弥陀ヶ城岩        1750m地点まで                                                                                                                                                                                                      
  2023.2.25(土)


  晴れ    単独    早稲田大学追分セミナーハウス西より     行動時間:3H58M


@早大セミナーハウス西ゲート6:07→(3M)→A1040m分岐(石尊山登山道に乗る)6:11→(64M)→B血の滝北1380m取付き7:15→(65M)→C弥陀ヶ城岩1750m地点8:20〜28→(42M)→D弥陀ヶ城岩入山口9:10→(54M)→D早大セミナーハウス西ゲート前余地10:04  
                                                                                                                                           


 
@1000m道路の駐車余地が全閉されたため、早稲田大学追分セミナーハウス西端のゲートからスタート。 @最初と最後で伝う林道。歩行は問題ないよう。 ゲート前に「第二接合井」なる物がある。配水施設にして「危険」と出ていた。 A1040mの林道分岐。石尊山登山道に乗る。
       
1100m付近。直線路が続き見通しがいい。 1130高点の林道を跨ぐ。 1220再び林道を跨ぐ。 血の滝
   
B血の滝北東の1380m付近から斜面に取り付く。 1435m付近。山のヒダがあり起伏はあるが、概ね緩斜面が続く。シカ道も多い。 1500m付近から雪に乗る。しっかり締まり踏み抜きはほとんどなかった。 1650m付近から主谷に降りてゆく。
     
1630m付近。主谷の中は、ザレ地形。 1630m付近から東前掛山側 1670m付近。登っていてもなかなか景色が変わらないので精神的に疲れる登り。 1675m付近。
       
1710m付近。雪面上には落石がいくつも確認された。東側から落ちてくるよう。登行は注意が必要。 1735m付近から 1735m付近から東の壁。 C1750m付近のテーブル状の岩。東前掛は雪煙が上がっている。吹き下ろしの風が強く、ここがこの日の終了点。
       
C岩の上が平らでテーブルになる。あと150mほど進むと岩を巻き上げられる場所となるが・・・。 C1750m地点から東北東。 C下界(御代田)側 C南西
       
C北西 Cヤキソバパンと C弥陀ヶ城岩の北端の西壁 C登れそうに見えてしまう。浅間の規制が無ければクライマーが取付くような場所だろう。ちと麓から遠すぎか・・・。
       
C1750mから南東 主谷の中より、右岸側に上がった方が綺麗に見える。 1775m付近から 主谷の中、1490m付近にケルンが見られた。 
       
1445m付近。経路で唯一見た弥陀ヶ城岩への旧道道形。 林道に降り立つ。 D林道を東に進むと、この道標が現れる。 D弥陀ヶ城岩への入山口
       
ふじを食べながら 1130高点帰り。 昔はここで馬が飼われていた牧草地跡。 1070m地点の灰皿の置かれたあたりから登山道を逸れ破線路を探す。
       
1065m付近で道形に乗る。破線路の分岐点は、地形図に描かれている場所より北側に存在するよう。 東信森林管理の林道に乗る。 破線路の入口には「火の用心」の看板あり。こちらから破線路を伝う場合、これが無けれ場道形が判らないような場所。 Eゲートに戻る
       
E駐車余地は、路肩に詰めて3台分。       


 浅間山系において、岩と名の付く場所はほぼ訪れ、最後に残すは「弥陀ヶ城岩」のみになっていた。岩峰ではなく岩壁につけられた名前のようで、登頂とかにはならないので目的地にしていなかったこれまで。それでも、18号を走っても上信越道を走っても見事に見え、一度訪れてみたい場所であった。出向く場合、無積雪期と積雪期を考えたが、緩やかな勾配の経路であり、少し負荷をかけるために積雪期で計画しようと思っていた。厳冬期からやや春めき、温暖化の中ではもう残雪期としていいだろう。予定していた適期に入った。


 弥陀ヶ城岩へは、以前はルートが拓かれていた。先人の記録からは、血の滝東の林道に、導く道標が残っているのが見える。噴火との兼ね合いかと思うが、天狗の露地へのルート同様に廃道になっているよう。どれだけ道形が拾えるか判らないが、古のそれらが見られるのは楽しみだったりする。なお、計画当日は浅間山の噴火警戒レベルは1であり、火口から500m圏内が立入禁止であり、行動には問題なしであった。レベル2だったら引っかかったが・・・。


 4:40に家を出て、軽井沢の追分を目指す。追分の町営駐車場を左に見て進み、1000m道路の入山口に到着する。しかし以前停められた余地は全閉され、「ここに駐車しないでください」と表示されていた。前回、石尊山に登ったのは2013年の11月。9年と3カ月が経過すると、登山口の様相も変わってしまっていた。地権者との折り合いが悪いのだろう。もしくはなにかここで問題が起こったかだが・・・。


 さて困った。石尊山には、全てここからスタートしている。しょうがないので西側に車を走らせたが、適当な場所は無く、反対側の東側は別荘地と早稲田の敷地になっていた。何かヒントは無いかと最近の石尊山の記事を覗くと、頻繁に訪れている方が、特異な出発地点から往復しているのが読めた。”多分駐車余地があるのだろう”と早大セミナーハウスの敷地沿いを北に進んで行ってみる。進んだ先はゲートになっており、その手前に3台分ほどの路肩余地が存在した。ここかと判った。近接して別荘地があり、マイカーが置かれ住まいしている様子があった。夜明けを待つにもすぐにエンジンを切った。

 
 6:07出発。ゲートには、その向こう側の林道に対しての注意書きがある。立ち入りは危険とまで書いてあり、禁止ではなかったので通過は問題ないよう。ゲートの向かい側には、第二接合井なるモノがあった。ダート林道を西側へと進んで行く。道の左側には電灯の燈るお宅があり、迷犬が首から発する鈴の音が安眠を邪魔しないかと気になった。ゲートから4分ほどで、林道をクロスする山道が現れ、これが石尊山への登山道であった。特に道標が無いので、気にしていないと見過ごしてしまいそうだった。

 
 直線的な登路が続き見通しがいい。1130高点がある林道を跨ぎ、その先で垂れ込めたガスに中を通過した。なにか獣の気配を感じるのか、迷犬は何度も立ち止まっていた。単調な登りで負荷が少ないので、やや速足で歩いていた。1220mで再び林道を跨ぎ、しばらくすると濁川の沢音がしだし迷犬がソワソワしだす。鉄分の多い匂いからか、ただ単に音からなのか・・・。林道に乗り、再び山道に入り、久しぶりに血の滝を観瀑。外気温はマイナス2、一部凍ってはいたが氷瀑のような冬季な雰囲気ではなかった。さてそろそろ石尊山への登路から離れる頃合い。どこに弥陀ヶ城岩への道標が在るのか不明なので、北進してゆき1380m付近から斜面に取り付いた。緩斜面の中に細かいひだの尾根があり、溶岩が流れただろう跡が感じられる場所であった。人間が作道したような道形は無いが、シカが多いようで、シカ道が彼方此方に見られた。そしてかなりの頭数が居るのが糞の多さから判る。

 
 どこを歩いても進めるような場所で、伝うのがとても楽だった。1500m付近から雪が現れ、こちらもお膳立てよろしくしっかり締まっており快適であった。まだ目指す岩は見えてこず、東には段丘のようになった1608高点のある地形が見えていた。主谷に対し右岸側の尾根に居たので、1650m付近から谷に向かって北東側に降りて行く。そしてその途中からハッキリと弥陀ヶ城岩が見えてくる。ピンポイントで名前が付いている場所ではなく、1.3kmほど続く岩壁の総称のようであり、目標点をどうしようかと考えつつ歩いていた。電子地形図で名前のフラれた場所は、1790mの岩壁の上。その西側に地形図では「弥陀ヶ城岩」とフラれている。その「弥」の書かれた標高まで上がれば暫定的に到着でいいだろうと自分ルールを決めた。


 主谷には1630m地点で入った。残雪がある場所には、頭大の石がいくつも見られ、それからは雪面を滑った跡から落石があることが判った。北からではなく東からなのだろう。ザレた地形で、足の裏が痛いのか迷犬は避けるように残雪を選んでいた。見通しがいい場所で、なかなか景色が変わらずもどかしい登りであった。東前掛山からの吹きおろしの風が強く、登るのに対しかなり抵抗になっていた。見上げると雪煙が上がっているので、上はかなり強いのだろう事が見える。指先がジンジンしだし、このまま高度を稼いでゆくのはリスクが出てきていた。冬期登山と言うよりは犬連れのお気楽ハイクであり、防寒装備が間に合っていなかった。風による体感温度がかなり低く、迷犬の耳や肉球のしもやけや凍傷を気にせねばならなくなっていた。向かう先に大きなテーブル状の岩が見えていた。風除けにもなる大きさ。あそこを今日の終了点にしよう。


 弥陀ヶ城岩西1750m地点まで上がり弥陀ヶ城岩到着とした。迷犬は寒いのか、岩の南側でじっと動かない。いつもなら山のてっぺんまで行くのに、”今日はこんな場所で終わり?”と思っていたのかもしれない。ヤキソバパンを出し記念撮影。日本に居ながら、日本ではないような景色で、東側の岩壁もいいのだが西側の景色もいい。地形図には西にもゲジゲジマークがされている場所であった。もう少し登り、150mほど稼げば2011高点へと巻き上げられる場所となる。しかしそこからはアイゼンの世界だろう。犬連れには無理だろうと判断する。各方面を撮影し、白湯を飲んで温まったら下山に入る。


 帰路は谷の西側を伝ってみる。主谷の中からの景色と違い、こちらの方が弥陀ヶ城岩を眺めるのに適していた。谷の中ではなく、谷向かいの西の尾根を登ってきた方が眺望を楽しめたようだった。だから石尊山から眺めるここも迫力があるのだろう。それはそれとして、帰路は昔の道形を探してみようと主谷の中を伝ってみる。雨が降ると水路になるのか、段差が出来たり流れで削られたような場所も見え、これでは道形は消失していると判断できた。途中西の尾根に上がったりし南進してゆく。


 往路にもケルンらしきものを一つ見たが、ケルン崩れで自然に出来たものを見間違えていると判断した。それが、1490m付近には、人為的な石積みが見られ、間違いなく作られたケルンが残っていた。往路のものもケルンだったのだろう。その周囲に道形は無く、道形が在っただろう場所だけは判った。広く緩やかなので、この先も適当に降りて行く。どう降りようが横切るように林道が走っているので安心感はあった。それでも自然と谷地形が南西に、血の滝側へと向かってゆく。主谷なのか派生する谷かのか判らぬが、その左岸側を伝って行くと、ハッキリとした道形が見られた。1445m付近であった。間違いなく登路が在ったことが判った。ただし長く続かず見られたのは20mほどで、その先は有耶無耶になっていた。


 林道に降り立つも、何処に居るのか判らず適当に下る側へと東に進んで行く。すると、見たかった「弥陀ヶ城岩へ」と書かれた道標が現れ、そこから道形が登って行っていた。往路に見えてこなかったので、半ば諦めていたが見られてよかった。林道から南を見ると、ピンクのリボンが続いていた。寄って行くと登山道の場所を示していた。雪面には我々の足跡しかなく、他の方の入山は無いようであった。ベンチのある場所で持上げてきたリンゴを出し、齧りながら戻って行く。


 1130高点を過ぎ、それより南で東に分岐する破線路が気になっていた。帰路は伝ってみようと思う。進んで行くと、現在の道に対し東にも並走する道形が見えてくる。ちょうど十字路になった場所にはマーキングもされている。新旧の道なのかとも思えた。さらに南進すると岩村田営林署の赤い灰皿がある。分岐しているのはその少し北付近だが、それらしい道形は見えない。適当に南北に振りながら東に進んだが、やはり見えてこなかった。自然林の場所に倒木などもあり進み辛い場所が多い。と、1070m付近に地形図に描かれている道がカーブしている辺りに差し掛かると、南北に続く道形が現れた。と言う事は、もっと北側から分岐していたこととなり、先に見ているオフセットしていた道が気になった。もしかしたらあの場所からここに来ているのかもしれない。道形を南に伝って行く。倒木が覆っていたりし、ほぼ管理されていない道と判る。途中にはケーブル埋設の白い杭も見られた。


 林道に出た場所には、「火の用心」の看板が立てられていた。看板があるので今伝って来た道形入口が判るが、無かったらかなり判り辛い。林道と早稲田の敷地の境には、頭を赤く塗られた大きな標石が点々と埋められていた。向かう先のゲート辺りに人影が二つ見えた。別荘地の住人だろうか、散策者が居るようだった。明るく静かでいい場所に思う。ゲートに戻り本日の行動を終える。


 今回はガスに巻かれず有視界での行動だった。広くなだらかなので、ガスが出ている時と出ていない時とでは、かなり条件が違うだろうと思う。と言うか、そもそも弥陀ヶ城岩を眺めに行く場合は、ガスが出ていたら面白さが減退するだろう。青空にクッキリそそり立つ岩壁を眺めたい場所である。訪れて良かった。なにかパワースポット的な場所に思えた。


  

  

   
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