七面山 1989m   

2006.12.3(日)   


  晴れ時々曇り  単独    行動時間:6H26M


登り 
@羽衣登山口5:52→( 148)→A山門8:20→()→B展望所8:26→(45)→C七面山9:11 

下り
C七面山9:49→( 23M)→D敬慎院10:12→(19)→E奥の院10:31 →(19M)→山門帰り10:50→(88M)→F羽衣橋12:18          


tozanguchi.jpg kago.jpg sanmon.jpg  tenbou.jpg
@ヘッドランプで歩き出す。 被写体の方には申し訳ないが、駕籠が珍しく撮らせていただいた。 A山門 B展望所
sancyou.jpg gare.jpg keidai.jpg keidai2.jpg
C七面山山頂の様子 ガレから下を見る。 Dこの階段は、木を輪切りにした物が並べられて形成されていた。 D50丁目の標柱。
okunoin.jpg ishi.jpg kanekara.jpg hagoromo.jpg
E奥の院 E影嚮石 下方に山門 F羽衣橋(下山)

  
 
家を1:05出発。八ヶ岳付近は雪で、緊張しながらハンドルを握る。遅いトラックにイライラしながら須玉まで下る。52号線をいつものように走り、スイスイと快調に飛ばす。早川町へ向かう前にローソンに寄り食料調達する。そして早川町に入り、現地は手前が裏登山口、表登山口は集落を過ぎ数キロ進むと白糸の滝がある羽衣地区にある。そこで道なりに九十九折を登って行くと登山者や参拝者の駐車場とトイレがある。杉の大木が林立し駐車スペースは30台ほどだろうか。4:00到着し、少し林道を進み、余地にて仮眠をとる。少しばかりかしっかり寝られた。


 5:30目を覚まし、横着にも車内で靴を履き準備をする。バナナを2本食べ、駐車場に向かう。夜明けを待てずに5:52羽衣橋から歩き出す。すぐに茶屋があり、その間を摺り抜ける。さらに先にも茶屋があった。辺りからはお香の匂いが漂っていた。しばらく行くと先行者がいた。どう見ても登山者には見えない。頭の先から足の先まで軽装である。手にはハンディライトを持ち細々と地面を照らしていた。一人追い抜き、さらに先にも・・・。20人ほど追い抜いた先には、大きな団体が居た。“南無妙法蓮華教”と唱えながら歩いていた。なにか凄いものに遭遇したような気持ちになった。こんなに信心深い場所に来たのは初めてであった。白山、立山、御嶽山にも同じような信仰心の強い信者が居るであろうが、ここは独特であった。

 歩数にして200歩前後のところに休憩ベンチが設けられていた。雨を凌げる様にフードの付いたベンチであり、その横には必ず燈台があり、その腹の辺りに、何合目と彫られ赤く塗られていた。緩やかな階段状の道を快調に行く。30丁目辺りで、どうも足の調子がおかしい事に気が付く。なにか重い。寒さから来る筋肉の緊張なのか。それと果たして何丁目まで続くのかも気になっていた。当初は30丁目までだろうとふんでいたが、それが先に続いているので精神的な苦痛もでてきた。山渓の分県別の地図には2時間とあった。それなら1時間30で上がれるだろうと思っていたからであった。しかしながら現実は違っていた。


 1時間半も歩くと今度は下ってくる人とのすれ違いが多くなった。口々に“ご苦労様”と声がかかる。独特の言い回しだろう。そして驚いたのは、籠に乗って降りてきた方が居た。四人で太い丸太を肩にして、中央に病人と思しき男性の老人が乗っていた。ここで、この山の真髄を見たような気がした。ここまでして登る山なのだと・・・。確かに小さな子供を抱いて登る人も多々見られた。こんな寒い所にどうしてという思いでいっぱいだった。40丁目を越えてからは50丁目が終点だと判断できた。降りてくる人の数も多くなり、その姿も千差万別であった。山伏風の人、登山者風の人、法被を着た人。


 8:20山門に辿り着く。思いも寄らぬ大きな山門があった。こんな高い所にどうしてと思うような立派さであった。なだらかなスロープが200mほどに渡って上に続いている。続々と信者と言えよう登山者が降りてきていた。中にはお坊さんのような人も居たが、一般人との違いは判らなかった。登りきるとそこには鐘があり、水のみ場(水は無し)の施設があった。ここから真っ直ぐ進むと敬慎院の中に入るようだが、高みを目指す左手の砂利道を登ってゆく。するとかなり広い展望所が現れた8:26。晴れていれば富士山が見えるようだが、この日は生憎の曇天、はたまた遠くは雪のようであった。ここにも茅葺の立派な山門があった。見学は後からにして先に進む。この辺りから七面山を示す真新しい道標が見られるようになる。この先にはどうやら荷揚げ用の山頂舎があるようで、その施設を避けるように道案内をしていた。車が通れる広い道を伝って行く。尾根に上がると高みに向けて道が細くなり登山道となる。東寄りの道は一部通行止めになっていた。崩落が進んだせいだろう。でもここが一番展望がいい場所のようであった。

 9:11山頂到着。身延山岳会のお手製の山名板があった。それから腰掛けるのにちょうどいい方位盤がある。気温が低く、時折出る日差しがありがたい。マイナス3度くらいなのだが、体感はマイナス10度くらいに思えた。荒川三山が笊ヶ岳の向こう側に白く見えた。樹林が邪魔して他の方向の展望は無い。山頂部は立ち枯れと伐採により明るい場所になっており、かなりの広さもあった。儀式に苦労しながら時間が流れる。そのうちに空荷の人が上がってきた。何もじゃべらない方で、この時期の登山者らしい?人であった。

 9:49下る。かなり先に下りた先ほどの人に追いついた。5〜10分は早く降りたはずで、どこに居たのか。荷揚げ用の山頂駅を見て、展望台まで下る。そして先ほどの茅葺の山門を潜ると敬慎院は下に見えた。これは貫前神社と同じ様相で山門から下って本殿がある造りであった。階段には丸太を輪切りにしたものが置かれて歩きやすい。下ってゆくとだんだんと全容が見えてきた。人の姿は無く、静かな境内であった。軽四が2台あり、共にナンバーは外されていた。宿坊なのだろう寺社とは別の大きな平屋の建物が数棟見られた。ここを過ぎて少し進んだが下山路に戻る事とした。するとそこに前方から人が現れた。ここの管理者かと思ったが、この人はタクシーの運転手でSさんと言う人であった。“一緒に御開帳をしないか”と言うが、御開帳とは善光寺のご開帳のような事だと思っていたのだが、ここでの御開帳とは何ぞやと判らなかった。

 そのまま一緒に奥の院まで行く事にした。タクシーの運転手らしく色んな話をしてくれた。徳川家康の側室のお萬の方が、白糸の滝で7回禊をして表参道を登った事、日蓮の弟子の日朗上人が裏参道を登った事、などなど耳心地よく知識になっていった。さらに樹木希林や内田裕也夫妻やなども毎年訪れるそうである。ただご開帳だけが謎のままであった。聞くは一時の恥なのだが・・・。私は時間的な事もありご開帳は断り御仁と別れた。
大きな石が影嚮石なのだろう、立派な丸い岩でぐるりと注連縄が巻かれていた。

 鐘の所まで戻ると、往路で追い抜いた多くの人がちょうど登り上げて来ていた。私の方を不思議そうに見ている視線を感じながら下山開始。下りは階段状になっているのが膝に堪える。寒さからか筋肉の状態も良くないようである。灯篭の数字を読みながら一気に下る。数は多くないが、登ってくる人もちらほらと見受けられる。信者であり「山の時間」には関係なく登る人なのだろう。一気に駆け下り、12:18羽衣橋に下山。

 白糸の滝を見てこの日の山行を終える。どこか風呂に入ろうかと思っていたが、シャツを忘れた事に気が付き、そのまま帰路に。野辺山辺りの雪は既に無く、家には16時頃到着。

chizu.jpg                                      
                             戻る