アザミ岳 2027.3m 床浪山 1980m 風穴山 2058m
2007.10.13(土)
晴れ時々曇り 単独 林道終点から 行動時間:7H09M
@林道終点(作業小屋)6:56→(35M)→A直登コース分岐7:31→(15M)→B踏み跡分岐7:46→(10M )→C稜線に乗る7:56→(3M)→D崩落地7:59→(22M)→E1995高点付近8:21→(58M)→Fアザミ岳9:19〜44→(15M)→G床浪山9:59〜10:03→(13M)→Hアザミ岳再び10:26→(114M)→I小屋12:20〜24→(6M)→J展望台12:30〜36→(6M)→K踏み跡分岐12:42→(21M)→L沢の入口13:03→(18M)→M風穴山13:22〜40→(7M)→N登山道に乗る13:47→(18M)→O林道終点14:05〜07→(18M)→P通行止め箇所14:25
@林道終点。 | 登山道途中からアザミ岳。 | 途中から風穴山を見上げる。 | A摺古木山の直登コース分岐。 |
B写真手前左側に道形が入っている。 | 草の平坦地。展望は良くテン場に最適。 | C稜線に乗る。小屋側を見上げている。 | D崩落地通過。右奥がアザミ岳。 |
D崩落地の谷側。 | 途中にシャクナゲにドリンクビンが被せてある。 | 見出し標も点在している。 | E1995高点付近からアザミ岳。 |
途中の大岩。 | 尾根は西側に湾曲して繋がっている。 | 1995高点とアザミ岳の中間ピークから。 | 北側を振り返る。 |
Fアザミ岳の朽ちた標柱。 | F横長の木片が2つ落ちていた。山名板かも。 | Fアザミ岳から北側。ここを突っ込んで来た。 | F山頂から風穴山側。 |
Fアザミ岳三角点。 | Fリボン設置位置と三角点。 | 2000m高点からアザミ岳を振り返る。 | 道形がこのようにある場所もある。 |
G床浪山の南側の様子。笹の海。 | G眼下で笹が銀色に輝いていた。 | G床浪山最高所。 | Gリボンを残す。 |
2000m高点から床浪山を振り返る。 | Hアザミ岳再び。標柱とリボンの位置関係。リボンの左側に三角点。 | 途中から北側の展望。 | 真新しい赤の絶縁テープもあった。 |
I小屋の様子。自然に溶け込んでいる。 | I小屋の中には、なんとベンチがあった。 | I小屋前の標柱。判読不能。 | J展望台。小屋への道形がある。 |
K Bの逆側から撮影。往路はここから右に(西)に入った。 | L沢入口の絶縁テープ。丸に戸と書いてある。 | L沢の入口。実際に登るのは、この絵の右手(南)の枝沢。 | 沢の上流の様子。歩きやすい沢である。 |
風穴山直前の様子。ひたすら笹を漕ぐ。 | M風穴山山頂。綺麗な標識が掛かっている。後ろは2164高点。 | M西側の樹林の下は笹は無く居心地がいい。 | M山頂を西から東に見た様子。右手の奥の方に山名板はある。 |
風穴山西側斜面からアザミ岳方面。なかなか格好がいい。 | N登山道に出た所にはたまたまマーキングが付いていた。 | O林道終点に降り立つ。 | P林道途中の通行止め箇所。 |
2006年の7月に狙ったのだが、やむなく途中で撤退となった。強い降雨により笹が重くなったのと、踏みつけた笹が非常に滑ったのだった。踏めないといつまでも気になるもので、付近の登り残しと併せて出向くことにした。
2時に家を出る。全線地走りして飯田市から県道8号線に入る。ここが長い。大平地区まで行くのに結構に萎える距離である。前回はこの大平地区の林道入口を見過ごしてしまい、県民の森の方まで行ってしまった。失敗するとしっかり覚えるもので、今回は見落とす事は無かった。市水道局の施設を右に見て、しばらくしてダートが始まる。前回同様の掘れ具合で、そこをしなしなと上がって行く。すると前方に上総ナンバーのデリカ(D5)が先を走っていた。物凄く慎重な走りであるのだが、確かにロードクリアランスが狭いように後ろから見えた。確か210mmほどあるはずなのだが、私の車も後ろから見ると同じように見えるのか。少々いらいらしながら後を追う。そして前回同様に終点から2キロ手前辺り(距離は不確か)で通行止めの立て看板がある。
路肩に停めてすぐに準備をしていると、デリカの運転手が寄って来た。何を言うのかと思ったら、週中に確認を取ったところ、観光課は「林道終点まで入って良いと言っていた」と言う。確かに2006年に私が問い合わせした時も同じようなニュアンスの返事をいただいている。がしかし現地のここでは通行止めとして行かせない様にしてある。何事も机上より現地を優先するのだが、御仁のアドバイスにより2度目の正直でもあり、塞いでいるロープを解いて車で先に進んでみる事にした。2箇所ほど山側からの押し出しで危険な場所はあるが、道の掘れ様は、下から通行止めまでの林道と比べると、こちらの方がかえって状態は良い様であった。おかげさまで林道終点の作業小屋前まで車を上げることが出来、1時間ほどの時間短縮となった。既に家を出てから5時間ほど経過している。今日は車に乗っている時間が登山の時間を上回りそうであった。
6:56歩き出す。ササが繁茂していて登山道を覆う場所が多い。ガスも垂れ込めササが濡れているので、この先の藪漕ぎを見据えて雨具を履いた。帰りに風穴山を狙うつもりでいるので、地形を見ながら取り付き点を探しながら足を進める。やはりここは沢登りが適当なようで、決めた沢の入口には丸に「戸」と書かれた赤い絶縁テープが付いていた。摺古木山への直登コースを右に見て水平道を快適に歩いてゆく。東沢を挟んだ西側に目指すアザミ岳が見える。展望台に登り上げようかトラバースして尾根に乗ってしまおうかと悩みつつ歩いていると、登山道が2135高点へ方向が変わる少し手前に道形が西に向け付いていた。ここは腰ほどの奇形の朽ちた木があり、そこに標識が打ち付けられていたのか釘が数本残っていた。方向としてはかなり期待できる道形であった。伝ってゆくとすぐに平坦な草地になり、なんとなくテン場のようになっていた。展望も良く、登山道からも見えないからテント泊の穴場かもしれない。ここから道形は少し薄くなり西に伸び、やがて判らなくなった。沢までは腰ほどのササを分けながら緩やかに下降し、アザミ岳に続く尾根側へはササを掴み這い上がって行った。
稜線に乗ると前回の記憶が蘇る。少し南に行った場所に崩落地があり、西側が崩れ落ちている。この稜線で歩きやすいと言えばここくらいだろう。後は平均して1300mmほどの高さのササが繁茂している。崩落地から5分ほど進んだ場所にドリンク瓶を逆さにしたマーキングがある。前回もここにあったのだが、こんなゴミでさえ、ここではホッとするアイテムであった。人工物といえば、オレンジ色に変色した見出標が稜線上に点在していた。時折赤の絶縁テープのマーキングも見える。今日は視界があるので、好天の下でササ海の遠泳を楽しむ。
1955高点からは真正面に見事なアザミ岳が見える。尾根が西に振っているので、倣って行くと次のピークには大岩が点在していた。奇岩と言えるほどではないのだが、稜線上で大岩があるのはここのみであった。さらにササを漕いで行く。特に道形があるわけではないので、ほとんど適当なルート選びであった。それでも樹林帯の下は幾分か植生が薄れるので、狙うようにして足を進める。アザミ岳直下になり、左(東)に掘れた沢を見ながらのルートとなる。残り20mほどになり石楠花が濃くなり、逃げ場所を探したが楽な場所が無く、やむなく強行突破。出た先には朽ちた標柱のあるアザミ岳山頂であった9:19。
すぐにトランシーバーを握ると、名古屋の重鎮が木曽駒ヶ岳に居られる方と交信をされていた。割り込もうと声を掛けると、近くでもう一人声を掛けている方がいた。なんとkumo氏であった。氏かこちらに来る予定は聞いていなかったので偶然の出来事に驚いた。話をすると空木の南西の西岳を狙っているところであった。さすがである。アザミ岳だけでは勿体無いので、その先の床浪山も目指せとの命を受ける。確かにあるのは判っていたのだが、アザミ岳が踏めれば満足であり、行く予定はなかったのだが、氏に指示には背けない。行ってみることにした。その先にまだ三角点を拝めていない。辺りを探すが出てこない、藪の中を屈みながら捜索したのだが無い。諦めて標柱の周辺をもう一度探すと、なんて事は無い、標柱から2mほど南側の草の中にあった。今回はこの三角点のすぐ脇にある朽ちた低木にリボンを縛っておいた。
さて床浪山に足を向ける。意外やアザミ岳の南面には道形が時折確認され、幾分か(幾分かである)歩き易い。最初の2000mの顕著なピークから一旦下り、登り上げると床浪山であった。東側を見るとササが銀色に輝き、一見砂礫の場所かと見間違えするようでもあった。山頂部は東側に笹原があり、西側がやや高く樹林帯になっていた。ここは樹林の方にリボンを縛っておいた。トランシーバを握ると、揖斐川町の虎子山山頂からk氏が声を掛けてくれた。山頂同士の交信はなんとも気分の良いものである。儀式も短時間で終了し、ここを最終地点として往路を戻る。
アザミ岳からは石楠花を避けるルートを見出したく西側と東側に振ってみたが、やはり適当なところが無く、結局標柱の場所から真北に石楠花に突っ込む。そして尾根をやや西に行かねばならないところを東に寄ってしまい、沢を左に見る形になった。ここで、沢を伝ってはどうだろうかと沢の中に入ってみた。降雨によって水の流れが出来る沢のようで、この時は湿っては居たが流れは無く、何とか伝って降りることが出来た。ただ左にある稜線より下り過ぎないようにせねばならないので、適当な場所で沢を離れ稜線に乗る。ここは往路の通りに忠実に尾根を拾った方が良い様であった。相変わらず両腕の休まる時が無い。明日の筋肉痛が目に浮かぶようでもある。大岩ピークからの1995高点への登りは、山頂は通らず北側のトラバースとした。この1995高点の北側鞍部が、一番植生が濃く成長状態が良い。要するにササの背丈が高い。ここを抜けてしまえば、あとは気分も楽になる。ドリンク瓶ポイントを過ぎ崩落地まで戻れば、だんだんと薄い踏み跡も確認され格段に歩きやすくなる。摺古木山へ行くわけでないので、戻るには往路の通りトラバースが早いのだが、展望所の西側にある小屋をもう一度見たく、そのまま稜線を登り上げた。
目の前に小屋が現れる。日光の念仏平避難小屋ほどではないが、風情のある小屋である。周りの景観とマッチしていると言うか、人工物でありながら、既に自然に同化しているのであった。鍵を留めている紐も簡単に取り外せ、ドアを開けると外の朽ちた感じとは違い、中は綺麗なままであった。と言うことは小屋として使われた事が少ないと理解できる。締め切られた状態が長いので経年変化が少ないようであった。そして驚いたのは、木製の強固なベンチが置いてあることであった。小屋の設営時に作ったのだろうが、なぜにここでベンチなのだろうか。泊ると言う位置付けではなく、あくまでも避難用として造られたのだろうか。益々謎が深まる小屋であり、それ故に益々興味が沸いてくる。少し先に良いテン場も見つけたことで、小屋見たさにまた来てしまいそうであった。ここから展望台までは、かなり太い踏み跡がある。多くはササが被っているが、その下にしっかり付いている。展望台に到着し、展望を楽しみつつ昼食とした。
残すは風穴山のみ。ここは登山道からの直線(平面)距離は160mほどであり、ほとんど負担にならないだろうとふんだ。登山道を下ってゆくと往路で踏み跡に分け入った場所に出る。やはりここの朽ちた木が目立つ。登山道を行くとすれ違う人もちらほらと見られ、なかには“あと山頂までどのくらいですか”と言う人も居た。山頂までの時間を気にするなら直登コースを選べばいいのに、わざわざ大回りして山頂までどのくらいとは如何に・・・。挨拶代わりに言ったと解釈しすれ違う。そして往路で確認しておいた丸「戸」のテープから沢に入る。この沢は太い沢が北に一本あり、その南側にもう一本ある。双方とも上流の空が開けて見えているので、選択を間違えることは無いのだろうが、辿るのは右手(南)の方である。この沢は登山道かと間違えるほどに状態がいい。当然水が流れているのだが、快適に上流に上がって行ける場所であった。真っ直ぐ進むと山頂より北側に出てしまいそうであったので、途中の右側に出てくる枝沢に入り、最後はササを漕いで山頂に立った。
風穴山の山頂には手の込んだ標識があり、丁度その標識を写真に撮ると北側の2164高点が写る位置関係になっていた。山頂部のほとんどが笹原なのだが、西面に樹林があり、その下だけがササの植生が無く、腰を下ろして休むのに丁度いい場所であった。西を見ながら休むことになるのだが、先ほど踏んできたアザミ岳と床浪山が良く見える。下山は沢は辿らず、山頂から真西に降りて登山道に出ることにした。西南西くらいに進むと、やや急峻な場所があったので、少し南より北側を意識して下った方が安全のようであった。降り立った場所は、登山道上に白いビニール紐が縛られた場所であった。登山道に乗れば下りたも同然、快調に闊歩して下ってゆく。途中に二人の中年男女が下っており、話を聞くと、広島から登りに来たようであった。当然200名山狙いであろうが、そんなことより驚いたのが、下の林道をマイクロバスで上がって来たのだそうだ。あのダートをマイクロバスで走るとどんな状況なのか想像も付かないが、さらに疑問も出てきて、なぜに二人での登山にマイクロバスなのだろう。まー色んな人が居るものである。
14:05林道終点に降り立つ。車で林道を下ってゆくと、通行止めポイントまでの途中にちらほらと路肩駐車している車があった。途中で停めるくらいなら上まで上がってしまっても道路状態はさほど変わらないと思うのだが、運転手の判断で先へ進めないと思ってそこに停めたのだろう。そしてゲートされている前まで来ると、その先に安芸ナンバーのマイクロバスがあった。良く登ってきたと褒めてあげたいほどに大きい。よほど慣れているのであろう。すれ違いの出来る場所の少ないこの林道で、このバスと正面に向かい合った場合などを想像したら・・・。
大平から飯田市内に出て、砂払温泉でさっぱりとする。風呂上りにトランシーバーのスイッチを入れると、池山尾根下山中のkumo氏から声がかかった。明日の予定は、私がこの日踏んだ3座のようであった。行くのが事前に判っていれば、露払いならぬササ払いとして、もう少しササを倒しておくことも出来たのだが、ササ泳ぎの得意な氏であるから、余計な気遣いではあろう。
のんびりと休憩しながら帰り、帰宅は21時丁度であった。
マメ体験談。今回スパッツの片方が切れてしまい途中で使用出来なくなりました。藪漕ぎなのでスパッツが無いと靴紐がすぐに解けてしまい、何度も縛りなおす羽目になったのですが、何回も同じ事を繰り返すと学習するもので、靴の後ろ側で縛ってみたところ解ける頻度が減りました。地形と植生にも因るでしょうが、藪では「後ろ縛り」が有効のようでありました。