離山 2307m
2007.11.17(土)
晴れ 単独 大武川林道ゲートから 行動時間:11H07M
(離山山塊は5峰で形成されている。ネット上既出(07.11.17現在)の表記(仮称)を使わせて頂き、北から第四高点、第三高点、第二高点、第一高点、離山と表記させていただく。)
@大武川林道ゲート4:34→(27M)→A朴の木橋取付き5:01→(61M)→B1320尾根合流点6:02→(13M)→C1393高点6:15→(51M)→D大岩7:06→(66M)→E岩屋8:12→(58M)→F第四高点9:10〜14→(14M)→G3・4のコル9:28 →(13M)→H2・3のコル9:41→(8M)→I1・2のコル9:49→(14M)J離山手前のコル10:03→(13M)→K離山10:16〜11:06→(12M)→L第一高点11:18→(5M)→M1・2のコル帰り11:23→(9M)→・
2・3のコル帰り11:32→(18M)→N3・4のコル11:50→(22M)→O第四高点12:12〜20→(133M)→P1320合流点14:33→(33M)→Q林道に降り立つ15:06→(4M)→R朴の木橋(往路取付点)15:10→(32M)→Sゲート15:42
@大武川林道ゲート。ゲート脇には朽ちたブースあり。 | A朴の木橋左岸側から。 | 取付きから8分ほどで尾根に乗る。 | B1320合流点にはKUMOが付けられた。 |
C1393高点。尾根が右に曲がってゆく。 | 葉が落ちて途中からも離山が見えている。 | 甲斐駒のモルゲンロート。木々が無ければ・・・。 | D大岩。ここは左に。 |
D大岩の左側。何も問題ない。 | E途中の岩屋。 | E錆びた鋸。柄の部分に缶切りも見える。 | E岩屋前に転がっていたナポレオン。山にナポレオンとはリッチだ! |
2200m付近の立った岩。岩の頭を伝うと先へ行って降りずらい。 | 岩の手前側に60mmほどの細いバンドが下りている。 | 左の絵の先に進んだ場所。下から撮影。 | F第四高点のプレートは前回同様に落ちている。 |
F「←400m先」が書き加わった。 | F第四高点にもKUMOが縛られた。 | 第四高点から第三高点。早川尾根には薄っすらと雪が。 | 第四高点から南西に尾根があるが、西に向かうような浅い谷形状を行くと降り易い。 |
西側から巻き込んで3・4のコルに向かう。後ろは第三高点側の岩壁。 | KUMO氏のクレモナタイプのロープが上部の松から垂らされていた。 | Gお約束の3・4のコルからの甲斐駒ヶ岳。 | G3・4のコルから見る第三高点側の斜面。15mほど駆け上がり左(東)にトラバース。 |
第三高点を左巻きしている。上から下を撮影。 | 第三高点を巻き終える付近。出ると右側に2・3のコルがある。 | H2・3のコルから巻いて来た側を見る。 | H2・3のコル。ここを反対側へ乗越す。安全通過は中央の木にザイルを掛ける。 |
H2・3のコルから西側。6mほど下に着地地点がある。その下は切り立っている。 | H下からコルを見上げた絵。 | I2峰を西側から巻いてきて、1・2のコルに出る。 | I1・2のコルからは2〜3mの岩登り箇所がある。気の利いた手がかり足がかりが無い。 |
第一高点を左(東)側から巻き上げてゆく。往路は第一高点山頂を通らず。 | 第一高点南側から離山。 | Jルートどりをミスり、コルのやや下側を通過。 | 少し下り過ぎてしまい、行き詰まり懸垂下降。 |
K離山最高点から西側。 | K最高点から南側。花崗岩の砂礫。 | K西側に行くと展望の良い休憩適地がある。 | KこのピークにはKUMOが似合う。いたずら書きを追記。 |
K山頂から甲斐駒と粟沢山。 | K西側から東側の最高点を見る。樹林の中に岩屋がある。 | K岩屋。狭いが一人分はある。 | 離山から第一高点を望む。第一高点の方がはるかに高い。 |
今期初めて雪を踏む。 | 第一高点南側の奇岩。かなり大きなオブジェである。 | L第一高点頂上。なかなか居心地の良い場所であった。 | M1・2のコル上から。高低差3〜4m。 |
Mここはザイル必携。ザイル無しでは危険。(落ちても死にはしないが痛いだろう) | N3・4のコルの第三高点側スラブの上から。岩の上に土が堆積し、下降は緊張する。本来は、東側にルートがある。 | N途中からアプザイレン。着地前はスラブ岩の下部がオーバーハングになり、1〜2mほど宙吊りになる。 | O第四高点帰り。 |
前回は敗残兵だったが、今回は奪取成功。兵隊らしく鉄兜を被っているような・・・。 | P1320合流点の様子。左の木に2本の絶縁テープが巻かれている。 | 1320からの尾根。この絵は11月3日の同じ場所の絵と対比されると面白いかも。 | Q林道に降り立つ。古いコンクリートの上に落ち葉が堆積。 |
Q取付き部には道の左右にKUMOとピンクのリボンが下がる。 | R朴の木橋帰り。 | R朴の木橋右岸の取付き場所の目印。 | Sゲート到着。 |
週中に会議をしていたら携帯の電話が鳴った。誰かと思って出てみるとKUMO氏であった。なんと”今、離山山頂に居る“と言う。そして近日に狙うなら、第四高点の危険箇所にザイルを残置しておくがどうかと問い合わせであった。私の月初めの不甲斐ない山行を見るに見かねて出向いたのであろう。生温い山行で平然としている私に、「ザイルを残しておくからもう一度行って取って来い」というところかもしれない。日頃は優柔不断の私であるが、KUMO氏の命には背けない。二つ返事で回収を誓った。氏は前々日から行動しており、角兵衛沢ノ頭を踏み、前日は嫦娥岳を踏んで来たという。そしてこの日が離山であった。やはり「怪人」で間違いないだろう。長年の間、藪山歩きを第一線で貫いているところも見習わないとならない部分である。と言うことで、頭を悩ます事無く行き先が決まった。
1:15家を出る。野辺山のコンビニをパスして長坂のセブンイレブンに寄ったのだが、ここは全くパンの様相が違っていた。惣菜パンは皆無。水は無くともあまり気にならないが、ヤキソバパンが無いとザックが寂しい気がするのであった。3:30大武川林道ゲート前到着。大体の時間は読めているので、1時間ほど仮眠をとることにした。南川さんが4回目の正直で登頂したそうだが、今回2回目の私は如何に・・・。今回の装備は、ザイルは40mでなく20mとした。既に登頂したKUMO氏情報だと、プレートの有る第四高点からの下降が一番の難所となり、他で出したい場所はあるが通過距離は10m以内でカバー出来るとの事であった。前回の訪問で第四高点は西側を巻き込むように下るルートを見出しているので、20mで十分とした。これでだいぶ荷の軽減が出来た。
4:34ゲートを越える。外気温0度。少し仮眠が出来たので体内の余熱で暖かい。だんだんと外気温に体温を奪われがちになるが、負けずガツガツ歩いて自家発電。それでもあまり汗をかかないように抑えつつ歩いてゆく。前回の山行から日が近いのだが、今回はほとんどロスタイムが無く歩ける事となる。南川さんが5時間半で踏んでいるようだが、さて自分は如何に。朴の木橋を渡り、正面に見えるガードレールの裏から斜面に取付く。急登を数分の我慢で稜線に上がる。稜線に乗ってしまえば、道が有るのと同じで無毛の尾根を行く。驚いたのはその視界で、前回は紅葉を愛でながらなどと言っていたが、その葉もほとんどが落ち、木々の間から周囲の山が見渡せるのであった。とても歩きやすく、ここの適期は今であるのかもしれないと感じた。しかしその反面、なにやらきな臭い音がする。どうやら猟期が始まったようである。要注意時期に入った。
1320の尾根合流点にはkumoが縛られていた。ここからも見知ったルートなので前回とほとんど同じルート取りで高度を上げてゆく。大岩は左に巻いて東側の尾根に乗って上に行く。岩屋には相変わらず鋸と缶切りがあった。さらに岩屋の西側斜面にはブランデ−の緑色のビンが転がっていた。二回目でも同じ事を思うのだが、登りは非常にルートを見出しやすい。しかしこれが下りとなると一変する。枝尾根が派生する分岐箇所には適当にマーキングを残す。
9:10第四高点。4分ほどで軽い朝食として、核心部に向けハーネスを着ける。ルートは谷形状の所を辿り、西方向に下りて行く。前回はここを真っ直ぐ南西に降りたのだが、西に下った方がザイルを出す距離が短くて済む。降りて行くとKUMO氏の残置ロープが見えた。支点は前回私が取った木と同じ場所から取ってあった。少し東側にトラバースしてロープを使って懸垂下降。20mを2ピッチに分けてロープを流してあった。コルに降り立ち甲斐駒を眺める。相変わらず良いアングルである。
さてここからが問題である。前回を踏まえて第3高点側に少し登り上げてみることにした。大きなスラブ状1枚岩の下部までは15mほどを上がると、その左(東)側にしっかり道が上がっていた。さほど危険箇所は無く、前回にここが見出せていたならばと悔やむ部分でもあった。もう一度おさらいとなるが、3・4のコルからは左巻きの3ルートほど見出せるが、一番上のルートが正解となる。トラバースルートは足つきもよく、捕まる場所もあり不安箇所は無い。第3高点を左(東)巻きで斜め上に高度を上げながら進んで行く道となる。巻き込むと次に第2高点との2・3のコルとなる。中央に松の木があり、そこから西側に下りて行くのだが、足元がかなり崩れてきている。途中に1.5mほどの段差があり、この段差は刻々と距離が広がって居るようであった。そのうちにサポートが無いと上がれないような場所になるであろう。
第2高点は右(西)から巻いてゆく。途中2mほどの危険箇所があり、緩い土が乗っている足の下は切れ落ちているので慎重に通過したい。ここを過ぎると第1高点とのコルになる。ここから第1高点側は3mほどの軽い岩登りの場所で、掴む物は岩しかない。ここで帰りにザイルが必用になる。這い上がり、左(東)の斜面をトラバースしてゆくと目の前に花崗岩の砂礫の場所があった。侵食による奇形な岩もあり、地蔵岳側の展望に長けている。目指す離山は目と鼻の先。少し尾根を外して南に下ってしまったら降りられなくなり、3mほどザイルを出す。直下の暗部からは少し樹木を掻き分け進むようなルートになり、離山山頂到着。スタートから5時間42分であった。
頂上の樹林の中には岩屋があった。山頂は東西に長く、東端に最高点があり、西側は砂礫の気持ちよい場所になっていた。西に甲斐駒と粟沢山、早川尾根越しに仙丈岳。目の前の地蔵岳(実際見えているのは前衛峰)にはオベリスクが空に突き上げている。風が冷たいが日差しもありぽかぽかと気持ちが良い。ひとつだけ残念な事があり、離山として5つの岩峰で形成されているのだが、この最終地点が最高点ではないのであった。ここから見える北側の第1高点の方がはるかに高い。なぜこちらで標高点を取ったのか。あと第四高点から離山間には、これまであったマーキング類は皆無になる。マーキング主の諸氏全てが第四高点で引き返しているようであった。
展望も良く居心地がいいので珍しく長居となった。帰路は第1高点にも登頂するべくルート取りをした。風雨により形成されたオブジェも見られ、脆い花崗岩を腕力で登って行く。第一高点の山頂部も広さがあり、テントを張れる環境であった。周囲の白い花崗岩と山頂部の緑とで、空中のオアシスのようでもあった。2峰側に少し進むと行き詰まり、東側に下りて行き往路の踏み跡を辿る。そして1・2のコルのところでザイルを出し、コルに降り立つ。次は第2高点の左(西)巻き。巻き終わりコルに登り上げる場所は、右側の岩壁に手を突っ張るようにして腕力で上がる。背の低い人や、コンパスの短い人は苦労する場所であると思う。崩落が進んだら、往路でここにザイルを残しておかないと戻る事が困難になるやも知れない。コルに乗り、第3高点は右(東)巻き。3・4のコルを下にして、安易に降りていたらスラブ状の岩の上を歩くことになり、ここでもザイルを出し6mほどをアプザイレン。岩のエッジで2mほど宙吊りになるのだが、ちゃんと往路を辿ればこんな羽目には遭わないのである。さて3・4のコルまで戻った。後は第四高点までの登り上げ。KUMO氏のザイルを回収せねばならないので、西側のルートは封印し、直登ルートで回収しながら登って行く。12:12第四高点再び。回収したザイルとハーネス類をパッキングし快調に下る。
途中の分岐箇所は、やはりマーキングのありがたさを感じる。今回は前回より視界があるはずなのだが、前回以上にルートを見出しにくかった。2回目となって緊張感が欠けてきていたせいかもしれない。1320合流点から北西尾根を下るのだが、標高1100mから二つに派生する尾根を左(西)側に降りてみた。ここはKUMO氏が辿った尾根のようであり、新しいマーキングが続いていた。辿ってみて感じたのだが、1100mから北に続く尾根の方がはるかに歩き易い。しっかりとした尾根が林道脇まで降りているので、ザレ地の通過時間が短くて済む。一方西側の斜面は長い時間ザレと付き合わねばならない。KUMO氏もそれなりに登りに苦労したであろう。しかしながらこの離山全体として、核心部以外は何処を歩いてもさほど危険な場所は無く、好きなルート取りが出来ると思う。
林道に降り立ち、朴の木橋までは昔の大武川林道を辿る。再びここを歩くことがあるだろうか、登頂してしまうと前回の林道トラブルも笑い話に思える。大武川の流れの音を聞きながら下って行く。次にここに来る時は宮の頭を狙いに来る時である。こちらはゲートの南側にしっかりとした切開きが確認できたので、これを伝えば稜線に上がるであろう。同じような植生なら、ここも今の時期が狙い目かもしれない。15:41ゲート到着。敗残兵無事山頂奪取と言ったところか・・・。
なお、11月3日の登行記と併せて読むとさらに詳細に理解できると思います。
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