桑ノ木山  256m     
   
2006.5.3(水)   


  曇り(小雨)   単独     行動時間:11M



東京から母島まで(小笠原海運ならびに伊豆諸島開発発表とは微妙に誤差はあります)

@竹芝桟橋10:00→(24H30M)→A父島二見港10:30〜13:30→(2H10M)→B母島沖港15:40


・散策道入口16:28→(5M)→・桑の木山16:33〜34→()→・散策道入口16:39(参考になる画像が一枚もありません悪しからず)

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@竹芝桟橋停泊中のおがさわら丸。 レインボーブリッジ通過 A父島二見港到着。予定より少し早くに到着。生憎の小雨。 二見港着岸中。山々はガスに覆われている。
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海岸の様子。生憎どんよりと曇っている。 海洋センターのアオウミガメ 父島内の燃料の価格。母島はさらに高い。 北原白秋
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気象庁 父島観測所 二見港より、ははじま丸乗船。 母島沖港入港。こちらもどんよりしている。 「ビラこぶの木」。島内一の山屋のペンション。島内の測量にはここの主人がほとんど立ち会っている。右に居るは名物女将。
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北村港。既に廃村になり民家は無いが、一昔前は賑やかな港だったそうだ。 北村港 名残の桟橋 北村小学校跡地。完全に熱帯樹林に取り込まれ同化している。校門や校舎の基礎くらいしか残っていない。 六指地蔵防空高角砲台の入口。車の駐車スペースは路肩。
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10年式12cm高角砲。それなりに朽ちてはいるが、見事な形で残っている。 このエリアには3機の砲があった。     

 
 待ちに待った小笠原旅行。どんなハプニングもあるかも知れないが、そこら辺はご愛嬌。さて出発となる。


 小雨の中、某超区間距離高額のローカル線に乗り込む。平日であり通学の学生が多く、その中遊びに行くのは忍びない感じもした。高崎に着き、久しぶりに見る駅の様子が違っているので驚いた。信越線とのプラットホームはフェンスが張られ分離されていたのである。階段を上がると改札があり、その付近も一新されて昔のイメージで歩いてゆくと違和感があった。


 券売機でチケットを買うのだが、慣れないので間違いえてグリーン車の指定席を買ってしまった。あっという間に東京に到着し、山手線にて浜松町まで行く。そして北口から外に出て、竹芝桟橋まで歩く、ここでも通勤の波の中で遊びに行くのは我々二人だけのような感じであった。歩く事10分。正面にターミナルが見え、ゾロゾロと中に人が入って行く、中で手続きをすると、番号は320番であった。そして、乗船のための順番待ちをするために、番号順に並ぶ。300番台は遅いほうであった。船は既に港にあり、荷物の積み込みをしていた。多くの期待に満ちた観光客が周囲に並んでいた。


 9:13乗船開始。入り口で配られた指定番号の場所へ行く。そしてすぐにデッキに出るが、小雨。少し我慢をしながら出発を待つ。10:03出航。ゆっくりと離岸をし、反転してレインボーブリッジの方へ向かう。左前方にはフジテレビの社屋が見える。船の往来は多く、流石「台所」といった感じであった。しばらく外を眺めていたが、寒くて流石に長居は出来ず2等船室に入り、もたもたとしていた。数時間経過し少し船酔いのような感じも出てきた。夕暮れとともに、横になりそのまま寝てしまった。12時間くらい寝ただろうか、朝になりデッキにてカップラーメンを食べ、風に当たる。飛沫が時折飛んでくる。寒い。中に入ったり外に出たりを繰り返しながら時間を潰す。8:34島影が見えてきた。残念ながらほとんどガスに包まれていた。


 10:29二見港入港。タラップを用意するのは警官と海上保安官であり、海運業者でないのに驚いた。タラップを降り島を初めて踏んだ。気温は思ったより暖かく無く、少し寒いくらいであった。まず、母島に渡るべく、乗船券売り場の場所を把握して、すぐに商店街の方へ歩いて行く。つらつらと歩き、商店街の末端の自衛隊基地まで行き、また戻る。そして「満天」という店に入り、海鮮丼1300円を食べる。なかなか美味しかったのであった。食事を終え、ははじま丸の発券時間まで時間を潰す。ビジターセンターを見学し、その後、水産センターへ行きアオウミガメを間近に見る。滑稽な表情が時折水面に上がる。かわいい限りであった。


 ターミナルに戻り、母島に渡る準備をした。タラップの前に荷物を並べる。今回は前から5番目くらいであった。貨物の荷積みが終わり、13:10乗船開始。13:30出航。おがさわら丸に比べるとははじま丸は小さくよく揺れた。外に出ていると飛沫をまともに被り、中に入り椅子に座った。椅子だとさほど揺れに対して気持ち悪さがない。船酔い防止にはイスに着席する事である。しばしウトウトして睡眠から目を覚ましたら沖港が見えていた。ゆっくりと沖港に入る。

 15:39下船。ビラ・こぶの木の夫妻に会い、車に乗り宿に行く、宿は港のほんの目と鼻の先といった場所であった。部屋を案内され、荷物を置いてすぐに車を借りて、北港に向かう。道が判らず、当てずっぽうでハンドルを握っていたが、何とかあっていた様で、細い舗装路をどんどんと進んでゆく。すれ違う車はなく、走りやすい。左側が海で、標識が時折あり「湾」の観賞地であった。R241が大きく左にカーブした先に桑の木山周辺のハイキング道を示す看板があった。この前には駐車余地が2台ほどで、路肩駐車になる。散策道は非常に濡れていて滑りやすかった。その道は散策道にしては広く、どうも昔はここがメイン道路だったようである。道を歩きながら見える木には保護フェンスのようなものが巻かれている所もあった。貴重な植物が多いのかもしれない。散策道は下り勾配である。八ヶ岳の天女山のように登山口から下ってゆく山である。距離にして250mほどを靴をヌタヌタにして到着。この付近は粘土質の土壌なのであった。帰りは来た道を戻る。

 車に戻り北進する。道はトンネルを3つ経て、依然くねくねと続いていた。二子峠からは右に東港を望む。東港の分岐を過ぎたら、すぐに旧北村の小学校がある。カジュマルに完全に覆われて、学校の敷地は元の樹林帯に戻っていた。この先が北港で、湾内中央部に展望所が設置されていた。少し手前にトイレも完備されていた。北港は、古いコンクリートの桟橋が残り、人工物は他に無く自然な感じの湾であった。


 往路を戻る。途中に砲台跡地とあるので、その前に車を止めてヌタヌタの道を下って行く。すると1分ほどで1番目の高角砲のある場所に出た。しっかりとほぼ100パーセントの状態で残っていた。ただ薄暗く、写真を撮るには辛い条件であった。周囲直径にして5mほどのくぼ地に設置してあった。立派な砲を持ち、リアルタイムでは米軍の戦闘機を狙ったのだろう。この先にさらに二つあった。最後の所へ行って、初めてここが周回ルートがあることが判った。そんな表記は一つも無いので、判らぬまま歩いていた。車に戻り6本指地蔵の場所を探す。なかなか見つからぬまま町のほうへ行き着いてしまった。明日の乳房山の登山口を確認して、買出しをしてから宿に戻る。シャワーを浴び、夕食は19:00からであった。


 夕食に行くと、中に変な食べ物があった。それがカメであった。女将が「新カメ」と言って出してきてくれた。食べると最初は食べられたが、後になるに従い喉を通らない。何とか全部食べたものの、これはたくさんは食べられない食材だった。日中に海洋センターで泳いでいるのを見ているから尚更であった。他にも泊り客が居て、東京⇔おがさわら間の船の話し、飛行機、TSL、飛行艇、動植物、天気の話などをしながら夜が更けていった。21時まで皆と同調し、部屋に戻り、明日の準備をした。

 補足:小笠原諸島における「クワ」は、本土の桑(お蚕を育てる)とは異なり、現在では「木のダイヤ」と呼ばれるほどに珍重されるものであります。昔の民家はそのクワを用いて造られてあったそうですが、現存(生きている)するものは公表では無いとされています。実際はこっそりどこかに植えられているようですが・・・。付近の無人島内の調査でも耐久性のあるクワを用いた橋などが見つかったりして居るそうで、現在は古い木片でもグラム何千円の世界だそうです。桑ノ木山もそのクワが沢山あったそうな・・・。

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