後山    991.5m            


                                            
  
                                        

   2017.12.16(土)


    晴れ     単独    高原千葉村から時計回りに周回    行動時間:2H9M


@車庫前6:28→(4M)→Aスキー場下6:32→(29M)→B鉄塔分岐7:01→(49M)→C後山(東側ピーク)7:50〜58→(22M)→D900高点8:20〜22→(13M)→E林道分岐点に降り立つ(祠の場所)8:35→(2M)→F車庫前8:37


   
@高原千葉村南の車庫前からスタート。 バンガロー群の中はトイレ舎のみ明かりが灯っていた。 Aスキー場下。スキー場内はスキーを履かないと入ってはいけないとある。 雪で進路がよく判らない中、散策路を見つける。
       
しかし進入禁止だった。 クマよけの電気柵が張られているために通らせていないようであった。 19番ポイント側に進むのは間違い。反対側に進まねばならない。 案内図があるので現在地が判る。最初はスキー場側に進んでしまった。後山に対し背を向けるように進まねばならない。
     
案内図は複数あるよう。どれも分かり易く表示してある。 合格堂東側より分岐を上に進む。 送電線の下を登ってゆく 尾根に乗り上げる。左に進むと展望台。帰りに行こうと思ったが、帰りはこちらに戻らなかった。
       
尾根に乗った場所に在る道標。仏岩ハイキングコースと読める。 B鉄塔分岐。ハイキングコースが北東側にハッキリと進んでいる。巡視路併用なのだろう。 B埋もれた道標。倒れている。ここは吹き溜まりで、腰まで埋まった。 尾根筋には道形があるのが判る。
       
やっと後山の道標が現れる。下降点のようだが、スキー場への細尾根は急峻だった。 尾根を真新しい熊の足跡が跨いでいた。 大きなケルンのような石積みの突起峰。 痩せの吊り尾根にはタイガーロープが残る。
     
吾妻耶山側から来光。 C後山到着。最高所には何もなく、10mほど西に進むと標識がある。 C行政の標識 高い位置に私設標識。残雪期の登頂だろう。
     
C三等点を掘り出す。 C谷川岳側をバックにヤキソバパン。 C予定を変更して西へと降りてゆく。 帰路、最初に現れたスキー場への下降点。スキー場の文字しか判読できない。
     
900高点ではない東側の900m分岐峰。赤ペンキがされている。南東側に降りないよう。 900m分岐点から。オジカ沢ノ頭が見えているのか・・・。 帰路、二カ所目の下降点。これもスキー場を示している。エスケープルートが沢山あるよう。 3つ並ぶ900m峰の東峰。
     
中間峰も石積みのピーク。 D900高点峰。十二神社とキャンプ場へとの道標が立つ。 D十二神社の奥の院。倒壊した祠が残る。棒が見えるのは神事の竹竿。 D900高点峰からの展望。
       
Dすぐ下にカモシカが居た。 下りながら後山を見る。円錐形が見事で、反時計回りで登った方が味わいがある感じ。 尾根は急峻で、新雪でグリセードが出来、時に尻セードも出来るほどの斜度だった。おそらく急峻過ぎて利用者が少なくなったのだろう。 アカマツにたくさんの虫ようが出来ている場所があり、ここにもスキー場への下降点があった。
       
アカマツの場所から下の尾根はタイガーロープで封鎖されていた。跨いで進んだが、結構に急であった。 E林道に降り立つ。一番右がトイレ舎。 E降りてきた尾根を見上げる。入口に後山を示す道標は無い。 E往路に山の神かと思って観たが、十二神社(奥の院)に関係する祠のようであった。
       
F車庫前に戻る。車庫の西側は除雪スペースのようであり、邪魔にならないよう配慮したい。    




 上州の後山は、川場村の1座だけだとずっと思っていたが、日本山名事典には並ぶように猿ヶ京の後山も掲載されている事を知る。以前のコンサイスには掲載は無かったので、新たに登記された場所と判る。ヤマランのルートコメントを目にすることが無ければ、ずっと気が付かずにいたかもしれない。見える要所をついた判りやすい報告に感謝したい。

 

 なら材の伐採を依頼された。土日でどこまでできるか判らないが、前週に続き、また二兎を追わねばならないような週末となった。依頼を受ける前までは久しぶりに下野の山をと思って計画いたが、移動距離を鑑み上州の山に切り替える。十日町がニュースになったように、今期は雪が早く量が多い。少し戯れようと考え、上越国境に近い旧新治村の猿ヶ京の後山を目指すことにした。

 

 4時に家を出て、現地の高原千葉村には5時45分に到着した。国道を離れてからは積雪路の運転で、周囲のどこも白くて駐車余地をどこにすればいいのか迷ってしまった。最初は千葉村の駐車場に入るも、ちょっと場違いの様な雰囲気があり、あちこち探すも停まっている場所が無いので、どこに停めていいのか判断が出来なかった。万が一そこが畑だったりして抜け出せなくなったら・・・なんてリスクを思うのだった。そんな中、千葉村の南側に大きな車庫棟があり除雪された場所があった。集雪地にもなっているのか脇に積まれていた。この敷地の邪魔にならないような位置に停める。夜明けを待っていると、回転灯を点けた融雪剤散布車が270号を往来しているのが見えていた。

 

 長靴を履いて出発する。JCA氏の記録を読んでいるので大まかには進路の予想はできるが、出発し周辺の麓側には一切の後山を示す道標は見えない。キャンプ場の中は閑散としておりそれこそ寒々としていた。一つ灯りが見えるのはトイレで、その黄色い明かりに惹かれるように林道を進んでゆく。途中には山の神の様な祠が見えた。トイレを左に見ながら進むと、その先でスキー場が現れる。スキー場を突き上げれば後山に近く狙ってみようかとも思ったが、場内はスキーを履かないと入れないと注意書きがあり、ギャンブルはしない事とした。

 

 スキー場の前を通り過ぎ北に進むと、さらにバンガロー群が出てくるが、そこにJCA氏の記録しているバンガロー名がなかなか見えてこない。どうも違う場所に来てしまっている様で、雪が覆っているのでどこに登路があるのか見えてこなかった。判らないまま北に進んでゆくと「散策路」と書かれた標識が現れた。‟これか“と喜んだのだが、進入禁止と書いてあり、理由はクマよけの電気柵のためとあった。レジャー施設として立派なここにクマが降りてくるのかとも思えたが、ここまで張り廻らすには理由があり、間違いなく居るからなのだろうとも思えた。

 

 雪があるので電気柵を跨いで通過できるほどであった。道形があり九十九を切りながら進むと、途中で東に進みだし、さらに下りだした。これはおかしいと戻り、途中に立つ案内図を見ると、もっと西側から尾根に上がる道が在ると読める。オリエンテーリングの19番のポールがあるのだが、こちらに進んではいけないようであった。道を外れ北に小尾根を越えるとすぐに道形が現れた。電気柵に沿って進むとこの道に乗ったような位置取りに思えた。さらにもう一つ案内板が現れ、現在地の先ほどからの変化量が読み取れた。後山に向かうに対し、反対の西側に向かうような気持ちで入山せねばならなかったことが判った。

 

 散策路を西側に進んでゆくと、合格堂の文字がある分岐があり、そこから上へと道が切られていた。ゲートを押し上げ伝ってゆくと、送電線下となり斜面が見通しの良い場所となる。ここは下界側の展望もいい場所であった。九十九を切りながら進むと尾根に乗りあげ、仏石ハイキングコースの案内道標もあった。ここから西に行くと展望台もあるようであったが、帰りに寄ることとして登頂を急ぐ。この辺りから尾根上の雪が多くなり、長靴での許容範囲を超える感じになってきていた。ちょっと舐めていた今年の新雪量。

 

 送電線鉄塔の立つ場所まで上がる。分岐道標があるが倒れており、さらに雪に埋もれており判読が出来ない。北東側には巡視路が延び、仏岩ハイキングコースと兼ねているのが見える。鉄塔の東側に進むと、ここは吹き溜まりで腰まで埋まるほどでやや焦ってしまった。長靴でスパッツを端折っている事から雪の進入が避けられず、かなり入り込んできていた。気にして除去するのだが、その多さに完全にイタチごっことなってしまっていた。こんなことなら登山靴でスパッツをして挑むべきであった。途中から雪を掻きだすのが面倒になり、冷たさに耐える方を選んでしまった。我慢強い面倒くさがりは、凍傷予備軍かもしれない。

 

 西に向かう尾根を行くと、ここで初めて「後山」と読める道標が現れた。スキー場からのルートが上がってきている様で分岐道標があった。しかしその尾根を見下ろしたものの、伝うにはかなり急峻の場所に見えた。ここから10分ほど進むと、さらにもう一つ道標が現れる。以前はよく管理されていたルートだったことがこまめな設置状況から見える。長靴を没するツボ足で進んでゆく中、大型動物の爪痕が見える足跡を見る。北から尾根を跨いで南に下っていた。まだ通過して間もない真新しい痕であった。下はスキー場であり、電気柵の敷設は正しい判断なのだと思えた。直径140mmほどの足であった。

 

 目の前にケルンの様な石積みのピークが現れる。JCA氏の記録にも読め、平たい石が積層したような自然の岩峰なのだった。獣は北側を巻いている様で足跡が見られた。これらを乗り越え進んでゆくと痩せた吊り尾根のような場所になり、タイガーロープが張られていた。進む先に顕著な高みが見え、その右側から来光が上がる。見えているのは吾妻耶山であった。後山と言えば、こちらからだと双耳峰のように二つの瘤で見えていた。サッと登るつもりで挑んでいたが、目標座が見える所ほど経路が長く感じるもので、ここもなかなか着かせてもらえない感じがするのだった。まあ雪の負荷もあるだろう。

 

 後山到着。最高所から10mほど西に下った場所に標識があり、その前を掘ると三等点が出てきた。三角点標高で991.5mなので、後山の本来の標高は992m越えで間違いないだろう。最高所には人工物は無く、三角点の場所にすかいさん関の標識が結ばれていた。この積雪でも手の届かない位置だったので、残雪期の登頂であろうと見えてくる。もう一つ、今年の9月に登頂したGQG氏のリボンも結ばれていた。氏もヤマランのリボンマニアの一人であろう。これまでの赤色から黄色にスイッチしたようであった。あまり展望がよくない場所だが、それでも木々の間からは谷川岳の主稜側が白く見える。ヤキソバパンを掲げ記念撮影とした。

 

 当初は往路を往復と思っていたが、西へも降りてゆけそうで、そう思って地形図を見ると、円に近い軌跡を描ける感じで周回が出来ると見えてきた。展望台に行かないのは名残惜しいが、引き返す選択は無くなった。西に降りてゆくのだが、あまり道として利用されていない感じの尾根であった。しかし伝ってゆくと、予期せぬ道標が現れ、こちらにも道が在ることが判った。道標は朽ちておりスキー場を示す道標だけが判読できた。バリエーションルートではなく、以前には周回路が存在したことがここで見えてきた。

 

 標高900m地点で南進から西進に変わる。雪があるとそのまま南に進んでしまいたくなるような場所でもあった。ここは谷川岳側の展望のいい場所でもあった。西に降りてゆくとまたまたスキー場への下降点が現れた。今日出会った下降点はこれで3つである。エスケープルートの多い場所でもある。この先には900m峰が三つ並ぶ。東峰は痩せた山頂で、中間峰はこちらも石積みの様な岩峰だった。そして西峰となる900m高点に到着する。

 

 ここに来るまで一切知らなかったが、麓の十二神社の奥社がここに在った。在ると言っても祠は崩壊してしまっていた。直す氏子も居なくなってしまったようで、神事の竹竿が寂しく立っていた。ここからも谷川岳側の展望がいい。ふと視線を感じると思ったら、下山路の尾根上からカモシカがこちらを見据えていた。冬季であり、ふかふかに膨らんだ毛並みで愛嬌があるのだった。足跡が残る側へと北西に下って行く。

 

 下りながら後山を振り返ると、円錐形で見栄えがする。北側からの往路にも見ているのだが、南側からアプローチした方が同じ登るにしても登頂感が出るようにも思えた。ただし、伝いやすいのは北からだろう。降りてゆくとアカマツに無数の虫ようが見える場所がある。ここにも道標は無いがスキー場への下降路が見られた。そして進む予定の尾根上はタイガーロープで塞がれ無言の進入禁止を示していた。ここで停めるなら麓でも停めているのだろうと思って降りてゆく。勾配が強く重力に任せてグリセードをしながら降りられた。転んだらそのまま尻セードも楽しむ。冬季はもちろんだが、無積雪期も登るのは大変だろう場所であった。

 

 林道に降り立つ。往路に見た山の神だと思った祠の横に降り立った。行動を踏まえて、山の神ではなく十二神社に関わる祠だと理解できた。上にタイガーロープがされていたが、麓の入り口にはされていなかった。急峻なので尾根を下らずスキー場側に降りよと言うタイガーロープのようであった。ここにも当然だが、後山を示す道標は見られなかった。千葉村利用者に対し、後山へのハイキングは推奨していないってことになる。

 

 バンガロー群を右に見ながら林道を戻って行く。この施設一帯、千葉市から譲渡されてもみなかみ町は維持できないだろう。広く建物も多いし、スキー場までも・・・。立派な状態が保たれているのが見えるからこそ、この先どうなるのだろうなどと考えてしまう。そんなことを思いながら車庫前に着いた。

 

 振り返る。千葉村側の散策路が進入禁止になっている今は、復路に使った900高点経由のルートから狙うしかない事になる。歩き出しからいきなりの200mの急登はしんどい場所である。ルートとして維持管理が出来なくなったので電気柵も理由にしてコースを封鎖してしまったとも考えられる。青少年自然の家として親子でハイキングを楽しむ場所としては、ピクニック気分で歩けるような場所が理想だが、ここは滑ったり転んだりしそうな場所が多い。スキーには適した地形があるが、登山するには楽ではない場所のように感じた。





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