仙人山 2211m 坊主山 2199.1m
2008.9.13(土)〜14(日)
13日 雨のち曇り 単独 扇沢から室堂に上がり、剱沢を二股まで下り池の平小屋へ登りあげる。 行動時間:9H16M
14日 雨のち晴れ
単独 池の平小屋から仙人峠に上がり、坊主山をピストン。
行動時間:12H15M
1日目
@扇沢5:58〜7:00→(
70M)→A室堂8:10〜24→(21M)→B雷鳥沢8:45→(82M )→C別山乗越10:07→(21M)→D剱沢10:28→(81M)→E真砂沢ロッジ11:49→(58M)→F二股12:47〜50→(60M)→G仙人峠14:50〜54→(20M)→H池の平小屋15:14
2日目
I池の平小屋4:32→(27M)→J仙人峠4:59→(10M)→K雨量計ピーク5:09→(16M)→L仙人山5:25→(33M)→M2170肩5:58→(18M)→N2143高点6:16→(42M)→O二重山稜地点5:58→(112M)→・2051高点7:50→(80M)→P2140標高ピーク9:10→(21M)→Q2160標高ピーク9:31→(29M)→・2150標高ピーク10:00→(29M)→R坊主山10:29〜54→(49M)→S2160標高ピーク帰り11:43→(9M)→《21》2140標高ピーク帰り11:52→(18M)→・2110標高ピーク12:10→(44M)→・2051高点12:54→(38M)→《22》2080標高ピーク北13:32→(45M)→O二重山稜地点14:17→(36M)→《23》2143高点14:53→(30M)→M2170肩15:23→(30M)→《24》仙人山帰り15:58〜16:13→(10M)→《25》雨量計ピーク16:23→(6M)→《26》仙人峠16:29→(18M)→《27》池の平小屋16:47
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| @扇沢駅。既に沢山の方が並んでいる。 | 黒四ダムの観光放水。 | A室堂から出発。一般観光客には生憎の天気。 | みくりが池温泉前に居た雷鳥(中央でこちらを向いている) |
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| 地獄谷 | 地獄谷のエンマ山も登りたいのだが、たぶん許されないだろう。 | B雷鳥沢。大きなザックを背負ったハイカーが降りて行く。 | C別山乗越。剱御前山荘。 |
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| D剱沢。まばらにテントの花が咲いていた。 | D剱澤小屋。 | 剱沢雪渓を下ってゆく。 | 途中の平蔵谷。手前の大きな岩が印象的。 |
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| E真砂沢ロッジ。テン場には二張り。 | Eロッジは人影が無く静かであった。 | Eロッジ前の道標とコースタイム。 | 真砂沢ロッジの下流で雪渓の崩落があり、対岸への迂回路が造られている。 |
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| F二股の吊橋。 | F二股から仙人新道に入る。 | 仙人新道の尾根に乗り、小窓ノ王を見上げる。右が小窓雪渓。左が三ノ窓雪渓。 | G仙人峠東側の仙人池への分岐。 |
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| G仙人山への北仙人尾根への入口。タイガーロープで塞がれている。 | G仙人峠。大きなベンチが二つある。 | H池の平小屋に到着。左に見えるのは風呂小屋。 | Hヘリポート前に幕営。エアライズにゴアライトを被せた変則仕様。 |
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| I坊主山に向け池の平小屋を出発 | J仙人峠 | Kガスに覆われる雨量計ピーク。 | K横河電機製雨量計。 |
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| L仙人山。往路は休まず通過。 | 仙人山近辺には青いマーカーが点在していた。 | 2210高点から2170肩へ向う尾根の様子。 | M2170肩にはMLQのルートコメントが残る。 |
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| N2143高点から歩いて来た仙人山側(帰りに撮影) | O二重山稜の南側。往路は自然と右(東)の尾根に乗る。 | 二つの2080高点間にある目立つ奇岩。左(西)を巻いてゆく。 | 2051高点と2110標高ピークとの中間点に落ちていたモンベルのメガネ。 |
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| だんだんとこのように潜る箇所が増えてくる。 | 2110標高ピークと2140標高ピークの鞍部付近。けっこうに濃い。 | 2140標高ピークの南側斜面の岩場の所にバン線が流してあった。 | この壁は右を巻いて行った。左でも良かったような・・・。 |
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| P2140標高ピークから登ってきた斜面を振り返る。やや岩が多くなってくる。 | P2140標高ピークから2160標高ピークを見上げる。岩が点在し綺麗な展望。 | 途中で、やっとガスが切れ坊主山が姿を現す。 | Q2160標高ピークの北東側のなだらかな笹原。 |
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| 2160標高ピークと2150標高ピークのほぼ中間点。ここはやせた岩場を直登する。 | この岩は左を巻く。 | 大岩が多くなり、尾根の西側には踏み跡が散在していた。 | この岩も左を巻いた。 |
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| 坊主山への最後の登り。 | 坊主山が近くなると、かなり濃い踏み跡もある。 | R坊主山山頂。 | R三等三角点。 |
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| R坊主山から北。 | R坊主山から南。 | R坊主山の三角点とリボン。 | R山ではあまり見ないナデシコ。この株のみ咲いていた。 |
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| S2160標高ピークから見る南側の展望。 | 《21》2140標高ピークから2160標高ピークを振り返る。 | 途中からやっと北方稜線が姿を現す。大窓。 | 《22》2080標高ピーク(北側)から見る南側。 |
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| 《23》2143高点から見る仙人山。 | 2170肩の南側から仙人山側。 | 2210標高ピーク付近から見る仙人池ヒュッテ(赤い屋根) | 南北に二つの2210標高ピークがあるが、間に池塘のような窪みがある。 |
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| 《24》仙人山帰り。ダケカンバの幼木が多い。 | 《24》MLQの絶縁テープが唯一山名を記す。 | 《24》仙人山から見る雨量計ピーク。 | 《25》雨量計ピークには綺麗なリンドウが風に揺れていた。 |
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| 《25》雨量計ピークから見る仙人山。 | 《26》仙人峠に戻る。 | 池の平小屋手前の水場。水量は豊富。 | 《27》池の平小屋に戻る。 |
とうとう念願の坊主山(北ア)を狙う日が来た。なかなか報告の上がらない場所だけに我が力量で届くのかどうか・・・。昔は北仙人尾根と坊主尾根とを繋いで、仙人峠から欅平への登路が稜線に通っていた。しかし現在は廃道となり自然の姿に戻ってしまっている。そんな中、今年7月にMLQの調査登行がなされた。この詳細報告は強い味方であった。これが無かったら間違いなく残雪期で狙おうと思っていた場所である。当然のように南川さんの記述も併せて何度も読み込み、地形図とにらめっこしながら頭に叩き込んだ。二日分の幕営装備(3日〜4日分の食料)でザックの重さは21キロになった。これで水無しだから現地で水を汲むとプラス1〜2キロ。天気はあまり良くないが、3連休などなかなか取れず、数少ないチャンスを利用となる。
1:20家を出る。上州上空では月明かりが見えたが、信州に入ると残念ながら雲に覆われた天気になる。4:18扇沢の駐車場に着くと、そこはもう車で溢れかえっていた。駐車スペースがなく、スノーシェッドの場所まで降りて市営駐車場に突っ込む。少し仮眠をと後に移るが、30分ほどで車の屋根を叩く音で眼を覚ます。当初の計画では、黒部駅から内蔵助平経由で真砂沢に出ようかと思っていた。しかし天気は完全に土砂降りになった。内蔵助谷出合から先が少し崩落していると聞いていた為に、雨の中での登りの利用は酷に思えた。そこでMLQ同様に室堂からアプローチすることにした。現在の扇沢からのトロリーバスの始発は7:00。まだまだ時間充分であるが、この駐車数からすると、のんびりしていたのでは1番バスに乗れない。6:00ノコノコと扇沢駅に向かって行くと、チケット売り場の前には既に60名ほどの列が出来ていた。雨具を着込み、傘を差し、皆寒そうに並んでいた。迷う事なく最後尾に並ぶ。流石に3連休でもあり、今日を選んだ自分に非があるのだが、私にとって突っ立ったまま時間を経過させるほど辛いことは無い。40分ほど待ったか、やっと売り場が開いて列が消化されてゆく。8800円で室堂までの往復を買い、荷物料金として210円を支払う。改札前でもしたたか待ち、7:00の出発までにほどほど疲れてしまった。黒部湖駅で再び荷物料金を払うのだが、扇沢で室堂行きと宣言しているのだから、そこで徴収してはどうなのだろうかと思うのは私だけだろうか。大観峰からは7:50発の臨時便が出て、室堂には8:10到着。階段や踊り場では皆雨具を着込み、展望所から外に出るとカラフルな雨具の花が咲いていた。
湧水を口に含み、別山乗越に向けてスタートする。みくりが池温泉のちょうど分岐の場所に、散策路脇を雷鳥がヨチヨチと歩いていた。だいぶ人馴れしているようで逃げる様子は全く無く、散策者の目を和ませていた。地獄谷では全身に硫黄の煙を浴びながら歩いてゆく。石が敷かれた散策路はよく滑り、足許に集中しながら下りてゆく。西側を見ると手の届きそうな場所にエンマ山が見えるのだが、途中斜面は硫化水素が強く出ている場所があるようであり、それが一番の入山禁止理由のようである。次にある雷鳥沢には広い敷地の中に5張りしかなく、さびしく目に映った。雨粒に打たれながら雷鳥坂を登って行く。雨具は脱げず内側はサウナ状態、それが腕や足になると外気に冷やされて冷たくて仕方ない。別山乗越では休憩を入れずにそのまま下降に入る。汗がすぐに冷えてしまい、寒くて立ち止まっていられなかったのである。ここで殆どの方は剱岳を目指すようで、剣山荘へ進むルートを辿られていた。剱沢に下ってゆく方はまばらで、その中に女性二人のパーティーが居たので声をかけると、今日は私と同じ目的地の池の平小屋との事であった。幕営装備ではないようで飛ぶように先を降りて行った。野営場に全部で12張りのテントがあった。適当な間隔をあけ色とりどりのテントの配置が面白く目に入ってきた。
野営場の下流では大きな小屋が建設中で、その前から右(東)に折れる(標識なし)ように急斜面を下って行く。ガレた道を行くと新設小屋から10分ほどで雪渓に乗る。この先しばらくは標識類が無い。左側を見ると源次郎尾根が見え、下降してゆくに連れ、その手前の平蔵谷入口の大岩がひときわ目立つ。雪渓はよく固まっていて沈み込みは無いのだが、歩きやすいかと言えば微妙なところであった。6本爪も背中に入っているのだが、着けようか着けまいかを迷うような雪質であった。おそらく雨が降っていることにより滑りやすさを増しているようであった。途中右岸側斜面に夏道が赤ペンキで示されていたが、構わず雪渓の中を下る。途中には大きく口を開けた場所もあり、覗き込んだが、落ちればまず一人では這い上がれない高さがあった。滑りやすい雪面を時に横になりつつ慎重に下って行く。
いつしか太いホースが左岸側の雪面に繋がっていた。雪の上にあるので不思議だったのだが、これが真砂沢ヒュッテへの導水管のようであった。それにしても長い距離を引っ張ってあり、何百メートル流してあったか・・・。そうこうしているうちに先のほうにオレンジ色のテントが見えた。真砂沢ヒュッテ到着である。見えていたオレンジ色のテントには「MEIJI B」の文字が見えた。幾多の名だたる功績を残し、先輩を放出した明大のワンゲルのようであった。ここでの幕営ということは八ッ峰などの上の方をやっているのであろうと思った。小屋の前は閑散として全く人の気配は無く、呼吸を整える程度で先に足を進める。真砂沢ロッジから8分ほど下った場所には「三の沢」と書かれた白ペンキが見える。この先で雪渓に穴が開いていて右岸側へのエスケープルートが造られていた。ここは強行して左岸側を行く。当然崩落地周辺では慎重な足運びでである。この下流には四ノ沢があり、ここは左岸側の高巻きルートがあるのだが、水量が少なく川岸を伝って通過可能であった。付近にはペンキマーカーやケルンも多く、それらを拾いながら大岩の上を飛んでゆく。
12:47。別山乗越から2時間40分経過してやっと二股に到着。今日はここに来るまでにかなり歩いた感じになっていた。実際には4.5時間ほどしか歩いていないのだが、やはり早朝の立ち待ち時間が疲れの要因のようでもあった。つり橋を渡り真正面の南仙人山を見上げる。無謀にも往路の今日、山頂を目指すつもりで居たのだが、疲れの度合いから明日以降の予定とした。三ノ窓雪渓には充分な雪が残り、登りたくなる斜面がこちらを向いていた。大岩の間を少し上流に進み仙人新道入口から登路に入る。この道は良く整備された道で、随所にあるハシゴの溶接が綺麗なことには感心した。今日は非常にゆっくり歩いているので、いろんな所が良く見えていた。連休初日とあり、下山するすれ違いは皆無、その代わりに先行する二人のパーティーを追い抜いた。私も充分牛歩状態だったのだが、輪をかけてゆっくり歩かれていた。樹林帯から抜け出し後ろを振り向くと、先ほど辿ってきた剱沢の流れが見下ろせる。ここは周囲を山に囲まれている地形のせいか風が全く無かった。雨も止み、濡れた雨具がみるみる乾いていった。峠が近くなると右(東)側から声が聞こえだした。間違いなく仙人池ヒュッテから聞こえている声だろう。最初の分岐はこの小屋への分岐で、少し左(西)に登り上げると仙人峠のベンチの場所に到着した。仙人山の入口にはタイガーロープが張られ、北側に入れないようになっていた。峠からは仙人池ヒュッテの方が近いし、幕営装備も減らせるので、当初は小屋泊まりも考えていた。ただプライバシーの問題や小屋泊まりの騒がしさを嫌いテントを持ち上げてきたのだが、どちらの選択が正解だったのか・・・。峠から池の平小屋に向う途中には水場があり、ちょうど良い高さでテルモスに水を汲むことができる。
室堂からスタートして6時間50分、やっとのことで池の平小屋に到着した。テント料金500円を払い、おつりで350ccを一本貰う。ここはテント泊でも記帳が必要で、適当に最低限の記述をしていたが、小屋主からは誘導尋問のように問いただされて規定の必要事項を全て書くこととなった。そして明日の移動先を聞かれる。小屋主から「明日はどちらへ行かれますか?」と聞かれ「坊主です」と言うとやや渋い顔をして、「それもここに書いておいて」さらに「あそこは道が無いよ」と付け加えられる。「そういえば今年も一人狙いに来たな〜」と言い、それは間違いなくMLQの事である。「あー彼は、私の知人です」と告げると、それ以上何も聞かれることは無かった。「風呂には入れますか」と恐る恐る聞くと、「今日は人が多いからダメ」と返ってきた。テン場に上がると既にひと張りあり、邪魔をしないように離れて張った。設営が終わったらご褒美の麦ジュース。胃に染み渡る美味さであった。今日は気づくと朝から何も食べていなかった。水も室堂で飲んだのみ。きわめて省エネハイカーなのであった。持ち上げたおにぎりを湯に溶かし、雑炊とし腹を満たす。夕暮れの八ッ峰方面は完全にガスの中となってしまい展望は無し。テントに潜り込んで夕方のラジオを聴きながらウトウト。テン場には他に2張りの利用者があとからやってきて私の脇に設営した。困ったのが先に張っていた方々は永遠とおしゃべりをしている。全て内容が聞き取れるほどの声の大きさであり、愛知から来たパーティーのようであった。この方々は、翌朝3時くらいからも普通に話し始め、夕に朝にいい迷惑であった。さらにもう一人、横に張った方は宴会を小屋の脇でして戻ってきた。既にできあがった状態でテントに戻り、この大トラはデカイ声で何度も仲間を呼んでいた。私の横に張った二人は仲間同士だったのであった。闇夜に富山弁が響き渡る。“勘弁してくれー”と叫びたくなるほどだった。仲間の片方はそれを察知してか反応しなかったが、大トラはこの後も22時過ぎまで一人で騒いでいた。いやはやこれならば小屋泊まりの方が静かだったかもしれない。山で友と楽しみたいのは判るが、あまりモラルのないのはいただけない。まーこんな3連休に小屋前でテント泊している自体でこれらのリスクはあるわけであり、自分が悪いと反省もした。持ち上げたウヰスキーを胃袋に追加し、少しアルコールの力を借りて眠りにつく。一日目終了。
朝から愛知の方の話し声で目を覚ました。午前3時、これほどに他人への迷惑を気づかずに居れる事をうらやましく思ったりした。出発までの時間調整をする。すぐにでも歩き出したいところだか、雨であり、行く手は薮である。仙人山辺りで夜明けになるように考えていた。
4:32テントを残してスタートする。それにしてもガスが濃い。闇夜で見えないのは良いとしてヘッドライトが目の前で拡散してしまうのは歩き辛かった。水場で750mlを汲み、仙人峠に登り上げる。そしてタイガーロープを跨いで踏み跡を伝って登って行く。少し伝った左側に草地があり、次は無いかもしれないが幕営するならこの草地が適当に思えた。雨量計は山頂というよりは山の西側の斜面に置かれていた。銘板を見ると横河電機製であった。ガスがかかり何も見えず、コンパスを当てて行き先を探る。草木が雨に濡れており、すぐに濡れ鼠になる。この先は明瞭不明瞭とが入り混じり、なんとなく道があると表現したい様子であった。MLQが記すように、このあたりはナナカマドを掻き分け進んでゆく。道としてのグレードはどんどん落ちてゆくが刃物跡も確認出来、人の気配がするルートでもあった。
仙人山に登り上げるが、このあたりもまだガスの中。MLQの絶縁テープを探すが無い。無いはずが無くうろうろするが、往路では見つからなかった。山頂としてやや広い地形があり、そのあちこちにダケカンバの幼木が生えており、要するにどこでもマーキングの設置可能な場所があるのだった。この仙人山から先は尾根東寄りに歩いて行く。そして北仙人尾根と池の平小屋からの尾根との交点に差し掛かると、左(西)の方から発電機の小刻みな音が聞こえ出す。その方向には池の平小屋があるのだが、数メートル道が西に降りており、少し伝ってみたもののその先は途切れていた。この交点ピーク付近から青いマーカーがその先へ続いていた。MLQの記述を読んで、これは積雪期用のものだろうと思い込んでいたのだが、現地ではしっかり土に刺さっており、無積雪期用として立てられたものであった。暫く等間隔で続いていたが、いつしか気が付いた時には、稜線上から無くなっていた。
仙人山から先はどちらかと言えば尾根上の方に踏み跡が濃い。東側に一本筋があるのだが、少し伝ってみたものの、見えない足許の下は谷側に斜めに傾斜しており、歩き難かった。今日はよほどでない限り尾根最高部を拾うように進もうと決意する。ただ困ったのが、往路では全身がぬれ過ぎており、さらには視界が悪くカメラを出す意欲が沸かなかった。よってせっかくの珍しい場所に対して記録が貧弱となってしまう結果となった。さて仙人山の先から2210高点が二つ続く。本格的な薮漕ぎ状態になる。最初はさほど苦痛にならないのは、単純に最初だからであり、これが後半になるとボディーブローのように効いてくる。だんだんと笹の量も増し2170高点に差し掛かると人の声がした。まさかと思ったが、まさかであり、仙人池ヒュッテからの声が漏れ聞こえていた。ここは南側の草地に踏み跡が濃く、そこを伝うと自然と北東の方へ降りて行く感じとなる。次の2143高点とこの肩とを結ぶと直線的ではないのだが、ここはやや北東に進んだ方が、植生が薄く歩きやすい。往路は判らなかったのだが、復路に登り上げた時にMLQの案内書きが残されていたのを見つけた。書かれている通りに進んだ方が無難である。復路は直線的にこの北側の笹薮斜面を登り返してきた。少し西側は岩の露出した草つきなのだが、かなりの急斜面で歩けない。相変わらずの温い薮漕ぎが続く。2143高点を過ぎるとシャクナゲとハイマツが現れだした。お出ましになったかと覚悟を決めたが、そう長い距離は続かなかった。
この先がMLQの最終調査地点とした二重山稜の場所となる。自然と東側の尾根に伝う事になり、この尾根はやや細い。尾根を降り切るとそこは二重山稜の間にある池(湿地)からの流れで出来た谷形状をしており、それを跨ぐように北側に掘れた筋があり、それを伝って2080高点へ駆け上がる。尾根上は少し紅葉の始まった景色があるのだが、殆どそれらを楽しむ余裕は無かった。この先の北側にも2080高点があるのだが、その間には赤茶けた背丈ほどの奇岩があり、印象的であった。
北側の2080高点に立つ。ここで仙人峠からするとほぼ中間地点。時計は7:25であり峠から2.5時間が経過していた。単純に坊主山到達はあと2.5時間後と予想できる。今日の濡れた状態ではこれ以上の速さは出せず、何せ笹を漕ぐのと、足場が悪いのとで、両腕でそれらをカバーして体を保持するのとでだいぶ疲れも出てきていた。短距離ならこの薮も苦痛ではないのだが、これだけ続くと、帰りの事も加味して精神的なダメージにもなる。既に山との戦いの前に自分との戦いがあるのであった。このピークで進路方向が北を向くのだが、視界が無いときは要注意、やや尾根北側の方が植生が薄く、この付近は北を気にしつつ進みたい。
なんとなく山としての様子が変わってくるのが2051高点を越えてからとなる。少し天気が回復してきて展望が開けるようになったこともあるのだが、岩がぽつぽつと見えるようになる。たいした量ではないのだが、それらが通過点に現れてくる。尾根を拾うように歩くものの、少し左右に振って通過せねばならないところも出てくる。すると2051高点から100mほど進んだ場所にモンベルの折りたたみサングラスが落ちていた。ヒンジの部分を針金で補修してあるものであり、冬季の通過者が落としたもののようであった。人工物を見つけ、なぜかホッとする。
2110高点手前は、踏み跡が見出せる箇所が多くなるのだが、潜るような場所が多くなり、ザックが引っかかり苦痛であった。しかしこのあたりは岩の積層したピークが連続し見栄えがする。そして2110高点に立つと、初めてこの日、坊主山が姿を現した。見えていたらもっと歩く意欲が沸いたのか、見えないほうが良かったのかは判らないが、何せ見えたのは嬉しかった。次の2140高点手前には、唯一昔の名残の、補助用のバン線が流してあった。あまり危険な場所ではなかったのだが、これが見られただけでも往時の様子を感じられる気分になった。少し岩登り的要素が増えてゆくが、危険度は無く、登れない場所はおおよそ左(西)巻きで通過してゆく感じであった。南川さんが冬季はザイルが必要と書かれているのがこのあたりだと思うが、確かにその通りと思う。
2160高点から2150高点へは、最初たおやかな歩きやすい笹原が続く、少し呼吸を整えてこの先の最後の登りに備えたい。中間地点には痩せた岩が出てくるが、これは巻かずに直登。そして2150高点手前70mほどの場所にも岩があり、避けるように右を巻いたが非常に腕力が要り、ここは左を巻くのが正解となる。そしてこの先の2150高点は西側をトラバースするように進む。坊主山への最後の登りだが、山頂が近づくにつれて見られる踏み跡も濃くなっているような気がした。
10:29坊主山到着。仙人峠から5.5時間もかかってしまった。山頂は何か意外な空間で、予想していた感じとは違っていた。山頂と言うよりは通過点のような場所なのであった。東側の砂礫の中にピンク色のナデシコが咲いていた。南川さんはこれを見ていたのだろう。確かに山ではあまり見ない形状をしていた。少し日が差すようになり、雨具を脱いで日干しをする。ただ、周囲の山は見渡せず、それのみが残念であった。北側を見ても踏み跡はよく判らず、深山に到達した気分になった。足許には三等三角点が斜めになった状態で立っていた。何も標識は無くリボンを縛り山名を記す。腕が疲れており、恥ずかしながらミミズが這ったような字を残してしまった。大休止をして往路を戻る。
帰りは幾分写真を多めに撮りつつ帰る。全ては天気が回復したからである。急峻箇所の下の方が見えない場所が多く、慎重に足を下ろして行く。2150高点の先は、西側に大きく下るような感じで岩場を避ける踏み跡になっていた。この付近はハイマツ(コメツガ)の中に潜る箇所が多いのだが、登りはいいものの下りは辛いものがあった。2160高点から先は展望が開けると実に美しい景色であった。付近は、金峰山山塊のように緑の中に白い花崗岩が光っているのだった。2110高点からは、この日初めて北方稜線側の景色が開けた。このピークの南も気の抜けない下りが待っている。少し西側を気にしつつ降りて行く。かなり足にも疲労がきており、足でぐいぐいと笹を分ける力が無くなり、逆に足を取られ転倒しそうになる場面もあった。こんな場合は小休止なのだが、時間的にもあまり休んでいる暇は無い。小屋主の忠告があった中での行動であり、そこそこ明るいうちに帰らねばならないと感じていた。
2051標高点を越え、2080高点に立つと遠く仙人山も見えるほどに天気が回復してきた。二つ目の2080高点を降りてゆくと二重山稜の場所になるのだが、北から南進してきた場合は、往路と交差するように西側の尾根を伝うことになる。途中で東側を気にしつつ進み、東側の尾根に移る。歩いてみて面白いように分かれるのだが、中間地点を境として、北側は西側にルートが見出せ、南側は東側にルートが見出せる。今日は濡れた状態だったので、なるべく頂稜を歩いたが、乾いていればこの事を頭に入れて歩くのが良いと思う。2143高点の先は2170の肩までは深い急な笹薮を登ってゆく。登り上げると赤い絶縁テープが目に入り、そこにMLQのルートコメントが残っていた。もうこの辺りまで戻れば不安要素は無い。2210高点からは池の平小屋へ直接降りようかと思ったが、往路に仙人山のMLQのいたずら書きを見つけておらず、もう一度訪問せねばならなかった。と言うより、往路は付近をガスに巻かれ全く様子が判らなかった。その為にコースの全容を見ておきたいという事もあった。
仙人山に戻り、低木のダケカンバを手当たり次第に見て回る。はじめに色褪せた絶縁テープを見つけ、これがあるから付けなかったのかと思ったが、その北側にしっかり付いていた。ここから見る雨量計ピークは、山頂にある赤茶けた石が標柱のように見えていた。左(東)の方からはキャッキャ騒ぐ女性の声が聞こえていた。想像であるが、仙人池から見る主峰群がよほどすばらしく見えるのだろう。明日はぜひ好天の下で池越しの大展望を楽しみたいと思ったのだった。雨量計ピークを越え仙人峠に戻る。既に時計は16:30。往復で11.5時間も要してしまった。
池の平小屋に戻る。小屋主に帰還の報告をし、二日目のテント代を払う。そしておつりでご褒美の泡ジュースを購入。夕暮れの八ッ峰を仰ぎ見ながら祝杯をあげる。おかげさまで無事踏まさせていただいた。苦しいコースであったが、振り返るとバラエティーに富んだ楽しいコースでもある。しかし途中に一切の幕営適地は無かった。よって登頂を目指す場合は、軽荷での峠からのピストンが必須になるだろう。ちらほらと道形は目に入ったが、無いと思って出向いた方が無難である。後半になり低木の下を潜る箇所が多くなる。それを考えると、なるべく小さなザックが適当に思う。
テントに潜り込み、インスタントラーメンで夕飯とした。ウヰスキーをちびちびやりながらウトウトするのだが、前夜に続いて今日もおかしな利用者が居た。今日は独り言を言う人であった。行動全てに声を発し動いていた。夜は起きている中なにかをしゃべっており、朝は3時からしゃべり続けていた。テントなら小屋泊よりプライバシーが保て、山を静かに楽しめると思って持ち上げてきているのだが、残念ながら公的な場所での幕営は、このような事が少なからず付きもののようである。ここでの2日間の苦痛は後にも先にも印象深い。まー耳栓があれば問題解決か・・・。



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