大中子山   1843.6m  
                                             
                                      

   2017.7.8(土)


  晴れ     単独     牛首橋より一ノ岐戸沢右岸尾根を登り、左岸尾根で下る。   行動時間:5H39M


@牛首橋5:06→(135M)→A1810高点南の1780m峰7:21→(71M)→B大中子山8:32〜42→(17M)→C1580高点のある尾根の1830m付近8:59→(66M)→D1380m尾根分岐点10:05→(40M)→E牛首橋10:45


   
@舟岐川にかかる牛首橋右岸からスタート うっすらと150mほど道形が続く。 一ノ岐戸沢右岸尾根に取り付く。1090m付近。しばらく下草は無く快適。 1200m付近。北側よりの枝尾根が合流。
       
1300m付近から尾根上に藪が出てくる。尾根の南側斜面を進む。 1370m付近に残る切り株。 1370m付近。やや煩い藪を抜けて振り返る。濃い場所は数えて2箇所。 杉の大木がある場所はオアシス的に植生が弱まる。
     
1450m付近にリボンが残る。北からの枝尾根合流点。 1600mm付近の濃い場所を振り返る。 1740mの大岩。 A1780mに顕著な突起峰が存在する。東に進まずに1770m付近から南に進んだ方が植生も弱い。
       
1790m付近。山頂大地は複雑な起伏する地形で、植生も濃い場所と薄い場所が混雑する。 1810m。平坦地に残る鹿道。長くは続かない。 大中子山の東側にも突起峰が存在する。こちらが大中子山なのかと間違えたほど。 B大中子山。注意していないと通り過ぎてしまうような場所。
       
B明大の50年物の標識。MLQのいたずら書きも見える。 B素材が朽ちてきた標識。 B三角点を見つける。藪の中に同化して見つけ辛い。 B掘り出すと三等点と読めた。
     
B大中子山deヤキソバパン 大中子山の南北への移動は西寄の斜面を通過した方が楽。鹿道も残る。 C一ノ岐戸沢左岸尾根の1830m付近にリボンが残る。以降で3本のみ見られた。 1710m付近。通過してきたササの深い場所を振り返る。
     
D1380m。尾根の分岐点 C降りてゆく北側にはリボンが縛られている。  1210m付近。細尾根もあるが、以降で広くなり杉林となったら、早くに一ノ岐戸沢を渡りたい。 一ノ岐戸沢左岸を伝いすぎ、渡った場所からは急登の細尾根を登り返して右岸の道形に乗った。
       
E牛首橋に戻る。      




 2013年の6月に長須ヶ玉山を楽しんだ。この時、舟岐川を挟んで大中子山とどちらを登ろうかと迷った経緯がある。天秤にかけ、当日は高い方を先に踏んだのですが、残された大中子山を今回は目指す。

 

 いつに制定されたのか「会津百名山」にもなっている。しかしいまだに道は付いていないようで冬季の記録が多い。無積雪期は舟岐川沿いの林道に絡ませ登るのだが、その林道が舟岐川の右岸に切られている場所から取付き点を選ぶことになる。とすると南か西北西の場所かになるが、2者の標高差はさほど変わらないので、手前の西北西の1031高点のある牛首橋の所から入山することにする。ここからは、先人の記録からは少し道形が当てにできるようでもあった。

 

 0:45家を出る。17号を進み、月夜野から関越に乗って小出で降りる。インター前のセブンで無事ヤキソバパンを入手する。家を出た時は26℃あった気温は、シルバーラインのトンネル内では13℃まで下がっており、奥只見湖の周辺でも15℃を示していた。涼やかで心地いい。山はこうでないと・・・。久しぶりに金泉橋を渡って越境し南会津に入って行く。御池の駐車場は横目に数えても100人ほどが見えるほどの賑わいであった。キリンテを経て上ノ原地区から、川俣桧枝岐線に入って行く。

 

 林道の周囲は野草が刈られよく管理された様子が見られる。牛首橋の右岸には路肩余地が2台分あり、停めやすい場所でもあった。恐らくは釣師が停める場所なんだろうと思う。外に出るとTシャツでは寒いくらいで、長袖のシャツに変更する。嫌なことに時計の高度を校正しようとしたら、電池切れとなってしまった。携帯電話やデジカメの時計があるので困らないのだが、いつも見えるところに見えないと、こんなことだけでも気になるのだった。バカかもしれないが、表示しない腕時計を腕に巻き装備だけは通常通りとした。

 

 右岸の山手側には踏み跡があり、そこを4尺ほど這い上がると、その先にもうっすらと続いていた。すぐに急登となり、這い上がった先の樹林帯の中でその踏み痕は有耶無耶になり、少しここで時間をかけたが、向かう先は判らなくなっていた。少し戻って2回伝ってみたが、その先は見えてこなかった。ここからは一ノ岐戸沢は渡らずに右岸の尾根に取付く。

 

 尾根上はブナの幼木が多い新緑の美しい場所が続く。ありがたいことに下草はなく快適なまま尾根を伝って行けた。標高1200mの場所では北からの尾根が合流しており、帰りに使った時のためにと振り返りよく見ておく。下りに使った場合、気にしていないと北側の尾根へと進んでしまう場所でもあった。まあ北に進んでも大きくは進路を違えないですが・・・。

 

 1300m付近から尾根上がやや煩くなる。分けて進めないほどではないが、尾根南に逃げて薄い植生の中を進んでゆく。1370mの尾根北側には切り株も見られたが、林業を感じられる場所はこの一点しかなかなくワイヤーなどの残置品は見られなかった。1450mまで進むと、尾根の分岐点だからだろうマーキングがされていた。牛首橋の近く、道形がある中でのマーキングは見られたが、尾根を伝ってからは見られたマーキングはこれのみであった。植生は薄いところと濃いところが交互に現れる感じで、1590m付近がこの尾根で一番深い場所に感じた。ただし左右に振ったら薄かったかもしれない。

 

 1740m付近で、白山の百万貫岩の様な大きさの岩が現れる。北から容易に巻き上げられ先に進んでゆく。当然のことだが高い場所、高い場所へと進路を選ぶのだが、等高線1780mの場所には、描かれない顕著な高みがあり、乗り上げると下りつつ南に進まねばならないので、少し手前から南に進路した方がロスが少ない。さてここからの無積雪期の進路は複雑に思えた。地形図を見てもすっきりとしていないのは読めるが、現地は起伏も大きく植生も街々で、激藪風味の場所のすぐ横がオアシス的に歩けたり、ちょっとの進路の違いで天と地の差があるような植生の場所であった。

 

 山名事典では湿地が多いと記されているが、それらしい場所には一度も出会えなかった。雪解け後のまだ早い時期とも言えるが、靴がドロドロになるような通過点は皆無であった。尾根歩きはすんなりといったものの、1780mの高みを踏んでからの南進がなんとも長く感じられ、ストックで笹を押し倒し乗り越えるような時間も多かった。平たんな地形になると、そこにはシカ道が綺麗についていたりし、一級路の様な歩き易い場所もある。押したり引いたりが上手な山域なのだった。

 

 南に進みつつ、いくつも現れるポコポコとした高みに、「今度こそは山頂」と何度も思わされる。地形図で大中子山と表記がある標高点を取っているすぐ東にも顕著な高みが存在し、「着いたか」と思わされた。押したり引いたりが上手と書いたが、とても勿体ぶった山域でもあった。全ての細かな高みを地図に表現するのは難儀であり、歩いてみて地形図での表記はしょうがないとも思えた。

 

 大中子山登頂。近くの長須ヶ玉山ほどに山頂らしき場所かと想像していたが、意外や藪化した山頂で、これまで伝ってきた高みの方が山頂らしく思えてしまった。明大のブルーのM型標識には深跡とある。山名とかけ離れているので三角点名を標識してあると想像できる。標識にはMLQの落書きも残っていた。もう一つの標識は山名を示していたが、現地に同化しつつあり、明大の方が新しく見えるようでもあった。その明大の標識は取り付けられて半世紀が経過している。まだ判読できるのは木陰になって退色しない場所だからだろう。次に三角点探しに入る。すぐに見えてこないので探すのは大変かと最初は思ったが、ありがたいことに頭を出していてくれた。脇を掘ると三等点と判った。

 

 帰路は北に往路を戻るのは勘弁願いたかったので、南に下ってしまおうかとも考えた。しかし、一ノ岐戸沢と深戸沢に挟まれる尾根を伝うともう一つ三角点を見られる特典付きであるために、そのおまけに釣られ1580高点のある尾根を伝って下ることとした。北に行くのは勘弁願いたいと言っている中で北に行くのだが、尾根上ではなく尾根の西側を伝って進む。植生の薄い場所が多くシカ道を長く続いていた。判っていれば・・・と思いたいような伝い易い場所であった。

 下山に使う尾根の1830m付近にはリボンが縛られ、下方側に3つ連なっていた。途中深戸沢側に降りて行っていたように見えた。尾根を外してやや南にマーキングされていた。尾根を伝うのだが、この一ノ岐戸沢左岸尾根と呼べるこちらと、往路の右岸尾根を比べてしまう。1800m台では左岸の方が歩き易いと思ったが、以降ではやや濃い目の場所が続く。この為に伝い易い軍配は右岸尾根に上がった。下りだから濃くても楽に感じるはずだが、色々を加味しても右岸尾根より左岸尾根の方が植生は濃かった。それでも1550m以降では笹が消え見通しのいい伝い易い尾根になる。

 1380mの尾根分岐点からの北尾根には、降り口にマーキングがされていた。途中やや細尾根もあるが、その先は次第に広くなり、一ノ岐戸沢の沢音が聞こえだすと左岸側には杉の樹林帯が現れる。ここが快適で何も考えずに伝っていた。そしてその下流側で一ノ岐戸沢を渡渉したのだが、右岸側の平坦地はだいぶ上にあり、沢の喉になった脇の細尾根を這い上がって行きその場所に乗った。ここではあまり降り過ぎない方がいい。

 往路に伝った道形に乗る。なんのための道形なのか。沢沿いの杉の場所の為か。もしくはこちらでも左惣沢のようにサンショウウオを採っていたのかも。そんなことを考えながら牛首橋に戻る。

 振り返る。もっと植生の濃い場所との印象を持つのだが、意外に薄い場所も多いのがこのエリア。もう一度登る場合も、右岸尾根を登るだろう。この時季には沢を絡ませ登りたいが、この付近は地域のサンショウウオの漁場であることから、遊びで土地の人の生活を脅かすのは・・・と思うと無積雪期は沢とは切り離したい。

 





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