三宝山
2483.5m 甲武信岳 2475m
2022.10.22(土)
くもり 単独 三宝沢経由 行動時間:7H32M
@毛木平5:03→(36M)→A三宝沢出合(慰霊碑南)5:39→(220M)→B三宝山9:19〜26→(33M)→C甲武信岳9:59〜10:05→(114M)→D慰霊碑南11:59→(36M)→E毛木平12:35
@毛木平出発 | 大山祇神社にお参りして | 慰霊碑 | 慰霊碑の先のロープを潜り右岸の林道幅を進む。 |
A三宝沢出合(明るさ補正)。しばらく沢の中に居たが、左岸の尾根が気になり這い上がる。 | 三宝沢左岸側の尾根の肩1640m地点。この先の尾根はシャクナゲが繁茂し伝い辛い。 | 尾根を進むと林道が横切った。1700m付近。林道を三宝沢側に進む。 | 林道を作道した時の石垣が見られる。 |
マーキングが見えるあたりで消滅。1730m付近。 | 1750m付近で再び三宝沢を伝う。 | 右岸側1770m付近。道形あり。 | 1790m付近(右岸)。明瞭な林道幅が残る。 |
林道幅の行き止まりにはオレンジ色の2本のリボンが下がる。ここから沢に降りる。 | 1800mの又。右俣へ。 | リボンが見られる。 | この杭と、すぐそばにアングルの杭が見られた。 |
1850m付近。倒木が多くなる。 | 1890m付近。緩やかで快適。 | 1900m付近。やや落ち口状になった場所。 | 1920mの又。右俣へ。 |
1930mから上流。斜度が増し犬の足が滑り出したので右岸側の尾根に取り付く。 | 倒木の多い斜面で急峻が続く。2050m付近。 | 2080mの肩で急峻がひと段落。 | 2170m付近。このあたりは伝い易い。 |
2180m付近からシラビソの幼木帯となり分けて進む。 | 2230mで三宝山の西尾根に乗る。 | 2370m付近。やや密生しだし抜けてゆくのに分けて進む。 | 2375m付近。尾根の北側に獣道あり(旧道のようでは無かった)。 |
2390mの古い金属マーキング。 | 2395m付近。なかなか楽をさせてもらえない。場所を選びながら進む。 | 2400m付近。少し樹間が開く。 | 2440m付近で露岩帯に入る。植生は密生。シャクナゲとシラビソ。 |
2450mに大ぶりな木の杭が埋まっていた。 | 2470m付近。まだまだ分けて進む場所が続く。 | B三宝山到着 | B見える三角点の向こう側から飛び出した。 |
B標柱 | B総菜パンも手に入らずマロンパン。 | B大きな一等点 | 途中から甲武信岳 |
甲武信小屋への分岐 | C甲武信岳登頂 | C秋映で水分補給 | C南東 |
C南西 | C北西 | 源流への下降点 | 源流地 |
秋 | ナメ滝 | D慰霊碑の場所まで戻り一周。 | 大山祇神社帰り |
E毛木平に戻る。9割ほど埋まっていた。 |
川上村の南沢を使い松ネッコに上がった。次に唐松久保沢を使って富士見に上がった。どちらも山体から西に流れる沢で伝い易かった。この経験から、同じ西に下る地形の三宝沢も使えるんじゃないかと思えた。
2021年の5月に甲武信岳を踏んだ。この時は木賊山まで含め計画していたので、十文字峠側へは進まなかった。武信白岩山南のハシゴ場が大型犬通過に厳しい事も背景にあった。翌月6月には、十文字峠経由で大山まで進んだ。南進しなかったのは前述同様の思考から。武信白岩山は大型犬連れは困難として、三宝山が残っていた。無難なのは源流遊歩道経由でのアプローチ。ここで三宝沢ルートが浮かび上がった。
好事家が登っていないかと調べると、藪山派の足跡がいくつか見られた。その中に詳細に過去を追った方の記述があり、この沢を伝う古道が在ったと読めた。唐松久保沢にも在ったそうであり、昔は山で働く人も多く杣道が在っただろうし、あとは娯楽が少なかったことからも、山をその対象としていろんなルートから登られていただろうと思う。三宝山から三宝沢を経由するルートが過去に在った。背中を押されたような感じで挑んでみることにした。
計画は、三宝沢経由で三宝山に上にあがったら、北進は出来ないので南進となるが、距離が長くなるので三宝沢の往復で当初計画していた。三宝沢の上流は等高線間隔が南沢や唐松久保沢に比べ密、明るくなって沢に入るような計画にした。
2:30家を出る。いつものように野辺山に登る手前で南牧村のセブンに寄るのだが、見事にパンが無かった。総菜パンゼロ。しょうがないのでマロンパンを求めコーヒーを啜りながら川上村に入って行く。今日は厳しい山行になりそう。そんな気がしていた。
毛木平に到着。駐車場の半分ほど埋まっていた。天気は曇りだが秋の登山シーズンでもある。いつものように東屋がある横に停めすぐに準備に入る。ヘッドライトがちらちら動いている。到着した人がトイレに行くのだった。トイレのドアが大きな音を立てる。仮眠したい人はトイレ近くに車を停めない方がいい。迷犬にも発光首輪をつけ準備完了。
5:03出発。外気温は8℃で体が温まるまでしばしの我慢。林道は黄色い落葉が敷き詰められ、「ザ・秋」な感じで心地いい。20分ほど進み大山祇神社。しっかりお参りをしてから入山してゆく。そして神社から15分で慰霊碑の立つ場所で、一般コースはこの先で高巻きになるが、そのまま右岸を進んで行く。古い道標と、そこに緑のロープが張られているので潜って進む。対岸に三宝沢出合が見えてくる。西沢には流れがあるが、水深の浅い場所を選んで右岸へ渡る。飛び石も選べるが「濡れずに」と思うとスリップが危険になるので、水没して通過。
三宝沢に入渓。150mほど進んでから、西の左岸側の尾根に這い上がる。実は考えていたことがあった。三宝山から西に派生する尾根が、2220高点を経て北に降りてきている。沢ルートと言いながら尾根ルートなんじゃないかと疑ったのだった。尾根の1640m地点に乗り上げ、そこから尾根を伝うのだが、強固なシャクナゲが蔓延り尾根を選んだことを悔いた。そして道形など無かった。三宝沢との標高差は25mほど出来てしまいすぐに降りられない。尾根の方が楽と思ったが、逆に進度が落ちてしまった。それでも少し我慢して尾根筋を追ってみた。すると・・・。
1700m付近で尾根を林道が横切った。西沢左岸にあった道と繋がっているのか、気になったので東の三宝沢側へと道形を追ってみた。途中には土留めの石垣も見え、それなりに経費をかけた林道と判る。ただし完全に廃林道で自然に戻ってしまっていた。植生を分けながら伝って進むも、すぐに有耶無耶になり、そこにはピンクのリボンが縛られ何かを示していた。小谷を越えてその先に進み、もう一度小谷を跨ぎ、1750mで再び三宝沢内に入った。
やや大きな岩が多く避けながら登って行く。そうすると何度となく渡渉を繰り返さねばならなかった。やや負荷を感じる沢で、先ほどは左岸側に居たので、次は右岸側を探ってみることにした。乗り上げると、1770m付近に山手側に道形が見られた。ここも唐松久保沢同様に林道が右岸に走っていたようだった。そして一番道形が顕著に見えだすのが1790m付近で、往時の道の様子が変わらぬ状態で残っていた。進んで行くとオレンジ色のリボンが二本下がる場所が現れ、その先は流れで削られ、1.5mほどの段差になっていた。降りた先が二股で、ここが1800m。
左俣側は倒木が見え、明るいのは右俣で、先人はみな右俣で進んでいる。左俣の方が三宝山にわずかに近い気がするが・・・。右俣に入ると、ピンクのマーキングが2か所で見られ、沢の中央に黄色い杭も打たれていた。その西側3mほどの場所にアングル形状の杭も転がっていた。これまで見なかったが、ここに来て沢の中に人工物が増えた感じだった。杭を見たのはここだけだった。
1840m付近から倒木が多くなり、これまでは沢幅全てを使って動けたが、制約が出てきた。古の登山家はこんな場所を伝ったはずはなく、大雨でだいぶ地形が削られてしまっているようだった。足を濡らしながら遡行してゆくと、1880m付近でナメ状の沢に変る。その先が落ち口となっており、なん百年も経つとここも滝になるのだろうと思えた。濡れた滑りやすい岩を掴みながら這い上がって行く。迷犬は岩苔で肉球が滑るようで何度もスリップしていた。
1920mでまた二俣となる。先ほど同様に左股に倒木が折り重なり、明るく進みやすいのは右俣だった。ゴロゴロと転がるような岩が無くなり、スラブ状の沢床となる。そして勾配が増す。地形図からはこの先はもっと斜度が増す。少し登りだしたが、迷犬は岩(水)苔のぬめりに苦慮していた。このまま伝うべきか・・・と悩みつつ東を見ると、小尾根に向かっている踏み跡が見られた。獣道であることはその細さから判り、獣が伝うならと、ここから三宝沢を離れ右岸側の小尾根に取り付いた。しかし・・・。
下りに使うならいいが、登りに使うにはここも斜度が強く、倒木も多いので潜ったり跨いだりを繰り返す。”上に進んでいればいずれ着くだろう”なんて思っているのだが、ここからが至極長く感じた。2080mの休憩できる肩まで150mほどの標高差に30分ほど使ってしまっていた。幸い暑くないので助かったが、真夏での行動だったら、途中で撤退を考えたかもしれない。迷犬も疲れたようで、途中にある苔の絨毯で足を投げ出して寝てしまっていた。これは疲れた時の仕草であった。それでも一番厳しい斜度を抜けたのを判っているので、あとは今よりはマシと進んで行く。
緩斜面になるに連れ尾根が広がり、変わらないのは倒木の数くらい。それらを避けるように左右に振りながら登って行く。ここまでは分けるところは無かったが、2180m付近からシラビソの幼木が多くなり、それらを分けて進んで行く。最初はやや密生しているが、次第に植生は静まり、2230m付近で小径木の少ない樹林間隔の広い明るい場所になる。そのまま南進を続け、三宝山からの西尾根に突き上げるよう進んで行く。
2370m地点で西尾根に乗る。乗ったと言ってもこちらも広い尾根なので、頂部に乗ったわけではなかった。南進してきた方向をここから東進に変える。出発してから既に3時間半経過していた。これだと源流ルートでアプローチしてもあまり時間差は無かったかとも思えた。ここからは腕ほどの太さの細木の間を分けて進む。ずっとそんな場所が続くので飽き飽きしてしまうのだが、しばらく尾根の北側に居たが、途中で南に振ると道形が見られた。これは古道と言うよりは獣道のようで糞が多く見られた。
我慢の時間であり、もう少しと突き進んで行く。分けるのに素手で動いていたので、その繰り返しで掌がもう痛くなっていた。不用意にザックも何度も引っ張られ、その急激なショックでむち打ち気味。人の肩幅も無い立木の樹間が続いていた。そこをスイスイと抜けて行く迷犬が羨ましかった。
と突如人工的な輝きが目に入った。地面から2.2mくらいの場所にステンレス板が巻かれていた。間違いなくルートがあった時のものだろう。高い位置にあるので冬季をもここが使われていたのかもしれない。植生は相変わらずの樹林間隔でラッシュの電車に割り込むような動作が続く。辟易とし飽き飽きとし、ややお腹いっぱいな感じで休ませてもらえない。まだこのくらいでいいと思うようにしていたが、その時間が長いとボディーブローになる。その状況が少し変わるのが露岩が現れてから。さらに密生しだし手の傷が増えて行く。露岩を縫い、這い上がり進んで行く。
さらにまた人工物が現れ、90mm角ほどの木柱が2450m付近に埋設されていた。しかし近辺には道形は見られなかった。だんだんと進む先が明るくなり山頂が近いことが判る。最後はやや南側を巻き込むように進んで行った。山頂が近ければ道形が出てくると予想したが、キジ場を含めそれらは見られなかった。
三宝山到着。2001年以来なので21年ぶりの登頂で、懐かしい山頂風景であった。植生に覆われ展望のないピーク。その代わりと言うか、鎮座する一等点の威厳のある事。時計はもう9時を回っていた。毛木平から4時間15分を要してしまった。以前は沢沿いがもっと歩きやすかったろう事は判る。沢を離れてからはどうだったろうか。道形の有無で進度が大きく違ってくるが、あまり拾う事が出来なかった今回は、それ相応に時間がかかってしまった。ヤキソバパンが入手できないとこんなもんである。
この時、「三宝沢を下る」と言うような思考は無くなっていた。もう同じ場所を歩きたくないし、漕ぐのは疲れた。となると十文字峠側に抜けられない条件から、甲武信岳経由で戻る一択となった。ロングコースになるが選べないのだからしょうがない。幸い、迷犬は飼い主ほどに疲れておらず元気に歩いてくれていた。南に下降しだすと、途中でこの日初めてのすれ違いがあり、ソロの男性が北進して行った。その数分後にソロの女性がすれ違った。迷犬が甲武信小屋の公認犬であることから、小屋に寄ろうかと思ったが、少しでも省力しようと甲武信岳に突き上げて行く。山頂からは鈴の音が降りてきていた。賑やかなよう。
甲武信岳登頂。これまで甲信国境が風を遮っていたようで、上に立つとやや強い風が吹いていた。みな雨具を着込み防寒として休憩していた。100名山であり登頂者で賑やかだった。犬の登場で、場が和むか緊迫するかだが、複数名の愛犬家が居て和む側に向かって行った。ここまで登ればもう、あとは下るだけ。周囲展望は秋らしくなくどんよりしていた。それでも富士の姿は見えていた。秋映を迷犬と分かち合ったら下降してゆく。
夏山ではないのでそれほどでもないが、それでもすれ違い者が次々と現れる。前回は雪解け時期だったので足場が良くなかったが、この時季だととても快適に足を降ろして行ける。下降点から源流地まで一気に下り迷犬は水を補給。リンゴを食べた後はなぜか喉が渇くよう。以降はワンピッチで休まず進んで行く。撫でてもらったり写真を撮られたり、愛でてもらう事何度も。秋の景色を楽しみながら西沢沿いを降りて行く。
慰霊碑の場所に戻る。通常の登山コースからは三宝沢出合を見ることはできない。道標があるが、大昔は三宝沢を指し示すものも在ったのかもしれない。最後にすれ違ったパーティーは12時を回っていた頃。小屋泊まりなんだろうけど、早出が基本の私には遅出は出来ない芸当で、そのゆったりとした余裕な行動に感心してしまう。
大山祇神社に戻ったら、無事の下山をお参りしてゆく。この信心を忘れたら怪我に遭うと思っている。残り僅か、さすがに迷犬は疲れたようで、この頃には後ろを着いてくるようになっていた。快速のトレランが犬に手を振りながら追い越して行く。短パンに見える足は、カモシカと言うよりはばん馬のような太い足をしていた。
毛木平に戻る。駐車場は9割ほど埋まっていた。着替えてすぐに車を走らせる。驚いたことに、白木屋さんの前の梓山バス停に、先ほど追い越して行ったトレランがベンチに座りバスを待っていた。携帯食を食べていたのだが、表情はにこやかだった。何と言う脚力。毛木平からの5キロの間でも車で追い越せていない。ずっと走っていたのだろう。
振り返る。南沢や唐松久保沢に比べると、ややハードルが高い沢であった。距離の関係が大きいかもしれないが、使ったからとて「楽」にはならない感じ。相応の負荷があるので沢登りとして楽しめる場所かもしれない。三宝山への後半は、沢を離れてから長い藪漕ぎが待っているので、気合と気概も必要と思う。
登行後、机上にてよく調べると、林道のような筋は軌道跡も含まれていたよう。このエリアにも木曽の赤沢のような鉄道網が在ったよう。
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