滝入ノ峰  1310m   天目山   1576m    大栗山  1591m   七跳山  1651m


 坊主山   1640m    酉谷山  1718.3m   滝谷ノ峰  
1710m   水松山  1699.2m


  梯子坂ノ頭  
1710m     長沢山  1738m    柱谷ノ頭 1708m   小屋セドノ頭  1820m


  芋木ノドッケ  
1946m     小雲取山  1937m   権衛ノ頭  1840m   七ッ石山 1757.3m


  千本ツツジ 
1700m     高丸山 1733m   日蔭名栗山  1725m   鷹ノ巣山 1736.6m
  

 2008.11.15(土)   


   晴れのち雨   単独    東日原を起点に反時計回りで周回   行動時間:18H


@東日原駐車場0:01→(48M)→Aヨコスズ尾根取付き0:49→(49M)→B滝入ノ峰1:38〜44→(9M )→C登山道に合流1:53→(44M)→D一杯水避難小屋2:37〜40→(32M)→E天目山3:12〜17→(16M)→Fハナド岩3:33→(28M)→G大栗山4:01〜06→(37M)→H七跳山4:43〜47→(45M)→I坊主山5:32〜39→(22M)→J酉谷峠下6:01→(1M)→K酉谷避難小屋6:02〜11→(18M)→L酉谷山6:29〜35→(53M)→M滝谷ノ峰7:28〜33→(38M)→N水松山8:11〜16→(2M )→O天祖山への下降点8:19→(6M)→P梯子坂ノ頭8:25〜35→(25M)→Q長沢山9:00〜04→(29M)→R柱谷ノ頭9:33〜36→(24M)→S小屋セドノ頭10:00〜07→(36M)→《21》芋木ノドッケ10:43→(29M)→《22》大ダワ11:12→(23M)→《23》雲取山荘11:35〜37→(46M)→《24》小雲取山東側分岐12:23→(14M)→《25》権衛ノ頭12:37〜42→(16M)→《26》小雲取山東分岐再び12:58→(17M)→《27》奥多摩小屋13:15→(37M)→《28》七ッ石山13:52〜55→(14M)→《29》千本ツツジ14:09〜13→(34M)→《30》高丸山14:47〜51→(22M)→《31》日蔭名栗山15:13〜17→(18M)→《32》鷹ノ巣避難小屋15:35→(28M)→《33》鷹ノ巣山16:03〜06→(72M)→《34》稲村岩17:18→(34M)→《35》登山口17:52→(9M)→《36》駐車場18:01


 
yuuryoucyuusya.jpg  tozanguchi.jpg  onehenobunki.jpg  takiirinomine.jpg 
@駐車場。バリケードとチェーンがされていた。 登山口 A「19−060」と書かれた標柱の場所から尾根に取付く。 B滝入ノ峰の達筆標識。
takiirinominesankaku.jpg  tozandounigouryuu.jpg  hinangoya.jpg  tenmokuyama.jpg 
B滝入ノ峰 三角点 C滝入ノ峰北側、この標識の所で登山道に合流。 D一杯水避難小屋。水場は未確認。 E天目山山頂。日中なら展望がいい。
tenmokuyamasankaku.jpg  tenmokuyamakaratozandou.jpg  hanadoiwa.jpg  ookuriyama.jpg 
E天目山三等三角点 天目山西側の分岐。 Fハナド岩。ここも展望が良い。 G大栗山の標識
ookuriyama2.jpg  hashigobashi.jpg  nanahanehigashi.jpg  nanahanetemae.jpg 
G大栗山の山頂部 登山道には梯子橋がいくつか現れる。 七跳山東の分岐標識 H七跳山東側ピーク
nanahaneyamamidashi.jpg  nanahanesaikou.jpg  bouzutorituki.jpg  bouzuyama.jpg 
H七跳山東側ピークには、見出標に山名が記されている。 H七跳山西側ピーク。事典はここで標高を取っている。 坊主山の取付き点。この裏から駆け上がった。 I坊主山山頂の図根点。
bouzuhixtuseki.jpg  torikomareta.jpg  toritanitougeshita.jpg  toritanihinan.jpg 
I「坊主山」と書かれたテープ。 I山頂には標識を取り込んだ木も見られる。 J酉谷峠下分岐 K酉谷避難小屋。小屋の前には「使用禁止」の注意書きが。
koyanohouraku.jpg  koyanaibu.jpg  mizuba.jpg  toritaniyama.jpg 
K小屋の下が崩落しており、使用禁止にしてあるようだ。 K小屋には単独の男性が居られた K小屋前の水場。かなりチョロチョロ。 L酉谷山
toritaniyamasankaku.jpg  toritaniyamaminamide.jpg  syamennni.jpg  takidaninomine.jpg 
L酉谷山二等三角点 酉谷山の南(行福ノタオ付近)の分岐。 滝谷ノ峰に向けてこの斜面を駆け上がる。 M滝谷ノ峰山頂。
tawaone.jpg  takidaninominehigashi.jpg  takidaninomineminami2.jpg  takidaninomineminami.jpg 
M「タワ尾根ノ頭」と書かれたテープが残る。 M滝谷ノ峰の東側 滝谷ノ峰を南に下るとこの標識の場所に降り立つ。  左の絵の標柱にはこのように。
atatagihigashinise.jpg  tozandoukaraararagi.jpg  araragiyama.jpg  araragitaxtupitu.jpg 
水松山に向かって行くとこのように尾根道があるが、左が無難。 直下から水松山に上がる。 N水松山山頂 N水松山の達筆標識
araragisankaku.jpg  tensoyamahenokakouten.jpg  hashigozakahigashi.jpg  tensoyamahenomichi.jpg 
N水松山三等三角点 O天祖山への下降点(地形図には描いていない) P梯子坂ノ頭。長沢山を望む。 P梯子坂ノ頭から天祖山への道(これが地形図に描いてある)
noboxtutekitasyamen.jpg  nagasawayama.jpg  hashiradanitemae.jpg  hashiradanino.jpg 
P水松山側から登って来た斜面 Q長沢山 柱谷ノ頭の東のピーク R柱谷ノ頭には道標が立っている。
hashiradaninohigashi.jpg  hashiradaninominami.jpg  negaharu.jpg  koyasedonishi.jpg 
R柱谷ノ頭から北 R柱谷ノ頭から南 柱谷ノ頭の先の根の蔓延る通過点。  S小屋セドノ頭西側
koyasedohigashi.jpg  mituminekaragouryuu.jpg  imokidoxtuke.jpg  imokidoxtukeshita.jpg 
S小屋セドノ頭東側 三峰側からの道との分岐点 21 芋木ノドッケ 芋木ノドッケ下の分岐
oodawa.jpg  kumotorihyuxtute.jpg  kumotorisansou.jpg  makimichibunki.jpg 
22 大ダワ 廃墟となった雲取ヒュッテ 23 雲取山荘。小屋前の水場には「飲むと10歳若返る」と・・・  山頂と巻き道との分岐
kokumotorigawamakimichi.jpg  kokumotorihigashi.jpg  gonenokashira.jpg  gonenokashirahigashi.jpg 
小雲取側の巻き道分岐  24 小雲取山東側の富田新道と奥多摩小屋との分岐  25 権衛ノ頭。東京都水道局の標識が立つ。  25 権衛ノ頭東側 
gonenokashiranishi.jpg  tomitashinndousasa.jpg  bunnkihutatabi.jpg  subarashiimichi.jpg 
25 権衛ノ頭西側  24の分岐(小雲取側)に向かって登り上げる。  26 24の分岐再び  26 分岐からのフカフカの登山道。 
gouryuu.jpg  okutamakoya.jpg  heripo-to.jpg  nanatuishinobori.jpg 
県境稜線に戻る。小屋側から撮影。  27 奥多摩小屋  ヘリポート  七ッ石山への登り 
nanatuishiyama.jpg  nanatuishisankaku.jpg  nanatuishihokisei.jpg  hokora.jpg 
28 七ッ石山山頂  28 七ッ石山三等三角点  28 七ッ石山の北西に大岩がいくつも見える。  七ッ石山東の祠 
senbonntutuji.jpg  senbontutuji2.jpg  tamakarunobori.jpg  takamaruyama.jpg 
29 千本ツツジ山頂  29 千本ツツジの水道局の標柱  高丸山への斜面 防火帯のような道。 30 高丸山山頂 
hikagenaguri2.jpg  hikagenaguri.jpg  takanosuhinan.jpg  takanosuyama.jpg 
31 日蔭名栗山  31 日蔭名栗山の標識  32 鷹ノ巣山避難小屋 テン場もある。  33 鷹ノ巣山 
takanosusankaku.jpg  hirumeshikui.jpg  inamuraiwabunki.jpg  inamuraiwa.jpg 
33 鷹ノ巣山二等三角点  ヒルメシクイのタワ  34 稲村岩  34 稲村岩側。青緑色の岩が目立つ。 
haidounobunki.jpg  minotobashi.jpg  inamuraiwaonetozanguchi.jpg  cyuusyajyoukaeri.jpg 
途中、廃道になった橋側の指示標識はきちんと切断されていた。  巳の戸橋まで来るとゴールも近い。  35 稲村岩尾根への登山口  36 駐車場に到着。チェーンが張られ入れないようになっていた。 


  

 木曜日は大潮の満月。その月を帰宅中のフロントガラス越しに見上げていると、その見事な月に久しぶりに夜行をしたくなった。空気が澄んだ時期なので、月明かりの透過率もよく、寒さ対策さえすれば適期とも言える。おかげ様でここのところ肺の方も調子がよく、久しぶりに長駆の計画を立てることにした。


 目を付けたのは奥多摩の県境稜線。ここは以前に秩父の浦山渓谷側から天目山林道を伝って狙ったのだが、残雪のつぼ足に疲れ果てて、天目山までも辿り着けなかった。おかげで稜線の山はごっそりと残っていた。私は常々マイカーハイカーであり登山口と下山口を違えると大変なのだが、日原地区を起点にすると見事な周回コースが出来上がった。地図平面距離ではおおよそ35キロであるが、途中にはいくつも日原林道に降りるエスケープルートもあり、天候や体調によって臨機応変にコース変更も可能であった。


 20:20出発。秩父市から299号で飯能市に向かい、正丸トンネル手前から53号線で名栗に出る。小沢トンネルで青梅市に入ったら、その先で53号を離れ松ノ木トンネルを経て軍畑大橋の袂に出る。あとはずんずんと青梅街道を西進してゆく。都内からの帰宅者だろう、各駅周辺にはサラリーマンや学生の姿があった。人気の少ないまっ暗な中を黙々と歩く姿は、奥多摩でありながら東京を感じる部分があった。奥多摩駅の所で青梅街道と別れて、日原街道へと進む。こちらに入るとすれ違う車はパタッとなくなり、静かな山道をゆっくりと登って行く。そして日原トンネルとくぐると目的地到着。しかし駐車余地はたくさん見出せるものの、そのほとんどに「駐車禁止」と書かれていた。書かねばならないほど無法者の登山者が多いということだろうか。結局東日原の有料駐車場に突っ込むのだが、ここもなぜかバリケードが置かれ、その隙間からやっと入れたような状態であった。工事用車両がデンと停まっているところを見ると、どうやら工事車両専用駐車場になっているようであり、登山者の駐車場として解放していないように見えた。でもここしか停める所がなく・・・。0時出立と決めてあり、後ろに移りしばし仮眠とした(22:50)。


 23:45準備をするのに外に出る。外気温は11度、この時期にしてやけに暖かい。街灯の明かりを利用して靴ひもを結び準備完了。今日は長駆であるのだが、食料はバナナ3本、水は750mlのみとした。登山を舐めているのかと怒られそうだが、全ては自己責任、やる本人はいたって真剣。0時ちょうど、月明かりの下、駐車場をスタートする。


 東日原から西進すると登山口を示す道標があり、山手側の舗装路に入りそこを登ってゆく。すると2つ目の道標があるのだが、これが舗装路を行くように示しているのか、その路肩にある、人一人分の道を示しているのか判らず、路肩の方を選択する。笹の覆うような場所もあり、山手側のフェンスの先からはシカの目がいくつも光っていた。狭い山道なのだが、外灯も点在している。こんな所を夜歩く人が居るのかと思ってしまうが、必要だから点けているのだろう。暫く進むと民家の脇を通り、外灯の存在理由が判った。さらに進むと2軒目の民家(廃屋か)があり、その先から九十九折の山道が始まった。「奥多摩工業」と書かれたプレートの架かる赤茶けたフェンスに沿った登山道を行く。


 いくつ目の道標になるか、「19−060」の銘板が打ちつけられた道標の場所から登山道を離れて尾根に取付く。この尾根は広葉樹が多いようで、この時期は月明かりが嬉しいほどに差し込んできていた。下草も無く、登山道とそん色ない状態で歩く事ができた。時折シカの集団が“ドドドー”と近くを駆け抜ける。尾根は滝入ノ峰が近くなると少しアップダウンも出てくるが、危ない場所も特に無く、時折マーキングも見られ安心して歩ける尾根であった。


 スタートから1.5時間経過。滝入ノ峰に到着する。1992年4月に設置した達筆標識が残っていた。これ以外の標識は皆無であり、16年間山頂を守り続けてきた標識に「お前、やっと来たか」と言われているようでもあった。三角点は、まるでストーンサークルのように周囲を石で囲まれ、これもまた珍しい絵面であった。トランシーバーを握ると都内の夜更かし族の声がよく聞こえていた。この先は少し尾根が狭い所もあるが、踏み跡はしっかりしているので伝えばいい。登山道に合流すると、そこには「保安林」と書かれた黄色い標識が架かっていた。当初はここから滝入の峰にアプローチしようと思っていたが、これほど歩き易い尾根なら、ここまでのコース取りは大正解であった。


 登山道に乗るとさらに歩き易い。普通は夜間だと少しスピードが落ちるものなのだが、ここはそれが無い。それほどに状態がよいのであった。そして目の前に茶色い建物が現れた。一杯水避難小屋である。深夜なので中に泊まりの方が居ると失礼なので内部は覗かず。ここでバナナを一本食べ先に足を進める。小屋の裏辺りから尾根ルートが天目山に向かってあるようであったが、山腹のトラバースルートを伝ってしまい、山の西側から戻るように山頂に登り上げる。


 天目山の山頂は東側が開け、月明かりで周囲の山々の様子がしっかりと見えていた。当たり前だが、お日様の下ならさぞ展望が良かった事だろう。北側の斜面には三角点測量の台がひっくり返っていた。笹の中に付けられた道を戻り、再び登山道に乗る。この先の酉谷山までの間にある山は、全てが登山道を逸れて登る山となる。登山道は南側山腹にあるので右(北)側に注意しながら足を進めてゆく。途中ハナド岩にも立ち寄るが、ここもなかなか展望の良い所であった。


 右側を気にしていたものの目立つ道標が無いので大栗山も行き過ぎてしまい、ここも西側からのアプローチとなった。コース取りが悪かったのもあるが、笹の斜面を這い上がる。大栗山の山頂部には立派な標識が付けられていた。縛ってあるビニル被服の針金は、先ほどの滝入ノ峰で達筆を縛っていたものと同じであった。ここからの下山も西側に降りたのだが、県境ライン上はやや歩き辛い場所もあった。登山道に戻るとこの先には4箇所ほど梯子橋がある。これらの橋の場所を除けば、里山ハイキングをしているような、なだらかな道が続く。


 前回2座は通り過ぎてしまったので、今度の七跳山は注意しながら手前からルートを探ってゆく。すると登山道から取り付く場所にある木に「七ハネ山 ↑」と書かれた赤い標識が付いていた。これは少し高い位置にあるのだが、周囲の笹があるために高い位置に付けたのだろう。気にしていないと見過ごしてしまうような標識であった。最初は笹の中の道、そこを過ぎると針葉樹を左にして歩き易い斜面、そして再び笹の中の道となり、登り上げると見出標に先ほどと同じ筆跡で「七ハネ山」とマジックで書かれていた。でもここはちと山頂からずれているようで、西側に一度下り、少し登り上げた場所に境界標柱が埋め込まれていた。山名事典ではここを山頂としているようであり、ここでザックを下ろして儀式となる。この七跳山の県境ルートはしっかりしており、先ほどの大栗山に比べると遥かに歩き易い。でも大栗山にしっかりした標識があるのに対し、こちらには無い。西進しながら北側を見下ろすと、秩父の夜景が綺麗に見えていた。これが夜行の楽しみの一つである。


 登山道に戻りたおやかな道を進んでゆく。真上から月明かりが差し込み、無理をすればヘッドライト無しでも歩けるほどであった。次の坊主山は東側からでなく、南の尾根を伝ってみた。取り付きには水道局の林班の赤い標識もあった。最初は笹涸れの中で、中盤急登、そして山頂が近くなると下草の無い歩き易い斜面となり、ダラッとした山頂部に到達した。そこにある殆どが落葉樹でこの時期には展望がある場所であった。主図根点が埋められ、その近くに「坊主山」と書かれた絶縁テープが巻かれていた。ななかな広い場所で居心地はいい。下山は西に向かう踏み跡に伝って行く。


 だんだんと夜が白み始め、夜明けも近い。長い梯子橋を通過し、先のほうを見ると酉谷避難小屋が見えた。足を進めると酉谷峠の分岐となり、小屋の方へ進んでゆく。すると事もあろうに小屋の前にはタイガーロープが張られ、「使用禁止」との張り紙が下がっていた。その理由は一目瞭然で、小屋の土台となっている南側斜面が崩落し、小屋が崩落しかねない状況だからであった。でも危険はあるもののそうすぐには壊れそうに無く、中に入ってゆくと単独の方が食事中であった。「速いですね〜」と開口一番に言われ、「ええ」と答えると、「一杯水からですね」と、この辺の地理やコースタイムを熟知された方のようであった。「いやいや東日原からです」と言うと驚いていた。私からすると、このログハウスに一人で一夜を過ごせるなど、こんな羨ましいことはない。ここは窓の開口も大きく、寝ながら星空が見える場所でもあったのだった。温かい室内と情報量の多い御仁とで、長居したくなる気持ちを抑えて出発する。小屋の前の水場はチョロチョロとしか流れが無く、水を溜めるには時間がかかりそうな水場であった。


 再び酉谷峠に戻り、尾根伝いに西に進むと二等三角点の待つ酉谷山に到達する。東の雲海の上から朝日が上がり、その温かさが体に感じられる。今日の天気はどこまで持ってくれるのか・・・。南側の展望がよく、この先足を進めたい石尾根側の山々が遠くに見えていた。しかしその遠さに、「無理かも」などと後ろ向きな気持ちも生まれてくる。ここも県境上の道はしっかりしており、下って行くとトラバース道との分岐には、山頂を示す道標も建っていた。地形図には載らないが、県境ルートも公式登山道のようであった。ここからは周囲の青い笹を見ながらの身持ちよい歩きが続く。時折シカが跳ね、その白いお尻がピョンピョンと動いていた。


 この先にある滝谷の峰は、どこから取り付こうか悩むうちにどんどんと足が進んでしまい、結局真東から取り付いた。途中の斜面は少し急で、ゆっくりと枯れた笹を掴みながら上がって行く。山頂は長細い場所で、そこには「タワ尾根ノ頭」と書かれた絶縁テープが残されていた。坊主山にあった筆跡と同じであり、同一人物の残したものであろう。しかし現在は、地形図に「滝谷の峰」と表記されてしまったので、誤記ではないが直しておく必要はあるかもしれない。下山は南に下るのだが、登山道との合流点の標識には一連の筆者の案内書きが残されていた。この標識の北側斜面は踏み跡が不明瞭であり、こちらから登る場合は、適当に斜面を駆け上がると、その先で踏み跡に出合う。


 この先、水松山へもたおやかな道が続く。途中尾根道とトラバース道とが分かれるが、尾根道を辿っても一山越えたところでトラバース道と合流していた。そして大きな二重山稜の場所を通過すると水松山直下となる。どこからでも取付ける下草のない斜面があり、真南から這い上がる。水松山には本日二つ目の達筆標識が待っていた。三等三角点もあり、四方を大きな石で守られていた。なかなか広い山頂で、木々の間から遠望が利く。トランシーバーを握るとKUMO氏からも応答があった。そして西に下ると、そこが天祖山への下降点分岐であった。既にスタートから8時間を経過、通常ならこの辺りで稜線を降りるのが無難な所だろう。


 水松山と次にある梯子坂ノ頭の距離は近い。しかしルートは北側山腹を進むようにあり、途中から道を逸れ尾根斜面を駆け上がる。すると梯子坂ノ頭の山頂部には南北に道が通っており、これが地形図に書かれている天祖山への道であった。東から登りあげて来たので、西側にはデンとした長沢山が見える。山頂中央には境界標柱が埋められ、それ以外の標識類は皆無であった。西進してゆく。


 梯子坂ノ頭の先も一級の道が続く。場所場所で気持ちよさが違うのだが、この辺りの風景は西上州を思わせ、寂れた感じが好印象であった。梯子坂ノ頭から20分ほどで長沢山に到着。ここは長細い山頂で、標識は西側の端の方に設置してあった。ただ、そこより東側の方が高いように思えたのだが・・・。このピークから先は、たおやかな部分から少しゴツゴツとした様相に替わる。露岩に根が巻き付いたような高点を過ぎ、その次にある標識のある鬱蒼とした狭い場所が柱谷ノ頭であった。気にしていなければ完全に通過点となる場所である。周辺には石楠花が密生しており、時期には華やかであろう。


 柱谷ノ頭から南進し小屋セドノ頭への登りになると、再び根の蔓延る尾根となる。知恵の輪のように絡みついた根は生命力を強く感じるほどに強固に見えた。ここを過ぎると再びたおやかな尾根になり、気が付くと小屋セドノ頭に到着していた。ここも通過点のような場所で、気にして居ないと通り過ぎてしまう。山頂部は広く、特に標識類は無い。ただ明るく気持ちのよい場所であった。


さてだんだんと雲取山エリアに入ってくる。どこかで誰かとすれ違うと思って歩いてきたが、会ったのは小屋の御仁だけで、登山道上では皆無であった。道幅も広くなり、その周辺にはおびただしい倒木も見える。それらを見ながら少し登り上げると三峰口への分岐で、ここに来て初めて人の声を聞いた。芋木ノドッケは懐かしい場所で7年ぶりの再訪となった。見るもの全てが当時のままであった。ここから急峻に付けられた道を下って行く。登山道周辺の木々には、シカ避けのネットが張られ、そこに「芋木ノドッケ」と殆どのものに書かれていた。こちらの登山道に来ると、流石に雲取山があるので賑やかになる。大パーティーがすれ違ったり、老若男女のハイカーの姿か見られた。大ダワからは男坂を登り雲取山荘へと上がる。ちょうどお昼時であり、下山者も出払ったのか静かな山小屋の風景があった。

小屋から階段を上がり、その先の分岐は巻き道の方を選択した。ここまで来たら本当なら雲取山を踏んでおきたい所だが、既に2度踏んでおり、今回は割愛した。このトラバース道はよく管理され、登山道周囲の木々はチェンソーによる伐採痕が多々見られた。そして東京山梨県境稜線に飛び出すと、その賑やかな事。登下行するカラフルなハイカーが目に入ってきた。さすが100名山である。小雲取山へと進み、富田新道(野陣尾根)へと下って行く。ここはこの先にある権衛の頭へのピストンであり、途中の分岐にザックをデポして笹原を下って行く。道の状態のわりには利用する人も多く、すれ違いも多い。緩やかに下ると倒木を潜り、その先の小さなピークを越えると、その先の2番目にある高みが権衛の頭となる。ここには東京都水道局の林班の標識があるのみで、山頂を示すものは何もなかった。でも今日の目的地の中での最高所となり貴重なピークでもある。でもここを登山対象にする方は殆ど居ないであろう。


再び登り返してゆく。分岐点まで戻り、ここで今日2本目のバナナタイム。残り1本。笹が刈られフカフカの道を進み再び主道と合流する。奥多摩小屋の先には幕営されている方も居り、その一つはなんとも珍しいティーピーテントを使われていた。内部に高さがあり、その点は優れているようであったが、脇から内部が見えるような状態で、冬場での使用には・・・。世の中に山岳用で使う個人用のティーピーテントがあるとは、この時初めて知った。この先でヘリポートを見てどんどんと高度を下げてゆく。


ブナ坂では、下りの方は唐松谷林道へ進む方が多く、登ってくる方は登り尾根側から出てくる方が多かった。少しガスってきた中を七ッ石山へ登り上げてゆく。防火帯のような尾根道をコツコツと登るのだが、流石にこの辺りになるとスピードは上がらない。やがてスタートから14時間経過し、そこそこ疲労も溜まってきていた。登ってゆくと上から「すみませ〜ん」と声がした。見上げると3キロほどの石を落としてしまったようで、それがこちらに向かってきていた。「大丈夫ですよ〜」と、その男性の後を追い登ってゆく。七ッ石山に到着すると、その若者がしきりに謝ってきた。律儀なモラルのある若者である。登山者の中には無法者(私)も居ればこのような心優しい方も居るのである。山頂の北西側には石が積み重なった場所があり、勝手な憶測だが、ここが七ッ石の由来の場所かと思ってしまった。


七ッ石山から東に下ると朽ちた神社があり、波板で囲まれた社はだいぶ傾いた状態で建っていた。すると後から山岳マラソンをされている方が風のように追い抜いて行った。彼らの殆どは走りや易いように短靴なのだが、場所は山岳、捻挫などはしないのだろうかと、足許を目で追っていた。下り込み七ッ石小屋への分岐から再び登り上げる。ここはトラバース道と尾根道とが分かれ、当然山頂を目指すべく尾根道を行く。先ほどのブナ坂からの七ッ石山への登りと殆ど同じ山容に思えた。千本ツツジの山頂には東京都水道局の標識が建つのみ、ツツジの名前が付いているが、北側一帯は笹が密生しているのが目立つのみで、この時期だと名前にそぐわない山頂であった。ここから南東に進み1704高点で直角に進路が変わるのだが、ここには道標も何もないので、少し迷うかもしれない。この日もガスがかかっており、判らず真っ直ぐ赤指尾根に下ってしまい、途中で気が付いた。


この1704高点から東側は、牧草地に付けられた牛の踏み跡のような道形が続いていた。ここも前2座と同様な尾根道で、大きく下って再び高度を戻すように駆け上がると高丸山山頂であった。山頂には大きな標識がかかり、それがガスの中から浮き出た時は、少しドキッとした。軽く雨が降り出し、周囲の落ち葉が跳ねていた。再び下る。何かかわり映えしない地形で、ちとうんざりとしている自分が居た。ガスで遠望が利かないせいもあるのだが、これほどに同じような繰り返しは流石に飽きてくる。

日蔭名栗山にも高丸山同様の標識があった。すぐさまその標識の下を見るのだが、ここにはピンクの紐はなかった。と言うのは、高丸山の標識の下には「ぐんま」と書かれそれにイニシャルが添えられた紐が結ばれていた。よほど群馬愛の強い人なのだと見ており、当然並びあったこの山にもあると思ったのだが、こちらには無かった。既に15時を回り、そろそろ夕暮れの心配をしだす時間に入った。周囲がガスのため、通常の16時か17時くらいの暗さであった。

日蔭名栗山からどんどんと下る。地図を見ると、この先の鷹ノ巣山もこれまでの山と肩を並べるような標高であり、下った分を再び登り上げるのが判っている為に、なんとも嫌な下りとなる。鷹ノ巣山避難小屋には小屋泊まりの方がベンチで談笑しており、登山道を挟んだ北側では大きなテントが数張り(ガスでよく見えない)あった。様子からして学生山岳部の幕営地となっているようであった。視界は30mほど、再び登り上げてゆく。すると前の方から団体の声がしてきた。見ると20人ほどの大ザックを背負った学生パーティーで、顧問の先生(たぶん)を先頭にすれ違って行った。石のごろごろとした尾根を駆け上がってゆく。


 スタートから16時間。今日最後の山となる鷹ノ巣山に到着する。歯槽膿漏状の二等点があり、ケルンのように周囲に詰まれた石が、それを支えているようであった。計画段階ではここから欲張って水根山までも踏んで来ようかと思っていたが、それは中止。ガスが無ければ行ったかもしれないが、ガスに覆われ夜に突入ではリスクが大きいと判断した。一目散に稲村岩尾根を駆け下りる。その前に最後のバナナ。


ヒルメシクイのタワ辺りで、ヘッドライトを点灯させ下って行く。途中で完全に日が暮れるのだが、ガスが邪魔をしてルートを見出すのにだいぶ難儀した。落ち葉の積もった九十九折の道を転ばない程度に急いで降りて行く。そして稲村岩の分岐に来ると、その目の前の岩が青くヘッドライトに写っていた。折角なので登って行きたがったが、先を急いで端折る。ここからは斜面の大きな九十九折を繰り返す。沢の中に降りると、やや複雑にその中を縫うように進んでゆく。微妙な所は道標があり間違う事は無い。谷の左右は大岩があり、どこかに住処があるのだろうコウモリがヘッドライトに映し出される。右へ左へ、上へ下へとクネクネと進む登山道を辿ってゆく。


そして巳の戸橋が見えたらゴールは近い。対岸に移り針葉樹の中を抜けると民家の下を通過してゆく。民家には明かりが灯り、静かな山村の夕暮れの風景となっていた。お墓の前を神妙に通過し、最後のコンクリートの階段を上がると、村内の本道に飛び出した。まだ18時前だが、人っ子一人居ない静かなメイン道路であった。村内にある湧水で喉を潤し、駐車場に到着。無事周回を終えた。しかし、到着した時は一箇所開いていたチェーンも、この時は全て塞がれていた。チェーンを外して道路に出るのだが、私の駐車は違反だったのかも・・・。もしかしたら現在は公的な駐車場ではないのかもしれない。利用の場合は要確認されたし。


一筆書き完成。丸く繋がったなった地図上の軌跡を見ながらニタニタ。

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