朝日岳(大日岳) 3730m
伊豆ヶ岳(阿弥陀岳) 3740m
勢至ヶ岳(成就ヶ岳) 3730m 駒ヶ岳(浅間ヶ岳) 3710m
三島岳(文殊ヶ岳) 3730m 剣ヶ峯 3776m
白山岳(釈迦ヶ岳) 3756m 久須志岳(薬師ヶ岳) 3720m
2010.08.7(土)
晴れ 単独 (山頂で3名に合流) 須走口より 行動時間13H50M
@須走口23:27→(49M)→A6合目0:16→(64M)→B7合目1:20→(57M)→C本8合目2:17→(73M)→・パーティー合流作戦(山頂まで残り400m地点)3:30〜4:44→(37M)→D8.5合に戻る5:11→(39M)→E須走口登山道山頂5:50〜6:33→(9M)→F朝日岳6:42→(20M)→G伊豆ヶ岳7:02→(6M)→H勢至ヶ岳7:08→(7M)→I駒ヶ岳(郵便局)7:15〜30→(5M)→J三島岳7:35〜37→(3M)→・富士館西7:40〜8:04→(15M)→K剣ヶ峯8:19〜52→(32M)→L白山岳9:24→(6M)→M久須志岳9:30〜47→(5M)→N下山道下降点9:52〜10:24→(26M)→O富士山ホテル10:50〜11:10→(90M)→P砂払5合12:40〜43→(34M)→Q須走口13:17
@須走口5合目 | A6合目 | 太陽館 | B7合目 |
江戸屋前 | C本8合目 | ご来光直前 | ご来光 |
D残り400m地点から一度8合5勺まで下る。 | E須走口登山道山頂付近。 | E頂上標柱 | 売店前はかなり混雑。 |
荘厳な景色 | F朝日岳 | 途中から東側 | G伊豆ヶ岳 |
G伊豆ヶ岳から勢至ヶ岳 | H勢至ヶ岳 | H勢至ヶ岳から剣ヶ峯 | H勢至ヶ岳から伊豆ヶ岳。 |
I富士山頂郵便局。駒ヶ岳山頂部は、この東側。 | J三島岳 | J三島岳から駒ヶ岳側。 | J三島岳から剣ヶ峯 |
J僅かに残る「三島岳」の文字。 | 剣ヶ峯への急登(振り返る) | K剣ヶ峯山頂。 | K二等点 |
K展望台から南アルプス。 | K記念撮影のための列。観測ドームは外されている。 | 白山岳側の様子。 | 南アルプスを背に。 |
L白山岳 | L白山岳二等点 | L白山岳から久須志岳側 | L白山岳から剣ヶ峯側 |
M久須志岳 | M立体的な同定盤 | お鉢巡りを終え、ご機嫌な猛者諸氏。 | N下山道下降点。ここでしばらく足止め。 |
荷揚げ用のブルドーザー。 | 下山風景。砂埃が凄い。 | O富士山ホテルで大休止。 | 太陽館帰り。 |
白い筋が砂走り | 飛ぶように砂走りを下る。 | P砂払5合目 | 砂払から山中湖。 |
砂払から振り返る。 | 登山道と下山道の合流点。 | 古御岳神社に挨拶をし・・・。 | Q須走口到着。 |
前回入山したのが1998年だから、12年ぶりに富士山に行く事になった。「行く事になった」なんて書くと受身な感じだが、本心は喜んで出向く感じ。紛れも無い日本最高峰であり、ウキウキするのは否めない。まさに遠足前の児童生徒の気分であった。久しぶりに行く富士はどんな応対をしてくれるのか。「寒いだろうな〜」とか、モクモクとした雲海や、ドカーンと口を開けた噴火口、それこそ超一級の出迎えがあるはず。派手さと厳かさ、わびさびがありながら活動的な場所。そしてどの山にも負けない存在感。これほど登る者の心を擽る山は無いのだろう。
加賀金沢の某優良企業、そこに若い山岳会が創立した。会を取り纏めるリーダーは我が同級生。気心が知れた間柄であり、屈託なくやり取りがされる。彼らは言わば素人だった。でも根性だけは玄人。仕事で培った物事をやり遂げる姿勢は、ピークを目指し踏むという遊びに完全にマッチする。そして私の方は、藪山に入ってからの15年ほどのノウハウを惜しげもなく彼らに伝授する。この世界、体力は基本としても、道具とノウハウでかなり開きが出る。経験の浅さをノウハウでカバーしてもらう形となる。でも頭脳派集団であり、一を聞けば十を判り、こちらの言葉が浸透して行くのは速い。そんな彼らが、一つの目標としていたのが「富士山登頂」であった。日本人なら誰もが登りたいとは思うが、彼らのみの力で果たして踏んで来れるのか、日が決まったものの今度はこちらも気が気でなかった。そして彼らの努力する様子が日々伝えられてくる。その真剣な気概に、当然のようにこちらも感化される。そして是が非でも登らせてあげたい心境になり、現地に出向く事にした。
6日に吉田口から入山し元祖室で一泊。そして翌7日に山頂アタックという、彼ららしい堅実な計画が伝えられていた。しかし6日は金曜日であり平日の同行は無理。何処かで合流するには、それ相応の時間調整と頑張らねばならない事が要求される。行けるのは7日、合流するには彼らの寝ている間に行動するしかなかった。ネット上で調べると、マイカー規制がかかっていない登山口が須走口であった。ここから8合目までなら、夜間であっても急げば3時間ほどだろう。元祖室から彼らが行動しだすのが3時と聞いており、1時くらいに出発すれば、8号目から山頂の間で合流出来るだろうと踏んでいた。
仕事を終え急いで家に戻り、朝用意しておいた荷物を積んで20:30家を出る。久しぶりの経路となるが、関越から圏央道経由で中央道に入る。1時くらいに出発すればと思ったのは、週末の高速1000円の絡みもあり、日が変わってから須走ICを出たいと思っていた。しかしそこに、元祖室からの携帯メールが入った。小屋は1時起床で行動させるとの事であった。すぐに内情が理解できた。混雑緩和策なのだろう。それでも1時とは、かなりの早出行動。裏を返せばそれほどに混む様子が理解できた。こうなると困った。1時出発の予定を繰り上げねばならなく、自然とアクセルを強く踏み現地に向かう。須走りICを出て、現地に向かうと各交差点には警備員が居る。そして富士あざみラインの入口付近で警備員に止められた。「マイカー規制で一般車は入れません」と・・・。薄々ここだけおかしいなーとは思っていたが、実際に車が入れないとなると大幅に予定が狂う。
ピストン輸送のバス始発は朝であろうから、こうなると上での合流はまず厳しい状況になる。仮に6時頃出るとして、どう頑張っても上が9時。元祖室を1時に出発している彼らは、登頂が果たせれば下ってしまうような時間になってしまう。警備員に「今、須走口に行く方法は無いですか」と聞くと、「タクシーなら入れます」と返答があった。「ちなみにいくらくらいかかりますか」と訊ねると「3900円ほどですかね〜」と、4000円と言わないところが真実味がある。もう今回の企画を成功させるにはタクシーに頼るしかなかった。警備員の指示に従い、公的な駐車場に行き車を置く。準備をしてテントの方へ行くと、ちゃんとタクシーが並んで待っていた。この時間から入る人は、ここでは特別でなく普通のようだ。でもタクシーの運転手から「一人ですか」と訊ねられる。この時間に入る人は居ても、単独でのタクシー利用は少ないようだ。あざみラインを登ってゆくと、みるみるメーターが進んで行く。金額の横に深夜の2割増の文字も赤く光る。この為か・・・。そして須走口をまだ前にして3900円を越えた。この調子だと5000円コースか・・・不思議とメーターが進まないよう下っ腹に力を込めていたり・・・そんなことをしても変わらないのは判っているのだが、人間の心理とは面白い。運転手は、「あと30分早く着けば、バスに乗れたのですけどね」と言う。時計を見ると、言っている最終便の時間は22:30だと判った。と言っても家を出た時間からすると急げば間に合ったが、ぎりぎり乗れないような時間でもあった。まぁしょうがない。須走口に到着すると、そこにはこれから出発するハイカーが10名ほど居た。係員も居て、昼夜問わずここは動いているようであった。運転手に4770円を支払う。3900円の2割増しオーバー。それでもニアリーか・・・。
すぐに歩き出す。石段の先にはヘッドライトの点がいくつか見える。今日は肺の調子もいい。少し頑張ってみるかと思うのだが、高度順応はほとんどしておらずに飛ばすのは気になった。逸る気持ちを抑えつつ、足をゆっくり出してゆく。樹林帯から飛び出すと、満天の星空。大きな流れ星が何度も強い光を出しながら横切っている。振り返ると下界の夜景が見え、これまた美しい。ナイトハイクの醍醐味はここにある。6合目まで行くのに、30名ほど抜かしたか。たぶん私が速いと言うのではなく、闇夜に慣れているだけだと思う。その証拠に、6合の目の小屋の明るい場所に多くの人が集っていた。暗さが人間の行動を制限しているのであった。それにしても若者が多い。下界でのやり取りで「よー、富士に登ろうぜ!」そんな会話から来ている様で、真新しい靴がその事を裏付けていた。周囲は既に防寒具に身を纏っている。前を通り過ぎる私のTシャツ姿に、「見てあの人・・・」と言葉が聞こえ、その後に薄ら笑いが背中に聞こえる。一級の登山道は歩きやすく快調そのもの、今日は密かに追い越した人の数を数えていた。既に35名。それが多いのか少ないのかは判らぬが、夜という部分では、この数は珍しい。首の仰角を上げると、先の方の小屋の黄色い明かりが点々と見える。その間に細かい明かりが蠢いている。その数が凄い。先のほうでは既に渋滞が始まっているように見えた。山腹の天の川のようでもあるが、さらに空を見上げると、その星空の綺麗な事。
1:20、7合目通過。速くもなく遅くもなく、まずまずの通過時間。元祖室からの出発の様子も携帯メールに飛び込んでくる。最高のタイミングで合流となるやもと期待する。しかし我が携帯はMOVA、アンテナは立っているのだが、送受信が上手く出来ない。一方FOMAでは全く問題ない様子。古きを暖めていると弊害もあるようだ。江戸屋さんを過ぎ、既に大パーティーが前を塞ぐ。何人居るのか判らぬが、この闇夜で大人数を連れる業者側も大変な事だろう。前後、そして中にスタッフを配置し、点滅するライトで存在を示し合っていた。完全に前を塞ぎ、足踏みすることも多くなった。これが富士か・・・こうなると吉田口からとの合流点の本8合目辺りは凄い事になっているのだろうと思えた。その合流点の胸突の所では、渋谷か原宿の喧騒となっていた。一目散に逃げ出したい心境だが、前後を塞がれ既に流れに任せるままの状態になっていた。随時先発隊からの情報が入るが、高度計が完全ではないようで、伝えられる標高からの情報が少し曖昧になり、微妙に前後する関係上、私が前を行っているのか後ろなのかが判らなくなった。そして先発隊が後だと判り、3650m付近で長らく路肩で待つことにした。ただし、ヘッドライトを当てないと顔など認識できず。ザックと雨具を見て判別するしかなかった。しかし何百人(桁が違うか)居るか判らぬ中で、探し出すのは困難を極めた。1時間以上待ったか。まだ上がってこない。外気温計は6度ほどを指していた。ジッとしていると非常に寒い。少し体を動かすのに、「山頂まで残り400m」の標識まで上がる。ここはご来光ポイントなのか、留まる人が多い。軽装の外国人などは、薄い布を纏いながら寒そうにしている姿がある。軽率と言う言葉と、固体の強さを感じる。
待てども上がって来ないので状況を問うと、嫌な事にトラブル発生であった。予期した高所順応が上手くいかないか、体力的な面か。話を聞くと、そうではなくパーティーが離れはぐれてしまったと言う。この人数の中ではぐれると厳しい。動かぬように告げて、猛ダッシュで駆け下りる。ただしその時がご来光であった。すばらしい日の出にカメラ撮影は忘れない。登行者を縫うように降りて行く。顔を確認しながら行くものの9合目、そして8.5合目のご来光館まで下ったが、その姿が無い。すぐさま電話を入れると、どうやらメンバー同士の場所の確認は出来、もう既に山頂直下に居るらしかった。何処かですれ違っていたはずなのだが、おそらくボーッと立って待っていた時に彼らは前を通過して行ったのだろう。今度は暴走列車のように駆け上がる。登ったり降りたり、そしてまた登り、今日は忙しい。そして山頂直下の木の鳥居の横に、3名の姿があった。良かったひと安心。それより自力でここまで来て居る事が嬉しかった。良くぞ頑張った。そしてこの場所は、日当たりが良く棚形状であり休憩適地。上に上がってしまうと人だらけで適地が見出せない中、ここは非常に良い場所と思えた。軽く食事をし、私は薄いコーヒーを胃に流し込む。この後は時間を気にせずののんびり行動。折角の富士山頂、ダラダラと満喫する予定であった。
お鉢は時計回りが基本。何処かにその由来があったが、仏教からの謂れらしい。それにしても凄い人。コンビニまでとは言わないが、それ相応のものが、ここではお金を出せば手に入る。世界を見ても類を見ない山頂かと思う。日本の国の豊かさ故か・・・。でも我に返り、3700m越えのこの地をまじまじと思う。そこを歩いている自分。周囲の人が霞みのように思え、お鉢を歩きながら富士と対峙している自分が浮かび上がる。それには周囲の景色がそんな気持ちの後押しをしていた。雲がかなり近い位置に見え、日頃見上げているような山々が、低い位置に連なっている。ここに来なければこの景色はなく、やはりここは特別な場所「富士山」なのであった。久しぶりの同級生との対面に、尽きない話をしながらのんびりと足を進めてゆく。
まずは大日岳に上がる。ここは北側から容易に踏むことが出来る。鳥居にお金が埋め込まれている姿が、礼文島の地蔵岩の標柱を髣髴させる。次の伊豆ヶ岳は北側が少し岩登りになっているので、南からアプローチ。一部キレット的な危ない所もあるので、注意しながら登って行く。この山頂には、「天之御柱」と書かれた標柱が立っている。まさに天に向けて突き上げた御柱。ネーミングはここに嵌る。その次の成就岳は、トラバースする登山道を左に見てなだらかな尾根を行くと私的な標識が立っている。この標識は12年前のまま。進む先の最高点、剣ヶ峯が近くなってゆく。石室を右に見ながら東安河原を進んで行くと、急に周囲が賑やかになる。浅間大社奥宮と山頂郵便局に人だかりが出来ていた。その手前に駒ヶ岳があるのだが、座標から追うと通過点のような場所であるのと、火口側に小高い場所があり、そこで山頂とする。
富士館の西側で大休止。富士宮口ルートと御殿場ルートの下降点であることで、休憩している姿が多い。それも地面の上に寝そべっている姿。よほど疲れたのか、もしくはよほどここで寝るのが気持ちいいのか。三島岳を見ると、ちらほらと登っている人も居る。お鉢巡りと言えど、ルートは火口の8座を通っていない。その8座を登るには、場所によってはルートから少し逸れねばならないのだが、この三島岳もルートを外れ斜面を駆け上がるには目立つ場所であった。ザレた斜面に足を取られながら上がると、三島岳の山頂鳥居の先には、見事なまでの樹海が広がっていた。気持ちいいの一言。駿河湾が眼下に見え、伊豆半島が緩やかな弧を描いて伸びて行っていた。富士館の西側に戻り、ここには新設のトイレがある。お鉢にはトイレの設置場所が2箇所、常に賑わっていた。下界の留守番部隊にはがきを出すとの事で、寄せ書きを投函。家族に手紙を書く者、風景印を家族から頼まれた者、これ以上の高さの無い場所は、人の心を下界に向けさせる。ここでの時間はいくら使ってもいい。のんびりと同行者の行動にあわせる。
馬の背を経て、剣ヶ峯の登りに入る。滑りやすい急登で、登下行者が難儀して通過している。しかしここを通過せねば最高点は無いわけで、目の前のニンジンに向け我慢の登り。山頂に富士山測候所の施設があるが、今は言うなれば廃墟。富士山ドームと言われた丸いドームは無くなり、見るからに「跡地」の景観となってきていた。それでもここは最高所。このハイシーズンに山頂写真撮影のための長い列が出来ていた。これを見ると日本人はつくづく並ぶのが好きだと思える。その長い列の脇を通り山頂に立つ。写真撮影さえどうでもよいと思えれば、並ぶ事など不用なのであった。展望台の方へ行くと、そこからの南アルプス側の展望はすばらしい。甲斐駒付近がガスに覆われていたのを除けば、他の山々は全て連なって見えていた。これぞ絶景かな。ここまでの行動は私単独の行動原理。ただし今回は同行者が居る。最高所での記念撮影は大事であり、しっかりと列について並ぶ。並んでから25分くらい経過したか、やっと順番になり、皆で記念撮影。同行各人にしてみると「登頂の証拠」であり、これは大事な行為。皆、にこやかにデジカメの中に記録される。さあここでお鉢巡りも残り半分。雪渓を右に見ながら西安河原を行く。
先ほど展望台から西側を見たが、ここでの通過ルートからの展望もすばらしい。同行者から山座同定を頼まれるが、何せ私はこの部分に疎い。ゴニュゴニョと言ってその場を誤魔化す。視線を麓側に引き寄せると、それと判る毛無山塊が、存在感ある山容で連なっていた。白山岳の南側山腹を通過して行く。北側を見上げると、雷岩からその白山岳に続く荒々しい岩場が見える。“通過してみたい”とそそるような場所となっていた。金明水を汲み上げるポンプの所から、白山岳へはロープが張られていた。表示こそ無いが、無言の通行止を示していた。このなだらかな斜面を登らせないのは・・・どうしたことか。お鉢巡りのルート側にもしかしたら落石があったのかもしれない。躊躇はしたが、ロープを跨いで駆け上がる。しっかりとした踏み跡があり山頂へ向かっている。白山岳の山頂には、剣ヶ峯に続きここにも2等点が鎮座している。やはり山頂に居ても山腹を通過して行く方の声が聞こえる。登山を制限しているのは「落石」防止の為でほぼ間違いないのだろう。さっと写真撮影して急いで下る。次が8座目の久須志岳。ここでお鉢巡りも完結。
ルートを少し逸れ山頂に行くと、立体的なブロンズ製の同定盤がある。「タバコ吸い」からは、「灰皿にいいな〜」と素直な言葉が洩れる。確かにそんな感じ。持ち上げたビールを分け、お鉢巡りと登頂の祝杯をあげる。なぜかさきほどの同定盤の噴火口にはおつまみのナッツ類が入れられた。そこはさながらスタンドバーの様相。500mLを4名で分かちあい、最高に美味いビールとなった。メンバーもここまでの経路を振り返り、好天に恵まれた事を喜ぶ。当然のように山頂部に笑い声が響く。どうなるものかと心配して出向いてきたのだが、皆の無事登頂にこちらもホッとしていた。さあ、残す行動は下山のみ。メンバーは吉田口から入山したが、砂走りを経験してもらう為に、須走口側に降りる事とした。土産物屋の前は、相変わらずの人・人・人。そして下山路下降点まで行くと、荷揚げ用のブルドーザーが上がってきており、そこで30分ほど足止め。この間、空を仰ぎながら昼寝をすると、その気持ちいいこと。富士山で昼寝。こんな贅沢は無いかも。砂走りの準備として足元にスパッツ装着。ブルドーザーが上りきると、ゲートが開いた競馬場のように待っていた登山者が下山に入る。こちらはのんびりとした足取りで降りて行く。しかしながらこのルートの土埃は凄い。バンダナを口に巻き簡易マスクにするが、目に入る砂を遮る物が無かった。そして足元は瞬時に埃まみれになってゆく。観光目的の登山者は、それらを防ぐ物は持たず、難儀しながら降りている姿があった。きれいな服装の方も、砂漠を歩いてきたように砂を纏ってゆく。
富士屋ホテルの所で大休止。ちょうどここで登りのブルと下りのブルが交差。そして周囲にわんさかと登下行者が入り乱れ、なんだか凄い様子。そのブルの運転手は、「邪魔だ、どけ」と怒鳴り散らしている。とても嫌な風景であった。怒鳴る運転手の気持ちも判るが、疲れて登っている登山者も居り、観光客のお金で潤っているこの周辺の山小屋を思うと、ブルのほうは我慢せねばならないように思えた。ただこの時の運転手は強引で、荒々しくアクセルワークしながら、ハイカーを蹴散らすような動きでブルを操作していた。一つ間違えればキャタピラーに踏まれそうでもあり、非常に危なかった。富士山においては日曜日も平日も無いのかもしれないが、日曜日に荷揚げせずとも・・・なんて思ってしまう私。なんか嫌なものを見てしまった感じであった。
7合目まで下り、太陽館の前を抜けたら砂走りルートに入って行く。上から見下ろすその白い場所に、同行者から「え〜っ、あんな所を降りるのか〜」と声が洩れる。上から見ると急斜面に見えるからであろう。そしてそこを歩いているハイカーが、苦労しながら降りて行くのが見える。そしてその砂走りに入る。足の置き方をレクチャーし、いざ。するとメンバーは水を得た魚のように足捌き良く駆け下りる。「これ、楽しいですね」と言われると、ここをルートに選んだ私としては本望であった。雪の上をウェ−デルンしているかのように軽快に降りて行くメンバー。その姿は楽しそうであった。と言うのも、その脇では難儀しながら降りて行くハイカーの姿もあり、ここを楽しめる本人らの優位性という部分も、気持ちよく降りられている理由のように思えた。そしてここを難儀しながら降りているのは、スパッツをして無い人であった。長い下りはこれでもかと続く。そこを同行者に歩調を合わせながらゆっくりゆっくりと高度を下げてゆく。北側を見ると、早朝に伝った登山道をハイカーが登っているのが見える。緑の木々の間に、カラフルな姿が見られ、かすかな鈴の音も響いてきていた。
砂払5合に到着。やっとここで砂走りも終わり。それこそ砂を払う場所である。ベンチではスパッツをしていない人の惨状を見た。靴の中に砂が入り込み、長い下りで擦れて、大きく靴下に穴を開け4本の指が覗いていた。売店のテントの中では、シェパードの雑種だろうか、昼寝をしながら目だけを動かして前を通り過ぎるハイカーを眺めていた。ここでは洗面用の水が100円。確かに顔を洗いたい心境であり、利用者も居るだろう。小休止の後、樹林帯に入って行く。古御岳神社の上で登山道と下山道が合流。時計は13時、まだまだ登って行く方は多い。少し散策をと思える観光客も居れば、5合目からスタートしたてで、気合の満ち溢れているパーティーの姿もあった。その反面、長い下りで疲れ涼しい樹林の中で休んでいる風景もある。全てが富士なのであった。
砂走口到着。小富士に行こうかとメンバーに声を掛けたが、すぐに却下。駐車場脇のベンチに陣取り、少し遅い昼食とした。ここは水が得られず買わねばならないのが不都合なところ。ここで溢れんばかりの水が出ていればいい場所なのだが・・・。ベンチから見上げる富士は、ガスを纏ったり脱いだり、黒い乾いた表情が先ほどの埃を連想させる。メンバー各人の山頂を無事踏んで満ち足りた様子に、こちらも安堵。楽しい登山となった。車を停めた駐車場に行くバスは、上の駐車場から出ており少し距離がある。それならと頭数も居る事から、タクシーを使う。下りだと3500円ほどであった。送迎料が150円ほど加味されていたが、それでも往路の金額には2割増でもならない。深夜の初乗りの基本料金が違うのか・・・。
駐車場に戻り、須走インターから富士吉田インターまで飛ばし、吉田口側の駐車場へメンバーの車を取りに行く。こちらも人気。富士山に入る6割近くがこの登山口と言うから、混み様も頷ける。河口湖の畔の温泉で砂を落としてから、須玉の反省会会場へ向かう。途中、八ヶ岳を仰ぎ見ながら、「次はあそこに行きましょう」と誘いをかける。10年ぶりに逢った旧知の面々、宿ではビールの空き缶が次々と倒れていった。