2012 読書

2012

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12月31日  重松 清 半パン・デイズ  小説界のかっぱえびせん。やめられないとまらないとはこのことで、これを読んで共感しない40代以上の方は居ないであろう。完璧すぎる重松ワールド。頭の先までどっぷりと浸かり読み進めることが出来る。

 年の最後にホッコリしたいとの思いで読み出したのだが、予想以上に温まり、幸せになった。期待を裏切らない重松さんであり、このあたりは流石である。

 主人公のヒロシの小学校時代が書かれている。東京から地方に引越し、方言に慣れる様子から、友達をつくる様子、時に仲間外れにされたり、少年期のあらゆる「あるある」が題材になっている。

 学校の事はもちろん、家庭での出来事も具に書かれている。その一つ一つが的を得ていて、「そうそう」「そうだった」の連発。

 第四章の二十日草、第五章のしゃぼんだまには、かなりほろりとさせられてしまった。多分に出てくるヒロシ吉野のぶっきらぼうな会話。意識しあう二人の言葉とは裏腹な部分を強く感じ、そこに中国地方の方言がぴたりと嵌る。

 上級生や親や先生に殴られ育てられた世代。いつしかそんな縦社会や教育が消えてしまっている。現代の子供らがこれを読んだらどう思うのだろうか。でも、少なからず熱いものは感じるはず。希薄になった現代社会に、心の存在を強く示してくれている一冊とも言えよう。

 2012年の〆に、最高の一冊であった。
12月27日 本多孝好 MOMENT
 独特の空気感。まず、全体を通し、読み手側に考えることをさせる作文構成に思えた。難しいのとは違う、言葉並べの横に、もう一つ別の言葉があるような・・・。それには、「死」を感じ、それを待つ人がモチーフとして書かれているからだろう。

 大人びた主人公の神田。自分自身が願い事を叶える必殺仕事人なのか・・・そんな滑り出し。さてこの部分の結末は、読んでのお楽しみであり、主たる部分で口を噤むが、頭が悪いのか、最後まで読んでもなにかピンと来なかった。人それぞれ捉えかたが違ってくるかも。いろんな伏線があり、当人が最後に明かされるのかと思ったが、読み手側でそれを判断することになる。

 病院内にある。余命を知りつつ生きる患者。そこでの思い、行動、葛藤、残りの人生。その裏に喜怒哀楽があり、表に見えない部分が、薄っすらと見えてくる。そうなった人でないと判らない心情が・・・。

 4つの話で構成されている。本当はしっとりした内容のはずだが、思いのほか乾いた感じがある。登場人物のキャラの関係なのだが、神田の幼なじみの森野(女子)の存在が、そこを強くしているよう。

 世の中、多くの人がそれぞれに生き、人知れず死んでゆく。この作品内においての死は、ちょっと息苦しいものなのかと感じたりする。全ては読み手側の感じ方次第。
12月20日 松濤 明  新編 風雪のビヴァーク
 旧書と新書の見分けは、ビヴァークの所の「ヴァ」の部分を変えてあるとの事。旧書は「バ」と表記してあるそうな。内容も今回のは、それに対し刷新してあるよう。

 山屋の多くが知っている、松濤さんの北鎌での事故。いや私は事故と言わないでおきたい。果敢なトライであり、結果としてそうなのだが、結果だけを見てしまうとそうなのだが、日本人であり、そこまでの経路(努力)を評価したく思う。だから事故とは・・・。

 1948年年末から1949年年頭にかけての厳冬期の行動。既に65年経過しているのだが、もう65年とも思えるし、まだ65年とも思える。表題から、この山行中心の内容かとも読み取れるが、内容は松濤さんのそれまでの変遷が記録され、坦々とした山行記録が掲載されている。

 ビヴァークスタイルでの複数日を使った大きな山行。岩登りの技術もピカイチのものを備え、向かうところ敵無しな感じで、どんどんと名声を高めてゆく。最初、私には「今ならこのくらい」と思う記述も見られたが、すぐに思えたのが、装備が違う、足元が違う。ようは背負っている重さも違うし、火を焚く事でさえ時間がとられる時代。そこでの行動と思えたとき、素直に「凄い」と思えた。

 バイタリティーの塊とでも言おうか、センス、頭の良さが、行動の安定性と、野心とのバランスを保っていたのだろう。残された氏の会報への記録を読むと、かなり強い言葉ならべがあり、はっきりと物怖じしない性格が文面に出ている。そもそもの人となりが強い人だったように思う。

 227頁の「ピークハンティングに帰れ」の行は、3度ほど繰り返して読んでしまった。人それぞれと思う反面、大きく同意したかったりする。登っている、そこに遊ぶからには山頂を目指す。強い言葉の裏には、オールラウンダーであり、自信があるからこれほどのはっきりした物言いなのかと思えた。

 もう一つ、308頁からの「報告について」の行。山行報告内容の正確さと、その表記内容の充実の部分が短く書かれている。必要最低限であるようだが、かなりのボリューム。当然自分に当て込めて、出来ているか・・・と振り返ってしまうが、文明の利器のおかげで、何とかおっついているか。タイムレコード、山の様子、行動の様子、装備、通過ポイント、概略地図。これらが完璧になって初めて報告となると言い切っている。

 その昔、KUMO氏が甲斐駒の北、烏帽子岳から大岩山へと抜けていた。この本を読んで、ハッと思った。“これか・・・”と。私もいつか、松濤さんの足跡をトレースするように伝ってみたいと思えた。

 最後は、メインとなる壮絶な記録が綴られている。バイタリティーのある人の、死に直面した時の最後。最後まで「強さ」があり、そこに「美しさ」も見えてしまった。もう一つは、条件さえ良かったら、二人は大槍へ抜けていた事だろう。そうなれば、その後も後世に残る記録を次々に打ち立てていったろうと思う。

 果敢さ、一生懸命さ、へこたれない気力。この一冊にかなり吸い取ることが出来た。
12月12日  川上健一 翼はいつまでも
 中学時代・・・自分に当てはめるとどんな記憶となるだろうか。甘酸っぱい香りがしてくる人は少なく、悶々とした記憶が甦る人の方が多いのではないだろうか・・・。

 舞台は青森は十和田。田舎風味丸出しで、その空気感の中に登場人物の晴れ晴れとした姿が描かれている。フィクションとは判っているものの、瞬時に吸い込まれ、その場に自分が居るような錯覚となる。自分もその頃に戻った感じも抱いたり・・・。

 主人公の神山。野球部所属。ある日、布団に潜ってラジオを聴く。合わせてあるのは1575kHz。そうAFNをいつも聞いていた。そこから聞こえてきたビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」だった。この曲により神山の人生観が変わってゆく。

 序盤は陰に隠れていた斉藤多恵が、中盤から後半へと見違える進展がある。極めて甘酸っぱい、心地いいストーリー作り。読み手側をひきつける要素が散りばめられ、まんまとそれに嵌る。

 弱きを助け強きを挫く的な要素もあり、大きな抑揚をつけながら最後はハッピーエンドとなる。こんな理想的な中学時代があったなら・・・。教師の暴力が許された時代。プリーズ・プリーズ・ミーが出た時代だから1963年の設定。男子は丸坊主頭。怒られる=殴られるな時代。全てが生き生きと表現されている。

 角田光代さんの書評が最後に載っている。全てを的確に語っており、さすが作家らしく上手な表現だった。

 読み終えて、ホッコリ幸せな気分になる。もっと若いうちにこの本が読めたなら・・・なんて思う一冊。いい作品だった。

12月 7日 梓 林太郎  槍ヶ岳 幻の追跡
 ハイカーにおいての槍ヶ岳。日本第5高峰ではあるが、一番の富士山に肩を並べるほどの存在感。その名を題名に使い、かなり期待をして読み出す。

 山をやらない人が読むと、山岳推理小説なのかと思う。私には山2:平地8な感じで読み終え、少し題名に対して物足らない感を抱いた。山中での事件場面をもう少し多く盛り込んで欲しかった。ただこれも、好みだからしょうがない。

 遺書と思えるものが坊主岩小屋で見つかる。紫門一鬼が捜査に動き出し、まず出てくるのが来宮亜綺子。なにか彼女が犯人に関係があるのかと予想していたが、彼女の存在はこの作品の撒き餌でもあり、存在の神秘感がずっと軸になっているようにも思え、最後は心を感じさせてくれる。

 登場人物が、転々とする。よく整理しながら追っていかないと、混乱を招く。招かぬよう、反芻するように何度も同じ回想や解説があり、それに助けられる。

 一つ思ったのは、槍ヶ岳のそこがそうなように、空気が薄く乾いた感じが全作品を通して漂っている。昭和30年とか40年辺りのシチュエーションに思えたが、アングラな感じの生き様の各人に、本来なら同情するのであろうが、その空気感から、一本調子で気分の抑揚は感じられなかった。なにか作品内に入り込めない・・・という感じ。

 山中で見つかった遺体が、殺人か事故か判らぬ中で話が進んでいるので、場面場面での気持ちの移入が薄くなったのとも思えた。このような作品の作り方もあると勉強になる。
12月 4日  橋部敦子 僕の生きる道 
 28歳にして余命を意識せねばならない。頭では理解できるが、その状況に置かれた本人でないと判らない感情が多いはず。

 坦々とサラリーマン教師をしていた秀雄に、突如襲った病魔、そして余命。一次は死を思い、それに打ち勝って「生」を全うする。教師として、その前に人として・・・。

 ストーリーに浸りながら、人間は追い込まれないとここまでならないのか、潜在能力は奥深くにあり、引き出すには至難の業なのか・・・などとちょっと感じたりする。

 反面、「生」や「死」に直面したり考えたりしている人にとっての人生観・世界観は、やはり違ってくるのだろうと思える。

 「そのとき」から、生徒に対する指導が変わる。生を意識した必死さが熱血漢となり指導が変わってゆく。平行して恋愛観も変わってゆき、一同僚から伴侶となってゆくみどりの設定もいい。ここでの一女性だったみどりが、内面にある優しさを秀雄によって引き出されてゆく。

 合唱の行。巻頭の「神父は秀雄に向かって微笑み、列に加わるよう目で合図した」。そして巻末側の、「秀雄は、列に加わるよう、手で合図を送った」。最初の仕込はこのためだった。気づかぬうちに、病気のおかげで、秀雄は聖職者になっていた。

 全体構成は、抑揚がない坦々とした風合いがある。でも読み手側に響いてくるものは強くある。後半の体が蝕められてゆく状況下では、おもいきりうるうるとさせられてしまう。

 死が着地点にあり、ハッピーエンドとはならないものの、綺麗なストーリーと言えるだろう。

 
12月 1日  樋口明雄 ミッドナイト・ラン!
 久しぶりの樋口さんの作品。そして期待通りのその内容。樋口節で樋口ワールド。言葉並べが読んでいて楽しく、場面展開のスピード感。この「スピード」(速さ)を上手に使うのが樋口さんとも言えるか。

 いつもながら登場人物のキャラ設定が楽しい。人は誰しも不思議感や魅惑の部分がある方が興味が沸く。一方でユーモア。この辺りを上手に設定し登場人物にしてある。

 自殺志願者が集まった。山中に入り行動を起こしていると・・・。ここから事件に巻き込まれ、なにせ走る走る。暴力団に追われ、警察に追われ・・・。

 前から薄々気づいていたことがあるのだが、樋口さんの作品の中では、警察の扱いが「庶民の味方」では無い時が多い。察するに、昔に嫌な思いをさせられた経験があるのだろうかと・・・勝手に想像している。でもそれが、樋口節で楽しい。

 ハードボイルド的な作文に相対して、山岳を交えた平地と高所との棲家の違う作文をされる。完全なるオールラウンダー。人間の幅の広さを感じる。先日、阿佐ヶ谷を通ったが、どうしてもガード下が気になった。間違いなく私は、樋口ファンって事なのだろう。

 楽しく一気読み。至福の一冊。

 
11月24日 矢口高雄  奥の細道 
 たかがマンガ、されどマンガ。外国人は、マンガを読む日本のサラリーマンに驚くと言うが、マンガにも様々あると思う。この作品は、その最たるものだろう。授業の「古文」が嫌でしょうがなかった。それは先生の器量や教え方から感じる事だったのだと強く思う。この作品のように往時教えてもらえたら、理解が早く、覚えも早く、かなり掘り下げて勉強したかもしれない。詰め込み教育より、北欧のように理解させ進む教育が大事だったり・・・。

 「釣りきち三平」で有名な矢口さん。俳句の趣味も昔からあったよう。そして俳句と言えば松尾芭蕉。よく研究されて、矢口さんなりの解釈があるが、至極判りやすい表現で綴られている。文字だけでなく絵があると、これほど判りやすくなるものか・・・。芭蕉が読んだ句が、詳細に見えてくる。

 そして、今でこそ俳句は一趣味となってしまっているが、往時の俳諧の世界、そこに携わっている人たちの地位などを知ることが出来た。わびさびのある日本、茶や俳句において昔を学ぶと、よくよく見えてくるものがある。

 好みは誰しもあっていいと思う。芭蕉はさすがとは思う。しかし曾良の存在なくして、奥の細道もこれほどに世に広まらなかっただろう。往時から日記を詳細につけていたことが、今に繋がる。紙の貴重な時代。筆で書かねばならない時代。歩き主体の長旅において、曾良を高く評価したい。
11月19日  松田宏也 ミニヤコンカ奇跡の生還
 長野の佐久は、鯉の名産地。そこで料理される鯉は、半身をそがれても池で泳いでいる。それを見た時に、強い生命力を感じたりした。虫にしても他の動物にしても自然界では強く生きている。そんな中での人間は、弱い生き物と認識があったが、これを読み終えると、人間も捨てたもんじゃなく、「強いんだ」と思わされる。個体による部分が大きいから、松田さんの精神力が強かったとも言えるか。

 山をやらない人が読んで、どう思うだろうかと思った場合、上のような感想になった。次は山をやっている視点で・・・。

 と言っても同じである。このレベルの人が挑む場所の話であり、技術も精神力も集中力も、全てに秀でている人ら、登頂を目指す中での遭難のリスクであるが、起こった場合・・・。

 前半の危険に対する行は、読んでいて同感。登山は危険、これを真っ当に思うのなら「行かない」と言う事になる。道具もそうだが、自分のスキルを高めて出向く作者のバイタリティー。明るい性格からくるあっけらかんとした物怖じしない部分は、やはりそこに強さを感じたりする。自然に抱かれそれを楽しみ挑む人において、この性格は有利。

 言葉ならべから状況が眼に浮かぶが、実際とその言葉ならべとでは、文字数の制約もあり全てを表現していないかもしれない。細かいことをもっと書けば、もっともっと凄い内容なのかと思ったりする。驚くのは記憶力である。時系列に添って書いてあるのだが、手足の凍傷と幻聴幻覚も伴い、そう記憶できるとは思わないのだが、しっかり呼び起こされ書き出されているのは凄い。

 そのストレートな内容に、吉尾弘さんの「垂直に挑む」が呼び戻されるが、一流たる由縁は、こんな場合に奥歯に物を挟まず、腹の中を全て曝け出すことなのかと思ったりもする。極限の場所・場合において、人間の本性や性根の部分が出るのだろう。記録においても・・・。

 山頂へ向かう楽しそうな様子、撤退から両手足切断までの厳しい現実。両極端であるが、これも山で起こること。なにかあった場合、最後は精神力か。多くを学ばせていただいた。

 これで、王ヶ頭にあった石碑の意味が全て判った。本はありがたい。
11月14日  芦辺 拓  千一夜館の殺人
 滑り出しはアラビアン・ナイトの行から・・・。なにか難しい異質な感じを抱いたのだが、読み終えてみれば、全ては計算され、上手に構成された一部。この話の組み立てを、どうやると考えられるのか・・・好きこそ物の上手なれなのかと思えた。

 今回に限り、途中から犯人像が予想できた。しかしそれよりいろんな不可解が多くなり、繋がってこなかった。最後の探偵と刑事の会話で全てが判るのだが、全て判るといってもその詳細が高度すぎて理解するのに苦労した。本格派ミステリーとは、このレベルになるのか・・・と思えた。

 膨大な遺産をめぐる財産分与において起こっているであろう殺人。そこに潜入する探偵の助手ともか。日々が推理・詮索であり、それこそ渦中の緊張感がある。次々と親族が消されてゆく中、遺産を残した博士の謎のディスクも紐解かれてゆく。そして最後に両極面が繋がる。

 壮大・・・長編であり長かった。上下段に書かれた作文を久しぶりに読んだ。たまにはこのくらいを読み解かないと、頭が鈍化してしまう。
11月10日  東野圭吾 さまよう刃
 司法に対しての問題提起、その元の法に対しての問題提起。この力の篭った作品、なにかモチーフとなる判例があったのだろうと勘ぐったのだが・・・。

 これを読んで咄嗟に、新幹線内で起き、大きく報じられた事件を思い出した。人は判断を法に任せることをするのだが、その現場においての判断が、個々に出来なくなっている。いいこと、悪いことが、バーチャル化しているのか・・・。ここはゲームで育った世代は尚更なのだろう。だいぶ本題に逸れたが・・・。

 「被害者」。この視点で書かれた作品。法に準拠せねばならない今、守られているようでありながら、ある部分では見放されている。そこは人としての真意を突き詰めると、法など・・・。そこに感情を加味させると、法を守る側の人間でさえ・・・。

 加害者の犯人を追う被害者と警察、そして被害者が一転する。この追う追われるのストーリーは、読み手側に緊張感をもたらす。そしてこれほどの題材であればこその、強い感情移入も伴い、加害者側の若者に対しての憤りを覚えるのは当然となる。

 後半の舞台は、我が行動エリアで、そこを明細に記述している作者は、上信地域の地理に長けているのだと判る。そこまで細かく・・・なんて場所もあった。

 登場人物の心・・・唯一主犯格の少年の心が出てこないのだが、その他の登場人物の心は、ある意味ストレートに表現されているように感じた。そしてそこに読み手側の心も加わり、ハートで読める本と言えようか。難しいとは違う、どっしりとした読み応えのある本であった。
10月28日 海堂 尊 イノセント・ゲリラの祝祭
(上)

 作者の一番の得意とする医療小説。これでもかと裏知識(内部事情)が表に出されているよう。先に読んでいるが、「極北クレーマー」や「ブラックペアン1998」を経てないと、内容の面白さに乗っていけないような言葉並べもある。連作、シリーズ作となるものかと思う。ここに「チーム・バチスタの栄光」も入るのだが、読んでいないので、ちょっとした言い回しが読み解けていない。発行順に読んでこないとならなかったようだ。このことから、海堂さんフリークには楽しい本となり、飛び込みのビジターには、やや難解な内容になるか。と言って、そこで話が判らず途切れる訳でなく・・・。

 フィクションではあるが、作者の経歴から、ノンフィクションに近い部分も多いだろうと読んでいた。司法解剖のくだりは、はてさてどちらなのかと思えていたり・・・。

 堅い内容に、時折入るモノローグが柔らかにするアクセントとなる。さて下巻。
10月25日 東野圭吾  白馬山荘殺人事件
 この題名にコテコテの推理小説を思い読み始めた。確かにその風合いが強い。がしかし垢抜けているのは東野さんの手腕と言えよう。

 これでもかと言う伏線、いや伏線の伏線と言った方がいいか、いくつもの地雷として埋め込まれていて、最後の最後まで、推理し読み解く楽しさが持続している。そして鍵となる「マザーグース」の唄。これを多角的にいろんな角度から解釈する経路は楽しい。サラッと書いてあったが、いろはにほへとの、影に隠されたメッセージにはハッとさせられた。知らない事を知るって嬉しい事。

 周囲を信用できない中で、山荘過ごす人々、心を開いているようで偽装している感じのある距離感。各登場人物に個性を持たせ、ミステリー色を強くしている。中盤まではただ噛んでいたスルメに、後半は味が乗ってきて旨みも感じるようになった。さすが東野さん。展開と構成が上手。

 登場人物の中でのツートップである菜穂子と真琴だが、特に真琴の存在と頭の切れが光る。本作品だけで終わっては勿体無いような・・・。

 ドラマを見ているかのように読み進められた。
10月19日  大倉崇裕  生還
山岳捜査官・釜谷亮二

 山渓に連載されていた作品。と言っても購読していないのでその存在を知らなかった(汗)。

 リアリティーのある今にマッチした表現に、とても受け入れやすい場面表現を一番に思えた。そして、何処かの山を連想させるべく、イマジネーションをかきたてるためだろう、大枠では地域を限定しているが、存在しない山名を用いている。何処の山をモチーフにしているのか・・・と自然と詮索しつつ読むことに繋がり楽しい。

 四話から成り立っており、その全てに手抜きがなく、内容に浸透するように楽しめた。主人公である釜谷のキャラクターは、読めば読むほどにスルメのような味わいが出てくる。そこに添う部下の原田の存在もいいアクセント。上司が部下に捜査のイロハを教えている様がさながら、読者側への事件の紐解きとなっており、そこを上手に何度も使っている。

 しっかりシナリオが作られ、言葉が並べられている感じが強い。山屋が多く読む山渓に載せるに相応しい新鋭なる内容と思えた。水戸黄門や銭形平次的な内容も好きだが、この作品のようにバラエティーに富んだ結末も好みである。

 予想を覆されたのは、最後の作品の「英雄」。自分の中では白黒を求めていたのだが・・・。これまた楽しい。いろんな事が起こり、あるのがこの社会。山を歩いてより自然を知り、悟り、いろんなことが受け入れられるようになる。この終わり方には、「そうきたか」と・・・。

 既に山岳捜査官・釜谷ファンとなった。作者である大倉さんの思考回路のファンになったとも言えるか・・・。シリーズを楽しみにしてみたい。

 山岳ミステリーではあるのだが、遭難回避のためのノウハウも散りばめられている。そのようには書いては居ないが、捜査の中での推測・行動において、得られる部分もある。いい作品であった。
10月 7日 大崎 梢  ねずみ石 
 私が高校の頃、貪るように横溝正史さんの作品を読んだ。古くからの慣習や伝統、古き日本の隠遁とした山村で起こる事件に、ドキドキしながら作品を楽しんだ過去がある。

 この作品は、その横溝作品に良く似た性質を持っているよう。とある村での祭りの日、殺人が起きる。未解決のまま4年が経過し、再び祭りの日が近くなってゆく。犯人が誰か判らない状況で日々が推移して行く。警察、関係のある人々が犯人を追うが、個々の思いは点でしかなく、線にならない。普通に「よい者」と「悪い者」を決め付けたがる読み手側に、強い怖さを与えるのがここ。飄々としている中の誰かが犯人なのか・・・。近親者の仕業か・・・。宮司なのでは・・・。各人を疑いながら読み進める。

 ちょっと読みづらかったのが、主人公格の二人の名前。サトとセイなのだが、最初のうち、慣れずにやや混乱して読んでいた。これを3文字だったら判りやすかったと思う。個人的なスキルの問題なのだが・・・。

 祭りの日の準備をして行く中で、再び事件は起きる。この中の誰かが犯人。祭りにおいては「ねずみ石」と言う奇妙な風習がある。解決の鍵となるか、その「石」が・・・。

 中盤から後半までは一気読み。エンジンが掛かるまでやや時間を要した。でもよく出来た面白い作品であった。
9月23日 梓 林太郎 風葬連峰
 北アのよく知られた場所が舞台。歩いた人の多くが、現地を思い浮かべながら読む事が出来るだろう。この部分では、至極親近感がある。がしかし、その親近感とは別に、推理小説ならではのスパイスが効いている。近寄っては突き放され・・・。

 警察の推理形態が、ややコテコテの・・・なんて思うのだが、それが逆に朴訥とした風合いを出し、当時の警察の様子を表しているよう。

 28年前の初版で、だいぶ経過している。上高地へ入るのに、徳本峠ルートがまだよく使われている頃の作品。この部分では時代を感じる。

 警察の、事件当初から犯人を絞った追い方には、どうかと思ったが、その詰め将棋をしているような捜査方法は、途中から思考に馴染み、面白く感じるようにもなった。

 山をよく知った梓さんの作品。工夫され、トリックが仕込まれ巧妙。山を舞台に、いかに推理小説に・・・と言う力技も感じられた。

 作品内に登場する山屋は、しっかり山日記を残す事をしている。昔からの山屋のスタイル。これが、解決の一つの鍵にもなっている。

 登場人物がけっこうに多い。入り乱れてしまうので、「警察」「山屋」「その他」と大まかなグループ分けして読み進めていた。やや混同しそうな入り乱れよう。このくらいについてゆかねば、まだまだなのかも。
9月13日 堀 公俊  日本の分水嶺
 県境踏破や分水嶺踏破は山屋の楽しみの一つ。趣味の中の遊び場のようであるが、一方で水の流れを分ける大事な場所。

 日頃は山頂と言う「点」を狙っているのだが、分水嶺は「線」。この本でしっかりと学ぶ事が出来た。登山ガイドのようであり観光ガイドのようであり、作者の広範囲な知識や文献調べがあり、楽しい内容でもある。柔らかい作者の頭の中がよくよく現れている。

 既に歩いており知った場所などは、文字運びに現地が映像で現れる。知らない場所は、たどたどしく地図を開いて追ってみた。そのために、やや読むのに時間がかかってしまった。それでも区切りよく紹介されているので、飽きる事無く読む事が出来る。

 分水嶺への興味などは、本当に特異な興味なのかと思う。好事家がどれほどいるのかは判らないが、そこは山、有益な周辺情報を得る事が出来た。何事も、知らないより知っていることが大事。その点では、この書は情報が盛りだくさんとも言えるだろう。
8月28日 ファラデー  ロウソクの科学
 原本の直訳なのだろうが、言葉回しが不自然でとても読み辛いものであった。その前に、作者の記述も実験に併せて解説している部分が、活字を読んでいる者として違和感が大きい。とは言え、当時においての先駆的な濃い内容を、出来るだけ万人に判るよう優しく書いているのも判る。

 このくらいが判らなければ・・・と自分にはっぱをかけながら読むのだが、そこにパイントとかグレインなどという聞きなれない単位が出てくると、気持ちが明後日の方へ行きたがる。判る人が読むのと、判らない人が読むのでは、読み応えが違うのは当然であるが、咀嚼しながら読んでいた私は、読破するのに時間がかかってしまった。もっと科学や物理をしっかり勉強していれば・・・なんて思っても後の祭り。

 ろうそくから科学。ろうそくで科学。少なからず、ろうそくに対して見方が変わったのは事実。何か一つでも掲載されている実験例をやってみようか・・・。

8月 9日 関口 尚  君に舞い降りる白 
 石屋さんでアルバイトをする大学生の桜井。石屋さんと言っても墓石ではなく、奇石や鉱石などの希少価値の高い石の方。ここで既に珍しさがあり、特異性がある。

 この書では、それらの石の勉強が出来る。たかが石、されど石、それら石の中でも熱に弱かったり、水分に弱かったりする。石にそんな性質があるとは思わなかった。作品の中のある場面で学ぶことが出来る。

 全体構成は色恋の話。興味がそそられ、展開も軽快でオリンピックより、こちらに軍配が上がるほど。

 桜井は女性に好まれるタイプ。それが故にバイト仲間からは僻まれたり・・・。女性関係とは別に、その男同士の関係の方は、無骨。ここでは硬派な桜井なのだった。

 ある日、店に出ていると女の子が入ってくる。見るからに不思議感が漂う・・・。それが故に興味を持つ桜井。その女の子は桜井以上に桜井のことに興味を持っていた・・・。

  コーヒーの香りが漂い、時にニルヴァーナが聞こえる。祭りのお囃子が聞こえてきたり、体温が伝わってきたり。表現豊かな作者、五感を擽られ作品に引き込まれていた。

 
8月 4日  夢枕 獏  呼ぶ山
 夢枕さんは、机上登山ではなく、実際に山を歩く山屋なのだ。それもそれなりのハードの・・・。そうでないと、ここまでは表現できないように思えた。

 「神々の山嶺」の後であり、賛否両論あるこの作品。おそらく、山をよく知る人にとっては、とても楽しい内容に思う。反対に、全く齧らない人には、不思議感のみが強くなると思える。

 幻覚幻聴を体験した人は一握りであろう。数度体験した事のある私にとってのこの作品は、アイソトニック飲料のようにスーッと体に受け入れられた。そして楽しかった。共感できる部分が多々あり、山の位置付け、作者の言う山の本質がびんびん伝わってくる。

 長短各々違う8つの作品が収められている。どれも独特で、「普通」を逸脱している。そこに少し怖さも伴うので、今の時期、夏向きなのかもしれない。奇怪・・・と言ってしまうとそれまでだが、霊山があるように、山は霊気を持つ場所もある。この部分では、フィクションとノンフィクションの次元を超えて共感できる。

 読み終え、「神々の山嶺」上下巻の横にこの本を並べた。私にとっては並ぶ傑作。あとがきが面白い。「もうコワいものなどないのである」としめくくられている。ニタッとしてしまった。

7月30日  川崎 博  目からウロコの
        山岳写真術

 これほどに山に入っているが、写真を学んだことがない。そしてカメラに拘った事がない。仲間のカメラマンは、「数打ちゃ当たるよ」と適当なことを言うのだが、これは当たらずも遠からず、腕がないので、撮っているものの確証など無い。出来た結果で判断するなら、数が物を言う。

 そんなこんなで、一度ノウハウを知ろうと読んでみる。少し内容が古く、銀縁カメラでの話であるが、それでもノウハウはちりばめられていた。写真は絵でもあり、物語でもあり、見せるもの全てに該当するのであろうが、そこから感じるものが多いほどヨシとされる。じゃーそれにはどうするか・・・。近接、遠望、セルフタイマー、三脚、知って得する技法を学ぶ。

 さあこれで、我が腕が上がるかと言うと、そんな事はなく、これまでに毛が生えたくらいかと思う。

 山岳写真。撮る場合は、カメラをザックに入れ込んでいては良くないそうだ、すぐに出せる場所に持ち、どんどん撮る。雨や汚れは当然気にするが、それに臆せず撮ることも重要のよう。「撮る為に持つ」、これがカメラ。我が日頃と同調する部分もあり、撮る基本としては間違っていなかったよう。

 今度は構図。頑張ってみよう。
 
7月23日 志賀直哉  城の崎にて・小僧の神様
 志賀さんの本を読むのは久しぶり、独特の作風を楽しむ。民衆目線の、ある意味ストレートな内容。

 時代なのか、「清兵衛と瓢箪」などは不思議感を伴うが、娯楽の少ない頃であり、瓢箪に執着する事もありなのだろう。体罰が普通にあった時代、当時と現在・・・日本も大きく変わってきている。

 「山科の記憶」そして「痴情」などは畳み掛けるような、この種の話。極めてストレート。男とは・・・。

 ちょっと昔に触れてみると、今の良さが判ったり、昔の方が良かったり・・・。いろんなことを思うことが出来る。これが本のなせる業。なにせ知るって事が大事。

 
7月20日  三宅泰雄 空気の発見
 帯には「読書感想文にオススメ」とあり、「十代のうちに読んで欲しい名作」と・・・。

 「空気」。日頃接してはいるが、見えない掴めないもの。しかし無くてはならず、重要な物。素人の私はこんな概念しかない。この本は、原子・分子レベルまで掘り下げて数値表示などで解説している。理系好みの人は、スーッと受け入れられ、反対の人は少し抵抗があるのかもしれない。

 独特の作文。ひらがなを多用して、漢字変換していない部分が多い。読みやすさを意識してか・・・。それでも低年齢層を意識しているのではなさそうな使い方で、個性なのかと思えた。さらに、「きみたち」とよく出てくる。読み手側を既に意識しての作文であるが、当初から大人向けではない様子。数値表示が多いので、全てを頭に叩き込むには抽斗が・・・足りない。あとからもう一度読み込もう。

 山の上に行くと、太陽に近くなるのになぜに気温が下がるのかの説明もある。ちょっとした暮らしの中の体験に併せての説明も多い。100mで0.6℃の低下と理解していたが、実際は0.55℃と言う事らしい。大体でいいとも思うが、この5/100℃の差でも重要視するのが科学らしい。

 空気の研究は、この先もまだまだ続くよう。多くの科学者が関わったこれまでで、出きったようにも思えているが、些細な部分までをも追求するのが科学。また新しい発見も出てくるのであろう。

 児童生徒の気分で、科学の勉強であった。
7月11日  坂木 司  夜の光
 「シンデレラ・ティース」と「ホテルジューシー」の姉妹作、夏が舞台だった後味のいい作品に、TUBUやキマグレンのように夏に聴きたい、読みたい本(作者)に思えていた。そして坂木さんの本を選ぶ。

 滑り出しは、なんだかよく判らないままでいた。特異なあだ名で呼び合う高校生4人。深い関係は無く、天文部という繋がりでしかない。ゲージとブッチの男二人、ギィとジョーの女性二人。紅一点とならず、バランスの取れた組み合わせも、ちょっと良かったりする。この奇妙なあだ名は、実はコードネーム。スパイとしての・・・。

 人には個性があり、そして生活環境があり、苦悩がある。そこを上手に表現されている。他人には見えないが、本人は外見には見えない内面での苦闘。大人になってゆく途中の、なりかけの心理・心情が面白い。そこには高校生でありながら、大人としての我慢があったり。「判る、判る」なんて思える部分。心を表に出さない・・・それがスパイ。

 各4名が、モノローグのような感じで主人公として語られる。そこで各家庭環境が知らされ、家庭と戦っている。戦いつつ、自立して行く各人の強さがまたいい。

 クールな付き合いでありながら、個々が他人を気遣える人間となっており、仲間やきづなと言う部分を感じる。青春小説ならではとも言える。そして出来事に対する推理も混ぜ込まれ、それを4人で考える部分もいい。

 夜、天文観測と託けて4人が集まる。そこでは真剣に星を見るわけではなく、語らいや軽食が主。ユルユルの部活ではあるが、でもでもそれぞれの境遇がバックにあって強く繋がっている4人。高校を卒業してもまた集まる・・・・。羨ましい青春時代とも思えた。

 読み終えて、もう一度最初から読んでみた。二度読みすると、これまた面白い。

 挿絵の佐久間真人さんの作品もキラリと光る。
7月 4日  高嶋哲夫  風をつかまえて 
 エンジニアの高嶋さんらしい作品。町工場が風車を造る話。

 8号線を日本海に沿って北上すると、象潟から先で物凄い数の風車が並んでいる。その一基の値段を聞いて驚いた。一基3億円。ブレードの値段やメンテ費用まで知ると、そこまでして採算が取れるのかと心配するほど。そして風をつかまえられず、発電より初動のための電力消費が嵩み、停止している風車も多いことを知った。そんな状況で、この本を読む。

 「ものづくり」。この部分は読んでいて共感が出来て至極楽しい。何かを作り出す信念というか・・・。そして融資を受けるノウハウなどはフムフムと知識とする。主人公の優輝の取り巻き。たまたま恵まれているようでもあるが、持つべきものは仲間とも思ったりする。

 高嶋さんの作品でいつも思うのは、全体のバランスがいい。安定してどっしりとしている感じ。面白さと知識の吸収を伴いながら、スラスラと読み進められる。

 私もものづくりに関わる立場。少しばかりか前向きな意欲が沸いてきたりもする。楽しい一冊であった。
6月29日  奥田英朗  無理 下
 これは・・・。凄い・・・。別の意味で凄い。勝手ながら、どこかでハッピーエンドを求めつつ居るのだが、進めど進めど、一本調子。冴えない、負を背負ったような内容がひたすら続く。ただし、かなり入り込んでしまうのは、週刊誌の中で取り上げられるような下世話な内容であり、移入しやすい部分からかと思えた。

 これは、負を背負い込んだら立ち直るのは「無理」って事なのだろうか。「ゆめの」と言う夢を持った町の中で、それこそ夢の無いような話が・・・。坦々と書かれたこれは、別な意味で破壊的。こうきたか・・・と最後に思えた。ウイットに富んだ奥田さんならではなのかもしれない。イッヒッヒと笑う奥田さんの顔が浮かぶ。

 ただし現代にありがちな色々、周囲を見ると、あっちに潜んでいたり、こっちに潜んでいたり。世間とはこんなもんなのだろう。フィクションの部分は別として、これが社会の現実なのかも。 

6月22日  奥田英朗  無理 上 
 封に「この物語には、夢も希望もありません。」と書いてる。全くもって負の要素ばかりが散りばめられ、「幸せ」という明るい部分があまりみられない。上流階級、中流階級の方が登場するが、どこか幸せでない。なんと言う塞ぎこんだ書物か・・・。なんだかこっちまで萎んでしまうような気分になる。ただし、あるある的な事ばかりで、生活保護受給者と行政側の対立などは、楽しく表現されている。

 「下」の前哨戦の「上」であろうと思っている。これから「下」、はてさてどんな笑いが・・・。さきほどの封には、「でも、笑える面白い」と続く。その部分がいまひとつ出てこない。ちょっと不完全燃焼の上巻。

 登場人物の、各々の複合的な生き様が、少しづつ繋がりを持ちつつある様子。小説ならではの展開を期待。

 それにしても、この梅雨時期に、湿気た内容。でも、これが日本を支える底辺の現実でもあろう。

 さて下巻。
6月15日  伊藤たかみ  ぎぶそん   
 息子が読んでいた本を覗き読み。

 完全なる青春小説。オッサンが読むには少し違和感があるように思えたが、スラスラスイスイと嵌り、楽しく読破した。

 中学生が楽器に興味を持ち、バンドを組む。派手な部分は一切なく、坦々とした内容ではあるが、背伸びしないフィクションさを感じない内容は、読み易さにも繋がっている。

 ギターのガク、ベースのマロ、ギターのかける、そして紅一点のドラムのリリイ。主人公はこの四人。駄菓子屋が頻繁に登場することで、児童から生徒に成り代わりの風合いが良く出ている。そして思春期らしい表現もあるのだが、好感・好印象な表現で綴られ健全。そして一見バンドと言うと不良要素を思いがちだが、内容にそれらを感じる部分は一切ない。

 文化祭に向けスタジオを借りたりし、練習を重ねる4人。
Guns N' Rosesをカバーするのも、なんとも背伸びしたような雰囲気があり、中学生らしさでもある。そしてその文化祭の仮設ステージに立つ四人は・・・。

 反抗期でもあり、そう少し尖った中学生の表記も出来るであろうが、登場人物は、みな優しい心を持つ者ばかり。ホンワカとして暖かい一冊であった。

 ただ一つ、関西弁の口語の羅列であり、見慣れない読み慣れない活字があり、その口語の所だけ読むスピードがグッと落ちた。慣れないと、ちょっと読みにくい感じもあった。

  
6月13日  海堂 尊  プラックペアン1988 下   
私も7時間に及ぶ外科術をしてもらっている。と言っても眠ったままであったのだが、その術後の痛みたるや・・・そこで黄色いお花畑の夢を見た。よく言う境目、これかと体感したのであった。

 こんな経緯もあり、外科術のほんの僅かな片鱗だけ判っている風を装っている。医療側でなく、それを受けた側の色々。がしかし本作品は医療側。「神の手を持つ・・・」なんて外科医がテレビに登場するが、作品中の佐伯医師、高階医師、渡海医師などもその類の様子。腕の良い医師がひしめき合っている専門医局、人間模様はこんなに複雑でギスギスしているのかと・・・。サッカーで言えばFCバルセロナのような個人技を持つ人の集まりなのかと思えた。サッカーに例えたのだが、時折世良医師がやっていたサッカーのくだりがあり、医療と言う緊張感の中にいいアクセントとなっている。

 君臨する佐伯医師。その過去の施術が・・・そこで渡海医師は・・・。ただただ与えられたオペを成功させる事のみに没頭しているのかと思えた各人。ある意味手術ロボットのような冷淡な感じがあったが、後半になるに従い、どんどんと血が通ってゆき、心ある人に・・・。中身は人。

 世良医師と花房看護師の、ちょっとした色めいた内容も楽しい。これも人同士が顔を合わせる場所である医療現場の実際だろう。アングラな話では、製薬会社との癒着・接待。これもまた、時代が進んでも消えないのだろう。
 
 いやー楽しかった。続編がある様子。またいつか・・・。
6月10日  海堂 尊  ブラックペアン1988上
 またまた医療小説。食わず嫌いだったようで、「極北クレーマー」に続いて、楽しく貪るように読んでしまった。

 医療の世界も表と裏がある。そして人(医師)の個人的な感覚が大きく影響する業種。それで居ながら集団を成している。大きい集団の中での個人プレーが、時に光を放ち、時に地獄をも見る繊細さも持つ。

 全く知らない業種。そのノウハウを知る海堂さん。酸いも甘いも知っている中での作文。鋭い切れ味で読み手側を魅了している。実現場と内容は、そう違いないのかと思って読んでいた。

 佐伯教授が君臨する東城大学医学部付属病院外科に世良は入局する。医者の卵が荒波に揉まれながら育ってゆくのだが、そこでの人間模様が特異で楽しい。外科の医師とは、自信家が多いともとれてしまうのだが、そのくらいでいいのかと思う。高階医師の登場でのひと波乱、そこから登場してくる渡海医師。腕の良い医師同士での細かい火花バチバチと飛び交う。

 すぐさま下巻に入る。
6月 8日  蛇蔵&
海野凪子
  
日本人の知らない日本語               
              3 
 第三弾。

 読んでいながらふと気がつくと、来日している外国人の面白エピソードの紹介本を読んでいるかのように思え、日本語について学んでいる意識が飛んでいた。これは「自然と遊びながら学べる」にも繋がるように思えた。井の中の蛙、中に居ると見えないが、外から見る井戸の中、気づかされる部分は多い。そして二兎を追えるのだが、外国人との接し方、会話の注意点なども参考になる。

 楽しい反面、日頃気にせず使っている日本語の難しさも再認識。これを短期間でマスターしてゆく外国人も凄い。「ゲーム」という表記。これは横書きだが、縦書きにすると、「ー」は「|」に変わる。何気に自然とやっていたことだが、文字の形が変わっていることに違いない。「橋」や「箸」などの例えは有名だが、同じ音で違う意味を持つ単語も多い。

 知らずに恥ずかしかったのだが、句読点は、縦書きの場合が「、」で、横書きの場合は「,」を用いるとの事。教えられたことがないので「、」で統一していた。今後はきちんと「,」に変えようか。そういえば「,」を使っている方が居て違和感を覚えた事があった。正しかったのだ・・・。

 この歳になっても日々日本語の勉強が続く。この第三弾を経て、もう少し日本語が上手に使えるようになるか・・・。何事も本当を知るって事が大事。日本人においての日本語なら特にそう。

6月 5日  海堂 尊 極北クレーマー 下   下巻。
 
 今中医師の内心のコミカルさ、後藤医師のシニカルさのバランスが面白い。これら登場人物のキャラ立ちしているのと、作者の「雰囲気」の表現が上手であり、頭の中で文内の絵面がクッキリと思い浮かべることが出来る。

 今中医師が赴任してからというもの、本来の医療に対する仕事より、その他雑多な事ばかりが多い。院内での医療事故に対する組織も編成され、そのトップが今中医師。院長は医者と言うよりは傲慢なワンマンなトップ。経営者としても疑問符。そんな中、医療事故の被害者側が動き出す。そして仲間の医師が逮捕される。

 日本の法規、世論の目、医療従事者の立場・考え、そして医療の現状が判る。「文句を言う」事が基本になってしまっている社会。もっと本質を捉え、相手側の立場も弁える社会にならないと・・・なんて堅い感想を抱く。

 巻末の書評を読んで、「やはり」と思ったのだが、海堂さんは夕張市のとある病院を取材したと言う。フィクションではあるが、極めてノンフィクションの内容とあり、これが日本の現状なのか・・・と思うのだった。

 行政にコントロールされている病院経営もある事を初めて知る。パワーバランスがこうなっているのかと思えたのだが、診て貰う側で、医療とは別次元のこれらの事を意識している人は稀だろう。住んでいる地域の総合病院も、少なからず同じような運営なのかと思う。今後は、少し視点を変えて見てみよう。

 
5月31日  蛇蔵&
海野凪子
 
日本人の知らない日本語               
              2 

 さあ、第二弾。走り出したら停まらない。読み出したら止まらない。日本語とはこんな奥深く面白いのか・・・。時間的な制約もあるだろうが、義務教育の中で、ここに書かれたようなことの一部でも教えられたら、児童生徒も、もっと国語に興味が沸くだろうと思えた。現に、ここで学べることが最高に面白い。ただ、大人向けの笑いのツボもあり、全てが全てとは言わないが・・・。

 雑学と言えば雑学。でも国語の成り立ちであり、知っておくべき事でもある。それらが、スッと知識にできるのがこの本。知るは一時の恥、知らぬは一生の恥。特に恥をかく事無く、知っておくべき事が知り得る事が出来る。笑いと共に・・・。

 それと、日本語を学びながら、外国の事も学べる二兎を追える内容。日本語学校における外国人との会話と言うシチュエーションが楽しさを増している。

 もちろん、第三弾も既に準備してある。既に楽しみで仕方がない。
5月30日 海堂 尊  極北クレーマー 上 
 珍しく医療小説。医療現場に居た海堂さんであるから、リアリティーのある、細かい表現が盛り込まれ、学べると思って選んでみた。

 医療の昨今。その医療技術も日々進化しているが、それを見定める患者側の「情報」も大事。医者にかからないで一生を終える人など稀であり、知らないより知っておくべき事が多いと思う。

 場面設定が北海道のとある町。フィクションであるが存在しているかのように感じられる。それにはあの炭鉱の町の破綻ニュースなどがあったからであり、ここに出てくる町もその町の会計状況と似ている。

 医療現場とは、神聖な・・・なんて思うのだが、実際は人で成り立っている。意識の低いスタッフで構成され、そこに飛び込んだ主人公の今中。葛藤を交えながら経験を生かして改善を目指す。そこにひょんなことから女医が・・・。特異な能力で今中の解決を倦んでいた障害を次々と処理して行く。

 ただし抱えている問題の量は多く、医療だけの問題でなく行政の関わる部分も多い。小さな町における現実なのかも。医療現場を知っている人ならではの作品。一喜一憂できるほどにのめりこめる感じ。

 さて次は下巻。
5月29日  蛇蔵&
海野凪子
 
日本人の知らない日本語 
 痛快。勉強とはこうやって学びたい。

 日本人に対する日本語の教本であるが、ワンクッションおいて、外国人視線での日本語として学ばさせている。外国人においての日本語とは、奥深く難しい。そしてその学ぶ様子を第三者的に読み進める読者側。母国語でありながら、少し他人事みたいな意識があり、力が入らず楽しいく学べる。

 漢字の変遷。中国の方が簡略化された表記であり、日本の漢字の方が崩していない事を知る。そしてベトナムでも漢字文化があったり・・・。

 カタカナ。女子言葉が起源であり、このカタカナの存在は外国人にとって負担な部分であると・・・。

 読み進めるにあたり、知らない事ばかりで、「へ〜」の連続。それこそ一気読みであった。ベストセラーになるわけである。

 
5月27日  長岡弘樹  傍聞き
 作品全体に犯罪臭が漂う中、それが度を越えておらず、肩に力が入れずに読める。極めて庶民派。それで居ながらワクワク感は忘れない。

 4作品が納められている。表題にもなっている「傍聞き」は、犯罪者を意識させるドキドキ感と、人間としての本心や暖かさが伝わってくる。最後の「迷い箱」においても、人の心理を上手に利用して構成されている。それが故の楽しさがあり、長岡さんの真骨頂的な部分なのかと思えた。

 殺傷や血などの表現が少なく、ソフトミステリーと言うのが適当か。作品内には、登場人物による不可解な行動が表現され、そこに対する「読み」が発生する。そして最後に「あっ、そうか」となるのだが、ハッピーエンド風味で終わる感じも読んだ後の気持ちよさに繋がっているよう。楽しい作品であった。
5月21日 角田光代 八日目の蝉 
 映画にもなったこの作品。少し遅れて原作を読んでみる。その前に、角田さんの書評は何度も目にしているが、作品を読むのは初めて、その作風に触れてみる。

 まず読みやすい。難しい言葉ならべがなく、すっと作品内に入ってゆける。これも作者の手法であり、立派な作家と言う事の所以だろう。

 誘拐・・・ではあるが、母親と子供な位置付けであり、苦闘の中での逃亡。当然その途中には日々の生活があり、なにか加担してあげたくなる感じがする。

 219ページから時間が切り替わる。けっこうこんなのは好みである。次頁から2章となるのだが、1章の希和子視点から薫(恵理菜)視点に。屈折した幼少期、それを引きずりながら、外野の目から逃れられない思春期を過ごす。なにかそこに強さを感じるのだが、彼女の中ではやはり苦闘が・・・。

 これが出た為に小豆島に行った訳ではないが、作品内に出てくる小豆島の場所は、詳細まで良く判る。その表現の場所では、かなり感情移入することが出来た。旅する各地が、こんなところで生きてくる。
 
 5月16日 辻まこと 山の声
 人の魅力とは・・・。もっと言えばこの人の岳人としての魅力は、凄いものがある。なんだろうこの感性。計り知れない奥深さというか・・・。自然に対しても、人に対しても、完全なるオールラウンダーの様子。

 読みながら、辻さんの特異な部分も感じられる。それを「変わってる」と言ってしまえばそれまでであるが、突出していて、抜きん出ているとも表現できる。奢らず飄々とした内容。それでいて自己主張はちゃんとしていて、自分を曲げない。ここも大きな魅力。

 多数の作品が入っているが、なかでも「白い道」や「馬引峠」などが良かった。紀行文として先に読んで、後から現地に行くと味わい深いと思える。当然現在の様子とは違うであろうが、場所が場所(藪山)だけに、往時の様子も残っているのかと思う。

 時代が違い、山歩きの形態が違い、少し昔話な感じに思えてしまう。ただただ、この時代の方が人間らしく楽しそう。現代の、下界をそのまま高所に上げたような山事情は、満ち足りているものの面白みに欠けるような気がする。

 困る、迷う、腹が減る、危険なめに遇う。通常なら良いことではないが、それらがなくなりつつある現代の山旅、それに対し、それらがあった昔の山旅。昔の方がどれだけ楽しく印象に残っただろうか・・・。

 あとがきのくだりに感銘を受ける。少し抜粋。

 「人と人との間に燃える焰がなくなると、言葉はどういうことになるか、その変化を文化だの進歩だなどと私にはおもわれない。 請求書や受け取りの断片。大方は守られない約束手形のような会話を私は軽蔑はしない。私もまた一生懸命にそこで暮らしているのだから。しかし人はパンのみで生きるにあらず・・・である。 で私はささやかな薪を拾って、ここに並べ、ちいさな焰を立ててひととき囲炉裏の仲間にしてもらえればとおもうのである。」このように締めくくっている。自然との間合いも絶妙なら、人との間合いも絶妙。特異な人でありながら好かれた部分は、この間合いどりなのだろうと思う。

 ソロハイカーに、栄養剤、カンフル剤になる一冊。
 5月11日  笹本稜平  恋する組長
 先日は、笹本さんの高級なブランデーのような山岳小説を読んだ。今度のこれは、軽快なバイキング料理を楽しむような作品。

 テンポが良く、肩に力を入れずにアイソトニック飲料を飲むように読み進められる。6作品の短編集をまとめた物。登場人物はかなり固定されているので、親近感があり、自分も中に入っているような錯覚を覚える。これも手法なのだろう。

 ヤクザと主人公の探偵の絡み。何となくアングラな設定であるが、「お金」を第一に生きているこれらの人々の執着心が、作品展開に上手に用いられている。フィクションでありながらノンフィクションのような風合いを醸し出している。

 ユーモアハードボイルド。血なまぐさい部分はなく、気持ちよくサラッと読める一冊。そして気分は春めく。
 4月26日 尾崎 隆  果てしなき山行   
 尾崎さんも日本山岳界のものすごい重鎮。その足跡を同じように辿れる人は稀、それほどの山行を繰り返して、そして結果を出し・・・。この結果を出す人ってのは、やはり違うのだと思えた。飄々と書かれている内容は、異次元のバイタリティーと言おうか、言葉を選ばなければ破天荒と言ってしまおうか、凄いの一言に尽きる。

 そんな尾崎さんは、残念な事に昨年お亡くなりになられた。その最後となった場所も尾崎さんらしいチョモランマの山頂直下の高所。いい人生だったのではないだろうか。残されたものは大変だろうが。

 作品内。雪崩に巻き込まれたりして、全てに凄い体験が散りばめられているのだが、奢りのない言葉ならべに庶民感があり、文章がすんなりと浸透していく。体力もそうだが、この文才も秀でていると言えよう。

 本当は大変な事もあるのだろうが、そこは伏せて、さもサラッとやってのけているように書かれている。難しいことは抜きにして、山を楽しんでいたのだろう。そして負けない闘志も強く感じた。未踏峰や初登頂などにも拘り、超人的な能力も発揮している。ハートが違い、根性が違う。芯のしっかりとした人に思え、多くに人に愛された人であろうと読み取れた。文面に人となりが良く見えている。
 4月11日 有川 浩  三匹のおっさん
 もう一気読み。痛快このうえなく、楽しさとワクワク感と気持ちよさと・・・。このすがすがしさは、悪を退治する、問題を解決する内容構成からとは判っているが、題材や構成がすばらしい。有川さんの社会観などが見え隠れし、内容が身近な事ってのも親近感があり入り込みやすい。

 もう特設サイトまでできて、そこから人気度が判るのだが、映画化も早いだろう。各登場人物のキャラが立っていて、その各人から吐かれる言葉の歯切れがいい部分も読み進めるに当たりスッキリさを出しているのかと思えた。

 還暦を迎える(迎えた)3人のおっさん、キヨ、シゲ、ノリ。その昔は悪がきだったが、この歳にして地域に恩返し。私設自衛団のようなものを結成して、事件やお悩みを解決してゆく。キヨの孫の祐希の存在も楽しいし、その祐希がノリの娘である早苗との中学生らしい恋の行方も、微笑ましく暖かい。

 時代劇の水戸黄門のようでもあり、特攻野郎Aチームのようでもあり・・・。なにせ、お年寄りが元気で生き生きしているのがいい。いや、ここでは「お年寄り」と表現してはいけないのかもしれないが・・・。
 4月 5日 上田哲農  日翳の山 ひなたの山   
 日本山岳界の重鎮でもある氏。以前からチラチラとお名前は見ていたが、作品を読むのは初めて。一言「楽しい」に尽きる。完全なる山屋の波長で書かれ、登らない人が読むと少し不思議な文章もあるが、高みで遊ぶ人にはアイソトニック飲料のようにスッと入ってくるであろう。

 短編、それもバラエティーに富んだ内容の集大成。山屋の心を擽るネタがちりばめられている。そして氏は先駆者でもあり、学ぶべきことが多い。例えば「猟師の遺産」に書かれているノウハウなどは、外来のアイテムをヨシとする傾向がある昨今において、見直さねばならない部分だと思えた。日本古来からの、その土地土地に合った山道具、生活・行動技法。もう一度しっかり記録し、後世に残すべき物と思えた。

 遭難の話、バリエーションコースの話、歌、詩、伝承や昔話。これほど幅広い内容を一冊で読んだのは初めて。氏の守備範囲の広さに感嘆。楽しい、そして読んでいて落ち着く作品であった。
 3月28日 辻まこと   山からの言葉  
 「岳人」ファンなら周知の人なのだろうが、この辺りの本を読まない私は、不躾ながら存じ上げなかった。で、この本で辻さんのセンスと感性に触れる。

 まずは山屋をモチーフにした絵画。その全てに山屋が登場し、その表情から臨場感が伝わる。岳の人としての心があるから、この画風になり表現できるのだろう。山の辛さが伝わり、温かさも伝わる。

 そして作文。山の話をしながら社会風刺をしていたり、広範囲な知識に感心する。これがあるから、全てを知りえているから、山でも自然に優しいのだろう。単独行を好んだ氏、そこでの山の懐に抱かれ、そしていろんな意味で懐の広い氏が楽しむ。これぞ山旅なのだろう。
 
 40年余り経過しているのに、今読んでも新鮮な内容。当時も斬新だったろうが、この先、いつ読んでもフレッシュな文章なのかと思える。それには躍動感のある文面であるからだろう。岳人の行う山登り、雪山や沢登り、岩登りなどを含め、躍動感と言う部分には誰もが同調できるかと思う。

 短い文に言葉を纏める。詩人・エッセイストとしての氏の能力に関心。ダラダラ書いている自分も見習わないと・・・。
 3月24日 笹本稜平   還るべき場所
 高級なブランデーに歪な氷を入れ、それを氷の自重を利用してかき混ぜながら飲むような・・・そんな上品・上級な山岳小説だった。

 引き込まれる。楽しい。驕りが無く受け入れやすい部分が読みさすさなのかとも思う。そして推理小説のような伏線的な部分も見つけた。177頁での翔平親子での会話。そもそも山好きな父親であり、山の本を読むのは不思議ではないのだが、最後のヘリでの登場で頷けた。装置の高所研究をするがための資料としたのではないだろうかと・・・。これは私の勝手な思い込みだが、全体を通すと各所にそんな仕込があるように読み取れた。結果、立派な作品と思えるのだった。

 作者の言葉が、神津の言葉なのだろうが、心を打つ。頭で思っていても、言葉で言い表せない部分を、しっかり活字にしている。「そうそう、そうだよ・・・」。

 感化された訳ではないが、酷い気象条件の下、山に入ってきた。指先が動かず凍傷になりかけ、そんな中でアイゼンを縛っていた。その時、この本の内容が脳裏に甦ってきていた。
 3月 9日 奥田英郎   オリンピックの身代金
 下

 先の、上巻に続いての下巻。

 衝撃的な「浅間山荘事件」、「成田紛争」。暴力的なその行為を毛嫌いして、思考の中の白黒がはっきりとしていた。世の中で言う「赤」の存在。肯定も否定もしないが、少し、いやだいぶ行動背景を理解できるようになった。共産主義なんて、異国の・・・なんて思っていたのだが、平和、安寧等を目指すが故の行動だったとは・・・。

 「主人公が犯人でなければいい」と思いつつ読み進めたが・・・。しかしいつしか犯人を応援しだしている自分が居た。プロレタリアート反抗と言うか、時代背景がそのようなことを強く思ってしまう時であり、一種起こりえる貧しい時代とも思えた。貧しいとは語弊だが、その時代の正式呼び名は「高度経済成長期」。生きる為に、いろいろがあったよう。

 犯人対国家権力。利己的でない犯人の思想、行動に、当時の周囲は力を貸すことになる。アングラを生きる人々の手助けを受けつつ、犯行を遂行する。それに対する警察。公安と刑事との確執も、しっかりと学べたりする。

 奥田さんの作品であり、いつもどこかホンワカしている部分がある。内容は過激であるが、その手法により全体がソフトに読み進められる。ただし、露骨な歯に衣を着せぬ表現も多い。それが読みやすさに繋がっているのでもあろう。

 楽しい作品であった。若い人が読むと、異次元の話。昭和を生きた方が読めば、懐かしめる話となるか。
 3月 4日 危険回避
マニュアル
研究会 
テストに出ない
危険回避マニュアル 

 ばかばかしさの中に、フムフムと頷ける内容がちりばめられている。「本当に役に立つ」のである。雑学が好きな人は、たまらなく面白いと思う。そしてアウトドア系の人も、使える知識がいくつかあり、知って得をするだろう。

 驚いたのは、「雷に打たれても大丈夫な方法」。それは金属を身につけよと言う事である。集団登山で被雷した時、助かったのは金属を多く見につけていた人だったそうな。金属を伝って地面に放電出来たからだそうだ。確かに一利ある。ケースバイケースであろうが、知らないより知っていた方がいい事とは、こんな事だろう。「金属を外せ」と言うのがこれまでであり、助かったのが間逆だと言うから、これは目から鱗。まぁ最後は運なのだろう。

 そして、チョモランマでは、これまでは衛星携帯しか使えなかったが、2010年から基地局が出来、山頂からでも通常の携帯で通話が可能になったとの事。知らなかった・・・。

 とても楽しい本であった。本は楽しいのが一番。
 3月 2日 栗城史多  NO LIMIT
   自分を越える方法
 
 今や栗城さんを知らない人は居ないだろう。海外の山に行くためには、多大なお金が必要。スポンサー契約などもあって、メディアに出ねばならないのだろう。もう一つは、氏のインターネットを使った、マスメディアを利用した公開方法からも現代風な登山家とも言えよう。そのメディアに晒されている分、いろんな賛否両論を聞いているのだろう。とても強い人だと思う。

 この本を読むと、超人的な氏が、普通の人である事が判る。その普通を、山が鍛え上げてくれた。精神と肉体と・・・。

 氏ほど若い人が、これほどに人間として仕上がっているのも珍しいと思う。山は語らずして教えてくれると言う事なのか。播隆上人が生きた時代。ハイマツを食べながら山中を歩いて悟りを開く。氏は高所登山をすることで、悟りを開いているように読み取れた。

 メディアでの氏だけ見ていると、晴れやかな部分ばかりが見える。この本を読むと、氏の中身が見える。そこで共感する事、多々。

 でも、ただ、氏がこのままのチャレンジを続けると、その時が早くにやってくる気がする。でも本人は、それが「生き方」と言っている。長生きとか短命とかの尺度でなく、内容なのである。

 氏はいい人生を送っている。自分で切り開きつつ・・・。一度の人生・・・。

 
 3月 2日 奥田英郎  オリンピックの身代金
 上

 時代背景は、昭和39年。そうオリンピックの年。日本が世界にその存在をアピールする年。高度経済成長、ただその裏には、富裕層と貧困層が存在し、現在の中国のような状況。東北の人の出稼ぎを普通とする暮らし。それをしないと生活が出来なかった現実。よく知らなかった影の部分が書かれている。もっともフィクションであるが、その時代背景を知っている作者の表現は生々しい。合法のヒロポンが、違法となったのもこの辺り、アンダーグランドの蠢くいろいろが、隠さず前に出ている。

 主人公のマルクス主義的な思考をベースに、坦々と物事が起こってゆく。この巻は上巻であり、ある意味序章な感じ。下巻へ向け、少しワクワク。とても不思議感がある作品。そんな中に、奥田さんらしさもあり、やっぱり奥田さんの作品と・・・。

 少し気になった言葉並べがあった。「日の丸の赤がいつもより鮮烈に映った。あれは、もしかして人民の血の色ではないのか」。同意する。
 2月22日  佐瀬稔   残された山靴
 名立たるクライマーや冒険家の生き様が纏められている。既に全ての人が亡くなっている。白か黒かという判断では、「最後はみんな死んでしまうんだ」となるが、その途中の、人間らしい、美しい拘りが読み取れる。何も意味を成さないような事が、後から意味を成す。

 我先にと、無攀壁にと挑んだ時代があった。そんな中に日本人の精鋭が挑んでいた事に嬉しさをおぼえる。そんな冒険(登攀)を評価する外国と、あまり評価しない日本の温度差だろう、彼らは外国の方で有名になって行く。

 ただ、やはり最後は亡くなっている。危険を冒して・・・。これはアルピニズムとか言われる部分だが、その全ての人が、拘りを持った堅物という事でいいだろう。そこに、誰にも負けない根性を持つ。結果を出す人とは、ここであろう。ただしただし、自然が相手の遊び。時に牙をむく。そして・・・。

 最後は筆者の最後が書かれている。闘病生活の様子が・・・。ここも壮絶な様子が綴られている。スポーツライターとしての根性を感じたり。佐野さんの人柄がよく表現されている。

 ある意味、超越した人たちの記録であり、雲の上的な内容に感じる部分が多かった。力量の差が、そのまま理解度に現れているのだろう。

 色んな個人が居る。そして故人が居る。死に近い場所での遊び。色々考える。

 気に入ったフレーズは、植村さんの記述で、「垂直から水平」のくだり。登攀を垂直、南極を目指したことを水平と著しているが、耳心地いい表現である。
 2月10日  重松清   きよしこ
 寒くなると、普通に重松さんの本が読みたくなる。そして読むと、求めていた暖かさに触れられる。これぞ重松ワールド。

 題材が、気持ち作者の名前に似ているようだが、そんなことは気にせず読む。書かれている、少年が育った環境が、重松さんの少年期と似ているようだが、そんな事も気にせず読む(笑)。

 吃音に苦しむ人が居る。私の周りにもかなり強い吃音の方が居る。私は、そんな人は「頭の回転が速すぎて、言葉が遅れて追いつかない」と表現するのだが、当事者は本当に苦労があるのだろうと思う。

 少年期から吃音に悩み、それによりいじめにも遭う。しかしそれがために大人びた思考で周囲が見られる。吃音がなかったら、本当にかっこいい少年であろうが、唯一の吃音のために・・・。普通にしゃべれないというのは本当にハンディーなのだろう。そして当事者の心の内が学べるのもありがたい。これがために、今後は吃音の方には読唇や読心を心がけるようにしたい。

 7つの作品に分かれる。どれもいいのだが、「ゲルマ」と「交差点」はお気に入り。児童期を終え、中高生という多感な時期の話は、やはり面白い。人の心を外見やしぐさで読み取る重松さんならではの表現があり、ここでジーンとする暖かさに出会える。

 世の中にはいろんな人が居る。読んでよかった。
 2月 3日 小島烏水  山岳紀行文集
 日本アルプス 

 山は登って楽し、その紀行文を読んでまた楽し。それを強く思える。もう少し早くに読んでいればよかった・・・。すばらしい文字使い。ボキャブラリーの豊富さに感嘆。その表現力にも脱帽。綺麗過ぎる文字運び・・・。何という文才。これほどに書けたなら・・・。

 すらすらつっかえずに読めるのは、旧仮名づかいを現代仮名づかいに変更してあるからなのだが、編者の近藤信行さんの腕も良いと言えよう。

 既に100年以上前の記録が、今読んでもとても瑞々しく共感できる。すばらしい輝きのある紀行文。そして良く歩いている。当時の装備で、これほど歩くとは・・・。精神力も物凄かっただろう。あとは、この行動が出来るのは、余程懐が暖かかったとも言えよう。

 山の標高が定まらなかった当時の記述。微笑ましい表現もあったり。なにせ、凄いのは詳細な記録。記憶力も物凄いようである。観察眼もずば抜けている。全ては山への興味からか・・・。

 上高地の変遷などは、知っておくべきことかもしれない。当時をよく知らない私としては、良い勉強になった。その昔、御幣岳と言ったのか、今の○○岳は。

 それから最後の八ヶ岳の所には、驚いた記述が・・・。八ヶ岳の爆裂火山の形状から推察すると、そこに富士山より高い山が存在したであろうと・・・。いやはや楽しい。どこまで細かく、具に山を見ているのか。

 濃い一冊であった。すぐにもう一度読み返したい衝動に駆られる。
 1月13日 吉尾 弘   垂直に挑む  
 私の岩登りのバイブルは、吉尾さんの「岩登りの魅力」であり、氏の培ったノウハウをこの本から得ていた。そして幾多の未踏壁をこなしたその名声と一緒に、特異な人とも聞いており、その人柄に触れてみたく作品を読んでみる事にした。

 「奥歯に物が挟まる」などつゆ知らず。ストレートもストレート。読み手側がドキドキするほどにザイルパートナーに対しての心の中を吐き出している。しかしその一貫した姿勢が、
真摯に壁に向かっていた部分を感じさせる。たぶん、普通ではクリアーできない場所。少し特異な根性と考え方があったからこそ、成し遂げた結果なのだろうと思える。

 人となりとは別に、吉尾さんが生きてきた往時の、登山(岩登り)に対する意気込み、ここでは初登攀を目指す各猛者の競争などは、読んでいてわくわくする。やはり何事も切磋琢磨があって楽しいのだろう。

 至極負けず嫌いの吉尾さんが前面に出ている。この負けたくない気力が技量に加味されて結果となっているのだろう。あと、危険や事故、怪我などに対しての観念は、このレベルの人はやはり超越している。怪我を怪我と思わないような。負けず嫌いに、人間の強さも加味されている。

 岩登りは一人では楽しめない。パートナーすなわち自分以外の人が居る。自然との厳しい対峙と、もう一つパートナー(パーティー)との対峙。そこでの心の繋がり、動作を見て心を読んだり・・・。岩屋の人は、より人間の内面が磨かれるのかと思ったりした。

 結果を出す人とは、やはりいろんな意味で突出している。それでいいのだと思う。

 
 1月 2日  湯本香樹実  ポプラの秋
 父親が亡くなり母子家庭になった不遇。小さな女の子の心の内が明け透けに表現され、最初の滑り出しは「小さい子にしては違和感がある」なんて思ったのだが、懐想録と後から判り合点がいく。

 アパートの大家のおばあさん。特異なおばあさんで、このおばあさんとの出会いが無かったら、千秋の心の闇は閉ざされたままだったのだろう。亡くなった父親に手紙を送る千秋。それを受け取り、抽斗に貯めてゆくおばあさん。どうにも違和感があるのだが、人間の弱い部分を癒す、意味を成す奥深い行為であった。

 複雑な年頃を、このアパートで過ごす。隣人との出会があり、小さな千秋は下から見上げるように大人を見ている。ある時オサム君と出会い、目線の高さが合った表現の時は、とても生き生きした千秋に感じた。この間も千秋は父親をずっと思い、何かにつけ父親を考えている。物語の主線はずっとこの部分。

 各登場人物がとてもさりげなく書かれている。しかし個性があり最後まで読みきると、全てが大事な存在。さらっとしているようであるが、読みきるとけっこう重い作品であった。薄い本だから・・・と思っていたが、じっくりと噛み締めさせられる作品であった。あと、昭和初期のよき日本って感じが強くして、その点の暖かさを感じた。

 最後の母親の手紙・・・。これは意外だった。子供目線だった当時があり、大人になってそれを読み、最後に「ありがとう」と言う。

 補足。オサム君が大人になり、登山にはまっているくだりは、ちょっと嬉しかったり・・・。