屏風ノ耳 2565.4m
屏風ノ頭 2570m 茶臼ノ頭 2535m
2007.9.22(土)
晴れ 単独 上高地から入山し、屏風の頭と茶臼ノ頭を登り徳沢キャンプ場で幕営 行動時間:10H34M
@上高地バス停5:36→(6M)→A河童橋5:42→(34M)→B明神6:16→(41M)→C徳沢園6:57→(16M)→D新村橋7:13→(9M)→E道標の無い分岐7:22→(40M)→Fパノラマコースへの分岐8:02〜10→(83M)→G屏風のコル9:33→(24M)→H屏風ノ耳9:57〜10:03→(10M)→I屏風ノ頭10:13〜20→(13M)→H屏風ノ耳10:33→(16M)→G屏風のコル10:49→(58M)→J中畠新道取付11:47〜51→(93M)→K奥又白池13:24→(17M)→L茶臼ノ頭13:41〜52→(13M)→K奥又白池14:05→(60M)→Mパノラマコース分岐15:05〜10→(38M)→N道標の無い林道分岐15:48→(7M)→O新村橋15:55→(15M)→P徳沢キャンプ場16:10
@上高地。早朝から多くのハイカーで賑わう。 | Aまだ静かな河童橋。 | 途中から明神岳を見上げる。 | B明神通過。 |
梓川の流れ。 | 途中から屏風ノ耳を望む。(右側) | C徳沢園 | 新村橋へは河川敷を歩いてゆく。こちらは人気が無く静か。 |
D新村橋を渡る。対岸側近くの橋の上にサルの糞が・・・。 | 右岸側の道標。 | E何も道標が無い分岐。左に進む。 | 堰堤の脇を通過して行く。 |
F分岐付近は赤ペンキの指示が多数ある。ここは水が得られる。 | F分岐付近から中畠新道の尾根(中央)と松高ルンゼ(中央左) | パノラマコース途中から屏風のコルを見上げる。 | G屏風のコル。小さい道標だが必要最低限情報はありがたい。 |
屏風ノ耳手前の池。 | 賽の河原と屏風ノ耳とのコルにテン場がある。 | テン場付近から屏風ノ耳。右奥が屏風ノ頭。 | H屏風ノ耳三角点。 |
H屏風ノ耳から屏風ノ頭。 | 屏風ノ耳から屏風ノ頭へのハイマツルート。ハイマツに潜る様なルート。 | ハイマツルートの西側にもう一つルートがある。こちらは歩きやすい。 | I屏風ノ頭から屏風ノ耳。山頂にカメラマンが立っている。 |
I屏風ノ頭のケルン | I屏風ノ頭から涸沢 | I屏風ノ頭から北峰。 | I涸沢アップ。 |
J中畠新道取付き。中央斜め左上に青銅色のレリーフがある。 | J松高ルンゼ。こちらを進んでも良い。 | 笹の中のルート。 | 松高ルンゼと合わさり、窪地を登って行く。 |
5・6のコルへの分岐なのか?左側の絶縁テープの方へ進む。 | トラバース。正面の高みの向こうが池である。辺りはベニバナイチゴ畑。 | K奥又白池。畔にはクライマーのテントがある。 | K池から茶臼ノ頭を望む。 |
茶臼ノ頭直下。 | L茶臼ノ頭山頂。大きな岩がデンとある。 | L茶臼ノ頭からひょうたん池。(中央の鞍部) | L茶臼ノ頭から明神岳側。 |
Lハイマツの中にリボン設置。 | K奥又白池帰り。 | 上から谷を見下ろす。 | M Fの場所のやや上から下を見る。 |
氷壁のモデル。 | N Eの逆側から。 | O新村橋右岸から。 | P徳沢キャンプ場の花になる。 |
穂高岳連峰東側にはいくつかの有名池が点在する。いずれの池にもクライマーの利用する登路があるようである。北穂池は端折る事にして、山と絡めて拝んでこようと計画してみた。
1:20出発。バス時刻の関係もありのんびりと沢渡へ向かう。いつものように三才山トンネル手前のコンビニで割引チケットを購入し松本に抜ける。松本トンネルを出て19号を跨いだ先で、以前は急なカーブを経て梓川右岸の土手高速になったのだが、道が改良され、そのまま147号線に繋がる道になっていた。夜でもあり、現地でこの変化に判らずに真っ直ぐ進んでしまい安曇野エリアに入ってしまった。途中で修正して野麦街道と併走する278号線を伝い新島々の先で158号に乗る。そして岩見沢駐車場到着4:20。後ろに移動し仮眠をとる。しかし4時40分くらいからタクシーがやってきて、連絡無線を使いながら沢渡全体の配車をしているのである。非常に煩くて寝られたもんではなかった。何とかならないものかと思うのは私だけだろうか。まーバスの時間ぎりぎりに到着すればいいだけなのであるが・・・。見ているとタクシーの運転手は客引きを一切しなくなっていた。運転手にこの事を聞いてみると、バスを運行する松本電気鉄道鰍ゥらクレームがついて、それが出来なくなったそうである。タクシーでメンツを集めたい場合は、利用側でして欲しいとの事であった。運転手と話していたのでタクシーを利用するつもりで居たのだが、5時10分になり1番バスが到着し、1800円で往復チケットを買い乗り込んだ。私が乗った時点で満席になり、熱気ムンムンのバスは一路上高地へ。
5:33上高地到着。靴紐を締めていざ出発。皆、競歩大会のように歩き出す。今回はテント装備でもあるのでその誘いには乗らず、のんびりと歩いて行く。河童橋からは明神岳がモルゲンロートになる。明神を過ぎて徳本峠側には、以前からの通行止めの表示があった。二俣へのルートが崩壊しているらしいのだが、かなり長期化しているようである。徳沢の先は、河川敷ルートを取った。すぐに橋を渡って梓川の右岸に行ってしまおうかとも思ったが、少し戻るような格好になるのでそのまま左岸を新村橋の方へ進んだ。こちらはほとんど登山者は通らず、川のせせらぎを聞きながら気持ちよく歩ける。ただ石がゴロゴロしているので、ちと歩き難いのだが・・・。
新村橋の下から正規ルートに這い上がり、橋を渡って対岸へ行く。橋の上には猿の糞がいくつかあった。徳沢や横尾がある中で、猿害とかはないのだろうかと思いつつ足を進める。橋を渡りきると道標があり、屏風のコルの方向を示していた。ここの分岐には5台ほどの車が停まり、さらに先の余地にも2台があった。車の腹には「横尾山荘」の文字があったのだが、ここまで入って、あとは歩くのだろうか。橋の分岐から500mほど林道を歩いて行くと分岐が現れる。右へ行く道は地図には無いのだが、河川敷で工事をしているようであり、その為に付けられた道のようであった。現在はここの道の方が主道のようになっており、以前からの道が枝道のようになっていた。その為か、ここには一切の表示は無い。赤い絶縁テープのマーキングのみが方向を示していた。歩き易い道が真西に向かって高度を上げてゆく。奥又白谷に入った辺りで、目の前に堰堤が立ちはだかり、赤ペンキがルートを示している。とても足を上げやすいなだらかな道が続く。途中に「氷壁」の舞台となったという文言が書かれたプレートがあり、墓標が並ぶ。目の前をカモシカが脱げて行く。いきなり現れたのでこちらもびっくりした。お互いのためにも鈴を鳴らしながら歩くことにした。最初のうちはペンキマークが濃かったが、途中で薄くなり、中畠新道とパノラマコースの分岐が近付くに連れて、再びのマーキングの彩度が明瞭になる。
8:00レリーフの壁の下で小休止、ここは水量もありよい水場になっていた。この先、屏風のコルまでに流れは無いので、ここが最後の水場となる。大岩には赤ペンキで「カラサワ」と大きく書かれている。道標に従い涸沢方面に足を進める。一級の歩き易い道が続く。途中慶応尾根を跨ぐ所には、「9/3 YXJは八ッ峰に向う」と書かれた絶縁テープが残る。尾根側には赤い手袋がかけてあった。途中から遠くに屏風のコルが見える。下山者もちらほら現れ、朝の挨拶が繰り返される。もう少し時期が早ければ、付近はお花畑であっただろう。九十九折になるとコルも近くなり、登り上げるとそこがコルであった。足元に明細な標識が付けられていた。そのまま屏風ノ耳を目指す。先に大きな三脚を持った登山者が行くのが見える。後を追うように駆け上がる。賽の河原の分岐を手前にして、左側に池があった。そこそこの水量はあり、涸れるような池ではないようである。名前は付いているのだろうか。賽の河原は割愛してその先で一旦下るのだが、そこには1張り分のテン場があった。ここから北に向けて登山道は付いている。屏風の耳に到着すると、既に先を歩いていた方は三脚をセットして涸沢方面を狙っていた。全く言葉を発しない方で、こちらも同じスタンスを決め込み、静かな山頂であった。
次に屏風ノ頭を目指す。最初判らずにハイマツの中の道を下ってしまった。ハイマツを潜るように進むルートなのだが、数分でマツヤニまみれとなった。足場も悪く、難儀して下って行くと、コル手前で左に併走している登山道があった。正解は尾根の西にあるルートである。コルからはひと登りで屏風ノ頭に着いた。山頂には大きなケルンがあり、北に続いているようであった。ケルンの大きさが、岩屋の犠牲の大きさを示しているようにも見えた。今日も屏風岩に取り付いている方も居るのだろう。連休初日の早い時間でもあり、涸沢のテントの花は、2分咲きくらいであった。奥穂からの主峰群が手に取るように見え、鞍部には穂高岳山荘も見えていた。先ほどの屏風ノ耳の方に目を移すと、カメラマンのシルエットが格好良い。10分ほど滞在し来た道を戻る。屏風ノ耳への登りは、西側のルートを辿る。ハイマツの中とは天国と地獄の差であった。屏風の耳の山頂では、相変わらず無言のカメラマンが居た。だんだんと主稜線にガスがかかりシャッター音が聞こえることは無かった。この方に配慮して儀式の方は、少し下った辺りで行うことになった。屏風のコルまで戻り、あとはひたすら下る。ここを登りに使う方は少ないのかと思ったのだが、意外や多い。学生の大パーティーもあり、この日は50名ほどとすれ違った。
中畠新道の分岐まで戻る。松高ルンゼを見るとヘルメットを被った岩屋がスタートし出した所であった。当初は私も松高ルンゼで上がろうと思っていたのだが、面白いのでどちらが早いかと、中畠新道を登ることにした。スタート時間は、ルンゼ隊に遅れて5分くらいであった。取り付き箇所は壁に着いたレリーフの下にルンゼ側からバンドが一本上がっているので辿ればそのまま登山道に変わる。とは言ってもなかなかの急峻で、両腕を使う箇所がほとんどである。舐め板状態の岩もあり、気の抜けない時間が続く。2〜3箇所、展望場的な場所もあり、前穂側の壁を見上げ松高ルンゼを見下ろす事が出来る。松高ルンゼとこの尾根とは近接しているので、岩屋隊の様子が、耳から把握できた。中盤にかかり既に後方に抜かしたようであった。私が急いでいるわけではないので、ここは中畠新道を登った方が速い事が判る。ただ面白いのはルンゼの方だろう。途中でルンゼと合わさり、その中を登って行く。ここも濡れていたりすると緊張する場所になる。正面に壁が見え、二又に分かれる様な場所があるが、左側に朽ちた白い紐と赤い絶縁テープがあるので、そちらに導かれる。池までは一面ベニバナイチゴの斜面をトラバースするように進む。
空が開けると、眼下に奥又白池が見えた。畔にはすでにテントが二つ張られ、遠くから挨拶をしていただいた。話は後として、このまま茶臼ノ頭を目指す。池の西側を通過すると、こちらにもテン場があり、数張りのスペースが設けられていた。そのスペースの先から、トラバースするように薄い踏み跡が茶臼ノ頭方面に続いていた。草に覆われて足場の悪い所もあるが、全く道が無いのとは雲泥の差で、軽快に足を進める。直下になりハイマツで進めないような場所になるが構わず真っ直ぐ進むとハイマツは2mほどが濃いだけで、その先で再び開ける。山頂部に着くと大きな平たい石があった。腰掛けるのに丁度良い石なのだが、なぜが羽蟻が無数に群がっていた。ザックも置けず、立ったまま辺りを観察する。東側の茶臼尾根側には切開きが降りていて、岩屋の道があるように見て取れた。明神岳側は生憎のガス。ひょうたん池を見下ろすと緑色のテントが見える。東稜を攻める岩屋の方のものだろう。声を掛ければ届きそうな距離であった。行けるものならここから直接狙いたいが、間には厳しい谷がある。やはりひょうたん池へは南から攻めるしかないだろう。何も標識が無く、リボンを縛り山頂を後にした。池まで戻り猛者の方と二言三言会話をする。明日はここから前穂高岳を目指すようである。女性の方も2名居られた。周囲に広がる厳つい岩装備に対して、平地に居るような女性らしい所作とにギャップがあり、隠れた強さを見て取れた。時計は14時。当初はここで幕営を思っていたが、明日の行動の軽減にも日没までがんばろうと幕営地は徳沢と変更した。池に写る逆さ茶臼ノ頭をカメラに収め、ベニバナイチゴを口に放り込みながら下って行く。尾根に入ると、総勢6名のヘルメットを持った岩屋とすれ違った。なかには“どこから降りて来たのですか”などと聞いてくる方もおり、“いやいや、下からピストンですよ”と答えると安心したようであった。登りは喘いで登ったが、下りは思ったよりスイスイと下る事が出来た。奥又白池のみのピストンなら、バスの運行時間内に余裕で上高地のバス停まで戻る事が可能であろう。
レリーフ下分岐まで戻ると辺りからのハイカーの声は消えていた。タバコ吸いならここで紫煙を燻らせながら下を眺めるのであろうが、私にはそこらへんは無いのでピュアな空気を吸いながら静かな時間を楽しむ。そして登山道を下る。さすがに登ってくる人も居ない。登りやすいルートであり、下りはそれ以上に快適である。林道に降り立ち新村橋を渡ると、こちらの登山道はまだ賑やかであった16:00。あと1時間歩いて横尾を目指すのだろうが、中にはガイド付きの中高年の大パーティーも居た。ガイドとして、遅くなっての小屋入りの是非はどうなのだろうか。まー他人の事なので詮索しない方が良いのだろう。
徳沢園到着16:10。テント料金の500円を払い、ビールを一本買い込み、草地の南端にテントを設営した。ここは登山でない方も多々利用している。大騒ぎしているグループもあり、楽しそうと言えばそれまでなのだが、利用するにあたりやや微妙な心境であった。夜は珍しく雨に降られず、通気口から覗く空は星空であった。日曜日は曇天予報であったので、嬉しい限りであった。ウヰスキーをちびちびやりながら眠りに入るのだが、最初南枕で寝苦しい思いをしていた。思いきって北枕にしたとたんにぐっすり休むことが出来た。摩訶不思議である。
赤:1日目行動軌跡 青:2日目行動往路 緑:2日目下山路