摺古木山 2169m 白ビソ山 2265m 安平路山 2363m 小茂吉沢ノ頭 2260m
浦川山 2259m 袴越山 2239m 前安平路山 2230m
2006.07.15〜16(土日)
15日 晴れのち曇り 単独 安平路避難小屋泊 行動時間:13H32M
16日 雨 アザミ岳途中敗退 行動時間:4H54M
@通行止めの表示の所からスタート。 | A林道終点の休憩舎。 | B摺古木山 | B摺古木山の御料局の三角点 |
C白ビソ山 樹林の中の通過点。 | D安平路小屋 | D強固なログ造り。中は暖かい。 | 小屋の付近から南アルプスを望む。 |
E安平路山 | E安平路山三角点 | F小茂吉沢ノ頭。だらっとしたピーク。標識は無い。 | G浦川山。踏み跡は、この標識とは少し距離があるところを通っていた。 |
H松川乗越の少し手前から袴越側を見る。 | I袴越山 ろくな写真が残っていない。 | 帰り、安平路小屋直前から安平路山。ガスが濃くなり、これより天気は一気に崩れる。 |
J小屋発。かなりの降り。
K白ビソ山通過
L摺古木山通過
M摺古木山避難(作業)小屋。扉は開けられず使用不能。
M避難小屋の前の標識。往時の賑わいの名残。
雨に濡れ、鮮やかな赤が目に入り撮影(最終到達地点付近)
N再び避難(作業)小屋に。小屋のまん前に朽ちた標識が立っている。
登山道は川になっている。
登山道途中の沢の様子。靴は水没しないと渡れなかった。
O1キロと1.9キロの分岐。
P林道終点。休憩舎の中には猛者たちの宴の後の空き瓶が・・・。
Q通行止め表示と駐車風景
前夜20:30出発。睡眠無しで動き出したが、今回はあまり睡魔に襲われずに済んだ。もしかしたら中途半端に寝るのが良くないのかもしれない。いつものように八ヶ岳高原道路を通り、杖立峠を越え、高遠に出る。伊那から153号線で南下。今回はナビが無い(修理中)ので、地図だけが頼みであった。久々に地図だけで道を見つける作業をしながら、だいぶ勘が鈍っている事を如実に感じる。文明の利器は潜在能力を衰退させるようである。飯田市に入り、8号線に繋がる道を探す。適当に進み、近くのコンビニで場所を尋ねと、まんざら間違っていないようだ。駅前を過ぎ、適当に曲がったら、そこが8号線であった。道なりに進むと道幅が狭くなり、だんだんそれらしくなる。雨の中、延々と林道を辿る。途中飯田峠の標柱があるも、ここまでで十分なくらいに長い、さらに行くと大平高原の大平の集落がある。本当はこの地区内に林道入口があるのだが、見落として、さらに大平峠の方へ進んでしまった。途中で気がつき引き返す。集落の空き地ではキャンプをしている人も居て、テント内に人影も見えた。まだ宴会中のようである。
林道の入口は見落としやすく、表示もあまり大きく書かれていない。笹に隠れていて標識が見えないようになっていたが、見つけ難かったのは夜のせいもあるだろう。ここを入って行くと舗装された道の両側から雑草や雑木が道に覆いかぶさり、ガサゴソと擦りながら上がってゆく。したたか走り2:45通行止めのバリケード前に駐車した。既に三河ナンバーの車が1台停まっており、車内灯が点いていた。車の置き場所を検討していると時間が刻々と過ぎ、2:50やっと路肩に止めた。仮眠をしようと横になる。するとその横を一人の登山者が通り過ぎドキッとする。先ほどの人らしかった。こうなると仮眠をしていられなくなった。がんばって歩いて行く人が居るのに寝ている場合でないという感じである。
すぐに仕度をしスタート。 ヘッドライトでも暗いというのに、先を行った人は無灯火であった。自分よりは20分早く出ているので追いつかないのだろうと思いつつ、やや早足で追ってゆく。道の様子は、乗用車でも問題なく通行できる道幅であったが、時折左の崖から大きな岩が落ちていて、通ったとしても不安が残る事になる。とりあえず車の置き場所はあの場所で正解なのだろう。この先もたいして掘れた路面も無く、普通に上まで伸びていた。途中、先に出た方が道端で休憩をしていた。傍に寄るなり、自書の購入催促をして来た。色んな経験はあるものの、この類の本を持って登山している人など初めてであった。話すとなかなか良い人で、名前はK.Mさんと言った。足も速く、同じスピードで後から付いてきた。という自分は幕営装備(テントまで持っていた)の重荷に齷齪していたのである。Kさんは日帰り装備であった。
道の脇に木造の小屋が見えた。休憩舎かと思い写真を撮るも、それはトイレだった。もう少し先で林道は行き止まりになっていた。今度は正真正銘の林業作業用の小屋があった。ここで少しだけ休憩をする。歩き出すと、そのまま露払い役になり、濡れた笹葉により、一瞬にしてずぶ濡れになった。防水が不完全なのか、浸水し靴の中が冷たい。道はかなり緩やかに作られていた。後ろを歩くKさんと話しながら行くのだが、肺活量の少ない私は息が切れる。“これは先々に影響があるかも”なんて思いつつ歩く。分岐があり、摺古木山まで1.0キロと1.9キロのルートがここから始まる。当然のように短い方を選んで進む。短いという事は急だという事で、確かに急峻の登りとなった。Kさんに後から突き上げられている感じもするが、自分としてはさほどハイペースでもなく、まーこのままでもいいかと思うくらいのスピードであった。話を聞くとKさんはガイドをしているらしい。浅黒く焼けているのは、日々山に入っているからだろう。
摺古木山山頂到着。1等三角点が鎮座していた。大きな大きな基石がそこにあった。予報に反して天気が良く遠望が楽しめる。ガスが少しかかってはいるものの周囲の山の姿がしっかり見える。しかし、樹木があり、よく見えるという感じでなく、ある角度にだけ視界が開けているといった感じであった。かなりシャリばて気味だったので、持ち上げたいなり寿司とパンを食べる。Kさんは、ペミカンなのか、コッヘルに焼きそばを硬く詰めたものをビニールで包んで持ち上げていた。汁気は大丈夫なのだろうか。次のピークでも同じ物を出したので、いくつか用意してきたのだろう。新しい行動食を見た感じであった。ここまではづっとKさんと同行していたが、一人摺古木山を出発するする。この先は、登山道は笹に覆われ、判りずらい所が多い。刈り払いの丁度良い年に当ればいいが、今回は外れらしい。摺り足で足を運び段差を確認するような感じであった。
エアリアのコースタイム通りに1時間を要し白ビソ山に着く。ここも全くの樹林帯の中で視界はゼロ。3分くらいの休憩で先を急ぐ。この先もこれまでと変わらないような、笹の道である。だいぶ日光の関係で笹の葉の露は蒸発してきていた。軽いアップダウンを繰り返しながら、うねるように稜線を進み安平路小屋到着。ここは素晴らしいログハウスであった。引き戸で中に入ると土間があり、その奥に板の間があり、15名ほどが泊まれるようになっていた。これほどにいい小屋は珍しい。ここに泊まらない手は無い。どんな状況になるか判らないのでテントを持ち上げて来たのだが、どうも無用のようであった。水筒(2ℓ)とビールだけをデポして安平路山を目指す。
登山道から水の流れが聞こえてくる。すると水場の標識があった。帰りに寄ることにして先を急ぐ。この辺りは樹林帯の中にマーキングが無数に見えるが、迷いやすい場所なのか? 踏み跡はしっかりしているので迷う事は無い。しかし、高度を上げるごとに勾配がきつくなる。そして薄くらい樹林の中を行くと安平路山頂に着いた。ここもまた視界の無いピークで、全てが樹林に覆われてしまっていた。だだ山頂の上のみ空が開けていて明るい場所となっていた。暫し休憩するのだが、ブユが多くのんびりとはしていられない。全身に虫除けを噴霧して袴越山に向けて歩き出す。最初方向を見誤り、やや北の方へ進んでしまった。赤やオレンジのテープに従うのが本当のようである。踏み跡はあるような無いような、はっきりとはしない。適当に探るように進む。これまでスムースに登山道を来たので、この笹の抵抗が非常に辛い。すぐに両腕が痛くなった。それでも行くしかなく、我慢の歩行を続ける。おかげさまで天気には恵まれ、視界があったのが何よりだった。
大きく急降下する。途中に掘れた跡のようなところがあるが、水の流れで出来たのか、人工的な道なのか判らない。最初の鞍部から数えて二つ目のピークが小茂吉沢ノ頭であった。何も標識は無い。ここから再び高度を下げる。笹を踏み分けながら、足元の良い所を探す。笹の粉なのか、残雪時の汚れなのか、それらが舞って鼻が痒くなる。そして浦川山到着。ここは広い笹原で、文字の読み取れない標識が立っている。さてここまでは良いとする。ここから袴越までエアリアでは140分である。往復を考えると、かなりリスクを伴う。とは言えここで引き返すのも勿体無いので突き進む事にする。
歩き出すとこれまでより笹の植生が強い感じもした。おそらく体力の消耗がそう感じさせているのだろう。既にこの時点で7時間歩いているのである。小屋で2.5キロくらいは減量になったが、疲れと共にそう変らない状態になった。仕方なく根性で突き進む。向かう袴越山もだんだん近くに見えてきている。松川乗越まで来るとこの先の笹原の斜面が草原に見えた。コツコツと足を進め、両腕は平泳ぎを続ける。時に笹を掴んで持ち上げ、なるべく下を向き黙々と高度を上げる。しかし思った以上に足が上がった。ここの稜線は下りより登りの方が判り易いのかもしれない。登りの方が踏み跡を見やすい視覚的な部分が速さに影響しているのかも・・・。
そして袴越山山頂。振り返り木々の間から安平路側を見ると、既ににガスが掛かりだしていた。この先には奥念丈があり、懐かしい幕営場所である。あの時、ここまで降りようか迷ったのだが、結局今日日まで踏む事は出来なかった。儀式を手早く済ませ、栄養ドリンクを1本空け、すぐに下山となる。ついさっき通っているのだが、全てがリセットされた状態で待ち構えられていた。笹原の遠泳にかなり腕が筋肉痛気味であった。ただ、栄養ドリンクのカフェインによる覚醒作用か、少し身体は軽い。良いのか悪いのか、それほどに効果があるという事は、怖い事なのではと思うのであった。浦川山を通過して、小茂吉沢ノ頭も前屈みで通過する。荷が肩に食い込んで重く、そろそろ限界というところで安平路山まで戻った。
時計はまだ2時台。小屋はすぐそこにあり、もうひとがんばり出来る時間である。付近は完全にガスが掛かってしまった。それでも前安平路側には大西沢ルートが通っていたのであるから、踏める可能性は十分ある。問題は荷だけだからここにデポする事で、突入決行となった。背が軽くなる事で、今までの疲労が嘘のようであった。薄っすらと道形はあるが、これまでの主稜線と大差は無い感じであった。歩いてゆくと下の方はガスが切れ少し辺りが見える。なにか見覚えのある感じに思えたのは奥念丈からの尾根と平行しているので、景色の広がりが同じに見えたせいかもしれない。安平路より120mほどの高度差を50分ほどで下った。鞍部から少し登って前安平路山頂である。この先にもう一つピークが見えるが、ここが山頂である事が判ると、ほんの少しの距離でもそのピークが遠く思えた。大休止をして来た尾根を戻る。この時まで気が付かなかったのだが、ふと我に返ると夏だと言うのに周囲から蝉の声がしていなかった。不思議に思いつつコツコツと足を持ち上げる。途中恥ずかしいが脹脛が攣ってしまった。そろそろ限界であった。水休憩を入れながら騙し騙し上がってゆく。下山口が遠いわけでなく、今日の宿はもう近いのであった。
安平路山まで戻ると、登山道の有難さを身に沁みて感じる。帰りに水場に寄り、給水と汗を落とす。既に天候が悪くなりだし、辺りがかなり暗くなっていた。小屋に到着し、ビールを煽りながら地図を眺める。さて明日はいかに・・・。ビールだけでは物足らず?持ち上げた日本酒をチビチビやりながら山小屋の雰囲気を味わう。外は寒いが、太いログが断熱効果を成し中は暖かい。私の他にも泊まりは4人居た。話を聞いていても自慢話ばかりでつまらず、寡黙に静かにしていた。向こうも私の事を偏屈者に見ていた事だろう。明日の予定だけお互いに連絡し合い、シュラフに潜り込む。そしてこの辺りで本日のゲームセット。
2日目は深夜に出かければいいくらいに思って居たが、深夜も雨。30分おき位に外をチェックしながら居たが、結局白み始めるくらいに起床。御開帳してあった装備をザックに詰め込み、4:48出発。雨具はすぐにビチョビチョになった。昨日歩いた道を再び踏みしめるように歩く。アルコールと疲れで筋肉が硬くなっている感じがする。なかなか調子が出ない。ひと汗かくと違うのだろうが・・・。濡れ鼠状態で自然と戯れる。今日の白ビソ山は、雨の中の薄暗いピークであった。少し喉を潤す。酒を飲むといつも喉が渇く。良くないとは判っているものの人間が弱いので止められない。疲れていると距離が長く感じる。この時もそうだった。視界はそう悪くないのだが、目的の山が見えてこない。見える山ほど遠いのだが、見えないのも困る。
摺古木山通過。往路とは違う方向に進む。こちらの方が0.9キロ長いので、その分なだらかなはずである。歩いてみてその通りな感じであった。途中に展望所的な、飛び出した岩部もあったが、この日の天気では無用の長物であった。そのまま登山道を下って行く。なだらかな草原のような気持ちの良い場所も途中にある。摺古木山展望所に到着し、さてここからが本日の予定のアザミ岳であるが、この雨の強さでは下った方が正解。でも、ここまで来たのなら調査の為にも行ってみる事も次に繋げる為にも重要である。少し進んでみる。最初、踏み跡があるので、これはと思ったが、次第に薄らいでいった。しかしながら道はあったようだ。しっかり掘られた跡もあるのであった。
次の高点から地図を見ながら行き先を探る。尾根上を進むと、目の前に小さな小屋が現れた。少し不気味な小屋で、小屋の鍵はタイガーロープで結ばれて、入れないようになっていた。昔の林業作業の小屋というより、登山の為の小屋のようであった。小屋の前には昔の標識が残り、まだ判読可能な文字もあった。30年代の登山ブームの遺産なのか。そんな事を思いながら見ていた。尾根に従い進路を曲げる。笹が雨に濡れて非常に滑る。少し勾配のきつい所を降り、少し行くと右手が崩れ落ちたガレた場所に出た。少し草つきの場所は歩きやすく、選んで行くが、ほんの20mほどで再び笹の原と変わった。足がもつれて転びそうになる。そろそろ限界がきていることを悟る。あとはどこで引き返すかである。ちょうど展望所から半分くらい来ていた。これならば雨天を避ければ雪の無い時にもう一度やれるような気がするが、雪があれば言うことは無いだろう。後は林道の問題になるが、どういう選択が良いだろうか。途中の大岩のところに松が生えていて、そこをこの日の最終到達地点とした。まー珍しく敗退だが、良しとしよう。
無人小屋まで戻ればこの先は歩きやすくなっている。それに乗じて気を抜いたわけではないのだが少し左に逸れたらしく、修正して戻ろうとすると、なにやら人の姿が・・・。小屋に居たパーティーかと思い、急いで藪から出て行くと別のパーティーで、昨晩は下の休憩舎で宴会をしたそうな。とても賑やかで楽しそうなパーティーであった。彼らと別れ、いざ下りだす。登山道が川のようになり、靴も完全に浸水している。転ばないように注意しながら足を前に出す。小さな水場的小川も大きな流れとなって、渡るのを拒むかのような勢いであった。靴が水没していなかったら躊躇するような場面であった。
大回りルートと近道ルートの分岐。情報によるとこの付近に小屋があったそうだが未確認であった。この先は、意外と長く、こんなに歩いたかと思うほどの距離があった。雨は小雨になり、雨具もフロントジッパーを開けて歩くくらいになった。休憩舎に到着し中に入ると、先ほどのパーティーの荷物がデポしてあった。驚く事にそのほとんどが酒類であり、恰もそこはカクテルバーの様相であった。水分補給をし残ったパンを食べ、林道を下りだす。途中、安平路小屋に居たパーティーに追いつくと、彼らは楽しそうに山菜を採りながら下っていた。桶小屋沢橋を渡ると数分で車に到着した。これで今回の行脚も終わった。久しぶりの一泊山行は、雨に濡れた行軍であった。
林道を下り、町に出ると砂払温泉があるのだが、時間が10:45であった。オープンが11:00となっていたので、そのまま松川温泉まで行って汗を落とした。400円。雨の山行によりデジカメが内部に湿気が溜まり大変な事になったが、何とかドライヤーで乾かして難を避けられた。風呂から上がり、下道をひた走り、高遠の街中で蕎麦屋を探す。メイン通りの店は客でいっぱいで、他に無いかと探していたら「兜庵」と言う看板が目に付いた。その目印に誘われて行って見る。そこは普通の住宅の店で、居間に通されて食べるのであった。メニューも少なく、そのために職人としての真髄を感じられた。そばを待つまでにこうや豆腐の煮つけなどが出てきて美味しく食べられた。さてそばは田舎そば風の黒いそば。甘みがあり美味しかった。ただ汁の味が今ひとつのような・・・。微妙な所であった。あとは来た道を辿るように戻り、家には17:00到着。洗濯、洗車、片付けをして今回の旅も終わった。