藪沢大滝ノ頭  2520m    小仙丈ヶ岳  2864m     仙丈ヶ岳  3032.6m  

 大仙丈ヶ岳   2975m     苳ノ平   2570m    伊那荒倉岳   2519m

 横川岳  2478m     中白根沢ノ頭  2841m    小太郎山  2725.1m

 
北岳  3193m    八本歯ノ頭  2920m     ボーコン沢ノ頭  2830m

  
城峰  2372m   池山  2065m

   2008.7.5(土)〜6(日)   


  晴れ    単独   

 北沢峠から仙塩尾根で野呂川越へ、両俣小屋へ下り左俣沢を遡上して北岳へ、小太郎山をピストンして池山吊尾根を下る(夜行)。  

 行動時間:29H05M


@芦安バス停4:50〜5:15→( 62M)→A広河原6:17〜45→(31M)→B北沢峠7:16→(69M )→C藪沢大滝ノ頭8:25〜29→(44M)→D小仙丈ヶ岳9:13→(51M)→E仙丈ヶ岳10:04→(20M)→F大仙丈ヶ岳10:24〜32→(60M)→G苳ノ平11:32〜12:08→(20M)→H伊那荒倉岳12:28〜32→(71M)→I横川岳13:43〜49→(24M)→J野呂川越14:13→(35M)→K両俣小屋(野呂川渡渉)14:48〜15:05→(68M)→L左俣大滝16:13〜23→(124M)→M中白根沢ノ頭18:27〜38→(67M)→N北岳北側分岐19:45→(10M)→O肩ノ小屋19:55〜20:07→(26M)→P小太郎尾根分岐20:33→(95M)→Q小太郎山22:08〜15→(190M)→R肩ノ小屋再び1:25〜36→(51M)→S北岳2:27〜37→(27M)→《21》吊尾根下降点3:04→(39M)→《22》八本歯ノコル3:43〜55→(19M)→《23》八本歯ノ頭4:14→(43M)→《24》ボーコン沢ノ頭4:57〜5:09→(66M)→《25》城峰6:15〜19→(30M)→《26》池山小屋6:49〜50→(10M)→《27》池山最高点7:00〜05→(67M)→《28》あるき沢橋8:14〜25→(15M)→・広河原8:40〜9:10→(45M)→・芦安9:55

途中15〜20分ほど休憩あり


ashiyasu.jpg  hirokawara.jpg  kitazawatouge.jpg  ootakiatamanohigashi.jpg 
@芦安バス停。券売所に並ぶ。 A広河原。北沢峠への券売所は、停留所脇に移っていた。 B北沢峠。既に賑わっていた。 C藪沢大滝ノ頭の東側尾根突端。赤い境界標柱がある。
ootakiatama.jpg  kosenjyounoraicyou.jpg  kosenjyou.jpg  kosenjyoukarakaikoma.jpg 
C藪沢大滝ノ頭。藪沢小屋への分岐箇所。 小仙丈ヶ岳の少し手前で、雷鳥が姿を現した。 D小仙丈ヶ岳。 D小仙丈ヶ岳から甲斐駒(仙水峠)
kosenjyoukarakitadake.jpg  tocyuukarasenjyou.jpg  senjyou.jpg  senjyousankaku.jpg 
D小仙丈ヶ岳から北岳。 途中から仙丈岳(小仙丈沢カール) E仙丈岳。 E仙丈岳二等三角点。
senjyoukaradaisenjyou.jpg  daisenjyou.jpg  mlq.jpg  sextukeigoshi.jpg 
E仙丈岳から大仙丈ヶ岳 F大仙丈ヶ岳 F麦わら帽子のMLQが仙塩尾根を降りてゆく。 仙塩尾根上にはまだまだ残雪が残る。
hukinotaira.jpg  kumomlq.jpg  fukinodairakita.jpg  touboku.jpg 
G苳ノ平から南側。 GKUMO(上)とMLQ(赤)のマーキング。 G苳ノ平から北側。 苳ノ平から20分ほど下った辺りの倒木帯。
inaarakura.jpg  inaarakurasankaku.jpg  koubouike.jpg  touboku2.jpg 
H伊那荒倉岳。明るく気持ちの良い場所。 H赤く塗られた三等三角点。 高望池。キャンプ禁止の表示あり。 高望池と独標の中間地点辺り、最近の倒木。
yokokawadake.jpg  yokokawagoryou.jpg  yokokawakarakitadake.jpg  yokokawanosakitouboku.jpg 
I横川岳。写真正面の西側の尾根に進みたくなるが、進路は南東側。 I横川岳御料局三角点。 I横川岳から北岳。 横川岳から南西側のルートは、おびただしい倒木。何度も巻きながら下ってゆく。
toubokutiger.jpg  norogawakoe.jpg  norogawakoe2.jpg  norogawakaranosyamen.jpg 
倒木でルートが変わり、タイガーロープで導かれる。  J野呂川越。南側。  J野呂川越。北側の標識。  野呂川越から東側の斜面。こちらも倒木が多い。 
hokora.jpg  ryoumata.jpg  tosyouten.jpg  hidarimatazawadeai.jpg 
登山道が右俣沢に近くなる場所に新旧2社の祠がある。  K両俣小屋。小屋主の女将がベンチに・・・。  K左俣沢ルートへの渡渉点。水量は膝下ほど。かなり冷たい。  野呂川上流の左俣沢出合。写真正面が右俣沢。左の木の向こう側に左俣沢がある。 
1.jpg  2.jpg  3.jpg  4.jpg 
左俣沢に入って最初の渡渉点。  2回目の渡渉。  3回目の渡渉点。  4回目。 
5.jpg  6.jpg  heturi.jpg  7.jpg 
5回目。  6回目の渡渉。  やや濡れた岩のへつり。  7回目の渡渉。石に赤ペンキで「ワタレ」と書いてある。 
8.jpg  sextukei.jpg  ootakinominami.jpg  hidarimataootaki.jpg 
8回目の渡渉。  左俣沢を詰めてゆくと雪渓が出てくる。雪の上を乗り越えてゆく。  L左俣大滝の分岐。手前の石に「大滝」と書いてある。ここで右側に滝が見えるが、これは左沢大滝ではない。  L赤ペンキの先で左に回りこむと左沢大滝がある。水量も豊富で30mほどの落差あり。 
oretahyoushiki.jpg  torituki.jpg  areteiru.jpg  tenboubakara.jpg 
L分岐標識は地面に倒れている。  L分岐標識付近から見る取り付きの斜面。  少し登った場所。丸太の階段などもあるが、地形はやや荒れた感じ。  中白根沢に向い登って行くと、途中に展望台的な場所がある。そこから中白根沢ノ頭を望む。 
nakashiranesawaraicyou.jpg  nakashiranesawa.jpg  nakashiranekarakitadake.jpg  nakashiranekaranakashiramine.jpg 
中白根沢ノ頭の雷鳥。大接近。  M中白根沢ノ頭。標識のボルトが緩み、水平だった表示が縦になってしまっていた。  M中白根沢ノ頭から北岳のアーベンロート。  M中白根沢ノ頭から中白峰のアーベンロート。 
hina.jpg  nakashiraneawawohurikaeru.jpg  kitadakekitabunki.jpg  katanokoya.jpg 
中白根沢ノ頭の雷鳥の雛。  中白根沢ノ頭を振り返る。  N北岳北側分岐。  O肩ノ小屋。 
kotaroubunki.jpg  kotarou.jpg  kotarousankaku.jpg  usagi.jpg 
P小太郎尾根への下降点分岐。「小太郎山」の表示は割れていた。  Q小太郎山。  Q小太郎山三角点。  小太郎尾根上に居た野うさぎ。夜は目が見えないのか、逃げるのが下手であった。 
katanokoyatanabata.jpg  kitadakekitabunkihutatabi.jpg  kitadake.jpg  kitadakesankaku.jpg 
R肩ノ小屋帰り。七夕前日、こんな飾りもされていた。  北岳北側分岐再び。  S北岳山頂。  S新しく埋設された三等三角点。 
kitadakeyamanashi.jpg  turionekakouten.jpg  nagaikaidan.jpg  haxtuponba.jpg 
S山梨百名山の標柱。  《21》吊尾根下降点。  丸太を用いた長い階段。  《22》八本歯のコル。 
kerun.jpg  haxtuponnba2.jpg  raikou.jpg  nakashiranemorugen.jpg 
《23》八本歯ノ頭付近のケルン。  八本歯ノ頭の先には大量の残雪が残っていた。  来光を迎える。  中白峰のモルゲンロート。 
kitadakemorugen.jpg  bo-konzawa.jpg  bo-konzawakakou.jpg  shirominenishi.jpg 
北岳のモルゲンロート。  《24》ボーコン沢ノ頭。  《24》ボーコン沢ノ頭の東側の下降点。  《25》城峰の西側。 
shirominemlq.jpg  shirominehigashi.jpg  ikeyamakoya.jpg  koyanaibu.jpg 
《25》城峰の唯一の山名表示。  《25》城峰の東側。  《26》池山小屋。サッシの引き戸は一枚壊れており、扉が無い状態。  《26》ドアが無い割には、内部は綺麗であった。 
ikeyamasaikouten.jpg  ikeyamasankaku.jpg  arukizawa.jpg   
《27》池山最高点の様子。  池山三等三角点。無残にも割られている。  《28》義盛新道登山口。あるき沢橋停留所に下山。   

 

 伊那荒倉岳も踏んでいない、中白根沢ノ頭も、小太郎山も、そして池山吊尾根の下のほうも・・・。と言うことで自然と縦走コースが出来上がった。あとはどこで幕営するかであるが、両俣小屋か肩の小屋が無難なところか。ただ、両俣での幕営では時間的に早過ぎるような気もするし、肩の小屋では暗くなってからの到着となり、公にはあまり好ましくない。でどうするかであるが、残されるは「寝ない」と言う選択肢もある。ただ、今の月齢では月明かりが期待できない。まー色々は現地で判断と、テント装備と夜行ヘッドライト装備をザックに突っ込み出向くこととした。

 
 7月に入り各地公共機関も早出の時刻表に変わった。今回使う山梨交通の広河原へのバスも、6月と7月とではおよそ2時間も違う。首を長くして月が変わるのを待っていたのだった。


 1:20出発し、7キロほど走ったところで登山靴を積んでいない事に気がつき戻る。なんだか今回は前途多難である。1:35リスタートとなる。野辺山を越え韮崎に下り、芦安に入る。市営駐車場に到着(4:15)すると、まだ利用者はまばらで、下のトイレ側の駐車スペースなどはガラガラであった。適当に突っ込み、後ろに移りしばし仮眠。


 5:10始発なのだが、4:30頃から周辺が慌しい。タクシーは少し早くに出るようであり、100円の差(バス:1100円、タクシー:1200円)だけならタクシーを利用も有効である。ただ広河原で乗り継ぐ場合は、あまり早くに到着しても待ち時間が長くなるだけであり、往路はバスを選択した。準備をして4:50にバス停に行くと、準備されたバスは2台しかなく、私を含めオーバーフローした乗客が30名ほど居た。この後のバスは5:40だそうで、これだと次の北沢峠への乗り継ぎにギリギリか間に合わない。せっかくの一番バスに乗れないのでは7月を待った意味が無い。客を捌くのに立ち乗りを募っていたので、立ち乗りで広河原まで行く事とした。しかし1時間の山道、座って乗っていたい時間であった。


 広河原では、バスの乗客の1/3ほどが北岳に向かって行った。前回は北沢峠行きのバス停にはしっかり列が出来ていたが、この日はみな無造作に休憩している感じであった。前の方にちゃっかりザックを置いて・・・。券売所は、今年はこのバス停脇に作られていて、バス停と券売所の距離感は無くなっていた。750円で北沢峠までの片道切符を買う。しょうがないのだが、このバスを待つダラダラとした時間がとても苦手であった。さりとて北沢峠まで歩く根性も無く・・・。ここでの乗客の1/5は釣客であった。話を聞くと、野呂川とその支流は、漁果があるのと形がいいらしい。ウエダーを履き、立派な竿を持った方が多々見られた。7:15北沢峠着。


 北沢峠は既に賑やかであった。長衛荘の泊り客も居るだろうが、7時着の戸台からの便のせいであろう。一刻を急ぐ場合は戸台から入山した方が早い。さて仙丈ヶ岳に向け出発。今日は幕営装備を背負っているのでのんびりを決め込んだ。ハイシーズンになり、たくさんのパーティーが登山道を歩いていた。次々に追い越し前に出るが、調子に乗っていると荷の重さがだんだんと速度を制御していった。懐かしい登山道を辿りながら、色を楽しみ、香りを楽しみ、音を楽しみ・・・。このルートは一級の道であり、特に解説はいらないだろう。


 大滝頭は、山名事典から追うポイントは登山道上の通過点のような場所であった。少し登山道を戻ると北側にロープで塞いである場所があり、そこを跨いでゆくと尾根道があり、伝って行くと赤く塗られた境界線標柱のある場所になった。ここから一気に尾根が下っていたが、尾根上の道も沿うように降りていた。登山道に戻り北に足を進めると、藪沢小屋への分岐に「大滝頭」と書かれた公式の標識が付いている。ここも山頂とするには違和感のある場所である。ただ地形的にはこの標識の場所が一番高いようだ。視界も無く、山として意識して登頂する方は、私を含め好事家と言って間違いないだろう。


 一級の道を行くと、この先で森林限界を超える。振り返ると甲斐駒の荒々しい姿がある。北に目を移すとそこには鋸の歯が並んでいる。仙丈側から見ると仙水峠から北は男性的な山容なのであった。その為か南側の早川尾根の稜線は流麗に見え、女性らしい感じがする。そして小仙丈ヶ岳手前200mほどの場所で、何かの鳴き声がしきりにしていた。すぐに雷鳥だと判り静かに足を進めて行く。すると登山道脇で「見てくれ」と言わんばかりの雷鳥がそこに居た。夏毛に生え変わり、かわいい限りであった。一山にひと番いしか生息は無いから、小仙丈ヶ岳の雷鳥と言うことが出来る。人馴れしているのではないだろうが、あまり逃げようとしない。写真を撮るには好都合なのだが、他の天敵を考えると、もう少し逃げて欲しいと思ったりもする。


 小仙丈ヶ岳に到着すると、登頂しているパーティーにいつものようにカメラマンにされる。
こんな俺に大事な写真を任せていいのか“などと内心いつも思うのだが・・・。展望はすこぶる良く、360度のパノラマが待っていた。北沢山もここから踏んでおこうとも思ったりもしたが、全体の予定からすると、この1座のピストンの負担は大きい。ここは写真撮影だけで次の仙丈ヶ岳を目指す。小仙丈の南側はやや岩場の通過があるが、中盤以降はなだらかな道が続く。右下(西)を見下ろすと仙丈小屋があり、そこから賑やかな声が上まであがってきていた。仙丈の山頂も近くなると、上に二人の姿が見えた。のんびり登頂を満喫しているようであり、早く仲間入りしたく早足になる。

 
 仙丈ヶ岳を残り30mほどにして、山頂に居た一人のハイカーが大仙丈ヶ岳の方へ足を向けて下りだした。“珍しいな〜大仙丈へ行くなんて”などと思いつつ、そのハイカーの容姿を確認した。すると見覚えのある「オレンジ色のザック」、そして「麦わら帽子」、さらには「半ズボン」。間違いない、思うより早くに「MLQ〜」と叫んでいた。しかしそのハイカーはこちらに目もくれず南進して行く。たぶん本人もこんなところで呼ばれるはずが無いと耳を疑っていたのだろう。もう一度呼ぶとこちらを向き、私の国際的な呼び名符号を伝えると、すぐに状況を把握できたようだった。MLQは進みかけた足を私に合せて再び仙丈のピークまで戻り、久しぶりの再開となった。山頂で逢うのは2000年6月25日、西上州の天神山以来となる。話を聞くと、これから仙塩尾根上にある苳の平(ふきのたいら)を目指すそうだ。今回の私と同じコースを行くようであり、さらに話が弾んだ。仙丈ヶ岳からはタンデムになり、会話をしながら歩いてゆく。不味い事に駿馬のMLQを後ろにしてしまった。そう、必死で歩かねばならなかったのだった。なおかつ私は肺活量が少ない。会話するにもそれこそ息絶え絶えであった。

 
 大仙丈ヶ岳に到着し、とりあえず小休止とした。MLQは仙丈で休憩充分であり、ここは先に進んでもらい、360度の展望を楽しみつつ軽く朝食とした。そしてMLQに遅れて8分ほどして後を追う。この大仙丈ヶ岳の南北は、緑色のロープが登山道を導いてくれていた。ガスってもまず迷うことは無いだろう。高度を落としつつ、いくつものアップダウンを超えてゆく。途中にはまだ雪渓も残り、そこには先を行っているMLQの足形が残っている。その雪渓地帯も終わり、苳の平が近づくと登山道をハイ松が覆うようになる。全て登山道上を歩いているのだが、尾根の西側に比べ、尾根東側になると格段に歩きやすい植生となっていた。苳の平手前15分ほどの場所には、ひと張り分のテン場があった。ここはなかなか状態が良く、周辺でめぼしい場所が無い中で、適地とも言えよう。

 仙丈ヶ岳からの標高差は500m。これでもかとどんどん高度を下げてゆく。そしてややなだらかな地形が多くなると、苳の平の山頂部の一角に達していることとなる。登山道上には紅白の「苳の平」と書かれた標識も落ちていた。そこから南進すること150mほどでMLQが待つ山頂に到着した。山頂とは言うものの通過点のような、シラビソの生い茂った場所であった。登山道は山頂部の西側を通過しており、5mほど東側に最高所がある。そこには
KUMOも縛られ、下の方には早々MLQのいたずら書きがされていた。再びMLQと山談義。山の募る話もさることながら、団塊の世代の抜けた昨今の職場事情などをこんな場所で話し合っていた。二人とも異端児たる所以か・・・。思い起こすと、山頂でこれほど長く他人と話したのは久しぶりである。話は尽きないが次の予定がある。MLQは再び往路を登り返さねばならないし、私は予定全体の1/4が消化出来たくらいであった。健闘を称え合い背を向ける。

 
 苳の平と伊那荒倉岳との距離は近いのだが、だんだんと登山道を倒木が塞ぐようになった。かなりの大木も倒れており、風の強さを思い知る。それらをファインダー越しに撮影していると、驚いたことに目の前から単独のハイカーがやってきた。この時間だと農鳥小屋からもあり得るし、熊ノ平小屋からもあり得る。北岳山荘からと言うのもあるし、北沢橋発もある。聞けばそれまでだったが、そんなことを頭の中で考え続けるのもクイズのようで楽しく、挨拶だけ交わしてすれ違った。

 
 伊那荒倉岳の山名事典での場所は、三角点より北東にあり、あまりパッとしない樹林の中であった。それに比べ三角点の場所は、とても明るく居心地がいい。居心地の良さに感けてここにテントを張ってはいけないようで、「テント禁止」の標識が立っていた。頭を赤く塗られた三角点があり、その前には某大学の年代物の標識がもたれかかるように置かれていた。そしてここから
南に下ると高望池がある。涸れている事が多いらしいが、しっかりと水を湛えた池を見ることが出来た。ここもキャンプをしたい場所ではあるが、「禁止」の標識があった。この先二重山稜の場所もあり、その谷の中を抜けてゆく。そして再び、これまで以上におびただしい倒木帯がある。真っ白な幹のシラビソが幾重にも重なり合っている様子がそこにはあった。ここは潜ったり巻いたりしながら登山道を気にしつつ通過してゆく。先ほどすれ違った方に情報を貰っていれば、心の準備もあったが、一級の道があると思って来ているので、これほどの障害は想定外であった。


 独標はとても見晴らしの良い高点で、これまで歩いてきた稜線が綺麗に見えていた。展望を求めた休憩とした場合、大仙丈から野呂川越の間で、ここが私の中で一押しの場所となる。ただ夏場は日陰が無いのだが・・・。ここから横川岳への標高差は少なく、ダラッと下り、ダラッと登りあげる。


 横川岳の山頂には、御料局の三角点が埋設され、この頂部も赤く塗られていた。木々の間から遠望も利き、北岳や仙丈ヶ岳もここから望むことが出来た。少し遅い昼食としてパンを齧る。そんなに食欲は無いのだが、まだまだ先が長いし、ちょっとづつ荷も軽減したい。食べると言うよりは詰め込むと言った方が妥当だったかも・・・。山頂からの下降点は南東方向にあり、少しだけ見出し難く感じる場所であった。


 下り出すとここも倒木が多い。そしてかなりのリボンを見る事になった。リボンが無い場所には刃物が入れられていたり、野呂川越が近くになると、長い距離をタイガーロープがくねくねと導いてくれていた。こうに書くと、人工物がおおよその道を導いてくれているようにも捉えられるが、自分でルートファインディングせねばならない場所もあり、のほほんと歩ける場所ではなかった。


 北沢峠を出て7時間が経過し、野呂川越に到着した。早いのか遅いのか判らぬが、幕営装備を持っている事を踏まえるとソコソコがんばっている筈である。ここから下ると、一人の空荷の男性が登り上げてきた。
この男性は両俣小屋泊のようで、展望を求めにあがって来たようであった。横川岳の方は倒木帯が多いことを告げ、まだ見ぬ2315.3三角点峰を勧めてしまった。結果は如何に・・・。野呂川越から下も、かなりの倒木帯がある。ただここはチェーンソーが入れられており、歩くのにはそれらが邪魔をすることは無い。潜るところはあるが・・・。

 
 両俣小屋が近づくと、登山道の左(西)側に沢から小屋へ引水している場所があり、この水が非常においしい水であった。沢の流れから500のペットボトルにそれを詰め、登山道をそのまま辿ってゆくと両俣小屋に到着した。小屋の前では女性がのんびりと昼寝をしていた。その物怖じしない様子から小屋主だと想像出来た。私が野呂川の方から現れても、何を聞くわけでもなくニコニコとされていた。まーここは登山者ばかりでなく釣客も利用するから、いちいち「どこから」などと聞かないのかもしれない。

 
 さてこれから左俣沢に入る。しかしその前に野呂川を越えねばならなかった。川岸には赤ペンキで渡渉場所を示しているのだが、靴を履いたままでの通過はまったく無理、上流下流を100mほど場所を探したが、最後は靴を脱いだ方が早いと判断した。それでも小屋のある左岸側には渡渉点近くにアルミの梯子が置かれていた。もしかしたらそれを使う時もあるのかもしれない。ただ対岸に渡って元に戻す事は出来ないから、誰かが向こう岸に居る場合となる。やはり小屋利用者対象か・・・。靴を脱ぎ川の中に入る。水は冷たく、2〜3歩ほど浸かっただけでジンジンとくる冷たさが脳を刺激した。ただ長駆のアイシングにもなり、これはこれで有効であろう。川幅は15mほど、水深は深いところで膝下くらいであった。


 右岸に移り再び登山靴を履き、左俣沢に入る。この先はエアリアと地形図では、あらかた右岸を通るルートで書いてあるが、実際は何度も渡渉するコース取りになっており、赤ペンキで「ワタレ」と書かれて居る場所がその渡渉点となる。そしてその渡渉点の全てが気を抜けない場所であり、靴を履いて渡るには困難な場所もあった。ここは割り切って、「濡れないで通過」する事を求めるよりは「濡れて安全に通過」とした方が無難かもしれない。くねくねと左俣沢を縫っている登山道だが、ここもややルートファインディングが必要な場所もある。ちょっとした高巻きやへつり、上部に行くと雪渓も残っており、実線表示のルートと言うよりは破線ルートに近い感じがした。沢沿いにあるルートなので、大水による変化は致し方ないのであろう。


 雪渓の奥に、細いが落差のある滝が見え出した。当初これが左俣大滝かと思って目指していたが、現地に着くとその北側に大きな太い流れがあり、それが左俣大滝であった。先ほどまで見ていた滝に比べると落差は小さく、30m〜35mほどの滝であるが、滝好きな私を満足させるには充分の要素を備えており、ここを訪れて良かったと思った。周囲は滝のせいで空気が冷やされ雪渓が残っている。今なら雪を伝って、最良の角度から撮影も可能のようであった。思いはしたが、そこまで時間が費やせず、休憩後に斜面の登路に取り付く。ここの分岐標識は立っておらず、地面寝た状態で方向を示していた。


 取り付き最初から濡れた岩場で、そこにはロープも流してあった。少し上がると観瀑台のような場所があり、左俣大滝の全容を見下ろすことが出来る。この先もやや荒れた感じの場所に丸太の階段がある。感じとしては、下の方は七丈滝尾根のその様相に似ている雰囲気があった。そんな中をコツコツと狭いステップで登ってゆく。ほとんど樹林の中なのだが、2650m付近(高度は不確か)に展望台的岩場があり、このルートで唯一展望が開ける場所となっていた。斜面の途中であるが、中白根沢ノ頭を見上げることも出来、当然のように周囲の展望もいい。ここを過ぎると尾根の東側斜面をトラバースして行き、最後はルンゼのような狭い谷を伝って突き上げてゆく。砂礫の堆積した場所で、歩き易いとは言えず、歩き辛い場所であった。振り向くと中白峰の斜面のルンゼが見えていた。雪が白く長く堆積し、あそこを登るよりはここはましだろうと前向きに考える。


 中白根沢ノ頭へは、山頂に対してやや東側の稜線に出て、西側に戻るような感じで山頂まで踏み跡が続く。この分岐箇所には判読できる道標は無く、この付近一帯には赤く錆びた道標が目立った。分岐から山頂を目指すと、途中の登山道上で雷鳥が動かずにじっとしていた。私の姿を察知して警戒音を出して鳴いているのだが、動こうとしない。そこを通らないと周りはハイ松で、どうしようか困っていると、その雷鳥の足元からチョロチョロと黄色いものが動いた。そう雛を抱いていたのだった。ほとんど訪れる人が居らず、登山道上も安住の場所だったろうに申し訳ないことをした。雛が居るので親鳥も遠くへ逃げられず、時折威嚇行動をとっていた。雛も雛で、すぐ近くのハイ松の中に全身が見える状態でうずくまっている。やはりこの習性とDNAでは、数が減ってしまうのは判る。山頂には古い標柱が原形を保てない状態で立っていた。目の前に北岳があり、展望は360度ある。静かな結構に居心地の良いピークであった。既に夕方の18:30、日没まであと1時間ほど。明るいうちにどこまで歩けるか・・・。


 中白根沢ノ頭から北岳へ続く稜線もなかなか気持ちがいい。今日は天気も安定していて風もさほど無い。ここで西からの風を受けるとまともにこの尾根に当たり、下から吹き上げてくるだろう。今日はそれが無いのであった。コツコツと小さな歩幅で砂礫、そして岩稜帯を行く。この岩場になるとどこを歩いてもいいような感じであり、その為に本道が不明瞭に思える場所となる。特に道標やマーキングは無いので、よく見定めて進みたい。

 
分岐到着。北岳と肩の小屋を結ぶ主要道には、緑色の蛍光ペンキでルートが矢印で記されていた。既に19:45となり日は落ちた。ずっと歩いているので目が慣れているために無灯火でも充分歩けた。小屋に向けライトをちらちらさせながら行くのも気が引け、消灯していたと言うこともある。日本第二高峰の主要道、流石に良く踏まれて歩きやすい、危なげなく降りてゆく。小屋を見ると蛍のように人が動く。そのまま空を見ると、星が出ている。予報では日曜日は天気が崩れるようであったが、歩いているうちに好天となったようだ。

 
肩の小屋に到着。小屋の前には笹が立てられ短冊が下がっていた。“あーそうか、もう七夕だ”などと季節感の無い私なのであった。各テントからも明かりが漏れ、ほとんどのハイカーは塒に納まったようであった。小屋前のベンチで夜露対策の雨合羽を着ていると、野外で食事をされる方が準備をしだした。“今から行くのですか”と聞かれ“ええ、ちょっと小太郎まで”と返す。“あ〜ちょっと、ちょっと小太郎ですね”となんとも面白いやり取りがあった。ヘッドライトをテントに当てないよう気遣いながら、小太郎に向け下ってゆく。月明かりが無いのでヘッドライトのみが頼りであった。2890m高点がある付近は、まだ雪渓が残り、その上にトレースが続いていた。

 さて小太郎尾根への分岐に到着。その分岐標識の小太郎を示す板は、無残にも折れてしまっていた。おそらく雪の重みに耐えられなかったようである。この尾根のアップダウンは仙塩尾根の歩行時に嫌なほどに確認できた。その為に心構えは出来ていたのだが、現地を歩くと、そのどんどん落ちる高度、そして次々に現れるアップダウンに、やや萎えてしまっている自分が居た。あとは視界があれば、もう少し最適に歩けたのだが、視野が狭いために無理して通過してしまっている場所もあった。岩場の通過もあり、注意が必要な場所もある。途中、水休憩に座ると無意識にも眠り込んでしまった。時間にして15分くらいだったろうか、この先は体力もそうだが、睡魔との闘いもある。ハイ松を分け進んでゆくと小さなパッキング容器があった。まだ新しく、最近入った方のようであった。下山後に判るのだが、これは芦安の駐車場で隣り合わせになったご夫妻の落し物なのであった。駐車場ではお互いに小太郎山へ行くとは露知らず、下山後にそんなことが判り・・・。そして小太郎山らしきシルエットを前にして最後の登り上げ。

 
 小太郎山の山頂の少し下にはテント場に適当な平地があり、そこから明かりが漏れていた。テントではないしと思って近づくと、タープを張って幕営されている方であった。地上高40センチほど、見事にピンと張ったタープには、細引きで四方八方が引っ張られている。ちょうど食事を取っている途中であり、私と同じ尾根を来たのかと思い、“アップダウンが意外に多かったですね”などと話しかけたら“アップダウン?”と返ってきたのだった。話を進めると沢を詰めてここまで上がって来たと言う。確か山梨の藪山さんからも、沢を詰めて登る話をしていたのを聞いたことがある。ルートとしてあるようであった。御仁も暗くなってからの登頂で20:30にここに着いたようだった。食事の邪魔をしたことを詫び、山頂へ向かう。顔の見えない同士の不思議な会話であった。

 
 22:08小太郎山到着。ここにも山梨百名山の標柱が立てられていた。昼間であれば大展望の場所であろうが、もうこんな時間ではそれは望めない。先ほどの方の食事風景や、居心地のよさそうな居住空間を見てしまうと、私もここにテントを張ろうかとも思ってしまったのだが、グッと堪えて山頂を後にする。帰りは下った分を登り返さねばならない。その距離が判っているだけに負担に感じる。こんな時に「なぜに山に登るのか」と言う自問自答になる。往路を辿るもののヘッドライト歩行なので、記憶がいまいち、立ち止まってはルート選定をしながら戻ってゆく。帰りは途中2度ほど休憩を入れたのだが、その都度10分くらい眠りこけてしまった。辺りの雷鳴が強くなり、そのフラッシュライトのような明かりに目指す方向が映し出される。これはだいぶ助かった。雷は嫌なものだが、自然の明かりを少し利用させてもらい、進路を導き出せた感じもある。それでも最後の最後でハイ松の中に入ってしまい、少し漕ぐ事になった。どこをどう間違えたのか判らなかったが、無事に分岐箇所まで戻ることが出来た。既に日が変わり日曜日となった。小太郎山の往復になんと4時間を費やしてしまった。

 
 肩の小屋に戻ると、小水&星空観望の方が小屋から出てきた。“もう出発ですか”と声をかけられ、“ええ”と無難に返答。100円を払い水を貰うが、この水はなんとも油系統の臭いが付いていた。沢のおいしい水を飲み続けていたのでなおさらそう感じたのかもしれない。長い休憩の後、北岳に向けて歩き出す。もう完全に牛歩状態で、足で登ると言うよりは体が勝手に登っている感じで、本能で歩いているような感じである。疲れているのは間違いないのだが、そんな中でも辛くは無いのであった。前回ここを通ったのはいつだったろうか、ライトに写る景色だけだが、当時の記憶が甦って来る。岩部も多く、当然のように細心の注意で足を出してゆく。破天荒な行動には、それに対しての自己責任があるのであった。

 
 北岳山頂到着。新しく埋設された三等三角点が白く輝いていた。前回は右から左へと書かれて居たが、新しくなり左から右へと書かれている。ちょっとのことなのだが違和感を感じるのは私だけだろうか。流石に3000mを越えると気温も低くなる。風を避けて休憩していたが寒くてじっとしておられずに歩き出す。向かう方向には北岳山荘の明かりが見えている。この北岳の南側は視界が無い中だと不安に感じる場所もある。前回も同じことを感じたと思い出しながら下ってゆく。
吊尾根下降点分岐からはロープに導かれながら下ってゆく。そしてそのロープが無くなると、岩場の中を赤ペンキや黄ペンキを拾いながら降りてゆく。ここは標柱が随所に立っているので闇夜でもルートを外す事は無かった。ガスの中でも同じことが言えるだろう。下のほうに行くと長い丸太の階段も設置され、昔のものは取り払われていた。


 八本場ノコルで朝食として、長い池山吊尾根に備える。ここは以前にボーコン沢ノ頭までは歩いており、懐かしい道でもあった。なんと言っても八本歯ノ頭付近の通過は、楽しいと思える岩場の連続であった。先ほどのコルを前後して付近には新しい丸太が沢山デポしてあった。その量からして、危険地帯のほとんどを安全通過にしてしまうのかと思ってしまったりもした。4:40真ん丸い来光を迎える。それと同時に、中白根山や背後の北岳が赤く焼けてゆく。尾根上の遠くにボーコン沢ノ頭のケルンが鋭利に突き上げているのが見える。結構遠いなーなどと見ていたのだが、前回は八本歯ノコルからボーコン沢ノ頭をピストンしており、殆どの景色が懐かしい景色となって目に飛び込んできた。途中の各ピークには赤く錆びたパイプが立っている場所もある。これは何を示しているのか判らなかったが、もしかしたらそこに道標が付いていたのだろうか。


 ボーコン沢ノ頭には、西風を避けるような石囲いが残り、良いテン場が出来ていた。ここからの進路は、どことなく北アの三ッ岳からブナ立尾根に向う下降点に良く似ている気がする。少し下るとここにもテントを張った跡がある。道はしっかりしており、それに伝ってどんどん高度を落としてゆく。地形図に見られる破線より北側を通過している時間が長く、途中2箇所ほどで道が二手に分かれる場所があったので、ルートは新旧あるのかもしれない。急峻地形もあり、踏ん張りの利かない足に渇を入れつつ下を目指す。ここは冬季ルートなのだが、この急峻を下りながら、“登りもきついなー”などと思うのであった。それとここはあの「マークスの山」のそのプロローグの場所でもあり、核心地でもある。特異な精神構造を表現した作品を、思い出しながら足を進めてゆく。


 城峰は、登山道から逸れ尾根に向かい登りあげる。尾根上にもしっかりとした踏み跡があり、ほどなくして山頂に付く。どこが山頂だか判らないようなダラッとした地形であるが、ちゃんとここにはMLQの絶縁テープが縛られている。地面は苔むしており、そこにイワガガミのピンク色が映える。腰を下ろしそよ風を浴びていると眠ってしまいそうでもあった。針葉樹の山頂ではあるが、日差しはあり居心地は良い。

 この先もそのまま尾根を南東へ向う。どこからか山腹のトラバース道と合流するのかと思って気にしていたが、結局合わさるところが判らぬまま下って行ってしまった。この城峰から先になると、傾斜が緩み、大きなストライドでスピードが乗る。シラビソの樹林の中はやや薄暗く、先ほど話したマークスの山を髣髴させるには充分のお膳立てであった。しばらく下ると山火事注意の赤い看板があり、その先に草原が広がっていた。南に目を移すと山小屋があり、これが池山小屋であった。小屋の西側にはサッシの扉が放置され、それが小屋の入り口の扉であった。要するに開けっ放しの小屋となっていた。中はわりと綺麗な状態になっており、出来うるならば扉くらいは直しておいたほうが使いやすいであろう。池には水は無く、見るからにそこは草原となっていた。

 踏み跡と赤ペンキは池の東側を巻くように付けられそれを伝ってゆく。樹林に入ると、その踏み跡がいくつかに分岐する。適当に池山の山頂を目指して、赤ペンキから逸れて高みを目指す。しかしここは、付近全体が山頂と言えるような広い大地であり、山頂ポイントに到着したものの、林の中、森の中と言った感じの場所であった。再びルートに乗り、赤ペンキを追ってゆくと、登山道脇に三角点があった。これが池山三角点である。広い地形なので見つけ難い場所にあると思い込んで居たが、意外や判りやすい場所にあるのであった。そしてこの三角点は、無残に割られ、鏨のようなピッケルのような刃跡が残っていた。


 池山からの下降は、やや勾配がきつくなり九十九折の箇所も多くなる。いつになったら下に着くのか、早く野呂川が見えてこないものか、とイライラが募る。途中少し登山道が乱れている場所があったが、その1箇所だけで、あとはほとんどルート上を歩いてゆける。下の方になると再び赤ペンキマークも見え出し、笹枯れの中になると、もうゴールも近い。落ち葉を踏みながら最後の最後まで九十九折が続く。


 あるき沢のバス停に降り立ち、時刻表を見ると、あと11分でバスが来る。11分遅れていれば、次のバスは3.5時間待たねばならない。急いで降りた甲斐があった。まー乗れなければ鷲ノ住山へ登り返そうと思っていたのだが、このベストタイミングに降りられた事はツイている。汚れ物をパッキングし、新しいシャツに着替えバスを待つ。そしてバスは定刻にやって着た。乗り込み整理券を取ろうとしたら運転手から、乗客の一人を指さされた。何を意味しているのか判らずに座席につく。しばらくして広河原が近くなると、その指をさされた人が私のところに来て料金を徴収(330円)して行った。ワンマンバスでなくツーマンで、人件費のかかる運行形態なのであった。


 広河原に戻ると北岳から降りてきた方が、タクシーの待合場に居た。人数が揃うのを待っているようで、ここに賛同する。と言うかバスは10:20が出発時刻であり、したたか待たねばならなかった。とは言うものの、乗り合いタクシーもなかなか最後の一人が集まらず、待ち時間が長かった。待つ間、柔らかな日差しを浴びながらウトウト・・・。そして最後の一人が揃い、タクシーは快調に芦安を目指す。1200円出してもバスより有益と思うのは、時間的な部分もそうだが、ザックを抱えなくてもいいのがその理由のひとつである。タクシーの中でもすやすやと眠りこけてしまい、「着きましたよ〜」の声に起こされ、まだ静かな芦安の駐車場に戻った。


 今回は珍しい人に逢え、山行にアクセントが付いた感じである。雨に全く降られなかったのも、夜通しの長駆が出来た一因でもある。夕立でもあったならば、そこでいったんモチベーションが落ちてしまっていただろう。雷鳥にも逢え、大展望を満喫出来た。いつもこう願いたいのだが、平生は雨男、いつもかもこう上手くはいかないだろう。

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