城山   922m                       
 

 2011.1.3(月)   


  晴れ     単独      奥沢線標識分岐地点から           行動時間58M


@奥沢線延長703.2m標識分岐10:47→(9M)→A林道終点広見10:56→(12M)→B北峰11:08→(6M)→C城山11:14〜20→(15M)→D林道終点11:35→(10M)→E停車分岐11:45


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国道299号から林道ながたわ線に入って行く。 途中の分岐点。(右の絵に続く) 「中央テレビアンテナ←」と標識がある。 @ここに停車。車の右脇から下に林道が降りている。登路は右の道。
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@奥沢線の標識がある。 林道途中から城山の岸壁。 林道の様子。つづら折りが続く。 関越モータースクールの廃バス。
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A林道終点地から見上げる山の斜面。上側は岩壁。 A終点地から西側に踏み跡が上がっている。 植林地の中の道形に出合う。横切り進む。 尾根に向けてのトラバース。
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北峰手前の鞍部。マーキングも見える。 鞍部からの最初の岩。左右に巻ける。 B城山北峰頂上から見る城山南峰。 北峰と南峰の鞍部から南側。
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C城山の山頂はテントを張れる平らな場所がある。 CG標が、だんだんと木に取り込まれつつある。 C叶山と両神方面。 C二子山方面。
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C三国峠方面。 C山頂の西側。 C神ヶ原の集落を見下ろす。 下り。刃物痕も見られる。
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植林地内の道形を伝って戻る。 D林道終点の広みに戻る。 E駐車分岐。  帰りに国道299に出た場所。(林道側を見ている) 


  

 2011年が明け、初日の出も見ないままヌクヌクと過ごしていた。外に出たいのは山々なのだが、調子が出ないのだった。気胸が治らずエアー漏れが酷い。痛みこそ少ないが、なにせ胸から発せられるゴボゴボ音が肺に反響して、寝ていても起きていても体に響く。しっかり治さないから自業自得とも言えるのだが・・・。

 
 登り初めの初日を早く出さないと、自分でも修まりがつかない状況下、昨年末からの続きとなるが簡単に登れる場所を選び出す。今日は西上州の奥多野の山に行く事にした。奥多野とは、日航機が落ちて有名になった上野村、合併して神流町となった旧中里村と旧万場町が、そう言われる場所。あの有名な秩父事件もここが舞台であるし、静かな山村ながら事件・事故には縁があるようだ。その奥多野は旧中里村に在る城山を今回は目指す。山頂直下まで林道が上がり、それが伝えれば楽に踏める算段であった。ただし、積雪や崩落やゲートなどは、現地に行ってみないと判らない。

 
 上野村側には、湯ノ沢トンネルのおかげで本当にスピーディーにアプローチできるようになった。少し雪が残っているかと危惧したが、路面には全くなし。国道299号に降りて、東進して行く。神流町に入り、旧中里村役場付近が昔ながらの狭い道路。299号と462号はだいぶ道幅が広くなったが、ここだけが狭いままで、これはこれで懐かしさが残っていて嬉しかったりする。志賀坂トンネルへの道を右に見て、650mほど東に進むと、そこから「林道ながたわ線」が左に入っている。もう一つの林道の、宮地地区からの道の方が使い易そうで、そこを伝おうとしていたのだが、情けないことにその付近の地図をプリントアウトして居らず、入り口が判らなかった。こうなると、先程の入り口しか無くなる。戻って鋭角に林道に入って行く。

 
 ダート林道で、かなり状態は良くない。オフロード車がうねるように進んで行く。そして途中途中には、かなりの勾配の場所があり、そんな場所はコンクリート舗装されていた。途中で分岐となり、そこには「←中央テレビアンテナ」と書かれた道標があった。下の集落の共同アンテナの事なのだろう。ここから左に道をとるのだが、ロケットの発射台のような勾配。凍っていればまずアウト。積雪が無く良かった。ディーゼルエンジンが唸りを上げて登ってゆく。だんだんと道幅も狭くなり、かなり心細くなる。それから経路にほとんど駐車余地が無く、ユーターンもままならない。よって恐る恐る進む感じであった。

 
 進んで行くと、少し広さのある分岐が現われた。そこには、「奥沢線 延長703.2m」と表記してあった。その場所に何とか1台駐められそうなスペースがあり、ここに停車。路肩が心許なく、傾斜している場所でかなり神経を使う。車から降りると、かなり上下動を繰り返したので、月の上を歩いているかのようにフワフワ感があった。山手側には造林の標柱があり、そのすぐ下から水が湧き出していた。長靴を履いてスタートする。

 
 林道に沿って登ってゆくのだが、途中途中にペットボトルに茶色い液体が入れられぶる下がっている。害虫駆除の液体か。何度もつづら折りを繰り返し、ここに車で突っ込まなくて良かったと思えた。ジムニーや軽トラなら容易だが、普通乗用車は最低でも2回ほど切り返さないと曲がれないカーブのきつさであった。歩き出して7分。目の前に関越モーターススクールの使い古しのバスがあった。扉は開いており、中は雨宿りできる空間があった。湯飲みや鍋などがあり、飯場として使われていたようだ。走行メーターを覗くと5万キロ台。全然乗っていないのではなく、昔の車なので、メーターが万の桁までしか無く、何回もメーターが一周しての5万なのだろう。このバスを過ぎて、僅かで林道は行き止まりとなる。実際はまだ先に続くのだが、ここが林道最上部であった。岩に囲まれたコロシアムのような場所で、声を出すと見事なまでに反響していた。小さな口笛も、こだまになって返ってきていた。さあここからどうしようかと思っていると、西側を見ると斜面を駆け上がっている踏み跡が見えた。そこに足を乗せてゆく。

 植林地の中に踏み跡が無数の筋になっている。イバラも多くかなり引っかかれるのだが、それらを分けながら行くと、道形に出合う。ほとんど使われていない様子で、草ぼうぼうとなっていた。そこからトラバースするように西側の尾根を目指す。この斜面には踏み跡があるような無いような感じ。そして主尾根に乗ると、最初のピーク手前の鞍部には赤い絶縁テープが見られ、進む尾根上に続いていた。ここからの最初が急峻で、僅かに岩場。岩の直登も可能だし、右にも左にも巻いて進める場所であった。最初のピークには青い荷紐が縛られていた。落ち葉の中を下り、城山を前にした次の鞍部。ここから先は歩きやすそうな尾根が続く。駆け上がり上に行くと、予想しなかった風景が。

 
 城山山頂。驚くほど明るく。こんなマイナーピークにしては居心地が良すぎるほどに空間がある。それには、山頂の南側の木がほとんど伐採してあるのであった。そこからは奥秩父の山々が一望できる。天気も良く、かなり良い気分。ここなら初日の出を見ることも可能であり、山頂にテントも張れるスペースがあった。G標もあり、取り付けたリョウブの木が、標識を取り込もうとがんばっているような状態になっていた。ほか私的な標識が二つあり、合計3つ。北にはサスの峰に続く山塊があり、何となく360度が見渡せる。それでも山頂部にはアセビが蔓延り、常緑樹であるのでやや視界の邪魔をする。南側の麓には神ヶ原の集落が見え、それにより高度感を感じる。その谷を間に、向かいの山が叶山。石灰の山としての叶山だが、山頂部はだいぶ真っ平らになっていた。

 下山は往路を辿る。北側のピークからは、青いリボンが東側の尾根に降りていた。どこかで下の林道に出合うのだろうか。でも地形図を見ると急峻で、伝うのは怖いようにも見えていた。トラバースをして植林帯に戻り、道形に乗る。そして少し道形を伝ってみることにした。降りて行くと、途中で鋭角に折れて、そのまま往路の広みに続いていた。その広見に戻る手前で崩落と倒木があり、林道としての道幅は完全に無くなっていた。

 
 林道終点の広みで反響を再度楽しみ、林道を降りて行く。その途中、城山の岩壁から轟音がした。少し岩の崩落があったようで、予期せぬ出来事にドキッとした。こちらに気づいた獣が動いたのかもしれない。その前に、林道に乗る付近で獣のうなり声がした。ピタッと足が止まってしまったのだが、彼が犯人かも。

 車に戻り、帰りは「中央テレビアンテナ」の分岐をそのまま真っ直ぐに伝ってみた。こちらは傾斜は緩やかで、途中で「笛竹線 延長1036m」と書かれた標識の場所で分岐となり、南に降りて行く。途中で畑などが現われ、生活感が周囲に出てくる。するとすぐ先から民家が現われ、そこが宮地の集落であった。国道462号に乗って、再び湯の沢トンネルに潜って戻って行く。

 
 1996年からチマチマと出向いては登ってきたが、これで奥多野の登り残しは1座となった。

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