2016 名立たる登山家の最後が並び、それが検証されている。状況と言うよりは気持ちの方で。一番グイグイと心を動かされたのは、森田勝氏のスタンスであった。協調性はあるのだろうが、それでも自分の主義主張は曲げない・・・。一本気であり、下手くそな生き方でもあり。ここでは登山テクニックが下手と言うのではなく、人付き合いの方。 名を遺したクライマーの多くで、語り継がれる気概があるようであり、その各々の個性を知る事に出来る。その個性に対し上手な解説をしている作者。表現が難しい内容を、上手に言葉並べをし、とても分かりやすく書かれている。物書きとしての才の高さを感じたりした。 書かれている全てで単独行者であり、危険に挑む心情やアルピニズムと言われるオブラートに包まれたような内心や内面が、活字となって読める楽しさ。読み終えた後すぐに、もう一度読み返したい心境になるのだった。 読みながら自分にも当てはめてみる。呼ばれている事を感じる時は・・・怪我無く無事に山旅を終えたとき全て。下界と山と、わずかな高度差の時も大きな高度差の時も、そこが山であったら、特別な感情が湧いてくる。山とは不思議な場所とつくづく思う。この作品を読んで、よりそれを思ったりする。 山小屋利用が少ない私。こんなホットな関係が羨ましく思ったりる。
戻る
12月22日
谷甲州
30
遠き雪嶺 下
首のヘルニアにより左手で本が保持できない。その前に病で本を読む気力がなくなっている。困った。
それでも何とか読み切った。ワインで言うならフルボディな山岳小説であり、一時たりとも山の話から離れない。これでもかと濃い内容を貫いている作品。上巻に続き下巻に入ると、戦前と言う時代背景の中での、ヒマラヤに挑む立教山岳部の苦慮した様子が書かれている。
登頂した結果のみ知り得た事が、細部まで臨場感たっぷりに書かれている。よくもここまでと思ったら、しっかり堀田隊長よりの話が聞けていたようだ。貴重な体験談であり、それがまとめられたこの作品は価値が高い。ただし、フィクションとも書いてある。少しは脚色され、読みやすいものに仕上げたようだ。
山登りの中に、いろんなものが見える。
11月29日
谷甲州
29
遠き雪嶺 上
昭和初期の登山事情がよく判り、戦中の登頂レースのような時代を詳細に知ることになる。登山界を大学が引っ張っていた時代。今はどうだろうか。おそらく当時には戻れないだろう。そもそも生きてきた背景が違い、既に人種が異なってしまっているほど。
立教大学山岳部。本書で初めて存在を知る。個人個人、周囲、社会、いろんな障害や葛藤を踏まえ、希望の高みに挑む姿。そしてその経路が詳細に書かれている。壮大でありながら、併せて詳細に記述してあり、活字の一字一句から目が離せない。
上巻が読み終え、次は下巻に。
10月31日
山際淳司
28
みんな山が大好きだった
この先品に最初に気付いたのは、改版が出た2003年だった。なにか仲良し山岳会的内容なのかと勝手に軽い読み物と思っていた。そして今回初めて読む。
10月 8日
樋口明雄
27
許されざるもの
樋口さんらしさ全開の作品でホッとする。これまでの作品からの登場者がそう感じさせるのと、北杜市(作品内では八ヶ岳市)の各場所。今回登場する場所(遭難した尾根も含め)は9割型現地が判る場所でもあった。それがために文字が頭のなかで映像化されやすい。白黒の文字の作品が綺麗なカラーで理解出来る。
国内に居たオオカミ。それを食物連鎖の不均衡を考慮し、ピラミッドの頂点に置こうという計画。ここに表題の許されざるものが係っている。七倉航の生き様と行動力は、バランスはいいものの今回はやや角が立った印象を受けるが、その親子となる羽純の自然味と特異な能力が、上手に打ち消しあってこの作品を優しい風合いにしている。
樋口さんは、人間の背負った部分を作品内で表現する事も多い。裏の部分となるのだが、そこを見え隠れさせ登場人物をより読み手に浸透させやすくしているように思える。よりその人を知ることは過去を知ることでもあろう。
オオカミの内容とは別に、巻末に遭難の話が入っている。ここでは植草女史においての許されざるものが読み取れる。
良い作品であった。全572ページ、満足!!
9月26日
山前 譲
26
山岳迷宮
全8作品が作家を違えて納められている。樋口さんの「モーレン小屋」は、標高二八〇〇米の中にも納められているので、反芻するようにまた味わう形となった。各作者の力作が並ぶ、その手法が各々違うので、その技が楽しめる感じであった。
「冷たいホットライン」では、完全に私も誤解させられ最後の展開に驚いた。この発想が出来る人ってのも感心する。無線という電波のからくりもしっかり盛り込んである。傍受していた人には・・・。
山風味満載で濃い珈琲を飲んでいるかのように全てを楽しめた。
9月14日
夢枕獏
25
呼ぶ山
8作品が収められている。どれも秀逸で、作品内に入り込んでしまい、時に心臓をバクバクさせ次の展開を待つ場面さえあった。山と怪談は付きものであるが、リアリティーの濃い宗教と抱き合わせた事柄もある。一番印象に残ったのは「鳥葬の山」で、人の身体をくくりで刻んでゆく儀式の場面は、ドキドキさせてもらった。この鳥葬のしきたりは、上州の山間部にも存在し、この作品に見るような石の舞台がある。それを見ているために作品がより浸透しやすかった。この作品のオチがじつにいい。
「ことろの首」は現世の軽い風潮への戒めに感じたり、「カパーラ」では、やはり山においては見えない山の神が存在し、常に見られていることを思う。全てに作者の山での経験豊富さが、上等な表現方法となり仕上がり、体内感覚にまで届く文章表現になっているのだと思える。
「歓喜月の孔雀舞」は、大崎 梢さんの「ねずみ石」に少し被る印象を受けた。ベース素材は信教と神事という事なのかもしれない。歓喜月も面白く読めた。
安定感があり、読み終わりが心地よく、復唱するようだがちょっとした部分でも山の表現が上手だからだろうと思う。
8月29日
高野秀行
24
異国
トーキョー
漂流記
ここ5冊は、早稲田大学探検部員だった方の作品しか読んでいない。でも、ここまで楽しいと自然と読み進めたくなる。フィクションではない事の楽しさ。そして高野さんの類稀なコミュニケーション能力の高さからの、外国人との出来事。些細な事も多角的な観点から捉え、分析・考察し、そんな中でも瞬時に対応している。背景には、記憶力の良さがあるのだろう。そうでないとこれだけ多くの他国語を覚えられないし、出来事の詳細を、それも他国語会話の中でのことを記憶しているってのは、記憶力の良さを思わずにはおれない。
日本人の農耕民族的な思考もよく理解しつつ、海外を良く知り、広い心を持って国内に居る外国人と対峙している。慣れた間合いというか、押したり引いたりの強弱がうまい。ブトーの中では、語学習得までの付き合いで十分のはずだが、関わる女性らの講演を何度も見に行っている。作者自身はしょうがない事と書いているが、そこまでするのは、心があるからだろう。もう一つは、行動力があるからでもあろう。
積極的な行動の中では、各国の作家や教授と出合いがある。元大統領のクリントンが関わるような事までも作者が関係していたりする。「スゲー」としか言いようのない話も、飄々として驕らない作者の作風は、そんな全てを面白さとして表現している巧みさ。コミュニケーション能力に長けているので、読み手側の気持ちがよく判るからだろうと思える。
いろんなところに行き、いろんな人に出会っている人は強い。旅は大事とよりいっそう思う。
8月27日
角幡唯介
23
空白の五マイル
「開高健ノンフィクション賞」を得た作品。これで3作品目を読ませてもらう。らしさ、イズム、スピリッツ、世界観、人生観、これらが文面からストレートに伝わってくる。一見、無意味な、破天荒に思える行動と判断される冒険だが、全てにおいて、「その後」にもたらされる大きな意味を得る部分では、無意味なんて事は一切無い。
高みはメディアに持て囃されるが、渓谷はそこまでではない。ただし世界の屋根からの樋であるツアンポー渓谷は、一部の人によく知られた秘境であり、誰しもが踏み入れられない事から、角幡さんのこの行動は、その一歩一歩全てが評価される。
作者が言うように、今では衛生画像で秘境が見えてしまう。その昔は謎であった、現地に行かないと見えてこない場所は、机上で見えてしまう時代。こんな時代に挑む意味があるのか・・・。経路と結果重視の冒険ではあるが、その冒険にも少し変化が出てきているよう。
堂々無許可での行動。読む側での評価が大きく分かれるだろうが、作品内にはもっと細かい部分でもルールとは別の、理性や本能で動く場面が書かれている。ある意味、そのくらいの人でないとここまでの行動は出来ないのだろうと思えた。
危機管理は準備から全て一人でなされている。ようは自己責任でリスクは全て自分に降りかかってくる。後半、ザックに20cmほどの穴が開いて縫いつつ行動したと書いてある。一般的には、その時点で行動は終わるだろうが、そんな状況やどんな状況でも立ち止まり諦めたら死がある状況。自分を追い詰めているわけではないが、そうしながら生きている実感を味わっている氏、この積み重ねはどんどん危険側に向かって行くのだろうが、危険が増す割合より経験値が増す割合のほうが上回るのが氏の行動だろう。文面では破天荒に見えるが、書けないもっと詳細な部分では、かなり神経質に行動しているように見える。トライするまでの下調べの多さが読めるが、そこからも判る。
自然との向き合い方と併せて、人との向き合い方が素晴らしい。いろんな人種と接し、その間合いの取り方を知っている感じ。これらも全て経験なのだろう。人間の大きさを感じる部分。
海外での、この長い距離の単独行、凄い体力と凄いバイタリティーである。
8月18日
高野秀行
22
幻獣ムベンベを追え
恐るべき早稲田大学探検部。角幡さんに続き高野さんの作品を読んだが、本当は読む順番が逆で、おそらくは角幡さんは高野さんの影響を大きく受けているように、その作文から感じられた。それはそれとして。
幻獣を追うことの、一見バカらしいようなことを、命を懸けて挑む様子。そしてそこで感じたこと、その後感じたことからは、幻を追ったことでもの凄い大きな影響がある。人間の強さとかバイタリティーとか、なにをやっても通用するような我慢強さを養ったり、逆境の中で広い心が養われたり、やはりここでは行動することの意味と意義を感じたりした。でも、ネッシーのような幻獣を追うってのが主たる目的。なんとも、そのギャップが楽しい。
巻末に、当時のスタッフのその後が書いてある。みんな立派な社会人になっている。普通とは違う強さのある人間力のある・・・。生き方、行動の仕方としては、高野さん率いる彼らのほうが上を行くだろうと思う。猿を食べたり、それを美味しいと思ったり、平和ボケしている中では絶対に体験できないこと。いい作品であった。
8月 4日
角幡唯介
21
雪男は向こうからやって来た
「見えていなかったもの」が見えるのかと読み始める。がしかし、最初に見える写真を見て、これまでと状況は変わらないようだと読めた。それはそれとして。
大の大人が、メディアを伴ってネパールの現地へ出向き、ポーターを雇い大枚をはたいて真剣に雪男を探す・・・。馬鹿げた事を真剣に行う面白さ。以前ならそんな風に片付けて終わりだった。
作者は自分が隊に参加し、事前に出来うる調査をし、現地入りしている。全てを体験し見えてきたこと・・・。センシティブな作者だからこそ、ここまで掘り下げて言葉に出来るのだろう。「雪男」を納得がいく形で文章化した最初の人なのではないだろうか。
雪男の存在の真実さを出す為か、有名な登山家が複数人登場している。多くの見た人は、誰一人としてカメラにその見たものを捕らえていない。摩訶不思議な雪男。雪男は向こうからやって来て姿を現す生物のよう。
さあ、このあと雪男探しは続くのか。ある程度、作者の検分で見えてしまっているのか・・・。
7月25日
角幡唯介
20
探検家の憂鬱
ウイット力の高さ、言葉を文章にする能力の高さ、人間力の強さ、そんな部分を強く感じる人であった。各書評に角幡さんの文章を読み、どんな作文をするのかとこの本を選んでみた。予想通りの筆力。少しくどい反芻するような部分も見られるが、それは出版社の編集によるところが多いだろう。
なかなか言葉に出来ないことをずけずけと言葉に、文章に出来ている。口ごもる事柄でもストレートに書き出す。なんともスマートでスッキリさせてくれる。そして長年の疑問や向き合って答えられなかったような事を、作者は真正面から自分の言葉で答えている。ここでは、「そうか、そんな角度でも考えられる、そうそう」と納得したりした。
ただ、そんな作者だからこその憂鬱な部分もあるよう。ようは大雑把のように見えるが、実際は繊細なのだろう。でないと、単独での冒険行動はとらないだろう。このような人が多くても大変だが(笑)、居なくても困る。強いバイタリティーを持った、楽しい人間はこの世の中に必要。破天荒である事には違いなく、その危険性が伴う事で、作者の名前を有名にしている部分はあろう。本人はその危険性を楽しんでいるようではあるが・・・。遊び方、趣味の範囲が作者には及ばないものの、私の根底は、作者と同じようなイズムなのかもしれないとも思わされた。
独特な作風でもあり、面白く読む事が出来た。
7月13日
ジョン・
ガイガー 19
サードマン
伊豆原さんが巧みに訳しての作品と思うが、どうにも海外の原作の場合に読み辛さがある。フェルマーの最終定理もそうだったが、これも同じ印象を受けた。文法的なことなのかと思うが、なかなか捗らずに読み終えるのに時間がかかってしまった。これもまた慣れかもしれない。
幻影幻覚=心霊現象やお化けと言ったような超常現象と言えようことが起こる。ここは起こるとハッキリ言いたい。2004年5月に30時間近い行動をした最後の林道歩きで、私の20mほど前を人が歩いている。すぐに追いつく距離だが努力しても距離は縮まらず、表れたり消えたりした。ここでは全く恐怖心は無かった。間違いなくサードマンであり、長時間の歩行による疲れが引き起こす事だとこの時は理解していた。
作品内には沢山の例が羅列してある。その多さが事実である事を示しているのだが、多すぎて食傷気味であり、本質を突いた部分でもっと書いて欲しかった気がする。それでも、解析しようとした学者先生の様子も見え、多角的な検分がされている事を知る。
書評している冒険家の角幡さんでさえ見たことが無いのを知り、ちょっと優越感があったり・・・。それはさておき、「これ」と言う解き明かしは私には判らなかった。非日常におけるストレスが脳に作用し、また人間の持つ潜在的な何かと言う部分は新たに理解した。
6月27日
宮城公博
18
外道クライマー
なんという人だろう。いやなんというホモサピエンスだろうと言ったほうが適当か、破天荒の極みであり突き抜けている。突き抜けすぎて、危険や、そこに伴う怖さが慢性化してしまうほど。この部分は作者本人も同じであろう。
しかし、行動に対しての表現力は素晴らしく、「人は何故山に登るのか」の問いを、判りやすく説明しきれてしまうのではないかと言うほどに言葉を紡ぎ出す能力を携えている。そこにセンスを感じるのだが、このセンスが在るから、沢での行動、困難に出遭った場合の突破力が生まれ、アイデアも出てくるのだろう。
那智の滝での行動と、その行為に対する報道により、かなり叩かれたが、なにか沢に居るヒルのような強さを感じる。ここでは型に嵌らない生きる強さ。この点でも、クリエイティブな切り替えの上手な人って事になろう。
じつに楽しい作品だった。そこに結果が伴っているので、破天荒な内容に誰も文句の言いようが無い。私は、冒険とは「どうだすごいだろう」ということなのかと思っているが、完璧にそれを全うしているよう。
平均的な人が居ても何も生まれない。作者のような人が居て新しいものが生まれてくる。法律も大事だが、法律どおりでは何も生まれず、ましてやつまらない。違法性を孕むから面白かったりする。
書評をしている角幡氏の表現も素晴らしく沁みる。読み終えて、なにかやる気だ出てくる。影響を受ける作品はあるが、そこに「やる気」を引き出してくれる作品は稀。
6月14日
高波吾策
17
谷川連峰
魔の山に生きる
吾策新道を開作した高波氏の作品。机上や予想ではなく、実際を体験し現地や各事象を知っている人の内容であり、興味深い記述が多かった。昔が判り、そして各ルートの詳細も書かれガイドブックの役目も果たしている。幾分過度な個人感のような部分も読めるが、それでも「安全第一」を一番にした場合、全く間違っていないとも言える。
高波氏の破天荒な生き様があり、今の谷川岳一帯が登山し易く保たれているとも言える。寺田甲子男さんと被る年代の記述、新潟と群馬との両巨頭な印象を持った。
オールマイティーな登山家であり、実際に自分で何度も足を運んで踏査していたり、谷川岳エリアにおいて、氏に断定的な物言いをされても、言われる側は頷くしかない。酸いも甘いも知り得ており、ここまでになると凄い。
何故にこの本を読もうと思ったかと言うと、土樽の氏の胸像を見てこの人の生い立ちを知りたいと思えた。谷川岳の楽しい面と怖い面とを作品から感じたが、危険な場所は危険と書いてあるが、その前後の文字使いが巧みで、いいルート、いい山に読み取れ岩場のバリエーションルートに入ってみたくなるのだった。
なにせ圧倒的なバイタリティーを感じる人であり、そんな作品であった。
5月30日
新田次郎
16
冬山の掟
新田作品は、一部その奥方が書いていると囁かれているが、今回の短編集はそれを少し感じさせる女心が女性でしか表現できないような部分を感じ、噂が噂でないような思いにもなった。
各遭難作品。僅かな判断がその後に大きく影響する。些細な下世話な原因だったり、下界における痴話がそれだったり・・・。そこの部分を最後に角幡氏が解説に書いている。運不運も多い遭難だが、それとは別に防げる遭難も多いと・・・。
久しぶりの新田作品。山が濃く心地いい。そして昭和風味が郷愁を誘うような、少しスルメを噛んでいる時のような味わいとなっている。
5月10日
冠松次郎
15
渓
先達の山岳記録、非常に興味深く楽しい内容が詰められていた。職漁師の北アの谷での話も以前楽しんだが、山旅としてのど真ん中の記録であり、一文字一文字が見逃せない重い内容でもあった。バリエーションなどと今は言葉があるが、往時は道の無い場所が多く、山歩きはこうであったのだろうと判る。修験の場所からの変遷の中での一時代・・・。
今では怒られてしまう夜行も、この時代は普通にされている事も読める。往時の灯具や装備の中では、よほどのバイタリティーが無いことには、藪を夜間に這うのは大変であったであろう。
あとは、よほどの資金力がないと成り立たないと感じる面もある。大所帯の中でのボッカや山師(作文内では山の人・山の者)へは当然の対価が払われていた筈である。これほどの山行を往時のやり方で実行できている裏には、懐の豊かさが伴っていたのだろうと読める。
それにしても、羨ましい限りの行動と経験。今では伝えない楽しめない場所の記述もあるからそう思うのだが、自然地形の変化で入れなくなってしまった場所もあり、これら記録は重要になる。
渓の楽しさに沢山触れさせてもらった。山遊びの中に谷を伝うことももっと増やしていこうか・・・。
4月18日
南木佳士
14
草すべり
上州に生まれ信州で暮らす作者。この作品は近しい見知った場所が舞台であり、それが浅間山。親近感があり、ホンワカとした文体にほっこりとさせてもらい、且つ時に鋭く言葉を伝えている。世の中の広角な見方、生き方の選択肢を広げてもらった感じがする。
・・・引用・・・
からだの芯で確かな熱が発生し、全身の汗腺から汗が噴き出る。サウナに入って無理に搾り出す汗とは全く異質な、からだのまっとうな代謝を行った証拠としての汗は、たったいまここに、まぎれもなく自分があるという事実をいかなる言葉より雄弁に保障してくれる。
この行は印象に残り心地いい余韻が続いた。
独特の作風、山行記を読んでいるようでありながら異質な感じがしていた。そして最後に書評を重松清さんがされている。そうか、そうだよな、と判ったのだった。
4月 7日
千坂正郎
13
ガラスの塔
まず、この作品に出会えたこと、この作品が入手できた事に感謝したい。あと数年で、出てこなくなるのではないだろうかと思う。
さて中身。濃く、深く、熱く、真っ直ぐ、時代背景がそうだったと言う事もあるが、今に比べると苦労はあるものの生き易い様に思える。巻末のあとがきを読んで驚いたのだが、この作品にしても、女性、ここでは女学生の言葉が荒れているので、書き方に苦慮したと作者が書いている。逆を返すと、日本語の荒れ方は、この辺りの年代からはしまっているのかもしれない。
主人公の小塚。近しい人間二人の死を経て、人生がそれにより大きく影響する。途中の山小屋で言う康絵の感覚が通常であろうが、他、恵子やゆき子、鮎沢もまた小塚に近似したセンシティブな心を持っているように読み取れ、この作品を面白くしている。
当時らしいアルピニズムを語る場面がある。論争や論議がされた中で、活字での表現があちこちでされていたのだろう。今現在を生きる中で、そのアルピニズムは何処で守られているのか・・・大学山岳会でもなければ、本当に一部山岳会に留まっているのではないだろうか。時代は大きく変わってしまっている。自分を含め・・・。
「氷壁」の魚津と、小塚の人間性や生き様が被る感じもある。ここでは後発のこちらが影響されたようにも感じるが、それはそれとして双璧な作品に思えた。心をつかまれ、引きづられ、存分に楽しませてもらった。快読!!
3月30日
熊谷達也
12
懐郷
「磯笛の島」「オヨネン婆の島」「お狐さま」「銀嶺にさよなら」「鈍行列車の女」「X橋にガール」「鈍色の卵たち」、全8作品がとても秀でていて味わいがある。大半が女性が主人公であり、女性目線なのだが、そこだけではないジェンダーフリーな意識で読み進められる。各所で響いてくるフレーズがあったのだが、特に、銀嶺にさよならの中で、学生運動に参加している行で、「若者による祭りの本質は、ものわかりがよさげな、しかし、醜く老成した大人たちがおのれの保身を企てて作った秩序を、生命の力で破壊せんとする抗議行動にほかならない」。デモと祭りを対比させた表現がとても気に入った。
題名どおりの懐古的な内容ではあるが、それが全てではなく不思議な新鮮さも伴う作品であった。「女心」が判る作品でもあるが、作者は男性であり、その手腕は凄い。
3月17日
浅葉なつ
11
山がわたしを
呼んでいる
山が舞台比率が90%程だろうか。軽妙で居て、背骨がしっかりした作品と言うか。登場人物すべての良心が素晴らしく心地いい。とっつきやすい仕上がりであり、主人公がこの分野に無知と言う事もあり、山に対して疎い人も楽しく読めてしまうのだろう。
3月11日
熊谷達也
10
荒蝦夷
「まほろばの風」を先に読んでしまっているので、ちょっと順番を間違ってしまったかと思ったが、それはそれとしても阿弖流為の父である呰麻呂を楽しむことができた。でも、それでも読む順番は、こちらが先のほうが絶対にいいであろう。時系列からも。
ただ、坂上田村麻呂の登場のしかたの美しさなどは、逆だったからこそ、「まほろばの風」内での活躍がより面白く感じさせられたようでもあった。
戦国時代の東北。人肉をも喰らうことをしていたのかと、その場面では腹に力を込めながら読まねばならないシチュエーションもある。そして武将として長けていた呰麻呂の生き様は凄まじく、それを見ていたからこそ、呰麻呂にない部分を阿弖流為が持つことになったのだろう。
時代物はあまり読まないが、なぜか熊谷さんの作品は抵抗無く読めてしまう。読ませる力量って事なのだろう。じっくりゆっくりと味わい読んだ。
2月26日
湊かなえ
9
花の鎖
小説として充実しており、読みきり感が古い文豪の作品を読んだときのような雰囲気があった。若い作家さんなのに手腕が凄いと思えた。それには、昭和を感じさせる部分と、父母、祖父母と関わる長い時代背景を読む事になるからかとも思えた。
「花の鎖」。ここまで粋に作品に嵌る題名も久しぶり。そのままでもあるが、作品をよく表現していて、おそらく何年後かに題名を見てもストーリーの全てが呼び起こせるほどに一体感が出ている。
スルメのような噛み応え、いや読み応えを感じつつ、やや貪るように読み進める。梨花、深雪、紗月、不思議なKとの繋がりと言うより、梅香堂のきんつば繋がりのようで、ここでの和菓子のやわらかさが、作品全体に沁みていて心地いい。
母、祖母、花(コスモス・リンドウ)のパーツが、最後に組み合わさる。
いつか、もう一度読みたいと思える作品となった。
2月17日
柴田よしき
8
夢より短い旅の果て
「横浜高速鉄道こどもの国線」は知らないものの、続く「急行能登」と「北陸鉄道浅野川線」、さらに「氷見線」と北陸が舞台の場面が続くので、見知った場所として親近感を持ちつつの読み初めであった。
そしてしっかり現地ネタを盛り込んであり、テッちゃんならではの楽しい視点に、旅好きとしてはすぐに馴染めてしまう作品となった。いつからミステリーになるのかと待ち遠しいが、そこは置いておく事にして純粋に旅が楽しいと思わせる作品となっている。受身ではなく能動的に楽しさを探す事が鉄道の旅でもあると思えた。
困った事に「四十九院」が馴染まず、最初のうちは何度もルビのある場所を見返したりした。印象的ではあるが入ってこない苗字なのだった。その四十九香澄が主人公となり、大学のサークル、鉄道旅同好会に加入して一人旅を始める。
同行会長の井上のキャラも秀でている。またOBの近藤や柳原の温かみのある位置取り、同じ趣味を持ったものが通じ合える温かさとなろうが、各人の位置取りが心地いい。そこに見えてこない園部の存在・・・。慶子が事件に絡むと思ったが・・・。
ガイドブックのようにも読めるし、小説としても楽しい。この2面性を持った作品であった。既に次号作が出ている。読みたくてウズウズしてしまう。
2月 8日
褐F平製作所
7
抜萃のつづり
その七十五
今年も冊子が届く。36作品が詰まっている。どれもこれもホロッとさせられるのだが、今回は涙モノは少なくドライな感じで読む事が出来た。少し名の知れた人の知らなかった部分が知れたりする。そこが面白かったりするのだが、それなりに名を残す人は実直に生きてきたことも伺える。
とても温まる一冊であった。
2月 2日
樋口明雄
6
オン・ザ・ロード
久しぶりの樋口さんの作品。全く裏切らない期待通りというか樋口節というか、望んでいた欲求のストライクゾーンど真ん中で仕上がっていた。
ただ、フィクションでありながら、きわめてノンフィクションな事を題材にしている。北杜市に住みながら、そのお隣の川上村の問題を語っている。川上村とは直接書いていないが、登場する竜臥村=川上村とすぐに読み取れる。やや強く厳しい書き方に、こちらがハラハラしてしまう。これでは川上村全土が当てはまり、敵視されてしまうのではないかと思えた。でも、それほどに不正を指摘したい作者の思いも感じられる。
そしてなんと言ってもスピーディー。間髪入れず次々に事故が続き、胃に力を込めながら、それを解けないまま読み進むような感じであった。見知った地理名が登場するので親近感があり、山梨の人はよりそれを感じるだろう。作者の住居する周辺が舞台になっている。
美緒の登場は、作者の前作を読んでいる人には嬉しいし、その前に動物の登場と表現がとても心地いい。
一方で無慈悲。ここまで善人が巻き込まれるのもなく、なにか今までにない作家の防波堤を越えた作品で新鮮にも思えた。
自分の周囲にも中国人労働者がいる。作品内で読み取れる内容とは違うとは思うが、もしかしたら似ているような入国経路もあるのだろう。
3時間ほどで一気読み。楽しませてもらった。そして問題提起となって外国人労働者の環境が変わることを願いたい。
2月 1日
原 宏一
5
穴
青木ヶ原樹海。知られる知識としては、磁石が使えない、自殺の・・・、そして富士の裾野。富士の関わるこれらの事が作品内でロク爺の説法として読め学ぶ事ができる。
世の中に追い詰められた人の行き先が、今回は青木ヶ原樹海の、そのなかにある洞窟。そこで先住しているロク爺に、後からカズヒロ、コタニ、タツコと加わり共同生活が始まる。強い個々の思いの駆け引きがモノローグとして語られ、全体を通しての面白さになっている。穴と言う洞窟を社会として見立てれば、一歩外に出た人間はみなそんな部分を持っており、それこそ同じ穴の狢的に比喩されているようにも読めた。
意外にも富士山信仰の昔をも学べてしまう。女人禁制が解けた謂れとか・・・。
国や政治や、社会や人生や、考え方捉え方次第でどのようにもなり、どのようにも変えられる。そんな広角な思考にもなれる。ただ現実って部分も強く思え、それが最後のオチなんだろう。ややハチャメチャな感じもあるが、上手に読み取ると有益。これを書いている時の作者は、かなり気持ちよかったろうと思えた。
1月25日
原 宏一
4
暴走爺
これは、別の意味で凄い。通常と言うか、多くの小説もオチがあったり、感動のためにハッピーエンドに締めくくるって事をするが、こんな最後に出逢ったのは初めて。そして最後7ページにわたる、読点や句読点の少ない作文には驚いた。こんな書き方があるのかと思えたのと、それまでの作文に対し、バケツをぶちまけたような内容で、なんとも言えない凄まじさであった。この作者は独特と思っていたが、ここまでの技巧派とは。過激派と言ってもいいかもしれない。
暴走族が住宅地にやってくる。すでにここで暴走族かどうかも判らないが、その1回の進入が、とんでもない展開になってゆく。
この作品で、世の中に潜む解釈の違い、個々の思い、判断の様々、モノは言い様、いろんな面を学ばされる。それが書ける作者であり、世の中をより広角に見られるのであろう。
そして作品内の裏切りの繰り返し。これもまたポイントかもしれない。人は「信用したい」と思うのが普通。悉く裏切られる話展開。三国志ほどではないとしても、裏切りの繰り返しが、それを経験したものが強くなってゆく様が見える。
で、最後が凄い。感動とかそういうのは無く、読み終えての気持ちの抑揚は無かった。ただ最後は、エッって思わされた。
1月18日
原 宏一
3
床下仙人
5作品が収められている短編集。作者のサラリーマンに対する、いや世の中に対する観察眼、そして経営のいろはと表裏の知識は、作品に笑いながらも学ぶべき所は多い。本音と建前があり、本音を出せないでもどかしいと思うが、いざ本音で行動すると、こうになる、なんてのが「派遣社員」内に読める。
最初の「床下仙人」も、ややお化け的な話に思うのだが、リアリティーとの狭間を表現しており、その微妙さが面白い。「てんぷら社員」などは、現在のコンピューター主導での仕事のウイークポイントを上手に突いている。
作者は、家庭を顧みないサラリーマンに警鐘を鳴らしている感じがする。日本人の働き過ぎへの警鐘とも言えるかもしれない。フィクションとして誇大表現になっているが、そうしていると、こうなるよ、と読める。
普通よりやや落ちぶれた感じの人生を滑稽に表現するのが、この作者の真骨頂かもしれない。宝くじを当てるような、人生の高望みを持ちつつ、実際は大変な現実の中で生きて行くような。平民目線。それがために方に力を入れずに読める事にも繋がっている。
坦々と書かれているが、キラリ光る部分も多い。
1月 7日
今野 敏
2
とせい
軽快で読みやすく、ほとんど一気読みで楽しめる作品だった。それでいて、軽いながらも伝わってくる人間味が多い。
ヤクザは、暴力団と極道とは違う。作品内では、そのヤクザと堅気が入れ替わっているような場面があり、今の乱れた社会の中では、筋の通った人間味のあるヤクザの方が真っ当なのではないかと感じる行もあった。そこが大きなこの作品の楽しさ。
途中、小説に関しての殿村の言葉が並べられている。ある意味、作者の作家としての本音と、そこで生きてきたなかでの感想でもあるのだろう。作品内に身を置きながら作者が話しているような感じでもあった。
ヤクザではあるが日村の人柄、その親分の阿岐本の人柄、そして取り巻きのキャラクターが強すぎず弱すぎず心地いい。そこに心があるから・・・。
出版業者の再生をヤクザが・・・。痛快!!
1月 4日
原 宏一
1
握る男
「ヤッさん」の楽しさに魅せられ、これも読んでみる。上手い。そして素晴らしい観察眼と感性。この作者が企業経営をしたら・・・なんてことまで思ってしまった。
仕掛け、仕組み、かけ引き、言葉遣い、食品業界のみならず各企業において、この本は参考になるだろう。ただし強引な経営をする場合。でも、こんな悪どい商法も無きにしも非ずで、本音と建前の中では、あちこちであることなのだろうと思えた。それが経済の中で蔓延っており、政治でもまた同じ。そんなこんなの意表を突かれた内容で、散りばめられた経営格言に都度納得したりもしてしまった。
でも最後は・・・。
「キンタマを握る」と言う表現が、この作品の中に何十回現れることか。最初は第二主人公のゲソの言葉であったが、最後になると主人公の金森も使うまでになってゆく。牛耳る中でのノウハウとして「確かに・・・」と思わされることも多かった。鮨屋としての握ると、経営側の掌握する意味での握るが書かれている。
独特の空気感。それで居ながらどこかキリッとしていて、ゲソの読めない、見えてこない存在(過去)が、推理小説のような読み応えでもあった。これだけインパクトのある作品も珍しく、いろんな意味で心が揺さぶられた。