将棊頭山 2730m 胸突ノ頭 2790m 茶臼山 2658m
2005.9.10
晴れ 単独 桂木場より 行動時間 :8H20M
@不明瞭な登山口 | A立ちはだかる堰堤 | A長い階段を通過。 | 長い橋が渡してある。 |
B橋から10分ほどで分岐標識がある。 | C望学台。学び舎を望む高台とは、美しいネーミングである。 | Dしらべ平。中央は作業小屋 | D登山道は標識に従い山手に上がってゆく。 |
D小屋の内部。 | D小屋前の水場。シンクもある。 | E胸突八丁分岐。 | F6合目。 |
G津島神社 | Gヒカリゴケが輝いている。 | H7合目 | I胸突の頭の標柱。最高点はこことは違う。 |
I標柱の場所から西駒を望む。 | J茶臼山への分岐。真っ直ぐが西駒。右が茶臼山へ。 | 途中から行者岩を望む。 | K胸突ノ頭から西駒側。 |
K胸突ノ頭から麦草岳。 | L行者岩頂部。 | M茶臼山山頂。 | M字の消えた標識。 |
M岩が点在する中に同化して三角点があった。 | M茶臼山から西側の雲海。 | M祠 | N西駒山荘。若い小屋番が居た。 |
O将棊頭山(西駒)。標識のある山頂。 | Oカールを望む。 | O行者岩側を望む。 | P2730m最高点から木曽駒側。 |
分水嶺 | しらべ平への下降点。右側に下る。真っ直ぐ行っても良いのかどうか。 | Qしらべ平のアンテナ施設。観測計のようでもあった。 | R百曲への入口(帰路側から撮影)百曲は右へ進む。 |
最後の堰堤の階段は、太ももに応える。 | S登山口。周囲が流されてしまっているので昔とは様子が変わっていると思われる。 | 堰堤の下流の様子。濁流で削られたのが見て取れる。 | 駐車可能な広見(左側)はほとんど流されてしまっていた。 |
家を1時に出発。杖突峠経由で伊那市に入る。間違えて駒ヶ根の方へ進んでしまったが、19号にぶつかったらそのまま直進すれば良いのであった。何度も進路を間違いながら現地に入る。小黒キャンプ場の前を通り、舗装路を突き進む。舗装はしてあるものの狭くすれ違いが怖い。そして行き着いた先は、石のゴロゴロした河原で、どうも駐車スペースは無いようである。それでも1台の軽四が良い場所に停まっていた。しょうがないので車道に戻り路肩に止め、少し仮眠を取った4:30。
4:45用意をしだす。辺りも白み始め5:03にスタートした。歩いて行くと大きな堰堤が目の前に見えてきた。やはりここの広見は濁流に飲み込まれて荒れてしまったようである。復旧などするのかどうか。堰堤の前で左側斜面に鋭角に登る道が付けられていた。どうやらここが登山口のようである。付近には特に道標らしいものは無い。少しややこしいところもあるが、ロープが張ってあるので安心である。そして目の前にドブ付け鍍金の階段が現れる。分岐になっており、適当に左に進んだが、右に行ったとしても同じ階段を登って越えてゆくようである。堰堤を越えると、今度は橋である。アカマツを3本並べ、なかなかハンドメイドらしさがある橋であった。全長30Mほどあり、そこを伝って対岸に渡る。少し進むと「信州大学演習林」と書かれた古い標識がある。ここを道なりに左に進む。帰りに確認したのだが、標識の前を進むと百曲がりを経由する事になる。
左側に沢の音を聞きながら歩いて行く。細かい枝道が切られているので注意しながら進んで行く。すると分岐に差し掛かった。そこには右手に望学台を書かれた白い標識と、分岐の中央に漫画入りで絵図があった。ここは右に進む。道は緩やかに作られ、山全体が教材の場所だと感じられる。道端に樹木の解説が書いた白いプレートがあるのだが、だんだん年月を重ねて朽ちてきていた。たくさん有ったが、全てが全て判読できるものではなかった。
6:17望学台に到着。なにか台地のような場所かと思ったら、樹木の茂った場所で、一部東側が開けたところであった。展望は生憎で、下界はガスの中であった。ここからは尾根歩きでなく、尾根の南側をトラバースするような道が続く。緩やかな道である。しばらくこのような道で、沢の音が近づいてくると、行き着いた先がしらべ平であった6:35。観測用のアンテナ設備(ソーラーバッテリー)、その横に小さな流しを設けた水場、そして3畳ほどの小屋があった。水は思いのほか少なく、ちょろちょろ流れているような状況であった。小屋の中を覗いて少し休憩。年間ここにどれだけに人が来るのやら。もっともここは避難小屋というよりは作業小屋の位置づけらしい。道は小屋の裏に続いているようでもあったが、道標に従い小屋に向かって右手の尾根に向かう。尾根に上がると道が右からも来ていた。と言うことは小屋に至るまでにどこかに尾根に上がる道があったと言うことになるが、何処だか判らない。しいて言えば望学台の場所からだろうか。まーこのくらいの距離ならどちらでも良いことだ。尾根を進むと二人のハイカーとすれ違った。ヘルメットを持って居たのだが、何処を歩いてきたのか。小奇麗な格好をしていたので激しいクライムをしてきたのではないらしい。さてここを登りあげると胸突八丁であった7:06。ここまでで歩き出しから2時間。ここで本来の西駒登山道に乗る。
すぐに6合目の大きな標柱。次に弘法石、島津神社と続く。島津神社は社などがあるわけでなく岩の祠といった感じである。穴を覗くと中にヒカリゴケが見える。久しぶりに見たヒカリゴケである。ここからひと登りで7合目。そして胸突の頭に到着する8:22。頭と言っても山頂で無く、山腹の通過点である。そのまま進んで行くと、何も標識の無い道が右に一つあり、その先に行者岩への道があった。そこに入る。登山道を逸れてほんの少しの登りで胸突ノ頭最高点に着く。目の前に行者岩の白い奇岩が見え、すばらしい展望である。登山道に戻りハイマツの中に切られた道を進んでゆく。行者岩の所は西側を通過する。山頂への道は特に無く、岩に登るのは難しそうであった。基部には「行者岩 分水嶺」と書かれた木の標識があった。行者岩から茶臼山までは5分ほどであった。茶臼山の山頂には木の社があり、痛々しく針金で固定してあった8:53。北側に道が下りていたが、これは大棚入山の方向へ行っているのか。そういえばこの山も新ルートが切られたようであるが、目の前の道はそれなのか。山名を表す標識はだいぶ朽ちていた。9:08戻る。
分岐9:31。この先の分水嶺の標柱の所から西駒山荘に行く道と、将棊頭山に行く道と判れる。茶臼山で無線で繋がった人の託を頼まれ、それを伝えに最初に小屋に向かう。道は究めて明瞭で、すぐに山荘に到着した9:55。小屋の中に入り声をかけると、カーテンの向こうから若い男が出てきた。そして託を告げ小屋を後にした。この後の進路が今ひとつ判らず、権現づるねの方へ行ってしまいそうになった。馬の背の道案内の方向へ進む。途中で、天水岩を示す分岐があるのだが、真っ直ぐ進んだ。振り返り、右後を見ると高みが見える。さては先ほどの分岐を行くのか。と戻り、ハイマツの中を分けながら進む。ハイマツを過ぎれば、そこはヘリの荷降ろし場所であった。山頂を見ると中年夫妻が居た。入れ違いになるように山頂に立つ10:12。山頂標識には、この一帯が、将棊頭山なのだと書いてあった。でも下界から見えるピークは、ここから東に見えるピークだと言う事である。東だと登山道上の将棊の頭となるか。外気温は20度、ほどほどに風があり木曽駒本峰の方も綺麗に見えている。ロープウェーの方の千畳敷カールも凄いが、こちら側のカールもなかなかであった。先ほどの道を戻り、最高峰に向かう。山腹を登山道が通り少しだけハイマツを漕ぐ。ハイマツからはヤニが出ていて、手がヤニだらけとなった。最高点到着10:38。少し腰を下ろして雨具のズボンを脱ぐ。今回は、雨具は要らなかったかも知れない。儀式をのんびりと楽しみ、メンチカツパンをかじり腹を満たす。そして下山11:08。
下山も往路と同じ道を辿る。小屋の下には水場があり、冷たい水が出ていた。しかし上にはトイレ。どうにも口に入れることは出来なかった。手だけぬぐって後にする。途中足がもつれて、スパッツを引っ掛けてしまう。左足の膝を強打し裂傷。分水嶺11:33。胸突ノ頭11:39。再び足がもつれそうになった。どうもスパッツがいけないのか。津島神社を過ぎて、帰りに弘法石を確認した。往路ではそれらしいものがあるなとは判っていたが、正確に確認はしていなかった。快調に下り胸突八丁12:18。しらべ平12:31。今回はCVPの記述を参考にしていたので、御仁のコースタイムを気にしながら歩いた。少し遅れているもののほぼ同タイムである。望学台からは百曲の方へ進んでみた。ここは名の通り細かい九十九折が繰り返される。道として歩きやすいのは水無坂の方であろう。百曲りの方は、少し明瞭ではない部分もある。途中に長いヤマカカシが2匹居た。日向ぼっこの最中のようであったが、人間を察知した時のその動きの素早さに怖さが増す。そして降りた先は、あの演習林の看板の所であった。往路では全く気がつかなかった。そもそも標識が無いのであるからしょうがないだろう。
小黒川を木橋で渡り、右岸から堰堤を越えて河原に降りる。下山完了13:23。
水無坂ルートの軌跡がうまく取れませんでした。往路の赤破線が百曲りを通っていますが、ご了承願います。