鶴寝山    1368m        大マテイ山   1409.2m        狩場山   1376m  
 
 榧ノ山(榧ノ尾山)    1429.4m   
玉蝶山   1720m      奈良倉山   1348.9m                                                                                                                                                                                                               
  
                                      
 
 
 
 
2017.5.13(土)


 雨    単独     松姫峠から    行動時間:6H32M


@松姫峠4:44→(17M)→A鶴寝山5:01→(35M)→B大マテイ山5:36〜37→(11M)→C大ダワ5:48→(18M)→D狩場山6:06→(47M)→E榧ノ山6:53→(48M)→F玉蝶山7:41〜44→(28M)→G榧ノ山帰り8:12→(58M)→H大ダワ帰り9:10→(57M)→I松姫峠再び10:07→(35M)→J奈良倉山10:42〜47→(29M)→K松姫峠三度11:16


   
@松姫峠から @入山口の道標 A鶴寝山 A鶴寝山標識
       
往路は巨樹のみち側へと進む。復路は日向のみち。 B大マテイ山 B大マテイ山標識 B大マテイ山三等点
     
C大ダワ通過 D狩場山 D狩場山標識 赤テープの下降点
       
E榧ノ山 E榧ノ山標識 E榧ノ山三等点 山道分岐
       
1735m付近。玉蝶山を過ぎてしまった。 西から見る玉蝶山 F玉蝶山 F玉蝶山の標高は地形図からは1720m。
     
F本日最高座でヤキソバパン。 玉蝶山から登山道に出た場所には朽ちた絶縁テープが巻かれている。 登山道から見る玉蝶山への踏み跡(中央やや右)。普通に判らない。 G榧ノ山帰り
     
H大ダワ帰り 大マテイ山下通過 I松姫峠再び。奈良倉山へ。 ダート林道を進む。
     
林道からの分岐点。 J奈良倉山 J奈良倉山標識 J奈良倉山二等点
     
J富士山側 J河内晩柑を食べながら松姫峠へと戻ってゆく。 林道に戻る 広葉樹の新緑が眩い。
       
K松姫峠に戻るとバスが上がってきていた。 K峠発は日に一本13:15。 K駐車スペースとバス回転場 K大月市側は封鎖。



 

 大月市と小菅村の市村界、牛の寝通りがまだ未踏になっていた。ぐるっと一周して南の長峰にある白草ノ頭も抱き合わせにしようと思っていたのだが、国道139号の大月市側はしばらく通行止めが続いており、車通りが無く歩くのにはいいが、そこを実際に歩くにはちと距離が長く思っていた。拓道橋の所から石丸峠側へ抜け、折り返すように松姫峠に戻り自転車で戻れれば、と言うのが当初思っていた山旅の形であった。しかし不通となっており車で大月側から松姫峠には入れないのでは自転車をデポすることができない・・・。

 
 そこで白草ノ頭と切り離して、牛ノ寝通りだけをやろうと思ったのが今年の2月。しかし小菅村からの旧道は冬季閉鎖で、南北どちらの市町村からも車で松姫峠まで上がることはできなかった。3月に冬季封鎖も解除され適期となったが、他の残雪期の山が忙しく実行されていなかった。そこに、残雪期でありながら雨の日となり、チャンスが訪れる。どんなチャンスなのか・・・(笑)。標高としては前週の尾瀬の目標座と似たような高さ。エリアの違いでの状況の違いも
楽しみであった。

 
 1:15家を出る。出掛けからしっかり雨で、ワイパーをメトロノームのように動かしながら秩父から青梅に抜けてゆく。深夜でありながら奥多摩の駐在にはしっかりと警官の姿があるのには感心する。セブンに立ち寄るとヤキソバパンが並んでいた。この付近の夜間の入荷状況もだんだん読めてきた。深山橋まで奥多摩湖北岸を進み、そこで139号へと左折してゆく。小菅村の狭い道を進み、松姫峠の道標が現れたら旧道側へと登って行く。時期的に雨が雪になる場合もあり、この日は大丈夫とは思いつついたが、春のこの時期では気にしていたほうがいいとは思えた。外気温は9℃を示していた。

 
 松姫峠に到着する。大月側はゲートが閉じていた。当然だがこの天気に他の車は見えない。夜明けまでしばし仮眠となる。ネットに繋がる場所であり、急ぐメールなどは処理することができた。経路3時間。遅くもなく速くもなく、いつもこんな感じ。ただしこれからは夜明けが早くなるので仮眠時間は少ないわけで、運転疲れを癒す時間はこの時は30分ほどであった。北朝鮮のミサイル発射のニュースを聞きながら準備に入る。大きな声では言えないが、だんだん危機感が鈍化し、花火を打ち上げているかのように思えてしまう。

 
 雨具を着込みザックのショルダーから完全に覆うミレーのザックカバーでスタートする。超一級のルートで、そこに小菅村の道標が目立つ。枝道も多く、その各所に立っているので、却って混雑する感じも受ける。巻き道だろう無名道を左に見て、鶴寝山を示す登路へと登って行く。登山と言うよりピクニックな感じ。雨なのであまり汗しないよう、それでいながら冷えてきたので寒くならないようスピードを調整する。

 
 鶴寝山登頂。峠から17分で楽々1座。この先には4座待っている。それにしても周囲は新緑のライムグリーンが見事だった。ブナだったりナラだったりカエデだったりするのですが、色としては発色のいいライムグリーンで統一されていた。鶴寝山の先は、往路は巨樹のみち側へと進んでゆく。確かにこのルートには巨樹が多い。雨だれが幹を伝い水道のようになっている場所も見られる。登山道はそのまま大マテイ山の山頂を通過してゆくのかと思ったら、北を巻いたようで、巻き切った西側で分岐道標が出てきて戻るような角度で登って行く。

 
 大マテイ山にはベンチが2脚用意されていた。三等点が見えるものの、達筆標識は見えてこなかった。これほどに小菅村が管理していれば当然と言えば当然で、この山塊では小菅村以外の道標や山名板を見ることはなかった。視界は15m〜20mほど。かなり圧迫された景色の中を歩き、進む方角が太陽の位置から判らないのが困ったところであった。西に進む尾根道があったので進んでゆく。北の巻道とどこかで合流すると思ったからで、しかしなかなか登山道に合流せず戻るように北に進んでゆく。道標がある場所に出たのだが、今度はそこに松姫峠と書かれ悩んでしまう。これは復路で分かったのだが、北にも南にも巻道があり、現在の登山道が大マテイ山を通っていないことからの表記なので、大マテイ山を越えた西側にも松姫峠の表記が出てきてしまうのであった。一瞬大マテイ山の東側に居るのかと思ってしまうのだった。視界のない時はよくよく地図を見て進みたい。

 
 やや下って進み大ダワを通過する。齧られてはいるが小菅の湯と読める道標があり、明瞭な道が下って行っていた。依然なだらかな道が続く。これだと自転車でも走れてしまうような勾配である。3座目の狩場山は、ルートから逸れる場所にあり北側を気にしながら、それらしい高みが見えてこないか気にしつついた。なにせ視界が悪い。近距離しか判断できないのがもどかしい。結局、それらしい場所は過ぎた後に判り、鋭角に戻るようにして狩場山山頂に向かう。

 
 狩場山は登山道から逸れてはいるが、しっかりと小菅村の標識が立っていた。人工物はこれしかなく、寂れた山頂となっていた。登山道途中に分岐目印となるマーキング類も見当たらなかった。山頂から往路を辿るだけなのだが、登山道までわずかな距離だが方角を北側に違えてすんなりと戻れず、今日はこれで2回目の「迷い」行動であった。どうも感覚が劣化してきているのを感じる。登山道に戻れば、相変わらずの一級路が続く。

 
 小菅川にある雄滝の南側位置で、右側の立ち木に5本の絶縁テープが巻かれていた。何かのサインで間違いなく、あたりを見ると、北西側に道形が降りて行っていた。小菅川左岸に見える道と繋がるのだろうか。榧ノ山は登山道上に存在し、三等点もすぐに見える場所に埋まっていた。山と言うより尾根の肩の場所であり、山名標識があるにしても登頂と言う感じが薄い場所であった。ここから西に15分ほど進むと、山道と分岐道標が書かれた下降路も見えた。この山塊はどれほど道があるのだろう。道の多さからは、里山らしい里山とも言える。

 
 1600mから、やっとここにきて登山らしい勾配になり九十九折を進んでゆく。この負荷が少し心地よかったりし、やっとここでストックを使った。持って入山したものの、使う場面がなくずっと突かずに持っていたのだった。玉蝶山も登山道は山頂を通っていなかった。ガスが濃いこともあり、複数回ミスをしたので榧ノ尾山で高度計の校正をした。なかなか現れない玉蝶山に、高度計を見ると1732mを表示していた。登り過ぎているのだった。先ほど山腹を通過した高みの場所だったか・・・。

 
 北東に戻り登山道が山腹へと向かう場所から尾根を登る。玉蝶山は南西側に明るい場所があるが、本当の山頂は針葉樹の中で薄暗いのだった。ここにもしっかりと小菅村の標識が立っていた。後からルートを着けようとしての準備なのか、マニアに対しての配慮なのか、以前はちゃんと山頂を通過していたのか、今日は登山道が山頂を通らない場所の方が多いこととなる。

 
 玉蝶山を牛ノ寝通りの最終到達点としていたので、ここで踵を返す。尾根どおして東に向かってゆくと、薄い踏み跡が登山道側に進んでおり、入り口には朽ちた赤テープが結ばれていた。降りてきた道形を登山道側から目で追ってみたが、ほとんど判らないほどの踏み跡であった。雨は依然降りやまず。外気温は5℃になっており素手で行動するにはかなり寒い状況であった。

 
 榧ノ尾山に戻り、その先は予定していた各ピークは踏まずに端折って進む。大マテイ山の西からは日向のみちとしての南側山腹の道を通しで進み、鶴寝山の南東の分岐の場所まで山腹の道を伝ってゆく。濃いガスの中にヤマドリが駆けてゆく。鳥も視界が悪いと飛ばないのか・・・地面を走って逃げて行っていた。

 
 松姫峠に戻る。相変わらず私の車だけであった。道を横断してバスの回転場の中へと入って行き、その奥からの山道に伝ってゆく。そこに並走するようにダート林道が寄り添っている。地形図には破線路しか書かれていないが、地図更新が遅れているのか実線路としての道が存在するのだった。1321高点の西まで登山道を伝っていたが、北に巻く場所から林道に乗ってしまった。

 
 1321高点の南まで登り勾配で、そこからやや長めに下り勾配が続く。登り勾配に変わり、奈良倉山への分岐道標の立つ場所には大きな水たまりが出来ており、アズマヒキガエルが二匹泳いでいた。山頂への山道を進む。南側山腹の植樹林には食害除けのロープが目立っていた。

 
 奈良倉山到着。ここも小菅村との境だが、松姫峠以西で見たような標識ではなく富嶽十二景としての山頂標識が立っていた。そんな場所だが、生憎の天気であり富士見展望場からは富士の姿などは見えない。山頂標識の左下貼られたQRコードをスマホで撮り、小さな画面上で見える富士の姿を楽しむ。これで6座終了で松姫峠に戻って行く。奈良倉山からは各方面へのルートが降りて行っており、その道標が賑やかであった。

 
 河内晩柑を食べながら戻り、途中のブナの幹に雨が伝って流れていたので、手を洗おうとブナを擦ったら、手が真っ黒になってしまった。一本だけかと思ったら、ほかのブナでも同じ。雨の日はよくやる行為なのだが、ここほどに黒くなったのは初めてかもしれない。カエルの声を再び聞きながら林道に戻り、松姫峠へと西進してゆく。

 
 松姫峠に戻ると、誰も居ないかと思ったら、バスが停まっていた。時計は11時を回ったばかり、どんな時刻表で動くのかと思ったら、この峠を出るのは13:15とバス停に書いてあった。運転手の姿はなくエンジンがかけられた状態。あと2時間も寝られるのか・・・なんて思ってしまった。やや強くなった雨の中、着替えをして峠を後にする。

 



 

 

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