ナナコバ山  1504.1m            

 2011.3.19(土)   


  曇り    単独       大杉谷林道入口から          行動時間11H37M


@大杉谷林道入口5:19→(5M)→A除雪終点5:24→(57M)→B下杉谷橋6:21(73M)→Cイモイワ谷橋7:34→(9M)→D大杉谷林道を離れる7:43→(9M)→E大杉谷橋7:52→(40M)→F愛宕山孔雀荘8:32→(118M)→G1202高点10:30→(98M)→Hナナコバ山12:08〜25→(79M)→I大杉谷橋帰り13:54〜58→(19M)→J大杉谷林道下降点14:17→(159M)→K駐車余地16:56


start.jpg  jyosetusaisyuu.jpg  kyatapira.jpg  shimosugitani.jpg 
@県道33号から大杉谷林道に入り、橋を渡ってすぐの余地。 A今年の除雪は遅いのか、降雪のせいか、除雪された場所を歩けたのは5分。 除雪はされていないが、キャタピラー跡が残り、これがスタートから2キロ地点まで続いていた。 B下杉谷橋を渡って進む。
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惑わしの分岐。右に進みそうだが、左に進む。 イモイワ谷の700mほど手前に立派な小屋がある。上部に明り取りの窓がある小洒落た小屋。 Cイモイワ谷を通過。 Dここで大杉谷林道を離れ、南下して大杉谷川を渡って行く。
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E大杉谷を渡って行く。 Fかなり立派な小屋が見えてくる。 F愛宕山とは836高点辺りを指しているのか。 1100m付近。やや勾配が急になってくる。
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G1202高点からナナコバ山側。 1250m付近から東側。この先で雪庇尾根がうねる。 1280m付近からナナコバ山側。 1420m付近。
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ほぼ山頂。雪庇のうねる場所。南を進んで、雪庇の切れ間を狙って進んだ方が歩きやすい。 Hナナコバ山。後の右側が白山釈迦岳だろう。 H山頂から北東側。尾添尾根が見えている。 H山頂から北西側。
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H山頂から南西側。大長山辺りが見えているのか。 H山頂から南側。釈迦岳に続く尾根。この先は起伏多し。 孔雀荘まで戻ってくる。 I大杉谷橋まで戻る。ここでシールを装着して登り返し。
kamoshika.jpg bunkikaeri.jpg  jyosetukaeri.jpg  cyuusya.jpg 
大杉谷の中でカモシカがじっとしていた。 J大杉谷林道に乗る(下降点分岐)。 除雪終点まで戻る。作業小屋付近。 K駐車余地の様子。


  

 病気なのか、毎週の行動を守る律儀さなのか、それとも世間知らずなのか、震災を横目にしつつも気持ちが山に向く。周囲の目が気になりつつも、“この行動は誰かに迷惑をかけているのかな〜”なんて考えるが、特に何処にも・・・全て自己完結。ただし、この状況下で「遊ぶ」事に対しての、後ろめたい思いはとても大きい。でも色んな思いにも屈せず、我が信念を貫く。自分の人生、周囲を気にしつつも自分で判断。

 
 今年の1月、一度狙おうとして大雪で断念したナナコバ山。今年のうちにどうしても落としておきたい場所であった。次に西高山と東高山も控えており、順番にクリアーしていかないと後が閊えている。ここは長い林道が一番のネック。自転車で登山靴で、なんて思っていたら週中にしっかりと降雪があり、残雪期の山から逆戻り。こうなると装備の選択は現地で判断しようと、どうにでも選べるようフル装備で現地に向かうことにした。

 その金曜日、燃料を確保するのにけっこう大変。給油する車列に並んだが、もう少しのところで我が車のディーゼル音を聞きつけて、「軽油は売り切れです」と言う。「早く言えよ」と言いたいが、まあここで言ってくれただけヨシとしよう。街中を彷徨う事しばし、なんとか燃料を満たし準備が整った。今回はこの準備が一番のネック。入れられたものの、満タンにはならず綱渡り。まあ、エコ運転に繋がるから、こんな事もいいだろう。

 
 21:10出発。“なんか忘れてるよな〜”なんて思い一旦戻る。案の定、厚手の靴下と手袋が積まれぬまま残っていた。セーフ。全ては気づき、この気づきで今回は凍傷を免れるのかもしれない、なんて・・・。上信越道の流れは特異な流れ。いつもは走行車線に張り付いているトラックが、追い越し車線に多い。それも、千葉や茨城、東海地方のナンバーも多い。全ては震災の影響だろう。こちらは燃費運転で静かにアクセルを踏み込む。80〜100Km/hでトロトロと走ってゆく。相対的に車の数が少なく、ここは燃料配給が滞っている為なのだろう。そして、やっていないと思っていたサービスエリアのガソリンスタンドが開いていた。かなり並んではいたが、こんな事なら無理して入れてこなくともよかったわけで・・・。ここまでの情報はなかった。これも経験。北陸道に入ると、意外やこちらの方が流量が多い。いつもは静かな北陸道が、意外や賑わっている。賑わっているのは北に向かう対向車側なのだが、消防車を連ねた車列なども見え、東北方面に向かうことが判る。富山から金沢に入るが、高速脇に見えるスタンドは普通に灯が点っている。日本海側の様子は、どうやら太平洋岸側とは違うようであった。

 
 金沢西インターで降りて、白峰に向かう。8号沿いのコンビニもスタンドもいたって普通。パンを買いに立ち寄ると、安心するほど豊富に陳列棚に並んでいる。見慣れた風景だが、この様子にだいぶホッとされる。燃料価格も、かなり安い。“いいところだな〜金沢”なんて素直に思う。状況が全く違う様子に、ちょっと戸惑いもあったのは事実。157号を伝ってゆくが、大雪だった1月の様子はそこになく、かなり春を待った感じ。でも残雪期らしい黒い雪でなく新しい白い雪。“今日は苦労するか・・・”心でつぶやく。157号を旧白峰村役場の先で別れ、白山のメイン登山口である市ノ瀬に向かって県道33号に入る。そして緑の村の手前、スノーシェッドの中で左手を気にしていると、対岸に向かう分岐箇所がある。ここが大杉谷林道の入り口。橋を渡り対岸へ行くと、細い除雪が奥に続く。“このまま行って駐車余地が無いと嫌だな〜”と思っていたら、除雪は僅か先で終わり、駐車余地も無かった。もう少し奥の方まで入れるかと思っていたのだが、今日は新雪と長い林道歩きの、2重苦になるようであった。除雪終点地の30mほど西側に作業小屋があるのだが、流石に今日は土曜日、作業もあるだろうからそこには置けない。150mほど戻って、橋の袂の除雪余地に車を突っ込む。燃費走行のおかげで、通常より1時間ほど余計に掛かっている(3:45)。ちょっと疲れてしばし仮眠。時折通り過ぎる33号線の車の音に、うつらうつらしながら眠っていた。

 
 4時半起き出す。ちょっと用事があり、18時には金沢入りせねばならなかった。地図を眺めながら時間配分。5時にはスタートしないと・・・。外に出て雪を確認。湿っていて重い。久しぶりのカンジキ歩行を楽しみにしていたが、スキーに利がある。シールを貼って準備に入る。今日は短い板のみを持ってきたのだが、“あっ、これにはシールワックス塗っていない・・・”今日の柔らかい湿った雪、どうなるかが想像できる様であった。ただこんな情勢の中の行動。中途半端には終わらせられない。結果を出さねばとの思いもあった。

 
 5:19板を担いでスタートとなる。僅か5分ほどで除雪が終わり、そこからしばらくはキャタピラーの跡を追う。何故にここにキャタピラーなのか、全く判らなかった。平坦路なのかと思ったら、割と起伏の多い林道。踏むと壊れるキャタピラーの跡をパタパタと板の音をさせながら進んで行く。そして、そのキャタピラーのトレールが終わったのが下杉谷の西。地形図上でちょうど林道が凸になった頂上部であった。さあラッセル開始。まだ元気な時間帯でありガツガツと板を前に出してゆく。

 
 下杉谷を橋で渡るのだが、どうやらサルが先行している様子。独特の足跡が先に続く。それを目で拾うようにして下を向きつつ坦々と進む。当然のように進む先の方を見やる。四塚山か七倉山か、それらしい姿が見える。それより目指すナナコバ山の存在が全く判らないのであった。長い林道が判っているだけに目標地点が遠くにあるように思える。とりあえずはその場所が見たいと思うのであった。北にある1056高点から垂線を下ろすと、それが東経136度40分の線となるが、その線と林道が交わる辺りに南側に降りて行く道がある。そちらの方が広い感じで誘われるのだが、ここは左の道が本道となる。そしてその僅か先で、左手に小屋が現れる。上部に明り取りが設けられた山小屋風の小屋。東側に入り口があるのだが、シャッター仕様。と言う事は作業小屋と言う事か。電気設備もあるようで、緑のケーブルが碍子を介して小屋内に引き込まれていた。相変わらずにモッサモッサと雪を踏んで進むと、深い谷が見えてきて、これがイモイワ谷であった。深く北に巻き込むように進み、橋を越えると、さあそろそろ第一チェックポイントといえようこの林道を離れる下降点となる。

 
 下降点から緩やかに下り込んで行くと、少し広い場所に降り立つ。少しここで迷うが、切り通しが有る方が正解で沢の音がする東側に降りて行く。深い谷に強固な橋が対岸に渡っている。その上をふらふらと歩いているカモシカの足跡。アセビでも食べたかと思うほどに、よろよろと橋の幅いっぱいに揺れながらのトレースが残る。左岸側に渡ると広い道幅で、正面の斜面を左から巻き上げるような道形が上がっている。そこを伝うも、南に進みたい場所でありながら道形は西にズレて行っていた。どうにも目的地から離れるような気分になり、適当な場所から南進に変える。すると、たまたまなのか、地形から来る必然的なのか、目の前に青い屋根の小屋が現れた。“なんだろうこんな場所に”と寄って行くと、その小屋の横には「愛宕山孔雀荘」と大きく書かれていた。風除室なのか、鉛色のトタンが雪の下から見えている。何より「愛宕山」って山が気になる。地形図を開き、一番近い名前が振られそうなピークを探す。どれだろうか、特にそれらしい高みが限定できない。しいて言えば836高点なのか・・・。小屋の東側にはトイレがあるのか荷物室か、三角屋根の上部だけが顔を出していた。その間をすり抜けて斜面を這い上がってゆく。

 
 完全にシールトラブル。重くてたまらない。ストックで叩き落すも、板の裏の雪がそう簡単に言う事を聞いてくれるはずもなし。執拗に纏わり着く。「好かれてるのか」そこまでおおらかに思えればいいが、なにせずっしりと重く足の筋肉を刺激する。なるべく木々の下の硬い雪を選ぶように、日蔭を選ぶように進んで行った。適当に登るも、時折林道の道形が姿を現す。どうやら地形図通りに道があるようであった。950m付近の等高線のきつい場所は、道形を南に進み、地形が緩くなった辺りから進路を東に変える。相変わらずの鉄アレイを足に着けた様な歩行。雪を落す作業も面倒になり、股関節が悲鳴を上げるも根性で行く。時計の針はどんどんと進み。予定をはるかに越えて時間が掛かっている。「諦めようか」、いつものように負の因子が浮き上がる。「馬鹿やろう、こんな時期に、こんな場所まで来ているのに、簡単に諦めるのか!」前向きな因子は背中を押す。そう、根性で解決する部分は、絶対に諦めない。東北でこんな状況下、尚更であった。

 
 緩やかな勾配も1202高点の下、1100m付近からやや勾配がきつくなる。地形図を見ながら緩やかな方へと南にズレるように行く。この斜面は時折硬いバーンもあり、シールとエッジを使いながら登っていた。そして東に突き上げると、そこが1202高点となる。時計を見ると10時半。既にここまでで5時間を使ってしまっている。全体からすると、ナナコバ山まではもう少しとも言えるが、山塊は見えているもののピークが見えず、それによりまだ先が長いように思えるのであった。この1202高点から先は、雪庇がうねるような場所で、起伏を繰り返しながら進む。よって帰りにどうしようか迷うような場所。進みつつも左右の切れ落ちた斜面を見つつ、登り返さず通れそうな場所を探しながら進んでいた。そしてここを過ぎてしまえば、再びなだらか斜面。ブナの大木も目立つようになり、そこに二本が寄り添った、「夫婦ブナ」と言えようものも見られた。この周辺は曇り空だが、加賀や小松方面は晴れている様子。本当はこの辺りもいい天気だと思ってきていたのだが・・・ちょっと残念。もう少し、もう少しと、攣りかけた膝周りの筋肉を騙しながら足を出してゆく。こんな時に日ごろの運動不足を思うのだが、仕事のサイクル上、もうどうにもならない事。まあいい風に思えば、これだけ元気に山を楽しめている。

 
 今日はへばっているせいもあり、天気のせいもあり、あまり撮影が出来ていない。気になりつつも、やはり手がカメラを触りたがらなかった。こんな時はけっこう疲れている時。1350m付近から急峻を避けるように南に膨らむようにコース取りをして、その先の主尾根に乗る。ここで標高1420m付近。ここからはほぼ直線的に北東に向かい山頂を目指す。緩やかな斜面に、雪が着いて重いスキー板をゴボッゴボッと進ませる。間違いなく今日は長い板の方が良かったようだ。もう短い板で遊べる季節と思ったのだが・・・。さあ前の空が空けてきた。白山は見えるのか・・・出掛けの青い空なら良かったが、既に曇天。“無理かなー”なんて思いつつ、雪庇の山頂を目指す。この雪庇は南側に張り出していて、その上となる北側がフカフカで歩き辛かった。ここでの通過は、雪庇の下である南側を通過し、最高点直下から雪庇の切れ間を見つけて上に這い上がり、山頂に。

 
 ナナコバ山登頂。やっと踏めた。苦闘。パンパンになった両足がそれを表す。そのまま目は白山山頂側を見やるが、見えているのは白山釈迦岳、そして四塚山付近まで、もう僅かだがその先が見えなかった。「お前なら、また来るだろう、また見に来いよ」こんなふうに自然に言われているようであった。この展望に相対して、相変わらず加賀方面は日が差している。“あっちでの登山なら、気持ちいいだろうな〜”暖かそうな陽射しに、少し羨んだ目で眺望を楽しんでいた。この場所は360度のパノラマピーク。等角度に体を回しながらカメラを構える。北側の風上を背にしてザックに腰掛け白湯を飲む。こうしていると、経路の苦労が吹っ飛び、“山っていいな”その一言となる。寒空の白山エリアであるが、この表情も嫌いではない。時間的に余裕があれば、ナナコバ谷に入ってしまおうと思ったが、あまりギャンブルする時間が無くなってしまった。要するに何かあった時に修正する時間。ここは往路を復路に変える。シールを外し、バックルを締め込む。そしてゆっくりと板が滑り出す。

 
 緩斜面であり、雪質がいまいち。上部ではあまりスキーにならない。と言うのも、今日はワックスを忘れてしまった。山頂でザックの中をゴソゴソしたのだが、見当たらず・・・準備がなってないのだった。そこそこのシュプールを刻みながら降りて行き、さあ1202高点手前からの雪庇尾根。ここは起伏が多いので、帰りの通過をどうしようか迷った場所。逃げるにも南か北か。そしてなぜか北を選ぶ。同じことが、このエリアのショウガ山の西峰付近でもあった。あの時の教訓を覚えていれば、北に入らなかったのだが、なにせ北を選んでしまった。雪崩の巣を強引に30mほど降下し、少し水平に進むも、かなり雪が割れていて穴がある。2mほどジャンプして着地する事2回。そして恐々通過して行くような場所が多い。この時、“そうだショウガ山の時もこれと一緒だった”と思い出した。時既に遅し。ここも、日に当たっている南斜面の方が安定した斜面があるのだった。左上に見える主尾根を恨めしく見ながら、しばらく難儀しながら進んで行く。一瞬の判断であるのだが、我ながらちょっと・・・というコース取りであった。反省。そしてここで、かなりの時間を要してしまった。当然のようにルート修正完了点では、ホッ。

 
 往路で使いきった筋肉、復路の滑りには余っておらず、少し滑っては休憩する有様。青い屋根の孔雀荘が見え、もう少しで大杉谷川。最後は林道をショーカットして橋の袂に降り立つ。ここでシールを装着する。ふと視線を感じると思ったら、川の中からこちらをじっと見ているカモシカが居た。時折首を傾けたあどけないしぐさ。“悪いなー、邪魔して、すぐ消えるから”心でつぶやく。橋を渡る様もずっと注視されていた。対岸に渡り、林道まで登りあげてゆく。滑ってきた足にギヤの切り替えが対応できず、なかなか足が前に出ない。筋力不足の体力不足、情けなや。そして林道に乗ってシールを外すが、この付近は緩斜面過ぎて重力に任せた滑りにはならず、スケーティングをしながら進んでいた。

 イモイワ谷を橋で渡り、シャッター扉のある山小屋まで戻る。するとそこに嫌なものを発見。嫌な物と言うと語弊があるのだが、トレースが見えた。ただのトレースなら、こんな所にもハイカーが入って来たのかと喜ぶのだが、そのトレースは我がスキートレールを全て辿ってきており、踏み潰していた。“ありゃー”これではなお滑らない。ましてや短い板なのだから・・・。そこに足を乗せるも、30センチほど沈んだカンジキの跡は、やはり滑れるようなものではなかった。周囲の雪が硬ければ別段問題は無いのだが、今日の雪ではこの状況は悲しかった。滑らず、再びシールを張る。これでかなりのロスタイムになるだろう。でももうこれしかない。小屋の西側には、山の神なのだろう祠に安置された石仏がある。安全に山を楽しめた事に感謝し一礼。さらには、東北の震災被害者への鎮魂に一礼。こうすることで少し心が落ち着く。こんな時、“日本人だなー”なんて思うのだった。

 
 下杉谷を越えて、往路のキャタピラー跡終点地。なんとここまで重機が入ってきていた。林業作業用のカニのような爪を持つ重機で、伐採した杉を斜面に纏めている作業をされていた。作業員に軽く会釈をして通り過ぎる。こんな時期に、ここまで入って林業作業をするとは・・・。スケーティングや腿上げから開放され、踏まれた雪の上を降りて行く。先を行くつぼ足ハイカーの足跡も残っている。少し登り返しもあるので、かなり下の方までシールを張ったまま降りる。そしていやらしいわずかな登り返しに、やはりシールは重宝。滑り下るには微妙な林道なのであった。そして除雪終点地まで降り立ち、板を担いで歩いて降りる。

 
車に到着し、大きな一仕事を終えた満足感が沸いてくる。周囲はまだまだオフシーズンの白山エリア。春に向けての準備なのか、板に釘を打ち込むような音が谷間に響いていた。急いで装備を車の放り込んで、白峰を後にする。

 
 振り返る。残雪期の山であることは間違いないだろう。林道がこのようであるから、4月頃にカンジキで入るのが適季になるように思えた。スキーでのネックは1202高点か。下りでのここの通過は、焦らず我慢してシールを貼って登り返すので良いのかも。でも南通過が正解だったか。雪庇が南を向いていたので、それを避けての北通過だったが、その年、その時々の状況によっても違うのだろう。じつは、今回のような重い雪が本当は嬉しかったりする。これぞ日本海側、これぞ白山エリア。これらは、私を鍛えてくれたベースエリアの嬉しい出迎えに思えるのであった。

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