閼伽流山 1009m
2022.4.17(日)
晴れ 同行者あり 明泉寺から 行動時間:1H53M
@明泉寺駐車場10:54→(34M)→A観音堂11:28→(9M)→B御野立所11:37→(13M)→C三角点ポイント11:50→(14M)→D閼伽流山(城址)12:04〜11→(27M)→E諏訪神社12:38→(9M)→F明泉寺駐車場12:47
前日に、山本小屋から歩きに行ったが、横殴りのみぞれが続き、回復傾向が無いことから山を下りる。 | |||
@明泉寺駐車場より。道標は無いが、見える道を進めばいい。 | 南に下ると道標が在る。上の道とここからの道は先で合流する。 | 香坂高宗碑 | 七合目のゲート |
城址登山口から山中へ | 千手観音 | 岩壁下の観音群 | 観音群 |
大岩壁下の薄い踏み跡を伝う。 | 百体観音 | 石清水 | A観音堂 |
A鐘堂 | B御野立所 | B東 | B南 |
B西 | B麓の西地地区 | 1230m峰分岐 | 1230m峰の標識 |
C三角点ポイント | C三角点ポイントの標識 | C四等点 | D閼伽流山 1009高点峰 |
D標識は城址となっている | D「城址」 | D石祠は以前のまま | D南の様子 |
岩場にはロープがたくさんある。 | 七合目帰り。ここから西に進む。 | 西尾根には開けた場所があり、閼伽流山側が見上げられる。 | E諏訪神社 |
急な参道を降りてゆく。 | 西地地区内にある原商店は煌びやか。 | 明泉寺入口 | F駐車場はやや狭い |
通常はサタデー登山を実施している。その土曜日に美ヶ原の山本小屋まで上がったが、横殴りの雨とみぞれだった。晴れ予報の日にしては前日からの雨の抜けが悪く、待っていても早期回復は無いだろうと、珍しく山を降りてしまった。いつもの、迷犬との行動なら突っ込んで行くが、同行者が居たからだった。後から苦情を聞くのが嫌なのだった。付近の山も物色したが、適当な場所が見いだせず土曜日登山は断念した。
翌日曜日は昼以降で雨。午前中は晴れ予報なので、適当な散歩にと閼伽流山を選んだ。前回登ったのは2001年。この時はまだ藪山側の位置取りの場所で、あまり登山対象にはされていなかった山。以後でルートが紹介されハイカーに登られるようになった。中嶋画伯の影響が多いだろう。月日の経つのは早く21年ぶりの登山となる。山にも行きたいが待っている作業もあった。薪割りを1時間ほどしてから出発した。
9時半に家を出て、明泉寺には10時45分に到着した。駐車場に停まっている車は無く、入山者が居ないだろうことが予想できた。晴れてはいるが、外気温は13℃と涼やかで、やや寒く感じるくらいであった。21年前には何も道標は無く、地形図のみが頼みであったが、現在は参道途中に閼伽流山を示す道標が建てられていた。
10:54行動開始。舗装路を東へと上がって行く。明泉寺の住職だろうか、作業中の男性が挨拶をしてくれる。最初のゲートは開いており省力したい場合は車で進入できる状態であった。歌碑が並ぶ林道を伝い、香坂高宗の巨大な石碑を右に見たら進路は西寄りにと進んで行く。
七合目のカーブの場所にあるゲートは閉じていた。ここまで車で入れることになる。前回は下のゲートもここのゲートも無かったのだが・・・。西進から東進となり、途中の城址登山口の石柱の場所から林道を離れ斜面を這い上がって行く。伝う人が少ないのか、道形は薄く不明瞭だった。帰路はここに降りてくるつもりは無かったので、先に西に振って千手観音を拝み、踵を返し東に進み百体観音群を拝んだ。岩壁の下と言うスリルと、その下に安置された石仏の柔和な表情の対比がいい。実際に落石があれば石仏は壊れるだろう。ここの石仏はみな奇麗だった。
石清水が出ている岩壁に沿って東に進むと、観音堂が現れる。以前と同じ出迎えで懐かしい。手水に溜まっている水は、冷たいものの水質のせいか白濁していた。本道の裏手に道標が立ち、そこからの進路を示していた。ここからの道形もやや薄く、野立所へと折れる分岐には、三角点側への進路もあり道標が欲しい場所であった。鋭角に南に登るとこのコース唯一の展望場となる。
御野立所には十二丁目の石碑が建つ。ここは昭和天皇も訪れたとあった。その往時はもっと道は良かったのだろう。天気がいいので東屋からの展望がいい。前日は雪雲が覆っていた北八ッであるが、この日は全容を見せていた。尾根上の薄い踏み跡を追って北進してゆく。紹介されたので、もっと歩かれているのかと思ったが、道形の様子からはマイナーな山の雰囲気であった。
1230m峰には、三角点ポイントの標高が記された山名板が付けられていた。東進してゆくと、三角点ポイントにも山名板が見られた。では1009高点峰には何が付けられているのだろうと考える。日本山名事典では1009m高点峰で閼伽流山としており、前回もそこを目標として登った。今回も同じなのだが、既に違う2か所で山名を見てしまっていた。
北西に進み、途中で南西に屈曲する場所には、矢印と道標がされていた。既に山名がここで見えており、向かう先は閼伽流山城址とあった。現在は1030m峰が閼伽流山ってことのようであった。確かに山体の一番高い場所であり、高い場所を目指すハイカーとしては異論はない。南西に進んで行き、最後を這い上がる。
日本山名事典の閼伽流山到着。見覚えのある石碑があり、”そうだそうだこれがあるんだ”と思いだした。山名板は二つ見られ、一つには「閼伽流山城址」とあった。もう一つは判読できなかった。石祠は屋根部品と台座部品のみで残り、胴体部品が周囲に見られないのが不自然であった。経路に色々あったが、ここが目的地なので小休止。前日に買って山中で食べようと思ったパンがあり、ここで消費する。パンは一日寝かすと美味しいとかはない(笑)。
帰路は南西へと下って行く。優しい部類の岩場で、犬連れの場合は一ヶ所のみ抱きかかえないとならない場所が出てくるが、迷犬はその1.6mほどの段差を気にせず飛び降りていた。何ヶ所も補助用のロープが垂らされており、人間には安全確保されていた。このルートからは当初通りに千手観音側へと進まずに、そのまま尾根を南西に下り七合目に降り立つ。ここからの進路はバリエーションを加えて西進してみる。
七合目の石碑から西に進むとカヤト原の開けた場所となり閼伽流山側が遮蔽物皆無で見上げられる。870mの肩には特異な石積みがあり、これは2月に香坂ダムから入山した時に見た岩に似ていた。同じ地域なので似通った岩石が見られるのだろう。西進し実線路に乗ろうと予定していたが、820mの肩から南に掘れた道形があり伝って行く。向かう先は諏訪神社であり、神社からの道と思えた。ただしほとんど歩かれていないようで、道形はハッキリしているものの障害物は多かった。
尾根の東斜面が緩斜面となり、そこに墓地が見えてくる。尾根上は薮化しており、杉の植林地の中を東へ向け降りて行く。すると南から上がってきた道形に乗った。南に進んで行くと諏訪神社の鳥居の場所に出て、そこから石段を降りて行くと西地地区に降り立った。
西地地区を明泉寺に向かってゆくと、途中に金色のモールでデコレーションした商店が現れた。同行者と共に”なにアレ”と声に出してしまうほど浮いた存在の場所だった。店舗の前に行くと、家主だろう人が飾りつけの作業をしていた。興味があり声を掛けたいのは山々だが、異様過ぎて声を掛けることが出来なかった。店舗だけではなく、奥の倉庫のような場所まで金色で飾られていた。
山行の最後に不思議な場所を見て明泉寺に戻る。