三ッ頭  2589m    烏帽子岳 2594m   

 2007.6.30(土)   


  曇り(ガス)のち雨   単独    戸台より赤河原コースで六合石室     行動時間:10H11M


@戸台駐車場4:28→(44M)→A砂防ダム渡渉点5:12→(9M)→Bへつり5:21→(37M)→・角兵衛沢出合5:58→(43M)→C高巻き後藪沢6:41→(17M)→D丹渓山荘6:58→(1M)→E赤河原コース分岐6:59→(63M)→F七丈ヶ滝下8:02→(16M)→Gルートに戻る8:18→(3M)→H五丈ヶ滝下流8:21→(125M)→I四合目10:26→(94M)→J六合目12:10→(6M)→K六合石室12:16〜19→(5M)→J六合目12:25→(32M)→L三ッ頭12:57〜13:08→(1M)→M烏帽子分岐13:09→(21M)→N烏帽子岳13:30〜52→(12M)→O烏帽子分岐14:04→(35M)→熊穴沢ノ頭(テン場)14:39


ge-to.jpg  tosyou.jpg  heturi.jpg  yabusawa.jpg 
@戸台ゲート。堂々テン泊している方が居た。 A砂防ダム上流の渡渉点 Aヘつりポイントも水の中。 C藪沢も簡単には渡らせてもらえない。
tankei.jpg  tankeinaibu.jpg  akagawarabunki.jpg  akagawarakerun.jpg 
D丹渓山荘 D丹渓山荘内部。意外に綺麗である。 E赤河原コース分岐 赤河原コース内。時折ケルンがある。
natakizu.jpg  nanajyou.jpg  nanajyoushita.jpg  akapenki.jpg 
このような鉈傷が続く。痛そうである。 途中から七丈ヶ滝。遠望した方が良い滝かも。 F七丈ヶ滝下。ここで引き返す。 G本沢に戻る。このコースで初めて赤ペンキの道標があった。
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H五丈ヶ滝下流。この上部まで這い上がり、北の斜面に取り付く。 急斜面を這い上がる。 登山道に乗ると、危険地帯はロープが流してある。 登山道には、時折白いビニール紐が縛ってあった。
ropu2.jpg  4goume.jpg  taiger.jpg  gare.jpg 
こんな岩登りの場所も。 I四合目。尾根上には、この標識の他に標識らしい物は無かった。 こんな垂直の壁も。上から撮影。 ガレ場が見えると六合目も近い。
tocyuukararyousenn.jpg  rokugou.jpg  rokugousekihi.jpg  keikoku.jpg 
途中から三ッ頭方面 J六合目到着。 J石碑と朽ちた社がある。 J歩いてきた赤河原コースは通行禁止とある。もっともかも。
ishimuro.jpg  ishimuronaibu.jpg  sekihikaikoma.jpg  tocyuueboshi.jpg 
K石室外観。 K石室内部 石室分岐から南側 途中から烏帽子岳
tocyuukaramitugashira.jpg  mitugashira.jpg  mitugashirakumaana.jpg  mitugashiraeboshi.jpg 
三ッ頭手前から。 L三ッ頭山頂。  L三ッ頭から熊穴沢ノ頭 L三ッ頭から烏帽子岳 
eboshibunki.jpg  eboshiru-to.jpg  eboshinishi.jpg  eboshihigashi.jpg 
M烏帽子岳分岐。特に表示は無い。 赤ペンキに導かれた一級の道がある。 N烏帽子岳西峰。壊れた祠がある。 N烏帽子岳東峰。面白い形の石碑が見える。
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N烏帽子岳から坊主山。なだらかそうだが、ハイマツが厳しそう。 O登山道分岐帰り。ザックはデポしてある。 P熊穴沢ノ頭テン場。ひと張り分のスペースがある。  Pサントリーの回し者ではないが・・・。 

  

 地図で嫦娥岳を見ていた。南川さんは下から上がって踏んでいるが、第3尾根を使って行けないものかと、上の登り残しに抱き合わせて計画してみた。三ツ頭と烏帽子岳を見た場合、最短で登るのは日向八丁なのだろう。ただ、嫦娥岳と組み合わせた場合は必然的に戸台を基点とせねばならない。戸台からは各谷にクラシックルートがある。せっかくだから周回するように計画を立ててみた。


 
1:00出発。ワイパーを動かしながら峠を越えてゆく。最近は長野に住んだ方が良いのではないかと思うほどに長野詣出が増えている。杖突峠を越えて高遠に下りる。高遠町も長谷村も伊那市に統合されてしまったが、独自で運営できるほどに観光収入が多いのではないかと思うのは私だけか・・・。仙流荘前のバス停には20台ほどのハイカーの車が停まっていた。それらを右手に見ながら、戸台へ向かう。山中から下に降りた丹渓荘の前を通り、駐車場に到着する。ゲート前には堂々テントも張ってある。何処を狙うのか。


 4:28ゲートから歩き出す。するとテントから眠そうな家主が顔を出した。
軽く挨拶をして先を急ぐ。少し先に進むと、以前は広い道だった場所も水に削られ痩せた道になっている。もう数回大水が出ればこの道も危ういだろう。砂防ダムを越え最初の渡渉点となるが、流れもあり水深も深い。用意した90リッターのビニール袋を履いて渡り出すが、その袋の大きさが水の抵抗になり、思うように歩けない。格好としては、昔懐かしい「空き缶ぽっくり」の状態である。右手と右足、左手と左足を出しながら渡るのだが、途中でバランスを崩し前のめりに転倒。のっけから水没であった。前途多難、この先の渡渉点が負担でならなかった。

 泣きっ面に蜂、すぐに第一号床固のところのヘツリなのだが、ここも完全にルートは水没しており、強い流れで水深は30センチほど。岩を巧みに使って、ある程度は行けたが、一歩はしっかりと水没。二つを経験すると、もう3つも4つも一緒になった。ただ不思議な事に靴の中に浸水は少ない。足の甲までカバーするスパッツのおかげと、新しい雨具(ストームハンター)を使用していたせいかもしれない。角兵衛沢の出合の所でガサゴソと川の方で音がした。獣かと思ったのだが、登山者が渡渉場所を探しているようであった。向こうはこちらに気がついていないようであったが、何時にどこから入ったのだろうか。駐車場には、テントを張っているパーティーの車と私の車しか無かったのであった。この付近から嫦娥岳の切り立った尾根が見えるのだが、下からどのように攻略するのだろうかと見ていた。熊穴沢の出合を過ぎて、川の中に登山道が降りるところは、完全に水流に飲み込まれて歩けそうに無く、西側を高巻きして丹渓山荘から丹渓新道に通じる道の途中に出た。少し平坦地があるのだが、そこにビール瓶が無数に散乱していた。付近にはピンクのリボンが沢山有り、導かれるように藪沢に下りる。


 6:41藪沢を挟んで対岸に丹渓山荘の赤錆色の屋根が見える。しかし流れが強く、どうしても渡れない。上流に進み行けそうな場所を探すが、100mほど遡上しても適当な場所が無く、結局最初の場所に戻り、一番水流の弱そうな場所をジャブジャブと渡って行った。渡りきった右手に八丁坂の道標があったので、地図通りに渡ったようであった。戸台川を戻るようにして赤河原分岐に着く。斜面を駆け上がり、丹渓山荘を目の前にする。言葉を選びたいが、良くぞここで営業をしていたと言うような薄暗い場所であった。破れた窓から中を覗くと、外見ほどに荒れていない様子であった。ただ、さすがに中に入る勇気は無かった。


 さて分岐に戻り、ここから赤河原コースの始まりである。どんなコースなのかワクワクしながら進むのだが、最初から踏み跡は薄く、適当に歩くしかなかった。特に道標も無いのだが、地形的に川の中を通過だろうと思われる場所には、ケルンが作られていた。このケルンは、大水でよく流されないものと思って見ていた。途中から右岸歩きになり、川面からの標高差があるような場所では、木に鉈を入れた痕があった。大きく木肌を剥がしているのだが、痛々しい限りであった。七丈ヶ滝沢と本谷の分岐では、滝マニアの私としては七丈ヶ滝を拝みたくなり、少し遡上してみた。谷に入ると一番奥の第一の滝(仮名)が見え、どんどん詰めて行くと、第七の滝(仮名)の下に行き着いた。すばらしい自然の造形美であった。

 七丈ヶ滝沢からは左岸を通って下って行くと、途中で尾根の方に上がっている踏み痕があった。獣のものなのか人間様のものなのかは判断できなかった。沢の分岐まで戻り、本命の本沢に入る。こちらには赤ペンキで矢印でルート方向が書かれていた。赤河原分岐から来て初めて見る案内であった。少し先の右岸には焚き火の跡もあり、七丈ヶ滝沢より人の気配がした。しかし一合目の場所が判らずに、上流へ行ってしまい、七丈ヶ滝尾根への取り付き点が判らなかった。適当に急峻を這い上がると、そこに、先ほどの鉈の痕があった。見るからに登山道では無いようなのだが、鉈の御仁も間違ったのか。はたまたこの状態で登山道なのか。適当に行くと岩がオーバーハングして、その下が絶壁になっている所になった。行くしかないと思ってロッククライマー紛いに通過したが、その先は行くに行けず、再び戻る。そして上を目指してしばらく行くと、明瞭な(これまでに比べ)道が出てきた。やっと一安心するも、この先から危険地帯の連続であった。雨に濡れていなければ、かなり難易度は落ちるのだろうが、前日の雨をしっかり吸った岩は、なかなか手ごわかった。ザイルを垂らしてある所やタイガーロープの所などは良いが、バインド線の所は参った。錆が手に刺さり・・・。これらの各所で腕力が試された。気の抜けない場所の連続に、心身ともに疲れが蓄積していった。でもなぜか楽しい。

 4合目を示す旧長谷村の道標もあるのだが、この尾根に入って道標らしい道標はこれのみで、他に「何合目」と示す表示は見当たらなかった。付近はガスに巻かれて展望はいまひとつ、展望が良ければカメラを構えて休憩が出来るのだが、それもさせてもらえず、ただただ登る。地形図を見ながら登って来たのだが、どうにも自分の場所が地形図の点線箇所と違うようになった。よく判らぬが、道があるのは確かであり、尾根を拾うように進んでいった。そして目の前に大きな崩落地が現れ、そこを左に見ながらひと登りで六合目に到着した。ここには朽ちた木の社があり、判読できない石碑もあった12:10。


 ザックをデポして石室に向かう。歩き出してすぐに、遠くに石室の屋根が見えた。石室=「壊れかけた」などと思いながら来たのだが、目の前に見える物は違っていた。ワクワクしながら行くと近付くにつれて、辺りにキシラデコールの塗料の匂いがしてきた。小屋に到着してまじまじと見ると綺麗にリメイクしてあった。昔を知らないので、石積みをやり直しているのかは判らぬが、屋根やドアは新調してあった。中に入って驚いた。土間で有名なこの小屋に、床があるのであった。と言っても半分はまだ土間(軽くぬかるんでいる)なのだが、もう半分には床が張ってあった。これで格段に居住性が上がった事であろう。石の壁には、「綺麗に使いましょう」的な言葉がペンキで書かれていた。

 
来た道を戻り、六合目からザックを背負い三ッ頭へ向かう。本日の予定は石室で泊まるつもりで居たので、この先は次ぐ日に向けての省力行動となる。登りになり尾根の北側を辿ってゆくと尾根上を二人のパーティーが通過して行った。声を掛け、見るとコロンビアのサッカー代表、カルロス・バルデラマのような女性が居た。どこかで見たことがあり、記憶を辿ってみると、以前にネット上で日向八丁を登っていた人であった。聞くと今日も同じルートを登って来たそうだ。帰宅してもう一度検索をかけたら「裾野麗峰山の会」(労山)の方であった。

 私の持つエアリアマップには、登山道は三ッ頭を巻いているように書かれているが、現在の道は山頂を通っていた12:57。のんびりと腰を下ろし、展望を楽しむ。仙丈ヶ岳の方はほとんどガスの中。時たま姿を見せるが、全容は見せてもらえなかった。甲斐駒ヶ岳もガスの中。儀式をして次の烏帽子岳を目指す。鋸岳と甲斐駒を道標が示しているのだが、双方に向かう登山道以上に立派な道が烏帽子岳方面に降りて行っていた。藪漕ぎ覚悟で出向いて来ているので、思わぬご褒美を戴いた感じであった。元々はハイマツの尾根だったようだが、綺麗に切り開いてあった。おかげで、短時間で山頂に立つことが出来た。烏帽子岳の頂部は東西に2峰あるのだが、どちらの峰に登っても、相手側の峰の方が高く見えるのが不思議であった。西峰の方には、壊れた祠があり、東峰の方には奇形の石碑があった。長年の風雨からか、既に周りの石と同化していて、文字も判読不能であった。ここで一つ推測が出来た。道標に烏帽子岳方向が書いてないのは、道標の設置が伊那市(長谷村)であるのではなかろうか。烏帽子岳は山梨県側である。道を山梨県が開いたとして道標を立てたのなら当然案内するはずである。まー仮定なのだが・・・。


 14:39熊穴沢ノ頭到着。山頂部の南側にほど良いテン場があり、そこで幕営することに決めた。最初から第三尾根で嫦娥岳を狙う予定で居たので、最高の場所を得たわけであった。日はまだ高いのだが、動かないと決めたら早いもので、速攻でビール缶のプルタブがめくられた。外気温は16度、やや肌寒いが、不味い訳がない。


 一日の行動記録を付けつつ、地形図を見ながら明日の予習をした。ラジオの天気予報は、あまり芳しくない発表であったが、ここまで来たら行くしかない。
18時くらいから雨粒がテントを打つようになり、その音はだんだんと強くなっていった。外を見るとガスで視界は10mほど。ちびちびとウイスキーをあおりながら、雨音が次第に子守唄になっていった。

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