赤火岳  1821.8m         
      
    2004.12.25 


   晴れ    単独    ぶどう峠から        行動時間 :不明



  登山記録・写真ともに紛失、記憶に頼る。(2008.3.13 再作文)



 前週に南にある石仏(1915.9m)に上がった。意外に眺望のあるピークで、益々県境にある山が気になり出した。ただ、弥次平や会社平の通過時には、結構な藪漕ぎを強いられ、一筋縄ではいかないことも重々理解していた。 赤火岳、アカヒと濁らないのが正解らしい。それにしても登山意欲をそそる山名である。地図を見ながらアプローチは3つ見出した。一つはぶどう峠から。もう一つは木次原からの長者の森から林道を使い会社平に登り上げる方法。そして南相木から入り会社平に上がる方法。いずれにせよ県境稜線歩きはせねばならない。藪の様子がどうなのか判らぬが、まだ降雪も無くぶどう峠まで車が上がれるので、北から県境を南下するルートで狙うことにした。

 上野村からぶどう峠に登り上げると、早朝にもかかわらず、若い女性が一人で車で来ていた。こんな所に何の用事と思ってしまったのだが、人それぞれ趣味や思想があるから詮索しない方がいい。車から降り準備をしていると、今度は人相の悪い人が前に停まり辺りを見ていた。登山者の車に対する車上狙いをよく耳にしているので、私はこんな場合、失礼なのだがカメラの被写体になってもらうことにしている。ナンバーはしっかり記録するのである。準備が出来たら出発となる。

 碑の裏手から県境上に道がありそれを伝う。最近刈り払われたのか、新しい刃痕が残っていた。最初の高みを越え、下りこむとそこに「国土調査」と書かれ番号を振られたピンク色のリボンが下がっていた。先に進むとそれが続き番号になっているのが判った。どういう調査なのか判らぬが、公務として刃物が入れられたようであった。笹の切り口が鋭利に上を向いていて違う意味で怖いルートであった。私の持つエアリアは96年版なのだが、ここにはこの稜線に倒木が多いとある。確かにその通りのようで、さほど酷くはないがいくつかの倒木を越えてゆく。途中まで続いていたピンクのリボンはいつしかなくなり、それと同時に刃物痕も見えなくなった。ただ稜線には薄っすらと道があり、それを辿ればいいので楽であった。特に藪を漕ぐ様な場所も無い。

 稜線は南北に連なるのだが、山頂部だけ東から巻き込むように登ってゆく。そして山頂まであと5mという所に、足元にステンレスの標識が落ちていた。どこに付いていたのかと付近の木を見るが、判らず結束する紐も持ち合わせが無いのでそのまま地面に置いておいた。三角点は苔むしていてなかなかの表情であった。かなり狭い山頂で数人居れば定員オーバーであった。展望は全く無く、自分の位置や山座同定は出来ない。かと言って暗い山頂でなく、山頂部の上が開けているので明るさはあった。儀式を済ませ往路を戻る。

 ぶどう峠まで三分の二ほど戻った所で散弾銃を持ったハンターと遭遇した。山の中で鉄砲を持っている人に遭遇するとドキッとするもので、相手がどうであれ心臓がバクバクするのが判る。それを沈めるためにも会話をしようと、話しかけると人の良い方であり、長野の方であった。私が“狩猟免許はどちらのを持っているのですか”と聞くと“長野側です”と答えた。無駄話を少ししてお互いに“じゃー”と分かれたのだが、その御仁の下って行った方は東側。オイオイそっちは群馬側で、今の今、免許は長野と言ったじゃないか、と腹の中でつぶやく。まー群馬側から追い上げて長野側で撃つのかもしれないので、真意は判らないのだが・・・。

 ぶどう峠に戻ると、数台の車が停まり峠からの眺望を眺めていた。私が山の中からスッと出てきたので、少し驚かせてしまったようであった。鉄砲を持っていた方を驚いた私と、丸腰の私を驚いた観光客。連鎖するのか・・・。アップダウンが多いルートであったが、マーキングを付ける様な場所も、酷い藪を漕ぐような場所も無く、無事踏ませていただいた。ただ今日現在(08.03.13)峠側の切り開かれた笹の場所がどうなっているかは判らない。

 当時はもっともっと詳細な作文だったのですが、紛失です。残念。

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