有形山  1010.7m            

 2011.1.18(土)   


  雪     パーティー       白山公園線風嵐ゲートから          行動時間6H26M


@白峰風嵐ゲート8:13→(111M)→A758高点北西の最初の鉄塔前10:09→(124M)→B有形山12:13〜51→(42M)→C970m鉄塔13:33→(29M)→D758高点北西の鉄塔帰り14:02→(37M)→Eゲート14:39


ge-to.jpg  kanjiki.jpg  mosa.jpg  syuxtupatu.jpg 
@白山公園線。白峰風嵐ゲート前。積雪量は1.5mほど。 福井の猛者は、やはり和カンジキ。北陸の重い雪に適し、凍結付着も少ない。 スタート前。私のみスキー装備で、福井の猛者諸氏はカンジキ。 ラッセルが始まる。
nobori.jpg  p22.jpg  saisyonora.jpg  saisyono.jpg 
我が師匠が、カンジキパーティーを引っ張る。 スキートレールでも膝上くらいまで潜る。 送電線が見えた場所から、上を仰ぎ見る。林道を北に進む。 A最初の鉄塔下。
rindoukaraone.jpg  onekara.jpg  hyoushiki.jpg  toucyaku.jpg 
A鉄塔下から尾根に取付く。 760m付近から。いったん下って登り返し。 Bチャムラン山の会の標識が掛かる。 Bやっと到着。
ebisu.jpg  mochi1.jpg  mochi2.jpg  kyuukei.jpg 
B寒くてもビール。いや、このために登った? Bブルブルと震えるような中、師匠が温かい食べ物を作ってくださった。 B雪の降りしきる中、暖かい物で、少し元気が出る。 B悴む手を動かして、軽い食事。女性陣が居ると、食材も豊富。果物やコーヒーや菓子類を持ってきていただいた。
syuugou.jpg  textutou.jpg  textutougawakara.jpg  tore-ru.jpg 
B集合写真。左にカルフのメタ&エボライト。 C970m付近の鉄塔に戻る。(山頂から西に谷を下ったが、滑りにならず、登り上げてきた) この下にややナイフリッジの場所がある。フカフカで登るのは無理だった。ドロップしたが、雪崩が追いかけてくる感じになり、怖く滑るのは無理。 830m付近の樹林の中。往路は堅い雪を求めて樹林の中を歩いた。
textutounimodoru.jpg  p2.jpg  mosa2.jpg  gezan.jpg 
D鉄塔に戻り、林道に降りる。 スキー滑走を苦しんでいる間に、カンジキ隊は先行していた。 よく降る。それこそ雪まみれ。 Eゲートに戻る。到着からの積雪量は25センチほどか。


  

 2010年の暮れ、金沢の某優良企業のスキー合宿に声を掛けてもらった。来るものは拒まず、二つ返事で参加を約束する。いつものように、当然のように抱き合わせの山を考える。スキー合宿の場所は瀬女高原スキー場のコテージ。その場所を中心に周囲を漁る。しかしこの厳冬期に登れる場所は限られる。まずナナコバ山が気になるところだが、さすがに距離がある。厳冬期というよりは残雪期の山だった。次ぎになだらか斜面の有形山。ここは一度登っているが、コースとしては過不足無くこの時期に楽しめる場所に思えた。あと、白山山系に入る時には、福井に住まいする我が師匠に声を掛けるのが常。これらの旨を年賀状に書いて予定を伝えておいた。すると、師匠も二つ返事で予定に乗ってきてくださった。さらには、一週前におまい山に登って、周辺の下見をしてくださった。この時で、おまい山まで登り2時間。カンジキ装備で膝まで潜る事を伝えていただいた。送られてきた写真の中には、ナナコバ山も有形山も見えるが、潜る想像と写真から見える距離に、既にこの時点でナナコバ山は完全に諦めた。

 一方だんだんと日が近くなると、決行日が完全な冬型の様相となってきていた。少し背中を引っ張られるような天気図の予報に、北陸に行くこと自体を迷う部分もあったが、「とりあえず現地に行って判断する」、これは我が師匠に教わった部分であった。私の訪問を楽しみにしてくださる方が居るのに、少々のことで諦めるわけにはいかなかった。有形山で決行とし、現地へ向かう。

 
 1:15家を出る。高速に飛び乗ると、上弦の月から僅かに育った大きさが、雪雲なのかおぼろ月のように滲んで見えていた。長野辺りまでは何とか降られずに走行していたが、妙高エリアに入り一気に冬景色。北陸道に入ると、親不知を越えての富山県からが、またまた雪が深くなる。トロトロとゆっくりと石川を目指す。この時点では2時間くらいで有形山を踏めると思っていた。よってスタートは8時としてあったため時間十分なのだった。金沢西インターで降りて157号に乗って白峰を目指す。鳥越を過ぎた辺りから一気に雪深くなり、雪で暴れる路面に緊張の糸を張ったまま。手取ダムへ登って行くと、益々雪深い。“今日は有形山で良かった”と本心で思った。周辺では、黄色い回転灯を回しながら除雪車が忙しそうに動いていた。緑の村を右に見て、一応除雪は風嵐のゲートまでしてあった。ここでの積雪は1.6mほどか、門扉の高さと同じほどになっていた。5時45分到着。経路4時間半、この雪にしたらまずまずの感じ。福井からのパーティーが到着するまでしばし仮眠となる。

 
 7時、我が師匠から携帯に連絡が入る。「現在地は勝山。これから峠越えで残り1時間ほど」と伝えてきていた。携帯の便利さを痛感するのだが、こんな山の中で繋がるとは・・・。つい何年か前なら、無線機でやりとりをしていたのに・・・。本を読みながら待っていると、8時少し前に見慣れた福井の猛者パーティーが現われた。久しぶりの再会に、みな笑顔となる。すぐに装備をしだすのだが、福井パーティーはカンジキ装備。一方の私はスキー装備だった。足を揃えるにはちと装備が違うが、今日はさほどガツガツして居らず、雪を楽しむ登山をと・・・。有形山を狙うには3ルートほど見出せるが、ここはゲート脇の林道からアプローチする事とした。師匠は前週にここに来て、有形山からのスキーヤーに行き会っている。その方のトレールなのだろう、公園線に一本の筋が奥に続いていた。

 
 8:13スタート。最初はカンジキの潜る様子を把握と、福井パーティーに先行していただく。沈み込み量は膝上。これでいくと今日の場合、カンジキでの登頂は5時間とか6時間かかるように見えた。足上げ量も大きく、疲労も強くなるだろう。すぐにトップに出て、ラッセルをしてゆく。スキーだからとて、けっして楽な雪ではなかった。少しカンジキより機動性があるくらいで、場所によってはカンジキの方が適当な通過点もあった。師匠からは「トップを交代でいきましょう」と声が掛かるが、
一番の若造の私がヌクヌクとしてついて行くのは忍びない。皆のためにルートを作って行く事を心に決める。林道の上を伝っているものの、その林道の在処が判らなくなっている場所もある。適当に歩き易い場所を選びながらゆっくりとしたスピードで登っていた。

 
 スタートから1時間ほど。ここで標高620m付近。送電線が頭上を通り、勾配のきつい斜面の先に5本の線が続いて行っていた。林道は大きく北に進んでおり、この道形は地形図に描かれていない道形であった。しばらく北進するのだが、地形図で確認すると、気をつけないと公園線に降りて行く道となってしまう。右(東)側を気にしつつ、適当な取付き点がないか探しながら進んで行っていた。すると、顕著な尾根が右に見えてきた。ここぞとばかりに林道を逸れ尾根を行く。少し登ってゆくと、途中にピンクのマーキングも結ばれていた。ややスキーにはきつい斜度。九十九を細かく切りながら高度を上げるのだが、こんな場合は後続のカンジキが有利に思えた。板の長さに苦労するように振り回しながら登っていた。途中から緩やかになるが、740m付近で再び地形図にない道が目の前を横切っていた。その道形の勾配の先を見ると、送電線が見えた。どうやらここで、先ほど下から見上げた場所まで到達したようであった。進んで行くと送電線鉄塔がデンとあり、道形は尾根の西側を巻き込むように進んで行っていた。


 鉄塔前から尾根に取付く。すぐ先が758高点であったが、気付かず通過。右に送電線を置きながら緩斜面を行く。目の前にはスキー場のコースにも見える、切り開かれた斜面がある。送電線を通すが為のものか・・・。緩やかに下り200m程進んだら、山頂までの登り上げ斜面。伐採された斜面はフカフカ過ぎて進度が落ちるので、西の樹林帯の中に入り、針葉樹から落ちた雪で堅くなった場所を選びながら進んでいた。なかなか厳しい登り、一番前なので表情が後ろに見られないのが幸いだが、息も荒れ、厳しい形相になっている自分が判る。この時の頑張りは、山を教えてもらった師匠へのせめてもの恩返しだった。


 830m程だったか、再び道形が横切っているような場所があり、ここで大きく休憩。持ち上げていただいたコーヒーやリンゴをいただき、疲れを癒しつつ火照った身体をクールダウン。地図を見ながら残り距離を見るが、まだ先は長い。当然のように後ろ向きな自分も現われ、そこそこの場所で歩みを止め宴会にした方が・・・などと思う。ただし、いつももう一方が強い。こんな日こそ登頂してなんぼ。記憶と記録には、「登頂」に勝るものはなく、「こんな日に登った」などと、福井の面々にも喜んでもらいたい気持ちもあった。それには私のがんばりしかなかった。師匠は私の気持ちはよく判っている様子。ただし、率いているメンバーの様子もよく判っている。「12時まで歩いて、そこで引き返しましょう」と声が掛かる。了解も了解であった。


 再び樹林帯の中を行く。だんだんと勾配が厳しくなり、900m辺りから、カンジキを付けたいほどの斜度に変わる。根性の登り。スキーが雪に埋まり、それを出すのに多大な力が太ももに掛かる。降り続く雪の中、額から汗が滴る。そして930m付近で送電線の下となり、そのまま広尾根を次の鉄塔に向かうように進んで行く。しかし、990mの高みが見える前で、登り上げる斜面にナイフリッジが出来ていた。さらには急峻。スキーでは無理そうであり、カンジキでも今の時期は崩れやすく厳しい。その場所から北に進んでいる林道に乗って東に進むことにした。一見、目的の山に対して大回りしているように思えたが、そうではなくかなり直線的に山頂に向かっていた。しかしその道形が、途中で北に方向を変える。立ち止まってやや悩むが、一か八かで伝ってみる。有形山の山頂を右にしてトラバースして行くような道だった。適当なところから高い場所を選びながら南東にずれて行く。少し起伏のある場所の通過があるが、もう山頂が近いことが、やや筋肉を踊らせていた。もう少し、もう少し。


 登ってゆくと、先の方に「有形山」と書かれた標識が見えた。とうとう到着。しかし見えてからのラッセルが微妙に長く感じる。最後20m程でパーティーの皆さんに登頂を譲ろうとしたが、「先行ってください」と・・・。近づく標識に、最後の最後を味わうように一歩二歩と迫ってゆく。そして到着。ここはどのくらいの積雪量なのか。雪の上から600
mmほどの場所に標識が着いていた。その木の上の方2m位の位置に、楕円の黄色いプラスチックプレートも見られた。しばし大休止となる。しかし、みるみる身体が冷えてゆく。それでも持ち上げたビールが美味しく、疲れ切った身体に染み渡る。師匠は下準備された食材をストーブにかけてくれていた。餅を放り込み、「ほら、温かいから食べて」と・・・。涙が出来るくらいに嬉しい。そして師匠のハートが加味されたスープは身体をよく温めてくれた。降りしきる中に談笑の声が溶けてゆく。最後に記念写真を撮って、下山となる。カンジキ隊は往路のトレールを戻り、私は一人、西側の谷に滑り降りて行く。ただし、板がほとんど滑らない。谷地形を楽しめるかと思っていたのだが、歩き下っているような感じであった。かなり残念だが、今日のこの雪ならしょうがない。上空に送電線が見えたところで北側の高みを気にしながらトラバースしつつ高度を上げて行く。何度も九十九を切りながら、またまた30分ほどの登りだった。


 登り上げると送電線鉄塔。少し下ると、あのナイフリッジの場所。切り崩すように降りて行くのだが、滑り降りると言うよりは、雪崩落ちる感じ。その下でトレールを見ると、既にカンジキパーティーが通過しているのがハの字になった足の向きで読み取れた。後を急がねば・・・。この先の斜面はスキーに適する斜面。それを楽しみに来たのだが、いざドロップインすると、少しは滑れるが、すぐに後を小さい雪崩が追ってきた。立ち止まると腰くらいまで埋まり、その雪の動きが止まるまで生きた心地がしなかった。そこから板を出す作業は、なにか死の淵から這い出るかぐらいに辛かった。
これじゃ〜滑りにならない“と判断したが、まだ斜面の途中。騙し騙しずり落ちて行くのだが、何度も転びながら、雪の中に埋まり、またまた恐怖を・・・。新雪は、動きに反応して雪はすぐに動き出すような感じであった。樹林の中に逃げ込むように進み、往路のトレールにに板を乗せて、深い溝の中を滑って降りる。


 どこかですぐに追いつくかと思っていたが、先行しているカンジキ隊に追いつかない。流石猛者パーティー、速いのであった。そして標高600m付近の林道を降りている頃、先にカラフルな姿を捕らえた。「あらーっ」と女性陣から声がかかるが、皆は間違いなく私が先行していると思って居ただろう。山頂からの西側でもたもたしている間に、かなりの距離を離されていたようであった。カンジキの汎用性と強さを感じさせられる。往路と逆、カンジキの跡を追いながらゆっくりとパーティーとなって降りて行く。


 ゲートまで降りると、その前に置いた皆の車には、40センチほどの雪が乗っていた。よく降る中、歩いていたわけである。雪に濡れビショビショになった装備を車に放り込み、すぐに白山天望の湯に行って冷えた身体を温める。染み渡る湯の温かさは、寒さの中でがんばったご褒美みたいなものであった。

 久しぶりの師匠を含めた福井の猛者パーティーとの行動は、非常に楽しかった。そして皆さん、ありがとうございました。またどこかで・・・。

chizu1.jpg

chizu2.jpg
                           戻る