二子山 882.7m 甲仁田山 847m
2009.12.31(木)
晴れ 単独 中井集落からの林道で上がり、甲仁田山経由で初花地区に下る 行動時間:3H29M
@中井橋北側林道入口6:51→(27M)→A林道終点7:18→(37M)→B770高点7:55→(20M)→C二子山雌岳8:15→(7M)→D二子山雄岳8:22〜42→(22M)→E甲仁田山9:04〜18→(25M)→F林道に降り立つ9:43→(37M)→G中井橋北10:20
@中井橋北側林道入口。 | 林道は作道中で、ユンボが道を塞ぐ。 | A林道終点少し手前。(手ブレ) | A終点から急峻尾根に取り付く。 |
最初の尾根に乗ったところ。(南北に走る尾根) | 676高点西側の尾根に乗った場所から見る甲仁田山。 | 670m付近。たおやかな尾根。 | 尾根途中に、石仏が置かれていた。これを見ている人は少ないだろう。 |
B770高点 | B770高点から伝って行く南西側。 | 途中で芦ヶ久保からの登山道と合流。 | 急峻斜面にはロープが流してある。 |
C二子山雌岳 | C雌岳の標高は882.7mとなっている。 | D二子山雄岳 | E雄岳は地形図通りの882.7mと表記。 |
D三等三角点 | D雄岳から武甲山。手前にハイカー。 | D二子山雄岳から尾根伝いに甲仁田山を目指す。 | 雄岳南東側の岩峰から見る武甲山。 |
尾根途中から甲仁田山。 | 途中の僅かな岩場。2mほどの段差。危険はない。 | 舗装林道が左に見え、最低鞍部にバラック小屋が建つ。 | 山頂手前、アンテナ施設の裏は、コンクリート吹き付けの痩せ尾根。 |
吹き付けの上からアンテナ塔を見上げる。 | 木漏れ日ハイカー出現。アンテナ塔に写り込み、けっこうに面白い絵が撮れた。 | E甲仁田山山頂。居心地の良い平らな台地。 | E甲仁田山から見る二子山。 |
Eアンテナ塔越しに見る武甲山。 | 林道に降り立つ手前で古い作業道跡に乗る。写真は朽ちた橋の跡。 | F林道に降り立ち、ヘヤピンカーブ側を見ている。 | F降り立った場所には、罠用の登録証が下げられていた。 |
林道途中のゲート。 | 初花の集落内通過。 | G中井橋の林道入口に戻る。 |
26日の土曜日、今年も「毎週登山」完結と思って意気揚々と丸沼方面の山に向かっていた。そしてこの時は今季初スキーとばかりに板を乗せており、かなりウキウキしながらハンドルを握っていた。しかし渋川市を抜け赤城インターの西側付近で、急激に腰が痛み出した。急とは言っても、出掛けにそれらしい違和感があったわけなのだが、いつもは山に入ってザックを背負うと治ってしまう。今日もそんなもんだろうと思っていたが、そんな雑多な事も考える暇を与えないほどに腰の神経が過敏に感応しだし、もう運転どころではなくなった。場所を選ばす路肩に停めて、どうしようかと思案する。少し待てば治るのか。外に出て、闇世の中でのストレッチ。これにより少しは楽になるが、山へのモチベーションを回復させるほどにはならない。重い重い鈍痛が続く・・・。
「帰ろう」。現地入りせず、登らずに帰ったのは今回が初めて、下道を長時間運転する気力がなく、すぐに高速に飛び乗って家路に。脂汗をかきながら戻ったのだが、あまり道中の事を覚えていない。神経、思考の全てが腰に向いていた様であった。そんなこんなで、この日から闘病生活。ただただ寝る。発症3日目が一番酷く、心臓の鼓動が腰で感じ取れた。痛み止めの注射が欲しいところだが、あくまでも自然治癒に徹し我慢。こんな自分に、食うか食われるかの自然界ではとっくに殺されてしまっていると思え、早くに動かねばと気ばかり焦る。そして大晦日の朝、ベッドから恐る恐る立ち上がる。“おっ、いいじゃない”歩いても腰に電気が走らなくなった。こうなるとあとは山中での自然治癒。ウソかと思われるかもしれないが、ザックを背負うと軽い腰痛なら不思議と治るのである。摩訶不思議だが、山屋の方の中には、これを体験している人は多いと聞く。
30日、大阪からみいさんご夫妻が榛名山に登りに来ていた。翌日は秩父の武甲山にずれるそうで、それならと秩父周辺で、この体調で登れそうな山を探す。雪が沢山降った時の為にいくつか里山を残しておいたのだが、こんな時はそれらが上手く利用できる。武甲山の東の二子山を目指す事にした。初花地区からの林道もあり、腰に負担がかからない平坦なルートでアプローチできると考えたのだった。手土産を持って現地に向かう。
4時出立。経路で行き交うのは、殆どがスポーツカーなどに乗った若者。おそらく正月休みで里帰りし、深夜に仲間と集っていたのだろう。それらを見ながら自分の若かりし頃を振り返る。道路はスキスキ、最短記録と思えるほどの速さで秩父に入る。そして予想をつけて道の駅に行くと、案の定そこになにわナンバーのワンボックスが停まっていた。夜明けを待ってお土産を渡し、しばし歓談。そして二子山の登山口を目指す。通常なら芦ヶ久保の道の駅が登山口となるだろうが、二子山と抱き合わせで甲仁田山も踏みたい為に、やはりアプローチは東側からとなった。初花地区の林道を思っていたのだが、その手前、北側の中井地区からの林道前で準備をしだす。通過時にいつも見ていたここが、甲仁田山への林道だと思い込んでおり、まだこの時は気がついていなかった。それより腰は大丈夫だろうかと、そちらの方に気が回り注意散漫だった。ザックを背負うと、腰の一部でピキッと痛む。はたして大丈夫だろうか、半信半疑のままゲートを越えてゆく。
歩き出しての道の様子が、地図と全く違う。当然違うはず、そもそも違う場所を歩いているのだから・・・。歩き出して5分ほどして間違いに気がついた。しかしここで車に戻ってしまうと、おそらくそこで気持ちが楽な方へと進み、「断念」となりそうなきらいがあった。したがってこのまま林道を突き進む事にした。どこかで尾根に取り付けば、間違いなく上の方には二子山があるわけであり、かなり楽観的でもあった。進んでゆくと、西武秩父線を走る列車が、歩いている足許に潜り込んでいる場所となった。スタート地点からかなり横瀬の町側へ戻っているようなコース取りで、なんとも不甲斐ない。このミスを帳消しにするようなスーパールートを開拓しないと、などと思うのだが、高度を上げる事無くどんどんと西進していた。
林道を進んで行くと作業小屋が右にあり、その先でユンボが林道を通せんぼしていた。そしてこの僅か先で林道も終点となり、自然のままの谷地形がそこにあった。測量の為か、山の斜面にはピンクのリボンがいくつも縛られ、あたかもそこにルートがあるかのように見えていた。林道終点地は、地形図の「横瀬町」と書かれた、ちょうど「瀬」の字の最後の一画の場所。さあここからどうしようと悩む。東に取り付いて676高点の東側に上がろうか、もしくは西に取り付いて、南に突き上げようか。どちらを見てもあまり大差はなく、少しでも目標地点の二子山に近づく事を思い、西側の尾根に取り付く。極めて急峻。腰から臀部、そして太腿の裏までジワッとした重い疲労感。病み上がりを強く体感する事となった。
急峻が終え尾根に乗ると、そこには林道の作業現場付近にあったと同じリボンが着いており、快適で歩き易い尾根となっていた。そして南北に伸びた尾根が東西に伸びた尾根に交わると、さらに快適な尾根歩きとなった。驚いた事に、途中には観音様のような石仏もあり、昔はルートがあったのかと思わせた。770高点の東には、円錐形の顕著なピークがあり、そこから先はスギの植林地を左に見ながら突き上げて行く。南側山腹をトラバースして行く獣の踏み跡もあったが、770高点には祠でもあるのではないかとの思いで駆け上がる。しかし山頂部には刃物が入った痕がある他は、人工物は地面に刺さった杭くらいであった。現在は芦ヶ久保からのルートはここを経由しておらず、人気の薄い場所となっていた。背の低いササの斜面を南西に降りて行くと、やっと登山道と合流。この先暫くは、ロープを手繰り寄せながらの急登となる。普段ならロープを当てにしない勾配だが、この時の体調ではとてもありがたい敷設ロープとなっていた。
登りあげると二子山の雌岳で、気になったのはそこに書かれている標高。「882.7m」とあるのであった。北側の雄岳で、この標高ではないのか。等高線を見ると、双方で1本の差があり、それにより標高が違う事があからさまになっている。でも同じ標高とはいかに・・・。先を急ぐように一旦下りこみ、次の雄岳に駆け上がる。三角点が中央に鎮座し、やはりここの標識にも「882.7m」と標高が書かれていた。あまり考えていてもしょうがなく、途中で「まあいっか」となった。すると西側で何かが動いた。武甲山側の展望がいい場所に、先客がおりカメラを構えていたのであった。軽く挨拶をして、同じようにカメラを構える。と言ってもデジカメを忘れてしまったので、携帯を構える。次にトランシーバーを握ると、各地から里帰りし、久しぶりの郷里で声を出している方が多かった。
さて次は甲仁田山に向かう。地形図から読み取れるルート取りは、雄岳と雌岳の鞍部から破線ルートを東に降りて、作業林道に降りれば、そのままその道は山頂に向かっている。ただこのルートだと、なんとも下手糞なルート取りである。一番最良は尾根伝い。顕著な尾根が甲仁田山まで続いており、伝わない手は無いのであった。二子山からの下り始め、こちらには岩峰が南側に飛び出していて、この山での一番の展望台となっていた。少し寄り道をしてそこからの武甲山側の展望を楽しむ。そして東進。尾根の上には予想外、いや、想定内の立派な道があった。新しいリボンも繋がっており、破線もしくは実線で示した方がいいのではないかと思えるほどであった。途中で一箇所だけ岩場の2mほどの下りがあるが、さして危ない場所ではない。そのまま東に伝って行くと、左側に舗装林道が現れ、尾根の先には怪しそうなプレハブ小屋が現われた。小屋のシリンダー鍵の鍵穴を見ると、なにか無理に開けようとした傷も見える。怪しい小屋と認定。そして高みに沿って南から巻き込むように進んで行くと、アンテナ塔の東側はコンクリート吹きつけの尾根となっており、まるでそこは、妙義の一本杉から筆頭岩に向かう途中の尾根と同じような通過点であった。朝日に照らされ、我シルエットがアンテナ施設の壁に映る。これはこれでとても面白い場所となり、記念に一枚バシャッとやる。
そして登りあげた場所は、古墳の上のような整地された芝生の上。なんとも居心地がよく、テントを張るには最高の場所であった。おそらくヘリポートなのだろう。そんな広さであった。ザックを降ろそうと、片側の腰に荷重をかけると、ピキッと電気が走る。「頼む、下山するまで我慢してくれ」と祈る思いであった。トランシーバーに向けKUMO氏のコールサインを口にすると、間髪入れず応答があり、年内最後の交信となった。そして下山は北に進む。舗装路を伝うのではなく、北側の尾根を降りて行ってみた。とても歩き易い尾根で、登りでも十分使える場所であった。途中で杉林に入ると、その左(西)側の谷には水の流れがあり、自然石の中央から流れ落ちる小滝もあり、目を和ませてくれていた。
林道に降り立った場所は「松枝256」と書かれたCPの立つ場所であった。そのすぐ下流側の木には、ワナ設置の登録証が結わえられていた。すると目の前を、ワンボックスの軽四が下って行った。アンテナ塔管理のNTTの人なのか。しかし大晦日でも働いているとは考え難く、となると猟師か。下にはゲートがあり、誰でも入れる林道ではない。なんだったのか。下って行くと、立派な別荘のような建物が左に見え、そこから4分ほどの場所に強固なゲートがあった。そこを越えて下って行くと初花の集落に入る。まだ時間が早い為か、集落内はひっそりとしていた。そして中井に向けて下って行くと、途中から正丸トンネルの重低音が響いてくる。ここからしばし我慢の歩道歩き、排気ガスの匂いが自然と呼吸量を絞る。
中井の林道ゲート前の家では、正月に向けての大掃除の様子が見られた。「明日から新年か〜」と一年の終わりを思うのであった。腰の状態も悪くはならず、調子に乗ってもう一座目指す。芦ヶ久保の日向山に向かって行く。