水道山(雷電山) 217m 吾妻山 3481.2m 大形山 681.6m
三峰山(山名事典より) 682m 花台ノ頭 811.6m 鳴神山 979.8m
物見山 274m
2017.1.21(土)
晴れ 単独 吾妻公園より鳴神山まで北進し、東に下り県道を歩いて戻る 行動時間:8H39M
@吾妻公園駐車場6:20→(11M)→A水道山6:31→(43M)→B吾妻山7:14〜16→(10M)→C女山7:26→(28M)→Dサイトウ山7:54→(16M)→E西方寺沢の頭8:10→(34M)→F大形山8:44〜45→(27M)→G三峰山9:12→(46M)→H花台ノ頭9:58→(61M)→I鳴神山10:59〜11:13→(51M)→J大滝登山口(県道343)12:04→(46M)→K梅田橋(県道66)12:50 →(69M)→L平井町住宅地最西端(林道入口)13:59→(17M)→M物見山14:16〜26→(16M)→N宮本町に降り立つ14:42→(17M)→O吾妻公園に戻る14:59
@吾妻公園駐車場からスタート | A水道山の忠霊塔。 | Aラジオ体操をする人で賑やか | A展望台からの桐生市街を見下ろす。 |
車道を渡り吾妻山側へ | 登山口 | 第二男坂付近で来光 | B吾妻山 |
B祠 | B標柱 | B吾妻山山頂から桐生市街 | B割れた標柱が三角点なのか・・・。無残にも等級も判らない。 |
C女山通過 | Dサイトウ山(岩木戸山) | E西方寺沢の頭 | 岡平西側の植林地 |
岡平の古い標識 | F大形山 | F大形山二等点 | F行政の標識 |
三峰山南の古い杭。なにか標識が揚がっていたのだろう。ここからルートを逸れて北に進む。 | 直下。円錐形の山頂。 | G三峰山(山名事典の座標) | G緑の絶縁テープが巻かれている。 |
現地が三峰山としている場所。 | 標識。標高は697mとされている。 | H花台ノ頭 | H現地名では花台沢ノ頭なのか。 |
H四等点 | 鳴神山直下 | I鳴神山はハイカーで賑やか。 | I標識 |
I南側の伝ってきた山々を見下ろす。 | I本日の最高所でヤキソバパン | I山頂全景 | I祠には木彫された雷様が安置されている。 |
I西に移動し仁田山岳。石積みが見事。 | I仁田山岳の標識 | 大滝を観瀑して・・・。 | J県道343号に出る。樹徳高校の山荘下。 |
K梅田橋の所で県道66号にぶつかる。 | L平井地区最西端のアパートの先からダート林道が始まる。 | L舗装路最終端のアパートを振り返る。駐車余地あり。 | 途中分岐し、双方にゲートされている。左に進む。 |
伐採地内の山道は分岐が多い。上を見ながら勘で道を選んで進むとなんとか道形の最上部に到達。 | 登ってきた場所を見下ろす。 | 道形に乗る。帰路に使ったが、完全に廃道状態で長続きしなかった。 | M物見山の山頂を峠の様に削って西側に道形が続く。 |
M物見山の南側には人工物が立っている。 | M北側の方が高いよう。 | M黄色いペンキがされている。 | M物見山から見る吾妻山 |
M南側に桐生市の基準点が埋まる。鳴神山にも見られた。 | 物見山の南西で広い道形を見つけたが、下側の住宅地まで笹藪状態で、後半は道形を追えないほどになっていた。 | N宮本町に降り立つ。 | N降りてきた斜面。墓地の脇。 |
O吾妻公園に戻る。 |
年末年始をのほほんと過ごし、あげくにあっちが痛いこっちが痛いと言っている様で何とも情けない。ここは私らしい長距離砲をしっかり撃ち込んでいかないとならないと思っていた。少し病み状態から抜け出し癒えてきたので、東毛地区での長めの山旅を企画する。
当初は、桐生市川内町大崩から東に入山し大形山に上がり、鳴神山まで北進してから西に振り、馬蹄形のように進んで駒形山を踏んで降りてこようと思っていた。しかし、再びの寒波による降雪で西上州もだいぶ白くなった。東毛の現地の状況が読めなくなった為、ならばもう少し標高を下げた場所もと、水道山から大形山までの図面も準備し臨機応変に行動できるようにした。
3時トランプ氏の大統領就任演説が終わった後に家を出る。17号から50号と繋いで現地入りする。桐生市内も田んぼや家屋が白く覆われていた。まだ辺りには雪雲が漂っている感じでもあった。赤城側から千切れてきた雪雲なのかもしれないが、暗雲が居座っている空模様であった。コンビニでコーヒーを買いつつ、もう一度地形図を眺めて計画を再考する。“下の方でちょろちょろっと歩いて帰ろうか・・・” 自分に優しいこんな思考にもなっていた。と言うのも。コンビニの前が凍っており、登る以前からこけそうになっていた。山中はテカテカなのでは・・・なんて思ったのだった。
ちょろちょろ行動と決めたので、迷うことなく吾妻公園の駐車場に車を入れる。時計は4時45分。夜明けまで仮眠しようとシートを倒すのだが、この付近の習慣を全く知らないで来ているのでこのあと驚くことになる。5時近くから、まだ暗い中に次々と車が到着しヘッドライトを灯してどこかに登ってゆく。ザックは背負わないので散歩のようだが、目的が散歩であっても、ここまで暗い中で歩かなくてもと思うのだった。外に出てそのうちの一人に声をかける。「みんなどこに行くんですか?」と聞くと、「公園の好きなところを歩くんだよ。おれは忠霊塔までで、以前は4時半くらいから歩いてたんだよ」なんて返答だった。上州人のせっかちさの表れかとも思ったが、公園山なんてどこも同じかもしれないとも思った。
次々と登ってゆく姿に、駐車場の雰囲気がゆっくりと寝ている場合ではなくなった。根っからの貧乏性なのだろう。6時20分、公園駐車場をスタートする。ふかふかの雪に残る真新しいトレースを伝い緩やかに高度を上げて行く。吾妻山を導く道標もあるが、まず最初に目指すは水道山。現地では雷電山とされているようで、その表記が経路の地図から読める。
先ほど会話した人に追いつくが、毎日の訓練のせいだろう雪山となっている状況下でも気にならないようにすたすたと歩いている。そして追い抜いてもぴったりと追ってきていた。車道に出て南に登ってゆくと、水道山の山頂部から大勢の声がしている。なんだろう朝っぱらからこの賑やかさはと、駐車場を出発した人はここに居たのか・・・と判った。車で上がってきている人もおり、水道山はほぼ車で登れる山とも知ることになる。
水道山の山頂部では大音量でNHKラジオが鳴らされていた。何が始められるのかはすぐに判り、6時半となりラジオ体操の放送が始まると、話し声も止んで各々が動き出した。15名ほど数えられただろうか、水道山の朝はそういう場所だった。忠霊塔から戻ってゆくと、そのうちの一人から声をかけられた。「もうどこかに登ってきた帰りかい!?」と。えっ・・・と思ったのは言うまでもなく、ここではラジオ体操が鳴っているような時間に既に帰りの人が居るのか、普通出発でしょと思ったが、上州人、特に東毛人にはそんな通常思考は通用しないのかもしれない。なぜか恥じらいを抱きながら「これから吾妻山に向かいます」と返すのだった。
車道を戻りカーブの場所から尾根ルートへと進んでゆく。その先、車道を跨ぐ橋から舗装路を伝い、プレハブ小屋を左に見た先に吾妻山登山口があった。露岩の急登を這い上がってゆくと、もう既に降りてくる人も居る。ご来光目的だったのか、降雪があったので予定を切り替えてのここでの山旅なのか、はたまたやっぱりせっかちなのか・・・。ラジオ体操をする人の言葉は、あながち間違っていないことも知る。最初は女坂を登り、次は男坂を伝い山頂へと至る。
吾妻山に到着すると、男坂で抜かしていったトレイルランナーが一生懸命スマホを叩いていた。ここからの桐生市内の雪景色は見事で、登った甲斐を感じる山頂からの展望であった。しかし在るはずの三角点は目に入ってこず、それらしい頂部の割られた石柱が立っている。恐らくこれが三角点なのだろう。北進してゆく尾根には新雪の上に三人分のソールパターンが読める。先に進んでいる人も居るようだ。この先の480mピークまで進み、鋭角に南東に降りるルートを伝い、3座目に物見山に登って今日は終わりとの判断で進んでゆく。
女山のピークを過ぎ下り込んでゆくと単独の男性が登ってきて声をかけられる。「鳴神かい凄いねぇ」と。吾妻山を越えて北進すると、ここではそう判断されるのかと思えた。しかしここで本当は違うとも言えずに、生ぬるい返事で「ええ」と答えてしまった。どうせここでしか会わないだろうと適当な返事をしたのだが、トレースの主を聞くと、トレランが2人と、この先のサイトウ山まで行って戻ってくる女性がいるとの事であった。確かに二つ小さなソールパターンがあり、小さな男性か女性が進んでいるだろうと見えていた。そんなことよりサイトウ山(この時は斎藤なのか齋藤なのかも分かっていない)ってどの山なのかと、初めて聞く山名にどこを指してサイトウ山と言っているのか判らなかった。
男性と別れ急勾配を下り、緩やかな登りに入ると前方から鈴の音が降りてきていた。間違いなく男性が言っていた単独の女性の事であろう。垂れた鼻水を手袋で拭い出会いに備える。そして相対すると、またもや「鳴神ですか、凄〜い」と言う。これで2回目である。もう背中を押されるように、「ええ」と言うYesの意味の返事をしてしまう。楚々としたマダムに、鼻水を拭いておいてよかったと思えたのと、男に二言はない約束をしてしまったような後悔を思ったのと、もう一つはどこかで御見受けした事があると思ったのと・・・。挙句に「頑張ってください」と声をかけられたものだから、もう後には引けなくなった。自分の意志を貫けばいいだけなのだが、周りに影響されやすいミーハーな面も持っている(笑)。ここでギヤを入れ替え、予定を机上時に戻し当初の最高点である鳴神山を目指すこととした。そうした場合の帰路が気になるが、臨機応変に現地で考えようと思えた。この時、大形山側へ進む予定を中止にしていたために大形山以北の図面は車に置いてきてしまっていた。スマホ頼みとしたのだが、このエリアはけっこう繋がらない場所が多く、コンビニの駐車場で見た地図の残像を呼び起こし先に進んでゆくのだった。
480m峰がサイトウ山と知ったのは現地に着いてからであった。ここを言っていたのかと判ったものの、その山頂に公式に書いてあるわけでなく、いたずら書きで「サイトウ山」と書いてあるだけであった。ここで「サ」を消してイトウ山にもできるし、「イ」を消してサトウ山にもできたのだが、それは憚った。帰宅して分かったが、ここは岩木戸山との名前も併せ持つようであった。屈曲するように北に進むと、この先で自然観察の森の下降点が現れる。
トレースは1名分減り、登山靴には見られない2名のソールパターンが先行して行っている。追うようにしてアップダウンをこなして行く。先ほどのサイトウ山に続き西方寺沢の頭と書かれた標柱が現れる。埼玉は小川町と東秩父村との町村界にも各ピークに名前がふられていたが、ここまでに多いとここも似た状態になっていると感じてしまう。里山には多い事と理解する方がいいのだろう。
岡平と標識のある場所から西側には杉の植林地が広がり、植えられたスギに食害防止のネットがかぶせられ、その様がミーアキャットが立っているように見えるのだった。弧を描くように左に植林地を見下ろしながら進む。登り切った場所にも名がふられていると思ったが、そう思った場所にはないのだった。アップダウンは相変わらず続き、吾妻山を出てから90分ほど経過した。そしてやっと3山めの有効座に到達する。ほぼコースタイム通り。
大形山は行政の標識が名前を示していた。二等点が鎮座し、その等級からは格式高い場所とも思えるが、展望が良いわけでもなく簡素な山頂であった。サッと通過し、嫌なくらいに高度を下げて行く。首に負荷がかからぬよう、膝のクッションをいつも以上に使って降りる。こんなことをしていると今度は膝が痛くなりそうでもあった。
金沢峠が机上での当初の計画で登りあげてくる場所であった。予定通りだと、今降りてきた場所を登ったのかと思うと、下りでよかったと思うのだった。やっとここで予定の半分を過ぎたほど、もう少し早く行動できると思っていたが、雪のおかげでおかげさまでほぼコースタイム通りであった。推奨時間より遅れていないだけヨシとしたい。
三峰山は、日本山名事典を参照するとコースから外れた場所に山頂があることになっている。ルートが東進しだしたので北側への吊り尾根らしき地形を気にしつついると、それらしき場所のルート上には朽ちた木柱が立っていた。その裏側に進むように薄い藪の中を進み北進してゆく。見上げるその場所は円錐形の形をして登頂感のある場所であった。
三峰山山頂。人工物を探すと、北東側の立ち木に小さく緑の絶縁テープが巻かれているだけであった。ルートに戻り、さらに北に向かってゆく。この付近から雪の量が増えた感じがしていた。相変わらずトレランの二人のトレースは先に続いている。グリップの悪そうな幼児が履くようなソールパターンで、よくもこの雪の中を走っていると思えるのだった。もっとも蹴っているようではなく、走りに近い速足で進んでいるようなトレースではあった。こんなことを言っていると、足跡から性格判断まで出来そうである(笑)。途中で小さな祠を右に見る。
三峰山の現地ピークは967高点の場所で、祠や石像が立ち、信心を感じられるピークとなっていた。緩やかに下り、その先の雑木林の広い地形では、これまでの寒風がパタッと止り防寒に着ていた雨具を脱いで歩ける陽気になっていた。そこに前方から女性が降りてきた。追うように男性も続いている。先を行っていたトレイルランナーであった。特に言葉を交わさなかったが、間違いなく鳴神山を踏んできたようであった。一番の意外は、60歳近い感じの男女であった。ツボ足量は150mmほど沈み込む感じ。低温での降雪だったろう雪質がいい。
花台ノ頭は、現地では花台沢ノ頭とふられており、真鍮製ではない石柱での四等点が埋まっていた。 既に10時に近い。この時間には鳴神山に居る予想で居たがそう甘くはなかった。鳴神山まで残り40分と書かれている。この積雪じゃ無理だろう。これまでの経路をのコースタイムからも厳しいのが判る。体力が落ちてきていることを雪のせいにする悪い性格かもしれない。
この先の中間峰となる815高点北の860m峰は、トレースはトラバースせずに860mまで上がってから北に進んでいたのでそれに従う。このあたりで30センチほどの積雪のようであった。雪の下にたくさんの落ち葉が堆積している場所もあり、踏み出した足が流れる場所もあった。この日はストックを持っていなかった。出発した時は、ここまで来るつもりではなかったので・・・。
肩の広場に到着すると、一気にトレースが増え、雷神岳神社の参道はトレールとなって踏み固められていた。タイツに短パンを履いた若者の姿も見られる。小学生じゃないんだから冬は長ズボン履こうよと思うのは私だけだろうか。その前にもっと思うことはあるのだが・・・(笑)。コルから東に進んだ直下の場所は、雪だまりとなっておりロープを掴みながら岩場を這い上がる。
鳴神山登頂。本日の最高地点は360度の大展望の場所であった。残念ながら各名山は雪雲の中に入って見えないが、それにしても周囲が開けた場所に居るのは心地いい。山頂に鎮座する祠に目を向けると、木彫されたものが安置され、武骨な彫り方が現地に合っていた。山頂の北東側のベンチ前には桐生市としての基準点が埋設されていた。市レベルで測量に使うこれらを見たのは初めてかもしれない。桐生市はあえてそれを造って測量している事にもなり、ある意味凄い。
到着したものの折り返し地点であり、予定の半分を歩いただけで残り半分はこれから。さてどうしよう。おかげさまでこのピークではスマホで地形図が見られたので、スクロールしながら最良の進路を考える。同じところを戻る選択肢はほぼなく、駒形か梅田に降りる選択となるが、梅田に降りれば、行動の最後に物見山にも登れるかもしれないと欲を出す。ただしそこまで歩いて余力があればの話だが。方向性が決まり下山開始。
双耳峰の仁田山岳側にも進み、机上で予定していた駒形山側の山の繋がりも目に焼き付ける。肩の広場まで降り、迷うことなく東に降りて行く。人気のルートとも思ったが、伝っているのは4〜5名のトレースのみであった。小谷の中を高度を下げて行くと、途中で廃林道が現れるが、かなり荒廃して長年使われていない様子がある。そこを伝うのを避けるように山道が作られている。通常なら林道を伝わせた方がいいはずではあるが・・・。
途中の大滝を観瀑する。あまり大きくないお淑やかな滝であった。それでも周囲が雪化粧した中では小さくても様になっている滝であった。降りながら気づくのだが、分岐が多いが、その各所に道標がない場所が多い。分岐下に特異な絵が掲げられているのだが、分岐の上側にあった方がルートを繋げやすいのではないかと思うのだった。
進む先に大きな建物が見え、野外炊事場が見えてくる。樹徳高校の大滝山荘であり、ここで県道343号に降り立つ。登山口の上側には余地があるが、工事車両はあるがマイカーらしき車はなかった。舗装路をテクテクと降りて行く。山村の各家を見ながら下るのだが、ほとんど住んでいない様子が伺える。市畑地区の橋の袂に一軒あり、そこには洗濯物が見え、ここが住まいしている最上流のお宅に見えた。
樹徳高校の山荘から歩くこと45分ほどで、梅田橋が架かる66号線に出る。ここからの県道は路肩が広く確保されているので歩き易く、途中からしっかりと歩道も出てくるので疲れよたよたしても車を気にすることなく歩くことが出来た。休憩にはバス停の木製ベンチがいいだろう。使うことは無かったが・・・。
小谷戸地区に入ると、西側に城山が高く聳える。城山コースの下調べは済んでいるからこそ、今の疲労度からは右に見送る。そして桐生女子高を過ぎ天神町に入る頃、本気で西側を気にしだす。疲れてはいるがまだ物見山なら登れる余力はある。迷わず平井町側に進んでゆく。このあたりは地形図を持っているので、それを見ながら住宅地の中を西に上がってゆく。日中に日が当たらないのだろう傾斜する路面に雪が乗っている場所が多い。空き家が目立つのもこの地域の特徴でもあった。ほぼ地形図に書かれた通りに道が存在するが、最上部にアパートが存在し、その先からダート林道になるのだが、書かれていない枝林道もあるので選定が難しい。アパートの先は左の道を選んだが、300mほど進んだ先で右の道と合流していた。
林道を進んでゆくと物見山の東側斜面には立木がほとんどなく、伐採された中を作業林道がクネクネト上がっていた。その伐採地に入る手前で分岐となり、二手に分かれた先のどちらもにゲートがされていた。左側の道を選び進んでゆく。この先には分岐が3カ所あるが、勘を働かせ上に行くであろうと道を選ばねばならない。先に続く道を目で追いながら、上に向かう道が在るだろう方角に進んでゆく。運よく作業道の最高所に到達し、そこから10mほど藪斜面を伝うと、尾根東側に切られた道形に乗った。これが地形図に書かれている破線だとこの時は思った。
道形を行くと、物見山を南北に分けるように山頂部が東西に溝が切られ、その道形は北に進んで行っていた。ただし倒木が多く、地形図に描かれているから道形を追えるが、書かれていなかったら判らないほどに藪化していた。南側の高みにはオリエンテーリングをする時に立ててある標識が立っており、そのさらに南側に、ここにも桐生市の基準点が埋められていた。しかし、現地での最高所は北側のように見え藪を漕いでゆくと、高みの場所には黄色いペンキがマークされている場所があった。この山頂には飲料の空き缶が多い。西を見ると見上げる高さに吾妻山が聳えていた。あとは下るだけ。
往路の最後に伝った尾根の東側の道形を求めて下ってゆく。しかし僅か30mほど伝った先は有耶無耶になって道形など見えてこなくなった。西側に降りるには、破線路と実線路が書かれており、何となく道が沢山あると思い楽に構えていたが、現地はかなり自然に戻りつつあった。どこかに名残があるはずと尾根を西に跨ぐと、そこに立派な林道幅の道形を見つける。ちょうど林道の最終地点でもあった。あとはこれを伝えば敷かれたレールを滑り降りるが如くに楽に下れるだろうと思った。
しかし・・・九十九折になっているが、途中の水平道が長く、横ズレしている距離が長い割にはなかなか下に降りて行かない道であった、ましてや笹薮となっており、3回目のターン以降では藪が濃すぎて進めなくなってしまった。麓側を見ると家が望めたので、道形を無視してササを掴みながら南に降りて行く。ここまでになっているとは予想外で、バリバリと大音量を出しながら分けて降りて行く。民家の庭先に出ない事を祈りながら。
降り立った場所は墓地の西側であった。入り口こそコンクリート舗装されているが、ここから続く山道は登り用には今は伝えないとした方がいいだろう。これなら、往路の平井町側からの往復が一番楽なのではないだろうかと思えた。宮本町に降り立ち吾妻公園へと戻ってゆく。光明寺の所では、住人から「道は判るかい」と声をかけてもらう。ザックを背負っているので、吾妻山にこれから向かうのだろうと思ったのだろう。ありがたい配慮に「大丈夫です」と返す。
吾妻公園駐車場に戻ると、駐車場の半分は埋まっており、山を下りてきて着替えしているハイカーの姿も見られた。