千枚岳 2879.8m マンノ−沢頭 2515m 丸山 3032m
悪沢岳 3141m 西小石岳 2827.4m 中岳 3083.2m
小赤石岳 3081m 富士見平 2701m
2009.9.21(月)・22(火)・23(水)
21日 晴れ 畑薙より椹島までバス、椹島より千枚に上がりマンノー沢頭をピストンして悪沢岳まで 単独 行動時間:11H24M
22日 晴れのち曇り 悪沢岳より西小石岳をピストンして赤石小屋まで 行動時間:10H21M
23日 曇りのち晴れ 赤石小屋から椹島に下り、バスで畑薙まで 行動時間:5H52M
@畑薙駐車場7:05→(73M)→A椹島分岐8:18→(311M)→B千枚小屋13:29→(32M)→C千枚岳南側分岐14:01→(5M)→D千枚岳東側分岐14:06〜11→(51M)→Eマンノー沢頭14:57〜15:12→(79M)→F千枚岳東側分岐帰り16:31〜35→(6M)→G千枚岳南側分岐帰り16:41→(21M)→H千枚岳17:02→(51M)→I丸山17:53→(36M)→J悪沢岳18:29
K悪沢岳4:58→(59M)→L西小石岳5:57〜6:06 →(88M)→M悪沢岳三度7:34→(53M)→N中岳避難小屋8:27〜10:00→(3M)→O中岳10:03→(48M)→P荒川小屋10:51〜11:11→(31M)→Q大聖寺平11:42→(85M)→R小赤石岳13:07〜14→(10M)→S大倉尾根下降点13:24→(75M)→《21》富士見平14:39〜54→(25M)→《22》赤石小屋15:19
《23》赤石小屋別館5:34→(157M)→《24》登山口8:11→(7M)→《25》椹島8:18〜10:30→(56M)→《26》畑薙駐車場11:26
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@畑薙駐車場手前、6月時同様にバリケードが置かれていた。 | A椹島分岐で下車して滝見橋へ。 | 滝見橋から入山。 | 最初の吊橋 |
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鉄塔の先の岩峰の上からの展望。 | 林道を跨ぎ・・・。 | 小石下1586.4三角点。 | 清水平の湧き水。 |
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2073.2三角点。 | 見晴台から千枚側。 | 見晴台から赤石側。 | 見晴台から林道を辿ると、トイレのような、物置のような・・・。 |
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駒鳥池通過。 | B千枚小屋跡。6月30日に火事に遭ったそうだ。テントの後ろに仮設小屋がある。 | Bベンチからの展望はこれまでと変わらない。 | B富士の姿も見え。 |
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C千枚岳南側分岐。ここから二軒小屋側へ。 | D千枚岳東側分岐、ここで大荷物はデポし、サブザックでマンノー沢頭へ向かう。 | 千枚ザレ | Eマンノー沢頭の標識。「万斧沢ノ頭」。漢字表記もなかなかいい。 |
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Eマンノー沢頭の三等点。 | E標識の大地には、テントが3張ほど張れる。 | Eマンノー沢頭の最高点。西側を見ている。 | E東側。下りこむ。 |
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千枚岳寄りのタイガーロープ箇所。 | F千枚岳東側分岐に戻る。直登コースがハイマツの中にあるようだが、判りづらい。 | G千枚岳南側分岐再び。 | H千枚岳 |
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H千枚岳三等点。 | H千枚岳から塩見と蝙蝠。雲の上に顔を出している。 | H笊ヶ岳方面も綺麗に見えていた。 | I丸山通過。 |
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J悪沢岳到着。今日はこの標識の西側でビバーク。斜め地形で寝辛い。 | K22日。悪沢岳から西小石岳を目指す。 | 日の出前の富士山。 | 2950m付近から。 |
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2940m付近から。 | 2987高点を南側から見上げる。 | 5:24この日のご来光。右は富士山。 | 2880m付近。それとよく判るケルンがある。 |
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2860m付近から。 | 西小石岳直前。この辺りから右(東)側を気にして進みたい。 | 途中に落ちていた尾瀬の軍手。 | L西小石岳山頂。後ろは小河内岳か。 |
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L西小石岳三等点。 | L西小石岳から塩見岳(左)と蝙蝠岳 | L西小石岳から大日影山側。 | L西小石岳から悪沢岳側。 |
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途中に見られた赤ペンキ。 | 3020m付近。谷部を進む。 | 3070m付近。悪沢岳山頂はもうすぐ。 | M悪沢岳三度。ハイカーで賑やか。 |
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N中岳避難小屋。黄色の雨具の方の向かい側に居るのが小屋番のY氏。ここで大休止。 | O中岳 | O中岳三等点。 | 前岳東側分岐下降点。 |
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P荒川小屋。建てたばかりの様なきれいな小屋。 | P荒川小屋の水場。 | 荒川小屋から先の長いトラバース道。 | Q大聖寺平 |
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Q大聖寺平から伝ってきた側を振り返る。 | ルートをだいぶ外し、3030m峰のかなり北側で稜線に乗る。 | 稜線に乗った場所から3030m峰側を見上げる。 | R小赤石岳 |
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R小赤石岳から3030m峰側 | S大倉尾根下降点から見る赤石岳側。 | 沢沿いの道途中にはテン場が設けられている。 | ヘツリ地形もちらほらと。 |
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21 富士見平 | 21 本来は展望の良い場所のようだが、赤石岳側を見てもガス。 | 21 遭難碑の前。 | 22 赤石小屋到着。ここも綺麗な小屋になっていた。 |
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22 赤石小屋別館。素泊まりはここに入る。 | 22 別館内部 | 23 23日。別館を後にする。 | 途中で巡視路林道を跨ぐ。 |
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24 椹島分岐の登山口に降り立つ。 | 25 椹島に到着 | 26 畑薙の駐車場に戻ると、殆どの方が下山し、車はまばらに。 |
秋のシルバーウィークに入った。世の中のハイカーは、飛び出すかのように各山中に散って行った様だが、こちらはしばし足踏み。今回は連休後半での行動で当初から計画されていた。行き先は北アの八ッ峰。5・6のコルから上に抜けて、小窓ノ王も踏んで来ようという計画であった。しかし土曜日曜と天気の様子を見ていると、月曜日はピーカンとして、それ以降の降水確率が60パーセントを越え、予報も雨と示していた。立山エリアはただでさえガスの出やすい場所。この状況だと、真っ白の中、さらに濡れながらのザイルワークが予想できた。
幕営装備にザイルとギア類、さらに12本爪とピッケルまでパッキングして、GOサインが出ればいつでもという状況下であったが、夕方18時、最終判断としてリーダーから「中止」が告げられた。残念だが、この時の予報では寒気が入るだろうと読み取れた。決定に異存は無し。中止と同時にリーダーから発せられた言葉は、「天気の良い明日だけ、錫杖の前衛フェース3ルンゼをやりませんか」だった。もうこうなれば、この計画でも良いと思ったが、“いや待てよ、同じ壁に取り付くなら小槍でもいいのではないか”とこちらの案を連絡した。一日目に小槍を強行して、二日目は奥穂まで南下し、3日目に明神を踏んで白出沢を下る計画とした。電話を一端きり、数分後、OKとの連絡が入った。さあ楽しみな連休。狙う場所も当初の場所に対し遜色なく、モチベーションも上がってくる。前日は休養していたのでいつでも出れる状況。八ッ峰の装備にクライミングシューズを追加し、20:25家を出た。
しかし出発まもなく、凶報の連絡が携帯に入った。同行者のI氏が高速に乗った途端に事故渋滞に巻き込まれ、動きが取れなくなったと言う。渋滞を抜けるのに3時間は要し、新穂高の出発予定時刻の4時には到底間に合いそうも無いとの事であった。残念だが2回目の「中止」が告げられた。出発したので、ザイルパートナーが要らない明神岳のみを狙おうかと思ったが、折角3日の猶予が有ることであり、ユーターンして再び家に戻る。
完全に振り出しに戻った形となった。旅気分は既に最高潮。それを損なわないように早くに行き先を決めねばならない。適当に数冊地図をつまみ出し、表紙を見ながらどこに行こうか迷う。自分で自分を急かしているような様子であり、そんな中に荒川三山周辺の登り残しが目に入った。ここなら3日を有意義に使える。21:45静岡に向け再出発となった。すぐに高速に乗ろうかと思ったが、関越道が十数キロ渋滞との掲示がされていた。これならいつもの52号コースをと、野辺山を越えてゆく。月齢はタイミング悪く細い三日月だが、満天の星空の下を快調に飛ばしてゆく。立山室堂で、皆で食べようと思って作った、巨峰のシャーベットを摘みつつ・・・。たしかそろそろ秋の交通安全週間。少しスピードを気にしつつ52号を南下する。身延の名前が出ると、今話題の酒井法子さんを頭に浮かべてしまうのは私だけだろうか。1号線に出て、トラックに煽られつつ、そこから脱げるように井川に向かう。連休初日はこの山道も凄い数の車が通過しただろう。流石に中日、静かなもんであった。畑薙湖が近づくと、6月の時点ではやっていなかった白樺荘がオープンしたようで、賑やかにのぼり旗が立てられていた。帰りの風呂はここで決定である。
駐車場までもう少しと、少し襲ってきた睡魔との戦いをしていたのだが、6月時同様にその先で通行止めのバリケードが置かれていた。どうりで手前での幕営者、車中泊者が多かったわけだ。ゲート前で寝ている人の姿も有る。こちらもゲートに従って、手前の余地に入れ仮眠となる(4:00)。開門は7:00とあり、3時間の仮眠が約束できた。しかし6時となるとゲートを退かして入ってゆく車が多い。工事関係者なのだろうか。イライラしながら時間を待つ。そうこうしていると予定より30分前の6:30に開門。なだれ込むようにマイカーの車列が動く。そして行き着いた駐車場は、停める場所がないほどに埋まっており、僅かに1台分あったスペースに突っ込み、事なきを得る。他の方々は、停める場所がなく、車道脇余地を狙って何台も戻って行かれていた。すぐに準備をする。椹島への1番バスの予定時刻は7:30であったが、既にバスは到着し、臨時便が出るようであった。急いで駆け上がると7:00で出ると言う。お布施のような3000円を払い(実際に乗せてもらうのはありがたい)乗客が揃うのを待つ。運転手に、「中岳小屋のYさん居ますか」と訪ねると、「居るよ」と返事。今回は中岳避難小屋でY氏と逢うのも目的の一つであった。周囲には二軒小屋までの観光客、沢屋、釣師、多種多様な乗客であった。
7:05バスがディーゼル音を轟かせながら走り出す。ここで思ったのだが、当たり前だがバスの新しい古いで、だいぶ乗り心地が違う。今回は古いのに当ってしまい、けっこうに下からの突き上げが痛かった。ザックを抱えているのだが、フレームの鉄芯が股間に・・・人知れず痛い思いをしていた。そして椹島を前に、赤石岳の登り口の分岐で、釣師と共に下車して滝見橋へ急ぐ。そして橋の手前で靴紐を結わえなおして、いざ入山。滝の前の通過は、涼しいほどの冷気があった。吊橋を渡り対岸へ行くと、既にこの時間(8:30)にして降ってくる方が居た。何時に千枚小屋を降りてきたのだろうか。大ぶりな石を足の下に拾うように登ってゆくと、暗い樹林帯に入る。ここはこれがあるので夏場でも登り易いと言えよう。しかし前回との違いは、周囲に赤ペンキのマーキングが多い事。一級の道であり、利用者が多いので致し方ないかもしれない。鉄塔をくぐり、その先の岩峰から前方が開ける。奥の方には千枚岳が見えているのだろうか。そして林道を跨ぎ、小石下と呼ばれる三等点を過ぎると、周囲の雑木が伐採され、薄暗さから一変、明るい斜面となっていた。すると上空をヘリが通過して行く、ピシャピシャと言うおかしな飛行音であり、注意してみるとテールローターがない。どんな制御なのだろうか。最新鋭のヘリが導入されているようだ。林道脇の登山道になると、白い作業車が土煙を上げながら登って行っていた。
清水平で水を給水。下からは空で来ていたので、ここで2リッターの重荷となる。上でも水は得られるが、ここ清水平の水は美味しくて好きなのであった。20名は越えるであろう大パーティーが休憩していて、登山道上を平気で昼寝をしている方も居る。モラルの無さにリーダーを探してしまったり、寂しいパーティーに見えてしまった。ここで力水を得たわけだが、だんだんと登りが辛くなってくる時間であった。2リッターの追加がズシンと感じる。相変わらず、車道を白いダットサンらしき車が上がって行く。荷揚げならヘリでいいだろうから、なんなのだろうか。
蕨段の三角点を拝み、その先の見晴台に上がる。二度目の通過で初めて見晴台に上がったのだが、そこが林道脇とは知らなかった。その名に相応しい展望であった。ここからはルートに戻らず、林道を進んでみた。展望台の先には、トイレのような物置のような、しっかりとした建物があった。それを右手に見ながら進むと、ダート林道はその先で右にカーブする。このカーブの場所から青ペンキが登山道へと導いてくれる。たまにはここを歩く人が居るようで、谷形状の中に踏み痕はしっかりしている。そして木の根の張った場所で登山道と合流する。この先は、大きな60リッター以上のザックを背負った方が、ゆっくりと歩いている風景が多かった。椹島からの早朝スタート組みのようである。喘ぎながら登って行く横を私が口を結んだまま登って行くのだから、不思議に思えているはずである。今日の肺の状態は、まずまずであった。
駒鳥池を右下に望むと、千枚小屋への最後の登りとなる。前回の経験から、これが見えたら、その先は意外と近かった記憶がある。以前は途中にステンレスの排泄物回収用の入れ物があったはずだが、現在は無くなっていた。上のトイレが整備されたという事だろう。小屋が近くなると、樹林から抜け出し、日差しを浴びるようになる。今日は快晴。青く澄んだ空が上にあり、周囲はキリッとした秋の涼やかな空気が取り巻いていた。
千枚小屋到着。しかしあるべき場所に小屋がない。小屋の場所には白い運動会で使うようなテントが張られ、その奥にバラック小屋があり「千枚仮設小屋」と看板が上げられていた。この時は火事があったことを知らずにおり、建て替えをしているくらいにしか思わなかった。この後、詳細を中岳小屋で聞くのだが、燃えてしまったのはしょうがないとして、建設許可や、建設会社の入札などで、この先小屋が立ち上がるまでに諸問題が多いそうだ。小屋側を見なければ、ベンチ前からの展望はすこぶる良く、流麗な姿の富士を望む事ができた。僅かな写真休憩で先を急ぐ。急ぐと言っても、けっこうにスローペース。周囲のお花畑には、色の落ちたトリカブトと、花弁の多くの抜け落ちたマツムシソウが咲いているくらいであった。軽荷での小屋からのピストン組や大きなザックの縦走組みがすれ違う。皆、千枚小屋に泊まるのだろう。連休であり、さぞ小屋は賑やかであろう。私も西小石岳を狙うに際し、千枚小屋に泊まることも考えた。がしかし、一日をここで終了してしまうのは早すぎる。歩きに来たのだから、存分に歩かねば・・・との思いも有るのだった。
千枚岳の手前にして、二軒小屋への分岐がある。その二軒小屋へは5キロとの表示がある。ここからマンノー沢頭を目指す。本当なら、今日も二軒小屋から登りあげられれば、綺麗な一筆書きでルートが辿れるのだが、林道のバス利用の条件(二軒小屋に泊まらねばならない)があるので、どうしてもこんなルート取りになってしまう。この分岐からは展望ルートと言えるほどに南側が開ける。ハイマツの中に道が切られ、やや足場が悪い中を行くと、砂礫の僅かな広見に出る。ここが千枚岳への直登ルートの分岐のようであるが、ハイマツの中に何筋か見えるのだが、どれを辿れば正解ルートなのか見出せなかった。マンノー沢頭の帰りは、直登と思っていたが、現状だと伝ってきたルートを戻った方が早いように思えた。さあこの分岐(道標は無い)で、サブザックに切り替えて、二軒小屋側へ降りて行く。
最初からいきなりの急勾配。足場が悪い所もあり、タイガーロープが長く流してある場所もある。この状態が長く続くのかと思ったが、険しいのは最初くらいで、その先はけっこう快適。尾根歩きであるが、谷地形のような場所も有り、バラエティーに富んだルートであった。ここは千枚ガレと呼ばれる場所でもあり、南側がガレていて、それにより展望がある。そのガレの核心部と言えよう場所は、南側に長くタイガーロープが渡され、滑落防止となっていた。それでもここは、足の下が抜け落ちるのではないかと思えるほどに軟弱な地盤に思えた。目指すマンノー沢頭へはなかなか長く、手前のピークで何度かぬか喜びしながら、それらのニセピークに何度も心躍らさせられながら下って行く。最初に北側山腹のトラバースがある場所があるが、2回目に同じようなトラバースが始まるとマンノー沢頭の三角点ポイントは近い。日本山名事典では、三角点峰ではなく2515高点で山頂としているので、斜面途中を駆け上がってもよかったが、とりあえず登山道に従った、地形図を見ると尾根ルートになっているが、尾根ルートへの入口も良く判らぬまま歩いてきてしまっていた。
平坦地となり、そこに「万斧沢ノ頭」と書かれた標識を見る。やっと到着。周囲には3箇所ほどテントを張るに適した平地があり、現に幕営した名残も見られた。東の明るい場所に足を進めると、三等三角点がひっそりと建っていた。先ほどの標識があまりにも綺麗なので、裏を見ると、京都の山岳会の製作品であった。彫刻も良ければ、書体、そして色使いもいい。さて最高所を目指す。割れたビンなどが淫らだが、その先は苔むした斜面をシラビソを分けながら上がって行く。やはりこちらには特に道形がない。地形図の破線は、少し概略的にこの付近のルートを示したのか。そして最高点に立つ。KUMOかMLQのマーキングがあるかと思ったが、両氏が登ったのはだいぶ昔、何もなくて当たり前であった。先ほどの標識ポイント同様に、山頂部も展望はなし。トランシーバーを握ってから、往路を戻る。
先ほどまでの燦燦とした日差しは、千枚岳が遮り、その影響で途端に寒くなる。15時を回り、日没まで3時間ほど。次に狙うは西小石岳なのだが、幕営装備をしている中で、塒を探さねばならない。帰りのバスに乗るためには、どこか山小屋泊を入れねばならないので、その部分からは中岳避難小屋のY氏のところが一番の候補だか、小屋に泊まってから翌日に悪沢岳に戻るのは、往復2時間強の余計なアルバイトとなる。丸山かもしくは悪沢でのビバークが適当かと思えてきた。それでも中岳小屋まで行けば、Y氏との久しぶりの対面と、楽しい会話が待っている。けっこうに両天秤な状態であった。ガレ場を左に見て通過し、喘ぎながら登り返して行く。タイガーロープの場所は、しっかりと使わせていただき這い上がる。分岐が近くなると、シラビソの実が散乱しているのだが、その散らかす犯人を見ることが出来た。犯人はホシガラスであった。まるでその様子を私に見せ付けるように、種を千切っては飛ばしている。どうも食べているのではなく、遊んでいるように思えた。ここに居るホシガラスは大きな体躯で、白い斑点が無ければ、平地のカラスほどの大きさであった。
千枚岳東の分岐到着(16:31)。再び重いザックを背負って歩き出す。下の千枚小屋からの賑やかな声も漏れ聞こえてくる。一般的にはそろそろ行動を終える時間であり、ちとその声に感化されたりもする。千枚岳南の分岐に戻り、北に突き上げて行く。すると千枚岳直下で聾唖者がすれ違う。言葉にはなっておられなかったが、臆せず元気に声を発してくださり、それにより元気を貰う。ザックや身なりからは、かなりの猛者のようであった。
静かな千枚岳に到着。日が高い時間には、ここは賑わっていた事だろう。雲海越しに塩見や蝙蝠が顔を出している。周囲は荘厳な展望が広がっていた。明日は雨予報だったが、どうなのだろうかとガスの張り方を見ていた。井戸沢ノ頭への稜線には北側からのしかかるようにガスが押し寄せてきていた。まるで生き物のような動きに、思わず足を止めて見入ってしまっていた。丸山に向かう。だんだん足場状況が悪くなり、疲労とあわせて注意しながら足を出してゆく。向かう方向の空が赤く焼けて行く。そこに2つの飛行機雲が白く上がる。全てが自然のお膳立ての映像のようであり、歩きながらそれを楽しんでいた。西からの吹き上げの風が強く、数度有る東側のトラバース道では、ホッとするほどの温かさが感じられた。
丸山通過。目の前にゴツゴツとしたシルエットの悪沢岳がある。そのゴツゴツとした各岩峰が、さながら人に見え、僧侶のようにも、八百万の神々が降り立ってこちらを向いて立っているかのようにも見えた。こちらが歩いているせいなのだが、ちょっとした角度の変化が、向こう側が動いているかのようにも見え、それらの錯覚や現地の造形美を楽しみながら山頂を目指す。右(北)を見ると、なだらかな尾根の先に目指す西小石岳の高みが見える。明日が雨なら今のうちになどと思うのだが、3000mを越え、その寒さと風にちょっとアグレッシブな部分がそぎ落とされ守りに入る。適当なビバーク適地が無いか探しながら歩いていた。しかし見つからないまま悪沢岳山頂到着。
悪沢岳にも一連の東海パルプの標柱が有る。日中でも墓石に見えてしまうのだが、夜になると、尚更そのように見える。山頂付近も斜めになった地形しかなく、適当でない。西小石岳の方へ少し下ったが、こちらにも無かった。というか見つからなかった。ヘッドライトでの狭い範囲しか見えていないので、良く見たらあったのかも。やむなく山頂に戻り、斜めの地形にテントを張る。この時のヘッドライトは、中岳小屋で話題にされたようであり、恥ずかしい限りであった。中岳小屋まで行ってしまえば良かったか。場所が場所だけに夜行者も歩いてくるかもしれないし、来光を求めて早い時間にハイカーが来る事が予想できた。夜明け前1時間ほどまでには撤収せねばならないのであった。
テントに入り、定番の温かいラーメンを啜る。ビールがあれば言う事はないが、今日は持ち上げていない。ちびちびとウヰスキーを煽りながら、静かな3141mの山頂を楽しむ。風も無く快適。高所に居る事がウソのようであった。その状況が変わったのが、日を跨いでからであった。急に風が強くなり、1時からは大粒の雨に叩かれる。平均20mほど吹いており、テントが大丈夫かと思えるほどであった。設置が斜めで少し不完全と言うのが気になった。外に出てペグでも打ち込もうかと思ったが、1時間くらいそんな風をテント内で絶えていると、テントの耐風力の限界は、思っているよりだいぶ上の方にあるように感じてきた。こう思えてくると強風に揺らされていても、安心感がある。またまたチビッとウヰスキーを飲んでシュラフに包まった。
1時間おきに目を覚ましているので、熟睡とはならないが、横になって寝れると言う事は、かなりの疲労回復となる。3時に起き出し、ジフィーズ製品で腹を満たす。空気穴から外を見ると真っ白なガス。今日は天気が悪いのか・・・。コーヒーを飲みながらじっくりと西小石岳までの等高線を眺め、適当なルート取りを頭に描く。そしてその後の行動だが、近くの未踏は大倉尾根の富士見平。稜線から往復で4時間強はかかる。その先の聖岳東尾根も気になっており、今日中に兎岳避難小屋くらいまで進めればいいが、なにせここ悪沢でビバークしてしまったので、次は山小屋にお金を落さねばならない。聖平小屋は経営が違うので、となると百間洞しかない。しかし百間洞スタートでは、バスに乗る為にはかなり強行をせねばならない。今日の予定と加味して考えると、聖の東尾根はかなり強行軍であり諦め、生ぬるく今日の宿は赤石小屋として、3日目はそのまま大倉尾根を下るのみとした。
テントを畳みだし、パッキングが終えるか終えないかくらいに中岳側からヘッドライトが上がってきた(4:45)。当然のように中岳小屋泊まりだったようで、話を聞くと、最高記録の47人があの小さな小屋に泊まったそうであった。管理人のY氏はてんてこ舞いだったそうで、調理場の土間まで使って寝場所を確保したそうだ。その話しを聞いて、この斜めの地形でも幸せだったと思えてしまった。この御仁に「昨晩ライトがチラチラしていましたが・・・」と言われ、「私です」と・・・。「小屋で噂になっていましたよ」と・・・。流石にそう言われると後ろめたい。この後も御来光を求めて7人ほど上がってくると聞き、逃げるように悪沢岳山頂から西小石岳に向かうのだった。
昨晩少し下ったので、地面状況は良く判っていた。ハイマツを避けるようにフカフカの草地を降りて行く。周囲はガスで視界は狭いが、これから夜明けであり、不安要素はない。最初の岩のゴロゴロした所だけ、足場に注意すれば、危険箇所は殆ど無いと言える。地理的位置の話になるが、北岳に対する小太郎山と、ここの悪沢岳と西小石岳との位置関係は良く似ている。経路こそ北岳側の方が難しいが、長さは互角と言えよう。下って行くとコケむしたような平地があり、これを昨日見出せていれば、ここが幕営適地であった。ただここも西からの風はもろに受けるような場所であったが・・・。この平地は、山頂からは5分ほど降った場所である。少し谷形状の所を下って行くと、何となく道形が見え隠れしている。どうもルートがあったようだ。MLQもそんなことを記述していたので、どの程度なのかと思っていたが、間違いなく人為的な道形であり、その先のハイマツにも踏まれ、そして刃物が入れられたような場所があった。時間の経過と共に、右(東)側の空が焼けてくる。雲海の向こうに真っ黒なシルエットの富士があり、その左方の雲の中から、今にも顔を出しそうな朝日の存在が判る。足許を気にしつつ、殆ど東側を向きながら歩いていた。当然のようにカメラは手から離せない状況で、立ち止まっては構える。その撮影を邪魔するように、時折ガスが巻くのだが、その自然とのやり取りも楽しいのであった。
尾根上の低樹が赤く色づいており、それが赤い絨毯のようにも見える。そこに萌黄色の枯れた草も見え、目の前全てが秋の景色であった。道形を適当に追いながら行くのだが、どこを歩いてもさして間違いではないような斜面であった(視界が有る場合)。ただ少し二重山稜的な場所もあり、そこでの判断は全てハイマツの量。量の少ない方へ進めば間違いなし。5:30になりとうとうご来光となった。今日の一日の安全を祈願して頭を下げる。日本人に無くなりつつあるお日様への感謝の気持ちは忘れない。来光と同時に周囲の各山頂を眺める。この綺麗な朝日をどれだけの人が眺めているだろうか。
目の前に顕著な高みが見える。山頂かと俄かに喜んだが、その山頂らしい高みは2897高点で、西小石岳の間で一番の山頂らしい高みの場所であった。露岩が出ている場所があったりはするが、よく目を凝らすと、その脇のハイマツの中に道形が降りていたりするで、そこを伝って行く。2897高点の北側になると、しっかりとしたケルンが積まれている場所も点在する。これらは人の手によるものなのだが、既に自然と同化しているような自然物のような気さえした。2870m付近は東西に高みが分かれるが、西寄りに進む。下り一辺倒であるが、先が良く見えない中で、いくつものニセピークを越えて来ている。そろそろ山頂を踏ませてもらってもと思っていると、目の前の高みを前に「OZE」と書かれた軍手が落ちていた。そこは平地があり幕営適地となっていた。ちょうどここが西小石岳の手前鞍部で、西風を遮り良い場所であった。ここから北を見ると西側の高みの方が高く見え、そこに行きたくなる。しかし三角点のある高みはその東側に位置し、そのピーク間は、ややハイマツがいやらしい。右(東側)を気にしながら、東寄りに進んでハイマツの中の踏み跡を探すのが適当であった。最初西側のピークに進んでしまい。戻るように東側に進んだ。
西小石岳山頂。目の前に鋭角の塩見と、デンとした蝙蝠が見える。そして振り返ると、遥か高い位置に悪沢の高みがある。その右には中岳があり、その左には丸山を従え、露払いと太刀持ちと両脇に抱えた横綱のようでもあった。荒川三山と言うと、同定には色んな論議があるが、この西小石から見ると、中岳と丸山での三山に見えるのであった。東を見ると、ご来光から少し時間が経ち、雲海を纏った落ち着いた表情の富士が見える。静かでとても居心地の良い場所であった。ここに至るまでに、途中のゴーロ帯では、昔のデポ缶もだいぶ錆びた状態で残っていた。山頂近くには、赤ペンキの残る石もあった。今でこそ歩く人は少ないのだろうが、一昔前は踏み入れる人は多かったように見える。この山頂には三角点と、やや大ぶりのケルンがあるのみで、他には何もない。何もないのが美しいと思える場所であった。少しトランシーバーを握ってから南に登り返してゆく。
帰りは2897高点までは、往路とほぼ同じようなルート取りが出来たが、その先は往路とは違えたルート取りの時が多かった。上から見るのと、下から見上げるのでは、歩きやすそうな場所が違えて見えると言うことだろう。あとは、どこを歩いても大丈夫という裏返しでもある。赤い絨毯、萌黄色の草の上を踏みながら戻ってゆく。3033高点は、往路は堅実に尾根上を辿ったが、帰りは西側を巻き込むように登り返す。そして3020m付近からは谷部を伝うようにして踏み跡を追い、大きな岩が出てくると、そこが稜線であった。千枚の方から登りあげてくる人も見え、山頂に戻ると既に10人ほどおり、流石に賑やかな悪沢岳山頂となっていた。デポした置いたザックにサブザックをすばやく括りつけ、喧騒から逃げるように中岳に向かう(7:35)。
だいぶガスが濃くなり視界は15mほど。風も強くフードを深く被り、片手で頭を抑えながら九十九折を降りて行く。この先の吊尾根の場所は北側の風を完全にシャットダウンしてくれていた。休憩している人、登って行く人を見ると、前日に千枚小屋までで見た人が多い。時間的にもそうだが、千枚小屋から出立して御来光を拝みつつ来ている組であろう。中岳小屋への九十九折をコツコツと登って行く。登路がなだらかになるとガスの中からいきなり三角の屋根が見えた。そしてその前には小屋番のY氏が立ち話をしていた。「Yさ〜ん」と叫ぶと気づいてくれ、久しぶりの対面に堅い握手を交わす。「昨日、ここまで来ようと思ったのですが、悪沢でビバークしちゃいました」と言うと、「小屋の中で、山頂のライトが話題になってたよ」と・・・。「昨日は小屋泊まりは賑やかだったそうですね。泊まらなくて良かったかも」と言うと、「まだ泊まれましたよ」とY氏らしい強気の返答も。「中に入ってください」と言われ、ザックを外に置いて中に入る。「宿泊代としてお金を落せなかったので、せめてビール代でも落としてゆきます」と600円でプレミアムモルツを貰う。グビグビと飲むのだが、周りは寒くて震えている人ばかり、周囲のおばちゃんから、「よくビールなんか飲めますね」と声を掛けられる。この後はしばしY氏との世間談義。山の話は殆どなく、理数系の話が多い。日本には山小屋が多々あれど、物理学書を読む小屋番はここのY氏くらいではなかろうか。そして毎日の筋力トレーニングは欠かさない。凄いバイタリティーの持ち主で、心技体と頭脳を持ち合わせた人なのであった。最後に温かいうどんをご馳走になり、あっという間に90分が経過した。この時の話の中で、今年の山開き前での千枚小屋の火事を知った。そのおかげで、この小屋の調理場も真新しい防火対策のボードが張られていた。次回は平地で逢う事を約束して、中岳避難小屋を出発する。ここでY氏に逢う事も、周囲の山を登ると同じほどに重要視していたので、珍しく大休止だったが、有意義な90分であった。
中岳を経て、次の分岐から赤石岳側に進む。急峻の九十九折を降りて行くと、若い5名ほどのパーティーとすれ違う。皆口々に「お気をつけて〜」と声を掛けてくれる。大学生らしかったが、なんて清々しいのだろうと思えた。僅かな挨拶のやり取りが、一服の清涼剤でもあった。お花畑の下の水場は、あまり水量はなく、溜まっているのを掬うほどしかなかった。そして長いトラバースを経て真新しい荒川小屋に到着。水場に降りて給水となる。地図を見ながら、富士見平は後回しにして聖の方へ行ってしまおうか、などと再び野望も湧いてくる。まあ頭で思いつつ、体の様子を見ながら臨機応変の行動とする。どだい出発時に短時間で決めた行き先、全てが現地対応なのであった。
この荒川小屋からの登り上げがきつかった。いきなりの急登に、流石に牛歩状態で登って行く。それが長いトラバース道になると、一転して快適な事。秋色に色づいた小赤石岳からの北尾根を見ながら、前を行くパーティーを追うように足を運ぶ。そして大聖寺平に到着。ここは広河原(大鹿村)への下降点でもあり、とても気になっている場所である。と言うのは、一回は小渋川沿いに歩きたいと思っている。それほどに面白そうなルートに見えるのであった。さて大聖寺平からは、小赤石岳への急登九十九折となる。前を行くパーティーの防寒具の花が綺麗に見える。同じ道を追うように進んでいたつもりが、どうも東側の谷の中に入ってしまった。こちらにも踏み跡があり辿れるのだが、さらにその踏み跡も踏み外したのか、出た先は3030高点の北側の岩峰の鞍部で、無駄に北寄りに歩き上げてしまっていた。ちょっと薮屋傾向にあり、何処でも歩けてしまうのもマイナス要素を伴うのであった。
登山道に戻り、萌黄色になった稜線上を伝うと最初に3030高点があり、その先をなだらかに起伏しながら進むと、小赤石岳の山頂となった。ここで無駄な時間を使ってしまった。私のエアリアには三角点がここにあるように書いてある。前回訪れた時は、探す余裕も無く降りたのだが、今回は時間がある。当然のように探し回るのだが、目的物はない。地形図を持ってきていればいいが、道を外れた西小石岳周辺しかなく、そこは塩見岳の地形図で、ここは赤石岳の地形図が必要。エアリアを信じ込んで、落ちているのではないかと思いながら周囲を探す。でも最初からないのだから見つかるはずもなし。これが判ったのは帰ってからであった。少し落胆して南に下って行く。そして大倉尾根への下降点分岐なのだが、20名ほど分か、ザックカバーを掛けた色とりどりのザックの花が咲いていた。そう、赤石岳のピストンのためにここにデポしたものなのだが、時間的な部分と連休の日数から追うと、ここに置いた方が、そのまま赤石小屋に泊まるものと予想できた。赤石岳を目の前にして登らずに通過して行くのは勿体無いが、その山頂は濃いガスに巻かれてしまっており、あまり気分が乗らず、大倉尾根側に足を向ける。まあ中岳の先の前岳も登らずして通過して来たのだから・・・。
急な九十九折に、つま先が痛くなるほどであった。そして次に沢沿いの道。途中が水場のようだが、道と接する場所より、かなり下の方が水量があった。左岸側途中には立派なテン場もあり、そこを過ぎるとルートはヘツルような箇所が多くなる。そしてその先が、これまでがウソのように良い道となる。なだらかであり、そこを闊歩して進んで行く。ラクダノ背の冬季ルートの入口だろうか、尾根側に登る踏み跡と標識も見える。
富士見平到着。360度の展望場のわけだが、残念ながらガスに遮られていた。山頂部には2箇所ほど平坦地があり、そこで幕営できそうだが、一つは遭難碑の前で、ちょっとどうかとも思えてしまう。まあ下に小屋があるのだからここで泊まらなくてもと思うのが一般的か。当初はここを稜線からピストンして南に抜けて行こうと思っていたが、現地を歩くと、あの急峻をとても登り返す気にはならなかった。一日を終えるには少し早いが、赤石小屋へ入ってしまう事にした。背中にテントがあるので適当な場所で幕営をしたかったが、バスに乗るためにはしょうがなかった。
富士見平から僅かに東に進むと、ハイマツの中の高台に居心地の良さそうなテン場スペースがあった。ここなら先ほどの遭難碑は意識せずともよく、登山道からも目隠しになる木もあって、なかなかいい場所となっていた。樹林の中を下って行くと、綺麗な赤石小屋が現れた。東海フォレストの管理する各小屋は一斉に新築したのか、経路のどの小屋も綺麗であった。1500円を払い(宿泊代金を含むバス料金3000円はバス乗車時に徴収)素泊まりを申し込む。「今日は最終日前ですが混みますか?」と聞くと「ピークは一昨日と昨日で、今日はスキスキです」と返って来た。おつりでビールを買い込み、別館へ。別館も外内装が手が加えられ、金属のブラケットで各柱が補強されて居たり、耐震対策が施されているようになった。中岳小屋のY氏が言っていたが、山小屋を建てるにも、いろいろが厳しくなったそうだ。焼けた千枚小屋再建は、入札を含め当分先になるだろうとの事であった。小屋の土間を奥まで進み、明り取りの窓の前に陣取る。ここは小屋内でガスが使用可なので、テーブルの上で暖かい食事を作る。ビールを煽りながら早めの夕食となった。するとポツポツと屋根を雨が叩き出した。焦って歩いてきたわけではないが、ちょうど良いタイミングで小屋に入れたようだ。雨は降り止んだり、断続して雨音を続けていた。ビールがウヰスキーに換わる頃、ウトウトしながら壁際のログに寄りかかる。何の制約もない時間はとても至福の時であった。しかしその一人での時間も19時頃に破られる。4名のパーティーが入ってきて、賑やかに宴会をやりだした。話の内容から、関東圏の山岳会の人のようだが、小屋内でのモラルはだいぶ欠落しているように思えた。翌朝は「4時起きでいこう」などと言うので、朝一の椹島のバスに乗るのかと思って、“気合の入っているパーティーだなー”と思いつつ、ウトウトとシュラフに包まった。
翌朝4時、「電気点けますね」と私の方に言い、4名のパーティーは部屋の明かりを点けた。バカな、そこまで慇懃無礼なことが出来るのかと思いつつシュラフに頭を突っ込んだ。向こうが起きるとうの前から起きているのだが、身勝手も甚だしい。そして4時起きは出発ではなく、食事であり、昨晩同様に携帯音楽プレーヤー鳴らしながら食事を作り始めた。その食器の煩さたるや・・・。全く周囲を気にしていないようであった。酷い・・・これが昨今の山小屋の現状か。静かにヘッドライトだけで対応するべきではないのか・・・食事だって静かに・・・。彼らは食事を済ませると5時頃に展望台へ向けて出立して行った。そこにバンダナが残されていた。置いておくべきか、どうせバスに乗るのだから持って行くべきか。迷ったが後者を選んだ。そして私も5:34別館を出発する。
椹島のバスの時間は6:30の次は10:30。時間は十分あり、ゆっくりと降りて行く。あまりに早く着けば、鳥森山でも登ろうかとも思っていた。でもそこまでガツガツ登りたくないので、適当にスピードを抑えて下って行く。すると後ろから特急列車のような中高年パーティーが迫ってきた。その怒涛のような歩き(走り)に思わず避けてしまったのだが、最後尾の人に「何でそんなに急ぐんですか、次は10:30ですよ」と言うと「お風呂に入るんです」と言う。お風呂にそんなに時間はかからないはずと思いつつ、その後を追って行くと、女性ハイカーからリーダーに「もっとゆっくり行きましょうよ」と吐かれた。すると前後に居た女性から一気に不満が吐き出され、「そうよ、周りの景色も見えないわ」とか「危ないわよ」とか、凄い喧々囂々となった。私の吐いた言葉が起爆剤のようであり、少し悪い事を言ったかと思えたが、それ以降このパーティーは静かに降って行った。樹林の中の終始暗い登山道を降りて行く。千枚岳への道同様に、こちらも夏場でも涼しく歩けるようだ。椹島から赤石小屋までを5等分した標識も時折見える(谷側を向いている)。途中で巡視路標識があるところで、昔の林道を右に見る。時計を見ると、小屋からちょうど90分が経過。この分だとあと1時間ほどで降りてしまうので、またまたギアを変えてペースダウン。ゆっくりと周囲にキノコでもないかと見ながら下って行く。しかしここはメジャールート。仮にあったとしても摘まれてしまっているだろうと思えた。
九十九折が終わり、鉄の階段を伝い登山口に降り立つ。オッこれなら鳥森山に行けるかと思い。今度は逆に少しスピードを速めて椹島を目指す。大倉喜八郎さんの碑を見ながらロッジ前に到着。しかしバス乗り場前の売店からはいい匂いがしており、ビールやアイスもある。その東側には一面の芝生のテントサイトがあり、鳥森山よりこちらの方に引き込まれていった。アイスを買い、日差しを浴びながら既に下界人。少し糖分をとって満足すると睡魔が襲ってきて、テントサイトのベンチで横になる。そよ風と適当な日差しに、こんな気持ち良さは他になかった。芝生の香りも鼻に感じ、そのままウトウトとする。熟睡していたわけではないが、ゆっくりと安め、周囲の賑わいにバスの時間が迫っている事を察知する。そしてバスの乗車場を見やると、そこに見たことのあるご夫妻がいた。思うより早く体が動き駆け寄る。ご夫妻は、蝙蝠から仙塩尾根を経由し、農鳥小屋でをユーターンするように白峰南嶺を戻ってきている。いやはやすばらしい足とコース取りである。山談義をしながら、もう少し早くに起きればと後悔する。すると小屋を同じくしたパーティを見つけ、バンダナを渡す。しかし受け取った御仁は、何一つ礼を言わなかった。置いてくればよかった・・・。ご夫妻との話しの最中に整理番号が呼ばれ、そそくさとバスに乗り込む。流石にギューギュー詰め、帰りもザックは膝の上。往路で学習していたはずなのに、またもやフレームが股間に・・・。
11:26、驚くほど少なくなった駐車場に戻る。歯抜けになった駐車場で各車を確認するのは簡単で、大阪のみいさんご夫妻の車は、私の数台横に置かれていた。到着時には、その多さで全く判らなかったのだった。5分ほどしてご夫妻のバスが到着し、再び少し山談義、次回はどこか山頂での合流を約束して、各々の帰路についた。
今回は急も急、予定が二転三転した中での行動となった。しかし日頃の訓練?のせいか、短時間で楽しめる場所を探し出せ、そして楽しんだ。念願の西小石岳も踏め、大満足であった。