黒部別山 2353m 北峰 2284.3m 南峰 2300.3m
丸山 2048m
2005.5.14
晴れのち雨 単独 黒部ダムから 行動時間:19H27M(黒部ダム基点)
行動時間:25H35M(扇沢基点)
@扇沢6:47→(61M)→A黒部ダム7:48→(22M)→B黒部川8:12→(35M)→C岩屋8:47→(11M)→D内蔵助出合8:58→(107M)→E内蔵助平10:45〜11:04→(58M)→Fハシゴ谷乗越12:02〜13→(83M)→G稜線に乗る13:36→(7M)→H黒部別山13:43〜14:00→(20M)→I北峰14:20〜40→(28M)→J黒部別山再び15:08→(108M)→K南峰16:56〜17:10→(30M)→L内蔵助平17:47→(116M)→M丸山19:43〜20:18→(33M)→N内蔵助平kumo氏と逢う20:51〜21:58→(126M )→・内蔵助出合0:04→(191M)→O黒部ダム到着3:15→(307M )→P扇沢下山8:22
@扇沢。スキーヤーで賑わっていた。 | A絵が暗いが、施設から登山道へ通じる路。 | 黒部ダム駅施設から外に出て正面に見える黒部別山。 | 下降途中で振り返る。雪はガチガチ。(中間部付近) |
下降途中から黒部川側。 | B黒部川に降り立つ。 | B左岸側から。この飛び石に伝って渉って来た。 | C途中の岩屋。 |
途中から振り返ると、針ノ木やスバリが見える。名前通りにトゲトゲしい。 | クラノスケ出合が近づくと、黒部川も雪渓に埋まる。ただ踏み抜きに要注意。 | クラノスケ出合手前で、丸山側に滝が見える。 | D内蔵助谷出合。ここは夏道が出ている。 |
D内蔵助谷出合から下の廊下側。 | E内蔵助平から大タテガビンの尾根。 | E内蔵助平から岩小屋沢岳 | E内蔵助平から別山側。 |
E内蔵助平から真砂岳。 | E内蔵助平から富士ノ折立。 | E内蔵助平から別山南峰の西斜面。 | E内蔵助平からハシゴ谷の乗越。360度の展望がある。 |
Fハシゴ谷乗越。 | Fハシゴ谷乗越から南側。眼下が内蔵助平。その向こうが丸山。 | Fハシゴ谷乗越から北側。 | G黒部別山の稜線に上がる。南峰を見ている。 |
G黒部別山側の尾根の様子。 | 黒部別山手前から。 | H黒部別山から南。南峰への尾根が左に曲がっている。 | H黒部別山から立山。 |
H黒部別山から剱岳。 | H別山山頂の様子。 | H石川の雄、山中山の会の赤布が残る。 | I北峰山頂。 |
I北峰から鹿島槍。 | J黒部別山再び。奥は立山。 | ハシゴ谷乗越からの尾根が合わさる辺りから南峰。 | K南峰から大タテガビン側の尾根。 |
K南峰から黒部ダム。 | K南峰から黒部別山側。奥が北峰。雪庇も多い。 | K南峰から立山側。 | 南峰の西側直下は笹が繁茂している。下から見上げている。 |
下り始めて1分ほどの場所。この先から斜度が増す。 | L内蔵助平北側に降り立つ。 | 夕方の富士ノ折立。雲が沸いてきている。 | 内蔵助平北側から丸山。 |
M丸山山頂。つまらない絵ですみません。 | Mリボンを残す。 | N「怪人」kumo氏の後姿。フラッシュを焚いた訳ではないのだが、オーラからか、輝いて写っている。 | O黒部ダムまで戻る。入り口はこんな様子。 |
Pトロリーバスで扇沢に戻る。 |
黒部別山。華やかな立山や後立山に相対して、静かにその威厳を誇示している山がこの黒部別山である。
山中山の会のT氏から“行ってきました〜”と弾んだメールが届いた。そう言われると行かずに済まないのが私である。気にはなっていたのだが、きっかけが無かったのだった。黒部川も要所で雪渓で埋まり、通過が可能との事であった。I氏に2週遅れて出向く事にした。
トロリーバスの始発が7:30と遅い為に、あまり早くに行っても待つだけなので家を3:30に出た。扇沢に到着すると、既に多くのスキーヤーが集まっていた。のろのろしていると始発に間に合わない事になるので、急いで装備をして切符売り場に並ぶ。早々に買って上にあがりザックで順番確保をして、ベンチで休憩する。見ているとボーダーの姿も多い。利用者の8割が滑りに来た人である。単純に登りに来た人は数えるほどであった。
7:30バスの乗車し、10分ほどで黒部ダムに着いた。着いたはいいが出口が判らない。車掌さんらしき人に尋ね、二つ目のトンネルの所から扉を開け外に出た。林道に雪が乗りかなり不明瞭になっていた。「旧日電歩道」の標識に従い、九十九折を下ってゆく。凍りついた場所もありアイゼンが必要とも思ったが、なんとかだましだまし下って行けた。下に降り立つと、渡渉用の橋が壊れて使えない状況になっていた。壊れた橋のすぐ下流に丁度いい飛び石があり、そこを伝って対岸へ行った。ここからしばらく川の左岸を歩いてゆく。すぐ高みに夏道らしき道が見えるが、そのまま雑木を除けながら進んで行った。途中から雪渓が見え出し、そこに乗るのだが、後が続かない。藪漕ぎのような場所になったり、とても歩き辛い。川の流れがあるので、おおよその現在地確認の目安があるから良いものの、無かったら精神的にも疲れ果てただろう。内蔵助出合の手前で完全に谷が雪に埋まった。この辺りは、川の下流に向かっているのに登り上げる感じで不思議であった。踏み抜きに注意しながら雪を拾ってゆく。するとあっけなく内蔵助出合に到着した。下の廊下に続く道も見えている。ここの高台には携帯電話の基地局の鉄塔が設置されていた。これには驚いた。
さてここからが難儀した。ルートの補助用にロープが垂らしてあるのだが、そこがどうにもルートらしくなく、すぐ下流の踏み跡を利用した。急斜面で腕で這い上がるのだが、上にあがったはいいが、その先が見えない。少し藪を漕ぎ雪の上に出る。適当にルートを選んでゆく。たまに夏道のマーキングが見えるものの、結構に高い場所にある。意固地に使わず我が道を行く。だんだんと空が空いてきて内蔵助平が近い。右下に轟音をたてながら黒部川の流れがある。次第にそれも雪の下になり。この辺りから内蔵助平の入り口となっていた。平といっても起伏は大きく、雪面は大きく波打っていた。目の前に立山方面のすばらしい山稜。この時期にここに来た人でないと味わえない景色であった。山頂ではないが360度のパノラマであった。このまま北を目指す。緩やかに高度を上げ、目の前の稜線が近くなる。この辺りから疲れが出てきた。水の補給回数と疲れはどうも比例するようである。水を飲みだしたら、疲れが出ている証拠になる。一番緩やかな斜面を選んだのだが、なかなかの勾配であった。
12:02ハシゴ谷乗越到着。テントの残骸のようなものが木に掛けてあり、多くのマーキングがあった。今までは何とか固い感触で歩けていたが、ここからツボ足になる。樹林帯の中の夏道も少し伝い、北側の雪を拾いながら急登を強いられる。硬いバーンの上に柔らかい雪である。滑らないはずが無い。あと樹木に降り積もった雪が溶けて、さながらに雨のようであった。それでもこの日は快晴に恵まれ、風も無く穏やかであった。Tシャツ1枚で丁度いい気候であった。何とか斜面を這い上がると、そこに黒部別山への稜線が続いていた。振り向けば剱岳も圧巻である。たまに雪崩れの轟音がしている。白い稜線を気持ちよく闊歩する。後立山もすばらしい。特に問題箇所は無く、黒部別山到着。連休中に入山したI氏のマーキングがひときわ目立つ。少し休憩し、そのまま先を急ぐ。雪庇に気を付けながら雪稜を拾ってゆく。
14:20北峰山頂到着。ナビではかなり手前を指していたが、最高点はそこから30mほど北に離れていた。雪のせいかもしれない。ここにはマーキングは皆無。山名を記してリボンを設置する。戻りは自分のトレースがあるので、幾分か楽である。15:08別山再び。行く先に南峰が見えているのだが、試練の山行になった。雪を拾ってゆけるものと楽に考えていたら。出だしから雪が崩れていて藪の稜線を辿る。最初の鞍部から先も安定したルートではなかった。大岩の下降で藪に突進。二つ目の大岩は、西側に逃げるも、これはリスキーな選択となった。もっと手前から下に下りてしまえば良かったのかもしれない。崖のようなところを這いずり回っていた格好になる。ここを過ぎると、稜線の薄い踏み跡を辿る。最後は北側の雪を登り上げる。登ったこのピークは一つ前のニセピークであった。先にそれらしいピークが見える。この先も西側にトラバースしながら進む。
16:56南峰山頂到着。分岐(ハシゴ谷乗越から登り上げた場所)から2時間もかかってしまった。これは予想外であった。今通ってきルートを思うと帰ることは辛い。もう一か八か西側斜面を下る事を決める。西側直下には雪が無く、そこを抜けると滑落の危険が伴う急斜面が続く。慎重に潅木に捕まりながら下る。一度滑れば100mほどは楽に行ってしまうだろう。案の定、1回滑ってドキッとした。下に行くほどに雪の状態を体が把握して上手に降りられるようになった。最後まで気を緩めず、17:47内蔵助平に降り立つ。お日様はもう見られず。夕闇迫る状況になった。南進し今度は丸山を目指す。どこから取付こうが思案したが、丸山に向かって一番右側の谷を使う事にした。それは歩きやすそうな九十九折の谷道に見えたからであった。だんだん登ってゆくに従い、下から見ていた状況と少し様子が違い、闇雲にそのまま稜線を目指す事にした。
もうこの頃になるとほとんど牛歩状態で、狭いピッチでコツコツとステップを切ってゆく。稜線に上がると南側が歩きやすく、ややトラバース気味に高度を上げてゆく。北側は雪庇があり、夜で危ない事もルート判断の中にあった。丸山山頂到着。円錐形の山らしく、どの方向に進んでも同じような傾斜で下に降りていた。黒部ダムと大観峰のロープウエー駅の明かりが見える。あまり刺激しないようにヘッドライトの照射範囲を気にする。腰を下ろして休憩していると、突然kumo氏がトランシーバーで呼んできた。内蔵助出合でルートミスをして、なおかつそこからも難儀したらしい。自分も歩いてきただけに、様子が全て理解できる。もうすぐ内蔵助平に到着するとの事で、交信後防寒具を着て急いで下山する。
下山は往路を少し辿り、適当に北側斜面を下って行った。下の方に行くと細かなデブリ状態で、でこぼことしてやや歩き辛い。平坦地になると、下が湿原なのか雪が溶け草地の出ているところもあった。内蔵助平の中に緑色のLEDを探す。これはkumo氏が常用している夜間用マーキングアイテムである。私が氏を発見しやすいようにと、周辺に点在させてくれたのであった。広い中から探すのは難儀であったが、ここで光るものは人工物しかない。闇夜の中に何とか発見し、久しぶりにkumo氏に逢う事ができた。氏は大きなビニール袋に入り寒さ除けをしていた。かなり寒いらしくぶるぶる震えていた。結構に疲労も重なっているのだろう。持ち上げた湯を分けてあげ、ウイスキーも一口やり、しばし星の下で談笑をする。こんな所でこんな時間に平気で話しているのは我々くらいなのだろう。1時間ほど経過しkumo氏はハシゴ谷乗越側の稜線へ、私は内蔵助出合へ下降する。
この暗い中、どれくらい歩けるか行き当たりばったりであった。記憶と地形図とナビとをフル活用しコース取りをして行く。総じて言える事はこの辺りは判りずらい。それでも0:04内蔵助出合に到着。ここまで来られれば、この先も何とかなりそうである。右往左往しながら雪を拾ってゆく。運が良いのか勘が良いのか、何とかルート上に乗っているようである。それには、時折あるkumo氏のトレースが少し辿れたからであった。氏は夏道を拾っていたようである。往路より時間はかかっているが、帰路のルート構成は安定していた。途中の岩屋でアイゼンをはずし夏道一辺倒で進む。少し霧雨が降ってきて、これがやがて本降りになった。もし途中でビバークでもしていたら、歩き出しは雨の中のスタートになる。続けて歩いてきている事は体を冷やさずに居られ、これはこれで選択は正解だったようである。黒部川の溯上は終始ロープウエーの明かりが見えていて、これも安心材料であった。2:30壊れた橋のところを渡渉し、あとは登りあげるだけである。この最後の上りがきつい。なかなか足が上がらず、何度も休む。それに加えてルートが見出せなくなり、最後の最後で右往左往する。そして3:15ダムの施設のドアを開けた。無事に生きて帰れてホッとした瞬間である。やや大げさだが、一つ間違えれば死に至る場面がいくつもあった。危険箇所の多さ分、感慨深くなるのであった。
駅の中には入れず、階段の最上部(駅への扉前)の踊り場でガスを焚いて暖をとる。残っていたパンで腹を満たし、少し横になり仮眠する。2時間ほどここに居たが、反対側の扉の方へ行ってみると、閉まっていると思っていたドアが開き中に入ることが出来た(駅の中にはまだ入れない)。気温は10度。さほど寒さを感じないのは、山を歩いてきたせいか。7:30までここで過ごし、開錠と一緒に中に入った。中はさすがに暖かい。ここに到着した時に、この暖かさの中に居られたら・・・。まー自分で身勝手に歩いてきたのだから不都合も自分の振り撒いたものである。
8:00バスで扇沢へ降りる。外は雨。後日kumo氏に話を聞くと、上はかなり酷い天候だったらしい。私も少し降られはしたが、良い時に歩けたようである。非力な私に天気は味方してくれたようであった。