杓子山 1597.6m 鹿留山 1632.1m 高座山 1304.4
2011.10.23(日)
曇り 同行者あり(後半の大権首峠以降は単独) 不動ノ湯側より 行動時間:4H4M
@林道分岐箇所(余地)10:08
→(19M)→Aゲート10:27→(30M)→B大権首峠10:57→(30M)→C杓子山11:27→(26M)→D子ノ神11:53→(6M)→E鹿留山11:59〜12:08→(30M)→F杓子山再び12:38〜43→(25M)→G大権首峠帰り13:08→(26M)→H高座山13:34〜35→(13M)→I送電線鉄塔下13:48→(9M)→J林道(登山道)に乗る13:57→(3M)→Kゲート帰り14:00→(14M)→L駐車余地14:14
@ログハウスへの分岐点からスタート。 | 林道は大水により深く抉れており、車の通行は不動ノ湯付近までが無難。 | Aゲート。これまではここまで車を上げられたようだが、今現在は不可能。歩いても20分ほど。 | 最初の倒木。 |
大きな押出し。荒れた林道は、しばらく整備は無いのだろう。 | B大権首峠 | Bフライト場からの展望。林道が荒れて大荷物が上げられない。ここから飛ぶ人も居ないのだろう。 | 急登を登る。 |
C杓子山山頂 | C杓子山から富士山。 | C三等点 | 子ノ神 |
子ノ神の平坦な山頂部。 | 二十曲峠への下降点分岐。 | D鹿留山。標識はこれのみ。 | D三等点 |
D中央に座する大木。 | D鹿留山deヤキソバパン | D鹿留山から戻る。東側斜面には、沢山のキノコが出ていた。 | E杓子山に戻る。有名座らしく賑やか。 |
F大権首峠から高座山を目指す。 | 途中の鉄塔の場所越しに高座山。 | G高座山 | G四等点 |
G山頂標識 | H鉄塔から巡視路を北に下る。 | 巡視路の上の方は道形が判るが、下の方は全く不明。この場所に降りてきた。 | 道形は見えないが、この樋が終始見えているので、気にしていれば迷わない。 |
堰堤のある小さな谷を跨ぐと、その作業用に使ったと思われる林道があり、伝って進む。 | Jこの場所に出た。 | Jゲートの東側、この標識がある場所で林道に乗る。 | Kゲート帰り。 |
L駐車余地に到着。 |
連週であるが、再び忍野村に出向く。と言ってもルートは忍野村からでなく、最短コースの富士吉田側からの林道を伝う事にした。チョンボコースと言ってしまうと、他にこのコースを伝う人に失礼になってしまうが、1時間ほどで杓子山に着いてしまうのだから、私の中ではそんな位置付けだった。圏央道から中央道に入り、都留インターで降りて下道を13キロほど走って現地林道に入って行く。不動ノ湯を過ぎ、いやらしいコンクリート舗装の細い道を行くと、次第に道が荒れてきていた。それもログハウスへの分岐の先が酷く、流石にこれ以上の前進は危険と諦めた。ゲートまでは普通に車で入れると思って来ていたので、少し残念な心境だった。
車を進路の邪魔にならぬよう脇に寄せて準備をしていると、その前をセダンが通過して行き、果敢にも荒れた林道に入って行った。凄い根性。ただし林道のある植林地の中からは凄まじい音がしていた。車体下部が地面と擦れる音。時にバリッ、時にゴリッ。まだ新しい車なのに・・・。九十九折を見上げていると、同乗者は降りて、ハンドルコントロールをナビしているようであった。タイヤが空転する音がしたり、見るからに大変そうであった。こちらも準備が整い、その後を追う。5分ほどで追いつくのだが、そこに居た女の子から、「あれ、さっきの人追いついたよ」と同行のお母さんに話していた。その不思議そうな顔がとても印象的だった。先の方で完全に道が割れてしまい進行不能になっていた。ユーターンも厳しい場所。ログハウスへの分岐から先には進まない方がいいだろう。
スタートから20分のアルバイトでゲートに到着。荒れた林道を直すことなどすぐにはしないだろうから、当分ここに車が停まる事などないのであろう。この先も蔦の絡まった倒木箇所、さらに先に幅5mほどの押出し箇所もあった。大権首峠に到着し、そこにあるフライト場も当然の閑古鳥状態。この林道状況では車は到底入ってこられない。察するに忍野村の上空を舞うパラグライダーは見られ無くなったということなのかも。そのフライト場には、ビニール袋にアケビの実を沢山持ったパーティーが居た。秋を楽しんでいる風で楽しそう。周囲の藪の中には、キノコを採っている人も見え、誇らしそうに大きい物を見せてくれていた。
急登を登って行く。いつもなのか前日の雨が影響しているのか、よく滑る。ゆっくりを決め込み、コツコツと登って行く。前の方では数歩歩いては休憩しているハイカーの姿もあった。それでもちゃんと登っている。速さでなく、登山は個々の満足。途中にインターバルのような水平道の後、再び急登。タイガーロープも流してあり、ソールパターンのグリップ力に任せて登る感じであった。前方からは賑やかな声が降りて来ていた。
杓子山到着。聞こえた声の様子から、山頂には複数人居るのかと思ったら、無線家が一人居り交信を楽しんでいる声であった。先に到着し、7分待った同行者も休憩十分のようであった。無線を聞いていると、過去何度も交信している方であった。集中・没頭しているようで声をかけなかったが、やはり連呼される専門用語に煩いと思ってしまう自分が居る。逃げるように鹿留山を目指す。富士を見ながらのアップダウンなのだが、その富士はガスに覆われたり姿を見せたりを頻繁に繰り返していた。途中の岩峰の場所が展望場で、その上に立つと360度の展望。天狗のような気分になれるのだった。進行方向の視界が樹木に阻まれ、数度糠喜びをしたピークを経て、子ノ神のピークに立つ。ここは平坦な山頂部で、何となく居心地が良い。僅かに東に下ると、二十曲峠への下降点分岐がある。ここに来て初めて、鹿留山の文字を目にする。少し細くなった道形に伝って細尾根の上を伝って行く。周囲は完全に秋の景色。背中側からチェーンソーの動作音が聞こえる。ここも里山の部類でいいだろう。
鹿留山到着。先着していた若きパーティーが、木登りをして楽しんでいた。その木は中央にデンと生え、この山頂の主のような存在に思えた。東の斜面を調査に下ると、沢山のキノコが出ていた。見ると、先ほどフライト場のところで見せていただいたキノコ。これは食べられるのでは・・・と数個摘んで持ち帰る。食べると言うより、自分で採った物が何かのか調べたかったのだった。なめこのような物も沢山あり、ビニール袋が少し重くなるほどに膨らんだ。この山頂は展望が無い。静かな山頂が人気無い度合いを表していた。さて戻る。
先に戻って行った若者の後を追う。今度は左に富士を置く。北側から見ているので陰になった斜面を見ていることになる。至極黒い富士なのであった。途中の岩峰に性懲りも無く再び立つ。2回立っても良いものは良い。すばらしい景色。忍野村の里らしい眼下の景色が、とてもホンワカした気持ちにさせてくれる。中間峰を経て賑わう杓子山に戻る。往路で行き合った方々が陽射しを受けながら賑やかに語らっていた。銀色の大人向け麦ジュースの缶も見え、より楽しそうに見えていた。無線家は相変わらずお経を唱えているようにマイクに向かって話していた。一種そこだけ電話ボックスに中のように孤立しているように見えていた。とても奇異な風景なのだった。僅かに休憩して、滑りやすい登山道を下降開始。
あからさまに滑りやすいので、全神経は足許に集中する。前日の雨の中だったら、とんだことだったろう。降りながら周囲にあるキノコを少々採集。短時間で登れる山であり、13時に近い時間でもまだまだ登ってくるパーティーも多い。山ガールなどが登ってくると、キノコに気持ちが行っていたはずが、そちらに・・・。急登箇所なので、下りと登りのすれ違い者の表情は好対照な感じに思えた。下山側が道を譲るのにも気を使う場所で、時に先に降りてやった方が登りは気分が楽であろう。
大権首峠からは、同行者と別れ高座山の方へ進んでゆく。最初は僅かに登り、その先は高度を下げて行く。その大半が樹林の中の下りで展望は無く、それが開けるのが送電線鉄塔を前にした時。鉄塔の先にスクンとした高座山が見える。その鉄塔に下って行くと、ちょうどそこが乗越のようになっており、左右から巡視路が上がってきていた。歩きながらも下山路をどうしようかと迷っていたところであり、地図に書かれないこれらの道は嬉しい発見となった。ただし、北側に降りて行く道は雑草の中に消えてゆくように見え、やや心許ないように見えていた。この先は、岩峰のような場所を乗り越え、その先は気持ちの良い森林浴を楽しめるような場所であった。ご夫妻であろうハイカーが静かにすれ違う。そののんびりした様子に、ニンマリとしてしまう。しかしこちらはやや急ぎ足で地面を蹴っていた。先週に外野に言われたように、このせかせかしている様子が、山を楽しんでいないように見えるのか・・・。
高座山到着。山の南西斜面はかなりの急峻。少し下ってみたが、グリップせず厄介な斜面だった。ただしそれがあるおかげで、南側の展望が良い。眼下に広がる草地。鳥居地峠付近にある車も見える。このまま下って登山道に沿って進もうかと思ったが、どうにも先ほどの巡視路が気になった。紹介や道標が無い場所はギャンブルだが、まま百戦錬磨。行ってみよう。僅か1分ほどの滞在時間で踵を返す。賑やかだった杓子山側に対し、大権首峠を挟んでのこちらは好対照。でもこの静けさが嬉しい。
アップダウンしながら往路を戻り、鉄塔の下に到着。さて下ろうかと思うが、やはりやや躊躇したくなる状況。迷っても登り返せば登山道があるわけで、色んな想定をして突っ込んでゆく。最初は九十九折。それが終わる頃に黒いプラスチックの階段が見えてくる。ただしそのほとんどが崩壊状態で、足を乗せられるものは無かった。途中で道形も無くなり、地形を見ながらルートファインディングしながら降りて行く。西側に小尾根があり、途中でそちらに進む獣道もあったり、踏み跡らしき筋が残る場所もある。もう一つ、谷の東側にはU字の樋は続いていた。ここにこれを設置する意味が判らなかったが、登下行にはこれに倣って進めば迷う事はないかもしれない。そして谷を降りきると、「昭和59年の復旧治山工事」の標識が立っていた。その先に進むと堰堤の並ぶ沢があり、今は流れの無いその沢を渡ると、右岸側に道が走っていた。途中で押し出しがあり僅かに塞がれているが、障害となる箇所はこの一箇所。伝って出た先は、往路に見た登山道案内がある標識看板の場所であった。この場所から僅かに下るとゲートであり、巡視路を下山に選んだ事は、結果オーライとなった。
林道を大股で降りて行く。鹿の遠鳴きも時折聞こえ、相変わらずチェーンソーの音も続いていた。痛いげな掘れた場所を避けるように行くのだが、富士吉田市は、通行不能の案内看板を不動ノ湯付近に早くに出した方が良いように思えた。そのうちに林道途中で動けなくなる車が出てくるだろう。もう出ているかも。植林帯の九十九折を過ぎ、分岐の余地に到着。そしてすぐ下の不動ノ湯に入ってから帰路につく。
補足。巡視路の登下行の場合は、スパッツ必携。斜面の土が軟らかく靴への進入が多いです。