小烏帽子  2040m         
      
    2005.1.2 


   晴れ    単独    地蔵峠から        行動時間 :不明



  登山記録・写真ともに紛失、記憶に頼る。(2008.2.22 再作文)


 
 2005年度の初登山となる。肺の調子が悪く元日は静かにしていた。1日で治るものではないのだが、行ける所までと計画をしてみた。地蔵峠からならさほど高低差も無く、心肺機能に負担は少ないだろうと思ったのだった。1999年に一度踏んでいるのだが、日本山名事典に新たに掲載され、再登となる。 

 東部町側から94号線を北進して行く。カーブ毎にお地蔵さんや観音様の石仏が見られ、自然とアクセルは浅く踏むようになる。峠に到着すると、そこはスキーヤーで既に賑やかで、スキー場側の駐車場に入り警備員のおじさんの指示に従う。深夜も降っていたようで、辺りは新雪であった。今日はスキーでの登行とした。肺が肋膜の中で暴れている感じがし、正直気持ち悪い状態であった。冷たい空気がどう作用するか、ある意味、荒療法でもある。

 両手に板を持ってのスタートとなる。湯の丸キャンプ場に向かうように車道を行く。550mほど進んだ場所から右手の登山道道形に入って行く。ここからスキーを履いた。元日には誰も入っていない様で、今年の一番トレースであった。ゆっくりと足を進めてゆく。最初の分岐は湯の丸山への分岐で指示道標がある。帰りに余力があればこちらを経由して来ようかとも思っていた。湯の丸山の南斜面をトラバースして行く。スキーを履いているが、かなり深いラッセルであり、雪面から板を出すのに至極疲れる。あまり頑張ると肺に影響があるので、焦らずゆっくりに徹する。ルート上は雪の重みで木々が覆い被さり、これを避けるのも面倒であった。

 湯の丸山の西側鞍部まで上り上げると、ここは吹きさらしで風が強い。この付近だけ雪が硬く締まっていた。目指す方向には、正面に雪の壁があるかのように烏帽子岳からの尾根が南に降りている。夏道の道形は判らず、適当に斜面を上がってゆく。すると後から2名が追いついて来た。私がラッセルした道を伝ってきたのであろうから、楽であっただろう。進度もかなり違うはず。そして小烏帽子直下で一息ついていたら、スッと抜かして行ってしまった。ラッセル泥棒とまでは言わないが、逆の立場なら絶対に礼を言うが、彼らは誰一人無言のままであった。彼らは当然のように烏帽子岳を目指しているようであった。

 小烏帽子到着。烏帽子岳の通過点のような場所で、あまり山として山頂を踏んだと言う感じがしない。それより、先ほどのパーティーから上から見下ろされているのもしゃくであった。そそくさと儀式を済ませ、南にある2004高点の方へ向かう。尾根上はモナカ雪で、ザクザクと音をさせながらトレールを残してゆく。山頂は地形図通りに長細い場所で、展望も良い。雪を整地して腰を下ろし昼食とした。肺を休ませる事もしないと、悲鳴を上げてしまう。何とか肩が痛む程度で収まっている。流石に2000mを越えている場所であり、外気温は冷たい。お湯を飲むと、胃に達するまでの温もりを全てを感じ取れるようであった。さて下山。

 自分のトレールに伝うように降りて行く。湯の丸山を前にして少々は悩んだが、体の状態から、やはりトラバース道を選んだ。そして湯の丸山の南東の分岐まで来ると、スキートレールが二人分、山頂へ向けて付いていた。テレマークだろうかアルペンだろうか、などと思いながら地蔵峠を目指す。この先は少し踏み固まった登山道上を行く。車道まで出ると、観光客相手の旅館や売店が忙しそうにしていた。よく見るスキー場付近の風景であった。

 帰りは一度鹿沢側に下り、桟敷山などを見上げてから再び地蔵峠に戻り、帰路についた。もう付近は全て踏んだので、登りたいという欲は無いのだが、周辺を全て山に囲まれた鹿沢側の景色は結構に好きなのであった。

chizu1.jpg

chizu2.jpg


                                     戻る