池平峰 1024.7m 郷倉峰 1262m 滝沢峰 1361.3m
一ッ峰 1548m 二ッ峰
1642.3m 門内岳 1887m
扇ノ地紙
1889m 地神山
1849.5m
頼母木山
1720m
大石山 1562m
2017.7.15(土) 〜16日 (日)
15日(土) 曇り (ガス) 単独 奥胎内ヒュッテより胎内尾根二ッ峰東の湿地まで 行動時間:14H37M
16日(日) 曇りのち雨 単独 二ッ峰東の湿地から門内岳に上がり足の松尾根を下る 行動時間:8H25M
@奥胎内ヒュッテ3:48→M)→A吊り橋3:56→(51M)→B見晴台4:47→(111M)→C池平峰6:38→(15M)→D雨量観測所6:53〜7:03→(171M)→E郷倉峰9:54→(118M)→F滝沢峰11:52→(223M)→G一ッ峰15:36〜40→(105M)→H二ッ峰17:25〜31→(54M)→I二ッ峰東の湿地で幕営18:25
I二ッ峰東の湿地4:30→(128M)→J門内岳6:38→(1M)→K門内小屋6:39〜45 →(19M)→L胎内山7:04→(32M)→M扇ノ地紙から梶川尾根に入ってしまい戻る7:36→(30M)→N地神山8:06→(37M)→O頼母木山8:43→(18M)→P頼母木小屋9:01〜11→(30M)→Q大石山9:41〜48→(65M)→R英三ノ峰10:53→(81M)→S登山口12:14 →(39M)→㉑奥胎内ヒュッテ駐車場12:53
@奥胎内ヒュッテからスタート。 | 吊り橋へと至るトレッキングコース入口。途中でトレッキングコースは分岐する。 | A吊り橋の入口はタイガーロープで塞いである。あと「立ち入り禁止」の旨を書いたものが落ちている。 | 揺れの大きな橋で上部のワイヤーに捕まりながら慎重に進む。 |
橋の手前側では、ブラケットが外れかかっており、片方はめくれ、片方は抜け落ちそうになっていた。かなり注意が必要。 | 橋を渡った先からロープを伴った急登が続く。 | こんなリボンがしばらく続いていた。道形があるが、あるにしては判り辛いからだろう。 | B見晴台。南西に道が分岐している。東に進む。 |
C池平峰は通過点のような場所。 | C古い標識。往時はこの標識が尾根上に続いていたのだろう。この1枚しか見られなかった。 | C等級は道の反対側に刻まれている。 | 池平峰の先の湿地。山名事典の記されている。 |
D雨量観測所。扉は鍵がかかっているので避難所にはならない。道形はここまで。 | D雨量観測所から東に道形があるが、すぐに判らなくなる。観測所からは尾根通しを進んだ方が分かり易い。 | 1000m付近から進む先。この頃はまだ見通せたのだが・・・。 | 1004高点のやせ尾根通過。 |
1190m付近。この先、屈み潜り進むことが多く幕営装備だと、ソロだと辛い。 | 1210m付近。付近の赤松にナタメとしてあるのか、何本かこのような場所を見る。 | 郷倉峰の西側にある岩が、ちょっと通過しづらい。南を巻いた。通過後撮影。 | E1262高点の郷倉峰。一帯にガスがかかりはじめ、これにより進路が見えなくなってしまった。かなりブレーキとなる。 |
郷倉峰東のロープ場。太いロープが残るが、全斜面の半分で千切れ、千切れた残りは下に残されていた。 | ロープ場を振り返る。ここの為にザイルを用意したが、北側の木々を掴みながら降りてきた。 | 1240mで、この日初めての残雪に出逢う。 | 郷倉峰と滝沢峰間は時間がかかる。かかる要素はこれら。岩峰群のアップダウンの中を抜けてゆく。 |
岩を伴ったアップダウンの連続 | 通過してきた場所を振り返る。カモシカ岩と言うのがどれなのかよく判らなかった。 | 1210m付近から滝沢峰を望む。 | F滝沢峰。三角点がある場所だが、広く、先もあることから探さずに通過。 |
時折見える道形。消えたり現れたり、長くは続かない。 | 1345高点南の様子。この雪渓で水が得られた。 | 1370m付近。尾根をハズレ雪渓を伝う。 | 1400m付近 |
1440m付近。一ッ峰の北西側で一部笹が出迎える。 | 北から南へと突き上げてゆく途中。 | G一ッ峰:1548高点。 | G一ッ峰から東側 |
一ッ峰からの進路は、東に進み、北に降りる尾根に入ってしまった。視界不良時は注意が必要。付近の雪渓でも流れの音がしていた。水が得られる。 | もうすぐ二ッ峰だがツタ類が多く時間がかかる通過点 | やせ尾根が続き足の置き場所にも注意が必要。 | H二ッ峰到着。深いガスで何も見えない。 |
H二等点? | H二ッ峰から東側 | 二ッ峰東の鎖場。急下降してゆく。 | この辺りはニッコウキスゲが見事だった。 |
ヒメサユリも多い。 | I藤七ノ池は雪に覆われ、そのさらに東の鞍部にある湿地。ここで幕営。ヘロヘロでもう足が動かなかった。東から西側を見ている。 | I適当な木が無かったので、片方は笹を結わえ、もう片方は遠くの立ち木とザイルで結んだ。 | I二日目。幕営地から二ッ峰と一ッ峰。 |
I門内岳側。中央の笹藪がこのルート最強の薮。 | 手前が湿地なので足場の注意も必要。見える笹の中のくぼ地を目指すのがいいかもしれない。これは通過してから判った。 | 笹藪の中の様子。太く、硬く、密生しており、手抜きなしの強さがある。進まず泣きそうだった。 | 上に乗り道形を見つけホッとする。ここからは1767高点付近まで道形が続く。 |
1580mピークから東側 | 1580mピークから西側 | 1520m付近。道形は緑の野草の場所にある。 | 1530m付近。一見道形は見えてこないが、野草の中に埋もれている。 |
1767高点付近。この辺りで道形は無くなる。 | 雪渓を伝って登る。アイゼンが欲しいような硬さの場所も多く場所を選ばないと危険もある。 | 雪渓が終わったあとは南斜面の草付きを登る。 | 主稜線に乗った場所 |
J門内岳 | J門内岳から西側。晴れていれば二つのこぶが見えるはずだが・・・。 強風。 | K門内小屋で小休止。 | K綺麗な小屋内部 |
門内小屋の水場は湿地。 | ヒメサユリとキスゲ | L胎内山 | M扇ノ地紙の分岐を梶川尾根に進んでしまった。 |
M30分ほどロスタイムをして再び扇ノ地紙に。 | N地神山 | N地神山標柱 | N二等点 |
O頼母木山 | O御料局 | P頼母木小屋で小休止 | P山水で冷やされたビールにヤキソバパン |
Q大石山 | 西ノ峰 | 西ノ峰標柱 | イチジ峰 |
イチジ峰と大石山 | 水場分岐 | ヒドノ峰は窪地の中に・・・。 | 英三ノ峰 |
英三ノ峰の標柱 | 英三ノ峰から胎内尾根。 | 滝見場 | 滝見場よりの滝。 |
岩の廊下。ちょっとスリルあり。 | 姫子ノ峰。もう土砂降り。 | 姫子ノ峰標柱 | R登山口に降り立つ |
奥胎内ダム新設現場への分岐 | 奥胎内ダムと胎内尾根を貫くトンネル。 | 往路のトレッキング道入口に戻る。 | S奥胎内ヒュッテ前のゲート |
S駐車場所に戻る |
海の日を含めた三連休。避暑に高い場所に行きたいと思うが混む様子も予想できる。東北に逃げようとすぐに考えたが、北寄りは天気が下降線のようで降られるのは必須。まあ暑いよりは降られた方が涼しいとの判断をする。
飯豊山系の「胎内尾根」。奥胎内からのその尾根は「足の松尾根」が出来たことにより歩かれなくなり廃道化してしまっている。距離とコース内容からも廃道になったのだろうが平面距離で10kmほどあり、雪があるときならまだしも夏には普通に厳しい場所に思えた。だからこそ、この時期に狙ってみたくなった。
雪がまだある時期なら、ワンデイで門内岳まで抜けることも可能なようだが、雪が無くなると相応に時間がかかるのが各人の記録から読める。一日でどこまで進めるのか・・・根性試し。郷倉峰東の斜面で固定ロープが千切れているとのことであり、20mのザイルを持つことにした。そしてテントは持たずにツェルトとした。
今年春に「静かな山へ」の管理人と尾瀬で出会った。氏は門内小屋と頼母木小屋の設備管理もされていると聞き、それがあって久しぶりに二つの小屋を見たくなったのも飯豊山系を目的地に選んだ理由であった。何か理由を付けて懐かしめるのは楽しいこと。前回入山したのは2002年。現地を懐かしむには十分の時間が経過していた。
22時半に家を出る。関越道をひた走り日本海東北道に入り、中条インターで降りて奥胎内に向かう。途中のセブンで、陳列棚で残り一個になったヤキソバパンをゲットする。これですべての装備が整った。53号に伝い胎内川に沿って遡上してゆく。帰りは胎内温泉に入ろうか、奥胎内ヒュッテにしようかとか考えつつハンドルを握る。そして2時24分に奥胎内ヒュッテ到着。ちょっとの仮眠で出かけようと思ったら、起きたら既に3時半になっていた。急いで準備をする。
次々と到着してくる車がいる中、ヘッドライトを背中に受けて出発する。奥胎内ヒュッテ前にはゲートがあり、脇をすり抜け進んでゆくと2分ほどでトレッキングコースが右下に降りて行っている。そこを下り、トレッキングコースは途中で左に分岐する。そのまま川面側へと降りてゆくと吊り橋の場所となる。入り口をタイガーロープで塞がれ進めないようにしてあり、地面には立ち入り禁止同等の記述があるパウチされたものが見られた。自己責任で通過してゆく。吊り橋の途中では踏み板を繋ぐブラケットが外れかけており、重い人は注意したい。
対岸に渡ると、すぐに急登が始まる。あと、ちょっとオヤッと思ったのは、道があるにしては分けて進む場所が多い。廃道化していれば当然だが、あるだろうからと楽に思わない方がいいようだった。このあたりは季節にもよるだろう。ロープを流してある場所は4か所ほどあった。歩き出しからトップギヤに入れねばならず、すぐに汗が噴き出してくる。
480mの肩の場所には御影石の境界標柱が目立つ。どこまで続くのかピンクのリボンが広い間隔で縛られていた。まだ早朝と言える時間だが、奥胎内ダムの現場からは作業の音が上がってきていた。暑いのでフレキシブル勤務体制なのか、作業を急ぐために夜通しの勤務なのか。確かに奥胎内ヒュッテの所にはたくさん車が停まっていた。
585高点の見晴台では南西に降りてゆく道形があり、それを右に見送りながら南東へと進んでゆく。ここからしばしは痩せた尾根が続く。自分で予想した道形の明瞭さより、やや劣った道形が続いていた。ここがこの状態なら、道が無くなると言う雨量計から先は完全に自然に戻っているだろうと予想できる。季節柄の葉が茂り、そのために道形や向かう先が見辛いのだった。
頼母木川を望める場所があり、堰堤を作った場所の人口滝が涼やかに見えていた。五葉ノ峰は気にせず、気にならず通過してしまい、その先の池平峰も三角点が無ければ気づかずに通り過ぎてしまいそうな場所であった。池平峰まで約3時間。尾根の四分の一で道がありながらこの到達時間。抜けきるには15時間以上は普通にかかると読める。それにしても蒸し暑い。まだこの時はTシャツに夏ズボンの恰好であった。雨量計から先は長そでシャツを着て雨具を履く予定。この先の苦行が予想できる。
池平峰の東側には泥濘地と言うか湿地があり、道形は高巻いたり縫うように切られていた。いつ出てくるのかと建造物を気にしながら進んでゆくと、まず最初にアンテナ塔が見え、その先にかまぼこ型の雨量観測所があった。谷川岳稜線の避難小屋のような造りで、中に入れるのじゃないかとノブを捻ってみたが、しっかり鍵がされていた。若干の蚋が舞っているが気になるほどではなかった。長そでシャツを着こみ雨具のズボンを履く。これは虫刺されやかぶれ除けであった。
雨量観測所を出発する。南東側にわずかに道形があるので伝うが、有耶無耶になり判らなくなった。尾根側に修正すると、尾根上に薄っすらと道形が見えた。こういう事か、こんな感じかと、廃道の道形に目と思考とを慣れさせる。最初の下りこみのルートどりを少し迷う。北側に太く降りているのが道形なのかと見誤ったりもした。この先しばらくは尾根のはっきりした場所の通過で、周囲展望も楽しめる場所であった。1004高点の前後は崩落により山肌の出ている場所もある。こんな場所の連続なら伝い易いのだが・・・。
郷倉峰へは、最後の直下に大きな岩がある。北巻きは切れ落ちており、南も登り辛い。直登も出来そうだが腕が疲れそう。まだまだ体力温存と、一番安全な南を巻いて上がってゆく。他の場所でロープがあったことを思うと、願わくばここにも欲しかった。薮化した様子に、ここはちょっと自分にはヤバイなと思ったら、距離からしてもこの辺りで引き返すのが無難であろう。
郷倉峰に到着。心地いい展望ピークで遮るものはない。ただし天気は下降線で、既に主稜はガスの中で、向かう滝沢峰でさえ大半を覆われていた。進んでゆけば必ず進路が見通せない事態になる。覚悟してゆく。エアリアに見る伊藤山の標識はとうの昔に無くなっていたようだった。郷倉峰の東側はこのルートの最初の難所となる。流されたロープが着地点まであればいいが、ちょうど中間点で千切れていた。この為にザイルを持ち上げてきたが、使うことなく北側の低木を掴みながら下降した。急斜面なのでさすがに後ろ向きでしたが・・・。着地点から4mほど東に進むと、千切れた残りが尾根上に残っていた。こんな太いロープも切れるのかと、降りてきた斜面の岩を見たのだった。
1240mでこの日初めてルート上で残雪に出逢う。こんな場所が続けばいいが、この時期では期待しない方がいい。でも今年は雪が多いのでやはり少しは期待する。踏み跡がどこにあるのか、残雪の残る谷の中がそれなのか、軍手が谷部に落ちていたのを見る。ガスの中から岩峰が現れる。どこを通過すればいいのか、野草が繁茂しており道形は見えずらく、おおむね頂部を拾うように進んでゆく。乗り越えられない岩は、たいがい西側を巻いた。そんな中、2回ほど東側から上がってくる道形に出会った。ルートは東側斜面を巻いていたようであった。進度がかなり落ちていた。既に奥胎内を出てから7時間ほど経過していた。まだ中間地点・・・。結局、4つほどの岩を越してきたが、どれがカモシカ岩なのか判らなかった。ガスがかかっていたので、ほかの岩との比較ができず、どれがよりカモシカに似ているのかが見比べられなかったのだった。
滝沢峰側の登りになると、ツタ類が赤く蔓延りだす。まだ苦になるほどではないが、ここで出ると言う事は、この先も覚悟せねばならない。潰し乗り越えるようにして進んでゆく。しかし道形は樹木に覆われる中にあり、ここでは潜り進むのが正解なのでツタの存在はもどかしかった。現地の現実に、ここまで時間がかかるか・・・一人での楽しさと共に、分け進む辛さも全身で味わっていた。
なんだかんだで郷倉峰から2時間ほど要して滝沢峰に乗った。三角点がある場所であるが、さすがに探す気にならなかった。8時間も経過しており、あからさまに遅い進度に焦っていたのもある。あとは、首が痒い。わき腹が痒い。毛虫かなにかにやられているようだ。自然との遊びなのですべて受け入れるのだが、一応対策をしている中で、まだ隙がある。さらに暑くなるが首にタオルを巻いた。サウナに入っているように汗が滝のように流れ落ちるのが判る。遅さの要因はこの暑さが一番だったとは思う。
滝沢峰からの東側からは大ぶりな残雪が3箇所見られ、うち2番目の場所で冷たい水を汲むことができ、暑い中ではこの給水は助けられた。尾根を伝いつつも、雪に乗れる場所は進んで乗ってゆく。ただし雪が切れた先から尾根に乗るまでが草付きだったり泥濘斜面だったりし、一度足を滑らせ10mほど滑落して泥だらけになった。雨具を履いていて良かったと思ったのはこの時だった。本当は雨具は抵抗が弱いので滑落しそうな場所は良しとされないのですが・・・。
このあたりでもツタは増えていた。道を見失う時間も多く藪から頭を出しつつ踏みながら、地面に足が付かないような歩行も多かった。そんな中、1440m付近から笹が現れた。さあお出ましかと思ったら、気になったのはここだけで酷い笹藪ではなかった。それでも踏み跡は見失い。判らない中では東に回り込み、岩が散見できるような斜面を這い上がる。これでいいのかと半信半疑で登ったが、良かったようで踏まれたような跡が見られ、次第に線となって見えてきて一ッ峰まで導いてくれた。
一ッ峰到着。展望のいい場所のはずであるが、深いガスに覆われ何も見えないし、コンパスあてないと進路さえも判らない。くるくると辺りを見ながら回っていたら、どちらから登ってきたのかも判らなくなってしまいコンパスに助けられる。ここからの進路を少し誤った。東に調子よく下ってゆくのだが、途中から全く踏み跡がなくなった。尾根の左(北)側には大きな雪渓があり、その下の方では流れの音がしていた。コンパスを見るとやや南東に進まねばならないのを東の尾根から北に下る、大崩沢左岸の尾根に入っていた。すぐに登り返し、途中から尾根を乗越すように南東側への尾根に乗る。有視界なら間違えないだろうが、この時はまんまと引っかかってしまった。ここは大崩沢の源頭部にも雪渓があった。
少しミスをし正規尾根に乗る。この天候では慎重にいかないと危ないと戒める。距離的には門内岳は射程距離だが、既に夕方と言える時間に入ってきていた。ヘッドライトで頑張ってでも小屋に辿り着くか、早めに見切って途中で幕営とするか、漕いできた腕の疲れと、木々に叩かれ歩いてきた足の疲れとが、判断やら思考を鈍化させ、ややだらだらとした歩行となりつつあった。ここでもツタ類が多くて急ぎたい中ではもどかしかった。
ピラミダルな山容を目の前にしているはずなのだが、全く見ることなく藪を分けていた。こんな運命か、ここまで頑張っているのに・・・。登りながら、“もう二ッ峰の山頂で幕を張ろう”なんて思考にもなっていた。時計は既に16時半を過ぎていた。なるべくモチベーションを切らさずに意識していたが、体力気力の両方がそろそろ力尽きてきていた。視界がないってのが一番のその要因でもあった。
二ッ峰登頂。人工物は三角点のみであった。テントを張れそうな平らな場所をと見るも、無いことはないが、寝心地がよさそうではなかった。この先には藤七ノ池がありそこまで進んでみようと降りてゆく。二ッ峰の東側には番線と鎖が流してあり、急下降してゆく助けになっている。さらに東に進むと、北側からカエルの鳴き声がしてきていた。それも大量に。しかし見下ろそうにもガスが濃くて見えない。それほどに尾根上と離れた場所なのかと思えたのと、ちょっとカエルが賑やか過ぎて子守歌にも度が過ぎていると思え、さらに先に進んでゆく。これは後で分かったことだが、藤七の池側にルートがあるようであったが、降りてゆく道を見逃したのだろう、以後はずっと稜線を進んでいた。ここが結構進みづらく。植生の弱い南に寄ると笹の斜面となり、なんども足を取られた。南斜面には雪渓が見え、そこまで降りられれば楽だが、また登ってくることを考えると、そうは行動できなかった。
ここにきて良かったと思えたのは、ニッコウキスゲやヒメサユリが見ごろだった事。疲れた体には、鮮やかな色合いはカンフル剤にもなっていた。1580m付近からは、やたらと植生が濃くなり、逃げるように南を巻くようにして進む。そのまま東に進むと細い流れで出来た谷の中に入り、そこを北に登って行くと分水嶺の様な感じで尾根を乗り越し、その先は緑の湿原が広がっていた。ここまでくれば門内岳はもうすぐだが、この湿地で幕を張ることにした。東側にも硬い地形があったが、より硬いのは西寄りの少し高い場所であった。
1560mの湿地でツェルトを張るのだが、蚋の急襲が酷く手が進まない。すぐに蚊取り線香を焚くが、全く意に介していないようであった。いつも通り3種の虫よけを持ち上げてきたが、どれも効かずにすぐに近寄ってきていた。しょうがないので無視して作業を進める。ツェルト用のポールと綱を持ってこなかったので、ザイルを長く張って、片方を笹に結わえ、片方をダケカンバの幼木に結わえて張り綱とした。そして逃げるように内部に潜り込む。ツェルトの周囲から聞こえる羽音が以後も凄まじかった。もう19時になっていた。
持ち上げたビールが温いもののご褒美だった。ほぼ瞬殺。ラーメンやら、もう一つラーメンやらを持ち上げてきたが、全く食欲はなくコンビニで買った蒸しパンをかじりつつウイスキーを煽る。でも、なんて美味しいのだろう。小屋まで行けなかったのは不甲斐ないが、ここでの草地での寝心地は最高であった。シュラフも包まずに掛けるくらいでちょうどよかった。汗も加味して露によりずぶ濡れであった。下着のみ着替え乾かす意味でまた同じ衣服を着る。いつしか蚋の羽音が消えて風がツェルトをなでる音がするだけになる。
二日目は4時に動き出す。幸いにも初めて二ッ峰を湿地から望むことができた。ただしかし稜線側は既にガスに覆われ、天気が良くない様子も出てきていた。パッキングを済ませ蚋の楽園を後にする。湿原の東側は深く掘れた場所があり水が溜まっている。そこから見る東の笹原には一筋の凹みがあり、そこが伝いやすそうに見えていたが、突っ込むにも泥濘地形が邪魔をしていた。どうしようかと躊躇しつついたが、前日の沢筋が尾根を乗越す場所が入りやすいと思い、南にズレて市界の辺りから1580m峰に向けて東に進んでゆく。
強烈な笹薮。密生もいいところで、その中に美味しそうな芽吹いたものも見られるが、全く食欲を感じさせないほどの障害となっていた。こんな場所がどれほど続くのか・・・入ってすぐにブルーな気持ちになった。途中から、やや明るい南寄りを進み、笹の上に顔が出せるようになったら高みを目指して再び潜るようにして北に進んだ。道形の明るいところに出た時、天国かと思ってしまう。漕いだのはたかが20分ほどであったが、1時間ほど漕いだような疲労感があった。
道形を西側に見返す。湿原での見定めは正解だったようで、躊躇した場所に突っ込めば道形は在ったようであった。判らなかったのだからしょうがなく、自分なりに通過できたのだからヨシとする。さて道形に在りついたら、あとはそれを伝って進むだけであった。道形と言っても、既にかなり茂っており、笹の茶色に対し緑に野草が生えている場所が道形の場所であった。概ね伝いやすい場所が続く。最初が最初だっただけに快適・・・。ここもニッコウキスゲとヒメサユリが多い。
1767高点付近で道形は消滅し、その先は尾根の南側に残る残雪を伝う。照りと冷えでよく締った残雪で、場所を選ばないとちょっと危ないところもあった。ここまで来て滑落になるのは嫌なので、一番緩い斜面を登って行く。門内岳に突き上げると言うより、その南側へと向かっていた。残雪が途絶えると草付きの場所になり、ここもとても歩き易い場所であった。かなりガスが濃く風も強くなっていた。蚋が居ないのはいいが、ちょっと涼しすぎる状態になっていた。避暑に来たのだからありがたいことなのだが・・・。
主稜線の登山道に乗った場所は、アングル構造の櫓がある場所であった。そこからわずかに北に登ると、赤い社の待つ門内岳に到着した。出発してから2時間。昨晩に行動していたら3時間か3.5時間かかっていただろうと思えた。社を拝んでから北に降りてゆく。ボヤっとしたガスに中から門内小屋が現れ、ちょうどその時、7名の宿泊したパーティーが出発するところであった。すれ違いで小屋に入って行く。焚いていた蚊取り線香を消し、門内尾根の登りを終えたことを区切るように呼吸を整える。管理小屋も訪れたが、ラジオの音はしていたが、声をかけても応答はなかった。北に進んでゆく。
胎内山を経て扇ノ地紙に到達し、そこからの進路を間違えて梶川尾根に入ってしまった。一度歩いているので、なにか間違えないと言う自負があり進路を選んでいた。途中、北を向くはずのコンパスが東を向いているのに気づき、間違えていることを判った。梶川山も行きたいと思っていたので、そのまま行こうかとも思ったが、予定にアレンジを入れたくなるような天候ではなくなっていた。平均15mほど吹いていただろうか、どんどん天気は下降線を辿っているようであった。踵を返し戻って行く。追い越してきた人とすれ違うのだが、当然不思議そうな顔をしていた。みな石転び沢を楽しんでの帰りの人であろう。
扇ノ地紙に再び登頂し北進してゆく道へと降りてゆく。この先の地神山には二等点と行政の標柱が立つのだが、その道向かいには上州の有名人とも言える「すかいさん」の標識が結ばれていた。これにはすごい心臓の持ち主だと思えた。ガスで展望がないので、各ピークの様子を楽しむだけで足を進めていた。地神山の北峰を過ぎ、さらにその北側に北峰の北峰的な岩の積層する高みがある。周囲が見えないだけに山頂の分別に注力していた。
頼母木山の山頂には以前にはお地蔵さんが居たように記憶しているが、この日に到達すると、なぜか姿は見られなくなっていた。山を降りたのか・・・。代わりに御料局の点を拝んでから下り込んでゆく。風を雨具に孕みながら下って行くと、ガスの中から懐かしい小屋が現れる。今時あまり見ない古風な外観。門内小屋に居た7名もここで休憩しており、小屋番と歓談していた。小屋番は今年で山を降りると言っていたが、たぶん来年もここにいるだろう。「静かな山へ」の御仁の話をすると、営繕管理を良くしてくれていると大絶賛であった。門内小屋で買えなかったので、ここでビールを買う。胎内尾根を終えたご祝盃はここでとなった。小屋番は「持ってゆく」「すぐ飲む」と聞いてきた。「すぐ飲みます」と言うと、沢水で冷やしキンキンになったものを手渡してくれた。昨日出し損ね温存していたヤキソバパンを出しビールに合わせる。小休止のあと北に向かってゆく。
ガスが濃かった中だが、少し回復傾向にありガスの中を通ってくる薄日が暑いくらいになってきた。大石山に到着時には雨具の上下を脱いでから松ノ尾尾根に入って行く。尾根を降り始めて間もなく西ノ峰を通過する。すっと伸びた尾根の上には胎内尾根では見られない登山道の筋が見える。向こうもこのくらいの道があったのかと想像するのだが、現代と昔との作道の差はあるだろうとも思う。
イチジ峰は西ノ峰に続いての展望ピーク。今は下っているが、登りに使ったら適度な休憩スパンだと思えた。この先、水場への分岐を過ぎるとヒドノ峰との標柱があるのだが、何とも不思議な場所で、高い場所に挟まれた谷の中に標柱は立っている。本来は北側の高みに設置したかったのかとも思えた。ちなみに、いつもは水場に寄るようにしている中、ここでは寄らなかったのは、頼母木小屋で汲んだので、売るほど持っていたのだった。
英三ノ峰も展望ピーク。胎内尾根の突起峰が見える。一ッ峰あたりだろうか、ガスで全体が見えないので判別が出来なかった。この辺りから雨が強くなりだし、またすぐに止むだろうなどと楽に構えていたら、とんでもなく強くなってきた。滝見場からは雨粒越しに観瀑する。岩尾根の場所は滑りやすくなっており、楽に構えていた足の松尾根は雨により緊張感が増していた。中盤以降でアップダウンが多くなり、その登りの時にべったりと濡れた雨具が太ももにまとわりつく。
姫子ノ峰を越える。どんどん雨は強くなっていた。すれ違った女の子は稜線では風雨で大変だろうなどと思うのだった。登山道上にはこの短時間にも大きな水たまりがあちこちでできていた。蔓延る根に、ステップの刻みが入れてあるがこんな時は怖くて踏めるものではない。いつも最後に転ぶので、今回は学習したところを見せようとゆっくりと降りてゆく。御用平の緩斜面に乗ったら登山口はわずか先。
登山口のところではジャンボタクシーが待っていた。おそらく上に居た7名のパーティーが呼んだのだろう。もう一台、作業車が戻ってゆくところで、停まったのでこちらに声をかけてくるのかと思ったら、タクシーの運転手と会話を始めた。余計な期待をしてはいけなかった。ボトボトと落ちる雨に叩かれながら林道を戻ってゆく。胎内尾根から見下ろせた場所が目の前にあり、奥胎内大橋横を通過時は、これが見えていたのか・・・と思うのだった。ダムは2年後の3月完成と書いてあった。
靴の中がぐちゃぐちゃと言いだしてきたころ、往路のトレッキング道入口が左に見えてくる。無事一周完了。奥胎内ヒュッテに戻ると、駐車場は増えても居ないし減っても居ない状況だった。ハイシーズンになったが、この天気では・・・と言う事であろう。濡れた一切合切を車に放り込んで、着替えを持って奥胎内ヒュッテの風呂に急いだ。
振り返る。胎内尾根を伝うのには、この季節は適期外のようにも思えた。厳冬期は遊び方が別として、春か晩秋で伝った方が、明らかに道形が分かり易く、それにより進度が速いだろうと思えた。あとは天気。結構に屈曲する場所があり、アップダウンもあるので、有視界と視界不良とでも進度に大きく違いをもたらすだろう。夏なので曇りがちょうどいいなどと、今回計画してみたが、深くガスがかかるとちょっと大変。途中に水場らしい水場が無いが残雪が利用できる。それが晩秋だとどうなっているだろうか。そこを思うと、雪も使える春が一番いいのだろうと思う。