本城山    1758m            


                                            
  
                                        

   2017.4.29(土)


  晴れのち雨    単独     下荒沢経由清七沢右岸尾根を登る   行動時間:7H44M


@銀山平ゲート4:28→(20M)→A下荒沢橋4:48→(44M)→B1026.6高点5:32→(174M)→C1706高点8:26〜29→(52M)→D本城山9:21〜50→(15M)→E1690鞍部(下降点)10:05→(19M)→F東本城沢と清七沢の出合10:24→(59M)→Gノゲ沢出合11:23→(20M)→H下荒沢橋11:43〜47→(25M)→I銀山平12:12


   
@銀山平の車止め。船を持っている宿主は客を乗せてどんどん入ってゆく。 手前の船着き場の上。 A下荒沢に到着。右岸側へ進んでゆく。帰路は左岸。 780m付近。なだらか地形の中、融雪したうねりが続く。
       
880m付近。平坦地が終わり南に下荒沢を見下ろす。帰りはこの底を伝って戻ってきた。 880mの平坦地終了点からは斜度のある斜面をアイゼンを付けて登ってゆく。 ど真ん中が目指す本城山 B1026.6三角点峰の上から見る本城山側。
     
1030m付近。雪が伝えず尾根に乗ると藪の中に踏み跡が続く。 1060m峰通過 1056高点通過 尾根上には伐採痕が残る場所が見られる。かなり古い。
       
南の1060m付近。雪に伝えそうに見えるが、この先の細尾根上は藪尾根通過の時間が多い。 1170m付近。最初は獣道かと思って道形を伝って登る。 1310m付近から見る本城山(中央右の山らしくない場所)。 1400m付近から岩峰が現れる。
       
岩峰の細尾根を登るのだが・・・。 途中の掴んだ細木が折れ2mほど滑落。かすり傷のみで済んだ(笑)。植生はシャクナゲとアオキ。 尾根の西側に道形がある場所がある。獣道と思っていたが、作道したものと判断するようになった。 1550m付近。藪から出て少しだけ雪に伝える。
     
1640m付近。傾斜が強い場所なので残る雪もこの通り荒れている。落ちていると言った方が正解か。 C1706高点到着。本城山側を見る。奥に高く見えるのは花降岳。 C1706高点から見下ろす西ノ城(中央右の高み) 西に向かってゆく。この絵だと雪に伝ってゆけそうだが、全くそうでない。
     
尾根上はほとんど雪が落ちている。アイゼンのままなので藪が歩き辛く、雪を求め南を巻いて進む 1730m峰の南を巻いている途中。正面が本城山。 本城山東のリッジ。ここはかなり切り立っている。南北どちらに落ちてもヤバイ。雪が融けた方が通過しやすいだろう。 本城山へはクラックの関係から北側から巻き上げる。南斜面は大崩落で伝えず。
     
D本城山到着 Dこれだけ大きなクラックも珍しい。縦走での幕営には適地。幅3m×高さ3m×長さ15mほどあった。 D本城山の西端の高みから見る花降岳。右端は荒沢岳。ここから西に進むのも大変に見える。 D西の高みから標高点を取っている高みを見る。雪面の上に黒く見えるのがザック。
     
D標高点を取っている側に戻り360度俯瞰。西側。 D北西側 D北側。日向倉山が左に見える。 D東側。黒い峰が先ほどの1706高点峰。雪が付いていないのが判る。
       
D南側の様子。右に平ヶ岳 D中荒沢の出合。銀山平をズーム。 Dここでヤキソバパンが撮られたのは初めてだろう。 東側へ下ってゆく。
       
本城山の東側も大きく割れた場所があり、その中に入りこむように伝う場所もあった。 E1690mの鞍部から清七沢へと入ってゆく。 1650m付近。なだらかそうだが実際はけっこう斜度がある。 1590m付近。
       
1480m付近。進む先は雪崩の巣。 1320m付近。最初の出合。 1320mから谷の様子。ここで傾斜が緩む。 1250m付近。雪崩れていない場所の方が少ない。
       
1100m付近 1070m付近で沢が屈曲する場所。往路のトレースのある右岸に乗ろうと思ったが、沢の状態が悪くなく、そのまま進む。 F1030m付近から東本城沢(右)と清七沢(左)の出合。左から降りてきた。振り返る。 950m付近。この標高くらいから土砂混じりの雪崩が増える。
       
武家屋敷内の通路のようにクネクネと進む沢。大磧沢とよく似ている。 G820m付近。ノゲ沢との出合で流れが出ていて喉を潤す。 地形図に見える790mの半円形の崖地形。球場のようなコロシアムのような面白い場所。  H下荒沢橋に戻り国道に乗る。
       
I銀山平に戻る。 I駐車場は釣師の車で埋まっていた。    



 
 1回目の花降岳まで(2010年)
 2回目の西ノ城まで(2016年)


 2017年のゴールデンウイーク突入。ただし私の場合はこよみ通りのため、通常と同じ週末となる。良かったのか悪かったのか、荒れた土曜日になりそうであり、連休として長期幕営を予定していなかったのは幸いしたことになった。午後以降で天気が急下降してくる予報であり、午前中で片付けられる場所を考える。なお週明けの月曜日も荒れた天気であった。

 
 この残雪期に既に2回の撤退を繰り返している。不甲斐ない自分に、ここで前年度秋にも登れなかった撤退場所を思い出し、思っていた適期が来ていることに気づかされる。奥只見湖の南西、城の名が付く場所が連なるが、その本丸と言えよう本城山のみが未踏座で残っていた。他は踏めている中で、そこのみポツンと抜け落ちている歯抜けな感じで是が非でも踏まねばと思っていた。

 
 西の花降岳からの残雪期も上手くいかなかった。東の西ノ城からの藪漕ぎも時間が足らなかった。後者からは雪がある季節でも雪が有利とはならないと判断している。となると、他の攻め方は城壁に真っ向勝負とばかりに北から南へと狙う方法。普通に北風に対し南に雪庇ができるだろうから、残雪期にしても南から狙う方法はない。雪崩の関係からも。前年度に無積雪期の南麓も良く判ったので、だからこそ選択肢に入らない。こんな選定の中で行動するのだが、北麓だってゲジゲジマークのオンパレードで城壁と言えよう地形である。「城」の名前を付けたのは言い得て妙となる。

 
 残雪期なので沢ルートも考える。前日には白馬大雪渓で雪崩事故が起きており、思考の中に影響がないわけではないが運は天に任せることにする。グミ沢を使えば一番緩やかに行動できそうだが、西ノ城北西の厳しい場所に乗り上げることになり有利とは言えない。次は腰付沢だが、1461高点経由でいい感じだが、その上の1706高点下が読み切れない。大ナラ沢は下流はいいが中盤以降伝うのは無理。そして最後に下荒沢となるのだが、上流の東本城沢と清七沢には雪渓が残るようで伝いやすそうに見えるが、どちらを伝っても最後が登り切れないように見える。ここで、それより二股に挟まれた直登尾根は使えないかと考えた。かなり痩せているが、なにせ迷いなく尾根筋が目的地に達している。これで行ってみよう。伝えなそうなら、清七沢右岸尾根も同じように使えそうと見ていた。

 
 0:45家を出る。今日はお守り代わりのヤキソバパンは必須と思っていたところ、関越に乗る手前に寄ったセブンに並んでいた。単細胞なもので、「今日はいける」なんて思ってしまうのだった。関越道を小出まで乗り352号経由でシルバーラインを駆け上がって行く。銀山平の広い駐車場に到着すると釣師らしい車が多く、エンジンをかけたまま停まっている車ばかりであった。外気温は4℃。時計は2時45分。仮眠に入ると続々と駐車場にヘッドライトが到着し、あれよあれよでにぎやかな駐車場となった。すぐに準備に入る人が多く、開け閉め音が煩く寝ている場合ではなくなった。闇夜の中に蠢く釣師の姿を見ながら白みだすのを待つ。

 
 最初のバスが車止めのチェーンゲートから入っていったのは4時だった。以降で次々と駐車場にいた乗客を乗せて冬季通行止めの車道へと入って行く。軽トラも多く荷台に乗せている形態も多い。釣師の動きに刺激され私も準備に入る。ヤバそうな場所に入るために冬装備に加えヘルメットも持った。雪崩に遭うかもしれない・・・落ちるかもしれない・・・なんて予想しているってことになる。マイナス思考と思われそうだが、安全行動にはマイナス面をより気づいていないとならない。

 
 4:28チェーンゲートを跨いで352号を東へと向かってゆく。何台も追い越してゆく中で、1台の軽トラがクラクションを鳴らして横に停まった。なにか注意されるのかと思ったら、運転手はすぐに荷台を指さし、「乗せてあげるよ、どこまで」と言う。急に声をかけられたので、私の記憶から出た言葉は、「ノゲ沢に入ろうと思っています」だった。なぜに「下荒沢」と言わなかったのか自分でも不明なのですが・・・。それに対し運転手は「そんな沢ないよ」と返してきた。「あー大丈夫です自分で歩きますから」と丁重に断り見送る。中ノ岐川林道に入るのなら乗せてもらったかもしれないが、今日の取付き点まではそう距離はない。

 
 歩いてゆくと追い越していった車がたくさん路肩に並んでいる。見下ろすとエンジン音を伴って船が東側へと走って行く姿があった。この先が下荒沢の場所で、橋を越してその先の路肩にも車が停まっていた。車道から雪面の上までは2mほどあり、ステップを刻みながらピッケルのブレードを叩き込み這い上がって行く。右岸の平たん地の上は融雪で波打っているが、よく締っていて歩き易い。

 
 780m付近で二人分のトレースを発見する。ごく最近のもので片方はスパイク長靴、片方はビムラムソールに見える。もしや上から降りてきたのか・・・と思ったのだが、スパイク長靴でこの城壁を通過できるとは思えなかった。でもトレースがある事実は不可解。このトレースは東の主尾根側に進んでいるが、私は沢を進むことを最初に思っていたので沢寄りに870m付近まで進む。ここで平たん地形は終わり、その先は切れ落ちていた。沢まで40mほどある場所で、降りるのも面倒なのでトレースのあるであろう東の尾根側へと登って行く。ここでアイゼンを着けた。

 
 940m付近まで上がると先ほどのトレースに再び出会う。追うようにして1026.6三角点峰に上がると、ここは非常に展望のいい場所で、南の城壁を望むにも絵になる場所であった。ここでトレースは途切れる。写真目的だったか・・・そう理解するとここで途切れたことが理解できる。スパイクシューズであったことに対しても・・・。見えるどの尾根にも雪がない。そもそも細尾根で雪が付かないのだろう。なるべく白く見えるところと探すが、沢筋以外はどこも同じように見えた。緩斜面を南に進んでゆくと、1060m峰の北尾根で雪が無くなり藪漕ぎとなった。ただしそこには薄く道形があり分けて進むような場所ではなかった。

 
 1060m峰には立派な松がすくんと立っていた。下りこみ1056高点を経て登り返してゆく。この辺りは尾根の東側にべったりと雪が付いており雲上散歩のように歩いて行ける。しかし向かう先の細尾根にはモヒカン刈りのように生える針葉樹が濃い緑を見せており、残雪の白さが完全に負けている。覚悟して登って行く。雪の利はあまりない場所。狙っていた清七沢と東本城沢に挟まれた尾根には行かず、このまま尾根を進むことにした。

 
 雪のない藪尾根は基本シャクナゲの植生であるが、普通はシャクナゲの藪となると毛嫌いされることが多い中、まったく邪魔にならない感じであった。と言うのも道形と言うべき踏み跡が続くのだった。細尾根なので歩く場所が絞られるから残っているのだろう。これらはけもの道と最初は思っていた。道形は見えるが、せっかくの残雪期であり雪の上を伝えないのはつまらないと、在る場所では尾根を外して東西の斜面を選んで登って行く。

 
 1310m付近で西の雪面を伝ったが、一瞬のミスが命取りになるような斜面でもあった。雪を選んだのは、アイゼンでの藪漕ぎは爪が引っ掛かるので嫌っての雪面であったが、躓いても藪尾根の上の方が安全通過となっていた。既に手に取るような距離の場所に本城山が見えている。こんな時に限って遠いのはいつも。よって心して登って行く。

 
 藪尾根の中の踏み跡を進んでゆくと、1400mで岩峰が現れる。岩装備はしていないので、もしもの場合はここで撤退になる。恐る恐るその場所へと登って行くと、ホールドの多い岩で危ない場所ではなかった。ただしその安心したのが悪かったのか岩部を登り始めてわずかで、段差を乗り越えようと細木を掴んだら、空を切ったように折れた。体を預けていたので重力の関係で自由落下が始まり、“やっちまった”とスローモーションのように落ちてゆきながら思うのだった。幸い2mほどの滑落で済んだ。今日は山の神が味方をしてくれている。すべてをプラスに考える(笑)。

 
 岩尾根の場所は複数個所続くが、全てに踏んだ跡が濃い。場所によっては尾根の西側に明瞭に残っている場所もあった。シカの糞もありシカ道なのかとも思うのだが、人間でないと伝えないような岩の場所も多い。ここで昔に作道された場所と判断した。この道の有無は全く知らなかった。エスケープルートにも使えるし、この山塊の伝い方が違ってくるだろう発見でもあった。ここまでの状態なら雪のない時の方がいい。相変わらず爪が引っ掛かって歩き辛いのだった。

 
 判ってはいても同じことを繰り返す。尾根の東側に出て雪を伝える場所は伝う。どれだけスピード差があるかと言うと、そうないのだが、爪が藪に引っかからない事において疲労度の差が大きく違っていた。大ナラ沢の源頭に近くなり、その左岸となるこの細尾根の残雪もズタズタに割れだし、そこを伝ってゆくのも一苦労であった。西からの風がやや強くなり雨具を着込む。もうわずか上が1706高点だが、なかなか遠い。ここまで上がりながらだが、下山はどうしようかと考えていた。ここを下るなら雪の上は避け尾根の藪の中の道を伝ったほうがいい。となるとアイゼンは外した方が伝いやすく、さりとて途中途中には雪もあるわけで・・・といろいろ悩むのだった。

 
 1706高点峰に到達する。下荒沢橋から3.5時間以上が経過していた。本城山まで残り500mほどだが、そう簡単に行かないことも予想できた。と言うのも、この高点の東側を見るとズタズタに雪が割れていた。見えないが本城山の東斜面も同じだろうと思えた。昨年の秋に登った西ノ城を見下ろし、そこまでの尾根を注視する。溶け落ちている所が多くかなり大変そうに見える。西ノ城と東ノ城間は雪があって楽そうには見えるが・・・。

 
 西に向かってゆくと、すぐに雪が途切れ、次の1730m峰までには雪のないマンサクの藪尾根が続いていた。またここで爪が引っ掛かる藪歩きよりは、大きく下ってでも雪の上を歩こうと、南側へと降りて雪を伝ってゆく。到底北側の斜面は伝えないので南を選んだのだが、陽の当たる南側斜面を見下ろすと、雪崩痕が凄まじい。あまり見たくない光景でもあり、この場所もすぐに落ちそうな気にもなり焦る。慎重に足を出しつつ速足で通過してゆく。そんな南斜面なので雪の繋がらない藪の場所もあり分けて進む。藪の中だがアイゼンの刃がガリガリと音を立てる。ちょうどゲジゲジマークの場所を通過している時であった。

 
 1730m峰の西、本城山との鞍部に出る。清七沢を見下ろすも、かなり勾配が強く伝うには勇気がいる場所であった。最初にリッジがあり雪が緩くなり足を置く場所に注意しながら伝って進む。その先で本城山の直下になるが大きく南北にクラックが入っており容易に進めない。南を巻いてみたが、見事になだれ落ちていた。しょうがないのでクラックの中に入るようにして半身になりながら進み、麓側は衝立のように薄く剥がれた中に入り”崩れるな”と祈りながら進んでゆく。自然と北側に回り込んだ形となり、目立つダケカンバを目標に最後の登りとなった。

 
 本城山登頂。経路4時間半。まあ御の字と言ったところか。少し雲が多くなってきており崩れるのも時間の問題のよう。それでもこの好天下で届いたのはありがたい。標高点を取っている場所より西側の高みの方が高く見え、西側にも行ってみる。花降岳側を見るにはこちらの方が絶対に良かった。2010年に東進を諦めてよかったと思える荒れた雪稜が、こちらからも同じように見えていた。東側に戻って大休止とする。この場所には深く広いクラックが入っており、幅3m深さ3m長さは15mほどの大きなもので底は踏まれたようになっていて居心地は良さそうであった。360度の撮影をした後にザックに腰を下ろし、白湯を飲みながらヤキソバパンを齧る。地形図を眺めつつ、さて下山はどうしよう。往路は1706高点からの500mほどにも1時間を要している。帰りも同じであろうし、登り尾根を下ることも考慮すると、けっこう時間がかかってしまうと思えた。この天気がそう寛容に待ってくれないもの予想できる。清七沢を降りよう。もう一度上から眺めて、そこでダメそうだったら諦め往路を伝う事とした。河内晩柑でビタミン補給をし帰路となる。

 
 北に降りトラバースしてクラックの中を抜けて東に出る。リッジの下りはかなり危険度が増しバランス感覚も必要であった。少し藪に中を下り鞍部に到着する。ここではあまり迷う時間は取られずに、気づいた時には踵を入れながら清七沢の斜面を下りだしていた。雪崩れてもいいような構えと、雪崩れそうな左右の斜面はしっかり見ながら下る。あとは音も気にしていた。ここに入った理由も、往路でも同じように雪崩音を気にしていたのだが、往路では1回聞こえただけで2回目以降がなかった。よってタイミングと運が良ければ快適に雪を伝って降りられると判断していた。そうは言ってもゆっくりと降りる度胸はなく、スキーで降りるほどに速足で降りてゆく。幸いにもいい感じに腐りだしており、踏み込む足がグリップしてくれていた。

 
 振り返ると結構な斜度がある。登りだったら絶対に使わないだろう場所で、毛勝山の北東は西谷の頭の北東斜面がこんな場所だったことを髣髴させてくれていた。見える下流側にはその全面を覆うような雪崩痕が見える。その左右の斜面を見ながら剥がれそうな場所を探してゆく。雪崩れた痕は踏まれたと同様に硬い雪となっており、雪崩れてない場所は腐れ雪。斜度に合わせて選びながら下って行く。

 
 1320mで清七沢が分岐している場所で出合となる。登ってきてここに立った場合、どちらを選ぶだろうと考えながら見上げていた。地形図では雪渓マークが始まるあたりである。少し緩斜面になり、土砂の乗った雪崩痕の中を下って行く。ごつごつした場所が続くが、思うほどに腐っておらず踏み抜きなどなく通過は意外と楽であった。ただし途切れることなく雪崩の中を進むことになる。左右からの新たな雪崩の可能性に気の休まる時間はなかった。この谷の中でも電波は入るようでウエストポーチの中の携帯が受信の知らせを伝えていた。入信内容を見たいが、その一瞬でも気の緩みがないようにと確認することなく周囲に気を遣う。

 
 1070m付近から北東の1056高点側に進もうと思っていたが、付近の雪の様子が避けるほどではなく、さらに谷地形を降りてゆく。この先が清七沢と東本城沢の出合で左右の谷を振り返って見比べる。東本城沢の方が土砂が多いようで汚れているのが目立っていた。登りで見上げたら、ここでは間違いなく清七沢を選ぶだろう。優しそうな表情をしているのは清七沢であった。ここからの下流域では土砂交じりの雪崩痕が増えてくる。

 
 900m付近から沢が絞られ進む先が見えないようなブラインド地形が増えてくる。これは大磧沢とそっくりで、獣でも居たらバッタリと出会ってしまうだろう場所でもあった。沢が狭くなっているので、ここでの通過はより左右の積雪の状態に気を使ってゆく。下り勾配のはずだが、雪の堆積によるアップダウンが増えてくるのもここからであった。雪の下から流れの音もし出していた。なにか温泉でもわき出しているのか、そんな感じに流れの音がシューッと聞こえている場所もあった。

 
 820mでノゲ沢との出合となる。ここで初めて流れが顔を覗かせていた。喉が渇いた頃であり踏み抜かないよう注意しながら流れに降りる。当然ながら雪解け水は火照った体に心地いい。ここからの下流は地形図では広く読めるが、かなり狭まった中を進む場所がある。そして790mの特異地形が目の前に広がる。ここは球場のような扇形であり、コロシアムのような丸さを持っている面白い場所であった。コンサートでも開いたらよく声が響く場所であろうと、手を叩いてみたら予想通りであった。

 
 流れが見えるようになってきて、スノーブリッジを頼りにして通過する場所も出てくる。車道に出る前に一つ、大きくくねる流れの場所があり、右岸に出るのは厳しい場所となる。悩まずここは左岸側を進んで難なく車道に出た。無理して往路の左岸に出ようとせずによかった結果となった。アイゼンを外して林道に降り立つ。本城山から2時間ほどで降りてこられた。1706高点経由で戻っていたら、この時間ではまだ細尾根を降りているころだろうと思えた。上手く清七沢を伝えてよかった。

 
 舗装路を戻って行くのだが、11時50分から雨が落ちだしてきた。この事からも清七沢の選択でよかったと思えた。途中からはやや強く降りだし、雨具が欲しいと思えたころに銀山平のチェーンゲートが見えてきた。ゲートには南京錠がかかっていた。ゲート内には早朝にゲートが開いていたタイミングで入っただろうマイカーの姿も見られた。帰りに困る様子が予想できた。広い駐車場は釣師の車で埋まっていた。ここを訪れた者で山に入山したのは私ぐらいだったのではなかろうかとも思うのだった。無事帰還。

 
 帰路、関越道を上州に向かっていると、塩沢石打を過ぎたあたりから暴風雨となり、真っ暗な空になった。見える谷川岳エリアの稜線は明るさをなくし見えなくなってゆく。フロントガラスには直径70mmくらいに広がる霙玉が当たってきていた。こんな中でも歩いている人がいるだろうが、大変な天気になっていた。何度もいいタイミングで下山できたと思えた。

 
 振り返る。平石沢の左岸尾根に道形を発見したのが前年度の秋。今回は清七沢の右岸尾根、大ナラ沢で言うと左岸尾根に道形を見ることとなった。切り株が見え刃物が入っていた様子からして作道したものと判断したが、本当のところは判らない。ただし、無積雪期でも容易に伝える場所となっていたのは間違いない。植生が進路をあまり邪魔せず分けて進まねばならないような場所は少ない。ただし1060m以下の標高の場所がどのようになっているか判らないので、どこから取付くのが最良なのかは不明。縦走予定で進退を困った場合は充分エスケープルートとして使えるだろうし、各ピークに対し新たなルート取りの仕方が生まれてくるだろう。清七沢から下荒沢は、大磧沢を伝うグレードとほぼ同じように思えた。今回で3回目となり、地形をよくよく観察できた。通年で、西ノ城と花降岳間は試練が待っていると思った方がいいようだ。雪があってもそれほど楽ではない感じ。
 

 







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