城山        662.4m                                                                                                                                                                                                         
  2022.8.21(日)


  くもり(ガス)    単独    槙沢コース      行動時間:2H24M


@藤田峠キャンプ場まで残り1.9Km地点8:49→(28M)→A城山9:17〜22→(4M)→B峰峠9:26〜29→(19M)→C戻る9:48  
                                                                                                                                           


 
@林道浅香入線途中、キャンプ場まで残り1.9km地点の余地から @峰峠へと向かう道へと入って行く。 560m付近 620mからの北に向かう道に入った。
       
尾根上の畑 北西尾根は下草が無く快適。 コンクリートの境界標柱が見られる。 大きな堀切がある。
   
直下から A城山のコンクリート標柱は「五」。 A標識やリボンはなし。 A綺麗な状態の二等点。
     
A北側。榛名や赤城が見える。 A山頂城址の、東側の平たん地。 A5基の石祠がある。 南側に刈り払われた道形あり。
       
B道形を伝うと峰峠に出た。 B峰峠には、しめ縄にこれらが結ばれていた。 B峰峠の石碑 途中から西。
       
上信国境は降雪で白い。 浅香入線に戻ると、分岐の水場で水汲みをしている人が居た。 水汲み場に詳しい方で、ここの水が美味しいと言う。 C余地に戻る。 




 1996年版の西上州のエアリアマップ内、稲含山北東位置に城山と記載された場所が見られる。地形図にも山名事典にも掲載が無い場所で、気にはなっていたが足を運んではいなかった。すぐ西には峰峠と言う、高みなのか峠なのか判らないような場所もある。まあこれは南の峯地区の名前からだろうことは判る。登ろうと思ってはじめて調べるのだが、東の国峰城(地形図記載の城山)より前から在った山城らしい。地形図からは三角点も見られ、だんだん面白そうな場所に思えてきた。

 

 経路は、冬であることからして、陽当たりのいい南の峯地区経由が妥当であった。がしかし、正月の静かな村落を経路に使ってゆくのは気が引けるのと、専用駐車場まで上がってしまうと、歩く距離が短くなり迷犬の運動にならない事も考慮した。よって北麓の大塩湖から南に入る、林道浅香入線を伝う事にした。

 

 大塩湖北から涸沢川に沿って進んで行く。分岐点にはキャンプ場への道標があり、従い進めばいい。日影が多い場所で残雪を気にしたが、全く白いものは無く、雨も降ってないせいか路面が凍った場所も無かった。地形図を見ながら進み、標高480m地点にある分岐点を起点とした。ここは15mほど南に広い余地があり、キャンプ場まで1.9kmと書かれた看板があった。

 

 8:49出発。舗装林道を上がって行くと、以前は耕地だったろう場所が彼方此方で雑草に覆われていた。そもそもが山の北側で日当たりが悪く、使われなくなったのに関係しているように思えた。破線路が分岐しているが、車では入れない荒れた道になってしまっていた。地形図に読めるように上側にも耕地が続く。野生動物がいる場所でありながら柵も見られない。だいぶ以前に使われなくなっただろう事が判る。

 

 560mのカーブの場所からは、尾根側に踏み跡があるようにも見えたが、まだ早いとここはパス。このカーブの場所に、元日の競輪の車券が沢山落ちていた。歩きながら金額を確認すると、1.6万を紙くずにしていた。それをここで捨てなくてもいいと思うが、こんな場所を訪れる人がギャンブラーと思うと違和感を抱いた。家で捨てられないからここで捨てたのだろう。家での位置取りも見えてきたりする。

 

 620m地点からは地形図通りに鋭角に道が分かれており、これは尾根に取り付くのに都合がよく入って行く。鳥獣保護区の赤い看板の先にはここにも耕地があった。尾根側は段差のある地形で、枝道に入ってすぐに尾根に上がるのが適当だった。尾根上は下草が無く快適。やや分けるような場所もあるが、さして負荷ではなかった。地面にはプラスチックの境界標柱が見られ、二つ目に見えてきたのはコンクリート製の大ぶりなものだった。この先で向かう先の尾根に空間が出来ていた。

 

 覗き込むと、それは大きな堀切であった。前年度末は東御市の城山で堀切を体験しているが、その後だからかもしれないが大きく思えた。ここまでして守る城が上に在ったことになる。この先すぐに曲輪的場所があり、そこから這い上がると三角点が待っていた。尾根上には獣道や杣道の類は無かった。

 

 城山登頂。大きさからして三等点だと思って見ていたが、苔むした等級の所を手で触れると二等点と判った。正月早々に二等点が拝めるとは幸先がいい。標識類は無く、人工物は三角点のみであった。笹の幼木が茂る山頂で、若干動き辛い空間の場所であった。ここに城があったのかと周囲を眺めながら東に分け進んでみる。すると尾根の南側に道形があった。きちんと刈払いされている管理されている道であった。そこから見る東側は広く、西側の高みとは雰囲気が異なっていた。そこに5基の石祠が並び、中には真新しい紙垂が結ばれていた。中央のものには「文政十一」と読め、この場所に建って195年が経過しているものもあった。東側のはもっと古いようであった。明るく日差しもよく入る場所で、展望も悪くない。北側は立木で遮られるが、季節がら木々の間から上毛三山などを望むことが出来た。そしてこの場所のすぐ東側にも、西側同様の堀切が作られていた。広い平な山頂部から、立派な構造物があったことを想像できた。素っ気ない城山もある中で、ここは当時の雰囲気を感じられる城山であった。

 

 あとは道形が何処から来ているかの確認だが、西に伝って進むと峰峠に降り立った。入り口には道標は無かった。峠の西側には胸丈ほどの石碑が建ち、こちらには「文化十三」とあり、207年物の石碑であった。学が無いので何が書いてあるのかが判らない。「空」とか「佛」とかに読めたが・・・。峠の尾根同士を結ぶように注連縄が渡され、そこに「塞神三柱守護」と書かれた木札が下がっていた。峰峠に在ると言う事は、ここが北の入り口となる峯地区が設置したものだろう。併せて竹鳴子も下がっていた。これら田舎の風習が新鮮に思える。

 

 経路に一つも見なかったが、峠の北だけにカーブミラーが設置してあった。そしてカーブミラーの場所に真新しい野菜くずが捨てられていた。自分の土地側に捨てる人はいないだろう。これもまた峯地区の方の仕業に見えた。林道を降りて行く。峠からの城山への道を知ったが、もし往路に使っていたら、西の堀切は見なかっただろう。道が在ることを知っていれば使っていたとは思うが、知らなくて結果オーライだった。鹿の糞をほとんど見なかった。獣が少ないのか、臭いがしないので迷犬は手持無沙汰ならぬ鼻持無沙汰にしていた。

 

 浅香入線出合まで戻るとそこに、1台の軽トラが置かれていた。人の姿が無く林業関係車かと思って見ていたら、山手側の水路からひょこっと男性が這い上がってきた。積んである容器から何をしているのかは察しがついた。確かにこの場所は水を汲む場所の形態になっていた。男性は、荷台のポリ容器にすべて詰めるとひと月持つと言う。それほど腐らない水って事になる。近隣各地の水くみ場を巡ったが、ここが一番おいしいと感じ月に一度汲みに来ているそうだ。飲んでみたかったが、男性の容器が邪魔をしていた。またいつか訪れよう。駐車余地に戻る。



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