三伏山 2699m 本谷山 2658m 権右衛門山 2682m 塩見岳 3047m
北俣岳 2940m 北荒川岳 2698m 新蛇抜山 2667m 安倍荒倉山 2693m
2006.08.13(日)
晴れ 単独 三伏小屋→ 安倍荒倉山→雪投沢 行動時間:11H56M
@三伏峠小屋2:49→(13M)→A三伏山3:02〜08→(50M)→B本谷山3:58〜4:08→(78M)→C塩見新道分岐5:26〜28→(31M)
→D権右衛門山5:59〜6:06→(16M)→C分岐6:22→(15M)→E塩見小屋6:37〜41→(65M)→・塩見岳西岳7:46〜48→(5M)→F塩見岳東岳7:53〜8:03→(25M)→G北俣岳(分岐)8:28〜40→(18M)→H雪投沢下降点8:58→(32M)→I北荒川岳避難小屋9:30→(
10M)→J北荒川岳9:40〜42→(68M)→K小岩峰10:48→(37M)→L安倍荒倉山11:25〜36→(31M)→M小岩峰12:07→(14M
)→N新蛇抜山12:21〜27→(48M)→O北荒川岳13:15→(12M)→・北荒川避難小屋13:27→(40M)→・雪投沢下降点14:07〜10→(
5M)→・雪投沢テン場14:15
@濃いガスの中、小屋を出発。 | A三伏山。綺麗な標識がある。 | B本谷山。 | C塩見新道分岐。撮影背中側にも新しい標識あり。 |
D権右衛門山。登山道は直下を通過。山頂は濃いハイマツ。 | E塩見小屋。ほとんどの人が塩見岳にピストンに出かけていたようである。 | 料金表。登山口からの距離があるにしては安いと思った。ヘリ空輸だからか? | 小屋側から塩見岳方面を望む。 |
F塩見岳東峰。標柱は雷にやられ割れていた。 | 塩見岳の雷鳥。 | G北俣岳を経て、直下の分岐。 | H雪投沢のテン場への道。一見不明瞭。 |
I北俣岳避難小屋。針金で入り口は封じられていた。水場が汚染されていると噂に聞いた。 | J北荒川岳 | K小岩峰から安倍荒倉山方面。 | 登山道から安倍荒倉指示標 |
L安倍荒倉山。かなり狭い | M小岩峰から塩見 | N新蛇抜山の山ねずみ | 新蛇抜け山から安倍荒倉山方面 |
O北荒川岳から塩見岳 | 避難小屋の先のお花畑から塩見 | 雪投沢下降点手前から北俣岳への稜線。 | 水場の様子。一般水道水くらいの水量はある。 |
三伏小屋にて、
2:49スタート。テント場を通過すると、もうかなりのテントで明かりがついていた。さすがにあの天候でテントを張る人達は山に対しての緊張感が素泊まりとは違うようである。まさか夜通し飲んでいるようなことは無いだろう・・・。分岐からひと登りで三伏山であった。綺麗な標識がひときわ目立っていた。ここからは聖岳の登りの様な地形であった。雨具を履いていて正解で、両側からの露で、だんだんと体が冷えてきた。
3:58本谷山に着く。すこぶる快調である。ただ山行3日目であり、それなりの疲労感はある。逆に3日目だから調子が出てきていると体に言い聞かせて足を出す。この辺りは狭い道ですれ違いが大変な場所もある。メジャーな山にしては珍しい感じがした。少し先はなだらかなトラバース道となった。樹林帯の中で一人の登行者とすれ違った。小屋が近いと言う事であろう。
5:26塩見新道への分岐、ここでザックをデポして、水だけを持ち空荷で出かける。最初はなだらかに下る。予想以上に下るので帰りを心配したが、ここまで来たからにはしょうがない。地図を見ながら登山道から逸れるポイントを探す。それらしい所から入るが、容易に上がれる場所でなかった。登山道に戻り、山頂を巻くように進み、鋭角に戻るように山頂に向かう。なんとなく踏み跡はあるようだが、最後は酷い。5:59権右衛門山到着。ハイマツの密生したピークである。
来た道を戻り、6:22分岐で再びザックを背負うが、重い。だんだんと重さを感じるようになってきた。本道から逸れていた為に後発のハイカーも近づいているようで、後から熊ベルの音がしている。なにか急かされているようで嫌な感じがし、自然と足が早くなる。6:37塩見小屋に到着しここで朝食。登山道上の分岐で腰を下ろし、簡易食料をほおばる。ウィダーは重いのだが、飲むたびに体が助かる感じがする。今回初めて持ち上げたビスケット類は、今ひとつインパクトが無かった。3000mなので当然なのだが、少し寒さが出てきたので歩く事にする。休んでいた時には幸いにも人が来なかったのだが、歩き出すと下山者がすれ違って行った。道の真ん中で食事をしていたので、少し時間が違えば失礼な登山者となっていた事になる。下山者は泊まり組みが登頂して戻って来たのだろう、皆軽装であった。ガスの中に色とりどりの雨具が映える。途中から岩場の登りになり、少し緊張をしながら足を運ぶ。風もあり背中の重さで体が振られる。7:26塩見岳西峰登頂。5人ほどが屯しており、自分の居場所がなくこの先に東峰に目を向けた。東のほうが高いので、そちらへ行く。7:53東峰山頂。標柱は雷だろうか、無残にも縦に割れていた。誰も居ない山頂で少しのんびりとする。しかし視界が無いのが生憎であった。
8:03下る。西側の岩稜帯とは変わり、東側は歩きやすい。すぐに目の前に雷鳥が現れた。これで今回の旅で3度目である。こんな足止めは何度でも受け入れられる。本当にかわいい、よちよちとしたのが愛くるしく目の前に居た。途中から中央道に居るkumo氏の声がトランシーバーに入管した。御仁はこれから鳥倉林道に向かいそのまま夜通し歩いて中岳に向かうと言う。さすが怪人である。儀式の手間が省けこれ幸いに北俣岳を踏んでそのまま分岐まで降りる。8:28熊ノ平への分岐、ここで少し休憩する。下を見るとスキーのジャンプ台のようにも見える仙塩尾根が始まっていた。
8:40下りだす。やはり凄い下りである。下がはっきり見えているのでなおさらなのかもしれない。大きなザックを背負った登山者が、何人も上がってきていた。皆、スピードが上がらず喘いでいた。明日の帰りはこれを登らねばならないと思うとゾッとするが、まー降りた感じでは道もしっかりしているので大丈夫だろう。8:58雪投沢へ下る分岐でザックをデポしてサブザックに切り替える。最初は小さなポリタンで良いと思ったが、大きなポリタンを装備した。それでもザックが変わるとまるで何も背負っていないように感じるものである。先を行く学生パーティーをスッと追い越す。予想以上に行き交う人もまた多い。人気のルートなのか。道は狭く、すれ違いがし難い。西側斜面は崩落していて、トラバース道が東側に付けられていた。全体的に黄色い高山植物が綺麗に咲き誇っていた。
9:30荒廃した北荒川小屋を通過。入り口には入れないように板が打ち付けてあった。水も心配だったが、ここではそれらしい場所はすぐには見出せなかった。小屋前から少しルートが変更されたようで、ザレたところを稜線に上がり、道は続いていた。9:40北荒川岳到着。何も標識は無く、素っ気無い感じがした。ここからかなり高度を下げる。これでもかと言うくらいに下がってゆく。この先のピークはプロットしていなかったので、地形図で各ピークを判断しなければならなかった。ここ最近はナビに頼ってばかりで感覚が鈍ってしまっていた。トラバース道が立ち枯れの樹林帯を通り、少し登りあげるとなんとなく新蛇抜山だと確認できた。だがしかし登山道は山頂を通らないので、ここは帰りに寄ることにした。
この先のピークは展望がすこぶるいい岩峰である。360度の展望があり、手に取るように北岳や間ノ岳があった。ルートの先に二つのコブが見える。おそらく二つ目が最終目的地点の安倍荒倉山だろう。下から大きなザックを背負った若者が上がってきた。大きなカメラも持ち、見ているとかなりの数を写真に収める。プロなのか?などと思った。話をすると、とても好青年で、山を心底楽しんでいるふうが感じられた。彼も雪投沢を幕営地にするらしく、数時間後の再会を話してお互い背を向ける。思いのほか足が前に出る。荷の負荷がこんなに影響するのか?あっという間に荒倉山直下に着いた。登山道にピークを示す標識があり、「1分」との数字もあった。11:25安倍荒倉山登頂。西側の展望があるが、他は木に塞がれていた。山頂に眼鏡ケースがあり、それを拾って行く。ウィダーを一本飲んで帰りの活力とする。11:37戻る。
この時間帯だと15時にはテント場に着けそうであった。小岩峰でもう一度展望を楽しみ、さて新蛇抜山である。登山道を離れ、歩きやすい所を拾って行くと、獣道が付けられていた。獣も歩きやすい所を通るのである。最後は右にハイマツ、左は草つきの地形で、草つきのほうをトラバースして行き、12:21山頂到着。「山ねずみ」が付いていた。既に御仁も有名ハイカーでなり各地で標識を見るようになった。標識の材質をプラスチックから木に変えたのは、なにか自然愛護の気持ちが働いたのか。ここからの展望もまんざらでなく良い。下りは適当に登山道を狙って下ってゆく。何人もの登山者が下に見えた。トータルにすると今日だけで50人以上はここの尾根を通過しているようであった。
さて後は惰性で戻る。途中で追い越した学生パーティーにも再び行き会う。苦しい北荒川岳の登りを我慢すると、そこには軽装の3人のパーティーが居た。13:15これから塩見小屋まで行くとか。かなりのんびりとした行動予定である。足も早そうではないし、少し場違いにも見えたが、人は見かけに寄らぬものと良く言うから、言葉を慎もう。腰を下ろしていると昨日三伏小屋に居た3人の若いパーティーも上がってきた。彼らは熊ノ平まで行くようであった。ザレた道をスタスタと戻る。もうすぐ雪投沢と言う辺りでは、上の分岐まで登ってしまおうかというほどの勢いもあった。がしかし、時間と日にちは十分あるので、水の補給の事もあり、安全策で沢に下りることを決めた。
14:07下降点で背中の装備を戻し、再び重いザックで雪投沢を下ってゆく。下ると狭い地形にテントが見えてきた。予想外に狭いところで、テントの張れる土の出ている場所はさほど無かった。良く見ると左右の草地の中もテン場になっており、見方を変えると広いテント場にも見えてくる。途中で行き会った青年が居て、丁度水汲みから帰った様子で、好意的に話してくれた。明日の早立ちも事もあるので、少し他の人と距離を置いて草むらの中にテントを張る。そして沢に水を汲みに下りる。5分ほどで沢に下ると本沢が右から降りてきており、30mほど登ると水が流れ出ていた。水は冷たく美味い。それをポリタンをいっぱいにして戻る。皆のテント場まで来ると、夕飯にお呼ばれになった。嫌いじゃないので合流する事にした。無○山塾のパーティーが二人、東京の単独行者が一人、それと好青年F氏とで4人が集まっていた。マッシュポテト、ビーフン、ナポリタン、ベトナムの焼酎、赤ワイン、などなど賞味に与かった。他人との接触を想定していないので、情けないがこちらには何も出す物が無かった。ただ、私が“誰か 安倍荒倉山で何か落とした人”と聞き、拾ったものを差し出すと、この中に該当者が居た。まーまー私の存在はプラスに働いていたとしよう。焚き火を囲んで談笑しながら時は過ぎた。夕立にも焚き火は負けず、炎を中心に付近のアルコールは胃に納まっていった。
時計は19時になり、各々次ぐ日の予定もあるので静かにフェードアウトとなった。今回の山行で初めてテントに入る。少しバーナーで暖を取ってシュラフに潜り込んだ。