湯俣岳  2378.7m     南真砂岳  2713m        真砂岳  2862m     

 
 2007.8.11(土)   


  快晴    単独    七倉ゲートより徒歩で水晶小屋まで  行動時間:14H14M(気胸発症中につき、超ゆっくり)   


@七倉ゲート0:00→(46M)→A高瀬ダム下分岐0:46→(27M)→B高瀬ダム堰堤分岐1:13→(38M)→C崩落工事現場1:51→(32M)→D林道終点2:23→(24M)→E名無避難小屋2:47〜53→(66M)→F湯俣つり橋3:59→(3M)→G晴嵐荘4:02〜15→(35M)→H展望台4:50→(73M)→I日陰ノ森6:03→(81M)→J湯俣岳7:24〜37→(52M)→K南真砂岳9:29〜10:34→(51M)→L真砂岳分岐11:25→(13M)→M真砂岳11:38〜46→(11M)→L真砂岳分岐再び11:57→(71M)→N東沢乗越13:08→(66M)→O水晶小屋14:14


nanakurage-to.jpg  takasedamubunki.jpg  damuenteinochizu.jpg  takamaki.jpg 
@七倉ゲート前 A高瀬ダム下分岐。右に行く。 B高瀬ダム 堰堤上分岐。左に行く。 C崩落の高巻き用の階段。湯俣側から撮影。
rinndousyuuten.jpg  heturibashi.jpg  nanashi.jpg  turibashi.jpg 
D林道終点。 地形の悪い所は、このような木道(橋)が渡してある。 E名無避難小屋。沢屋の濡れものが入口に干してある。 F高瀬川に掛かるつり橋。晴嵐荘の方へ向かう。
yumataonnsen.jpg  onnsennmaehyouji.jpg  tenboudai.jpg  tenboudaikarayari.jpg 
G晴嵐荘。営業していた。 G晴嵐荘前の案内表示。 H展望台 H展望台から槍ヶ岳。手前は硫黄尾根。
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H展望台から湯俣側の流れ。 I日陰ノ森。やせ尾根に表示がある。 J湯俣岳三角点。ベニア板に山名と標高、それに独標と書いてある。 J湯俣岳から南真砂岳。まだ遥か遠い。
yumatadakekarayari.jpg  minamimasagonobori.jpg  minamimasago.jpg  yamanezumi.jpg 
J湯俣岳から槍ヶ岳。 南真砂岳への最後の登り。 K南真砂岳山頂。 K最高点のハイマツの中に山ねずみ氏のプレートがある。
minamimasagomasago.jpg  minamimasagoyumata.jpg  miyamakinbai.jpg  kurimayuri.jpg 
K南真砂岳から真砂岳。 K南真砂岳から湯俣岳。 途中にミヤマキンバイの花畑。 クルマユリの群生もあった。
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L真砂岳直下の分岐。 分岐から野口五郎岳に向かうと、途中にこのようなハイマツの枯れ枝がある。この先から鋭角に踏み跡が登っている。 M真砂岳。 M真砂岳から水晶岳側。 
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稜線から五郎池を望む。 N東沢乗越のお地蔵様。  N東沢乗越の標柱。 小屋が中央の尖った岩の右側に見えている。 
suisyoukoya.jpg  koyakararyousenn.jpg  koyakarasuisyou.jpg  koyanaibu.jpg 
O水晶小屋到着。全てが新しくなっている。 O水晶小屋から真砂岳方面。 O水晶小屋から水晶岳。 O小屋内部。強固な造りである。 
       



 8月8日(水)、末広がりの日であるというのに、なんと不運にも気胸になった。今に始まった事ではないので驚きはしないのだが、ただただタイミングが悪い。ブクブクと胸膜の間に空気が漏れているのがよく判る。時間と共に肩が痛み、背中が痛くなった。深夜もろくに眠れず木曜日を迎えた。出発を明日の晩に控え、普通ならこの時点で中止である。だが、最後まで諦めないのが私の信条である。どうにかならないものか考える。そんなに深く考えたわけではないのだが、“片肺で行くか”という判断しかなかった。完全に潰れては居ないので、通常が3000ccだから1割の収縮(仮定)で安全率を見て2割減とする。ゆえに2400ccは確保できる。2400ccは女性自衛官の合格最低基準である。国が認めるのだから安心である(こじつけ成功)。後は急激なエア漏れで万が一の場合はヘリを呼ばねばならない。これについては経験則で、今回はそれは無いだろうと判断した。まーこれも「だろう運転」のようなものでしかない。


 10日金曜日になっても、依然軽い息苦しさと肩の痛みがある。迷わないといえば嘘になるが、中止にしてしまえばどんなに楽であろうか。4日間クーラーにあたってノホホンとしていれば時が過ぎるのである。ただ、私にとって家でじっとしている事ほど辛いことはない。決行あるのみであった。今回の装備は負担減のためにテントをツェルトにした。あとは5日分の食料と着替えで、結局重量的には通常と大差が無くなってしまった。肺への負担減の為に息を荒げないように歩かねばならない、と言うことは通常よりゆっくり歩くことになる。夜歩きの時間も考慮して、ヘッドライトのバッテリーも余計に持つことになった。


10日、終業後20時に家を出る。三才山トンネルを潜って松本に出て、大町から326号線で七倉ダムを目指す。七倉隧道を抜け七倉山荘前まで来ると、左右にずらっと車が並んでおり、空きスペースを探すのに右往左往としてしまった。なんとかゲート寄りの場所を見つけ、そこに突っ込む。到着時間を同じくした方たちは、明日の出発に向けて就寝の準備をしていた。一方私は、そのままスタートとなる。


0:00七倉ゲートから歩き出す。外気温が暖かい中、トンネル内は非常に涼しく気持ちがいい。口を結び鼻呼吸に徹する。口を開けねばならなくなったら、それはペースが速過ぎるとした。今回の予定を完結するには、ここを一番のポイントとした。トンネル内は明るくてヘッドライトは無用であった。仙沢トンネルを抜けると目の前にカモシカが現れ、不思議そうにこちらを見ていた。高瀬ダムの堰堤も予定では直登であったが、じっと我慢して九十九折に従った。気胸の痛みと荷物の重さで、肩が非常に痛い。でも気胸の痛みを荷の重さの痛みに転化出来るのは精神的にも楽になる。


歩き出しから70分で堰堤上の分岐に到着。ここから右へ行くと烏帽子岳側。左に進むと湯俣側となる。烏帽子岳への道を背にしてダム湖管理塔の方へ進むと、乗用車が2台停まっていた。一般者(車)では無いと信じたいのだが、一般車のように見える2台であった。再びトンネル群の中を行き、最後のトンネルを出た先に大岩が置いてあり、何を意味するのかと思ったら、その先で林道が完全に崩落して、現在は修復工事中であった。よう壁の上を歩くようにエスケープルートが付けられ、それに伝い高巻きをする。次に東電の水力発電所があるのだが、この周辺だけ異様に気温が高かった。


2:23林道終点から山道に入る。とは言ってもしっかり管理された道で、これまでの林道とそん色ない道である。秘儀「居眠り歩行」が出来るほどであった。途中の名無避難小屋の中を覗こうかと思ったが、入り口に沢屋の地下足袋が2組置いてあり、安眠の邪魔をしてはと、そのまま通過とした。この先も相変わらず良い道が続く。崩落ぎみの所は木の歩道(橋)が付けられ、安心して足を出せる道であった。右に高瀬川の音を聞きながら行くのだが、ライトを向けると白いしぶきが見えるようになってきた。歩道と水面が近くなってきたと言うことは湯俣も近いか・・・。対岸の先のほうにライトが見える。幕営者か・・・。


3:59 丁度4時間で高瀬川のつり橋に到着。分岐表示には槍方面などとあるが、いずれ北鎌尾根も行ってみたい。橋を渡ると緑のロープが晴嵐荘へ導いていた。そう、先ほどから見えていた明かりはこの晴嵐荘の明かりであった。勝手な思い込みなのだが、この地の温泉は全て廃業したように思っていたのだが、見ると晴嵐荘の部屋の各所から明かりが漏れ、営業をしているようであった。ザックを下ろし大休止となる。再び川の方に行き、水溜りに手を入れるが藻が酷く温い。まー手を入れただけでも湯俣温泉に浸かったと記憶に残せるので、とりあえず満足。次にここまで水無しで来ているので、絶対にここで汲まねばならない。この上には水場は無い。闇夜の中を探すと、施設を正面に見て右側に水場があった。そこで2リッターを酌む。少し早い朝食を取り竹村新道に備える。胃を膨らませると肺を圧迫して痛みが出る。水を飲むにも物を食べるにも苦労が必要なのであった。今日は何重苦登山なんだろう。


4:15 竹村新道に踏み入る。少し夜も白み始め、左下に湯俣川の白い流れが見える。それに並行するように硫黄尾根も上がっている。いくつも課題はあるのだが、あとでこの硫黄尾根も登らねばならない。目に焼き付けるように何度も横見しながら足を上げて行く。45分ほど登った辺りに展望台の標柱があった。確かにここからの展望はいい。深山に入ってきている感じが強くする。南側の真正面には槍の穂先がスクンと見える。北鎌尾根をこの角度で見たのは初めてであった。息を荒げないようにゆっくりと上がってゆく。いつもとは違う肺の状態に心音の響きが大きい。これは体内に異空間が出来ているためである。急登ではあるのだが、目の前には超一級の道があり、安心して歩ける道であった。コースタイムでは湯俣岳まで3時間を要するとあるが、その半分の1.5時間の所に「日陰ノ森」と名付けられている場所があった。森といえば森なのだが、やや地形が尖った所で休憩場所には適していないように思えた。我慢の鼻呼吸登山が続く。


7:24湯俣岳に到着。ここは登山道からほんの8mほど逸れると三角点がある。樹林に四方を覆われているのだが、その上に周囲の山々が見えるので、私ほどの背丈の人にはなかなかの展望であろう。山名を示すものがベニア板のみであり、なにかしっかりとしたものが欲しいような気もした。ここから見る南真砂岳は遠い。まだこの尾根の三分の一ほどしか上がっていない状態に、踵を返したくなるような気さえもした。コツコツと歩き出す。そしてガレ場辺りで、この日初めての登山者とすれ違う。“この尾根は大変だよー 判って登って来てるだろうがね”などと声を掛けられる。当然判っている。厳しいと言われるから登ってみたかったのであった。天気が良いので展望も足元の草花もすばらしい。ただ、「ジリジリ」と音が聞こえるほどに日差しが強い。苦しい登りであった。


9:29やっと南真砂岳到着。ここも登山道から少し逸れる。山頂部のハイマツの中に山ねずみ氏の白いプレートがあった。展望を楽しみながら大休止となる。360度の展望があり、長居するのに申し分は無い。昼寝でもと思いザックにもたれかかってうとうとしてしまったら、なんと1時間も経過してしまった。でも肺を休めるには必用な時間であった。完全に横になりたいのだが、肺から漏れた空気が別の所に移動すると、違った痛みが出てくるのである。さて、本当に大休止をしてしまい、仕切りなおしで歩き出す。行き会う人もちらほら見られ、必ず儀礼的に“どこから来ましたか”と聞かれる。聞く方は湯俣何時という回答を待っていたのだろうが、そこで“今朝、七倉から”と返答をすると、大概の人はニタニタとしてそれ以上ごちゃごちゃ聞いてくる者は居なかった。真砂岳を目の前にして登山道がトラバースをし出すともう分岐も近い。分岐点には雪渓も残りビールでも持ち上げていたならば埋めておくところなのだが、今日はビール1本の重みの軽減も重要であった。


11:25真砂岳分岐。ここにザックをデポして真砂岳を狙う。適当に斜面を駆け上がり、最初に岩峰の方へ上がる。次に西へ戻って標識のあるピークに立つ。北を見るとでんとした野口五郎岳があり、これから行く西側を見ると水晶岳や鷲羽岳の見事な稜線がある。これぞ北アルプスと言った展望であった。眼下には五郎池が黒く光っている。残雪期にはここはかなり良いバーンであろう。分岐に戻ろうと歩き出すと、微かに踏み跡があった。それに伝ってゆくと、登山道と合流した場所には枯れたハイマツに赤い絶縁テープが巻かれていた。気にしていなければ通過してしまうような場所であった。分岐に戻り、再び重いザックを背負って歩き出す。


なかなかアップダウンの多いのと、ゴーロの多い地形で岩に乗りながら足を進めてゆく。今日の私は、割れ物を持ちながら歩いているような状態で、飛び移ることが出来ない。振動を与えないように静かに静かに足を出してゆく。東沢乗越のお地蔵さんには、ここまで来れたことに感謝し、一礼して通過する。そして最後の登り。左側は赤茶けた崩落地で、その上に水晶小屋があるような状態に見える。喘いでいる一挙手一投足を小屋から見られているようで、恥ずかしい限りであった。いつもなら一気に登り上げてしまうのだが、ぐっとこらえてのんびりのんびり。そして湯俣温泉にあったのと同じ、緑色のロープに導かれ水晶小屋に到着した。

 目の前の小屋は、今年のヘリの事故により、綺麗に建て直されていた。この短期間に良くぞここまでと思うほどに立ち直っていた。現在も作業は続けられているようで、金槌や鋸の音が絶え間なく聞こえていた。土間の天井には透明のアクリル板が張られ、採光を考えた作りになっていた。木の香りがしてホッとする小屋である。ただ、風の関係と思いたいのだが、内部も周辺もトイレ臭が強い。ここではテントを張れないので5500円を払い素泊まりを決める。今日の頑張ったご褒美にビール(600円)を流し込む。美味い。自炊なので水は0.5リットルまでは無料で貰えた。湯俣の2リットルがほとんど残っているので、明日に向けては十分量であった。この日の小屋の利用者は40名ほどで、1枚の布団に2人の割り当てであった。とは言っても空いている布団もあり、もどかしいのだが、30名以下でないと1枚に1人にはならないようであった。まー一部の者だけが優遇されるのはおかしいので致し方ない処置であろう。皆が夕方の談笑をしている間に睡眠をとってしまうことにした。完全に横になると辛いので、半分体を起こした状態でうとうと・・・。そして消灯時間になると皆シシャモのようにくっつきあって寝る羽目になる。身体接触の関係から寝られないのと、肺の空気の移動で痛みが出る。寝るのも辛いってやつである。いろいろな部分で日が変わるまでに我慢が出来ず、歩き出すことにした。もぞもぞと起き出して下に行くと、ここでゆったり寝ている人が居た。抜け目の無い人が居るものである。大イビキをかきながら気持ち良さそうであった。外はガス。雨具を着込み準備万端。

 この先は次ぐ日に続く。

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