尾出山   933.1m        大久保の頭   760m        高原山   754.1m  
 
 不動岳   664.5m   
                                       
  
                                      

   2017.2.18(土)


  くもり    単独     尾出山神社を基点にして反時計回りに周回   行動時間:3H36M


@尾出山神社6:13→(19M)→A寺沢橋6:32→(46M)→B林道終点登山口7:18→(22M)→C嶽ノ越7:40→(26M)→D尾出山8:06〜08→(19M)→E嶽ノ越再び8:27→(31M)→F大久保の頭8:58→(17M)→G高原山9:15〜16→(62M)→H塩沢峠10:18→(37M)→I不動岳10:55〜59→(40M)→J塩沢峠からの道に合流11:39→(6M)→K高原山からの道に出合う11:45→(3M)→L尾出山神社に戻る11:48


   
到着時、林道を最奥まで詰め、ゲートのある百川無料駐車場の場所まで行ってみる。 @尾出山神社の余地に停めてスタート。余地は蕎麦屋の店主の駐車スペースでもあり、1台分は残したほうがいい。 植竹地区。永野川沿いの山村は、廃墟が目立つ。 A寺沢橋からの分岐
       
A道標はこれのみ。判って出向かないと現地では導いてくれない。 分岐から20分ほど歩くと、初めて道標が現れる。 この林道からも高原山にアプローチできるよう。上流側から撮影。 10トントラック2台分ほどの押し出しが林道を覆う。
     
この分岐は右へ。与州自然環境保全地域の看板が立つ。 B林道終点登山口。中州側に登路。 B道標 かなりの急峻。ロープが流してある。
       
横ずれする場所もなかなかの場所。 谷形状の場所は踏み跡が薄い。 C嶽ノ越 途中から尾出山
       
露岩が多くなってくる D尾出山 D第二宿堂跡の碑と祠 Dこの山塊は標識は一つ。
     
D二等点 E嶽ノ越再び E嶽ノ越から木浦原地区への下降路も見られる。 825高点
     
825高点は山田山とふられていた。 825高点から尾出山 F大久保の頭 F大久保の頭から高原山
     
F大久保の頭に残るGQG氏のリボン。 G高原山 Gこちらも標識は一つ。スッキリ!! G松の根元に三等点
     
この日は靴下を忘れてしまった。蛭で有名な場所、季節を違えれば大変な忘れ物。 鉄塔下を通過。ここから下降路が降りている。 尾根に沿うように林道が走り出す。 642高点の西を巻き、その先は倒木帯となる。そして深堀地区側へ降りてゆくので伝わない方がいい。
       
尾根に戻る 640m峰。ここからの進路がやや不明瞭。 H塩沢峠 H頭に石が代用された石像
       
やせ尾根を経て I不動岳。狭い山頂。 I三等点 I割れた標識の一部は、ビニール袋に入れて枝に結ばれていた。
       
不動岳の北東側の下降点とした場所。 不動岳東尾根の北斜面にはこのような新しいリボンが続く。 北側の無名沢に残る廃林道跡(林道終点地) 350m付近で林道に出合う。
       
途中に貯木地あり。一帯で伐採がされていた。 J塩沢峠と落合地区を結ぶ道に出合う。 K高原山と落合地区を結ぶ道に出合う。 L尾出山神社に戻る。軽トラは蕎麦屋の店主のもの。 





 栃木詣でがしばらく疎かになっていたので今回は下野の国へ行く。以前は17号と50号を繋がないと行けなく、そこだけでだいぶ時間を取られる経路であったが、北関東道ができたおかげでアプローチが速くなった。ただし以前が擦りこまれた頭の中は昔のままで、未だに遠い印象を持っており、なかなか行かずにいた場所ではあった。今回は旧粟野町の里山を歩く。現在は佐野市と鹿沼市の市界域でもある。

 
 WEB版の地形図には「嶽ノ越」と「大久保の頭」が周辺の山名フォントに対し大きく表示されている。山名事典の改定でこの大久保の頭も有効座に昇格し、見過ごせない場所となった。ここで「大久保の頭」と検索をかけると、サッカーの大久保嘉人選手の頭突きの記事が上位に出てくる。そうきたかと、現地情報などもうどうでもよくなった(笑)。
こうなると絶対にその大久保の頭を踏んでみたくなるのであった。昨今は蛭でも有名なエリアらしく、この時季は入山するにも適季のようであった。

 
 1:15家を出る。北関東道を足利まで走り、残りは地走りして現地入りする。足利の赤見温泉が気になっていたので下見をしたかったのであった。足利インターからは35キロ。途中には石灰の工場が控えており、粉っぽいのと、秩父郡横瀬町と同じく深夜にもダンプが沢山動いていた。国道293号を尻内町交差点で別れ、そこからも長く落合地区の尾出山神社まで17kmあった。それでも早くに着き過ぎたので、後学のためにと百川渓谷側へと進み、6〜7km先のゲートまで進んでみた。ここにはなぜか「百川無料駐車場」と言うのがあった。何か景勝地でもあるのなら理解するが、こんな山奥の位置取りで無料を謳っているのも面白かった。下山後に聞いたら、この先には林道しかないとの事であった。

 
 最初は川久保の与州平バス停付近に停めようと思っていたが、人家が有ったり、適当な余地が無かったりで、結局尾出山神社まで下って神社西側の余地に車を突っ込んだ。しばし仮眠に入ると、4時くらいから新聞配達が動き出し、2台のバイクが脇を往復して行った。6時になり村落内に音楽が流れる。いつも通り冷めたコーヒーで菓子パンを流し込む。今日はヤキソバパンが手に入らなかった。クリームパンとアンパンを買ったのだが、アンパンの方が行動食としてカロリーが高いと思い、ザックに放り込む。たいして深く考えておらずクリームパンを先行して食べるのであった。

 
 出掛けの外気温は6℃。暖かい印象を持ったが、この谷は3℃まで冷え込んでいた。6:13尾出山神社を出発し永野川の上流へと向かってゆく。植竹地区には廃墟が多く、離村したのか高齢での自然淘汰なのか、見える7割ほどが廃墟に見えた。川久保地区に入り右岸側を気にしてゆく。車で通過したが分岐箇所がよく判らないままであった。ヘッドライトの範囲内しか見えないのでしょうがないのだが、寺沢橋の掛かる目標点に到着してみても、尾出山を示すものは何もなかった。永野川を跨いで右岸へと進む。

 
 植竹地区で追い越していった予約バスは、与州平バス停に停まっているのが見えた。始発時間を待っているようであった。進路左側には、分岐箇所に表示があった施設があるようで、住まいしている様子が伺えた。林道は状態がよく乗用車で入って行ける路面状況であった。ただし幅が狭い。分岐から20分ほど歩いて初めて「尾出山」と書かれた道標が現れた。その場所にある枝道を辿ると、高原山へと通じているように読める。里山であり地形図に載らない道もあるのだろうと思った。

 
 大量の押し出しで林道が覆われた上を過ぎ、ここから10分ほどで広みとなり道が分かれていた。特に道標はないが、右岸に行く道を左に見つつ左岸側を行く。ここのは与州自然環境保全地域と書かれた絵図が掲げられていた。そしてこの場所から15分ほど進むと、林道が終点となり、沢の出合いとなった中州地形に登路が刻まれていた。林道からわずかに沢に降りてから尾根に取り付く。

 
 林道歩きが終わりやっと山道になるが、いきなりの急登となり、ちょっと極端な印象を持つ。そこにはタイガーロープが流してあった。急登が終わると、次は長めの横ズレするルートとなり、大量の落ち葉で隠された地形に、一度踏み外して左足が空に浮いた時もあった。ここを過ぎると谷形状の中を進む場所となるのだが、道形の薄い場所で、そのためかマーキングが適時に見られた。

 
 嶽ノ越に上がる。地形図を見ているからそう思うのだが、現地にはそれらの文言は掲示されていなかった。北に上がってゆく。最初は弧を描くような尾根を行くと、その先で露岩が続き急峻地形になる。軽い逆相のスラブ的な場所も見られ、南アの離山への経路で見られる地形のミニチュア版に思えた。根の蔓延る場所であったり、岩の場所であったりするので、こちらも踏み跡が一定しておらず散見できる。崖地形に多く見られるパターンであった。

 
 尾出山到着。祠と「第二宿坊跡」と刻まれた碑により、古よりの信仰を感じる山頂であった。二等点も鎮座し格式高い山頂になっているのであった。上州との県境の山々が西に見え、北側には白く日光側の山が見えていた。色落ちしたリボンが西側に見える。県境まで伝っている人も居るのだろう。この時期なのでなんとなく木々の間からの展望があるが、芽吹き以降では展望のない山頂になるように思えた。踵を返し来た道を戻る。

 
 嶽ノ越の北側には、木浦原地区へと続く道形が見られ道標も揚がっていた。最初この道が大久保の頭側へと進む道なのかと思ったが、尾根筋を外れひたすら北に向かっていたために違うことが判り東側へと修正する。尾根上には踏み跡は無いに等しく獣道も出来ていないような広い地形であった。

 
 825高点に上がると、そこには「山田山」と書かれたM標が掲げられていた。大衆的な山名に、桐生でのサイトウ山を思い出してしまった。緩やかに南に下ってゆく。たおやかな尾根の上には落ち葉が堆積しており、深雪の上を伝っているかのようでもあった。しかし今日は靴下を忘れて行動している。スパッツもしていないものだから、時折混入する枯れ葉がチクチクして気になるのであった。春以降では蛭の出る場所でもある。裸足は今だけの芸当とも言える。

 
 大久保の頭はサッカーとは無縁の通過点のような長い高みであった。南側にGQG氏のリボンも見える。見下ろすような位置に次に行く予定の高原山が見えていた。標識類もなく、表示(WEBの地図)が大きな場所にしてはマイナーな印象を持った。南東側に下ってゆく。ここには緑のロープが流されている場所もあり、掴みながら降りて行く。

 
 高原山も一つの標識のみが出迎えてくれた。標識で七夕のようになった栃木の山しか知らないので、かえって違和感を抱くほどにスッキリとしていた。三等点がアカマツの根元に見える。恐らくは埋設後にマツが伸びたのだろうと思える位置関係であった。振り返ると大久保の頭に、その右側に尾出山が見える。逆コースで登った方が味わいがあったかとも、と少し思ってしまう。

 アンパンを齧りながら歩いてゆくと、鉄塔下を潜る場所となる。その東側には巡視路が降りていた。左に見送り南に進むと、鉄塔から7分ほどの地点で林道が東から現れた。地形図に見えなかったもので、尾根の頂部を伝うような林道で特異な印象を受けた。そして轍はなく近年ではあまり使われた形跡のない状態
であった。伝いやすいので足を乗せて進むと、その道形は642高点の西側を巻くように切られていた。642高点へ続く尾根にはマーキングがされ正解を示していたが、地形図に載らない林道に興味を持ち、どこに連れて行かれるかと、その先も伝って行く。

 
 642高点を西から巻き込みゆく道に、“なんだこの道も塩沢峠に続くのか”と思ってしまう。途中、大量の倒木で林道が塞がれる。ほとんどがスギで、抜けるのにチクチクの枯葉を纏うことになり、やや後悔するほどでもあった。この倒木帯を過ぎると、道形は南西側にある深堀地区へと下るようになる。ここでやっと不正解と理解して東に植林斜面を登ってゆく。巻き込んでいる分と、高度を下げてしまっている分とで、尾根を伝っているより10分ほどはロスしているだろう。640m峰の北側で尾根に戻る。

 
 640m峰から先はルートが判り辛く、この日は有視界だからいいが、少しでもガスがかかっていたら迷うであろう場所であった。一帯がだらっとしていて広く、さらに640m峰南からの南東尾根が誘い尾根になっているようであった。ここは西に大きく膨らむように意識して進むのでちょうどいい感じであった。

 
 塩沢峠は峠らしい場所で、南を向いて立っている石仏がその印象を強くしていた。お地蔵さんであろうが、頭が取れてしまい表情が無くなっているが、代わりに置かれている丸石の表情で、往時のにこやかな表情も連想できた。ここから南は、これまでよりは道形がはっきりしていた。急峻地形の場所で少し薄くなるが、塩沢峠以北よりは登山道らしい雰囲気であった。痩せ尾根の通過時は、麓からのチェーンソーの音が大きく上がってきていた。秋山町側でも伐採作業がされているような音でもあった。途中二人の男性がすれ違う。山中で出会ったのはこの1パーティーのみであった。

 
 不動岳到着。長細い狭い山頂に三等点が埋まっていた。この山塊に掲げられている一連の標識は、ここでは無残に割れていた。破片はビニール袋に入れられて近くの枝に縛られている。これで予定の4座終了。腰を下ろし白湯を飲む。さて下山はどうしよう。谷でも尾根でも北に下れば実線路に出るはずであり、それならと、北東に下った先の鞍部から北に下ってみようと考えた。その先に640m峰があり、さらに先に613m高点峰があるが、尾根を伝ってのそこへの登り返しを避けた軟弱なルート取りでもあった。

 
 北東に降り鞍部まで行くと古いマーキングが下がっていた。そこから北に進むと、杉の植林帯の中に真紅の新しいマーキングが、小枝に縛られて続いていた。間違いなく林業作業者のもので、踏み跡も伴って東に続き、小尾根を乗越ようにさらに東に続いていた。この小尾根を伝って北に降りる。途中に大岩があり、西に巻き込むように降りるとバンドがあり容易に降りることが出来た。この下で沢の中に入る格好になり、流れのある岩床であり滑ることが見えており困ったと思ったが、少し下流を見ると左岸側に廃林道が見えてきた。慎重に足場を選んで降りてゆく。

 
 廃林道はすでに木々が繁茂しており、分けて進まねばならないような場所になっていた。2度ほど避けて斜面を登って巻いたりもしたが、そのまま突っ込んでも我慢できる距離でもあった。そして廃林道にキャタピラーの跡が見え、その先で大きな沢筋と出合い泥濘の林道と出会う。一帯は伐採作業中であり、その運搬をする車両のキャタピラーの痕が濃く残る。林道を降りて行くと、寸断するような小沢が横切り、到底タイヤでは通過できないような幅3mほど深さ1mほどの窪みをキャタピラーは通過していた。下流側の広みに積載車両が置かれ、樹皮を剝いだ状態での貯木場になっていた。

 
 林道を行くが泥濘地形が続く。冷え込むと霜柱が出来る場所なのだろう、水分を多量に含んだ重い土であった。ここにきてスパッツをしてこない事を悔いた。この沢も時季にはヒルが居るだろう。そう思うと泥濘地形くらいはまだましかとも思えた。進路の先に建物が見え、再び出合いとなる。ここは「塩沢」と書かれた銘板があり、小橋で渡った沢が塩沢だったようだ。合流した道が塩沢峠に続く、塩沢峠から降りてきた道となる。ちらほらと住宅が見える。そして見える畑は全てフェンスがされている。深夜に現地入りし、20頭以上のシカが路上に降りてきていたのを見ている。畑のフェンスがよくよく理解できるのであった。

 
 三度出合いとなり、これが高原山からの道であった。ここまでは車で偵察に入ってきていたので見覚えのある分岐であった。進んでゆく右側に古刹風の長壽院が見える。形として体裁を保っているが、人気を感じないお寺さんであった。禅寺であるが、禅問答も今は聞こえてはくることは無いのだろう。

 
 尾出山神社の余地に戻ると、私の駐車位置に対しかなりギリギリの位置に軽トラが停まっていた。何かその位置からして文句を言われている雰囲気を感じる。後で判ったが、その位置は神社の向かいにある蕎麦屋の店主が停めるスペースであった。風習や慣例や、伝統や慣習があるのを余所者が少し邪魔をしてしまったようであった。後から蕎麦屋に立ち寄り、ちゃんと和解したのですが・・・。話が弾んだ中では、今シーズンで30頭ほどシカを捕ったと聞いた。それでもまだまだすごい数が生息している。蛭も繁殖するわけである。

 








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