スズヶ峰   1953m        白沢山   1952.7m        平ヶ岳    2141m  
 
 沖ノ追落  1780m   
    水長沢山   1695.3m                                                                                                                                                                                                                  
  
                                      

   2017.5.4(木)


  晴れ    単独     スズヶ峰南1900mから平ヶ岳に進み水長沢山までピストンし1900mに戻る   行動時間:12H47M


@スズヶ峰南1900m4:23→(13M)→Aスズヶ峰4:36→(81M)→B白沢山5:57→(69M)→C平ヶ岳7:06→(9M)→D平ヶ岳西2090m下降点7:15→(24M)→E1900m峰7:39→(41M)→F沖ノ追落8:20〜27→(53M)→G1762高点9:20→(22M)→H水長沢山9:42〜10:09→(82M)→I沖ノ追落帰り11:31〜38→(130M)→J2090m峰13:48→(16M)→K平ヶ岳帰り14:04→(55M)→L白沢山帰り14:59→(117M)→Mスズヶ峰帰り16:56→(14M)→N幕営地に戻る17:10


   
@スズヶ峰南1900m幕営地からスタート。 スズヶ峰の湿地の上 Aスズヶ峰の山頂にテント。付近には5〜6つのテントが見られた。 1911高点通過あたりで来光。
       
1920高点にもテント 1895高点付近の雪の様子 前夜に歩いたと思える真新しい足跡。 B白沢山から平ヶ岳
     
1936高点通過 C平ヶ岳通過 D平ヶ岳の西2090mからの進む尾根。最初が急峻。 E1900mの最初の突起峰。
       
1900m峰の南西の様子。 北東側から見る沖ノ追落 F沖ノ追落到着。雪庇が張り出している場所が最高所。前日にこの場所からの雪崩を見ている。 F沖ノ追落から平ヶ岳
       
F沖ノ追落から水長沢山(中央僅か右) 1762高点は最初は北をトラバースしたが、途中から尾根に乗る。 G1762高点 1740m付近から見る平坦な水長沢山一帯。
     
1690m付近。これだけ平らだと有視界がありがたい。 H水長沢山到着。東西の長細く地形図通り西端に高みがある。 H水長沢山から西 越後沢山や手前に小穂口山が見える。 H水長沢山から北西。 丹後山などが見えているのか・・・。
     
H水長沢山から北東 平ヶ岳や剱ヶ倉山。 H水長沢山から東 スズヶ峰 H水長沢山から南 赤倉岳と日陰山など。 Hヤキソバパンと平ヶ岳 二日目であり、賞味期限は切れている(笑)。
     
H水長沢山からの復路に入る。 I沖ノ追落帰り 沖ノ追落北東の様子 1960m付近。帰路はすべてスノーシューにて行動。
     
J2090m峰に戻る J2090m峰から見る荒沢岳の山塊。中央あたりが29日の本城山。 J2090mから平ヶ岳 K平ヶ岳に戻る。
       
平ヶ岳側から見る伝った尾根。黒い場所は西側を通過している。1900m付近。 L白沢山帰り 1911高点から見るスズヶ峰 Mスズヶ峰帰り
        
N幕営地に戻る Nウイスキーとラーメンで独り祝勝会。    




 山旅 初日 3日目

 日を跨いで二日目となる。日ごろからそんなに寝る方ではないので、この時もほとんど起きていた。濡れた登山靴に突っ込んだ新聞紙を乾かすように、時折ガスバーナーを灯しテント内の温度を上げる。もう穴のあくほど地図は見たはずだが、まだ眺めていた。日ごろ飲まないプロテインなどを持ち上げてきて、処方に反しお湯に溶いたら、固形化してひどく不味いものになり苦笑する。この場所からの水長沢山までは片道10km以上となる。状態が良ければ20kmの距離は問題視しないが、腐れ雪とか荒れた雪面が少しでもあれば、そこで大きく負荷となり、簡単な10kmではなくなる。その時になって慌てないよう、リスク側の事は出し切るぐらいに想定しておく。

 

 前日はやや水難だったので、この日は1.5リッターの水を用意した。これで前日の4倍となる。十分量と判断した。ラジルラジルで深夜便を聞きながら時計が進んでゆくのを待つ。それでも手持ち無沙汰になり、3時頃に早い朝食として2食分の味噌煮込みうどんを作って食べた。量も食べたし塩分摂取も十分。腹が膨れたら眠くなるかと思ったが、それもなく目は冴えたまま。こんな時にもしやと米朝戦争になっていないかとネットを見るも硬直状態のまま。始まっていたら下山するのかと聞かれたら、安心して歩けないからとりあえず下山しようと思っていた。4時になり出発の準備をする。

 

 4:23スノーシューを足にして平ヶ岳に向け幕営地を出発する。少し登り湿地付近にもテントが5張り見られた。主尾根から逸れている間に、たくさんの人が入山してきているのが見える。スズヶ峰に着くと、山頂にもひと張り見られた。住人は平ヶ岳に向け準備しているようであった。北の肩から東に向け大きく下って行く。平ヶ岳と併せ、200名山である景鶴山を目指す人も登ってきているのも予想できる。その特異な山容も右に目立っていた。1911高点を過ぎる頃に、この日の来光を迎える。今日も問答無用のいい天気だった。

 

 1920高点峰にもテントがイグルーに守られていた。各々静かな場所を選んでマイホームを建てているようだった。男女のスキーパーティーが西面をトラバースしてゆくのも見える。この辺りから、先行している人がちらほら現れ、追いつき追い越してゆく。スノーシューのヒールサポートのおかげで、スキーを履いているかのごとくに快適に進んで行けていた。1895高点の先の鞍部東側でも幕営している3名のパーティーが見られた。雪尾根を進んでゆくと、昨晩だろう熊の足跡も見られた。尾根を外れていた3名は気づいていないはずである。

 

 ブルーモリスのショートスキーを引っ張ったご夫妻らしきパーティーが先を行く。足にはテレマークブーツを履いていた。丹後山まで抜けるようで、達者な足でぐいぐいと進んでいた。白沢山にはほぼ同時に到着する。お二人は滑走の準備に入り、その間わたしは先を急ぐ。スズヶ峰が遠くなり、平ヶ岳が近くなってゆく。近いと思うほどに遠いのは常で、ここからがだらだらと長かった。でも天気も展望も最高だった。

 

 平ヶ岳に到着。既に3名が山頂展望を楽しみカメラを各方面に構えていた。素通りするように西に向かう。ちょっと勘違いしていて、水鉛の沢に落ち込む尾根を降りて行く尾根と思い寄って行く。一本違えており、少し北側に登り返して2090mの高みに上がる。予定通りと言うか、出発から3時間ほどで超過はない。

 

 南へ下降開始。スノーシューで降りるにはやや急峻で微妙な斜度で、30mほど下るとさらに急峻になり西側のシラビソの生える中を九十九を切って降りてゆく。再び無毛の尾根に戻りわずかにテラスのようになった場所でスノーシューからアイゼンに切り替えた。向かう先に鋭利な1900m峰が聳える。鋭利になっているのは雪の堆積のためなのだが、精神的にもあまり尖ってない方がありがたい。西側を通過し南西側に出ると、融雪により荒れた雪面が待っていた。ここは東の崩れた雪庇に乗るようにして進む。

 

 前方に新たな高みが見えてくる。これが沖ノ追落であった。前日に見た雪崩の場所である。土砂混じりの轟音が、すぐに記憶から呼び起こせた。雪の繋がりは良く安心して山頂に到達できたが、なるべく南には寄らないようにした。でも最高所は南にあり、微妙な位置取りでの登頂であった。赤倉岳側からなら、私の足の下がどうなっているのかが見えるはず。見えない中で乗っているので最高所に標高差にしてあと1mほど近づけずにいた。

 

 最初の目的座を踏み残すは水長沢山となる。見えているのかいないのか、地形図に見える平の場所であり、向かう先の高みの右にそれらしい平地が見える。平ヶ岳を見返し、そのまま長沢山を見る。ここがほぼ中間地点であった。西進してゆく。少し雪の繋がらない場所もあり、そんな場合はおおむね北側を巻いて進んでゆく。南の雪庇側に対し、北は踏み抜く場所もちらほらとあった。1681高点を越えて次の1762高点への登りだが、見える地形が“こっちにこい”とでも言っているかのような進みやすそうな斜面が北にある。自然とそちらをトラバースしようと進んでゆく。しかし途中で斜度が強まりアイゼンの足でも面倒で、南に登りあげ1762高点を経て進んでいった。

 

 1762高点から西側はうねるような雪面で、細かいアップダウンをさせられ進んでゆく。ここまでくると、もう目の前に広大な平らな場所が広がり全てに心地いい。有視界だからこそであるが、その広さに、ガスって到着したらと怖さも少し感じるのだった。1750m峰が水長沢山のようにも見えるが、その先の南の高みが目的の場所となる。心地よさそうに生えるダケカンバを見ながら広い地形の中に入って行く。既に雪の状態が悪くなってきていた。深いアイゼンのトレースを引っ張りながら進んでゆく。

 

 水長沢山到着。東西に長く西側には地形図通りの高みがあった。利根川源流に浮かぶ空中庭園のような雰囲気があり至極心地いい場所であった。北アに雲ノ平があるように、上越国境域の水長沢平(造語)を売り出してもいいと思えた。用意してきたヤキソバパンを取り出す。二日目にして出したのは初めてであった。小穂口山がすぐ近くに見えるが、本谷山からの緩やかな尾根を伝ったほうが楽に見えた。イラサワ山の尾根にも雪がべったりと乗っているのが見える。見えるあちこちが楽しそうでならない。

 

 平ヶ岳の西肩から2.5時間ほどで降りてきている。普通に登りは倍ほどかかると覚悟する。再び訪れることはないだろう場所を、よく見まわし目に焼き付ける。アイゼンで歩きたい場所も途中にあったが、この平原が既に腐ってきているので、ここでスノーシューを履いて登り返してゆく。前日は矢種山を出たのが13時。今日は余裕をもって行動できそうであった。残り10km。

 

 1762高点の往路での未踏部分の尾根には、クマの糞も残っていた。スノーシューのおかげで歩調が軽快。登り返しの方が多い中、往路とそう変わらずの時間で沖ノ追落に到達した。この先は雪の繋がりが断続的なので西側通過が多くなり、往路に踏み抜いた場所もであるが、やはりスノーシューに利があった。まあこれはスノーシューの個々の性能差も影響しているのだろうとは思う。

 

 1時間に一回ほど、周囲の急斜面で雪崩が発生しているのが耳から把握できる。ここでの春がどんどん近づいているようであった。残雪が落ち荒れた場所では、尾根の上を右へ左へと降りながら往路のトレースを追ってゆく。または往路に苦労した場所は反対側を伝ってみる。場所によっては雪の下が6畳ほどの空洞ができ、泊まるのによさそうな場所も見えていた。

 

1950mほどまで上がると後はべったりと乗った緩斜面が続く。2090mの高みの下2020mくらいからやや急峻になり、ここが腐った雪なのでスリップしないようグリップを確かめるように慎重に登って行った。ここを登り切れば本日の最高所登頂のような気分であった。近いように見える所ほど遠く感じ、ここのように遠いと見える所は、意外や歩いてみると近いような印象を受けるから不思議。

 

2090m峰に上がると、その先に荒沢岳の山並みが見えていた。標高差があるはずだが面白いことに花降岳と本城山が肩を並べているように見えていた。平ヶ岳に向かってゆく。縦走者のトレースがあり、そのことにより一般道に戻ったような気分になった。平ヶ岳には誰も居らなかった。時計は14時を回っていた。静かで広大な山頂に一人居るのは心地いい。ここからの帰路は、淫らに残る無数のトレースで凄いことになっていた。並ぶのが好きな日本人も、雪山では違うようで、ここではトレールにはなっていなかった。グリセードするようにスノーシューを滑らせながら降りてゆく。

 

白沢山まで戻り、ここから先にはポツンポツンと単独者がテントを張っている姿があった。挨拶を交わしつつ前を通過してゆく。ほとんどの足先は南を向いていた。一泊二日で平ヶ岳を登りに来た人って事になろう。スズヶ峰の周辺にあったテントはほとんど見えず、唯一山頂の青いテントだけがヨレヨレになって残っていた。南に降りてゆくのだが、前日の事があるので、幕営地への分岐的な場所には空き缶をひっかけておいた。この日も、これが目に入らなかったら勢い余ってもっと降りて行ったところだった。マーキングしておいて助かった。見た人は、なんだこんなところにゴミを・・・と思ったであろう。当然、きちんと回収する。マーキングは回収が基本。

 

幕営地に到着し、まだ明るいうちなのでこの日は外で水を作り、その後一人祝勝会となる。展望よろしく赤倉山に沈む夕日を真正面に見ながら行うことができた。明日の3日目の行動がやや勿体ないが、以南域での未踏座はないので、下るのみの行程となる。テルモスのキャップに雪を入れ、そこにスキットルの中で半分になったウイスキーを注ぎ込む。甘く芳醇、山で飲むウイスキーはなんでこれほど美味しいのだろう。もう答えは判っており、疲れている時ほど美味しく感じるのであった。まだ定番のラーメンを食べていなかったので、袋ラーメンを作る。山で食べるラーメンはなぜにこれほど美味しいのだろう。これは銘柄による(笑)。

 

夕日が沈む前にテント内に入る。二日目もラジコを聞きながらウイスキーを舐めるようにして時間の経過を待つ。また2時間ほど熟睡するのだが、そのあとが目が冴えて仕方がなかった。山中に入り野生感が増したのかもしれない。寝ていたら殺られてしまう。実際に、深夜1時半ころ、グサッグサッとテント近くを足音が通過していった。身構えたものの何もすることができなかった。手でも叩こうと思ったが、野生動物の行動を邪魔するのもなんだかと思ってしまうのだった。この幕営地はとても適地で、まったく風を受けず、ものすごく静かな場所だった。たまたまかもしれないですが・・・。

 

眠くならず冴えているので、またまた地図を眺め以北の未踏座の検討を始める。この時、日を同じくしてSK氏がその山塊を掃討しているとはつゆ知らずであった。氏が2時間ほど遅く、私が2時間ほど速く行動していたら平ヶ岳と池ノ岳との見通し距離でニアミスしていたことになる。ナイスファイトがここに見て取れる。結局寝たのは2時間ほどで夜明けを迎えた。幕営向きではなく寝ずに歩くのでちょうどいいのかもしれない。

 

振り返る。難易度は高くないので距離をどう考慮して計画を立てるかになるだろう。ここはSK氏も山行文で同じ感想を言っている。前日の矢種山も、この日の水長沢山もそうですが、登り返さねばならないことを思うと軽荷で行動したい。ただ歩きながら、もうここで幕営したいって感じの時はそれができないので頑張らねばならない。軽荷行動の場合は根性試し的な面も持っているかも。年々の雪の状態も関係するし、一番は天候の影響が大きいだろう。その時その時での臨機応変な判断も計画とともに必要になるかもしれない。荷を軽くさせる為だろう雪洞を掘っている方も見られた。各々の力量と楽しみ方でバラエティーに富んだチャレンジができる場所と言えるかもしれない。

 

  3日目 

 
 






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