミー的な、なぜが郷愁を感じる、そしてどうしてもその中に自分も混ざってしまいそうな雰囲気のある作品となっていた。

 旅、地理に強い奥田さんイズムがちりばめられ、それによる心地よさもある。上巻が終わり、下巻は舞台を西表島に移す。もう今からワクワクしながら読むこととなる。

 社会において、いろいろを知り、自分の中で噛み砕き、解釈し、自分なりの行動をする。なんかそんな導きのような本であった。6年生という、微妙な年頃って設定も面白い。

4月 9日  桃井和馬   妻と最期の
      十日間
 
 この題名により、内容が判る様であるが、そのような内容で間違いなし。稀有なジャーナリストとしてのご夫妻。波長の合った夫婦。ある時、突然のくも膜下出血で奥さんが倒れた。

 桃井さんはジャーナリストとして物事を落ち着いて見られる部分があり、今回の直面した時の心理状態を、自分の変化する様子を、第三者的に見ている作文。

 医者と患者の関係。親戚や義理の家族、会社関係。もうすぐ訪れる「死」と言うものに対し、誰もが思う事柄ではあるが、それでも個々に感情は違い、緊迫した空気感がある。急な知らせによるあまりの緊張に、倒れる氏。状況が克明に伝わってくる感じ。僅かな間に過去が甦り、妻との人生が甦る。日頃幸せなら、そんなことは一切無いのだが、思う時、思った時は遅かったり・・・。人間って学習するようでしないのかとも・・・。

 涙した時は最後。母親を亡くした小6の女の子が父親に語りかける言葉・・・。幸せでは感じられない、こんな境遇になったからこそ考えられ発せられる言葉。人間は踏まれてこそ強くなる麦藁のようなもの。

 主文も楽しいのですが、散りばめられた雑学が知識となる。
しんみりとした内容であるが、構成が面白く、読み手側を飽きさせない作風だった。
3月30日  蔡 焜燦  台湾人と
    日本精神
 
 国旗を振る。そんな姿はスポーツでしか見なくなった。と言う私も、どれだけ愛国心があるのかと問われたら、恥ずかしくて返答に困ってしまう。日本人に大きく欠けているもの、それは愛国心か・・・。他の国の人に比べ、かなり低いよう。それには周囲を海に守られた平和な島国と言う部分が大きいだろう。しかし昨今、大陸側から脅かされている状況。少し意識した方がいい。そんな中での今回の本。「親日」、これだけの言葉では収まらないほどの、日本への愛国心をもった蔡さんが綴った本。

 日本の台湾統治時代を経て、その後は中国に戻された形の今、中国の劣悪な文化のおかげで、台湾での日本への評価は現在も高い様子。よくよく台湾からの観光客が日本に来ているが、そんな思いがあって来ているのだと気づかされる。今後は、そんな団体と接することがあれば、温かく迎えたいとも思えた。

 なにせ、くすぐったいほどに日本を持ち上げて書かれている。戦中(後)の慰安婦問題においても、世の中で表立っている話とは違って書かれている。そして統治時代の日本教育は、今の台湾を築くベースになっていると・・・。氏と李登輝元総統とは、懇意の仲らしい。そこでされる会話は日本語。台湾での第二外国語は日本語だそうだ。これには統治時代を経験してきた者と、その他に、最近の若者にも当てはまるよう。さらには、高砂義勇隊で知られる山岳部族においても、共通に話せる言葉は日本語らしい。恥ずかしながら、台湾の事をこれまでろくに知らずにいたので、驚かされることばかり。

 あとは、中国を卑下する内容が多い。でもそれが現実なのだろう。よくもここまで書いて表現しているとも言える。それには、台湾が中国に受けた仕打ち、大量殺戮の背景もあるのだろう。

 後半は、現在の日本人の意識に触れている。元気の無いこの日本に対し、もっと奮起せよと・・・。こんないい国なのだから、そして世界(アジア)においてこんな重要なポストに居るのだから、認識してもらわねば困ると・・・。思い切り背中を押されているような内容であった。

 「頑張らねば」。そう思える本であった。
3月17日  灰谷健次郎   兎の眼  
 計画停電により時間が出来、読書が進む。

 なんていい作品なんだろう。灰谷さんの代表作と言われるだけある。元教師だった灰谷さんの、理想的教師像を表現したのだろう。教師の方には一度は読んで欲しいし、これから目指す方にも読んで欲しい。ただし、今の世の中は教える側と教わる側とのパワーバランスがおかしくなっている。教わる側とは、生徒や児童でなく、親を意味するのだが・・・。聖職と言われる事はもう無いのかもしれないが、そんな現代社会においても一読されて欲しい。「サラリーマン教師」と言われる人数が減るだろう。

 構成が上手で、読んでいて全く飽きない。それでいて、ハッと気づかせ、う〜むと考えさせ、読みやすさと深さが共存している。と言う事で、問答無用によい作品と言えるのだろう。

 主人公の小谷先生。彼女が新任から本物の教師になってゆく様子がじつにいい感じ。そして小谷先生を育ててゆく足立先生がなんともいい配役。そして生徒の位置付けも、素朴な、そして昭和初期な感じが受け入れやすい。鉄三の一見荒れた児童のように見えた最初から、だんだんと石ころがダイヤのように磨かれてゆく様子には、ホロリとしてしまう。鉄三の祖父であるバクじいさんの存在も、すばらしく光っている。子供は磨けば光る宝石と言う部分と、人間は外見では判断できず、そしてまた人間には優劣なんてない事を強く言われた感じであった。

 何でも揃っている中で生きている現代社会。やはり昔の方が絶対的に心がある。今回の震災で、少しだけ昔に逆戻りするのかもしれない。文明の利器が復興に役立つ反面。人々を強く支えるのは、その「心」だろう。
3月16日  上原 隆   胸の中にて
 鳴る音あり
 
 短編コラムが21作品集められている。独特と感じるのは、その坦々とした作風で、特に読み手側を引き付ける抑揚があるわけでなく、あくまでもルポをストレートに書き綴っている感じ。

 各作品が10ページほどに収まっている。各作品同士に繋がりは無いが、手離れがいいと言うか、バイキング料理のように好きな作品をチョイスし、読める。そして各作品においては各々軽いタッチでの文体だが、ジワッと沁み込んでくる内容。「楽しい」」「心地いい」とは違う、もっと深い人間の本能的な部分を刺激する。これにはやはり、裏表の無いストレートな文体と言う部分があるのだろう。

 「ヨネセンの算数」では、ほっこりした気持ちにさせてくれ、「つらいもまた良し」では、今の震災の中でも強く生きてゆける、そんな気持ちにさせてくれる作品であった。一方「マンガ家・柏木ハルコ」では、ストレートすぎてドキドキしてしまう。また、「たったひとつの椅子をめざして」では、新党さきがけの党首だった武村さんにインタビューし、静かな温和なイメージのある武村さんの人となりが判る作品。これら有名無名の人とのインタビューが内容になっている。

 これはハマルかも知れない。

3月 7日  サイモン・シン

青木薫 訳 
 フェルマーの
  最終定理

 これは私に全く似つかわしくない本であろう。でも珍しく、「興味」が沸き立ち買ってみる。人間何事も、最初は興味。この部分が大事。食わず嫌いの人生に、何かの転機になるのでは・・・と一縷の望みも。

 ピタゴラスやユークリッド、オイラーやフーリエなども登場し、数学がこの世の中において、どう影響してきたかを知らさせる。ここで自分の無知さを感じるのだが、世の中の全ては数学によって成り立っているのだとも知らされる。難しさの反面、「証明」の部分では、そこに言葉の楽しさも感じられた。異次元に生きる方、そしてずば抜けた頭脳の方々の功績が読み取れ、ほとんど感嘆のため息ばかり。そして読み進める進度は、噛み砕き進むので、砕氷船のような進み方。だがしかし、このサイモン・シンという方は、こんな我々にも判りやすい言葉並べて書いてくれている。そしてそれを訳した青木さんの力技もあるかと思う。

 「興味が無かったので」と言う不躾な言葉並べになってしまうが、1994〜1995年のアンドリュー・ワイルズさんの、数学界においての大発表を知らなかった。その内容細部は判らない(判るレベルに無い)にしても、「フェルマーの最終定理」を証明してみせた事が、どんなにすごい事かは伝わって来た。そしてワイルズさんが、証明に至る変遷が、判りやすい順序立てで解説してある。これまでに多数の方が挑み、破れ・・・。その戦いに勝ったワイルズさんの頭脳たるや・・・。17世紀、フェルマーによって残された命題が20世紀の最後に解き明かされる。

 本文の中に3名の日本人数学者が登場する。日本の誇りでもあり、アジア人の中でも長けた頭脳を持つ国民という事になるか。今回の証明には、これら日本人の影響も大きかったようだ。

 計算機やパソコンに頼っている昨今、中に書かれている数式に久々に頭を使ったりすると、なんとも清々しい感じ。まがりなりにも少し数学が好きになったような気がする。「気がする」のである。先入観や、それに伴う抵抗感があり、スラッと読める本ではなく、かなり重い本となった。でも、それに値する内容で、「あっ、そうなんだ」と言う事がほとんど。難しい事を、これほどに優しく教えてくれているという部分に感謝したい。

 
2月20日  大崎善生   聖(さとし)の青春   
 若くして亡くなった将棋界の棋聖、「村山 聖」さんの生涯が綴られている。

 その昔、NHKで放映される将棋の試合を見ていたことがあった。そこに時折出てくる、ずんぐりむっくりした棋士が居た。強さと容姿は関係ないというものの、独特の風貌は、今でも克明に覚えている。そして強かった。当時は、病気を抱えつつ将棋を打っているとはつゆ知らず、その風貌ばかりが印象に残っていた。

 今回、その怪童の生涯を知る事となる。勝負に対する執念と努力。大半の生涯を肝臓病と闘い、寝たり起きたりの生活。そんな中で、「名人」位を目指して突き進むバイタリティー。曲げない信念、そして病気と苦闘しながら培った人生観・世界観。独特のものを持ち合わせる。

 あまり風呂に入らない、歯も磨かない、爪も切らない。部屋はゴミだらけ。なんとも不衛生な感じがするが、村山さんを弟子にとった森さんもまた同じ人種。これには笑ってしまった。病弱な村山さんを助ける師弟愛にもグッと惹かれる。一見、社会では特異に見られる方かもしれないが、読み進んでゆくに連れて、それらを度外視できるほどに人間味のある魅力のある人に見えてくる。

 強さ、優しさを持ち合わせ、そこに強情さなどもある。将棋の読みのように、自分の命の長さを読めていたかのような人生には、やはり類稀なセンシティブな部分を村山さんに感じた。

 その村山さん。日々の読書量は物凄かったようだ。物欲のほとんどが本であったように読み取れた。自分の生活に欲を持たず、その代りに困った人を助けるべく、対戦賞金等を寄付していた部分にも感銘を受ける。自分が病気で苦労している分、弱い人の立場を重々知っていたのだろう。

 そして、ご両親の献身的な看護にも心打たれる。村山さんは、辛い思いも多い分、いい人生だったのではないだろうか。

2月15日  桜井 章一   そんなこと、
     気にするな
 
 「20年間無敗」「伝説の雀鬼」。この言葉に怖さを感じ、恐る恐る購入。本物の勝負師とはどんな感性なのだろうかと・・・興味津々。

 私は麻雀をやらないので、その極意とか負けない凄さをいまひとつ判らないが、、何せ「20年間負けなし」となると、次元が違う。最初は、勝負勘のおこぼれを貰おうかと、下心を抱きつつ読み始めたのだが、その文体は無骨なものの、氏は世の中の人以上に人間的で温かい人であった。そして、その感性は、やはり一般人とは違う。と言ってしまうと、宇宙人のような表現になってしまうが、元々持って生まれた感性と、努力して得た感覚を持つ。それを勝つ事にのみ使うのでなく、人生において使っている。「勝てる人」は「勝とうとする人」とは違うのだと気づかされる。

 氏は言う。「勝ちたい」という意識ではなく「負けない」姿勢でいるという。なにかこの本を読んで、お坊さんの説法を聞いているかのように、生き方を諭された感じ。自然を、風を、動植物を愛する心を持つ氏、「視点」と「感性」は、やはりピカイチ。

 冒頭書いたように、世の中を勝ちぬけていく為の指南本として読み始めたが、読み終わるとかなり心が豊かになり、より感性が磨かれた感じがする。平生は自然の中で遊んでいる私、作者と同調する部分は沢山あった。この本で、初めて氏を知った訳だが、極めて魅力的な人間であると感じた。

 世の中を自分の目で見据え、世論や風潮に惑わされないで生きろと氏は言う。そして自然体で・・・。勝負とは別に、人生を生き抜いてゆく為のよきアドバイスがこの本には詰まっている。表現の強弱はあるものの、いい本、いい人に出会えた感じがした。突き抜けた人というのは、やはり違う。

 人生において、なにか壁にぶつかって困っている人が居たら、この本で進むべき方向性が見出せるだろう。名誉も富みもある氏が、静かに、そして熱く心に響く言葉で綴っている。


 
2月2日  熊平製作所  抜萃のつづり 
    その七十

 今年も先日、熊平さんからこれが届いた。凄い経営努力。この冊子を無償で配っている社会貢献。頭が下がる。昭和6年が創刊、それから数えて70冊目が今年の作品。

 「抜萃」とは、読んで字の如し、各書物から抜き取ったものが集められ、一冊になっている。その内容は、心打つものばかりで、当然のようにいい言葉、いい文章が集められているので、冊子としては薄いのだが、内容は濃い。

 載っている各人の作風も区々で、それもまた面白い。今回は、伊集院静さんや長谷川裕也さん、立川らく朝さんの作品が心に響いた。

 もう一回くらい読み返して、また来年を楽しみにする。

 ここで言ってはどうなのかとも思うが、熊平さんに申し出ると、毎年送ってくださる手続きをしてくれる。何処の営業所でも可。これが無償とは・・・。 

2月1日  重松 清  永遠を旅する者
ロストオデッセイ
    千年の夢 

 重松さんの作品は大好きで何冊も読んでいる。今回は氏にしたら完全に異作、ゲームである「ロストオデッセイ」のゲームストーリーの為に書かれたものであった。依頼者は、あのファイナルファンタジーの坂口さん。面白い繋がりもあるもんだと思ったのだが、坂口さんもまた重松さんのファンだったようだ。温かみのある心ある作風の重松さん。やはり惹かれる人は多いようだ。

 さて内容は、主人公のカイムは、一千年を生きて来た死を知らない男。旅をしながらの出会いが各短編のようになって集められている。重松さん曰く、「何処から読んでもいい」とある。確かのその通り、何処を選んでも心打つ作品に出会えるのだった。

 ゲーマー人口が多く、ゲームをしながらこの作品に触れるとどうなのだろうと、すぐに思ったのだが、残念ながらゲームには全く興味が無いので検証は出来ない。

 上に異作と書いたのだが、重松さんも、「いままで使った事の無い筋肉を使わねば・・・あるいはいままでとは逆の筋肉の動かし方をしなければ、書けない。苦しかった。けれど、もちろん、苦しさに勝るやり甲斐のある仕事だった」と書いている。それほどに苦闘し、満足の出来る仕上がりになったという事だろう。 

 どの短編がいいと言いたい所だが、全てに甲乙付け難く、安定した完成度が伴っている。そして絶対的な重松さんの優しさと暖かさが感じられ、暖まりながら読む事が出来た。

1月20日  齋藤 智裕  KAGEROU 


 さあ、話題のKAGEROUを読む。どうしても芸能人という先入観が払拭出来ずに読み始める。こうなると、文字遣いにもの凄い集中して読み出す事になり、次にそれらの一つ一つの文字運びに気持ちが突っ掛かる。さらには、読んでいながら内容の情景を思わねばならないのに、作者の顔が浮かんだりしてしまう。たぶん、芸能人などの書いた本は、私の場合ほとんどでそうなってしまうと思われる。そして、年齢不相応な大人びた表現があると、ホントに本人が・・・なんて寂しい思いが沸いてきたりする。今回は「小説大賞」という輝かしい肩書きが付いている。どうしても拭い去れない先入観があるが、出来る限りこの感情を押し殺すように読む。

 自殺を思った主人公ヤスオが、微妙なタイミングで行動を阻止される。そこから奇異な展開となって行く。作文とは別に、最初に「おやっ」っと思ったのは、29〜31頁。頁番号が手書きであった。なにかトリックなのかと思ったら、一応それも仕込みであった。

 話の進展には、主人公ヤスオと第二の主人公とも言えようキョウヤとの、「生」と「死」の語らいが長く続く。重い内容を軽いトークで流している感じ。ただし一方は死のうとしている者、心の葛藤が伴いつつ居るのだが、普段着的な会話に死への重みは感じない。ただしその乾いた空気の中で生と死を語り、命を落とすことに対する警鐘はされている。しかし後半の展開は、作品への面白さを出す為の作為が、それまで積み上げられた倫理感のブロックが、崩れるような感じにも思えた。

 独特な作風で軽妙に書かれている。一方でどうだろうか、文字運びに少し背伸びしすぎた感じが否めない感じ。その言葉並べに「がんばれ、がんばれ」なんて思いつつ読んでいた。これは私の勝手だが、週刊誌の中でサラッと読みたいような内容であり、そこでワンクッションおいてから、もう一度校正して本にして欲しかったような気もする。

1月17日 高嶋哲夫 FIREFLY    
 主人公の木島は、半導体製造装置開発部主任研究員でエンジニア。会社側からの真っ当でない納期に急かされ、家にも帰れない日々が続いていた。43歳、会社での人望も厚い。

 そんな中、木島は社長に間違えられ誘拐される。犯人らは山中にとりあえず逃げ込むのだが、若年である犯人のボロと言うか人間らしさで、班人側と被害者側の心が開かれ、意外な展開となって行く。

 誘拐されながら、犯人の配慮で木島が家に戻る。そこで見たのは、妻の不貞だった。さらには誘拐されている間に起こる横領犯扱い。地に落ちたような状況から、エンジニアとしてのノウハウを生かして、反撃を企てる。それも犯人と組んで・・・。木島、誘拐犯、警察、会社との展開が、木島&誘拐犯、警察、会社と言った三すくみな感じになってゆく。

 高嶋さんらしい序章から始まる。本音を言うと、最初はとても平凡な滑り出してつまらないのだが、そこで蓄えたバネがだんだんと伸びる感じで、話が展開して行く。会社組織の中でのパワーバランスを上手に表記してあったり、表に出ない汚い部分なども、ある・ある的に上手く混ぜ込まれている。そして、ミッドナイトイーグルに続き、久しぶりに山岳表記も入っている。おそらく高嶋さんも山を趣味にするのだろう、その場所がとてものどかな場所で書かれていて良い感じ。表題の「ファイヤーフライ」とは、そこで見られる蛍のことであった。

 ハラハラドキドキとはならないが、めまぐるしく展開が変わっていったり、心理戦のジャブの応酬な感じで、先の展開を求めてしまうような感じで読み進められる。少し警鐘としているのだろう、会社人間に対する家庭の軽視に関しても触れられ、サラリーマンが読むと、少しハッと思わせられるかもしれない。

 いつも思うのだが、高嶋さんの書く登場人物には、温かい心が感じられる。今回も善悪全ての登場人物に、それがあった。社会という中での人と人との交わり方が、事件がありながらも心ある感じで、それが気持ちいいのであった。
 
1月 6日  池上 彰  そうだったのか!
       アメリカ 

 前回の「中国」が面白かったので、今度はアメリカ。

 相変わらずの池上さんの判りやすい解説。そして興味を引き出す話内容。完璧ではないが、アメリカの生い立ちや宗教観を学ばせてもらった。そして各事件の裏の真相が、ジャーナリストらしい情報量で書かれており、その内容がマル秘情報的で、読み手の意識を集中させてくる。

 憎らしい部分のアメリカも判ったし、それでもやっぱり凄いアメリカも判った。人種のルツボとも言われる国。人間の数もそうだが、沢山の混血により優性人種も多いように感じた。

 読みながら面白い部分を発見した。1938年の第二次世界大戦中のCBSの記者だったエドワード ・マローン。その報道は、所謂「間」が聴者(ラジオ報道)を引きつけたらしい。そのゆっくりとした語り口。今話題の戦場カメラマン、渡辺さんの語り口調と被ったりする。渡辺さんは、マローンにヒントを得たのではないか・・・。渡辺さん曰く、子供に伝えるのにゆっくり話した方が伝わり易いと感じたからだそうだが・・・そんな風に思ってしまった(ちと余談)。