台倉高山 2066.7m
2007.6.17(日)
晴れ 同行者あり のんびり 行動時間:3H29M
@登山口6:13→(13M)→A水場6:26→(19M)→B鹿の休み場6:45→(18M)→C三段田代7:03→(51M)→D台倉高山7:54〜8:13→(89M)→E下山9:42
@馬坂峠登山口 | 歩き出してすぐにオサバグサの群落がある。 | A水場。さほど流れは多くないが・・・。 | B鹿の休み場。 |
登山道脇の木には、このように矢印が刻まれている。 | C三段田代。 | 登山道が不明瞭な場所にkumoがあった。 | 登山道上の残雪。 |
木道。前衛峰の東側。 | 円錐形の台倉高山。 | 直下にシャクナゲが咲く。 | D台倉高山頂上。右に見える木の所に切り開きが降りている。 |
D三角点。 | D山部氏と栃木の山紀行の標識。 | Dこの二つは上下別物かと思って手に取ると一体物であった。 | D山頂から高原山方面。 |
D山頂から帝釈山方面。 | D山頂から日光方面。 | E山頂から会津駒方面。 | 湿地。 |
階段の様子。枠で仕切られ土が入れられている。 | オサバグサの群落。 | E駐車の様子。 | 先着2000名にバッヂが配られた。同行者分と2つ頂いた。左がギンリョウソウ。右がオサバグサ。 |
家を1:45スタート。関越道を小出まで走り、国道352号で桧枝岐を目指す。奥只見湖周辺の道路は、陥没や崩落しているところがちらほらあるが、通行可にしてしまっている。覗き込むと水面が見えるほどに垂直に崩れている所もあり、通れる事は嬉しいのだが何か大きな事故にはならないのかと、こちらが気にしてしまった。御池周辺の懐かしい景色が見える。何年ぶりに来ただろうか。でも以前とほとんど変わっていないのは郷愁の情が沸いてくる。まだ朝の冷え込みがあるのだろう、住居からは薪ストーブの煙が上がっている。中土合公園を過ぎ、上の原から右折して川俣桧枝岐林道に入る。以前に増して踏み固められた感じがした。以前はもっと砂利が飛び散るような道であったはずである。峠まで上がると、付近は石灰で駐車ラインが引かれ、何か訪問者の多さがそこに見て取れた。既に5台ほどが停まり、バスも1台あった。馬坂峠3度目の訪問である。
6:13帝釈山の登山口に背を向けて台倉高山への道へ入って行く。すぐに目を引くのがオサバグサである。今回の予定の一番の目的はこれであった。付近は群落になっており、端正な小さな花が朝日を浴びて輝いていた。この登山道は、表に出たのは近年であるが、峠からの台倉高山へのアプローチ道としては昔から耳にしていた。ただ現在の道は手が加わっているので、昔と比較したら雲泥の差であるのだろう。木で組まれた階段もあり、私には非常に歩き易い歩幅で作られていた。木組みの中に土が入れられて階段を形成しているのだが、雪解け後でそこが泥地のようになっており、今の状態だと皮は残るが餡子が無くなってしまうのではないだろうかと見ていた。
途中に水場があるのだが、水は1.2mほどの高さから落ちていて、屈まずとも容易に水が汲める便利な水場である。登山道を良く見ていると、登山道脇の木には赤と黄色のペンキが吹き付けられている。色からしてかなり古いもののようである。それと同時に鉈で歩く方向が刻まれている。これはかなり痛々しく見えるのだが、ほとんどの木にそのような施しがあった。昔は登山対象では無かったので、目に触れることは無かったのだろうが、一級の道が出来てしまった今はこれらが晒されている。
鹿の休み場の標柱を通過6:45。1900m付近から登山道に雪が乗っているところが出てくる。雪解けで登山道には十分の水分が蓄えられ、泥濘地が多々あった。それを避けるように皆歩いているようで、付近の登山道は広がりつつあるようであった。ズボンの裾の汚れを見ながら、スパッツを付けずに来た事を後悔する。トランシーバーから聞き慣れた声がした。Kumo氏の声であった。なんと孫兵衛山方面へ藪漕ぎに入り、今戻って台倉高山に居るという。どうやら御仁も林道の開通を待ちわびていた一人のようであった。数十分後のスライドを約束して足を進める。
三段田代7:03小さな湿地であるが、さほど水分は無く、草原と言うのが適当な場所であった。ここもしっかり木道が整備されていた。そして台倉高山の前衛峰が見え隠れし出した時に、向かいからkumo氏が現れた。まさしく「怪人現る」である。山で出会ったのは、2005年5月の内蔵助平以来となる。御仁は、この後に帝釈山を越えて田代山をピストンするようであった。一方私はと言えば、台倉高山1座のピストンのみで、近くの温泉に沈没の予定であり、恥ずかしい限りであった。しばしの歓談の後、背を向ける。
コースは、先ほどから見えていた前衛峰に登るのかと思ったら、東側にトラバースして簡単に台倉高山とのコルに出た。そして最後の登り。ちょうどシャクナゲが咲き出し、綺麗なピンク色を見せていた。そして空が開ける7:54。
山頂からは360度の展望が待っていた。日光の山々を裏からまじまじと見たのは初めてであった。5月の最終週に踏破した三ッ岩岳から会津駒ヶ岳の稜線が見える。まだ白く雪が乗っているのだが、こちらからはほとんど平坦に見えるのは不思議であった。南側を見ると黒岩山と、そこから手前に尾根を追ってくると孫兵衛山が見える。“あそこも歩いた ここも歩いた”とニタニタしながら山座同定をしていた。山頂からは南側に少し切開きが続いていた。Kumo氏曰く300mほどは切ってあるらしい。その先は厄介な藪だそうだ。少し私も入ってみたが、確認するくらいですぐに山頂に戻った。山頂には行政の標柱の他に私的な標識がある。3作品あるのだが、皆大型標識である。この登山道は近年の公開で、行政が標柱を立てたのは最近と解釈する。そんな中、標識を外さずに付けて置いたとすれば、行政もやさしい配慮でもある。ただ、展望を楽しむに対して圧迫感がある感じもする。短冊化傾向にもあり、これ以上増えない事を願う。
下山は凄い事になった。一人、二人とすれ違うと、次は30人ほどの団体。さらに5〜6人のパーティーが続々とすれ違った。正確には数えていないが、70名〜80名ほどは入山しているようであった。こうなると早くに出発して正解であった。登山口まで戻ると、峠付近から下の方まで路上駐車でいっぱいであった。中型バスも4台あり人気の度合いが判る。帝釈山の登山口では、登山者に記念バッヂを配布しており、思わぬ土産となった。バッヂの裏を見るとmont bellの刻印がある。観光で潤っているとは言え、桧枝岐村も太っ腹である。
峠からの下降は、マウンテンバイカーの隊列の中を行く。四輪でも滑ってしまいそうな林道を、彼らはノーブレーキで疾走して行くのだった。見ていると下りでさえペダルを漕いでいる。時速60キロくらいだろうか、見ているこちらが冷や冷やするような様子であった。ただ、彼らのライン取りは良く、すばらしい走りであった。私の車の土煙の中も、果敢にテールトウノーズで付いて来る者も居た。林道で自転車に呷られたのは初めてであった。なかにオフロードバイカーも居たのだが、この御仁も後輪を滑らせながら林道を楽しんでいた。この林道の開通を待っていたのは、山屋だけでは無かった様であった。
帰りは、林道入り口の燧の湯に沈没する。さらにはしごをして銀山平でも白銀の湯に沈没。梅雨入り後ではあるが、好転に恵まれた一日であった。