大洞山   1402.6m             大沢山   1450m                                                                                      
   2017.12.3(土)


  晴れ    単独     笹子町新田地区より周回   行動時間:6H14M


@林道入口6:22→(42M)→A林道終点(堰堤)7:04→(29M)→B摺針峠7:33→(16M)→C大洞山7:49〜53→(10M)→D摺針峠再び8:03→(43M)→Eボッコノ頭8:46〜47→(35M)→F大沢山9:22〜33→(46M)→G狩屋野川渡渉点(堰堤)10:19→(13M)→H林道入口10:32


   
@林道入口のスイッチバック道路。駐車余地はこの路肩しかないが、トレーラーが曲がることを思うと、無い感じ。 林道に入ってすぐにゲート。人用の門扉はダイヤル錠がされていた。 山の神に挨拶をしてゆく。 最初の分岐。往路は右へ。復路は左側から出てきた。
       
林道は荒れてきており車の通行はしばらくない様子。 小沢を跨ぐ 小沢の先の分岐。左へ。 分岐点から望む大沢山。
     
A林道終点地 A終点地の堰堤の銘板 A終点地に着いて初めて道標が現れる。 山道の途中には炭焼き窯跡が散見できる。
       
快適な一級路で峠まで導いてくれる。 B摺針峠 B行政の道標 B達筆標識もある
       
登り途中から大洞山(左)。経路は道形が薄い場所が続く。 C大洞山 C行政の立派な標識がある。 C三角点の様子
     
C角が大きく割られた三等点 C大洞山から富士山。 C紅玉で水分補給 D摺針峠再び
     
1355高点 E1445.9mボッコノ頭 Eここは小さく表示。 E四等点がひっそりと埋まる。見つけようとしないと見えてこない。場合によっては落ち葉に埋もれているだろう。
   
1397高点と左に大沢山 コイワカガミの群落がある。 F大沢山 F大沢山の行政の標識。
     
F大沢山の達筆標識。 F大沢山から富士山 F大沢山deヤキソバパン 大沢山の東の分岐
       
1370m付近から尾根を離れ北側に下る。 こんな一本尾根ならいいが、すぐに途絶える。枝尾根も多く思い通りに下れない。 地形図では広葉樹マークの場所だが、針葉樹の植林帯になっている。 尾根の末端部にはマーキングも見られる。
       
右岸の道は存在し、コンクリート舗装がされている。 G狩屋野川を渡る。堰堤の上を伝うのが一番水深が浅い。左岸側は崩落しており、車の通過は無理な林道になっている。 往路に分岐した場所に戻る。 ゲート到着
       
ゲートの場所に水が引かれている。常時流水。 H林道入口に戻る。  




 摺針峠に達筆標識が在ることを知る。峠に存在する場所はこれまで経験がなく、一度拝んでおこうと、大洞山と大沢山を抱き合わせて計画してみる。公的なコースは無いようではあるが、猛者諸氏が多くの記録を残しているので辿れる場所は多いのが見える。最初は笹子峠から狙おうかとも思っていたが、そこまでの遠距離にせずともいいようであった。SK氏が西側を踏査したので、それならと東側としたいところだが、何も知らされなかったら狩屋野川右俣の破線路を伝ってしまったかもしれない。現在一つ南の谷にルートがあるようであった。そして844高点西側の狩屋野川には、実線が途切れている不可解な場所がある。水没して通過する林道と読めるが、ちょっと興味が沸いたので、絡めて歩きたいと思っていた。

 
 1:00家を出る。凍結が心配されたが、前日は好天だったので野辺山は−5℃まで冷え込んでいたものの、経路での凍結個所は無かった。韮崎で20号に乗って大月へと向かってゆく。今日の目的地は国道からわずか逸れる場所でとても分かりやすい。新笹子トンネルに潜ったら、その先のカーブの場所から真新しい舗装路が分岐しており、そこが目的地の新田地区であった。地区内を登って行くと植村技研工業の資材置き場が左右に現れ、入山口の場所にも広い土地を持っていた。しかし嫌なことに適当な余地がない。少し矢立の杉側に進んでみたが、全く見えてこなかった。しょうがないので戻り、林道入り口の761高点となる配水施設らしき前に停める。ここはトレーラーが資材置き場から右折してゆく場所のようで、それを思うとこの場所もあまりよろしくないとは思えた。でもここしかなく、めいっぱい東側に寄せた。

 
 6:22林道に入って行く。すぐにゲートがあるが、人の通過できる門扉が作られているにしては、しっかりとダイヤル錠で施錠してあり使えなかった。山側の狭い隙間をすり抜けてゆく。ここには水が引かれており、入山時と下山時に便利であった。ただしゲートには「立入禁止」とある。コンクリート舗装された林道を進むと、844高点の場所に地図通りの分岐があり右側を選ぶ。少し登り勾配の道となり、次第に荒れ車での通過は困難な路面状態となっていた。山梨の林道は通れる場所が多い中では、この状態は少し予想外であった。

 
 西進から北進となり、倒木を跨いだ先が小沢の渡渉点で一部は凍っていた。このすぐ上が分岐点で、ここからは大沢山を仰ぎ見ることができた。この辺りは状態のいい道が残っているが、左の道を選び進んでゆくとすぐに荒れ放題となり、道形見えてこないような場所さえもあった。それでもなんとなく進んでゆくと、往時の石積みなどもあり道形が見えてくる。間違いなく堰堤工事の作業道だったようだ。林道最終地点の銘板を見ると平成5年とあるので、荒れようは24年でここまでになってしまったことになる。

 
 堰堤の上の平坦な植林帯を進んでゆくと、ここでやっと道標が現れる。迷い易いから付けられたのだろうことが判る場所であった。林道の荒れように反して、ここからの山道はとても状態のいい一級路であった。御坂と笹子を結ぶ昔の峠道であったからだろうと思う。途中途中には炭焼き釜跡がいくつか見られた。植林帯の途中で本日の来光を背中に浴び、幾分か温かさを感じる。外気温はマイナス2℃を示していた。九十九折が終わり、山腹を進む緩斜面に変わる。落ち葉が堆積しており、足の置き場所に注意する場面もあったが、概ね快適のまま進め峠に到達する。

 
 摺針峠に到着すると、確かに達筆標識が待っていた。年月日を確認するも、ペンキの色合いに似つかわしくない日付があり違和感を抱いたが、紛れもない達筆標識であった。その前に行政の賑やかしい道標があるのだが、既に齧られていた。すぐに大洞山へと向かってゆく。道標が立派なので、それに見合った道形があるのかと思ったら、意外や薄い。場所によっては無い場所もあり、伝う人の少なさも見えるようであった。山梨の山なので山中に一升瓶などが落ちていないか探すように見てしまう。変な癖がついてしまっている。

 
 大洞山には立派な標識が立っていた。三角点は大きく角が割られ痛々しい姿で落ち葉に埋もれていた。先日、西平で見たのと同じリボンが下がっていた。西側に雪を纏った富士の姿もあるが、葉のない時期限定の眺望であった。持ち上げた紅玉を齧りながら摺針峠へと戻って行く。1350mの屈曲点は、東に誘い込まれそうであった。通過して30分も経過していないような場所でもこのざま・・・。

 
 摺針峠再び。今度は南に市界を進んでゆく。アップダウンをしながら尾根を追って進むのだが、こちらも明瞭とまでは言えない踏み跡程度であった。1355高点に上がると、左に大沢山が、右に1445.9高点峰が見えてくる。この峰はボッコノ頭と名付けられているようであるが、この付近では破裂音とも言えない、ボッコ、ボッコと音が聞こえてきていた。トンネルの音か工事の音かと思っていたのだが・・・。

 
 1445.9峰には三角点があるが、なぜがやや西にズレた場所に埋まっている。どこも同じような植生であり、展望でもあり、山頂でもいいように思うのだが、何かの理由で西側斜面に置いたのだろう。気にして探さないと目に入ってこないような真鍮製の四等点であった。屈曲して東に進んでゆく。

 
 1397高点は肩の様な場所かと思ったら、しっかり高みとなっていて存在感があった。この先にはコイワカガミの群落があり、一帯が赤紫色に輝いていた。尾根上の他にはなく、ここだけの狭い範囲での群落だったので面白いと思えた場所であった。急峻を登りあげてゆく。日は上がったが、気温のなかなか上がらない日であり指先が冷たいままであった。手袋の選定が悪かったとも言える。

 
 大沢山到着。トリコロールカラーの達筆標識が待っていた。摺針峠に書かれていた日付と違っていたので、峠とは別な日での登頂だったようだ。QZW氏の鉛筆でのいたずら書きも左下に見られた。いつもの赤いリボンを忘れたのだろうか。こちらにはベンチがあり休憩を促していたが、行儀が悪いが踏み台に使わせていただき、富士山を望ませていただいた。さて予定の2座が終了した。ヤキソバパンを齧りながら北側の地形図で眺める。やや煩雑な尾根であり、植生が濃かったら避けたいと思うが、この山塊は下草が皆無。何とかなるだろうと臨機応変に尾根を追うことにする。

 
 大沢山の東側にはやや古い分岐道標があり、笹子側と女坂峠側を示していた。笹子側に進み、1370m付近から主尾根を離れて北に振る。微細な起伏の尾根があり、どこに乗ると狙い通りの尾根に行くのかが見えず、探るように気持ち斜めに北西に進むように降りて行った。1330m付近で明瞭な尾根が見えてくるが、そこまでは探り探り降りていた。

 
 1250m付近からも判りづらかった。反対に登りだったらほとんど迷わないのだろうがと振り返って見たりもした。気持ちよく尾根を伝っていたら、一つ東の谷に落ち込んでゆく尾根に入ってしまい、急峻になったので地形が地形図と違うので気づき西に修正したりした。1120mまでは迷いつつ下り、以降でやっとエスカレーターに乗ったように一本尾根で下ることができた。ちょっとオヤッと思ったのは、地形図には広葉樹マークがされているが、現地は針葉樹の植林帯であった。尾根末端には2本ほどピンクのマーキングが見られた。

 狩屋野川右岸の道は、綺麗なコンクリート舗装が維持され予想外の状態のよさであった。これなら渡渉点は快適に…と思ったが、やはり川に寸断された水没して通過するように造られた場所であった。ちょうど堰堤上を通過させるように造ってあり、現在は左岸側は大きく崩落しており車で右岸側に行くのは不可能であった。堰堤上の水深40mmほどをジャバジャバと進んでゆく。川の上流側に黒いパイプが通じていた。844高点の場所に在る配水施設への引水管であろう。林道を東に進み、その施設のある分岐まで戻る。ぐるっとひと回りを終えた。

 残り距離を、植村技研工業にトレーラーが来ていないことを祈りながら戻ってゆく。こちらは遊びであり、働いている人に対し邪魔をしない事と言うのが私の信念であるので、駐車した車が邪魔をしないか気になっていた。耳をそばだて作業音がしてこないか気にしつつ、目視できるようになったら人の姿を探すようにする。結果、静かなままであった。ゲートに到着し、水場で汚れを拭ってから車に戻る。

 帰路につくと、20号では自衛隊も出動しての駅伝競走が行われていた。正月が近くなっていることを感じるのだった。






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