中岳 3083m   前岳  3068m   井戸沢ノ頭  2590m  板屋岳  2646m

大日影山  2573m  小河内岳  2802m  前小河内岳  2784m  烏帽子岳  2726m

2006.08.12(土)   


  曇り時々晴れ(15時から雷雨)  単独  中岳避難小屋→山伏峠  行動時間:10H20M


@中岳避難小屋3:31→(3M)→A中岳3:34〜36→(10M)→B前岳3:46〜49→(83M)→・井戸沢ノ頭取付き5:12→(30M →C井戸沢ノ頭5:42〜45→(26M)→・登山道に戻る6:11→(16M)→D水場6:27→(25M)→E高山裏避難小屋6:52→(11M)→F板屋岳8:03〜06→(55M)→G大日影山9:01〜06→(102M)→H小河内岳10:48〜11:08→(49M)→I前小河内岳11:57〜59→( 27M)→J烏帽子岳12:26〜45→(47M)→K三伏沢水場13:32〜40→(9M)→L三伏峠13:49


nakadakekoya.jpg  nakadake.jpg  maetake.jpg  idozawa.jpg 
@中岳避難小屋を出る。 A中岳。墓石に見えるのは私だけか。 B前岳 C井戸沢ノ頭から荒川岳方面を望む。
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C何もなかったので最高点にリボンを結ぶ。 D水場。小屋の水場は遠いので、小屋番もここに酌みに来ているようであった。 E高山裏避難小屋。誰も居らず閑散としていた。 F板屋岳。最高点は撮影側に少し登る。
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途中から小日影山(左)と大日影山(右) G大日影山山頂。以前はkumoがあったようだが、既に無く。 H小河内岳 H小河内岳から塩見岳方面遠望。
kogouchikoya.jpg maekogouchikatakogouchi.jpg  eboshi.jpg  eboshikarasanpukutouge.jpg 
小河内小屋。現中岳小屋のY氏が、以前はここの小屋番であった。 I前小河内岳から小河内岳遠望。 J烏帽子岳 烏帽子岳から三伏峠方面を見る。
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烏帽子岳のケルン越しに小河内岳。 ホシガラス。かなり近いところに居たので撮影。 K三伏沢水場。ポンプアップしている。高山裏もこのようにすればいいのに。 L三伏峠

  

 朝は約束通りに3時に起きる。すると律儀にも小屋番のYさんも起きて来た。そして生ハムと豆腐を頂いた。お礼にバッジを買って、小屋を後にした。御仁は深々と頭を下げてくれた。とても清々しい出合であった。

 すぐに中岳であった。ガスが濃く、暗さと相成って進路が不安になる。少し下り左に聖岳への分岐を見て程なくして前岳であった。崩落が進んでいるらしくタイガーロープが南側に張られていた。さてここから本格的な下りが始まる。この辺りはヘッドライトに照らされて道が見えてくる。最初は急峻の岩稜の中の道、少し高度を落とすと、道を隠すように植生が多くなる。利用者は多いのだろうが、寂しい道であった。夜が白み始め、ヘッドランプも不要になる頃、少し傾斜も緩やかになる。いつになったら小屋が出てくるのかと、イライラするようなルートであった。

 地図を見ながら左の尾根を気にする。井戸沢ノ頭への取り付き点を見ているのであった。途中、稜線に一番近いところで、“ここだ”と思い、ザックをデポして駆け上がる。すると杣道のような獣道のような踏み跡が続いていた。それに乗るように尾根に沿うように向かってゆく。途中、キャンプに適当な広い草地の場所もある。水場も近いので、十分使える場所である。大崩落地を左に見ながら痩せ尾根を経て井戸沢ノ頭に到着。半分崩落したピークであった。振り返ると降りてきた前岳が良く見える。細いカンバの木が最高部に生えており、そこにリボンを縛った。儀式もスムースにパンをかじりながら来た道を戻る。

 デポ地に戻り登山道を少し行くと5人のパーティーに行き会った。小屋が近いと見た。さらに少し進むと水場があった。ここの水はとても美味しい。冷たく、喉にいがらっぽさが残らない感じのいい水であった。顔を洗い汗を流した。水場でリフレッシュして意気揚々と行くとテント場が現れた。もう小屋が近いようだ。高山を狙うべく地図を見ていたら、言葉の汚い男が声をかけてきた。どうも高山裏の小屋番らしい。高山を狙っている事を伝えると、高山へ行くのはここからはヨセと言う。理由は判らない。“じゃーこの後、小日影山に行くのだが・・・”と言うと、小屋番は口ごもり、遭難事故の話をしだした。私は、小屋番が話すより先に小日影山の全ての遭難事故の詳細を話してやった。小屋番は、また黙ってしまった。ツッケンドンな小屋番に、ここで突っ込む気力も失せ、登山道上を歩いた。小屋番は水を汲みに行くようであった。小屋番が下の水場に行かないのだから、よほどきつい場所にあるのだろう。

 高山裏小屋到着6:52。中はガランとしていた。間違いなく先ほどのは小屋主だろう。料金表を見ると、小屋に古さとは相反して、何でも揃っているらしかった。経営が東海フォレストだからだろう。雨具を脱ぎ、登山道を行くが、すぐに雨具を脱いだ事を後悔した。両側からかなりの露をズボンに浴び、びしょ濡れであった。これまでとは歩く方向が90度変わり北に向かう事になった。少し新鮮な感じでもある。時折塩見岳が見えて目標が出来る感じであった。黄色い高山植物が多く、目に鮮やかであった。8:03板屋岳到着。通過点のようなピークで、最高部は標識の向かい側であった。今ひとつ登頂した感慨は無い。この辺りから急に雨が強くなった。最初は傘で対応していたが、それも儘ならなくなり雨具を着込んだ。こんなことなら脱がなければ良かった事になる。雨により各所が滑りやすくなった。木の根に乗って転ぶ事数回。


 大日影山は登山道はピークを通らない。行き過ぎてしまい、少し戻って植生の少ない斜面を駆け上がる。上部は二重山稜にのようになっており、大きな深みが中央に出来ていた。9:01大日影山山頂。踏み跡はあるが、ハイマツもはびこっていて居心地は悪い。さらには展望も無い。小日影山へのルートがここから見えれば良かったのだが・・・。それでもゴミなどがあったので狙う人は多いようであった。この雨では岩場の危険度が高く小日影も断念し先に進む。足を進めるに従い雨は次第に弱くなり、お日様で乾いた頃に雨具の上着を脱いだ。この稜線からの蝙蝠や塩見の展望は素晴らしい。小河内岳の登りはなかなかきつかった。偽ピークと言えようピークが連続し、段階的に空が開けるために心理的に疲れた。要するに山頂が遠かったのである。

 10:48小河内岳到着。360度の展望がある。完全に快晴になったので、雨具のズボンも脱いで地面に干していた。そよそよと風が吹き気持ちがいい。すると三伏方面から12名ほどのパーティーが上がってきた。そして山頂標識の周りを取り囲んだ。中高年のやることである。そこに何を見出しているのか。山頂を踏んで、嬉しい気持ちは判るのだが、占有物でなく共有物じゃないのか、少し離れれば良いのに・・・。何も口をきかずに数分を過ごし、11:08下る。小河内岳避難小屋にも立ち寄って見たかったが、少し足を向けて、180度反転した。

 もうここからは三伏峠のテントが見えていた。西側の斜面はそこまでえぐられたようにガレているのが見える。その稜線上に道が付いている。もうここまでくれば今日のフィナーレである。でも常に地図を見ながら先を狙っていた。塩見方面にまで行ってしまい幕営出来ないものかと・・・。体力と天気と勘とが相成って行動が決まるのだが、常に前向きに計画をしていた。前小河内岳は、三角点で無く「山」の石柱があった11:57。もう三伏峠は近い。あとはどんどん高度を下げて行くばかり。その前に烏帽子岳が最後にあるのだが、歩きながらも今回の山行の全体的な日程と時間配分を考えた。“別に今日がんばらなくとも良いか”結局行き着く先は楽な方。烏帽子岳山頂の岩に腰を下ろし長い休憩する。

 さて下りだす。この付近はホシガラスが多い。中岳避難小屋のYさんが言っていた通りだった。人懐こく、なにか話しかけてきているようであった。こちらも話しかけると、目の前でゴソッと人の気配がした。これから小河内小屋まで行くらしい。コースタイムを聞いてきたので、“小河内岳までここから2時間は掛かるだろう”と、ぼんやりと伝える。この先で、稜線上の道は荒廃して居るらしく封鎖され、新しい道が付けられており、三伏小屋の水場方へ道は下りている。そのまま降りて水の確保へ行く。小さな小屋があり、そこにポンプが置いてあった。黄色い大きなタンクもあり、沢の際でありながらも下から汲みあげて居るようであった。従い水はあまり冷たくない。そして美味しさも・・・。続々と上から汲みに来ていた。ここしかないのなら当然だろう。

 来た道を戻り、少し行くとなんだか賑やかになってきた。遠くから見えたテントが目の前にある。テント場は大賑わいであった。休憩も兼ねて、小屋の前のブルーシートの下に入りボーッとしていた。すると急に夕立(少し早い)が来た。と共に雷が近くなってきた。そして三伏小屋の上に雷雲がきて凄い事になってきた。この状態ではテント泊など出来ない。悩むことなく5000円を払い素泊まりを決めた。アルバイトに一階の奥の方へ指示され、そこはなんとも広いスペースにゆったりと布団が並べてあった。次第に雷は凄まじい状況になり、小屋の電源もどこかでイカレタ様で停電になった(イカレタのは過去1回しか無かったそうな)。登山者はずぶ濡れになりながら小屋に辿り着き、恐怖を語っていた。確かにごもっともな状況であったのだった。それより、烏帽子の下降時にすれ違ったあの人はどうしているだろうか、などと少し気になる。逃げる場所の無い稜線であり、小河内小屋に着いているか否かの時間帯での雷であった。腹が減ったので、外のブルーシートのところで調理をしようとした(小屋の中では禁止により)が、雨宿りの人でいっぱいであった。小屋の中に戻り雨のやむのを待つ。

 15:00やっと雨が上がると、今度は打って変っての快晴になった。これこそ山の天気である。外に出て調理をして腹を満たす。そして明日に控えて装備を固め、17:00早々に布団に包まって寝てしまう。ここの布団は各人に毛布3枚とマットレスが付いた。5000円の理由も判る。寝てしまうのは訳があった。

 
これは書くべきかどうか悩むのだが、自分にとっての戒めの為、反面教師としても書いておこう。雷に遭って塩見から戻って来たのは、東京の某有名登山会の人たちであった。本人らはビショビショの衣服を乾かす為に南側の窓を全て開け干しだした。まー状況からしてしょうがないかとは思った。だが、既に停滞モードに入っている私らは寒くてしょうがない。温情で2時間は我慢した。しかし彼(彼女)ら一向にその状態を変えようとせず、最後は賑やかに食事をしだした。我慢ならず、"寒くてしょうがないのですが”と伝えると、すぐに謝りを入れてきた。ここら辺は個人的な部分より、会の名前が後ろにあるからだろう。総勢25名ほど居たが、私が声にするまで、他の客を気遣うメンバーは一人も居なかったのである。後日ネットでこの山行のメンバーを確認したところ、これまた驚いた。そこに参加していたのは全てリーダー格のメンバーだったのである。いやはや・・・。と言う事で部屋の中が寒くて布団に包まったのであった。
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