古城 190m
2009.1.3(土)
雪 単独 石川県教育センター駐車場より 行動時間37M
@石川県教育センター6:37→(10M)→A最初の高点6:47→(9M)→B古城 6:56〜58→(13M)→C教育センター東端に降り立つ7:11→(3M
)→D駐車場7:14
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@県教育センター駐車場から桜の斜面を登る。(帰りに撮影) | 教育センターの西端には高感度地震観測施設があり、その脇から竹やぶが始まる。 | 上部は竹やぶの際を登って行く。 | A最初の高点の様子。フェンスがあった。 |
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最初の高点から下りこむと、竹の倒木があり、林立する竹も密生している。 | 途中にあった石柱。 | リボンもあった。作業用のものらしい。 | B古城山頂。平坦な杉林。 |
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B日が入らないほどにスギが密生。 | B北側には朽ちた大木が立っていた。 | 帰りは北側斜面を下って行く。 | 途中の杉の木に付けられていたアルミ銘板。 |
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途中で展望が開け、教育センターと金沢市が見渡せる。 | C降りてきた斜面。非常にイバラ(棘のある植物)が多い。 | 教育センターから見る南の古城側は一面の桜。 | D駐車場に戻る。 |
野々市山から降りてきて、今度は古城を目指す。凄い名前の山なのだが、名前の通り戦国時代にはお城があったようだ。調べると「高尾城」と言うのが存在したようだが、地名の高尾と言うのがそこから来ているのかと、別の発見もあった。
古城は野々市山のように簡単には登れそうでなく、県教育センターの駐車場で夜明けを待った。ここは県の施設だが、車の出入りは自由であった。入っていてなんだが、無用心に思うのだった。小雪が降る中、暖房を焚きながら時の過ぎるのを待つ。登路としては高尾南一丁目から南東に入っている破線伝って、南から突き上げる方法もある。しかし、雪が降ったこの状態では、道の有無はそんなに影響は無いだろうと、この県教育センターから直接突き上げる事とした。まだ夜が開けきらぬうちに散歩の方の姿も見られた。毎日決まってこの時間に歩くのだろう。暗くても知り得た場所なので歩いているのだと思われた。
少し白み始めたので行動を開始する。古城側の斜面は急峻で、そこには数え切れないほどの桜が植えられている。登り易い場所と、敷地の西端に行くと、「金沢高感度地震観測施設」と言うのがあった。その西側は地盤の強い竹やぶであり、設置場所も頷ける。この裏から取付こうかと思ったが、斜面の状態が思わしくなく、少し東に戻って斜面を駆け上がる。この斜面は途中にいくつもの鉢巻状の棚地が造られており、そこに桜が植えられているのであった。上部までに6段ほどその鉢巻があったように思う。途中から竹林との際を歩いて最初の高点に立った。
最初の高点は竹林で、その中にフェンスなども立てられていた。地面には赤いリボンが四角を描くように結ばれ、ここに何か設置される工事が行われるようであった。ここから竹を分けながら行くのだが、一回下る鞍部のあたりに竹の倒木が多く、暗い中での通過はルートを選ぶのに難儀した。その先も密生した竹林で、ここを過ぎるとスギの植林帯に入る。入る手前にはコンクリート標柱などもあり、竹に赤いマーキングも下がっていた。このリボンは、先ほどの高点にあったものと同じで、登山用でなく工事用と思われる。
この先の尾根斜面にはイバラが多く、ズボンや上着を引っ掛けては進んでゆく。出だしの桜の植林斜面にも多かったのだが、ここに来てその植生が濃くなっていた。手でそれらを避けながら、足で踏んで進んでゆく。まだ夜が明けきらないと言う事もあるが、殆ど日の入らない場所で、なんとも暗く寂しい登りであった。
古城の山頂部に到着すると、なんとなくそこは円形形状をしている。なにかお城としての施設があったように空想する。この大地にもスギが密生しており、日差しは入ってはこない。明るさを求めて歩き回ると、北側には目立つ朽ちた大木がスッと立っていた。城跡なのでもう少しすっきりした場所を予想して来たが、この状況までは思っていなかった。
あまりにもイバラが多かったので、下りは往路を辿るのが嫌であった。いずれにせよ県教育センターに戻らねばならないので、残すは北側斜面。さてどうだろうと下ってみると、こちらも殆ど同じか、輪をかけて状況が悪くなった。ただ、良かったのは途中で展望のある場所があり、金沢市が日本海まで見渡せる場所があった。まだ夜が明けたばかりで、市内はホタルのように点々と明かりが見えていた。
引っかき傷を造りながら植林帯の中を下って行く。不思議なのは植林帯でありながら杣道が見当たらない。下草がこのような状態であるから、殆ど管理されていない場所なのだろう。そして県教育センターの敷地東端に降り立つ。雪の上には、前日に遊んだのか、大人の足跡に混じって子供の足跡も見られた。雪が降って楽しそうに遊ぶ家族の様子が足跡から伺えた。
古城を登山対象にする方は少ないかもしれないが、登るなら南側を通過する破線を伝った方がいいかもしれない。私の辿ったルートは、手に穴を開け、服に引っかき傷を作り、昔の侍がまだ城を守っているかのようであった。