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2013

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12月26日 川上健一 60

女神がくれた八秒 

 活字でスポーツを表現する。スポーツ雑誌や小説が多々ある中でも、川上さんの表現は頭一つ抜きん出ている。「渾身」の相撲にあるように、これほどまでに短い言葉で臨場感が味わえる作者も稀ではないだろうか。

 13作が詰まっている。野球、バスケット、ボクシング、ラグビー、テニス、判る人にはより楽しく、その競技が判らない人にも楽しめる言葉並べ。特に、言葉が悪く違和感のある冒頭だが、ジワジワ味わいが出てくるのが「八番バッター“三番サード長島”」。客観視していた読者を、バックネット裏やベンチの脇に引きずり出すような、ネットに食いつきたいような楽しい作品となった。いつしかグランドの上に立っているような気持ちにもなったほど。

 スポーツ観戦しながら熱くなる事があるが、読みながら熱くなれ、冬季において適当だった。スポーツ小説において、水を得た魚の川上さん、見事。
12月23日 五十嵐貴久 59

2005年の
ロケットボーイズ

 五十嵐さんのウイットのポイントは、笑いのツボをしっかりと把握しており、クロマティー高校に匹敵するような楽しさがある。高級な笑いと言おうか。多くのスタンドバイミー的作品と思っていると、足許を掬われる。社会における人との繋がり、間合い、言葉の裏側・・・これらが作品の中で自然と学ぶ事ができる。そして世の中にある鬱や自閉症などが盛り込まれ、それに対する対処・対応が学べたり・・・。

 巻頭の最初。これをしっかりと読んでおくと、巻末で味わいが深くなる。知らずに軽く読み流し、途中で読み返して最初の重要性に気づく。

 主人公のカジシン。ありがちな高校生で、タバコや飲酒もし、不良とは言わないまでも普通の学生。その行動により退学になりそうな所に、ひょんな企画が舞い込み任される。気に入らない最初。しかし次第にそれらが仲間を増やし、その仲間の心を変えてゆく。登場するキャラクターが、個々に立っていて、この作品の面白さとなっている。

 できない事もやろうと思えば出来る。出来そうに無い事も心がけ次第でなんとでもなる。カジシンの祖父(職人)により擦り込まれる部分。カジシンは祖父をジジイと呼ぶが、その突き放した感じが、逆に後半は心ある感じに思えるのが不思議。

 宇宙、ロケット、子供の頃には誰もが夢見る世界。それを実現させる彼らのパワー。楽しさの中に、感心させられる部分が多く、読んでよかった一冊。
12月17日  矢月秀作  58

もぐら 凱 下

 シリーズ最終巻。絵の見える最後がとてもいい余韻となって本を閉じた。初巻から読み続け、竜司や楢山の気概のある男のファンとなっており、ここまで読み続けると、完全に気持ちは彼らに加担している。

 一方の犯罪者側の方だが、犯罪者の一面と、日本の法規の穴による虐げられた状態の中生まれた、一概に「悪」とは決め付けがたい面も出てくる。そしてまた、悪事の中にも人間らしい部分が書かれ、血しぶきが舞うような場面に対し、読み手側の心を、少しそれらがために和らげている感じが強くした。

 強い竜司、死なない竜司であるが、もっと強いのは紗由美だったり・・・。感無量、楽しかった。作品に入り込める自分が嬉しい。
12月12日 矢月秀作 57

もぐら 凱 上

 とうとうシリーズ最終作。そう判って読まねばならないのは寂しいのだが、これまでの面白さからすると、「最後」とならばの期待が大きくなる。

 そして、期待を裏切らない楽しさ。ここまできて判ったのだが、これが楽しめる読者は、「格闘好き」と言うカテゴリーかもしれない。

 “モール”が狙われる。これまでの事件に関わる物の犯行か・・・。あの古谷が、垣崎が・・・。平穏な生活をしていた竜司がまたもや動き出す。そしてその竜司の生活の地にまで刺客が・・・。

 慣れた楽しさに、またもや一気読みだった。下巻に続く。

12月10日 さだまさし 56

アントキノイノチ

 当然であろうが、一方で驚いた。作曲家として、作詞家として、これまでの名作の数々を思うと、ここでは当然とも言えるのだが、この作品ではじめてさださんの作家ぶりを拝見し、その能力の高さと、そしてバランスに率直に驚いた。

 歌手としての姿しか知らないが、見えない一面かと思うが、趣味にしているのか山の行も悪くなく、楽しいしワクワクした。驚きの多くは、この山表現の所にもあった。

 そして、心を動かす作風に、読んでいての濃厚な充実感があった。またさださんの作品が読みたくなる心境。

 複雑な家庭の中にも、心を感じ、職場上司からも、学校の先生からも、そして親からも。少し出来すぎな理想形だが、作品全体の温かさは、心あるべき人に心が備わっている事。

 主人公の杏平。高校生活の中で、友人がネット上のトラブルから亡くなって行く。近しい人物が犯人として浮き上がってくる。そこからの杏平のいろんな葛藤。

 後半になってのゆきちゃんとのやり取りもいい。ハラハラと色恋のドキドキを織り交ぜ、飽きさせない作風。何せバランスがいい。
12月 5日 川上健一 55

サウスポー魂

 プロ野球界で、サウスポーと言われて、まず思いつくのは江夏選手。そんな年代であり、タイムリーに氏を見てきたからでもあるが、当時から今まではマスコミに踊らされた内容を鵜呑みにして氏の判断となっていた。一匹狼的、侍的な難しい人。そして黒い影。覚せい剤のあの事件もあり、凝り固まったわが思考に、油を注いだような判断材料にもなってしまっていた。

 この作品は、その江夏選手が主人公。私生活も含め、当時の裏舞台、裏事情がよく判る。そして、スコアーブックをつけていたような詳細な内容は、川上さんの力量だろう。作家としての言葉選びと、元野球人としての感覚が相成って、凄く臨場感のある内容になっている。

 読んでまた偏屈者と思うところもあるが、一方で純粋に真っ直ぐ野球人をやっていたようにも思えた。記録に残る偉業を成し遂げた人のものの見方、判断、勉強になることも多い。

 江夏氏は、時代に恵まれ、周囲に恵まれたようにも思えた。今の時代なら、多分成り立たないような・・・。金田正一氏から教わった“間”のとり方、これを覚えて江夏氏の好投があったようだ。どんなスポーツ、私生活でも通じる事が、その“間”であろうかと思う。

 偉人の裏事情を知るのは楽しい。1982年の作品だが、普通に楽しく読む事が出来た。
12月 2日 安川茂雄 54

われわれは なぜ
山が好きか

 早くに読めばよかったか、それとも今だから良く判るのかとの判断は、なんとも言いがたい。判ってこの登山にのめりこんでいたならば、また違った行動になっていただろうと思う。そして今読むと、これまで読んだ本の内容が、ここで集大成のようになってよく判る。これほど詳細に記録が表に出るとは・・・。その一つ一つが、正確無比のように読み取れる文体。当然そうなのだろうが、作者の性格が現れていると思えた。

 多くの諸先輩の登山史・・・。重く深く受け止められる。そこを読むと、絶頂期は過ぎているようにも感じる。明治、大正、昭和初期、味わい深さもあり、凄まじさもある。今と比べてしまうと、装備も違えば、食べ物も違う。さも今と同じような行動をしている当時に敬服。さらにそこに居た一部のブルジョア階級の人の、山への投資(闘志)には驚く。ここでは当時においての山の存在と、今においてでは少し違うような気もする。そういう人種が居なくなったということからかも。

 史実により判る変遷。勉強になり有益な内容であった。日本の登山史が凝縮された内容。これを読んでしまうと、今の有名大学の登山部の方には頑張って欲しいと思える。過去は過去かもしれないが、素晴らしい登山家を先輩にもつ学校もある。少子化、3Kなどと言われるここ最近において、部員減少も聞こえてくるが、先輩の意思は受け継ぎ頑張って欲しいと思える。ただ、時代が違ってきている。過去は過去、今は今で良いようにも思う。昔の真似をしても、今においてはそれは違うような・・・。

 読み終えての充実度は、ここ最近の本の中で抜きん出ていた。
11月24日   川上健一  53

 ナイン
 9つの奇跡

 川上さんらしさ全開。スポーツ小説と言うか、動きの表現力が判りやすく、驚くほど緻密。簡素でありながら十分な表現で臨場感が伝わる。面白くてほとんど一気読みとなった。

 フィクションではあるが、草野球と言う題材が、ノンフィクション風味を醸し出し、現実味があり理解しやすい内容。

 本当に多種多様の人が集まった草野球チーム「ジンルイズ」。勝つ事が目的ではなく、野球をする事、野球を楽しむことが目的に集まった面々。そこには元プロ野球選手も居たり81歳の戦争体験した老人もいる。一方で女の子がピッチャーをしていたり、一見バラバラな感じがする。ただし不思議なハートの奥底で繋がっているメンバー。

 オーナーである吉見の個人的な体験と、試合で起こる奇跡。一番白熱する場面であり、一喜一憂、涙も誘う。心を揺さぶられながら読み進めるのだが、誰よりもジンルイズのファンになっている自分が居る。まだ読みたい、ここで終わってはフラストレーションが・・・。次作を期待したい最後。

 ホッコリと温まり、秋から冬にかけてもってこいの一冊。特に野球が好きでなくとも、受け入れられるだろうし、好きならかなり面白く読めるだろう。途中まで読んで山に入り、読み進めたくて急いで降りてきたほどに楽しかった。
11月21日  三谷幸喜 52

 清須会議
 
 ありがたい。まずここから。この作品が出てこなかったら、清須会議のそれをよく知ろうとも思わなかったろう。内容が史実と合っている、歪曲している、そのあたりは置いておいて、登場人物などからおぼろげながらの全容が判る。先生によって、生徒にとってのその学問が変わってくると言われるが、ここかと思う。三谷さんなら、スラスラと浸透してくる。

 そして面白さ。モノローグの連投。本音と建前の面白さと、人の心の中を明け透けにする事で、判りやすさにつなげ、さらに人物の性格を表現している。上手、ここに尽きる。

 気になったのは、勝家、特に信雄のキャラ設定だが、冒頭からかなりはっきりとした卑下した表現で続いている。地域を上げて崇めている場所もあることを思うと、読みながらハラハラしてしまった。信雄が治めていた小幡藩のあった地域などは、どう感じるだろうか。

 作品を読んで、自然と映画の面白さが伝わってくる。能力のある人(三谷さん)とは・・・さすがと思えてしまう。間合いや空気、ツボをしっかりとわかっているからこその、この表現となろう。歴史ものが面白く読める。私にとって稀な事であり、感謝したい。
11月10日  大倉崇裕 51

 聖域

 2008年のごく最近の作品ではあるが、昭和風味の懐かしい内容。山岳ミステリーとして、山岳の部分の表現も過不足なく、推理する部分も適当。いい感じに読みやすく構成され重過ぎず軽過ぎず。ややシナリオに追っつけた感も感じるが、でも上手に構成されている。

 職場を山に行くために休む。草庭のその人物像は、「氷壁」に出てくる魚津とかぶる。ザイルパートナーである安西の死。恋人である絵里子が遭難死したその塩尻岳で・・・。真相を追って行く草庭。

 全体を通しての登場人物の「影」が感じられる作品。出てくる誰もに裏があるような雰囲気に仕上げられ、ミステリーとしての深さを出しているよう。草庭に協力する松山警部補もそう。そう思えてしまうのは、先に読んだ樋口さんの作品の為かもしれない。

 後半で関係者が死傷して行く。緊張を伴いながら犯人を突き詰めて行く草庭。職場での味方、そして敵。山岳部の先輩。やはり平成風味ではなく昭和風味。塩尻岳に再び登り、そこで判った真実は・・・。

 山屋としてのモラルとか基本が、作品の影の主たる部分になるだろうか。いくら技量が成長しても、基本的なその部分をおろそかにしてはいけないという教えもあるのかも。
11月 6日  樋口明雄 50

 天空の犬
 南アルプス山岳救助隊
           K−9

 樋口さんらしさ120パーセント。これぞ氏の真骨頂の分野。人と自然と動物(犬)と・・・らしさが凄く前に出ている。

 主人公の夏美。彼女が持つ特異な能力は共感覚。四角とは別に、感覚に色が乗って見えてしまう。それがあるので夏美が行動する先々で常にセンシティブな表現となっている。救助犬メイとの最初の仕事は、東北大震災のその地。そこで見る凄まじい惨劇に、夏美の超感覚は・・・。

 次の赴任地は南アルプスの日本第二高峰へのメインルートの山小屋。地理表現がそのままで、極めて場所が判りやすい。登場する現地が、ほとんど判るのが嬉しい部分。

 訓練をしながら、夏美は現地に、現地に居る隊員に溶け込んで行く。そして現場で揉まれ、経験を積みながら成長して行く。そこには常にバディーとしてメイがいる。犬好きにはたまらない関係表現が多く、厳しい訓練の中での温かさがある。

 そこは山、そこで働く救助隊の面々にも・・・同じセンス(感覚)を持つものが。ここの部分では、読みながら修験者(僧)の存在と重なってしまう。精神修養する僧に対し、日々辛い訓練をする隊員、そこで会得するもの、養われるもの、自ずとセンシティブになってゆくのではと思える。

 女性隊員の静奈との関係も面白い。「心」が見え隠れして、楽しい展開でもある。夏美と静奈、夏見と高岡、夏美と深町、夏美と関、納富や松戸もそうだが、夏美に対する心での繋がりを感じさせ、とても心地いい。それには夏美が特異なセンスを持ち合わせているからなのだろうとも読める。

 勤務地で、事故ではなく事件が起こる。そこで夏美とメイが・・・。

 無駄がない。活字並べに過不足がなく、巻頭からの布石が、しっかりと巻末に繋がっている。一字一句目が離せない作品。充実しており、作品に溶け込んでいるが、いろんな情報が盛り込まれていて楽しい。構成がよく、アイソトニック飲料のようにどんどん読み進む事も出来、結果いっき読みであった。
11月 3日   重松 清  49

とんび

 ドラマ化された有名作。じっくりと活字で味わう。

 どれだけ重松さんの作品を読んだか、不思議と岡山弁が判ってきた昨今。違和感なく、逆にこの文体が心地よく感じてしまう。これぞ重松ワールド。

 いつもの・・・と思いつつの最初であったが、中盤以降から汗が頬を伝う事何度も。これはいけないと、冷静に読もうと思っても、活字が滲んでゆく。人情・心情ものを書かせたら、この人には誰も叶わないのではないだろうか。

 モノローグの使い方がよく、破天荒なヤスさんの外面とは違う、心の中が見える。子供を育てながらヤスさんも成長して行く様子。アキラをメインに置くと、人生を一巡するような内容。川上健一さんは、短い時間軸を長く書くことに長けているが、重松さんは長い人生をしっかりと書き上げた。

 中学生が高校生が、若い親が中年夫婦が、この本を読んだら、どれだけ世の中が変わるだろうか。家族の大事さは元より、あらゆる人に対し優しくなれるのではないだろうか。周囲、職場、人との関わりの大事さをしっかりと説いているように感じた作品。

 じつは、ドラマも見た事がない。内容の良さに観たくてウズウズしている。一冊629円。ラーメン一杯と同じような金額で、これほどに幸せになれる。大事にとっておき、何度も読みたいと思える作品となった。
10月31日  真保裕一 48

 灰色の北壁

 2009年に一度読んでから、再び読んでみる。その時の感想と似ているが、4年間山と向き合って、読み応えがまた違って感じた。スルメのような読み応え。ストーリーが判っていても味わい深く、その一言一言が心に沁みる。山屋の本音。山屋の心がここに凝縮している。

 真保さんの、山屋としての力量も見えてくるし、思っていてもここまで表現できない私とは違い、作家たる所以を感じさせてくれる。ハイキングでも、本格的登攀をしている方も、読むべき本ではないだろうか。間違いなくい気づかせてくれる本。

 黒部の羆。優劣をつけたがる心理を突いた作品。昭和の時代には、この心理が横行していたのだろう。そして人との関わり、意思の伝承も強く深くあっただろう。適合年号などの表記は無いが、私にはよき昭和期を感じたりした。そしてまた、富山県警山岳警備隊の姿が見え隠れする。スペシャリストとして、現在進行形。

 灰色の北壁。クライマーとしての素質と、優しい、強い心を感じる作品。構成が上手で短いながら読み応え十分な感じ。「語る」部分と、ゆきえの「語らない」部分が、内容の深さをより増させている。秀逸と言う言葉がピタリと嵌る。

 雪の慰霊碑。近親者を山で亡くし、残されたものの心を表現している。そして山と向き合ったときの、山との対峙にはかなり共感できる部分が多い。そして相手は居ずとも山は教えてくれる。

 3作とも「心」を強く感じさせる作品。二度目でも素晴らしく楽しかった。前回の感想はここ
10月26日   矢月秀作 47

 もぐら 戒

 第6弾

 青色LEDでニュースになった昔。企業においての技術・技術情報の重要さ。そこに企業の生き残り・利益などが見え隠れする。個人と会社の色々。本作は、このあたりの題材を突いてきている。

 竜司は、またもや大きな事件に巻き込まれる。会社と同様、出来るヤツの場所には、仕事が舞い込む図式なのかと思うが、竜司の解決力。悪に対する闘力からかと思うが、頼れる、頼られる男となろう。

 竜司が情報屋として使っていたエノさんに言われ、安里が助けを求めに竜司の元へやってくる。事件のスイッチが入ってしまった。

 本作では、古田警視が影の主人公となるか、その弟のテツの心情に、こちらも心を差し伸べたくなる。そしてまた紗由美が危険な位置付けに・・・。そしてテツは・・・。

 沖縄に飛び、事件の糸口を探る。今度の相手にはロシアの特殊部隊の影もある。立ち向かう竜司に、相変わらずの強さを感じる。

 巻末、警察上層部に「悪」が居ること記す。途中から存在がきな臭く見えていたので、犯人側かと思えていたが案の定。矢月さんの作品は、早い段階で正と悪を切り分けて示す特徴がある。それが読み手側の清々しさを誘うのだが、判りやすく感情移入できることに繋がっている。そしてここで悪を示した事で、次作があることを示している。
10月25日  矢月秀作 46

 もぐら 闘

 第5弾

 これほど短期間に、これだけのシナリオを書き出す能力に感服。そしてその面白さに酔わせてもらう。

 前作の事件により意識を取り戻さない紗由美。彼女を献身的に介護する竜司。静岡の療養所に居た。事件とは無縁の場所であったはずが、いつしかきな臭い場所となる。

 この作品は人を育てる作風がある。それも興味をひく面白さ。今回は柿崎警視がこの部分の主人公。泥臭く捜査をしてきた竜司や楢山にあって自分に無いものを知る。警察官としての表と裏。

 これとは別に、前作で未遂犯であった益尾が、心を入れ替えた素晴らしい成長を見せる。作品の中でキャラが育ってゆく様子はかなり面白い。これによりホロッとさせられることも・・・。益尾の貢献による愛理の心の変化、血なまぐさい作品の中での相対する温かい心が表現されている。エピローグでの楢山の話す益尾と愛理、またこのあたりは次作に続きそうで楽しそう。

 紗由美も4ヶ月ぶりに目を覚ます。パッピーエンドで完結する作風に、読み終えた後のスッキリさが伴う。

 
10月23日  矢月秀作  45

 もぐら 醒

 第4弾

 今度はサイバー犯罪。一部で、ツイッターやフェイスブックでの個人情報公開に対する警鐘のようにも思えた。知らず知らずと漏れ出す言うよりは、自分でプロフィールを公開する現在。こんな犯罪も・・・ありなのだろう。無防備すぎる面も多く、それが犯罪につながる事も。

 画面上にしか見えてこない、とあるサイトに集う者。そこで交わされる会話は一部の者同士の会話。顔の見えないもの同士での感情移入はそれぞれ違う。嗾け、促しが犯罪に導いてゆく。

 竜司の日頃とは無縁の世界。それでも悪を捕まえる竜司。今回登場するボクシングジムの大岳会長、そしてそのボクシングジムの存在がとてもいいハーモニー。ボクシングはある意味アウトローな感じ。でもしっかり世の中に役立っている意味を示している内容。

 今回の事件により紗由美が・・・。次作が気になる。

 当然だが、ネットをしている人の中にはいろんな人が居る。学生、教授、元自衛官、ミリタリーオタク、これらが作品内に出てくるが、こんな人らが趣味のある一点で繋がってしまう現在がある。
10月22日  矢月秀作 44

 もぐら 乱

 第3弾

 読み終え間近、中国という国に対しての嫌悪感を抱いたのだが、その最後で、反面教師的に日本の良さが犯人から語られている。「確かに」。これほど平和な国は他にない。そこに暮らすことを普通と思っている今、気付かされた部分もあった。

 特赦を受けた竜司は、警察に協力する事が大前提でもあった。またまた残忍な事件が起こり竜司が呼び出される。今回、警察側に古谷という新しいキャラクターが加わる。事件に向かい合いながら古谷を育ててゆく竜司の姿勢に、昔の、今は無くなったよき日本を感じたりする。

 中国マフィアの日本襲来。その生粋の殺し屋と警察との戦い。楢山のファイトも素晴らしくいい感じ。竜司が雷神なら、楢山は風神のように犯人に立ち向かう。竜司の捜査勘がさえ、敵を追い詰めて行く。

 同居する紗由美が犯人側に掴まり危険が迫る。そこに竜司・・・。悪を砕くその様子に読み応えと爽快感が増してゆく。2日続けて一気読み。読みやすく楽しい作品。
10月21日  矢月秀作 43

 もぐら 讐

 前作で竜司は刑務所に入った。世の中とは拒絶された世界、しかしその娑婆と結びつかない場所が舞台となる。塀の中のその場所が奇しくも犯人に狙われる場所となる。

 塀の中と言う、身動きが自由に出来ない竜司が、それでも知力体力を持って、事件解決に繋げてゆく。その強さにどんどん引かれてゆく読者側。そして竜司を塀の外で待つ紗由美。やはり作品には男女は不可欠。今回は竜司の仲間の楢山にも女性の影が・・・。その影は。

 印象に残るのは有馬のキャラ作り。大きさが強さを示したり、包容力を思わせる優しさを示したり。力強い残忍さに対し表情表現などを加え柔和な表現を加え両側面を出している。読みきれないキャラと言おうか。

 前回に続き本作を読んで、警察の腐敗を作者が強く出しているように思えた。そこには、警察官も人間・・・とも読める。フィクションであり、そこを真剣に捉えてはいけないのだろうが、勧善懲悪な内容に水戸黄門的要素がありスカッと読み終えられる。そして事件を解決した竜司は恩赦により仮釈放となる。一度終えたかと思った主人公竜司の作品が、再び血が通いだす。しばらく目が離せない感じ。
10月18日   誉田哲也 42

 ストロベリーナイト

 冒頭、気持ち悪すぎて、読み進めるのをどうしようかと思ったほど。しかしそれは荒療法、その先が読み易くなる。

 連続猟奇殺人。それに対する警察の、手柄を上げたい個人のエゴが見えたり、読み手側をイライラさせるような捜査状況。そんな中、主人公の玲子の勘が一矢を放つ。ただ、男性に対する女性であり、どの社会でもある見えないけど感じるハンディ。

 登場人物の各人、ほとんど言っていいか、過去を持つもの特徴。伏線がはっきりとしており、それが頭の中で交錯する。犯人探しをして行くのだが、刑事の勝俣でさえも黒ではないのかとも思えてしまった自分。一番その素性が見えてこない人物が犯人・・・。
 
 ドラマになった作品。当然のように竹内さんを玲子に当て込んで読んでしまっていた。
10月10日  矢月秀作  41

 もぐら

 スカッと爽やか・・・。爽やかとは違うか、それでも弱きを助け悪を砕く竜司、その強さに痺れる。ほとんど息つく間もなく一気読みで366ページに至った。

 アンダーグラウンドの世界。見えているようで見えていない。企業舎弟やニュータイプの任侠道が生まれている昨今。頭の切れる悪が、間違いなく収益を多く上げることになる。ただしそこには、真っ当なお金は生まれず・・・。

 血飛沫が飛び交うかなりハード内容。その表現がある一線を越えている感じがあり、逆にスカッとした印象があった。作品内全てそう思えた。ドンパチ、殴り合い、フィクションと判っていながらも、作品内に引きこまれる。

 必殺仕事人的な竜司、一本気な性格と、抱える辛い過去。自ずと肩を持ってしまう。信用、裏切り、知人の死、大きな作者の揺さぶりにおおいに楽しませてもらった。最後、悪の巣窟に入る竜司は、さながらアメリカ映画のようでもあった。

10月 9日  本山賢司
 細田 充
 真木 隆
40

 大人の男の
 こだわりの遊び術
 
 表題からして無骨なイメージ。文体は、そのまんま厳つい男の文体。「こうでなければならない」的な言葉並べがあり、少し食傷気味になってしまうが、「気づき」に関しては、筆者らの持っているポテンシャルは高い。長年、自然と対峙して培ったものだろうが頷ける事が多々あった。私が言葉に出来ない「言いたい事」が的確に語られている。奥歯に物を挟まないストレートな表現がされている。

 やや上から・・・とも捉えられがちだが、これほどの蓄積したノウハウをこの作品で放出してくれている事がありがたい。長い時間をかけて工夫して編み出した物などもあり、これらを930円で得られた事は安いと思える。体験しているがこその自信が文面からにじみ出ている。

 趣味、遊び、読んでいてとても楽しそう。楽しいのが趣味。でもそこでは一生懸命楽しんでいる。かくありたい。

 衣服選び、道具選び、参考にしたい事がいくつもあった。知っているのと知らないとは大違い。いろんな気象条件を体験して探り出した衣食住は、アウトドア派にはかなり参考になるだろう。

 本人らも釣りはするのだろうが、言っている事は乱獲とは思うが、だいぶ釣り師を叩いた表現で書いてある。同族でありながら、自然愛がある証拠となろう。
10月 3日   海堂 尊  39

 螺旋迷宮 下

 上巻に続く下巻。上巻の最後が、かなり興味欲を膨らました最後になり、なだれ込むように急いで文字を追って読む。

 ややフィクションな展開が、異次元というか漫画的にシュチュエーションが脳裏に浮かぶ。そしてだんだんと物語の佳境に・・・。追従するように、いやここはその内容を崇高に、盛り上げる為に使われているのだろうが、難しい見慣れない、使い慣れない語句が並ぶ。つっかえつっかえ、やや知恵熱が出そうでもあった。我が知識の無さ、勉強不足を痛感する。おそらく、これらを読み続けると知識となるのだろう。

 予知不能な最後であった。医療関係者が読むと、凄く判る内容なのだろう。素人の私は、表面の薄っぺらい場所を楽しんだ感じでもあった。

 でもでも、やはり旧来からの登場人物を当て込んである部分が楽しい。そしてまた一人・・・すみれという存在が印象に残る。また何処かの作品に間違いなく・・・。

 高級なワインを飲んだ感じ。真髄は楽しめないが、雰囲気は十分楽しんだ。そして面白かった。

 9月29日 畦地梅太郎 38

 山の眼玉

 ホンワカとした文体。それでいて関心させられる行動力。戦前に、これほど各地を歩き回れるには、懐事情と生活に余裕がないと、さらにはよほどのバイタリティーがないとならないと思える。

 巻頭に並ぶ版画。読み始めは不思議感を抱きながら見ていたが、読み終わってから見返すと、作者の本意が少し見えてくるように感じた。美術品を見る感性が、読むことで促された感じ。

 47編のうち、6割7割くらいは現地が判る場所が書かれてある。今昔ではあるが、身近な感じを抱きながら読む事が出来た。そして現地の昔を知ったり・・・。

 奢る事無く、控えめな行動記録が書かれている。宿に泊まりたくとも、宿側に拒否されればそれ以上は嘆願しない作者。野宿慣れしている背景もあっただろうと思う。

 有益な話を一つ見逃さない。在っただろうと思っていたが、祖母谷温泉の上の百貫山へ道がついていた表現が作品内に書かれている。ありがたい情報であり、そのうちに狙ってみたい。昔が今に通じる。今を楽しむにも昔を知らないと・・・。
 9月25日  海堂 尊 37

 螺旋迷宮 上

 久しぶりに海堂さんの作品。壮大なスケールの一連の物語がここに切り分けられている。最初からの作品を読めば、一番楽しいのだが、途中を切り取っても、しっかりと楽しめる。登場人物において、見慣れた、耳慣れた名前が当て込まれ、これがまた作品内に感情移入しやすい。

 序盤はもどかしい話運びであったが、中盤から後半へとスピードアップしてゆき、テンポが良くなる。いつの間にか貪るように活字を追い求める自分が居た。

 フィクションではあるが、数割はノンフィクションも混ざるであろう。病院の中のグレーな部分を表に出した知らない事を知る楽しさ。そして混雑する人間模様の楽しみ。天馬君のその後は如何に・・・。

 既に下巻は手元に・・・。

 
 9月18日  誉田哲也 36

 ヒトリシズカ

 6節の短編が、見事に繋がりあう一冊。そしてこれまでにない初体験な作風にとても新鮮さを感じた。予想だにしない展開。誰もが「ありえない」と思うそこに真実がある。

 ハッピーエンドを求めるのが常。この作品は、そんな事はお構い無しに負の方へ誘って行くような作風。これでもかと表現されるどんでん返し的な事実。珍しく一気読みをしてしまった。

 キーマンが途中から見えているが、判っていながら最後までしっかり読まさせる作風。力量を感じる。
 9月11日 樋口明雄  35

 標高二八〇〇米

 2011年、単行本で出版されたときに食指が伸びそうになったが、ぐっと待って文庫本で手にする。待っただけあって、1作品追加されている。

 久しぶりの樋口さん。樋口さんらしさを追ったが、いつもとは違った雰囲気を出していた。いつも・・・が私の中での樋口さんに対する「勝手」である事に違いなのだが、この作品では違う樋口さんを体験する事になった。

 安曇潤平さんの作品を先に読んだので、山岳ホラー慣れしていたために、あまり周囲の雰囲気温度は下がらなかったが、一つ一つの作品として充実していて、それぞれ楽しめた。

 自然愛の強い樋口さん、北杜市のブログのライターでもあり、そこからも読み取れるよう、作品内の原発のあたりは熱く強く語っている。よく調べ、氏らしい言葉並べで清々しかった。それが書かれている、最終章の「リセット」は、高嶋哲夫さんの作品を読んでいるかのように理系寄りに書かれていた。しかしここでは、文系寄りに読み解く。と言うか理系も文系も関係なく、素に戻って人間の、自分らのしてきたこれまで、この先起こりうる色々を見据え、今からでも正すところはただし、後世に繋げて行かねばと訴えているように思えた。子供が親より先に亡くなって行く内容。訴え方の強さは最高潮とも言えるだろう。

 巻頭から巻末に向け、じわじわと内容が濃くなっていっているように思えた。ホラー小説とは言え、心の部分に訴えてくるものは多いような・・・。各作品に載せた樋口さんの声が聞こえてくるよう。

 樋口さんと川上さんは、同じ北杜市に住んでいる。同じような感性を持っているお二人だと思っている。
 
 9月 1日 北 杜夫  34

白きたおやかな峰 

 中学生の頃、何十冊と「どくとるマンボウシリーズ」を読み、北さんにより世界観を知る事となった。もしかすると、北さんの影響で旅好きになったのかもしれない。

 そして久しぶりの北さんの作品に触れる。マンボウのその時から、氏が山に登るのは知っていたが、この作品には気が付かなかった。あのカラコルムの、あの隊に・・・。

 1966年の初刊行からこれほど経過しているのに、まったく色褪せない内容。文章を、文字を知り尽くした人の作品とは・・・こうなるのかと、感動しきり。

 ユーモアがあり、それでいてリアリティーがあり、ノンフィクションの史実と相成って臨場感の伝わりようが濃い。作文中のドクターは日記を書かない日々が続いていたようだが、実際はつけていたようにも思える。空気の薄い、思考がぼやける場所においての記憶は完璧ではないだろう。そんななかでのこの作品の、そして詳細内容は、記憶だけからだったら凄い事になる。でも、記憶から書けるほどに、この隊での内容が濃かったのかもしれない。そう理解する。

 主人公のドクター、一番近い位置に居たメルバーンの存在。サポートする側の視点や心、登る者に対する裏方の様子が見えたりする部分も、この作品の楽しい部分。

 世の中が進化して、食べ物や装備が変わったが、根本的な挑む側の精神ってのは、あまり変わっていないのだと思えた。人間はやはり人間。疲労困憊で降りてくる羽瀬・関谷パーティーに変わって、それこそ意気揚々と登って行く増田・田代パーティー。四人のすれ違い様のやり取りと空気感は、本作品の中で一番印象強い場面となった。その後の増田・田代の精神状態と行動は・・・。行った者でないと判らない現地ってのがあるようだ。

 大切にとっておいて、また何度か読み返そう。そう思える作品となった。
 8月17日  高桑信一 33

山の仕事、山の暮らし

 なんと言う前のめりな突進力。人徳と言っていいのか判らないが、大きな豊かな人間性を感じさせる作者。一筋縄では通用しないであろう堅物な人に対し、これほどまで打ち解けて取材している事実。高桑さんでないと出来ないことだと思う。そして山が好きでないと・・・。

 里山に暮らす人々は特に閉鎖的。その殻を破り親しくなっているのが凄い。一宿一飯のみならず二宿二飯な様子もある。持って生まれた話芸と打ち解ける才能があるのだろう。

 文明の進化により荒廃して行く里山。しかし、生きてゆくうえでとても大事なものも廃れさせてしまっている事実。里山の荒廃は、山を荒れさせるのはもとより、日本のよき文化をも無くしていっている。

 山に遊ぶ人の多くは、判っている自負はあるだろうが、これを読めば知らされることが多いはず。気づき知るためにも読んでおいた方がよい一冊と思う。

 山と向き合って暮らす人の心意気を知り、長年培った山との関係・向き合い方を知ることは有益。動物に対しても、やはり共存なのである。

 星寛さんへの取材で、あの左惣沢の仕掛けが、サンショウウオ獲りの罠と知った。上野村の、あの二階堂さんまで載っている。鉄砲をやらない私でさえ耳にしている方であった。

 全作品(取材)が全て興味深く、じっくりと読まさせていただいた。続編もあるようで、後で手にしてみたい。

 大事なものが沢山詰まっている作品。
 8月 4日 川上健一  32

 四月になれば彼女は

 「渾身」の相撲を題材にした力技。あの時間軸をあれほどに長く書ける川上さんに驚いたが、ここにもまだあった。卒業後の2日間をここまでの作品に仕上げられるとは、これぞ川上さんの真骨頂とも言える。

 沢木は間違いなく川上さん自身がモチーフなのだろう。血気盛んな高校時代を経て社会に出たようだ。その高校を卒業した者の目線が、とても上手に書かれ、なんとも懐かしい風合いがあり郷愁を誘う。同じ体験をしていたわけではないが、理解できる、「あるある」的な同調する意識がどんどん芽生え、既にこのあたりでこの本に嵌ってしまったことになる。

 ケンカばかりしている主人公。ハングリーな内容であり、それがあってとても生き生きとしている。そこにホンワカした内容も加わりバランス配分が出来ている。川上さんの言いたい部分は「カモンベイビーでいこう」の行のあたりかと思う。生きてさえいれば・・・。

 読み終えて、当然のようにサイモン&ガーファンクルの「四月になれば彼女は」を聞いた。川上さんの作品内容と不思議なほどに旋律が合う。BGMとして読めばよかったか・・・。

 川上さんの本を読んだ後の幸せ感と言ったら・・・。癖になる爽快感。

 
 7月31日 安曇潤平 31

 黒い遭難碑
 
 前回に続く第二弾。

 現役山屋である作者。やはり内容にリアリティーがあり、その地その地の風景がしっかりと伝わってきて現地が見えてくる。実在の場所が書かれているので、判っているとより引きこまれやすい感じ。そこでの超常現象。これをノンフィクションと思うかフィクションと思うかは読み手次第だが、永く山に関わっている人は、前者に取れるだろう。

 確かに怖い内容は多い。ただ不思議なほどに浸透水のように受け入れられ気持ちよく読めてしまった。通常の山行記では表現しない事柄と言う部分が大きいからだろう。新鮮さがあるからかもしれない。

 一つ気が付いた部分がある。それらが現れるのは往々にして夜であり霧の中となる。それ以外ではあまり現れない。奇異な体験を避けたい場合は、この二つの要素を避けていれば遭遇しないとも言えると思えた。

 今回はお地蔵さんやケルンなどが題材にされている。いつもは通過点だった場所が、意味のある重い場所に思えたり・・・。ただ歩くのではなく、良く注視せよとの作者の促しかも知れない。

 「ひまわり」の中で知ったことがある。八方尾根の第二ケルンは「息(やすむ)ケルン」と言うのが正式名称だそうだ。これを読むまで知らなかった。息と書いて休むと読ませる奥深さ。

 癖になる作品集。
 7月25日 東野圭吾  30

 聖女の救済

 さすが、東野さん。正味4時間ほどで読んだだろうか。すらすらとつっかえることがなく読み進められる言葉並べ。入り込め易い吸引力。これぞ作家・・・と言うべきなのだろう。

 恥ずかしい話、福山さんは知っているが、「ガリレオ」を見た事がない私。日頃テレビを見ないのだから、そういうことになるが、情報ゼロの状態から読む事となった。

 ミステリーを学習してしまうと、常に伏線の仕込みを気にしてしまうことになるが、ちょっとした逐一を記憶に留めながら読み進める。これが、さらに上のミステリーを求めたくなる由縁かもしれない。

 読み始めて、ズサリと刺さる部分がある。女性にとって、この内容はどうなのだろうと・・・。逆説的には女性を大事にした事にはなるが、そこまで思わない人にとっては、ストレートに読むと「不妊」の行はいろんな苦しみを持つ方が居る中で、読んでいて男ながらに辛い言葉並べに思えた。ここでも、もし当てはまるような人であれば、物凄い感情移入が出来る事につながる。とどのつまりはフィクション・・・。

 この作品を仕上げるには、このトリックを先に考えねばならない。そこにスパイスを付け加え味を調えるのだが、このトリックと言う骨格を考えられるだけでも凄い。この世界に居ると、思いつくものなのか・・・。

 井上靖さんの「氷壁」を読んでいる方は、湯川と教之助、間宮と常盤、草薙と魚津、綾音と美耶子、宏美とかおる、こんな配役としてかぶって見えたことはないだろうか。読みながら、氷壁の彼らが思い起こされてきた。

 男のエゴイズムに対する救済となるか。好いた惚れたの痴情の話は多種多様。地上には男と女しか居ない訳で、作品内もそうだが、男が・・・という部分には少なからず女性も関わっている。義孝を「悪」としての聖女の位置付けかと思うが、7月23日のNHKラジオの子供科学相談では、「自然界は、死ぬことが判っているので子孫を残す事しか考えていない」旨の回答を子供にされていた。この観点でいくと、義孝は強硬派と思われがちだが、間違ってはいない。ただし、理性や倫理やモラルやが組み合わさると、受け入れられないだろう。

 産婦人科医の故篠崎先生も説いていたことがあった。このままでは日本民族は途絶えてしまうと・・・。話がずれた・・・。

 なんとも楽しい作品。このスピード感。捜査における刑事の俊敏さからくるものだが、快作の極み。
 7月22日  上温湯隆  29

サハラに死す

 心を揺るがされる。影響を受ける。感動。感激。上温湯さんのモノローグに、これほどに知らされることがあるとは・・・。弱さ強さ、葛藤。本音を表に出しての表現はグイグイと読み手側のハートを掴んでゆく。

 アフリカ横断のパイオニア行動。38年前と言う時代にここまでやれる人がいたとは。この部分では、周囲や時代ではなく、行動は個人の信念から・・・となるのかと思えた。

 行動の1日1日をしっかり記録していたから、これほどに今になって廃れる事のない内容として読む事が出来る。何事も記録は大事。作者は、ことに細かく筆記していたようで、内容の楽しさリアリティーさは、ここからくるものであろう。

 若者が、ラクダを飼い単身で砂漠を行動。満ち足りた現代において、その過酷さは誰も判らないだろう。それに向かっていった作者。冒険心もそうだが、人間として成長する為に。作品内にあるように、旅が人間を成長させる事を作者はよく知っていた。最初の方は若者的思考が感じられるが、途中から修験僧のような悟りを開いたような思考も出てくる。追い込まれた人ならではの開眼と言おうか。

 高校を中退し世界を冒険に出る。恵まれた家庭にいたことが判る。母親に向けた手紙の言葉並べにもそれが伺える。この点では少し羨ましさを抱いたりするが、なにはともあれ、これほどのバイタリティーのある強い(モノローグでは弱さも見せているが)人間は稀有であろう。

 そして最後を迎えてしまう。単独(ラクダと)であったから、その時の様子は誰にも判らない。渇死の最後ではあるが、ここに至る途中でも、似たような状況にはなっているだろう。経験して対応力がついて、でも最後は・・・。冒険とは。

 井の中の蛙が外界を見たような気持ちになった。まだまだ。でもここまでの人でも、根本は人なんだ・・・と言う部分も判る。これが生きているってことか。

 このあとすぐに、故篠崎先生のシムシャル谷漂流登山の記録やアジア横断登山行を読んだ。二人とももう居ない。でもこの二人の根底にあるものはかなり近いものがあると思う。素晴らしい冒険野郎魂。でも私には判る。「死」がごく近いところに位置しながら遊んでいた事を。覚悟しながら、恐れていなかっただろう。その日まで精一杯生きる事を実行していたと思う。
  
 7月18日 安曇潤平 28

山の霊異記
赤いヤッケの男 

 妖怪話の第一人者は、KUMO氏であると思っている。独特の言葉並べに、過去に楽しみ、この分野はKUMO氏しか知らなかった。

 山で妖怪、山で奇妙な体験、山で霊との遭遇。これらは山屋は目を瞑りたい事柄であり、あまり表に出てこないことなのだろうと思う。それがあり、今回のこの作品は、異端な作品と言えるかもしれない。

 26もの短編で構成され、冒頭からトップギヤに入り怖さのピークが仕込まれている。それがページが進むと次第に慣れ親しみ、不思議と安心して読めるようになる。フィクションともノンフィクションとも捉えられる内容。感じ方は読み手の経験が大きく影響するだろう。私の場合は80パーセントほど受け入れられる。幻覚幻聴を山で体験している人は、この作品を楽しく読めるほうかもしれない。

 作品の中で、荒峰旅館は、私にとって他人事ではない内容。山と気胸を併せた内容は稀で、全作品の中で一番気にした作品となった。構成が、全てあり得ることでありノンフィクション感が強い。

 最後に、みなみらんぼうさんの書評があるが、全てを言い得ている。作者は作品内の場所をわざとぼかしているが、逆に強くその場所を知りたい欲求がでて、自分の記憶とそれが合致したとき、より作品内への気持ちの移入が強くなり楽しめる。

 この暑い夏。この作品により少し涼しく感じることもできる。周囲温度が2〜3度ほど下がると思う。山岳怪談、山の初心者が読むと山が怖くなるかも。逆に玄人が読むと凄く楽しめるだろう。山では奇異な不思議なことが起きる。目を背けるのではなく、受け入れる事も大事と作者は言っているように思えた。
 7月12日  小泉武栄   27

山の自然学

 「促し」「気づき」。知らないでいるとずっと知らないで居る。それが、一度知ると、そこからの面白さが広がってゆく。この本を読んで山に行けば、間違いなく視点が変わり、地形や植物への関心が変わるだろう。

 作者の言うように、義務教育を含め、国内の一般的な教養の中にこれらの内容が盛り込まれているところは少ない。このことにより、ややとっつき難い印象を受けるが、ポイントさえ掴んでしまえば受け入れやすい。やや専門分野的書物にもなるが、登山対象の山での記述に、早く読んでいれば、現地で見られた・・・と思うこと多々。

 高山植物を見たら、今度は周囲地形を見るようになるだろう。地質も見るようになる。周囲植生も然り。また新たな山の楽しみが増えた感じ。そして、世界における日本の面白さ、日本の特異さも知る事になった。ちょっと堅めの内容ではあるが、促し、気づきには最高の一冊と思えた。
 7月 9日 野原 茂
白石 光
佐藤俊之 
26

第二次大戦
世界の名機と
           エースパイロット

 先に読んだ「永遠の0」は、この本を片手に読むと、凄く判り易くなる。百田さんは、軍事オタクなのでは・・・と思うほどに詳細に書かれた部分が多く、それらを理解するにもこの本は役立った。

 日本製と言いながらも、ベースは舶来技術なわけであり、輸入が出来ない中での戦闘機の製造は大変であったろうと思える。今と比較すると、比較にならないほどにアナログ機でもある。でもその味わいが感じられるのが、この当時の機種。あのロック岩崎さんが、自衛隊を退任した理由も最新鋭機より、これらを選んだのだろう。

 後世に名を残すパイロットの各人。戦闘機乗り、今でも存在するであろうが、名を残すパイロットが出ない事が、平和に繋がる。白黒写真に見える表情に、多くの散っていった花を見るよう。

 あまりマニアではないのだが、知識になった。
 7月 5日 百田 尚樹 25

永遠の0

 話題作を読む。

 知覧に出向いたとき、何も情報が無く、ただ単に特攻の方の手紙に涙をした。その後、高木俊朗さんの「特攻基地知覧」、そして吉村昭さんの「大本営が震えた日」を読んだ。自分の中で、少しだが特攻や太平洋戦争の知識が出来た。この状況下で読んだ事となる。

 なにも情報が無いのであれば、号泣となるのかもしれない。自分でも幾許かはそれを予想していた。しかし、意外と冷静に読み進めることが出来た。

 宮部さんの過去を追っての孫二人。語り部となる宮部さんを知る戦争体験者の詳細が、過ぎるようにも思えたが、ここは、全ストーリーを完結させる為に必用な部分。伏線のはりようが絶妙で、巻末でのピークが、素晴らしく仕上がっている。

 史実にある程度沿わしてあると言うものの、このストーリーを完結させた作者は凄腕。戦争というモチーフは卑怯にも思えるが、しっかりと心動かされてしまった。

 美化された特攻を、この作品では全く逆に表現されている。こちらが本音。この時代だからこそ書ける内容であり、少し早い時代だったら大変な内容と判断されるだろう。男性読者と女読者では、大きく感想が違うのではないだろうか。女性が読んでの書評を読んでみたかったりする。

 作者の手法に、活字が面白い、奥深いと思えた。間違いなく秀作であり、名作でもあろう。十二分に楽しませていただいた。宮部さんのモチーフは、笹井醇一中尉なのだろう。

 
 6月26日 椰月美智子 24

しずかな日々 
 
 この風合いの作品に出会ったのは初めて。スタンドバイミー的な内容かと思ったら、それとは主旋律が少し違うところにある作品。気持ちよく読んでもらおうとして書いているわけではないようであるが、読んでいる側は驚くほどに気持ちがいい。水戸黄門的なと言っては場違いかもしれないが、理想的な話運びで進んで行く内容が、水面を滑る水鳥かアメンボのような滑らかさを感じ、ここが気持ちよさに繋がっている。

 主人公の枝田君のモノローグが多くを占める。その思考のしっかりしている事。小学生設定としてはずば抜けた大人感。ここで少し違和感を抱くものの、全体としては受け入れられる。

 母子家庭から、その後は母と別れて小学校へ通う。数奇な幼少時代であるが、本人にとっては逆にそれが楽しくプラス側に向いているのも通常の作品には見られない新鮮さ。親は無くとも子は育つ。親が悪いほどに子はしっかりする。そんなことを感じたりもした。

 言葉の使い方、文字運びが至極上手。厳選された、洗練された言葉並べ。ドビュッシーの作品をBGMに読んでいたら、旋律が同調するように視覚情報と聴覚情報が溶け合っていた不思議さ。

 助演賞は間違いなく押野君。質の高い子供であり、主人公との波長が合いバランスが取れている。少し出来すぎな児童設定ではあるが、各々の置かれた境遇からすると、波長が合うのは頷ける。

 気に入った表現がある。バタフライの行で「あれってケツを出したり引っ込めたりするんだよなあ」。作者の感性での言葉並べであるが、100点満点と言えよう比喩。さらに女性作家と言う部分からも加点したい。

 活字が美味しい。地方の鄙びたレストランに入り、予想外に美味しいフランス料理でも食べたような心境。出会えてよかった作品と思う。
 6月22日 森村誠一  23

虚無の道標 

 何十年ぶりに森村作品を読む。高校以来・・・その間、何で読まなかったかはたまたまなのだが、期待を裏切らないどっしりとした作品。これぞ作家の書いた小説という風合いがある。やがて700ページになろうかという長編に読み応え十分。

 大きくは前編と後編に分かれる。前編は平地での生活が主、そして後編は場所を山岳地帯に変える。いい意味で昭和を感じる内容であり、人間の性や、本音と建前などが主人公の有馬の生き様の中に全てあからさまになって出てきている。汚い部分、見たくないような部分に蓋をするようなことはせず、直視するような作文内容に、作者の力量を感じる。

 企業編となる前編には、やや悶々としながら、一部で有馬を敵対視しながら読み進めることとなる。それが後編の山岳編となると、人間味の出てきた有馬に少しづつ気持ちが寄り添って行く。妻の静子に関わる過去により、有馬が大きく変わる。ここでは、女を利用して這い上がろうとしていた彼が過去あるわけだが、まったく逆の事となっている様が、なにか訴えてくるものがある。

 間違いなく伊藤新道が舞台。何処までがフィクションで、何処までがノンフィクションなのか、気になってしまう。千恵さんや久代さんの登場があり、新道作道とは別の部分も書かれている。でも、かなりの部分で史実と合致しているのであろう。捉え方は、読み手側の各々の判断でいいのだろう。伊藤新道の今昔が、ここまで細かく書いてある本はないのだろう。人の意思とは・・・。フィクションの部分を加味しても、感動を誘う。

 人間ってなんだろう。強くそんなことを思わせてくれた作品。人間の本当ってのを少し指南してもらったような・・・。

 6月12日 小林尚礼  22

 梅里雪山
 十七人の友を探して

 山とはなんなのか、山と人と地域との位置付けを再認識させてくれる本であった。ふと忘れがちな部分を、しっかりと擦り込んでくれた。やや長い作品であるが、登山を趣味にされる方は、これは読んでおいた方がいいだろう。知らずにレジャー感覚で踏み入れたその場所が、地元にとって・・・日本国内でも少なからず同じ事があるであろう。

 御嶽や立山、白山もそうだが、各地に信仰の山があり、麓で暮らす人々が居る。国内には登れない山が少ないので、女人禁制の他は、「登ってはいけない」山はない様に思うが、この梅里雪山は、その険しさがそうさせているのであろう「登ってはいけない」言い伝えが、麓の村々で守られている。そこに、登頂したい、登りたいという思考のみで挑んだ中国・日本の混成パーティーの17名。ヒマラヤの名立たるジャイアンツも同じような思考で登られており、その行為自体は不思議に思わないことだが、ここで気づいていないことが一つある。それは「現地」。その山を崇め、敬い、聖地であったなら・・・。実際に梅里雪山は、現地の方にとってはそんな位置付けの山だったようだ。

 17名は挑んだ結果、運悪く雪崩れ遭難で全滅となった。筆者は何年もかけて事故現場の氷河での遺品(遺体)捜索に出向く。その中で、現地の人に触れてこの山の事を深く知る。言葉の通じない最初、次第に言葉も心も通じ合うようになる。梅里雪山と呼んでいたその場所が、現地の呼び名の「カワカブ」に変わる。既にこの頃に、登山対象の山から、信仰の山であることを筆者も理解してきたのだろう。

 ノンフィクション。筆者の信念とバイタリティー、そして感性が長けていると思えた。筆者でなかったら、ここまで日本人とチベットの方が近づき寄り添う事もなかっただろう。遺骸が早期に見つかったのも、作者のおかげとも言えようと思う。読むまで知らなかったが、知られない場所で、いろんな努力をしている人が居る。

 「登れば満足」「登頂できれば達成感が得られる」、多くの方がこの部分が大きいかと思う。これらは登山者視線。世界には、ここではチベットには「登ってはいけない山」がある事を知っていないといけない。「登りたいから登りに行く」とはならない山があることを・・・。

 ただし現在は、世界遺産となり観光地となり現地も様変わりしているよう。一度は行ってみたいと思う。
 5月30日 内田康夫  21

 長野殺人事件

 息子の持っていた本を盗み読み(笑)。

 驚くほどリアルに長野が表現され登場してくる。政治が主であるが、間違いなく田中康夫元知事がおり、長野が抱えた風土的因習が書かれている。信州の従兄弟が話していた政治内容がそのまま書かれていたりし、リアルさが強く感じられる作品。

 そして、広い長野各地が登場する部分は、これは楽しい。巻末に、「旅情ミステリー」とあるが、まさにそれであり、その全ての場所が判る私としては、欠かす事無く全てが楽しめた。

 推理小説としては、しっかりと、そしてコテコテとした仕上がりで、過不足なく楽しめる。詳細な部分が表現されすぎて、オヤッと思ったフシがあった。岡根が殺されたときに、鍵が盗まれた・・・。これは巻末の方の謎解きで判ること。しかし岡根の部屋の鍵にはピッキングのような痕があったと表記されている。鍵があるなら・・・。読み終えて少し悶々としている。読み解き違いか・・・。

 これは、信州に住む人、長野を良く知る人にとって、楽しく読めるのではないだろうか。ちなみに上州人でも楽しめた事実。ダム問題、名刺折り曲げ事件等々、リアルに書かれており、フィクションでありながら、ノンフィクション的要素があり、そこが楽しい。ドンパチとドロドロしたところがなく、長編ではあるがスカッと読み進められるのも好印象。

 「軽井沢殺人事件」「伊香保殺人事件」「金沢殺人事件」題名を見るだけで既にワクワクするシリーズ作があるようだ。日頃手にしない作者であるが、嬉しい出会いであり、ちょっと癖になりそう。

 そうそう、今の長野県は「長野県」と「筑摩県」が合併して出来ている。恥ずかしながら、その事を本書で知った。
 5月22日 ウォルター・ウェストン  20

日本アルプスの
        登山と探検 

 山をやっている方で、その9割が知っているであろうWalter Westonさん。1割を残したのは、山菜採りも山をやっている人でもあり、そう考えてみた(笑)。それはさておき、特異な人だと思ったが、これほどに楽しい人だとは知らなかった。狩猟民族からくる冒険心と言おうか。当時、日本は完全に農耕民族として生活している中、土地土地を巡って山旅を完結している部分は素晴らしい。「途中はどうであれ、結果を出す」ここは欧米的であり見習わないとならない。

 古き日本が書かれており、異国人が体験した異様な因習などが面白おかしく書かれている。やや揶揄した表現もあるがご愛嬌。そして青木枝朗さんの訳し方の絶妙さもあるから、複合的な部分もあるだろう。

 気になったのは、宿などで夜中騒ぐ日本人を指摘している氏だが、自分の行動のために、夜中にも叩き起こして人力車を手配したりしている。感覚の違いだろうか、少し矛盾しているように感じたが、人は皆、自己中心的とも言えようか。

 それにしても、外国人の目と言うより、一個人として、感性鋭くいろんな情景を記録していたようだ。そして足も達者だったし、根っからのアウトドア系であったからこそ出来た事かと思う。

 少し下世話な話になるが、この頃は案内人を雇っての登山が普通。懐も暖かかったから出来た事だと強く思える。そしてお友達が複数名登場している。ウェストン氏同様に名前が知られていてもよい様に思えたが、ここで始めて知る人ばかりであった。写真などが挿絵として入り、その当時を伝えるセピア色には見入ってしまった。

 文中と最後のギャップ。蜂の行を書いた途中と、最後の嘉門次さんの回想話。ちょっと面白すぎる。全てにウイットに富んでいるって事か。楽しく、常に楽しく、全てに楽しんでいたのであろう。山旅も、この作文をも。

 非常に楽しませていただいた。またまた知らなかった往時が見えてきて山旅が楽しくなりそう。
 
 5月 8日 神津島村社会福祉協議会  19

神津島のお年より作品集 第四集

 島内の温泉とフェリーターミナルに置いてあり、無償で提供している物。かなりの部数が既に発刊されているようで、その中から第四集を手にとり持ち帰った。

 読むと島の昔が手に取るように判る。現在の様子とのギャップ。今でこそ、水が潤沢にあったり、電気やガスが使えているが、ここに書かれている頃には、だいぶ苦労があったよう。そしてまた、太平洋戦争時の事も書かれている。小笠原の硫黄島に代表されるが、離島もまた空襲に遭った場所となり、それら実体験が書かれている。

 読んでよかった。より神津島が好きになれる。昔を知って、今を生きるってことは大事。昔に頑張った人の礎があって今があるって事・・・。島に限らず、そうであろうが・・・。

 ここまでに濃い内容が、無償で読めるとはありがたい。
 5月 7日  菊池俊郎  18

北アルプス この百年

 素直に楽しかった。内容に賛否両論あるであろうが、私は面白く読み進められた。何事においても裏事情と言うのがあり、それを知るってことは至極楽しい。裏と言うか本髄と言うか・・・。百名山を、深田さんの本を読んで登るのと、読まないで登るのと違うように、これを読んで北アルプスに入ると、全く趣が違うかもしれない。

 北アルプスの登山事情の変遷。山小屋、案内人、ルート、他諸々の知らなかった事情を知る。益々北アが好きになれる。じっとしている山ではあるが、そこに人が関わり登山という物が存在する。

 一部の人しか知らなかった事が、ここに公開されている。読むことで、真摯に山に向き合えるような・・・。いろんな苦労があって今がある。山小屋の材木一つとっても、あの太いのを背負って持ち上げていた時代を経ている。建てては雪崩に巻き込まれ・・・。

 これだけの情報量、心底ありがたいと思えたりする。
 4月26日 菊池俊郎  17

山の社会学

 素直に楽しかった。山の雑学が散りばめられ、土地に関する記述は、我が体験と合わさり共感でき、知らない所には至極興味が沸く。

 新聞記者と言う視点だろう、観察眼も鋭く、その記憶・記録がしっかりとしている。そして幅広くコネクションを持っている。縦幅と横幅を感じる作品内容。

 足で稼ぎ、ここでは登山のことであるが、実体験が文章になっている。面白さに、真実と深みがあるわけである。メジャーな情報に加え、マイナーな場所の情報が嬉しい。

 調べ上げての内容も含むが、佐々成政の「針の木越え」が、安房峠だと(でも)つじつまが合う行は、フムフムと読ませてもらった。厳冬期に、ザラ峠からの行軍。違和感を抱いていたのだが、これを読んで、痞えが取れたような気持ちにもなった。でも、真実は判らない。

 12年経過しているが、内容はまだ現代にマッチしている。
 4月17日 清水義範  17

やっとかめ探偵団

 先に読んでいる作品があるので、同じくらいの作風かと思ったが、こちらはかなり力が入っている。先に読んだ方を5とするならば、こちらは9とか10とかのレベルに感じた。内容の濃いシナリオを上手に作った印象を受けた。

 コミカルさの中に、しっかりとしたミステリー性も含ませ、最後の最後まで活字から目を話せない、惹き付ける作品だった。

 楽しさの主たる部分は、名古屋弁の口語表記。その多くを標準語で解説してある。そんなことなら標準語で書けばいいのに・・・なんて思ってしまうのだが、そのウイットさが非常に楽しい。笑いのツボを散りばめ、そのツボをしっかりおさえられるのがこの作者なのだろう。

 作品内容から逸脱して、第三者的に状況解説や描写をしている部分もアクセントとして楽しいし、読みやすさとしているよう。

 言うなればお婆ちゃん探偵。お菓子屋さんを営みながら、地域とのつながりを持ち、ホンワカとした中での多彩な推理。刑事である鷺谷のキャラクター設定もいい。世の中の人の「理想」がこの本の中にあるような気もした。

 また楽しませてもらった。忙しいときほどに、もっともっと本を読まねばと思っている。
 4月 7日 猪熊隆之  16

山岳気象大全

 山岳界では有名な予報士。御仁の観点に触れてみる。

 山屋において気象は、何よりも一番気にせねばならない部分。私も全天候型を自負しているが、天気を具に見ているから、全天候型が成り立っている。気にしていないのではなく、気にしているからこそなのであった。

 読み出して、気象の複合的な難しさを強く感じた。天気と言う生き物を読むのだから当たり前なのだが、その事例からある程度は予想できる昨今。その事例や覚える部分が多く、三歩あるけば忘れてしまう私にとって、なかなか重い書物であった。ただし、ポイントをついて、いくつもの事例、ここでは遭難時などの症例と言ったらいいか、把握しやすく表記してある。これをしっかりと積み重ねてゆけば、山屋としてかなり優位となる。

 日頃からそうしているが、各方面にアンテナを広げ、気象情報を得るってことも大事なようだ。これからはHBCのサイトを頻繁に見ることになる。噂には聞いていたが、この本を読んで初めて覗いてみた。素晴らしい気象情報の詰まったサイトである。ただしそれも、判っていないと使えない情報。

 暇をみつけて何度も読み返そうと思う。この本がぼろぼろになるころ、何とか覚えられるか・・・。

 その昔、林道コース大全(安細錬太郎さん)と言うのを持っていて、各地の林道をオフロードバイクで走っていたことがある。それ以来の「大全」と名の付く書物。
 3月25日 清水義範  15

やっとかめ探偵団
 とゴミ袋の死体 

 非常に読みやすい。肩に力を入れずに、さながらアイソトニック飲料のような爽快感がある。これも作者の腕であろう。

 ごみ収集場所で、千代がその中から片腕を発見する。グロテスクな場面であるが、以降はわりとホンワカした内容となる。

 吉永南央さんの作品にも似ているが、おばあちゃんが事件の推理をしてゆく。世の中においてのおばあちゃんの存在。「老人」と思っている周囲に対し、侮れない力を発揮するおばあちゃん達。探偵仕事を実行するにも、「おばあちゃん」「老人」という事が武器になる。

 名古屋弁での会話。これを読むと、名古屋に行って不自由しなくなるか・・・。こんな時にこんな使い方なのか・・・。ガッツリと書かれた名古屋弁に、ここでもホンワカとした哀愁が漂う。

 封に「名古屋の分別ゴミは日本一やっかい」とある。そうなのか。不思議なもので、すぐ西の大阪は分別なし。大阪出身者が犯人であったなら、このストーリーは成り立たなかっただろうと思えた。

 巻末に自分で書評が書き込めるようになっている楽しい仕組み。他人を意識し、100字に完結に纏めるって難しいかも。
 3月21日  冠松次郎 14

黒部渓谷 

 話に聞く「黒部の主」。初めて氏に触れてみる。時代こそ違うが、このバイタリティーは時代など関係せず、個人の能力。いやはや凄い行動力。宇治長次郎氏などのサポートがあったからこそとも見えるが、それにしても、パイオニア精神、冒険心は凄い。

 ここまでに書かれていると、簡単に読み流せなくなってしまった。一字一句を追うまでにはいかないが、それでも拾うように順番に地形図に押し当てながら現地を自分でトレースしていた。

 山旅の中で、疲れた体でも一日の終わりには記録をしたためたのであろう。その結果がこの詳細な表現内容となるだろう。温度、色、匂いが伝わってくる明細な表現。廊下にはまだ入っていないが、黒部別山付近、木挽沢の付近の様子は記憶と被せる事が出来る。

 ただ、日々刻々と自然は動いており、この内容と現在は大きく変わってしまっているだろう。良いにつけ悪しきにつけダムの存在がある。でも今も、黒部を好み第二の冠松次郎、第三冠松次郎が居るのを知っている。志水哲也さんなどもそうだろうし、高嶋石盛さんなどもそうだろう。

 沢、ここでは渓谷の中の遡行であるが、ここまで冠さんに書かれると、興味が沸く。濡れる事を避けていたこれまで、この先は、濡れる楽しみも山旅に加えても良いか。高瀬川で膝上くらいで流されている私であるから、胸まで浸かるような渡渉は・・・。その点からも冠氏一行の行動は凄いと思えるのだった。

 これは数度読み込まなければならない。他人の山行(行動)文は楽しいのである。
 3月 3日 井上靖  13

氷壁

 久しぶりに読みたくなり文庫本を手に入れる。前回はハードカバーにて読んだのだが、2回目にしても褪せぬ内容に、楽しい限り。不朽の名作とはこの事を言うのだろう。ストーリーが判ってはいるが、楽しめる不思議さ。

 魚津、小坂、美耶子、かおる、常盤、教之助、各登場人物が各々の個性を前に出し、人間らしさを前に出し・・・。色恋を織り交ぜ飽きさせない内容。友情の、ここではザイルパートナーとの友情の強さ。これぞ山屋。

 松高ルンゼに向かう途中に、ザイル切断事故の碑を見ることが出来る。それを見るとこの本が甦る。次ぎに見た時は、より深く何かを思うだろう。暗記はできないが、二回読んだ分だけ頭に叩き込めた。

 主人公となる魚津の存在が好きではあるが、人間臭い常盤支社長に魅力を感じる。このご時勢では少なくなっている人種ではないだろうか。友情に憧れ、上司にも憧れ、モテる位置付けの魚津にも憧れ。

 初版から50年が経とうとしている。でも最近山を始めた人でも新鮮に読める筈。また思い出したように、魚津に会いに、常盤支社長に会いに読み出すと思う。
 2月21日 田部重治  12

新編
山と渓谷 

 「もっと以前に読めばよかった」、そう思う部分と、「今でよかった」、と思う部分とが共存する。

 作品の序盤。共感する部分が多すぎて、染入るように言葉を拾って読んでゆく。その言葉並べが、感動するほど素晴らしく、文節というより単語一つ一つに奥深さを抱く。小島烏水さんも凄いと思ったが、田部さんも然り。当時の精鋭作家のレベルは、物凄く高かったと言えようと思う。

 有名な小暮理太郎さんなどとの同行登山も多い。そしてその歩き方・・・かなり興味深い。この時代に、こんな人らが居たとは・・・。少し穿った見方をしてしまうが、案内役の背を追う登山。ここでは、長次郎谷の宇治長次郎さんとか、あの嘉門次小屋の上條嘉門次さんが氏のガイドをしている。当時はこれが基本であったろう。そして案内役を雇い、宿の多用なども見られ、当時のおいてのブルジョア階級とも思えてしまう。

 山登りなのだが、山を旅することとして語られ、自然と接する時の心持が語られる。私の方がはるかに後発ではあるが、同じ思いの人が居て嬉しかったりした。明治、大正、昭和の時代で山を馳せ、一番いい時代でなかったろうか。現在の下界を持ち上げたような様子は、田部さんが見たら趣がないと言うだろう。

 261頁に、ふと気づいた部分がある。金沢では「拾う」を「ひらう」と口語で言う。不思議に思っていたが、本書の中でも「ひらう」とある。富山出身の氏であるからなのか。でも本書内での言葉並べに方言はない。

 それから、279頁から280頁にかけて、先月登ったマイナーピークの枡形山が登場する。現在の現地は登山対象にはなりえない場所。往時はどうだったろうか。このあたりのマイナーさが同調する気がし、たまたまではあるが嬉しい。

 氏も奥木挽山のピークを踏んでいる。木挽山の蛸入道岩も氏は見ているだろう。なにか読んでいてニタニタしてしまう自分が居る。山行形態が楽しすぎるのである。懐の余裕と時間の余裕からくるものだとは思うが・・・。

 頁数は323ページ。そう多くはないのだが、小さな字でビッチリと書いてあり、内容の濃い、多くを楽しめる作品であった。素人から玄人まで、いろんな感動を受けられる作品かと思えた。
 2月12日 穂積 11

式の前日

 めずらしくコミック。でも、内容は侮る無かれいい感じ。これを読み、作者の兄弟(姉妹)愛を感じるのは私だけだろうか。多用されている点からして、そう感じたのだが・・・。

 6編から構成されている。掴みの「式の前日」は、短い中にギュッと詰まっていて端的で完璧。その次の「あずさ2号で再会」は、色を変えて心に響く。

 絵で表現してあるのだが、言葉並べだけで表現したら、もっと凄い人なのかと思えている。短歌や俳句のように、短い言葉で相手を感動させるのは容易ではない。

 昼休みに一気読みしたのだが、ホッコリと温かくなった一冊。
 2月11日 モーリス・
 エルゾーグ 
10

処女峰アンナプルナ 

 ヒマラヤの8000m峰への初登頂期。1950年6月。これをみると、たった63年しか経っていない事と思い、時代の移り変わりの速さを感じる。その間に、既に14座の高峰が登られ、多くの史実が世に伝えられた。ここがポイント。後発の色々を読んだ後にこれを読んだ訳であり、壮絶なインパクトが、やや薄れてしまった。最初にこれに出会ったら、さぞ衝撃を受けたかと思う。

 近藤氏の訳が、ちとぎこちない言葉並びなのが、少し読みづらくさせているよう。訳者は、原作を忠実にトレースしたのであろうと読み取れる。これは読み手側の感じ方次第となろう。ただし、読み進めると慣れる。

 内容の壮絶さに対し、記憶と記録からなのだろうが、よくもこれほどに現地を振り返り、行動日の内容(詳細)を呼びもどせ、この作品が出来たとものと感心する。誰かがその作業をしていたのだろうか、時として昏睡状態でもあっただろう本人のみでは、この本は成り立たないであろうと思えた。

 書き出しで、63年しかと書いたが、今と当時の装備は全く違う。パイオニア的行動でのルート開拓を含め、なにせ最初に登頂した人ってのは、凄い事である。人の跡(後)をトレースするのは簡単。だからこそのこの登頂記意味合いは大きい。

 下山しながら、凍傷による指を何本も切り落としてゆく状況。これぞ壮絶。これを読んで、栗城氏はどうするのだろうと気にしてしまう。「切らない」と決意したようであるが、組織が死んでしまった物を生き返らせることが可能なのか・・・。医療の進歩が、何かを起こすのか、栗城氏の精神が治してしまうのか・・・。

 作品の中に、日本人とは違う外国人ならではの気持ちの現れも出てくる。武士道精神とは違う部分を感じたのと、外国人ならではの身体的強さ、バイタリティーも感じたりした。なにせ判るのは、荷物の膨大さ。体が大きい分、食も大変だっただろう。

 この手の本を読み終えると、いつも何かの沸々としたやる気が起こってくる。今年も残雪期の高みへのチャレンジをせねばならない。
 
 2月 4日 川上健一  9

渾身 

 1月12日より全国公開している映画。川上さん原作であり、ここでは自分の中での映像を先行させるべく活字で作品に触れる。

 川上さん得意のスポーツ小説。それも珍しい相撲。「シコふんじゃった」などもあったが、同じ相撲でも、モチーフは隠岐の島の古典相撲。20年に一度開催されると言うそれを当て込んでいる。

 20年に一度などと、「間の抜けた」と失礼ながら思ってしまった最初。そんな意識をもろともせず、作品内に引っ張り込まれてしまった。もうその相撲の勢い、激しさに共感され、臨場感抜群。ましてや、隠岐の島を旅して、登場する現地を判っている。水若酢神社も拝観しており、それによる作品の親近感もあったのだ。

 映画が始まったばかりなので、ある程度伏せた感想としておく。主人公は英明であり、そして多美子である。朴訥とした島を愛する好青年。恋愛にも素直で、島と言う閉鎖的な場所においても自分を貫いた。紆余曲折あり多美子と一緒になる。子供は琴世。この琴世の描き方が、年齢を、女の子を良く判った書き方。ここには、川上さんの愛娘のヅキちゃんの姿とかぶり微笑ましかったりする。多美子と琴世との掛け合いは絶妙。ホロリさせられること多々。

 さて、作品内のほとんどが、神前の奉納相撲の様子で占められている。それも一試合である。躍動感溢れる表現内容で書かれ、少し間違うとマンネリ化しそうな取り組み風景を、色を変え、音を変え、緊張感を変え、喜び、悲しみ、笑い、全てを総動員して表現されている。川上さんの力技と思うのだが、いや力んではおらず、自然と書かれたのだと途中から思えた。

 258頁からは涙腺が開放状態になるだろうから注意が必要。いや注意などする必要ないが、完全に心を揺さぶられる感動の場面に入る。これはたまらない。読み手の心をこれほど掴む言葉並べ・・・さすが川上さん。

 相撲の好きな人は、かなり楽しめるであろう。そんなに相撲を見ない私でも、十二分に相撲を楽しめ。その相撲の一歩踏み込んだ対戦状況を知ることが出来た。相撲の深みを教えられる作品でもある。

 戦う相手が当然の敵でもあった。敵対心を持って読んでゆくと・・・ここでも感動を呼ぶ。

 280頁を3時間ほどで一気読み。渾身の取り組みに酔い、渾身の作品に感動。
 2月 3日 伊藤正一  8

黒部の山賊

 やっと手に入った。アマゾンなどでは、古書として高価で出てきている。でも、新書が適正値で手に入った。

 伊藤さんのバランス。内容も当然の素晴らしさがあるが、作者の人としての深みと広さと、そしてバランスの良さを強く感じた。物事を一点だけ見るのではなく、多角的に考える。元々がエンジニアだったからこそなのかと思える。

 「山賊」とあるので、妖怪の話かと思っていたが、両足が地に着いている内容で、我が予想を大きく外す。今に至る北アルプスの黒部エリアの変遷が、当事者によって語られる。「凄い」と「楽しい」の連続で、すぐさま引きこまれてしまう。

 中に書かれている山賊(猟師)が獲った鹿や熊の数に驚く。作品中にタヌキが擬音が上手とあるが、山で起こる遭難には、野生動物の霊が関与しているというのは、まことしやかというよりは、実際なのだろうと思えてしまう。この部分は、脳内のアドレナリンの関係もあるであろう。装備も今とは比べ物にならない時代、疲れての幻聴・幻影はよくよくあったであろう。私も3度ほど実際に体験している。はっきりと見えるから不思議である。

 古い話のようで、たいして経っていないとも言える。先人の苦労があって、今こうして山を歩き楽しめる事を感謝せねばならない。廃道になっている伊藤新道の愛好者が多いのはなぜだろうと思っていたが、答えが判った気がする。今既に興味津々であり伝ってみたい。

 山師としないで山賊である。前半に書かれている彼らの達者な足。山賊と言って間違いないであろう。どれだけ歩ける足を持っているのか、それも重い荷物を持って・・・。

 詳細に書かれている魚釣りの話にも引きこまれる。少しそちらの趣味もしてみようかとも思えた。蛇が岩魚を喰らい、岩魚が蛇を喰らう。そんな絵面が見える自然の場所にボーッとしてみたい。

 各山小屋の成り立ちから現在への変遷。元祖山賊とも言える遠山富士弥さんの存在が光る。ほとんど山を降りずに何年も山中に・・・。山中での衣食住・・・普通に考えるだけで凄いこと。この部分では、平和ボケした今の人間の弱さをヒシと感じたりする。

 話題が多岐にわたり、かなり面白かった。伊藤新道に入る前に、もう一度読んでみたい。付近の過去を知り、またこのエリアが楽しく見えてきた。やはり知らないより知っていた方が、生きてゆくには楽しい。

 作者の素晴らしいのは、ふるきを温めつつ、開発などで山が変わってゆくことに対し、拒むのではなく理解して寄り添っている部分。氏の柔軟な思考は、そのままこの作品の面白さに繋がっているとも思えた。
 1月29日 寺田甲子男  7

谷川岳
大バカ野郎の50年

 善いも悪いも、言い切った物言いに驚くばかり。読み出した最初は、どうしたらいいか、読み辛くてたまらなかった。そして専門用語、ここでは東京緑山岳会で使われる隠語であるが、いちいちカチンと引っ掛かる。読み手側が好き好んで読んでいるので、寺田さんには非がないのだが。それとは別に多くの犯罪履歴を公にしていて、それを素直にウンウンと読めない自分が居た。時代が違い、盗みをせねば腹が減って死んでしまうと言うような、戦前戦後であり、一部では理解するが、全くもって、暴れん坊な、やくざな人生のように思えた。

 周りがそんな時代であり、しょうがないとも思えるが、衝撃的とは違う、とても胸の辺りが苦しい読み物であった。平和でありすぎる今とのギャップからと思いたいが、それでも、寺田さんの素性からくるものが多く、それがあって岩登りの強さとなっているよう。

 暴れん坊な部分に相反し、語られる登山(岩登り)への安全意識に対しては、真っ当な感覚を持ち合わせている。べらんめぇでありながら、少し腰を落ち着けてここを語る部分は、悪魔と天子が共存するかのよう。

 過去に読んだ有名クライマーの名前がいくつも出てくる。寺田さんは、気持ちいいように各人を扱き下ろしている。あの新田次郎さんもしかりで、それにより、裏側の本当が見えたりもした。でも他人を卑下してばかりの内容には・・・。

 とても集団を気にし、集団を好む人である。だから、周囲の人が良く見え、周囲の団体の人の動きが記憶になり、これほど克明に書けるのであろう。それも全て実名である。この部分では、出版した白山書房も凄いと思える。ここでも「寺田さんだから、しょうがないや」となっているのかもしれない。

 反感を買われても、自分でも周囲へはそういう対応なので、気にならない性格なのであろう。人間の強さを感じるが、省みた場合に反省などはないのだろうかと思えてしまった。どれだけキセルをして居たのか。それも公然と・・・そんな時代か。

 なにか山岳図書でありながら、異質な読み応え。誹謗中傷がこれほど多い作品も初めて。でも、言い合いながら、それ相応の間合いで皆が付き合っている。ここでもそういう時代なのかも。

 日本山岳において、変遷がそれこそ歯に衣を着せぬ作文で知ることが出来た。これは寺田さんならではであり、氏が書かなかったら公にはならなかった事も多いかもしれない。

 1月23日 川上健一  6

ビトウィン

 川上さん三連投。楽しくてしょうがなく、もう一冊貪る。作家が10年間作文をしない日々を送る・・・。その間の出来事がエッセイとして書かれている。お金がないようではあるが、それが出来るバイタリティーが氏の家族には備わっているようだ。貧乏生活が心を豊かにし、お子様のヅキちゃんを感性の鋭い人間に育ててゆくのが判る。この部分では、裕福がいいのか貧乏がいいのかとなると、後者の方となるだろう。

 これほどに家庭の中身、周囲を明け透けにしていいのかと思えるほどに、川上さんの家庭内が書かれ、読み手側はそこに入り込み楽しむことができる。この旦那さんにして、この奥さんなのだろう、羨ましいくらいのバイタリティーとウイットに長けている。一緒にひもじい生活を楽しめる精神を持っている奥さんに、至極強さを感じる。

 全体の裏には、10年前にはしっかりと売れ、ある程度の蓄えがあったからこそのブランク期間。ここでは「ビトウィン」期間であったと思えている。日々釣りを楽しみ、地域とふれあい土着民のようになじみ。時に仲間と酒を飲み、畑をして、日曜大工をして・・・。悠々自適な生活で間違えないだろう。それが出来る事を羨ましく思える部分が大きい。さりとて、つつましくハングリーに生活していたのは事実のよう。築100年を経過している家に住んでいる作家家族・・・。やはり川上さんの独特の感性は、いろんな物事の捉えかたが違うのだと思う。

 内容で気になったのは、「小説すばる」の連載されたもののようであり、しょうがないとも思うが、やや反芻、復唱するようなかぶっている内容も多い。普通の小説でもこれらはあるのだが、ややではあるが気になった部分。

 八ヶ岳の南麓。山登りを趣味にしているおかげで、北杜市のそのエリアが、手に取るように判る。作品内に表現されている情景が、かなり明るく脳裏に描かれる事で、より作品を楽しむことができた。

 十二分に笑わせていただいた裏に、人間の本質とは・・・なんて考えさせられてしまう。ディジタル時代に乗せられている今の生活。川上さんのようにアナログ的に生きてみたかったりする。
 1月16日  川上健一 5

旅ステージ

 川上さんとは、恐ろしき作家だとつくづく思える。この異常に発達した感性はなんなのか。それでいて厳かな控えめな言葉並べ。これほどに世の中をピンピン感じたら、もっと言葉を前に出したいように思えるが、日本人のわびさびをしっかり持っている。

 一つは、この旅レポートと言うべき内容を読み、多くの出逢い、経験があり、この感性が養われたようにも思える。なにか山を歩く修験僧とダブるのだが、現世がしっかり見据えられる「悟りを開いた人間」とも思えた。しかし、本人はその部分は謙遜しつつ生きておられる。

 もう一つ言えるのは、この方は全ての体験を大事にしている。その時は気がつかなくとも、後になって振り返られる、そんな体験がほとんど。やはりここでも感性の違いを感じる。同じ物を見ても楽しめる人と楽しめない人が居る。ボーっとしているのが趣味と言う作者。変化のないような景色にそうして居られるって事は、感受性豊かでいろんなものを楽しめる人なのだと思う。

 私も旅好きな一人。川上さんのようにとはいかないが、今後の旅は、少し視点を変えて楽しもうかと思う。気づかされることが多々あった。「無意味が有意義」、このことが判ったり。心の置き所を判らせて貰ったり。

 そうそう、川上さんもそうなら、奥さんの感性もいい。類は類を呼ぶと言う事なのか・・・。

 この本に出会えてよかった。ギスギスした世の中が、かなりゆっくりと動いているように思えてきた。速すぎると思っていた世の中が、そう見えるってことは、少し見据えられてきたってことなのかも。そうさせてくれた本。

 旅は大事。人間を肥やす。

 それにしても川上さんはいろんな旅を重ねている。かなり羨ましかったりする。作文力と行動力が伴うようだ。
 1月14日 川上健一  4

雨鱒の川 

 2004年に映画化されており、少し遅れて作品に触れる。

 ここ最近で、これほどに心を動かされた作品は無い。東北で生きてきた川上さんの素材選び、判っているが故の表現、その詳細・綿密なディテール。一つ間違えると、くどくなってしまいがちな部分だが、その細かさが非常に気持ちいい。作品の中に、大きな瑞々しい川の流れを作っており、リンゴ畑、稲穂の実る田んぼ、見事に情景を伝えている。

 主人公の心平。「知恵遅れ」と言う言葉を使っていいのか判らぬが、授業中のほとんどで、絵を描いて過ごす少年。そして言葉をしゃべれない幼なじみの小百合。小百合においては、二人の特異な感性の中でだけ会話が出来、他の人では成り立たない。よって二人はいつも一緒に居た。他に友達は居ない。

 東北の山村。造り酒屋があるほどだから、町に近い場所だろう。心平は母親との母子家庭。学校を抜け出しては川に行き、ヤスで魚を突いて遊んでいた。家の用事を言いつけられても忘れてしまうような子供。周囲の大人は、それを理解して対応し、周囲の子供は子供なので嘲る。

 第一部の少年・少女期、第二部の青年期、大人になってゆく中で、変わらないもの、変わってゆくものとあり、周囲により二人は引き裂かれそうになる・・・。

 なにか書き出したら、キリが無く書いてしまいそうに、全てが印象深い。手抜きが無く、常に胸の中心に力を込めて読んだような感じ。それが疲れるというのではなく、感情がそれほどに移入されて読んでいたという事になる。

 特に、299頁の「秀二郎爺っちゃ」の言葉が印象的となる。日頃多くを話さない爺っちゃが、多くを語る場面。心平に後悔せぬようと諭しているのだが、この場面は高級なブランデーのような味わいがある。

 全体を通しての東北弁。最初は判らなかったのが、だんだんと判ってきた。この東北弁が素晴らしく生きている作品。こんなに多用したら、普通の人は読めないのではないかと最初に思ったが、押し通されると順応するのである。

 素晴らしかった。なんという力量、そして感覚。

 
 1月11日 奥田英郎 3

真夜中のマーチ

 奥田さんに最初に触れたのは「港町食堂」。エッセイストとしての印象が濃く、作者像を勝手に固めていた。その後、「野球の国」や「オリンピックの身代金」などを読み、スポーツにも長けているのかと、そのオールマイティーぶりに感心をする。本屋で立ち読みした、「泳いで帰れ」で、バイタリティーある人と判り、何となく全てが見えてきた。

 そこに今回の作品。ある程度固められた作者像が、ここで一気に崩壊。こっちも上手い。なんという守備範囲の広さ。人間の大きさを感じてしまう。一方的に書きたいように書いているのであろうが、読み手側心理を良く判っている。計算されず無意識であったなら、それはそれで恐ろしいかも。

 飴と鞭でもないが、作品の中の強弱がとても上手。時間の流れに強弱があり、飽きずに読む事が出来る作品。言葉を変えれば、読みやすい。

 ヨコケン(ヨコチン)とミタゾウの、合コンプロデューサーと客の関係であった二人。ここでのミタゾーのキャラ設定は感心するほど面白い。このツートップで話が展開していくのかと思ったら、途中から綺麗な花が登場する。それもドーベルマンを愛犬とする・・・。

 ややドタバタ劇風もあり、それでいてミタゾウの頭脳が光る落ち着いた部分も出てくる。予測していたのは、ミタゾウの特異なる記憶力からハッピーエンドがもたらされるのかと思っていたが、この予想をノラリとかわされ最後は・・・。

 奥田さんとは摩訶不思議。
 1月 9日 山中 亘  2

ぼくがぼくであること

 一言で表現すると、「凄い作品」。初版は昭和51年。昭和初期生まれの作者が、半生の中での見聞き・体験してきた内容なのかと思えたが、血の繋がった家族において、ここでは秀一と母親なのだが、これほどに高圧的に母親に牛耳られてしまうのかと・・・。

 現代と違い、子沢山だった昔。一部で放任とも言え、当時は子育てや教育において要領が良かったのではないかと思うのだが、ここに出てくる母親は、かなりヒステリカルで口出しが多く、何せ凄い。そして全体に漂う家族の陰湿な部分。この辺りの表現が上手で、主人公の秀一に肩入れしたくなる。

 イライラしながら、やや憤慨しながら作品にのめりこまされてしまう。秀一を応援したい気持ちで貪り読んでしまうと言うか・・・。

 家出した先での他人との出会い。そこでの心のつながり。シュチュエーションが昔ならではだが、そこでの出来事は、大人も子供も「心」を持っている。両親の居ない夏代に出逢い、後半で秀一は気づかされる事がある。

 人生のおいての各々が置かれた状況は様々、そこでの家族の存在。小学6年生であるが、モノローグで語られる秀一の言葉はかなり大人びている。それもまた、母親の負の部分から生まれたプラス要素なのだろう。

 作品に引きこまれ、「家族とはなんぞや」と伝えられた感じ。面白かった。
 1月 5日 吉永 南央 1

萩を揺らす雨

 学生時代を上州で過ごした作者。間違いなく高崎市が舞台で、百衣大観音様が作文の中に見える。そして主人公の草さんのお店は、無料のコーヒーをサービスするお店。私の中では、「大和屋」さんとかぶったりする。登場する町名にしかり、上州に暮らす、もっと言えば高崎に暮らす人は、近親感を持って読み進められるだろう。

 一方、独特の言葉並べで、最初は少し抵抗になったが、慣れたら気になら無くなった。なんと言うか、息継ぎがしづらいというか、少し文章が重くなっており、この手であれば軽さが欲しかったり・・・と最初に感じた(中盤以降は感じず)。

 コーヒー屋のおばあちゃんが、身近に起こる事件を解決して行く。少しフィクションを感じるが、それでも「あるある」的なノンフィクションな現代にありがちな構成となっている。作者の女性ならではの視点なのだろう、具にそんな風合いが感じられ、まだ若いわりには年を重ねた人の観点を、よく文章に表現していると思えた。

 侮れないのは、草はおばあちゃんであるが、かなりの行動派。この部分がこの作品の大きなスパイス。これまで読んだ事のない主人公の立ち位置で、かなり楽しく読む事が出来た。5部作で構成されているうち、どれも甲乙付けがたい仕上がり。手抜き無しと言おうか。ホッコリと温まり、ジワッと味が出てくる作品。

 今後も、この作者を気にしてみよう。