高指山 1174m 鉄砲木ノ頭 1291m 三国山
1320m 樽ノ木 1353m
大洞山 1383.5m 畑尾山 1360m
2007.11.24(土)
晴れ 単独 高指山登山口から篭坂峠まで 行動時間:4H15M
@高指山登山口7:45→(23M)→A高指山8:08〜12→(16M)→B切通峠8:28→(45M)→C鉄砲木ノ頭9:13〜21→(9M)→D三国峠9:30→(23M)→E三国山9:53〜10:02→(6M)→Fづな峠10:08→(12M)→G樽ノ木10:20〜22→(28M)→H大洞山10:50〜53→(25M)→Iアザミ平11:18→(10M)→J畑尾山11:28〜39→(4M)→Iアザミ平11:43→(17M)→K篭坂峠墓地駐車場12:00
@高指山登山口。適当な駐車スペースが無い。 | 途中のススキの原から高指山。 | A高指山。 | A高指山三角点。航空撮影用のプレートが散乱。 |
A高指山から富士。 | A高指山から鉄砲木ノ頭。 | B切通峠。 | 2車線幅はあろうかという広い尾根道。 |
C鉄砲木ノ頭。別名の明神山の表記で示す。 | 山中諏訪神社奥宮。 | C鉄砲木ノ頭から富士。 | 鉄砲木ノ頭から三国峠側。掘れた道の中を行く。 |
D三国峠。鉄砲木ノ頭側登山口。 | D三国峠。駐車スペース。 | D三国峠。三国山側登山口。 | D三国山側には達筆な標識が建てられている。 |
E三国山山頂。 | E古い石柱「甲斐国南都・・」「相模国足柄・・・」とある。 | Fづな峠 | G樽ノ木から南。標識も何も無く通過点である。 |
G樽ノ木から北 | ごんぐ。仏教用語らしいが、いまひとつ理解できなかった。 | H大洞山 | H大洞山三角点 |
アザミ平付近の植生復元地から畑尾山 | Iアザミ平分岐 | J畑尾山。山頂の表示は何も無い。 | J畑尾山から登ってきた側。 |
アザミ平からの下降路。かなり掘れた道の中を行く。 | K墓地前の登山道入口。(篭坂峠) |
前夜の忘年会の会合は道志の湯で執り行われた。浸かって、飲んで、食って、喋ってと楽しい時間が過ぎ、隣接する大駐車場で夜明けを迎えた。特に急ぐ予定も無いのでスロースタートで高指山の登山口に向かった。本来は山伏峠から入りたいところであったが、山伏峠がなんとも胡散臭い場所になってしまった。駐車スペースが無いのも大きな原因になっており、案の定、峠を通過時に1台のワゴン車が居り置き場所に困っているふうであった。この日はO氏は同行せず、篭坂峠で私を拾って戴けるとのことであった。お言葉に甘えて送迎をお願いした。
地図を見ると、高指山の中腹まで車道が入りかなりショートカット出きるように見えた。ダメ元で行ってみると、付近は別荘地になっており、置かれているマイカーの数からして住んでいる家が多いように見えた。いくつもの分岐があり適当に入ってはみるが、どこで登山道と合流しているのか判らず、結局正規ルートで登ることにした。テニスコートの場所まで戻り、道標に従い狭い林道を行くと、登山口脇にも別荘が建つような場所で、駐車スペースが特に無い。別荘の前にもスペースがあるが、ここは住宅の持ち主が停めており、どこに停めていいやら判らず、廃テニスコートの前の草むらに突っ込み停めた。私はオフロード車だからいいが、一般車だと困るであろう。
7:45緩やかな階段状の道を上がって行く。150m程進むと広い車道のような場所になり、そこに別荘が建っていた。他からの車道が見出せず、今歩いてきた場所が車道だったのかと振り返るが、車で入るにはかなり厳しい道である。フェンス沿いに進み、道なりに左に曲がる。しばらく進み、次に右から来る道とのT字路になり、ここは道標に従い左に進む。おそらくだが、この右から来る道が別荘地側からの道なのだが、テニスコートの東側から入っている林道がこの林道のようである。ここを行くと車道も絞られ、ハイキング道の注意書きがある。ここも別荘のすぐ脇を歩く道で、住む方も歩く方も微妙な心境ではないだろうか。登り上げると真正面に高指山が見える。ススキの原ですばらしく開けた明るい場所であった。この先で地図上のルートは右(南東)へ進んでいるようであるが、直登する踏み跡が東にあり、そこを進んで行く。ここには判読不能な白い鉄の標識も立っていた。よく踏まれているようで、とても歩きやすい道であった。
8:08高指山山頂。航空測量の白いプレートが三角点の脇に残されていた。展望はすこぶるよく。山中湖を従えた富士が見事であった。次に目指す鉄砲木ノ頭も綺麗な円錐形をなしている。カヤトの中の道を行く。最初の分岐が正規の登山コースのようであり、次に切通峠になるが、稜線の左右の道は深くえぐられた道になっていた。登山道を進むに連れてエンジン音が強く耳に入ってくるようになる。富士スピードウェーの音であることはすぐに判る。奥多摩のバイカーのエンジン音もそうなのだが、せっかくの自然の中に居るのに、下界の音が、それも騒音と思しき音が聞こえてくるのはなんとも気に入らない部分である。まー共存とは言いがたいがこの稜線を歩く場合は我慢せねばならない部分のようである。
鉄砲木の頭。ここもすこぶる展望がいい。山頂を覆うように黒土があり、そのほとんどの霜柱が融けてヌタ場のようになっていた。最高点には明神山頂と書かれた標柱があり、その北側に頭を赤く塗られた郡界の標識があった。山中諏訪神社奥宮が一番の建造物となり、富士に向かって鎮座していた。この建造物を見ていると、別名の明神山と言うのにも一理ありと思った。緩やかに三国峠に向けて下って行く。峠が近くなると新旧の登山道が入り乱れた感じになり、通行不可の場所は木の枝でルートを封鎖していた。この辺りは霜でやや凍っていたからいいものの、溶け出したら歩き難いヌタヌタとした登山道になるであろう。
三国峠に降り立つと、そこの駐車スペースにはO氏のスーパーカー停まっていた。道を挟んで向かい側の登山道に入ってゆく。登山口には至極達筆な道標が設置されていた。緩やかな雑木林の中を進んで行く。いつしか気がついた時には、富士スピードウェーの轟音が聞こえなくなっていた。見通し距離であり地理的な部分ではないだろうから、午前の早い時間で走行は終わったようであった。そうこうしているうちに上からO氏が下ってきた。足取りも快調であり、今日は昨日のインターバルと決め込んだようなのだが、勿体無いように思えた。
三国山の山頂は、樹木の中のあまり展望の無いピークであった。標識が林立する中、頭を赤く塗られた「甲斐国」「相模国」などと書かれた古い道しるべもあった。背丈の低いベンチが数座用意され、そこに腰を下ろすと木漏れ日を浴びながらのんびりとしてしまいそうであった。さてここからは、ほとんどアップダウンの無い稜線に変わる。ちらほらと行き交うハイカーも見られる。高低差の無さからか、皆気持ち良さそうに歩いているのが判る。ズナ峠を経て樽の木に立つのだが、ここは完全に通過点であった。何も道標は無い。エアリアでは、ここは楢木山と表記している所である。
相変わらずなだらかな稜線歩き。ふわふわの落ち葉を踏みしめながらザクザクと進んで行く。いつしか雑木林の中にブナが目立つようになる。ブナが多くなると不思議なもので、その一体が締まって見えるのであった。大洞山も標識こそあるが、これまた通過点のようなピークであった。先ほどの古い道しるべもそうなのだが、ここの三角点も頭を赤く塗られている。稜線上の御料局の基石もそうしてあったのだが、「目立つ」部分では理解したいが、なんでもかんでも塗られているのには・・・。さて残すはあと1座。O氏には12時に下りますと伝えてあるので、これには遅れる事が出来ない。有言実行は目上の人に対して大事な部分である。
少しアザミ平側に進むと、角取神社への下降点が左側にあった。地図では場所が特定できなかったのだが、社は麓にあったのか、稜線近くにあったのか。下降路が終わると一帯が開け、そこは植生復元の為のロープが張ってある。ロープの向こう(侵入禁止)側には足跡がかなり有るのだが、これほど広範囲に無毛にしてしまったのは、人間だけのせいなのか。アザミ平の標識が見えると、ここが篭坂峠への下降点になる。
畑尾山への最後の登り。エアリアでは破線ルートで示しているが、しっかりとした道がある。畑尾山山頂は、展望は無く山名を記す標識も無い。のんびり儀式をしていたら、残り30分となった。急いで駆け下りる。あざみ平の標識からは少し登り上げるようなトラバース道があり、その先から掘れた道を行く。両側の地表面から2mほど低い場所に居るのであるが、長年の経年変化でなっているのかどうか。それにしてもすり鉢状の登山道は、それなりに印象的であった。途中に分岐があり、「立山」や「畑尾山」の表示もあった。ただ、畑尾山を示す方向は、今歩いて来た道でなく、歩いていない西側にある道の方を指していた。だんだんと138号線を通過するバイクの爆音が聞こえてくるようになる。山に居る時は都会の喧騒から逃れたい気持ちがあり、この音にはなかなか寛容になれない部分であった。そうこうしていると目の前に墓地が見えてきた。何処に進めば良いのか判らず、墓石の間を抜けてアスファルトの車道に出た。するとそこにO氏のスーパーカーが停まっていた。結局何処が峠までの正規のルートか判らなかったのだが、墓地を下り峠のバス停の脇に登山道があったので、墓地を左に見ながら下るのが正しい降り方だったのかもしれない。
O氏の運転で高指山の登山口まで送ってもらい、次に目指す小富士に向かった。
戻る