墨川山 1740m 倉掛山 1776.7m 鈴庫山 1600m
ハンゼノ頭 1686m 柳沢ノ頭 1671.2m 高芝山 1540m
2010.12.4(土)
晴れ 単独 斉木林道を伝って板橋峠まで進み、防火帯で倉掛山をピストン。戻って高芝山側へ 行動時間:7H51M
@柳沢峠6:38→(3M)→A斉木林道入口6:41→(46M)→B板橋峠7:27→(43M)→C墨川山8:10〜12→(12M)→D倉掛山8:24〜32→(11M)→E墨川山帰り8:43→(43M)→F板橋峠帰り9:26→(37M)→G柳沢無線中継所10:03〜04→(30M)→H鈴庫山10:34〜47→(24M)→Iハンゼノ頭11:11〜15 →(10M)→J柳沢ノ頭11:25〜26→(2M)→K廃道入口(分岐)11:28→(17M)→L竹森林道を跨ぐ11:45→(32M)→M高芝山12:17〜31→(36M)→N竹森林道に乗る13:07→(22M)→O柳沢峠13:29
@柳沢峠Pから出発。 | AR411を少し歩いて斉木林道に入る。この林道はマイカーが入れる。(この日は徒歩) | 林道と歩道(防火帯)が途中で並走。 | B板橋峠。 |
B板橋峠の道標は足元の小さな物のみ。 | 防火帯を進んで行くとアンテナ塔に。 | 地上波デジタルのアンテナ。(左の絵とは別の場所) | ←アンテナの場所から進んで行く先。 |
C墨川峠。道標なし。 | C笹薮の中に、境界標柱がある。 | C墨川山から埼玉・東京県境側。 | D倉掛山。三角点ポイントは樹林の中。 |
D標識越しに広瀬ダム(西沢渓谷側)を見下ろす。 | Dしっかり埋まっている三等点。 | D少し東にズレると展望場があり、別な標識も掛かる。 | D倉掛山東側より、雁坂峠側。 |
D倉掛山から富士遠望。 | 倉掛山下山途中から見る墨川山。 | E墨川山帰り | 北緯35度48分付近にある、四等点。 |
四等点の様子。 | 板橋峠(深静峡)で、廃墟に寄り道。 | F板橋峠に戻る。 | 板橋峠の南側。かなりの急登を登る。 |
1670m峰に、四等点が新設されていた。 | 1670m峰の四等点 | 途中のベンチのある展望場。 | G柳沢無線中継所下分岐。 |
鈴庫山への道標から右(南)に入って行く。 | 向かう先に円錐形状の鈴庫山が見える。しばらくどんどん下る。 | ハンゼノ頭からの道とトラバース道が合流。 | 合流した場所の注意書き。通行止めでなく、鈴庫山で行き止まりを示している。 |
鈴庫山直下。 | H鈴庫山山頂標識。「1603m」と書かれている。 | H鈴庫山山頂。南側の展望は抜群。 | H「山神宮」と彫られた石碑。 |
H鈴庫山から富士山。 | H鈴庫山から南アルプス。 | H鈴庫山の古い標識。 | H鈴庫山の下り始めは北に降りる。 |
ハンゼノ頭下休憩舎(トイレ付き)。 | Iハンゼノ頭。三窪高原においての主峰と言えようか。大展望の場所。 | I銅製の方位盤。 | I山頂部は霜が融け、泥濘地形で歩き辛い。 |
Iハンゼノ頭から富士。 | Iハンゼノ頭から金峰山(五丈岩)。 | Iハンゼノ頭から南アルプス。 | J柳沢ノ頭 |
J柳沢ノ頭二等点。 | J柳沢ノ頭から見る鈴庫山。 | K柳沢ノ頭南の分岐点。正面の木に赤ペンキで「×」。廃道になっている。 | 「×」を進むと濃い笹薮となる。道形はしっかりあるが、それを覆う笹に・・・。 |
2mほどの笹がしばらく続き、掻き分けながら進む。 | 微細尾根があり、その分岐箇所。高芝山側の右を選ぶ。 | 途中でコンクリートの吹き付けられた場所に出る。 | 見下ろすとこんな感じ。竹森林道の為のよう壁工事の様子。 |
K竹森林道に降り立つが、最後が2mほどの壁。西にズレると、古木の支点がありザイルが垂らせる。 | 竹森林道から南は、尾根上に切り開きが出来ていた。 | 1518高点北側から、道形は東寄りに進んでゆく。やや不明瞭な場所あり。塩山側に降りる道(破線ルート)は見出せず。 | 1518高点の西側も、一部で藪が濃い(細い道形)。 |
最低鞍部から、高芝山への最後の登り斜面。 | 下の方は道が判らないが、上に行くと下草の無い快適な尾根に。 | L高芝山山頂の様子。展望は無く、樹林の中の狭い山頂。 | L高芝山の標識。 |
Lもう一つの趣きのある標識。 | L伝説の藪屋「MLQ」のいたづら書き。 | 高芝山から戻り1518高点の山頂部。 | 1518高点の上には、このルート唯一の道標が掛かる。「柳沢峠⇔高芝山」とある。 |
M竹森新道に戻る。しばらく登り勾配。 | 林道途中の深く水の溜まった小滝。 | 柳沢峠が近づくと、櫓形状の監視台も残る。 | N柳沢峠に戻る。 |
12月3日は冬型も冬型、寒冷前線が日本の上に胡坐をかき、東北から日本海側は大荒れの天気となった。太平洋岸側も対岸の火事ではなく、大いに荒れだいぶ被害が出ていたようだ。そんな中、サッシを圧迫するような強い風を受けながらの場所探しだった。空を見上げると満天の星なのだが、一方の見えない風は凄まじい音を出してアピールしていた。翌日は好天。判ってはいるが、風が残れば高所は寒獄。なかなか雪が踏めないでもどかしいが、またまた少し標高を下げて遊ぶ事にした。あと、腰痛も出だし、週中は病んだ状態で過ごしていた。毎年年末になると出だすのだが、これも一年の疲れの嵩んだものなのか・・・。よって無理はせず程々に楽しめる場所とする。さらにさらに、木曜・金曜と秩父の夜祭をやっていた。少しそれにも興味があり、経路に秩父を含めた場所探しとなった。そして決めた場所は、大菩薩峠の西にある柳沢峠周辺の山。ここなら経路にR140が入れられ、秩父も通過して行けることとなる。色んな欲求を満足させるのも大変なのであった。珍しく30分ほどで場所探しが終わった。吹き付けるあまりの風に、「散策くらいで歩ける場所でいい」なんて妥協していたのであった。どんどんと出かける意欲を削いで行く強風。家が強固ならそんな事を思わないのだろが、自然を感じられる隙間風の入り易い家であり・・・。
1:15家を出る。秩父方面に向かうのは、本当に久しぶり。年頭に両神に入った以来だから、まる1年ぶりくらいになる。空は満天の星。街中を抜け山道に入ると、ヘッドライトを消してスモールランプだけで走行する。すると夜空の星が一気に増す。星の綺麗な夜は、暗さが美しさに通じるのだった。小鹿野町側から秩父市内を見ると、まるで火事の様に周辺が明るい。時間的に既に祭りの後(祭りは24時まで)であろうが、少し意識して祭り会場に近づきつつ通過して行く。家路に向かう人たちが四方八方に歩いている。二日目は風こそ強かったが、降られずに良かった。いつもは寒い秩父が、この時は少し暖かく感じたのだった。大滝村を経て雁坂トンネルに潜ってゆく。ここでの通行料710円は、高速1000円を思うとかなり高く感じるようになった。小銭が無く諭吉さんを渡すと、係員が面倒くさそうにおつりを返すのだが、強風の中で英世さんが飛びそうになる。夜祭が無ければ野辺山越えをしたのだが・・・。塩山に下りて大菩薩ラインに入って行く。
柳沢峠到着(4:00)。ガランとした駐車場にポツンと停める。依然強風が車体を揺らす。トイレに入ると、例の事件の捜索チラシが貼ってあり、その女の子の目を見開いた表情にドキッとしてしまう。夜明けまでしばし仮眠とするが、揺り起こすような風、そして峠走行を楽しむ族に、あまり寝ていられる状態ではなかった。そしてここは照明で明るい場所。星空と甲府の夜景を見ようかと思っていたのだが、ちと予定違いだった。時折霰が屋根を叩く。「寝るな」と言っているかのようで、こうなると天邪鬼の私は意地でも寝てやりたくなる。6時になっても強風は収まらなかった。「どうしよう」少し悩むのだが、もう一方でよほどの事がない限り突っ込んでゆく自分を知っている。まぁ悩む部分があるだけヨシとしなければならない。夜が開けきった中、ゆっくりと準備をしだす。
6:38柳沢峠からスタート。国道411を伝い奥多摩側に僅かに進むと、斉木林道の入り口がある。そこから舗装路を伝うのだが、周囲の笹薮にはあちこちに通過した跡が残る。間違いなく女の子を捜索した跡だろう。かなり広範囲にそれらが残っていた。柳沢無線中継所への分岐を左に見て、その先でダートに変わる。途中で防火帯が出てきて林道と併走するようになると、その先が板橋峠となる。大きな水溜りには氷が張り、温度計を見るとマイナス気温。キリットした寒さがあるが、気づくと強風は収まっていた。ここでの道標は膝下の小さな表示。行政のもっと大きな物があっても良いと思うのだが、“何でこんなの?”と思うほどに小さい。防火帯に自転車(マウンテンバイク)が入らないように柵がしてあるのだが、歩いて入るにも狭すぎて難儀するほど。強固な柵に驚くのだが、東京都の管理下だからこんなもんだろう。
防火帯の中に林道のような道形があり、それを最初に伝うが、すぐにその先で左から防火帯と合流した。平坦な林道歩きからいきなりの急登で、心地よい筋肉の張りを感じる。最初のピークにあるのがアンテナ施設。タイガーロープで施設の敷地が区切られ、それを巻き込むように北に進んで行く。飛龍山辺りが赤く綺麗なモルゲンロート。いい天気を予感させる絵面であった。先の方には、防火帯の中を仲良く歩いていく鹿の姿も見える。こちらに気づき白い尻が跳ねながら笹薮の中に消えてゆく。途中には地上波デジタルの受信機などもあった。尾根上に切られた防火帯が、龍のようにうねりながら先に延びている。歩き易い事この上ない感じ。ただし、今は凍っている地面だが、次第に溶け出すと滑り易い状況になるだろう。
墨川山到着。と言っても何も標識は無い。完全に自己満足な山頂で、エアリアにも載ってないから気にして通過する人は、山名事典を持っている人くらいなのだろう。西側の笹薮の中に入ると、境界標柱が立っていた。三角点にも見えるそれが、現在の山頂の印と言っていいだろう。振り返ると見事なまでの富士山の姿がある。向かう先の方には山梨・埼玉県境の山並みがあり、こちらも一部白くなっていた。青い空にその稜線の輪郭がクッキリと浮かび上がっている。やはり、悩んでも現地に入るもの。自然はその努力に応えてくれる。下り込んでトラバースするようなルートを伝い、再び急峻を登りあげて行く。斜面の登りになると、ほとんど道形が判らなくなるのが、この一帯の法則のようだった。ようはどこを歩いてもいい事になる。
倉掛山到着。登り上げて西に進んだ所に三等点が待っていた。広葉樹に覆われた場所で、木々の間からの展望となる。東に20mほどズレると、そこが展望場となっており、一帯の木々が伐採され雁坂側の展望がいい。さあここが今日の北側の折り返し地点。次は6キロ南の高芝山を目指して南下が始まる。踵を返すと終始富士山を見ながらの歩行であり、こんな気分がいいことは無い。それに加えて南アルプスの白い連なりが、負けず劣らずにすばらしい。こんなに長く広く見るのも久しぶりだった。前週登った高山は、牛の背のような櫛形山の向こうか・・・残念。墨川山に戻り今度は東を見る。そこには登山者が見えそうな距離に黒川山の姿があった。板橋峠に向けて戻ってゆくのだが、北緯35度48分が横切る辺り(地図でしか見えない)に、四等点が埋設してあった。目立たぬような場所なので気づく人は少ないかもしれない。一帯は、都の水道局の管理エリア。峠に近づくに連れて、それら看板が多くなる。
板橋峠手前で、西に入る道形があった。そこを入るとコンクリート構造の廃墟があった。足を進めると瓦礫の中に2つの湯壷が残る。別荘なのかホテルなのか、まぁそんな類なのだろう。深静峡と呼ばれていた時の唯一の残存物がこの廃墟。明るいから良かったが、少し暗い日だったら、ちょっと嫌な場所でもあった。防火帯に戻り、板橋峠に到着。往路の林道を左に見ながら、尾根上の防火帯を進んで行く。そしてこの先の藤谷ノ頭への登りが、このルート一番の急登場所。周囲に九十九折の道が無いか探してしまうほどの場所で、ちょっと進むのを躊躇するような急斜面であった。登って行くと、何となくだが踏み跡が九十九を切っている感じ。ただし不明瞭。そして登りきると道標があり、見える道形の2方向を指して、どちらも柳沢峠を示していた。
板橋峠から以南の場所は、本当に展望を楽しみながら歩いて行ける。細かなアップダウンこそあるが、周囲が開けている場所が多く、ピクニックとかハイキング気分で歩ける場所であった。目の前に柳沢中継所のアンテナ塔が見える。その前にある1670m峰には、ここにも四等点が埋設してあった。周囲は涸れた冬の景色。その黄色さが、遠くの青さと山々の陰影を引き立たせてくれていた。進んで行くと3脚の長ベンチが設置してある場所があり、ここからの富士山の展望は素晴らしい。その手前には、次に目指している鈴庫山が見える。アンテナ塔ピークは西から巻き込むように進んで行き、戻るようにして柳沢中継所の施設前に出る。周囲はレンゲツツジの大群落があるようであるが、この時期は見る影も無い。
無線中継所から南に足を進めると、すぐに鈴庫山を示す道標があり、右にルートをとる。かなり下る感じで、どんどんと高度を下げてゆく。その先に円錐形の鈴庫山が見えるのだが、かなり低い場所に見える。この道は、山腹を巻くトラバース道的な場所で、微細なアップダウンを繰り返す。そしてハンゼノ頭からの尾根の乗ると、そこで尾根道と合流する。合流点には「この先 行き止りです」と書かれた標識があり、進路を止めているように見える。もう少し考えた言葉並べの方がいいような・・・。「この先、鈴庫山で行き止まりです」で良いのでは・・・。しっかりとした散策路を降りて行き、直下の最低鞍部から急登を上がって行く。
鈴庫山。ここ周辺の木は、天然の檜らしい。それらに展望を遮られるが、唯一南側が開け、そこからの展望が素晴らしい。足の下は切り立った崖となるが、そのおかげで邪魔するものは一つも無く、富士山や南アルプスが見渡すことが出来た。腰掛けるのにも適当な大岩があり、陽射しを受けながらまったりと視覚での空中散歩。甲府盆地の建物が密集する様子がさらに、山々の雄大さを浮き立たせてくれていた。この山頂には「山神宮」と書かれた石碑もあり、このエリアで唯一の昔の名残のあるピークとなっていた。往路を戻って行く。休憩舎まで戻り、ハンゼノ頭は端折ってしまおうかと思ったが、ここまで来たならと足を向ける。階段状の登路は、霜が融けヌタヌタ状態。滑り易い場所に変わっていた。
ハンゼノ頭。山頂部もまた酷い泥濘の場所。冬季は覚悟で行った方がいいかも。それでも、登って良かった。三窪高原において、最高の展望場がここなのであろう。各方面を邪魔する物無く見渡せる。西と東に銅製の同定板が設置され、見える山々が確認できるのだった。あまりの眺望の良さに、デジカメが休む暇が無い。そしてそれが自然のように、右手の人差し指は細かく上下動を繰り返していた。南に進み、次は柳沢ノ頭。ここには二等点が鎮座するのだが、柳沢峠に対しての柳沢ノ頭なのだが、派手さが全く無い静かな場所であった。さあここから破線ルートに入るので、少し心して進む事にする。柳沢ノ頭から僅かに南に下ると、国道411と竹森林道を示す分岐道標がある。しかしその竹森林道側の木には、大きく赤ペンキで「×」と書かれている。その意味はすぐに判る事となる。
×印の脇を通過して行くと、その先は一面の笹尾根。道形に従い行くのだが、ササの中に道形は埋もれてゆく。朝でなくて良かった。雨の後でなくて良かった。そんな事を思ってしまうほどのササの覆い方。地面の道形を追いつつ、両手は大きく平泳ぎとなる。これが「×」の答えだったようだ。そして5分ほど漕いだろうか、その先で尾根が別れる場所があり、いまひとつ進路が判らない。一か八かで高芝山が見えている方角の尾根を選ぶようにして下って行く。ここの辺りになると道形が消えていた。すると驚いた。人工物が現れたのであった。壁の崩落を防ぐコンクリート吹き付けの場所が出てきた。その上を慎重に下って降りて行く。ここで滑ろうものなら30mほどは一気に落ちて命に支障が出るような場所。コンクリートの上に乗ると言うよりは、ササの中を歩く方が安全であった。人工物が見えた事で少しホッとしたが、第二の難関がこの先に・・・。
竹森林道が下に見えるのだが、コンクリートブロックで壁が作られ、その壁の上から林道まで2m以上ある。そして全く足がかり手がかりが無い。どうして降りようものか。最後は飛び降りればいいが、それは本当に最終手段。でもそう簡単に飛べる高さでもない。困ったあげく、コンクリートの壁の上を西に進んでみると、そこに一本の古木があった。幹には傷が着き、何度も支点にされた様子が伺える。ただし、今日の私はザイルなど持っていない。柳沢峠に行くのにザイルを持つ人はたぶん誰も居ないだろう。判っていれば持って来たが・・・。その支点を掴んで降りるのもかなり厳しい。しょうがないのでさらに西に進む。するとブロック壁の最後の場所があり、そこで何とか林道に降り立つことが出来た。35mほど林道を登り返して今ほどの斜面を見上げる。ここは5mほどのロープを持った方が行動が早い。コンクリートブロックの上の斜面も崩れやすいので、それを考えると40mほどのザイルが適当だろう。
さて高芝山の方へ尾根を行く。驚いた事に。今まで道形が消えていたはずなのに、林道からはしっかりとした刈り払いがされ南に続いていた。ササの切り口が100mmほどの高さで、それにより少し歩き辛いが、道がある事は非常にありがたい。林道に出るまで、この先の笹漕ぎをも覚悟していたのだが、思わぬ道形の出現であった。それに伝いながら進んで行く。エアリアでは、1518高点の北側で破線が西に降りているが、ここの下降点は全く判らなかった。そして道形は1518高点には登らず、東側をトラバースするように南に続いて行っていた。ここらへんは地形図の破線通りなのだろう。でも何故にここだけ・・・。登山用というよりは作業道なのかも。1518高点の南側で道形から離れて西に進路を変える。この1518高点の南側は下草が無いが、西側に入ると再び少しだけ笹の密生した場所がある。僅かに平泳ぎをして最低鞍部にでる。見上げる斜面には、踏み跡が皆無のように見える崖斜面。適当に右に左に振りながら高度を上げる。そして途中から明瞭な一本尾根となり、下草も無く歩きやすいルートとなった。進む先が明るくなると、細長い山頂部が見えてきていた。
高芝山。山頂標識が掲げられてはいるが、熊に齧られたような痕が残る。竹森林道からの尾根上に、真新しい糞もあったから、まず間違いないだろう。裏を見ると、伝説の藪屋であるMLQ氏のいたずら書きも残っていた。そしてその東側の木には、木っ端を使った標識も打ち込まれていた。展望は無いが、木々の間からは陽射しが入り暖かい。適当な石もあり、そこに腰掛けながら大休止。三窪高原側の山として最後に予定していた山。感慨深く自然の中を味わっていたのだった。ここは東西に長い山頂で、尾根上の踏み跡は西側の林道の方にも降りて行っているようであった。林道終点がすぐ西側にあり、高芝山だけを目指すなら、西から狙った方が登山らしいかもしれない。竹森林道からだと、降りてくる感じなのだった。往路を戻る。
帰りは東の1518高点も踏んでゆく。山頂部に登り上げると、訪れた人が休憩するのか1畳ほどの禿げた場所がある。エアリアにはここを高芝山として表記してあるので、もしかしたらここを踏んで「高芝山」としている人もいるのだろう。少し東に行くと、M大の道標も残っていた。かなり薄れてはいるが「柳沢峠⇔高芝山」と読み取れる。この山塊でM大の標識を見るのは珍しい感じがした。北に下って行き、その先がちと迷う。尾根のやや東側にルートがあるのだが、どこも同じような景色で、迷いやすい場所になっていた。でもいったん道形に乗ってしまえば、エスカレーターの如く進んで行ける。向かう先には白いガードレールが目立つ竹森林道が見える。笹薮の中の切り開き。そこに熊の糞もあったりするので、やや神経を尖らせながら通過して行く。少し閉所感がある場所なので、自ずと足早に・・・。
竹森林道に乗ったら東に100mほど登り上げ、後は緩やかに地形に沿って下って行く。歩いて行くと、稜線に向けての登路もあるようで、分岐道標が立っていた。ただしそこには、向かって行く柳沢峠側を指して「行き止まり」と書かれていた。これにはかなりドキドキする。こんな時にグーグルアースでも見てくれば良かったと思えた。“それは無いだろう”なんて思うのだが、進んでみないことには判らず、カーブ毎に先を心配するように歩いていた。途中には山側斜面からの流れもあり、小滝のようになっている所もあった。ズンズンと闊歩して行くと、ダートだった道が舗装路に変わる。そこに立つカーブミラーを見ると、製造年月は今年の春であった。ここの工事はごく最近にされた事が判る。これだけお金をかけて、公に解放されるのだろうか、林業関係者だけなのだろうか・・・。
柳沢峠に戻ると、バイカーが多数集っていた。奥多摩からのこの道は、バイカーにとっての恰好のルートなのだろう。そして峠となれば、休憩最最適地なのだった。バイクも走れるくらいなので、強風も収まり天気は完全に回復した。こうなると少し高い場所にとも思えたが、今日はここで満足。十分楽しかった。
帰りは20号から韮崎経由で戻って行く。鳳凰三山の左に見える伊那荒倉山辺りの稜線は、雪煙が高く舞っていた。かなり寒そう。これを見てしまうと、今日の場所選定は正解。のんびりと野辺山を越え、真っ白になった八ヶ岳を横目に戻って行った。