矢種山 1712.7m オミキスズ岩 1751m 赤倉岳 1958.9m
日陰山 682m
2017.5.3(水)
快晴 単独 鳩待峠からスズヶ峰南1900mまで上がり、各ピークを踏んで1900mで幕営 行動時間:12H26M
@鳩待峠6:34→(54M)→A山ノ鼻7:18→(68M)→B左俣取付点8:26→(94M)→Cスズヶ峰南1900m地点10:00〜07→(49M)→D赤倉岳東峰トラバース10:56→(37M)→Eオミキスズ岩トラバース11:33→(30M)→F1694高点12:03→(39M)→G矢種山12:42〜55→(21M)→H1732高点帰り13:16→(19M)→I1694高点帰り13:35→(44M)→Jオミキスズ岩14:19〜25→(72M)→K赤倉岳15:37 →(45M)→L日陰山16:22〜23→(71M)→M赤倉岳帰り17:44〜48→(72M)→Nスズヶ峰南1900m幕営地19:00
鳩待入口ゲートの先に、もう一つゲートが作られ停めれた。深夜3時に到着し6時の開門を待つ。 | 係員に鳩待峠は満車と告げられ引き返す車。連休後半初日、数えると15台ほどしか入れなかったよう。3時到着の私で入れる最後だった。 | 6時に開門したチェーンゲート | @鳩待峠にマイカーを入れたのは久しぶり。以前と異なり、第一と第二の駐車場が造られており、鳩街峠まで3分ほど登る。 |
@鳩待峠でこの様子。ここまで雪の多い年は初めて。ガチガチでツルツルのトレースを追ってゆく。 | 山ノ鼻手前の川上川に架かる橋。 | A山ノ鼻到着。程よくテントの花が咲く。 | 湿原を北西に進んでゆく。 |
途中のカラマツの大木。スノーモービルのガイドが、客を見学に連れてきていた。 | 右岸のトラバース | B左俣の取付点 | 1630m付近。快適に進む |
湿原途中からスズヶ峰下まで同行してもらった「静かな山へ」の主催者。 | Cスズヶ峰南1900m地点で幕営荷物をデポし赤倉岳側に進む。 | 1800m付近から望む赤倉岳。 | 1800m付近から矢種山側を望む。 |
D赤倉岳東峰の東側斜面をトラバースするのだが、勾配の緩い高い位置で通過した方がいい。 | 二つ目のカールのトラバース。小尾根があり二つのカールをトラバースする。 | 1830m付近で主尾根に乗る。 | 無名峰だが、下って行きながら最初に現れる高みの1760m峰。 |
Eオミキスズ岩は、往路は東側をトラバース。 | 1606高点北側より1694高点側を望む。 | オミキスズ岩の南陵には、見事な奇岩が並ぶ。岩の庭園のよう。 | 命名「指さし岩」 |
F1694高点から1732高点を見る。 | 1732高点は西側を巻いたが、低いと傾斜が強いので高い位置で巻いた方がいい。 | 矢種山手前から | G矢種山登頂 |
G矢種山から南 | G矢種山から西 | G矢種山から北。赤倉岳。 | G矢種山から北東。左の高みは1730m峰。 |
G矢種山から南東。 | Gヤキソバパンと赤倉岳 | 矢種山から下降し戻ってゆく | 1730m峰は岩の山頂。 |
H1732高点通過 | I1694高点通過 | 西の谷から登ってきた熊の足跡が見られた。 | 1620m付近から1606高点の鞍部を見る。 |
1606高点通過 | オキミスズ岩の南側にはこんな岩も。「武田菱」が横になった感じ。よって命名「倒立武田菱岩」。 | Jオキミスズ岩登頂。西側を見ている。 | Jオキミスズ岩から矢種山 |
Jオキミスズ岩から赤倉岳 | 赤倉岳東峰の南斜面の登り。1860m付近。 | 赤倉岳東峰より望む本峰。途中にリッジあり。 | 赤倉岳直下。 |
K赤倉岳から北西。日陰山に進む側。 | K赤倉岳から矢種山(中央下)。 | K赤倉岳から平ヶ岳 | K赤倉岳から東側 |
赤倉岳北西峰から日陰山側を望む。日陰山へはスノーシューで進んでみる。 | 1820m付近でスノーシューでは行動できなくなりアイゼンに切り替える。 | 翌日撮った絵。右が日陰山。1820m付近は、尾根上の黒い鬣のようになった針葉樹の上部の場所。勾配の強さが判るだろう。 | 手前鞍部から見る日陰山 |
L日陰山登頂 | L日陰山から赤倉岳 | L日陰山から平ヶ岳 | L日陰山から南西側。一段下に平らな地形がある。 |
赤倉岳西1850m付近からの様子。 | M赤倉岳再び | 赤倉岳東側のリッジ | 赤倉岳東峰の東斜面の様子。 |
1761高点通過 | Nスズヶ峰南1900m地点。デポ荷物を探すのに、日が落ちてしまい難儀した。 | N設営完了。二泊三日の塒。 |
例年は島旅をしているゴールデンウイークだが、それを続けていると踏み残してしまう残雪期の山が増えてしまう。4月22日に巻機山エリアに入った時も思い、29日に奥只見に入った時もそうだが、今年は「残雪が多い」のはあからさまであった。これは雪と戯れない手はないと判断した。行動するのは3日・4日・5日の3日間。
ここで尾瀬に入ろうと考えた。水長沢山と矢種山の尾根が未踏になっている。それに加え、状況が良かったらミョウカン山と入り黒沢山も踏めないかとも思い地図を眺めた。鳩待峠までのアクセス状況を調べ、バスとタクシーの始発時間も把握する。マイカーが鳩待峠まで入れるタイミングであり、いちおう入ることを前提に計画した。1日の駐車料金は2500円。3日なので7500円となるが、戸倉に停めれば日に1000円。経路にバスやタクシーを使って980円。1日だったら差額が500円ほどだが、3日間では2540円となり、金額のみを気にすれば戸倉発がいいのだが、5月はBダイヤなので始発が7:50で、鳩待からの最終が16:30となっている。これだと行動に制約が出る。出発が遅いのは酷く苦痛でお金に代えがたいのだった。
既に記録としてはSK氏が詳細にUP(2日目、3日目)している。ただし大事な初日の行動記録のリンクがおかしなことになっており、4年間の間ずっと見られないことになっている。「大事な部分は自分で考えよ」と言うことなのだろうが、アプローチ情報が判らないのはちと困った。たぶん、このあとリンクを修正するとは思いますが・・・(笑)。2日目と3日目の記録を読み頭に叩き込む(初日:2017.5.9公開)。このように先駆者がいる場所は本当に助かる。あとは、2010年に山頂猟渉を書いた南川さんと平ヶ岳の北側で出会った時に、氏が「一人、小穂口山側へ向かっていった」とも言っていた(現地では南川さんとは判っていなかったのですが)。そんな狙い方があるんだと感心したのは言うまでもなく、今回も少し考えてみたが、どこかの角度で利根川が見られ様子が把握出来たら実行してみようと考えていた。そして抱き合わせに出来そうな入り黒沢山側もしっかりと見ておく。初日に平ヶ岳近くまで進んでおけば、軽荷にして3つの尾根筋を上手く伝えそうに思っていた。
装備は、通常の2000m級の冬(春)山装備としてはワカンを携行しているが、今回はスノーシューを持つことにした。最新のものは大きさの割に軽いのでワカンに毛の生えたくらいの負荷で持てるからであった。このスノーシューのヒールサポートが今回は大きく省力してくれていた。スキーのヒールサポート同様に、使えると登行時の疲れが大きく違うことを体感することになった。ロングコースの場合は特にと付け加えておく。体力不足を道具で補っているとも言う(笑)。
1:00家を出る。途中のセブンでヤキソバパンを二つ買う。本当はもう一つ買いたかったが、買い占めかと思われるのも嫌なので一つは憚った。17号から120号に入って行く。気合十分で着いたらすぐに歩こうと思っており、頭の中は既に白い尾根筋を歩く様子を想像していた。片品の温泉街を通過し、尾瀬戸倉の温泉街に入る。半月前とはあからさまに残雪の様子が違っている。スキー場側へと登って行き鳩待入口分岐となる。”よし開いている”当たり前だが閉まっているのを見ているので開いているのが嬉しかったりする。西栗橋を渡り堂平山側へ向かう林道入り口を左に見ると、その先で車が並んでいた。”こんな場所でなに”と思ったのが率直なところで、間違いなく鳩待峠に向かう人が並んでいるのが判った。その車列に並び当惑していると、後ろに並んだ人が先に歩いて行き状況を確認してきた。ゲートがあり6時開門とのことであった。今年は雪が多いのでそのための処置とのこと。頭の中が白くはならないがグレーになった。予定が変わってきてしまう。現時刻は3時。あと3時間も待たねばならないのは・・・。頭の中で計画を練り直す。本日中に高い場所に進むのは諦めねばならない。日数に対する行動予定を組み替える。手前側の山から登ろう。
自分の位置はゲートから数え15番目くらいであった。当然だが私の後ろにも車列は長く続く。4時半くらいには30台ほど並んでいた。そこに5時になり管理のおじさんがやってきて、私の後ろの車から声をかけだした。何を言われたのか後ろの方に聞くと、上に上がれるのは私までとのことであった。次々とUターンしてゆく後続車両。ただしなのだが、その代わりと言うか、居なくなった場所にジャンボタクシーやバスが並びだす。7:50始発のはずだが、連休の特別対応かとも思えた。これでいくと戸倉と鳩待の時間差は無くなると言うことになり金額差だけが残るだけだった。目の当たりにする状況下、歩く以前に精神が蝕まれてゆく感じだった。
6時ゲートが開かれる。待たされただけあって、皆アクセルを強く踏んで登って行く。経路は雪解けの流れがあり、確かに夜間は凍るだろう事が見えた。そんな流れの個所が多く見られる。もどかしいが夜間封鎖は適当に思えた。鳩待峠下の第一駐車場に入れるのは今回が初めて。どこに以前の峠があるのか探してしまったほどに浦島太郎であった。到着後すぐに準備をする。ここでは下で長らく待たされた人により、トイレが大賑わいであった。料金徴収員がやってきて会話を交わす。先払いでも後払いでもいいようであった。後払いにして山旅を急ぐ。
鳩待峠まで上がり驚いた。入山口には1.5mほどの残雪が見られた。この場所がここまで雪が残っているのは初めて見る。アイゼンを着けている人らを横目に先に進んでゆく。歩き出して後悔するのだが、着けたほうがよかった。時折ヒヤッとしながら、我慢しながら騙し騙し進んでゆく。外気温は4℃、夜間はマイナス気温だったろう。ガチガチの雪面にソールパターンをひっかけるよう意識して歩いて進む。
峠から45分ほどで山ノ鼻に到着。ほどよくテントの花が咲いていた。給水所でペットボトルに350ml汲む。このくらいでいいと高をくくっていたら、この日は暑く水難であった。自業自得とも言う。湿原に木道の影はなく、うねる雪面を乗り越えるように進んでゆく。途中、後ろからスノーモービルが追ってきた。なにか言われるのかと思ったら、客をけん引してきたガイドさんであった。カラマツの大木を見せたかったようで、私にも「これ撮ったら」と言ってくれた。確かに大きく幹直径は2.5mほどあるように見えた。先に進み柳平に入って行く。以前は水没して通過したような場所も、雪のおかげで高巻きはあるものの安心して歩ける状況だった。そこに一人の男性が追いついた。しばらく話しながら進むのだが、かなりの藪ヤで、話が同期できる。なんと、越後の雄、「静かな山へ」の主催者であった。どうりで・・・。楽しい会話をしながら左俣の取付き点に到達する。ここでアイゼンを装着。
1460mの尾根末端から登り始める。時折雪の緩い場所もあるものの快適に高度を上げてゆく。スズヶ峰下で尾根を逸れねばならないので地図を見ながら無駄のないようにと、最初は1850m付近から狙おうと試みた。だがまだ早かった。このあたりで静かな山への御仁と別れる。御仁のトレースを追って1900mまで上がり、ここからは赤倉岳が綺麗に見えており、緩斜面が続いているように見え、尾根の西側に20mほど逸れて重荷となるものをシラビソの下にデポした。明るい中なので気が付かなかったが、これが暗い中に戻った時にドキドキさせてくれた。
1900m地点から西に向かってゆく。ややトラバース気味に歩く感じが続き、正解は1920m付近からのスタートだったと現地を歩きながら気づかされる。それでも広大な尾根筋で、正面には赤倉岳が見えているので心地いい。1761高点を経て、その赤倉岳への登りに入る。西に登り過ぎてもまた西に下らねばならないので、見えるカール地形の傾斜を考慮しながら1750m付近をトラバースしてゆく。よく地形図を見ていなかったのでぬか喜びしたのだが、一つのカールが終わった先が乗る尾根ではなく、もう一つ大きなカールが待っていた。二つのカールを繋いで進むような場所になっていた。雪崩れないようにと祈りつつ通過してゆく。雪が緩くなってきている時の大斜面のトラバースは気を遣う。
1830m付近で赤倉岳東峰からの南西尾根に乗る。進む先は快適に雪を繋げそうだが、見えない鞍部では雪が落ちているのだった。1760m峰がこの尾根に入っての最初の高みで、次の1720m峰に着くと先の方にオキミスズ岩だろう高みが見えてくる。往路はトラバース予定なので迷わず東側斜面に入って行く。一部崩落個所があり慎重に足を進めた。
1606高点側に降りて行きつつ西側を見て、思わず息を飲んでしまった。綺麗!! 燕岳に勝るとも劣らないほどの奇岩のオンパレードで、いろんな形態に見えるので楽しくて仕方がなかった。これぞ自然の造形美。文鳥や指や、剝いたみかんやおじさんの顔などがそこにあった。まだまだ探していたかったが、まずは目的座を踏まないと・・・。深く高度を下げ、登りあげて1694高点に立つと、1732高点の右(西)側に矢種山が見えてきていた。
1732高点は自然と西側をトラバースしたくなるような場所で鞍部付近から西にトラバースしてゆく。しかし進む先の同高度はやや急峻になり踏ん張っているのが辛くなってくるような場所だった。トラバースするにも少し高い位置で通過した方が楽なようであった。ここを抜け1730m峰の西側鞍部に出る。矢種山までの白いプロムナードだった。やっと到達する。これ以上この尾根を下らなくて済む。
矢種山到着。普通の山なら、登った分を重力に任せて下ればいいが、ここでは逆行せねばならない。それがあるのですぐに経路を見上げるのであった。展望ピークであり周囲の山々がよく見える。確かめたかった利根川の様子はどの角度も残念ながら見えなかった。ヤキソバパンで少し遅い昼食とし、重荷にもなっていた河内晩柑で喉を潤す。山ノ鼻で汲んできた水はここで半分になっていた。補充とばかりに雪を詰め込む。やがて13時になる。赤倉岳に戻るのに3時間くらいは考慮したい。となると今日中に日陰山に行くのは無理か・・・。今日は諦めるか、夜行も覚悟するか、全ては復路の疲労度から判断することとした。
我がトレースを追うように登り返しが始まる。最初の鞍部まで下り、矢種山を振り返ると小刻みに足を進めた痕が見える。我ながらだが見ていて心地いい筋であった。往路はトラバースした1730m峰に上がると、ここは岩峰であった。1732高点峰も尾根伝いに越えてゆく。トラバースよりかなりこちらの方が楽であった。1694高点峰を大きく超えて1606鞍部に戻る。ここからは左の岩の造形を楽しみながら登って行く。やはりいろんな動物が隠れていて楽しい。イマジネーション力の強い人は、ここから離れられないのではないだろうか。オキミスズ岩への最後はやや急峻で足に力を入れながら這い上がる。
オキミスズ岩登頂。実際は山腹の岩を指して名前があるようだが、地形図にこのように表記されているのなら、この山塊を一括りにしていいだろうと判断し、標高点の取っている場所全体としてオキミスズ岩と思うことにした。山頂の西側にはシラビソがニョキニョキと生えており、岩峰とするにはちと違っている感じの現地であった。雪が無くなるとどんな山頂になるのか想像ができなかった。やや雪が緩くなってきたので、ここでアイゼンからスノーシューに替える。
早いタイミングでスノーシューにすればよかった。グリップも良く快適そのもので、登り返しのヒールサポートは本当に楽であった。ヒールサポートのないスノーシューを持つが、この楽さを覚えてしまうと、今後に出番が無くなると困るほどであった。だらだらとした赤倉岳東峰への尾根を登って行く。ここも東峰への最後はやや急になっていてスノーシューを踏み込むように面圧をかけながら登って行った。
赤倉岳東峰から本峰まではリッジ尾根が待っていた。本日往復したトレースが残り、使わせてもらい通過する。スノーシューのトレースだった。赤倉岳の東側直下は割れ、平均台のようになったブリッジの場所を通過してゆく。そして赤倉岳登頂。躊躇せず北西側へ向かってゆく。偵察だったのか、トレースは1940mの北西峰まで進んで引き返していた。ここで西に進路を変える。ここもどんどんと高度を下げてゆくので、それがややボディーブローとなる。やや強い下り勾配をスノーシューのまま騙し騙し降りていたが、1820m地点まで降りると、どうにもそのままでは進めなくなり、ここでアイゼンに履き替える。そして爪を入れながら鞍部へと降りてゆく。この時北側斜面を降りていたのだが、尾根どおしで降りると南にも雪の繋がりがあったのが鞍部まで降りてから判った。鞍部まで降りれば安全地帯となり、雪庇の北側を伝うようにして最後の登りとなる。
日陰山登頂。南西側の一段下がった地形が平らで幕営適地と見えたが、こんな場所で停まる人は居ないだろうとも思うのだった。ここでちょうど到着した時に沖ノ追落の南面が轟音とともに雪崩れだした。その音を聞きつつ流れる一部始終が見えた。明日に向かう場所であり、怖さが増したのは言うまでもない。時計は16時半に近い、休憩もそこそこに登り返す。
東側の鞍部からの登りは、尾根南の雪に繋がってみた。かなり急峻で2ステップでキックしながら登るような斜面であった。時間をかけつつ登り1820mまで戻る。ここでスノーシューに替えて登り返す。日が陰りつつあり腕まくりして行動していると寒いくらいになってきていた。赤倉岳に戻り、残りの水を飲み干す。なんとか350mlで凌げた。デポ地に戻れば缶ビールも待っている。リッジに注意しながら東へと進み、東峰からの広い尾根を赤倉岳で陰った中を降りてゆく。
辛うじて先行者のトレースの跡が残っていた。1761高点の鞍部からは的確に1920m付近へと繋がっており追ってゆく。この辺りではまだ明るく色が判別できていたのだが、19時を10分ほど前にして黒と白しか判別できなくなってしまった。そして周囲を見ても、どの景色も同じでデポ地が特定できなくなってしまっていた。なにかリボンでも縛ればと思ったのは後の祭りで、このままデポ品が見つからなかったら水も作れないし、この疲れた体にビールも入れられない。テントの中で寝袋に包まることもできないかと思うと、ちょっとドキドキしてしまっていた。ヘッドライトを灯し右往左往する。往路のトレースなどすでに消えており当てには出来なかった。しょうがないので最後の手段とナビを参照するのだが、それでもすぐには出てこなかった。盗まれたのか・・・とまで思ってしまう。あちこちを歩き回りながら見つけた時の喜びとは・・・下山して温かい家に着いた時のような感じでもあった。これは場を盛り上げるお膳立てだったのかもしれない。
テントを設営し終えたのは19:20となっていた。まずは翌日分の水を作る。前回使用時の油がコッヘルに残っており、さらにシラビソの落ち葉が混ざっているので、なんとも油臭い水が出来上がった。ここで一安心でビールを煽る。煽りつつも、明日の行動を考える。いい感じに本日は疲れた。明日は下山してしまおうか・・・なんて思ったりもする。カレーのリゾットを作り食べながらもなお地図を食い入るように見る。またとないこの快晴の連日を使わないで、今後狙う日が悪天続きだったら後悔が大きい。そこも強く思う。少しウイスキーを入れながらふらつく気持ちを鎮静化させる。そうこうしているうちに最初の睡魔がやってきた。2時間ほど寝入る。
驚くのだが、普通にネットに通じユーチューブも楽しむことができるのだった。ラジコでNACK5を聞きながら、またまた地図を眺める。迷っているうちは行くのであって、迷わせていればいいとも第三者的に思うのだった。月明りがありテント内もほんのりと明るい夜だった。翌日の分も考慮しウイスキーはほどほどにして温存する。入り黒沢山側に行くのはもうないと割り切る。あとは水長沢山となるが、ずっと地図を眺めていると行ってみたい気持ちの方が強くなってゆくから面白い。悩んだ時はずっと地図を眺めるのがいいかもしれない。
二日目に続く。