笊ヶ岳 2629m 小笊ヶ岳 2615m 布引山 2583.7m (桧横手山) 2021m
2007.4.29(日)
快晴 単独 笊ヶ岳北側2432m付近で幕営から老平まで 行動時間:7H54M
@幕営地から出発4:51→(24M)→A椹島への下降点5:15→(38M)→B笊ヶ岳5:53〜6:07→(10M)→C小笊ヶ岳6:17〜34→(12M)→D笊ヶ岳に戻る6:46〜50→(72M)→E布引山8:02〜19→(74M)→F桧横手山9:33〜41→(50M)→G林業作業用リール10:31〜43→(18M)→H山の神11:01→(21M)→I渡渉点11:22→(36M)→Jタケ沢吊橋11:58→(10M)→K廃屋12:08→(5M)→L登山口12:13→(22M)→Mゲート12:35→(3M)→N駐車場12:38→(7M)→O老平入口12:45
@幕営地から。奥の方に小笊ヶ岳が見える。 | 稜線から小笊ヶ岳。笊ヶ岳はほとんど見えない。(この後の写真は全てレンズに水滴が付いています) | 途中から富士山。 | A椹島への下降点。 |
B笊ヶ岳山頂。絶景かな。 | B標柱の頭が見えている。最高雪面より1.5mほど下にある。 | B笊ヶ岳から小笊ヶ岳 | B笊ヶ岳から布引山側 |
B笊ヶ岳から聖岳・上河内岳 | B笊ヶ岳から荒川岳 | B笊ヶ岳から聖岳ズーム | B笊ヶ岳から赤石岳ズーム |
B小笊ヶ岳への標識。 | 急峻が始まる少し手前の様子。 | 小笊ヶ岳直下。 | C小笊ヶ岳山頂。 |
CM大の標識。下に丸い標識も付いている。 | C小笊ヶ岳を少し下った所から笊ヶ岳。 | 笊ヶ岳直下の斜面に「福岡かんだ猿」が付いていた。 | D布引山に向けて出発。 |
途中から小笊ヶ岳を振り返る。 | E布引山山頂。標識を探したのだが・・・。 | E布引山から西側の展望。 | ガレ場。右の尾根は所の沢越へ行く。 |
ガレ地に沿って降りてゆく。 | 東に進路を変えた斜面の様子。下から撮影。 | F桧横手山 | F山名標識 |
G錆びたリールが残置してある。 | G電話番号に注目。3桁である。 | ムラサキヤシオが鮮やかに咲く。 | H山の神 |
I渡渉点から取付き場所。ここを降りてきた。 | I上から渡渉点を見下ろす。 | I写真中央を石伝いに真横に通過した。 | 左岸に移ると注意書きが・・・。 |
綺麗なイワザクラが咲く。 | 崩落箇所にはタイガーロープが流してある。 | Jタケ沢の吊橋。なかなか年代物のようであった。 | K廃屋であるが、しっかりした造りである。 |
L登山口。林道終点。 | M小さなゲート。跳ね上げ式? | N駐車場は満車であった。 | O老平入口(馬場停留所) |
夜中は寒さで何度も目を覚まし、ガスバーナーで暖を取った。マイナス5度対応のシュラフにシュラフカバーを持ち上げたのだが、それでも寒かった。エアーマットを利用したのだが、それも原因だったかもしれない。3:30起き出して、カレーのリゾットを作り腹を満たす。外に出ると好天が判った。雪を集め本日用の飲料水を作る。1リッターほど作るのにも結構時間が掛かるものであった。ラジオを点けるとNHKの天気予報では、関東は「雨」などと言っている。この天気が雨だとは・・・。聞き間違えか、予報が大きく外れているのか・・・。
4:51 2日目のスタートとなる。小笊ヶ岳のピークが良く見えている。東からは真っ赤な太陽が上がり、その右手に見事な富士が見えている。もしこれが4ヶ月早かったら、「ダイヤモンド富士」と言われるように富士山の頂上からお日様が上がるのだろう。今日でも十分満足であった。一生懸命に足を上げるのだが、出だしからなかなかきつい。新雪が30センチほどある。一昨日から昨日を経て30センチになったと思われる。ワカンをはいて雪を蹴散らしながら上がって行く。5:15椹島への下降点通過。マーキングがいくつか降りて行っていた。牛歩のような豚歩ような状態で小さなピッチでノコノコと登ってゆく。西側には次第に荒川三山や赤石岳、そして流麗な聖岳が見える。これがあるから登っているような感もある。素晴らしい至福の時であった。
5:53笊ヶ岳山頂到着。歩きだしからほぼ1時間であった。標柱は最高所から1.5mほど下に頭だけを出していた。概算だが足の下は2630.5mほどのところであろう。ゴールデンウィークであるので、老平からの登山者が来ていると思ったが、トレースは皆無であった。すぐに小笊ヶ岳へ向け歩き出す。昔の朽ちた標識の脇を通り斜面を目の前に、その足はすぐに止まった。カンジキでは無理であった。12本爪に切り替えて下る。滑っても南に落ちれば良いが、北はアウトである。そこら辺を注意しながら下ってゆく。鞍部には一つコブがあり、それを越えると最低鞍部のようであった。そこはナイフリッジになっていて慎重に足を運ぶ。かなり時間が掛かるかと思われたが、笊ヶ岳から10分ほど小笊ヶ岳に到着した6:17。ザックがないと本当に楽である。雪面とほぼ一緒くらいの所にM大の青い標識があり、根元を掘ると木の丸い標識も出てきた。展望も良く思いのほか山頂の広いピークであった。戻る途中、笊ヶ岳の直下に「福岡かんだ猿」のプレートがあった。久しぶりに見るかんだ猿である。ここに付けたと言う事は、御仁も小笊に行ったという事だろう。西上州の大山の北面にプレートがあった時もハッと思ったが、この時も同じ感じであった。
6:46笊ヶ岳に戻り、布引山へ向かう。小笊側ではなんともなかったのだが、南へ進むこの稜線ではアイゼンがすぐにダンゴになった。掃っても掃ってもダンゴになり、結局外してしまった。リスクはあるが、稜線を少し樹林の方を歩くようにして下って行った。それでも雪の下にある凍っている部分には全く気がつかず、何度となくスリップして尻餅を撞いた。最低鞍部から登りになるのだが、いくつかニセピークのような連なりで、ぬか喜びする事数回。8:02やっと布引山に到着した。三角点も無ければ標識も見当たらない。やはり1.5m〜2mほどは積雪量があるようである。枯れた樹林帯の向こうに見える南アルプスの主峰群は見栄えのするものであった。日差しも良くのんびりしたかったが、この先も長い、早くにこの新雪の状況から脱したかった。
布引山から南に向かって少し下るとガレ地が西側に見えてくる。そこを伝うように行くのだが、この時期は東の樹林の中を通った方が無難であった。マーキングは途中まで頻繁にあったのだが、分岐箇所周辺に少なく判りずらい。当初の通り所の沢越に向かうとして、果たしてこの雪の状態で降りて行けたのかどうか、アイゼンが使えれば良いのだが、使えない状況下では、もし順調にここまで来ていても、断念せざるをえなかったかもしれない。
木に付けられた赤ペンキを辿りながら尾根を南に下るのだが、途中から東に方向を変えねばならない辺りも判断が微妙に難しかった。斜面がきつく赤布に従ったのでは下りられないような所があった。今回は全て雪のせいにするのだが、アイゼンが使えればどこでも降りられるとは思う。高度を落として行くと2100m付近で引き返しているトレールがあった。おそらく昨日の悪天候で引き返したのだろう。トレールがあれば後はそれに繋がって行けばよいので、だいぶ気分的に楽であった。凍った尾根で悪戦苦闘していると下から鈴の音が上がってきた。この時期らしい猛者風の方で、話を聞くと日帰りで笊ヶ岳を踏むらしい。ここまでで5時間を要しているという。私がトレールを付けたからこの先はある程度は楽だとして、それでも2.5時間ほど掛かるだろう。下山は17時か18時か。凄い体力である。気さくな方で情報交換すると、やはり前日登頂を目指した方は途中で断念して下ったとの事であった。健闘を祈って背を向ける。下に連れの女性も居られてがんばって上がって来ていた。この方もかなりの猛者風であった。
9:33桧横手山到着。日の入らない山頂は、涼しく気持ちよい場所であった。10分ほどクールダウンして歩き出す。すると2人のパーティーとすれ違った。“どちらから”と聞かれたので“伝付からです”と答えると、仲間内で“あーあっちから入る方法もあるねー”などと言っていた。どこのピークを目指しているのかは判らぬが、笊ヶ岳を目指すならこちらのコースで正解なのでは、などと内心思っていた。ただ、ルート選定など他人が歩いたコースを知ってハッと思うことは良くあることである。足の下の雪も次第に無くなって行き、造林小屋跡付近では完全に夏道が出ていた。エンジン付きのワイヤーリールの錆びた機械のあるところで、半袖のシャツになり、下に履いていた雨具を脱いだ。もう春を通り越して夏の日差しであった。山の神を左に見てガンガン下ると左下に白い水の流れが見えてきた。するとこの時間(11:07)にして一人登ってくる方が居た。渡渉点の様子が気になり、“今日は靴を脱がないと渡れませんかね”と言いながら「渡れ」くらいを口にしている時、御仁の足元に眼が行き、吐いた言葉を後悔した。御仁は沈没したのであった。御仁からは“私は失敗してしまい”と言葉が返ってきた。拙い事を聞いてしまったと反省した。
11:22渡渉点に到着。靴を脱ぐ覚悟をしていたが、適当な岩があり、ぴょんぴょんと飛び越え対岸に移った。私が特にバランス感覚が良いわけではないと思うが、水没にはならないような・・・。ただ、ここを渡れば水没すると言うような場所はあった。渡渉点は上流と下流を良く見ることが濡れない秘訣である。左岸に移るととても良い道が続いていた。すぐに大岩があるのだが、その上にはイワウチワが雪が積もっているかのように咲いていた。左側が壁のようになっている所では、水が滴り、そこにイワザクラも咲き誇っている。水の流れを右に見ながら気持ちの良い歩行が続く。タケ沢を吊橋で渡り10分ほどで銀色の屋根を持つ廃屋にたどり着く。古い割にはしっかりした造りである。外に触れる木の部分には、渋柿などが塗ってあるのではなかろうか。すぐ先の茶畑は管理されているようで、おそらく老平の集落にこの家の持ち主がいるのではと思った。
12:13登山口に降り立つ。山梨ナンバーの四駆が1台置いてあった。すれ違った方の中の一人なのかは判らぬが特別待遇の方であることには間違いない。林道を闊歩して行くと釣りの方がちらほらと歩いていた。お互い別分野である事が判るので、言葉を交わすことも無い。12:35南京錠が掛けられた小さな小さなゲートがあった。この少し下った所に7台ほどの駐車スペースがあった。ここで予約していたタクシー屋に電話をして迎えを頼んだ。じっとしている事が出来ないので、そのまま歩き、馬場の停留所のトンネルの抜けた辺りで拾ってもらった。乗務員と付近の山の話をするのだが、御仁は地元の人ではあるが、山に関してはほとんど無知のようであった。まー興味が無かればそんなもんだろう。田代の登山口まで7000円だった。実際は7500円〜8000円ってところだろう、地元のSさんの口添えで良き配慮をしていただいた形となった。私が工事中を気にして遠い所へ停めたわけだが、乗務員からは“そんな事は気にせず登山口に停めて良いよ”と地元の人らしい言葉を貰う。
帰りは、ヘルシー美里に寄り風呂に沈没する。ここは廃校を利用した宿泊施設になっている。設立間もないのかは判らぬが、駐輪場には往時の生徒の自転車がまだ残っていた。家には18:00到着。