陣笠山 1490m
2008.9.06(土)
晴れ パーティー 行動時間30M
@五輪峠7:36→(9M)→A陣笠山7:45〜59→(7M
)→B五輪峠8:06
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4号線を登って行く。 | 五輪峠の五輪塔。 | 五輪峠に猛者たちが集結する。 | @五輪峠入山口。 |
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@標柱の裏には県内の高校の表記もあった。 | A本日の主役。陣笠山山頂。 | B行事を終え、峠に戻る。 |
我が大先輩のO氏が、通算登頂座数3000の節目に赤城に来るという連絡を受けていた。氏が3000座を目指すきっかけになった、氏にとっての大先輩がこの上州に居るからであった。恩義深い氏らしい配慮でもある。そんな中、当初は鈴ヶ岳の予定であったが、最終的には五輪尾根の陣笠山に落ち着いた。と言うのも、だんだん話が進み報道関係者も当日来られる事になった。となるとあまり長い距離は新聞の時間にも響き、それで経路が短時間な場所となった。
家を4:00出発し現地の五輪峠には6:00頃到着した。既にJCA氏が到着しており、しばし歓談。暫くすると今日のメインゲストのO氏が到着する。前夜はこの下の「道の駅 大胡」で過ごし、睡眠十分のようであった。人数が増えると益々山談義に花が咲き、目の前を通り過ぎる暴走車に負けないほどの賑やかさになってきた。ほどなくCVP氏も到着し、続々と路肩駐車の車列は増え、次にJKC氏が到着。下界はガスが垂れ込めていたが、ここ赤城の上層部は晴れ。誰が晴れ男か捜すのだが見当たらない。すると自らも認める晴れ男登場、IAS氏であった。そしておおとりにKXW氏とCHR氏が到着した。ここに居る面々は、間違いなく猛者と呼ばれる人ばかりであり、私にとっては先輩ばかりである。ただ年齢を度外視したお付き合いをしていただき、各人の山に向う姿勢は身近な良い教材となっていた。
全ての予定者が揃い、五輪峠から入山する。笹がかなり濡れていて、先頭の私が今日はより一層の露払いをしてゆく。少し笹が登山道を覆う場所が多く、近年の手入れがされていないようでもあった。途中赤城展望荘側からのルートと合流し、ほどなくして広い山頂に着いた。
持ち上げた祝いの言葉を書いたA0用紙を広げ、地蔵岳をバックに皆で記念撮影。デジカメ全盛期でもあり、各人のカメラが入れ替わり立ち代わりとなりシャッター音を響かせていた。脚立を用意した報道カメラマン氏が一眼を構え記事用の写真を撮ってゆく。滞りなく記念撮影が終わると、O氏は次の山へ行くべく、五輪尾根を西進して行った。ここら辺の切り替えは早い。IAS氏とCHR氏が同行し、私を含めた他の者は五輪峠に引き返す。
下るとすぐに報道カメラマン氏は記者に変身し、先ほどの生の様子をパソコンに綴っていた。これを携帯電話の電波に乗せて本社に送信するとの事。昔を思うと、IT業界の進化は報道関係者には最高にありがたい部分であろうと思った。そしてこの敏腕報道関係者氏のおかげで、翌朝読売新聞の全国版社会面にデカデカと載ることとなった。たぶんこの反響はかなりあることだろう。コツコツと積み上げたものの集大成でもあり、まだ通過点でもある。氏にはこの先にある4000座と言う新たな目標を目指して欲しい。上州からの帰路、名古屋の山に登ってから帰ったようである。間違いなく次の目標に突き進んでいるようであった。