祢津城山 (下の城)       820m     祢津城山 (上の城)       930m                      
         
                                  
                                 
                                                                                                      
  2022.12.24(土)


  雪     単独     下ノ城経由上ノ城までゆき周回     行動時間:1H53M


@西宮公民館7:04→(19M)→A下ノ城登山口(駐車場)7:23→(13M)→B祢津城山(下ノ城)7:36〜41→(22M)→C上ノ城登山口8:03→(12M)→D祢津城山(上ノ城)8:15〜17→(17M)→E求女沢川右岸8:34→(13M)→F宮ノ入のカヤ8:47 →(5M)→G祢津健事神社8:52〜54 →(3M)→H西宮公民館 8:57
                                      


 
@西宮公民館に車を置かせてもらい出発。 降雪後の早朝。坂道の村落は除雪意識が高く総出で作業されていた。 分岐道標。登山口までの経路にこれしかない。 分岐を間違えて左に進んでしまい西宮公園に。
       
西宮公園の南に山道入口があり、入ってみるも畑。北に戻る。 ここの分岐は下から来たら右(北)。左に進んでしまった。道標は無い。 A中央付近が登山道。左に駐車場 A駐車場は縦列仕様。
   
A登山道と言うか散策路な雰囲気の階段路。 A解説板 A南の高みは「下の城」で、北側が「上の城」。 桜並木と、その周囲はナラの植生。
       
降り続くなか登って行く。 B祢津城山下の城登頂。天気が良ければ大展望地。ベンチが用意されている。 B地形図からは820mだが、同定盤には815と刻まれている。 B下の城最高所。北へはロープ場が連続する。
       
Bヤキソバパンと B北側から見る山頂。桜が林立。
北側は堀切が連続し急下降のアップダウンがある。 急下降
     
北側で林道に出合う。 林道出合の道標は、北側に表が向いていた。南進用のよう。 もう一つの標識は南を向いていた。 峠地形の場所。
       
峠地形の北側に檻が見られる。 途中から上の城を望む。 耕地内は、突き当たったら左(西)に進み、次に突き当たったら右(北)へ。ここにも道標があり、北を向いていた。南進用。 上の城側への分岐には道標無し。南の畑にペットボトル風車があるのみ。ここで東進。
       
C林道が北にカーブする場所が、上の城の入山口。 C入山口道標。 入山口からの道形は不明瞭。植林地内を登るのではなく南進。 すると南側に掘れた山道がある。旧の入山口はカーブよりもっと西に在ったよう。
       
途中のサルノコシカケ。肘おきにちょうどいい高さ。 上の城も下の城同様の表示がある。 西側の山頂大地。青いリボンが進路を導いている。 D祢津城山上の城登頂
       
D紙垂が縛られた杭が立っていた。 D降り続く。 東尾根を降りたが、密ではないが植生は濃く隙間が少ない。イバラも多く、谷に逃げても同じだった。 尾根東端の植林斜面。
       
降りてきた斜面。尾根道が在るかと思ったが、無かった。 E求女沢川右岸の林道に出合う。 途中の、禰津村当時からの配水池 水神宮。鳥居のみで社なし。
       
F「宮ノ入のカヤ」を見学 G祢津健事神社 G西宮の歌舞伎舞台 H公民館に戻る。




 クリスマスの鈴の音が聴こえ、暮れも押し迫り、恒例の年賀状作成作業に入る。文面に「前年度は100座登った」と書いた。現在の今年の登頂数は98座であった。あと2座登らねばならない。ねばならないって事でもないが、有言実行が言葉なら、有筆実行とでも言うべきか・・・。まああと2回土曜日はやってくるので大丈夫だろうと思い書いたのだが、それでも100に到達できねば、すっきりした年頭にならないのは間違いなく、自分自身のフライングに、自分で首を絞める格好になった。

 

 土曜日の天気は完全なる冬型で、その寒波の強さに、総理が「外出は自粛するように」と国民に向け発していたほどだった。関東平野で遊ぶ分にはさほど意識せず良さそうだったが、ここで、「帰りに軽井沢で漬物買ってきて」とリクエストされた。同居人の頭の中では、私は信州に登りに行くことになっていた。信州に行く比率は間違いなく高く、あまり天気も気にしないのも事実なのだが、土曜日の天気予報は信州側のどこも降雪で、さすがにどうしようかと悩んでしまう。

 

 2回に分けて1座ずつとも思ったが、出来るなら一回で2座登れる場所を探す。12月に入り未踏座を追い続けてきたので、続くように未踏座が条件。降雪の中でも、あまり負荷なく登れそうな東御市の祢津城山を見つける。ここは旧禰津村の城址が在った山で、北と南に近接した山城があり、祢津城山上の城、祢津城山下の城と2座存在する場所。二兎を追ってここで100座達成にと、クリスマスイブの山に選ぶ。

 

 5:15家を出る。18号は松井田地区で雪が強くなりだし、松井田妙義で高速を降りた都会(ナンバー)のドライバーは、制限速度以下で碓氷バイパスを登って行っていた。風が強く、路面上の雪がうねり海面のようでもあった。それを見ていると酔うような感じとなり、路肩余地に停める車も見られた。終始ノロノロ運転で、軽井沢での外気温はマイナス6。浅間サンラインに入り、東御市の電光温度計はマイナス9を表示していた。

 

 東部湯ノ丸SA前から西宮地区にと右折してゆく。祢津城山を導く案内は無く、それよりこの地区が坂道の村落と判り、車で登山口まで行く予定を変更する。到着時の積雪量は100mmほどだった。どこか停められるスペースは無いかと探していると、西宮公民館が目に入り、ここに停めさせてもらう。あまり広くない駐車場で、それが為ではないだろうけど入口の幅が狭い。周囲は住宅地なのですぐにエンジンを切り準備に入る。

 

 7:04出発。公民館前から北に登って行く。既に車道に接して暮らす方々の除雪した痕があり、坂道のある場所で暮らす人々の地域性や共同意識が見えたりする。3分ほど進むと、ごみステーションの場所に初めて祢津城山を導く東御市作成の道標が見られた。従い左折してゆく。立派な道標だったので、この先も続くのかと思ったが、進む先の各分岐には一切なく。次の分岐は右に進み、720m地点の分岐は左を選び西進してゆく。尾根が南に降りているので登路は西側にあると思ったのだが、西宮公園を過ぎ山道入口があり入ってみるも、畑への道だった。さらに進むと住宅地となり引き返す。間違えた分岐から北へと登って行く。この分岐から3分ほどで登山口だった。雪で道標が見えなかったのか判らぬが、すんなり登山口まで進めなかった。

 

 登山口には駐車余地があり、当初はここに停める予定であったが、道幅の狭さと分岐の鋭角さ、そして降雪の状態に歩いて来て良かったと思えた。登山口の解説板を読んでから階段路の山道に入って行く。道沿いには桜が植えられており、それ以外は、クヌギと言うかナラの植生が大半であった。7分ほどで曲輪の表示があり城址らしい雰囲気になる。次に小口の場所があり、その上がもう山頂であった。

 

 祢津城山下の城登頂。雪で視界は30mくらい。それが為に楽しみにしていた展望はゼロ。晴れればいい展望地なのだろう、南西を向いたベンチが二つ置かれていた。同定盤も設置されており、そこから読めるこの場所の標高は815mだった。地形図からは820mである。山頂は平で広く、そこに5m間隔くらいで桜が植えられ、けっこう林立した感じであった。山名表示は無く、北側の最高所からは、そこから北側に続くルートに対し太いロープが流されていた。

 

 北進開始。南の緩やかな登路と異なり、北側は堀切が連続することからアップダウンする急峻地形が続く。太いロープが垂れており、しっかり掴みながら急峻の雪面に足を降ろして行く。進む事4分ほどで林道に出合う。道標が二つあり、一つは南を向いていたが、もう一つの新しい方は北が表になっていた。と言う事は北側から南進してきて使うコンセプトである。

 

地形図の実線路である林道を北に進んで行くと、峠のような地形を乗越す。ここの東側には害獣駆除用の檻が置かれていた。緩く下って行くと耕地が広がり作業小屋がいくつか見えるようになる。T字路を左折して行くと南北に走る直線道路にぶつかり、この分岐にも下の城北に見られた道標が立ち北を向いていた。北進してゆくが、上の城側へ向かう実線路の分岐点には道標の類は無く、在るのはペットボトルでの風車一つだった。この分岐から200mほど進むと林道が左にカーブする場所が現れ、ここに上の城への道標が立っていた。

 

道標の場所から林道を離れるが、どう進めばいいか判らず辺りを見回す。尾根側には踏み跡が無く、なぜか南進する薄い踏み跡が続いていた。伝って行くこと十数メートルで、掘れた昔道に出合う。新しい道標が立てられたが、元々のこの道の入り口は、カーブの場所よりもっと西に在ったようであった。ルートには青い荷紐がマーキングで続いていた。辺りは松くい虫にやられたようで、アカマツの伐倒木が目立つ。途中大ぶりなサルノコシカケが、登路を邪魔するかのようにせり出していた。

 

下の城同様に、曲輪や小口の表示がされ城址の雰囲気になっていた。違うのはルートの状態で、マーキングがされているほど。上の城の方は、これから整備する場所のようだった。西側で山頂大地に乗り上げ、そのまま東に進むと行き止まりとなり、そこに紙垂が縛られた真新しい杭が立っていた。こちらも山頂標識は無く、雪景色がよりそう思わせるのだが、素っ気ない山頂であった。依然雪は強く降り続いていた。

 

上の城からの下りは、東尾根を降りてみる。少しは空間があるかと思ったが、予想以上に植生が濃く、そこに棘も生えていた。逃げるように北側の谷に入ったが、状況は変わらず常に分けて進まねばならなかった。そして時々チクチクとやられる。尾根に戻り、少し尾根の南側が歩き易かったが、それでも藪尾根だった。2回続けた真田の山中が楽だったこともあるが、同じ小県郡の山中でも、植生は異なっていた。ふと迷犬を見ると、着ていた服が無くなっていた。どこかで引っかかり脱げてしまったようだった。気づいてから少し戻ったが、何処を歩いたかも不明になり諦めた。

 

尾根の東側末端は薄い幅の植樹帯で、820m地点で地形図の実線路に降り立った。この林道は使われていない雰囲気で、北側は薮化しているように見えた。雪が乗っていたせいでそう見えたのかもしれない。そして求女沢川の右岸の道に乗る。右岸の道に乗って5分ほどすると、禰津村と書かれた配水池があった。さらに5分ほどで水神宮の鳥居の場所となる。沢筋自体が自然神のようで、流れを跨ぐように鳥居が立っていた。御姫尊は端折ったが、宮ノ入のカヤは見学してゆく。解説からは雌木とのことで、秋に訪れるともしかしたらナッツにありつけるかもしれないと思えた。ただ地域の霊木とのことであり、そこから実を採る勇気が必要かもしれない。

 

集落に入って行くと、敷地内の除雪をしている姿があちこちで見られる。当然のように生活道路は奇麗に除雪されている。途中、愛犬家が居り迷犬は撫でてもらう。進む先に雰囲気のある寺社が見えてくる。祢津健事神社であった。境内に御柱が見える。御柱信仰があるのは諏訪方面のみかと思っていたが、ここでもある事を知った。そして境内には歌舞伎舞台がある。雨戸が閉ざされてはいるが、太い柱での強固な作りで存在感があった。解説板から読める西暦からは、なんと築206年であった。南進してゆくと見覚えのある風景があった。一周してきたことが判る。

 

公民館に戻ると駐車場にもう一台停まっていた。それを見て、ここでは東西に停めることが判った。北を向けて停めてしまっていた。次回があるか判らぬが、次は間違えないで停められるだろう。雪の下には白線があったのかもしれない。

 

帰りは雪による渋滞で、祢津から南軽井沢の交差点まで1時間かかってしまった。無事有筆実行。

 




  
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